草の上の裁判
Rwanda genocide trials leave a mixed legacy 1, 2 - 1994年に起こったジェノサイド以降、ルワンダが採った司法の仕組みの功罪についての記事です。
あまりにも多いジェノサイド加担の罪を裁くためにルワンダが採ったのは「草の上の裁判」(gacaca、ガチャチャ)という一般市民の裁判員による簡易裁判。ツチを皆殺しにしろと叫んだフツ民族主義者を裁くのもフツである場合が多く、また自白すれば罪が軽くなるという制度が安易に運営されすぎたきらいもあるようです。弁護士が立てられないとか、証拠主義が守られないとか、容疑者の人権への不安もあります。報復のために過ちの告発が行なわれるなどの負の面も多くありました。
その一方で、ツチとフツが混ざり合って住んでいる日常では、赦し、社会への復帰を促すという方法でなければ、憎悪の連鎖を生んでしまい、社会が崩壊してしまっただろうという指摘もあります。市民の何分の一かを被告としなくてはならない状況においては、ガチャチャは一番ましな仕組みだったのだろうということです。
「ジェノサイドの直後は、生き残った私たちは、殺人犯たちも殺されるべきだと考えていた。他の罰などというものは考えられなかった」「自分の家族を殺した人の裁判を見た時、犯人が自白し赦しを乞う姿を見て、赦すことができるようになった」といった発言が、痛ましくも、人間の心の美しさを教えてくれます。
まさに草の上の裁判の写真は The Advocacy Project が CC-by-nc-sa で公開しているもの。これはジェノサイドに関する案件ではなく、盗難に関する裁判のようです。
2011年 8月 22日 午前 12:00 | Permalink | この月のアーカイブへ
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