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2010.08.01

水晶の夜と少数民族

Israel memorial for Aboriginal protester - ナチス・ドイツのゲシュタポや SS によるユダヤ人狩りが始まった「水晶の夜」(Kristallnacht)。1938年11月9日のこの事件を憂いて、一か月後の12月6日、オーストラリアで抗議デモが行なわれました。

Yad Vashem by michalska1デモを率いたのは先住民(アボリジニ)の公民権運動の指導者だった William Cooper さん、当時77歳。メルボルンの Collins 通りを行進し、ドイツ総領事館で抗議文を手渡そうとしましたが、拒否されたそうです。当時としては尖鋭的な抗議行動で、広く注目を集めたようです。クーパーさんは、同じような抑圧、同じようなジェノサイドが先住民である自分たちにも起こり得ると考え、迫害されたユダヤ人に対して強く共感を持ったとのこと。

そのクーパーさんを讃える記念碑がアルクッズ(エルサレム)のヤド・バシェム・ホロコースト博物館に今年、建てられることになりました。オーストラリアとイスラエルの間の親善を図る団体が取りなした話だそうです。

72年前の彼の行動を賞賛する気持ちは私も共有しますが、現在の状況を考えると、手放しでは喜べません。彼が生きていたら、どの国の領事館の前に行って抗議文を手渡そうとしていたかすら分かるような気がします。

Yad Vashem のは michalska1 さんが CC-by-nc-sa で公開しているものです。ご家族でしょうか、 Jan さんという人が描いたものだそうです。私は行ったことがないので、実際はどのようなところか分からないのですが、他の写真を見ると、まるで隔離壁のように冷酷な建築でもあるようです。

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2010年 8月 1日 午前 12:00 | | この月のアーカイブへ

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コメント

 優れた記事をご紹介頂き、とても嬉しいです。
  しかしまあ、立場が弱く虐げられていた側が権力を握ると、元権力者側へ報復するならまだわかりますが、むしろ、いまだに立場が弱く虐げられている側、昨日の自分たちと同じ立場の人々に、旧権力者と区別のつかぬ苛烈なやり方で、権力をブンブン振り回すというのは、人の本性なのかもしれませんが、見詰めたくないほど実に嫌なことです。イスラエルにせよ、サルコジにせよ、民主党にせよ。

投稿: L | 2010/08/01 11:16:46

Lさん、

被害者体験というのは、放っておいたら、自分が別の場面で加害者になることを防ぐ力にはならないみたいですね。ここらへんは、教育学の課題としても考えたいものです。

投稿: うに | 2010/08/02 0:03:24

うにさん、とてもいい話に水を差してはいけないと思いつつも、ヤド・バシェム・ホロコースト博物館と聞いてどうしても忘れられない話があります。紹介させてください。


この博物館でガイドをしていたイスラエル人青年が、入植者の子供たちにホロコースト被害者とナクバ被害者の苦しみを比較して説明したところ、「ユダヤ人ホロコーストは何とも比較できない」という理由で博物館側から解雇されました。

http://www.richardsilverstein.com/tikun_olam/2009/04/23/how-is-our-holocaust-different-from-all-other-holocausts/


青年の弁がとても印象的です(うまく訳せないので原文)。

"I believe that the commemoration of the Holocaust should be [expanded] to activism against racism, war, national-self-pity, discrimination and so on. In order to do so, I think we can use the memory of the Holocaust to help us understand the Palestinian trauma, our connection to it as Israelis, and [to] create a way of reconciliation between the peoples."

http://www.richardsilverstein.com/tikun_olam/2009/06/10/fired-by-yad-vashem-for-comparing-nakba-to-holocaust-guide-provides-alternative-israeli-tours/


わたしたちは、国籍や民族や人種の壁を超えて、戦争で苦しんだ者を思いやることができるでしょうか。さらに現在の戦争で苦しむ人々をも思いやることができるでしょうか。思いやりを囲いのなかの小さなスペースだけに閉じこめているのではないかと見学者に自問させるような展示(小さくていいから)が必要ではないでしょうか。果たして日本の平和博物館はそこまで意図した展示をしているでしょうか。平和博物館が壁を塗り固めることに専心すれば、見学者は他者を思いやるチャンスを奪われ、新たな被害者をうむことに荷担しかねません。

投稿: こすみれ | 2010/08/03 18:04:17

間違えました。 博物館 → 祈念館、記念館  です。
読んで不快になった人がいたら、ごめんなさい。

投稿: こすみれ | 2010/08/03 18:39:46

こすみれさん、返事が遅くなり、すみません。

過去の体験を将来の自分たちへの戒めにする努力を怠ってはならないという教訓は、第二次世界大戦の体験者たちが亡くなっていくこれから、初めて強く再認識されるのかもしれません。今までは、生き延びた人たちの存在に甘えていたのでしょうから。

投稿: うに | 2010/08/06 10:20:21

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