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2010.11.18

死刑との決別

Iraq president refuses to sign Aziz death order - フセイン政権時代にシーア派への弾圧に関与したとして、イラクのタリク・アジズ(Tariq Aziz)元副首相は先月、人道に対する罪で死刑の判決を申し渡された。しかし今、ジャラル・タラバニ(Jalal Talabani)大統領が、彼に対する処刑命令には署名しない意向を明らかにした。

casa el purgatori by Scott Clark「イラクの死刑の歴史は過去のものにされるべきだから」というのがタラバニ大統領の言葉だ。タラバニ大統領は全面的な死刑制度撤廃論者ではないらしいが、死刑を行なわないことによって、「民主的な現在のイラクとその過去の対比を浮き彫りにすることができる」と考えているらしい。

アジズ副首相はフセイン政権のシーア派市民の大量殺人だけでなく、クルド系市民の大量殺人の罪にも問われている人物だ。タラバニ大統領はクルド人。憤りや憎しみを感じていないわけはないと思う。それでも、アジズのような大量虐殺に関わった者に対する死刑に反対する彼を、私は尊敬して止まない。

「タリク・アジズ」とは、アラビア語で「輝かしい過去」を意味するという。彼のおそらく残虐な生を野蛮な死刑から護ることがイラクの輝かしい未来を開くことになるよう祈りたい。

絞首台の写真は Scott Clark さんが CC-by で公開しているもの。この絞首台はイラクのものではなく、メキシコの、おそらく昔のもの。

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2010年 11月 18日 午前 12:10 | | この月のアーカイブへ

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昨日裁判員裁判で初の死刑判決がでました。 国民の合意が得られないまま昨年5月に無理矢理始まった裁判員制度も1年以上たち、その存在に慣れて来た頃合いを見計らうように真打ち登場。いよいよ来るべき日が来...... 続きを読む

受信: 2010/11/18 10:21:43

コメント

今日の記事、ありがとうございます。
タリク・アジズ氏は、米軍のイラク攻撃当時の外相で、あの頃一番頻繁にメディアに登場していた人でしたね。
死刑判決が出たことは知っていましたが、タラバニ大統領がこのような意向を表明したことは知りませんでした。翻って、裁判所の死刑判決に真っ向から立ち向かう日本の首相というのは想像できません。そのことからも、タラバニ大統領の表明の凄さを感じます。

ひとつ付け加えさせて頂くとすれば、たしかシーア派大量虐殺とクルド人虐殺を行ったフセイン政権のイラクは、当時、アメリカの同盟国で、虐殺に使われた兵器もアメリカから提供されたもので、虐殺もアメリカ政府の黙認のもとに行われたのでしたよね。大量虐殺の事実が表面化した後も、当時のアメリカ政府はフセイン政権に対して一言の非難もしなかったと思います。

折りしも、今週、裁判員裁判で初めて死刑判決が出されました。うにさんが今日、この記事を取り上げた脳裏にもこの裁判員判決があるのだろうと察します。

振り返れば、裁判員制度導入の背景には、当時、日本の裁判と裁判官に対する世論の強い批判があったことが思い出されます。そして、司法当局が世論を懐柔するための突破策としてひねり出してきたのが裁判員制度でした。

今回の裁判員による死刑判決は、この制度の考案者たちがシナリオ通りに待ち望んだ日が来たということになるのでしょう。前例ができたことで、この制度がまたひとつ正当性を獲得したという便宜的正当性が立つからです。

死刑に関してはもっと深く、広く議論されなければならないのに、裁判官の権威を伴った”指導”の下で、少数の異論を文字通り問答無用と切り捨てるというルールに則って判決と量刑を下すという制度を作ってしまった日本。

裁判員制度でいつも思い出すのが、『12人の怒れる男』という映画です。(『12人の優しい日本人』というのもありました。)そもそもこの2本の映画が成立するのは、陪審員の評決は全員一致でなければならないという鉄則があるからで、少数意見を切り捨てる裁判員裁判だったならば、あの名画は最初の5分で終わってしまいます。全員を説得しなければならないから、議論に議論を尽くす。そのプロセスを通して真実に迫ってゆく人間模様を描いたのがあの映画でした。

昨今、検察庁を巡る問題が表面化して「検察の信頼が揺らいだ」などといわれていますが、日本の司法の病原巣は今も昔も相変わらず裁判所なのではないでしょうか。松本サリン事件の冤罪被害者の河野さんに検察が謝罪したことに対して「謝るべきは間違った判断を下した裁判所だ」と言った河野さんの言葉が重く響きます。

タラバニ大統領の示した高潔な決断を知って、裁判員制度という、裁判所の権力を一層強化しただけの邪な制度に考えを馳せざるをえませんでした。そして裁判員制度のもうひとつの側面が、死刑制度を日本社会により深く根付かせることではないかというです。

記事から色々と連想させられて長くなってしまい、申し訳ありません。

P.S. うにさんの関心領域の広さと文章力にはいつも感嘆させられています。

投稿: jabberwocky | 2010/11/19 2:07:11

jabberwocky さん、

そうですね。イラン・イラク戦争のころのフセイン政権にはアメリカが後ろ楯に付いていたことは忘れてはならないことだったと思います。ご指摘ありがとうございました。

お察しのとおり、裁判員裁判での死刑判決を念頭にこの記事を書いたのですが、なぜ日本の判決のことを直接書かなかったかと言うと、実は、枝葉の部分で話が分からなくなってしまったからなのです。判決文の朗読の後に裁判長が控訴を勧めたと言う話。私は、裁判員の人たちが一生懸命考えた末に出した死刑という判決について、間違っているかもしれないから控訴してもう一度考えてもらいなさいと言うなんて、なんてひどい裁判官だろうと思ったのですが、ニュースでは、裁判員の人たちへの配慮からこの発言が出たと見られるとか言っていて、「えっ? 私、何か完全に誤解しているみたい…」と思ったら、何もかも分からなくなってしまいました。

ええと、あと、せっかくお褒めいただきましたが、私には文章力はないです。学校で、作文ではいつも恥ずかしいような評価をいただいていました。

投稿: うに | 2010/11/20 2:17:37

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