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2011.12.31

原発に年は暮れ行く

クダンクラム原発

インド南端で建設中のクダンクラム(Kudankulam または Koodankulam)原子力発電所です。

原発は、最南端のカーニャクマリ岬から北東に20キロほど行った、何百台もの発電用の風車が立ち並ぶ平原の端の浜辺にありました。

原発の敷地へは、かなりの距離のところから立ち入り禁止になっています。私が行った時には、座り込みなどはなく、州政府の人が検問をやっていました。その人は英語を話す人で、「誤解しないでくれ、あなたを入れないのは、私が原発に賛成だからというわけではない」と言っていました。

写真は、反対派の拠点となっている、原発の敷地から数キロの漁村から撮りました。ここでは、漁師の人たちや活動家の人たちと話すことができました。漁師の人はタミル語しか話さず、こちらが言葉を解さないのに延々とまくしたて、通訳をしてくれたガイドの人の英語も今ひとつで、話の1%ぐらいしか分からなかったのですが、「私たちは灯油のランプで生活しているのに、だれのための原発だと言うのだ」「中央政府はタミル人の安全のことなど考えていない」と言って怒っていました。

活動家の人は、7年前のアチェの地震に伴う大津波がその村も襲ったと言い、原発の敷地が海面からわずか5メートルしか高くないので、福島のようなことが起こるのがとても心配だと話していました。

2人とも、クマールさんという反対運動の指導者が当局に拘束されるようなことがあれば、住民は立ち上がるだろうと強調していました。逮捕の危険が迫っているということなのかどうかは聞けませんでした。州政府が脱原発の立場を取ってきたことは評価しており、その姿勢の変化を危惧しているようではありませんでしたから、おそらく一般論としての話だろうと思います。

2012年が、クダンクラムの原発計画が中止になったというニュースを聞く年になりますように。

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2011年 12月 31日 午前 01:14 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2011.12.29

道草

草を食む恩姫

旅に出ました。

一応、ネットが使えるはずなのですが、慎重を期して、年の納めに恩姫ちゃんの写真を。

私の書くものを読んでくださって、ありがとうございました。

けっこう長く生きてきましたが、この年の暮れほど切実に「来年がいい年になりますように」と願ったことはありません。

写真は CC-by-nc ですが、本当にどこにでもいる猫のだれにでも撮れる写真ですね。パブリック・ドメインのほうが似つかわしそう。

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2011年 12月 29日 午前 12:00 | | コメント (3) | トラックバック (0)

2011.12.28

旅券と歴史

'Turkish passport,' untold tale of Holocaust survivors - 第2次世界大戦当時、何人ものトルコの外交官がユダヤ人にトルコのパスポートを発行し、ホロコーストからの逃亡を助けていました。その物語がトルコで映画化されました。The Turkish Passport という映画です。

Whoever saves one life, saves the world entire by fedewild約2千人の命が救われたと言われていますが、この歴史はほとんど語り継がれては来ませんでした。

記事は、ガザに向かっていた船団がイスラエル軍に攻撃され、多くの命が失われた事件をめぐってトルコとイスラエルの関係が冷え込んでいる中、この映画が政治的に利用されているという声などを紹介しています。当時ほとんど何もしなかったトルコを数人の個人の善行によって贖罪しようという「歴史の書き換え」だという意見もあります。

日本では杉原千畝さんの善行が賞賛されます。しかし、それはどれぐらい大きな、あるいは小さな、美談なのだろうかと、考え込んでしまいます。

写真は fedewild さんが CC-by-sa で公開しているもの。オスカー・シンドラーさんが経営していた工場の跡地だそうです。

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2011年 12月 28日 午前 12:00 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2011.12.27

攻防の続く南端の原発

NPC 'yet to load' uranimum in Kudankulam reactors - インド南端(地図)で建設中のクダンクラム原発(10月の記事)を運営する国営の原子力会社(NPC = Nuclear Power Corporation) が国の原子力規制委員会(AERB = Atomic Energy Regulatory Board)に対し、燃料棒の装填の許可申請を行ないました。

Slow march to a social revolution by Pandiyanシン首相が「数週間以内の稼働を目指す」と語ったことを受けての申請と見られます。NPCは、これまでの運用試験で燃料棒の移動などの動作や安全管理体制などに問題がないことが分かったとして、それらの結果に関する報告書を提出しました。また NPC 幹部は、People’s Movement against Nuclear Energy などの反対派が既にウランが炉内に運び込まれているのではないかという疑念を呈していることに対して、それを否定しました。

しかし、クダンクラムでは反対派の実力行使が続いており、大多数の従業員の敷地内への立ち入りを阻止しているそうです。州政府も原発の稼働に対して慎重な姿勢を変えていませんから、おそらく、中央政府による強制的な排除などがない限り、こう着状態はまだ続くと思われます。

インド南部では、クダンクラム原発の問題に加え、Mullaperiyar のダムに関しても住民の反対運動が起こっていて、これらの計画を推進する中央政府に対する反発が強まっているようです。

クダンクラム原発のあるタミル・ナドゥの女の子たちの写真は Pandiyan さんが CC-by-nc で公開しているもの。タミル・ナドゥは比較的に教育が盛んな地域ですが、説明文には、インド全体では教育予算よりも軍事費のほうが圧倒的に多いことへの疑問が綴られています。クダンクラムの脱原発運動の標語は、原発は国と企業のためのもので普通の人たちのためのものではない、というものだそうです。普通の人たちとは、この子どもたちのような気がします。

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2011年 12月 27日 午前 12:00 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2011.12.26

過去と向き合える国に

1915年にオスマントルコ帝国によって行なわれたアルメニア人の大虐殺を「ジェノサイド」であると認めないことを罪とする法案がフランス議会下院を通過しました(下院は過去にも同様な法案を可決しています)。フランス国内でそのような歴史修正主義的な発言をした者は、禁固刑と最高45,000ユーロ(約458万円)の罰金に処せられます。

towards the memorial by imansariこれに対し、トルコのエルドアン首相は、フランス自身もアルジェリアでジェノサイドを行なったとして、反発を示しました("Turkey accuses France of 'genocide' over draft law")。APF の記事は、また、この法案がアルメニア系市民の票を狙った与党の政治的な産物であることも指摘しています。

一方、トルコ国内では、逆に、「10年ほど前までとは異なり、今のトルコは過去の過ちと向き合える国になったはずだ」として、真摯な議論を求める声も出ています("As genocide bills loom, Turkey must confront its history, say experts")。確かに、アルメニア人虐殺を論じれば、それを反トルコ的な攻撃と見なして処罰する刑法第301条は今も存在する。しかし、それが実際に適用されることはまれだ。どうせ虐殺の100周年となる2015年になれば、世界中から攻撃の的にされるだろう。それならば、ちゃんと自分たちの過去に責任を持とうではないか、という意見です。もちろん、フラント・ディンクのように民族主義者に殺されてしまう危険が残っていることにも記事は触れています。

私たちの国にも、直視しなければならない過去があります。戦争が終わって66年。それが100年になっても、もし私たちが不誠実なままなら、私たちは依然として冷たい視線に耐えねばならないでしょう。

写真は imansari さんが CC-by-nc-nd で公開しているもの。アルメニア国内のジェノサイド祈念碑。

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2011年 12月 26日 午前 12:00 | | コメント (0) | トラックバック (1)

2011.12.25

小惑星の名

Asteroid named for 'disappeared' Argentine student - 第11441番小惑星に「アナディエゴ」(Anadiego)という名前が付けられました。

Aparicion con Vida by blmurchアナ・テレサ・ディエゴさんは、アルゼンチンのラプラタ国立大学で天文学を学んでいる学生でした。勉強の傍ら、共産党系の学生運動にも参加していたアナさんは、1976年9月30日、大学の図書館から拉致され、その後、行方が知られていません。

アナさんは、当時の右翼軍事独裁政権によって拉致され殺された1万3千人とも3万人とも言われる失踪者(desaparecidos)の1人です。

天文学者を志していた彼女への追悼の想いをこめて、彼女の通っていた学部の学部長が、1975年に同じアルゼンチンの天文学者が発見した小惑星に彼女の名前を付けることを提案したそうです。

「目を閉じると、あなたが小惑星としてほのかに輝いているのが見える。いなくなった人たちみんなといっしょに、あなたは空から私たちのほうに笑顔を見せてくれる。まるであなたが無事であるかのようにさえ感じる。幸せそうに、人類が平和と連帯、協調の中に暮らすすべを見つけるに違いないと信じて、私たちが来るのを待っていてくれる」、彼女の母親は、そう彼女への手紙に記しました。

失踪者のための集会の写真は blmurch さんが CC-by で公開しているもの。

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2011年 12月 25日 午前 12:00 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2011.12.24

贈る季節

Through charitable giving, Americans are spreading the wealth - アメリカでは、景気は悪いが、寄付などをする人は増えているというニュースです。

by Cirquemusicianこの記事の中にあったリンクで、 Charities Aid Foundation というところの世界調査を見てみました。ギャラップ社の資料などを通じて、

  • 人々が過去1年に募金をしたか(額は問いません)、
  • ボランティアをしたかどうか、
  • 知らない人を助けたか、

という3点について調べたものです。

総合成績では、アメリカが1位。以下、アイルランド、オーストラリア、ニュージーランド、イギリス、オランダ、カナダ、スリランカ、タイ、ラオスと続きます。

日本は、なんということでしょう、153か国中105位でした。寄付、ボランティア、手助けのどの分野でも、「はい」と答えた人は25%ぐらいみたいです。

ギャラップ社の資料は5月時点で公開されていたものということなので、おそらく、地震と津波、そして原発事故の前の数字なのでしょう。

写真は Cirquemusician さんが CC-by-nc-nd で公開しているもの。東京の野宿者。

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2011年 12月 24日 午前 12:00 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2011.12.23

垣根の向こうから来た先生

Israeli Arabs enter Jewish classrooms - イスラエルのユダヤ人の子どもたちが通う学校で、アラブ系の先生を雇う例が増えているという話です。

Drawings by kids about equality and fighting racism in Israel by FARE networkイスラエルの市民の約2割はアラブ人ですが、ユダヤ人とアラブ人の間の交流はほとんどなく、学校もアラブ人学校、ユダヤ人学校とはっきり分かれています。ユダヤ人学校ではアラビア語の学習が義務づけられていますが、話せるようになる子どもは少ないそうです。そこで雇われたのがアラブ人の先生。

アラビア語を教えるだけではなく、偏見を打ち壊し、多様性への寛容を育む役割ももちろん担います。 The Abraham Fund という基金が政府とともに進めているプログラムで、通常なら中学1年から始まるアラビア語の学習を2年前倒しして、小学校5年から始めます。イスラエルにある約1,700校の小学校のうち、200校ほどで取り入れられています。正則アラビア語(フスハー)ではあく、口語(アーンミーヤ)を教えるのも特徴です。

記事では、教壇に立って2年目になる先生が、ゲームなどを通じて楽しく授業を進めているようすが描かれていました。その先生も、教え始めた当初は、アラブ人学校との雰囲気の違いに戸惑い、毎日泣いて過ごしていたとか。

小学校5年というと、もう一部の子どもは親などから抜きがたい先入観を受け入れてしまっていて、何をやっても殻に閉じこもった愚か者になってしまっていると思います。教師は、そういう子どもが1人でもいると辛いものなので、大変なのだろうなあと思います。

公民権運動前のアメリカだと思って読めば、雰囲気が理解できるのかなあ。私たちの国でも、今でも、マイノリティに気づき、その人たちとともに生きる機会って、案外限られているようにも思います。だとすると、遠い国の話でもないわけですね。

写真は FARE network が CC-by-sa で公開しているもの。平等や人種差別との闘いを描いたイスラエルの子どもたちの絵だそうです。

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2011年 12月 23日 午前 12:00 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2011.12.22

植民地の裁判所にさようなら

Judges to go 'wigless' - ジャマイカの裁判所が植民地時代の慣習に終止符を打ちました。

At the sign of the Old Justice reverse by kenjonbro20日、ジャマイカの上訴院(Court of Appeal)は、今期最後の審理を行いました。この日、7人の裁判官たちは、かつら無しで席に着きました。裁判長は、かつらの着用は植民地支配者たちの慣習であり、長年、その改革が課題となってきたが、独立50年を前にかつらを廃止することにしたと語りました。法服についても、新しいものへの変更が検討されているそうです。

多くの植民地が独立を果たした時代から半世紀。ポストコロニアルな時代もまた、1つのエポックを迎えつつあるのでしょうか。

かつらを着けた裁判官の写真は kenjonbro さんが CC-by-nc-sa で公開しているもの。イギリスのパブの看板です。

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2011年 12月 22日 午前 12:00 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2011.12.21

英語を話す年

English Speaking Year 2012 - タイの教育省は、2012年を「英語を話す年」とすることを発表しました。

Too shy to speak English?  I think I did take this one back in January... by antwerpenRASEAN 諸国は2015年に ASEAN コミュニティを発足させ、2020年までの経済統合を目指しているので、国境を越えた英語でのやり取りが不可欠になる、というのがこの取り組みの出発点です。各学校で週のうち1日を生徒と教師が英語で何かをする日にします。「間違いを恐れずに英語を話せるようになってほしい」と教育相が語っています。もちろん全国的に教師への英語研修も展開するようです。市民の半数以上が英語で話せるようになるまで、取り組みは続けられるとのことです。

自分を振り返ると、間違いが怖いというより、仲間の圧力みたいなものがもっと強かったような気がします。そういうのって、国をあげての取り組みとかで除去できるものなのでしょうか。

バンコクの駅の写真は antwerpenR さんが CC-by で公開しているもの。

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2011年 12月 21日 午前 12:00 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2011.12.20

休戦の季節

Philippine rebels declare Christmas cease-fire - フィリピンの反政府組織、新人民軍(NPA = New People's Army)が休戦に応じました。

Ilocos Norte Parol Making Contest 2009 (43) by Constantine Agustin恒例のクリスマス休戦ですが、今年は和平交渉の行き詰まりから、実現が危ぶまれていました。しかし、先週金曜日に国軍が攻撃の停止(suspension of offensive military operations)に入ったのに応えて、フィリピン共産党系の武装組織 NPA も24日から来月2日までの休戦を宣言しました。

この季節がずっと続けばいいのにと思ってしまいます。

ところで、イエスは

地上に平和をもたらすために、わたしがきたと思うな。平和ではなく、つるぎを投げ込むためにきたのである。(マタイによる福音書、第10章34)

と言っているので、これを文字通りに取ると、彼の誕生日にちなんで休戦というのは、なんか矛盾しているような気もします。理屈はどうあれ、人々は平和を望んでいるということなのかな。

写真は Constantine Agustin さんが CC-by-sa で公開しているもの。イロコス地方のクリスマスの飾り付けだそうです。

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2011年 12月 20日 午前 12:00 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2011.12.19

不適切な曲

MSU leader apologizes for band playing 'Dixie' - アメリカのミズーリ州で、大学の吹奏楽部が演奏した曲が歴史的に見て不適切だったとして、学長が謝罪しました。

lynching memorial by Jo Naylorミズーリ州スプリングフィールドという市の Park Central Square (地図)では、1906年に3人の黒人がリンチを受け、亡くなりました。先月その公園で式典が行われた際、州立大学の吹奏楽部が「ディクシー」(Dixie)という曲を演奏しました。内戦(南北戦争)前に分離独立した南部諸州の白人たちが国歌のように愛唱した歌です。人権団体が抗議し、大学が「無神経だった」と正式に謝罪しました。吹奏楽部の部長らはこの曲の歴史的背景を知らなかったらしい、と説明されています。

奴隷制度や人種隔離政策が犯罪的であったように、侵略や植民地支配も深く反省されるべきものですが、それを象徴していた歌や旗がいまだに通用していることがとても恥ずかしく思われます。

スプリングフィールドの公園に置かれた、リンチ犠牲者の碑の写真は Jo Naylor さんが CC-by で公開しているもの。

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2011年 12月 19日 午前 12:00 | | コメント (2) | トラックバック (0)

2011.12.18

揺籃の地の一周年

Tunisia fetes poor town where revolt year began - チュニジアで一人の青年が焼身自殺をして、ちょうど1年。

110211 Sidi Bouzid - the city behind the Tunisian revolution 08 | سيدي بوزيد: مهد الثورة التونسية | Sidi Bouzid : la ville à l'origine de la révolution en Tunisie by Magharebia無許可で野菜や果物を売っていて、商売道具を全部警察に没収されてしまった Mohamed Bouazizi さんは Sidi Bouzid の町役場の前で、去年の12月17日、抗議の焼身自殺をしました。それはチュニジア内陸部の抗議行動となり、全国的な反体制運動となり、1か月後にベン・アリ政権を崩壊させます。彼の死によって始まった運動は、その後、アラブ諸国を革命の嵐に巻き込み、今も続いています。

何という一年だったのだろうと思います。しかし、失業率などの経済的な問題は、いまだ改善されていません。

この週末には、1周年を記念して、シディブジッドの街では、パレードや、詩の朗読や、政治家のスピーチが行なわれているのだそうです。

1年目という日にちではなく、真に革命によって勝ち取られた幸せを、新たな生活を、祝うことのできる日が早く来ますように。

シディブジッドの街の写真は Magharebia さんが CC-by で公開しているもの。

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2011年 12月 18日 午前 12:00 | | コメント (0) | トラックバック (1)

2011.12.17

街の新しい本屋

Bookstores finding a home Uptown; new shop to open in East Harlem - アメリカでは閉店する書店が跡を絶たず、ニューヨーク市も例外ではないが、ハーレム周辺では独立系書店が増える傾向にあるという記事です。

El Mayaguezano by r.yenこれまであった書店としては、

  • Hue-Man Bookstore (Harlem)
  • Sister's Uptown Bookstore (Harlem)
  • Deja Vu Book Lounge (East Harlem、都市在住のラティノを描いた小説を中心に蒐集)

の3つが挙げられています。これに、以下の2つが加わります。

  • Word Up (Broadway and W. 176th St.、この6月に、期間限定で開店した店。営業を続ける予定)
  • La Casa Azul (E. 103rd St., East Harlem、来春開店予定)

本を売るだけでなく、地域のイベントに場を提供する、開店や営業継続のための寄付を募るなど、いろいろな取り組みが行なわれているようです。

ハーレムやスパニッシュ・ハーレム(エル・バリオ)などで本屋が増えているというのは、興味深いですね。情報技術格差みたいなもの? それとも、そこには電子化の波が取り残しがちな何かがある?

スパニッシュ・ハーレムの写真は r.yen さんが CC-by で公開しているもの。

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2011年 12月 17日 午前 12:00 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2011.12.16

覆いを取れと命ずる声

Neighborhood in far west China tries veil ban - 新疆ウイグル自治区のグルジャ(Ghulja、中国名は伊寧、簡体字で伊宁、Yining)で、イスラム風の服装、特に女性のベールの禁止政策が実施され始めたようです。

lady_hotan by kenpower情報が錯綜しているようで、中国政府系の新聞にはまだ報道が残っていますが、最初に告知が発表された伊宁市墩买里(Dunmaili)地区の役場のサイトからは、告知が消されているそうです。また、新疆ウイグル自治区の報道官はそのような政策が施行されたとは承知していないと語っています。地方官僚の勇み足だったのかもしれません。

告知文書はこちらなどで読むことができます。“淡化宗教意识、崇尚文明健康生活”(宗教意識を薄め、文明的で健康的な生活を尊ぶ)運動と呼ばれているようです。ちょっと大躍進とか文化大革命の香りがする名前だと思います。

宗教について、マルクス主義からの宗教批判について、民族的なアイデンティティについてなど、いろいろな面から語ることができると思います。フランス、トルコなどの状況と比べてみることもできるでしょう。しかし、それらは私には荷が重過ぎます。今はただ、グルジャが1997年に中国人民解放軍によるウイグル人市民の虐殺事件のあった地であることを思い出し、筆を置きます。

新疆ウイグル自治区の女性の写真は lkenpower さんが CC-by-nc-sa で公開しているもの。

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2011年 12月 16日 午前 12:00 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2011.12.15

新しい葡萄酒の国

Chinese wines beat Bordeaux in blind tasting - 産地や銘柄を知らない状態で行なわれたワインの飲み比べで、中国のワインがフランスに勝ったというニュースです。

Water melon farmers in Ningxia by Bert van Dijk中国のワインは、大半は低価格でさほど質が高くないようですが、わずかながら、とてもいいものが生産されているようです。この日、中国ワインの代表として出されたのは寧夏(ねいか、Ningxia)回族自治区で作られたもの。 Grace Vineyard という畑のものが一番の評価を受けたそうです。

対するフランスワインは、ボルドー産のものが出品されました。どちらの国のワインも、中国で200から400人民幣(約2,450から4,900円)で手に入るものから選ばれたそうで、関税がかかるぶん、フランスに不利ではあるようです。

北京で行なわれた試飲会なので、単に中国の人の口に合ったということかなとも思いましたが、たぶん、それだったら AFP が記事にはしないでしょう。今回の試飲会の結果は、35年前に同じような催しでフランスワインがアメリカワインに負けた時に比較しうる衝撃の大きさで受け止められているようです。また、寧夏の He Lan Qing Xue (贺兰晴雪)Jia Bei Lan (加贝兰)というワインの2009年産のものが、イギリスの Decanter 社の評価でも10ポンド(約1,200円)を超えるボルドータイプのワインで1位になっています。一回限りのまぐれということでもなさそうです。

最近、中国でのワイン人気がすごくて、世界のワインの仕入れ価格が軒並み上昇していると聞きますが、反対に、中国産の安くておいしいワインが手に入る時代が来るのかもしれません。

写真は Bert van Dijk さんが CC-by-nc-sa で公開しているもの。寧夏のぶどう園の写真がなかったので、スイカです。

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2011年 12月 15日 午前 12:00 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2011.12.14

受け継いでいく千回

Comfort women to mark 1,000th rally for Japan's apology, compensation (1, 2) - 日本軍の元慰安婦にさせられた人たちが続けて来たソウルの日本大使館前の水曜日集会。今日、1,000回を迎えます。

Seoul: Comfort Women Protest by bittermelon決して喜ばしい数字ではありません。また、状況は、この数字が含意しがちな「区切り」の様相を見せてもいません。

今日は、大使館の前に少女の像が建てられると聞きます。もしかすると、高齢で、決して長く集会を続けていけはしないだろうハルモニたちの志を引き継がせるための像なのかもしれません。

いえ、彼女たちの闘いを受け継がねばならないのは、生きている私たちのはずです。同じ生きる人間としての尊厳を踏みにじられた痛みに共感することができる私たちが声を上げなければ。

一週間でも、一日でも早く、正義と和解の日を勝ち取りたいです。

写真は bittermelon さんが CC-by-nc で公開しているもの。

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2011年 12月 14日 午前 12:00 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2011.12.13

焼き討ち

Italian girl's rape claim sparks arson attack on Gypsy camp - イタリアのトリノで16歳の少女がロマの男たちにレイプされたと訴えたため、怒った人々によってロマのキャンプが焼き討ちに遭いました。

affinché l'italia non dimentichi le leggi razziali by hidden side少女は比較的早く、それが作り話だったことを認めたのですが、キャンプ地に向かった群衆を止めることはできなかったようです。幸い、けが人はありませんでした。

地元の政治家の話として、ロマのキャンプの周辺に暮らす人たちは、かねてからキャンプを排除しようとしていて、その格好の口実に飛びついたのだということが説明されていました。

私たちの国で、似たようなマイノリティに対する集団リンチ事件が起きていないことを、私は誇りに思っているのですが、ひょっとして私の見聞の範囲が狭すぎるだけでしょうか。

写真は hidden side さんが CC-by-nc-sa で公開しているもの。「イタリアが人種法の恥辱を忘れないために」。

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2011年 12月 13日 午前 12:33 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2011.12.12

作家の遺したもの

National Library: Kafka writings belong in Israel - フランツ・カフカの原稿がどの国に帰属するかをめぐって裁判が行なわれています。

Franz Kafka by marcella bonaカフカには親友がいて、その親友には秘書がいて、その秘書には2人の娘がいて、イスラエルに住んでいるその2人の娘がカフカの原稿などを所持しているが、ドイツの文学文書館(Deutsche Literaturarchiv Marbach)が、カフカは自分の遺品がドイツに置かれることを望んでいたはずだと、イスラエルの家庭裁判所に提訴したという話のようです。

イスラエル側は、カフカが晩年、シオニストになり、ヘブライ語の学習も始めていたとして、イスラエルこそ彼の遺品を置くのに相応しい土地だと主張しているようです。

見ようによっては、かなりこの審判自体がカフカ的なような気もします。

彼が生涯を送ったチェコからは権利の主張はないのだろうかなどと余計な心配をしてしまいますが、プラハという土地、ドイツ語という言語、ユダヤ人という家系のどれを取り去っても、きっとカフカはカフカではなくなってしまうのだとも思います。

写真は marcella bona さんが CC-by-nc-sa で公開しているもの。

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2011年 12月 12日 午前 12:00 | | コメント (2) | トラックバック (0)

2011.12.11

不敬罪に反対

Protest staged over law on lese-majeste - バンコクで9日、不敬罪(lèse majesté)の廃止を求める集会が開かれました。

by Chasing Donguriタイは刑法112条で王や王制への批判的な言論などを罪とする不敬罪を定めています。今年も1月から10月までに、122人が起訴されました。

この日、100名ほどの市民が刑事裁判所の前に集まり、著名な不敬罪受刑囚の名前を書いた横断幕などを掲げ、条文番号に合わせた112分間のろうそく集会を開きました。

参加した人の「ここに来ずに、家でぶらぶらしていたら、また同じような逮捕や起訴が起こってしまう」という発言が紹介されています。

王制批判の言論の自由を求める彼らの取り組みに連帯し、私も自分の国の封建制の残滓の除去に努めようと思います。

タイ国旗と王の肖像画をあしらった旗の写真は Chasing Donguri さんが CC-by-nc-sa で公開しているもの。

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2011年 12月 11日 午前 12:00 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2011.12.10

自転車のための道

Colombia's car-free events find fans abroad - 南米のコロンビアでは、大通りから自動車を締め出し、自転車と歩行者のために解放するシクロビア(ciclovia、「自転車道」の意)が盛んなのだそうです。

by patrikalex首都のボゴタでは、毎週の日曜日や祝日、全長120キロにもわたる道路が通行禁止になります。70万人以上の人が繰り出して、街はあたかも大きな公園のような雰囲気になるそうです。シクロビアを主催しているボゴタ市は、閉じこもりがちな人々に外出に誘い出して健康を増進し、また、貧しい人も金持ちも、だれもがいっしょになる機会となっているとしています。

1974年に始まったシクロビア。もっと盛んだったことも、人が関心を示さず中止に追い込まれそうになったこともあるそうです。世界のいろいろな国で似た取り組みが行なわれていますが、うまくいかないことも多いようです。ボゴタ市のシクロビアの責任者は、頻繁に定期的に開催することが成功の秘訣だと語っています。

私たちの国では、なんか隅に追いやられがちな自転車。ちょっとうらやましく思いました。

ボゴタの写真は patrikalex さんが CC-by-nc-sa で公開しているもの。

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2011年 12月 10日 午前 12:33 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2011.12.09

亡骸を埋める

Air Force dumped ashes of more troops' remains in Va. landfill than acknowledged (1, 2) - 空軍は兵士の遺体をゴミ捨て場に捨てていました。

An solemn moment by The U.S. Armyアメリカ空軍がイラクやアフガニスタンから戻って来た兵隊たちの死体の一部を、焼却場で焼き、その灰をその他のゴミとともにバージニア州のゴミ埋め立て場に運び、埋めていたことが明らかになりました。ゴミ扱いにしていたのは、爆弾で吹き飛ばされた手足などの部位です。遺族たちは、それらの部分的な死体が軍によって「適切に処理」されることに同意していました。

ワシントン・ポスト紙の調査では、2004年から2008年の間に少なくとも274人の976片の部位がゴミ処理されていました。関係者の証言では、遅くとも1996年にはそのような処理が始まっていました。

亡くなった人の遺体をぞんざいに扱わないのは、その死者への礼儀であり、その死者の尊厳を守る行為だと思います。でも、死者の尊厳と生きている人間の尊厳と、どちらがより重要視されるべきかと言えば、後者だと思います。つまり、自分の仲間の死体を粗末に扱うのと、味方であれ敵であれ、人を殺すのと、どちらが重い罪かと言えば、それは殺すことのほうでしょう。だから、軍隊が死体の扱い方を改めたからと言って、何かが根本的によくなったなんて思ってほしくないな、と思います。

写真は The U.S. Army が CC-by で公開しているもの。キャプションの英語が間違っているので、本当に陸軍のアカウントではないのかもしれません。

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2011年 12月 9日 午前 12:00 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2011.12.08

給食の贈り物

Woman donates school lunch fees for 27 years - 韓国で、ある女性が27年間にわたって、給食費の払えない子どもたちのために、毎月、寄付をしてきたそうです。

막 담아 와구와구 by zoomselfこの女性は、1985年に夫が患った病気が回復したのをきっかけに、何か社会に恩返しをしようと考えました。友人の栄養士から、給食費が払えないので給食が食べられない児童がいることを聞き、ソウルのフクソク初等学校に給食費の寄付を始めたそうです。毎月、3人か4人ぶんの給食費が学校に届けられました。学校から感謝状を贈ろうとしても、子どもたちが負い目に感じるといけないからと言って、女性は名前を出すことを辞退し続けました。

長く続いた寄付は、先月、終わりました。いえ、その女性の事情で終わったのではなく、全国でソウル市で小学校の給食が無償化されたからです。

私も、何か長く続く社会貢献をしなくては。給食費の寄付はなかなかいいですね。でも、私たちの国でも学校給食の無償化が実施されれば、もっといいと思います。

韓国の給食の写真は zoomself さんが CC-by-nc-nd で公開しているもの。

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2011年 12月 8日 午前 12:00 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2011.12.07

軍艦のいた港

Subic groomed as cruise stop - フィリピンのスービック湾が豪華客船の寄港地として名乗りを上げました。

Baloy Beach, Philippines by palm.baloybeachスービック湾(Subic Bay)といえば、かつてはアメリカ海軍の基地として有名でしたが、1990年代初頭にフィリピン議会が軍事基地協定の延長を拒んだため、米軍は撤退しました。

先月、シンガポール、中国、韓国、マレーシア、日本(堺港と神戸港)とともにスービック湾はアジア・クルーズ・ターミナル協会(ACTA)に加盟。共同でアジアでのクルーズの振興を図っていくことになりました。港湾設備が整っていること、ルソン島の観光地への便がいいことなどを踏まえ、客船の寄港により、地元経済への効果が期待されています。

基地の閉鎖は、経済的な痛手でもあったと思うのですが、華麗に返り咲いたといったところでしょうか。

沖縄にも、こういう日が早く来ますように。

ところで、クルーズって、私にはすごくお金持ちのイメージがあるのですが、どうなのでしょう。ちょっと複雑な気分。

美しいスービック湾バロイ海岸の写真は palm.baloybeach さんが CC-by-nc-sa で公開しているもの。

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2011年 12月 7日 午前 12:00 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2011.12.06

追い続ける

German prosecutors investigating 6 former SS men - ドイツの検察当局が、ナチス・ドイツ占領下のフランスで起こされた人道犯罪の捜査のため、ナチス親衛隊の生き残り6人の家の捜索を行ないました。

Massacre of Oradour-sur-Glane by ronengelbert家宅捜索は、フランス中部の村 Oradour-sur-Glane で1944年6月10日に起こった642人の虐殺に関わった容疑を裏付けるために行なわれたそうです。有力な証拠は見つからなかったと発表されています。

容疑者たちは80代半ばとのこと。彼らが真犯人であるかは分かりません。戦争犯罪の真実が解き明かされ、犯人に償いを求めるのに残された時間はわずかです。

私たちの国では、謝罪が十分であったかどうかが論点になったりして、あたかも犯罪が遠い過去のことのように感じられますが、ドイツでは現在とのつながりがもっと緊密なのでしょうか。

写真は ronengelbert さんが CC-by-nc-sa で公開しているもの。オラドゥール・シュル・グラヌ(地図)の町並みは、今もそのままに保たれているのだそうです。

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2011年 12月 6日 午前 12:00 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2011.12.05

かくしゃくとした有権者

109-year-old woman votes at polling station in N.Caucasus - ロシアで行なわれた下院選挙で、109歳のお年寄りが投票したという記事です。

North Caucasus: Refugees and Internally Displaced Persons by United Nations Photoロシアでは、高齢者や病気の人は期日前に選挙委員会の人に自宅まで来てもらって投票する権利が保証されているのだそうですが、このおばあさんは寒さもものともせず、投票所に来て投票して行ったそうです。

1902年生まれなら、生まれた時はまだ帝政ロシアですよ。私の子どものころのソ連のブレジネフ書記長よりも年上ということになります。

ロシア連邦の選挙ですが、このお年寄りが住んでいるのは、カフカス(コーカサス)地方のイングーシ(イングシェチア)共和国。ニジュニエ・アチャルキ(Нижние Ачалуки、地図)という村だそうです。チェチェンの西隣、南はグルジアという土地です。どんな思いを込めてどの党に票を投じたのでしょうか。

写真は United Nations Photo が CC-by-nc-nd で公開しているもの。イングーシに避難してきたチェチェン人のパン屋さん。

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2011年 12月 5日 午前 12:08 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2011.12.04

教会と肌の色

After uproar, Ky. church revisits interracial ban - アメリカのケンタッキー州東部にあるバプティスト教会。ここに通っていた白人女性が、黒人の婚約者を連れて来たら、「異人種間の結婚はまかりならぬ」と言われ、二人は教会を追い出されてしまったという話。

Interracial Couple by mattradickal信じられないことですが、公民権運動の前のことではなく、先週の日曜日のことです。礼拝後に投票をして、異人種間(interracial)カップルの締め出しに賛成する票のほうが多かったからとのこと。

当然のことながら、世間で大騒ぎとなり、牧師は今日にもこの取り決めの無効を宣言する見込みです。「当然のことながら」というのは正しくありませんね。記事によれば、異人種間のカップルが教会にいづらくなった場合、たいていはそっと去って行くので、多数決などになって表沙汰になるのは少ないのだそうです。

多数決を提案した信者は「私は人種差別主義者ではない」と言っているそうです。私たちの国で聞かれる言いかたをすれば、区別はつけるけど差別しているつもりはないというやつでしょうか。自分たちのまわりのことではなく、遠くのこととして見ると、どれだけそのような言いかたが説得力を欠いているか、よく分かります。

二人がこの教会に留まるのか、それとも彼女たちを裏切った教会を去るのかは分かりませんが、遠くから、二人の前途を祝福したいと思います。

写真は mattradickal さんが CC-by-nc で公開しているもの。記事のとは違うカップルです。

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2011年 12月 4日 午前 12:00 | | コメント (2) | トラックバック (0)

2011.12.03

競技と正義

Bhopal survivors protest Dow's Olympic sponsorship - 今日、ボパールのガス事故の被害者たちが、ボパールを通る列車をすべて止めようとしています。インド政府にロンドン・オリンピックのボイコットを呼びかけるためです。

Would she ever 'get' him? by Joe Athialyユニオン・カーバイド社の起こしたボパールの惨事については、折に触れて書いてきました(7年前の記事)。同社を買収したダウ・ケミカル社は問題は既に決着済みだとして補償に応じていません。そのダウ・ケミカル社がロンドン・オリンピックのスポンサーとなり、そちらにはお金をふんだんに使っていることを、ボパールの人たちは苦々しく見ているようです。

ボパールのあるマディア・プラデシュ州の Shivraj Singh Chauhan 首相も、中央政府のスポーツ相にオリンピックのボイコットを求めました。オリンピックに出場する選手たちの中にも、ダウ社をスポンサーから外すように求める動きがあります。

オリンピックの会場の幕の会社だと言われるよりも、人道的な責任を立派に果たした会社だと言われたほうが、ずっといいだろうと思うのですが、どうしてそうしないのでしょう。

写真は Joe Athialy さんが CC-by-nc で公開しているもの。女性が掲げている写真は、事故当時のユニオン・カーバイド社インド責任者。インドで起訴されているにも関わらず、アメリカ政府が引き渡しに応じていません。

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2011年 12月 3日 午前 01:09 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2011.12.02

旗と銃弾

Indonesia opens fire as Papuans raise flag - 12月1日は現在インドネシア領となっているパプア(ニューギニア島の西半分。東半分はパプアニューギニア)が1961年に130年間のオランダによる植民地支配(アジア太平洋戦争中には日本による占領も経験しました)を脱した50回目の独立記念日だったそうです。

Something Papuan by screenpunk各地で独立を祝う集会が開かれ、そのうち中部のティミカでは500人ほどが集って、パプアの旗(10月に書いた記事)を掲げました。これに対し、120名ほどのインドネシア警察が発砲し、2人が負傷しました。

インドネシア側は空に向けて警告の射撃を行なっただけで、負傷は発砲とは関係ないとしています。

記事によれば、パプアは、独立の1年後の1962年にインドネシアの侵攻を受け、1969年の住民投票(不正な選挙だったと考えられています)の結果、併合されました。インドネシアはこの歴史的経緯にも異を唱えているようです。

独立を取り戻せるか、今年から来年あたりが一つの大きな節目になるかもしれません。

写真は screenpunk さんが CC-by-nc で公開しているもの。オランダで行なわれた支援運動のようす。後ろに掲げられているのが、非合法とされているパプアの旗です。

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2011年 12月 2日 午前 12:00 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2011.12.01

難民の道のりは険しい

ISRAEL: Eritreans Flee From Dictatorship to Detention - エリトリアからの難民がイスラエルの難民政策を強く批判しています。

by Physicians for Human Rights - Israel独裁の続くエリトリア(地図)からイスラエルに向かった難民は、エジプトのシナイ半島で地元の犯罪組織によって略奪、強姦、拷問などにさらされます。しかし、中東唯一の民主国を名乗るイスラエルに入っても、彼らの苦しみは続きます。イスラエルはほとんど難民を受け入れないので、難民たちは収容施設で長い月日を過ごすことになるのです。

本当に、スタートからゴールまで、何もいいことがないようです。

現在、イスラエルの国会(クネセト)では「侵入防止法」の修正審議が行なわれています。この修正が通れば、イスラエルに来た難民とその子どもは3年間、彼らに人道支援を提供した人は5年間の禁固刑を受けることになります。これと同時に、イスラエル政府は南部のナゲブ砂漠に1万人収容できる難民収容所を建設する計画を推進しています。

もちろん、入国方法が違法であっても、難民を禁固刑に処すのは、イスラエルも批准している「難民の地位に関する条約」第31条の違反になると思います。

記事は、イスラエルには今、難民および亡命希望者が27,000人ほどいること、受け入れたのが200人にも及ばないこと、イスラエルが受け入れに消極的なのはそれがユダヤ人国家という国家概念への脅威として捉えられているからだということがネタニヤフ首相の発言から分かることなどを指摘しています。

私たちの国の難民受け入れについて私はいまだにあまり詳しくないのですが、イスラエルの例に似て、人道的な配慮に大きな改善の余地があることを認識しています。

写真は Physicians for Human Rights - Israel が CC-by-nc-nd で公開しているもの。

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2011年 12月 1日 午前 12:00 | | コメント (2) | トラックバック (0)

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