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2010.02.28

ギリシャとドイツの戦後

ギリシャの国家経済が破綻寸前になっていて、政府の打ち出した緊縮財政に反対してゼネストが起きたり、経済不安がユーロ圏全体に広がるのではないかと懸念されていたりというニュースを聞きます。

Macedonia - Thrace journalists' union on strike、by 0neiros"Athens raises war reparation claims on eve of talks" によれば、ギリシャのパパンドレウ首相はドイツのメルケル首相の訪問を前に、「ドイツの第二次世界大戦の補償は終わっていない。ギリシャはその請求権を放棄していない」と述べたそうです。ドイツがEUのギリシャへの財政援助に消極的であることを牽制した発言だとされています。パパンドレウ首相は、今は国の立場が弱いので、首脳会談で戦後補償の話を持ち出すつもりはないとも語ったそうです。

多分に政治的な駆け引きのための発言だとは思いますが、世界の至るところで戦後は終わっていないのだと思いました。

先週のゼネストの際の写真は 0neiros さんが CC-by-nc-sa で公開しているものです。

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2010年 2月 28日 午前 12:02 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2010.02.27

けんかの理由

Hate crime charges upheld for 3 accused of beating gay man - シカゴで起こった暴力事件がヘイトクライムにあたるか否かが争われた裁判に関するシカゴ・サンタイムズ紙の記事。電車の中でゲイの男性に3人の男性が因縁をつけてけんかを売っていた。偶然それを見かけた別のゲイの男性が止めに入ったら、くだんの3人と彼との間で殴る蹴るのけんかになってしまった。

Northbound Red Line Leaving Grand & State (Chicago, IL), by takomabibelot3人はこの男性に対してゲイへの差別表現を使ってののしりながら暴力をふるった。男性が鼻血を出したのを見て「AIDSがうつる」などとも言った。だからこれはヘイトクライムだというのが検察側の主張。これに対し被告側は、ヘイトクライムはその属性を持つ人に危害を加えることを目的とした場合のみに適用されるものであって、彼らがこの人に暴行を加えたのは、けんかを止められたのが気に入らなかったからで、この人がゲイであることはけんかを始めた後になって分かったことであり、この状況ではヘイトクライムは成立しないと主張した。

24日のクック郡地裁の判決は、この事件もヘイトクライムとして裁くことができるというもの。暴行で有罪を申し渡した。

写真は事件のあったシカゴの Red Line。Takomabibelot さんが CC-by で公開しているもの。

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2010年 2月 27日 午前 12:48 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2010.02.26

環境保護局がグアム移転に「待った」

EPA sharply criticizes military's Guam plan - アメリカ政府の環境保護局が海兵隊のグアム移転に異議を唱えています。軍の計画のままではインフラ整備が全く不十分で、汚水がそのまま漏れ出したり、飲み水が足りなくなったりするだろうというものです。また、空母の母港化によって珊瑚礁が「容認できぬ影響」を受けるだろうとも指摘しています。

Guam, by love♡janine基地移転の影響は非常に大きく、現行の計画のままの執行を停止した上で、もっと分析をして環境報告書の内容が政策決定者に十分理解されるようにしなければならないというのが環境保護局の結論です。

軍は「環境保護局が指摘している点は、グアムの指導者や住民などから聞いていた点と一致している」というコメントを出したそうです。環境保護局からいちゃもんが付かなければ、地元の声は無視して突っ走るつもりだったということでしょうか。

APの記事の末尾に環境保護局のサイトの防衛省関係文書リストへのリンクがありましたが、今回の文書はまだ掲載されていません。

私たちの国でも、普天間基地の機能の一部が仮にどこに移設されるにせよ、環境評価をしっかりと行なってほしいです。また、自民党や自公連立政権の時に行なわれた評価は、今一度、検証してほしいです。密約を結んだり、都合の悪いデータを隠したりしていたのですから、私は彼らを全く信用しません。

グアムの海の写真は love♡janine さんが CC-by で公開しているものです。行ったことがないのですが、こんな感じのところなんですか? 私がオジさんになる前に連れて行ってもらえばよかったです。あ、あれはサイパンか。違いが分からん。

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2010年 2月 26日 午前 12:00 | | コメント (4) | トラックバック (3)

2010.02.25

美術館の自衛隊

UN troops, workers rescue Haiti's artwork from ruins - ハイチの首都ポルトープランスにはナデール美術館(Musée Nader)という地元の芸術家たちの絵画や彫刻などを集めた個人経営の美術館があったのだけど、先月の地震で全壊したそうです。12,000点ほどある美術作品の半分ほどが取り戻せるのではないかと言われています。幸い、ハイチの有名な画家(Hector Hyppolite と Philome Obin という名前が挙げられています)の作品は、倒壊をまぬがれた部分にあったため、ほとんどが無事だったそうです。

Haiti, by danboarderこれまで、作品をできるだけ傷つけないよう、手作業で掘り出してきました。「重機を入れたら、すべてが失われてしまいますから」という館長の言葉が紹介されています。掘り出せるものはすべて掘り出したと判断したということなのか、このほど美術館の倒壊現場に掘削機が導入されました。PKO に参加している自衛隊の人が作業をしているとのことです。

日本語でも記事がありました:共同通信の「陸自、美術館でがれき撤去 ハイチ、市中でも活動開始」。

私は自分が芸術を人並みに愛していると思いますが、多くの人がテントで暮らし、雨季の到来を恐れている状況で、お金持ちの美術品の後片付けをしているというのは、いささか優先順位がおかしいと思います。

自衛隊による救援が本格化するのは来月以降ということなので、今後に期待すればいいのかなあ。そもそも派兵自体に疑問を感じているので、なかなか心の中のわだかまりが解けそうにありません。

何にしろ、ハイチの人たちの暮らしが少しでも、そして一日でも早く、落ち着きを取り戻すことを祈ります。

写真は danboarder さんが21日に撮影したもの。CC-by で公開されています。

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2010年 2月 25日 午前 12:00 | | コメント (10) | トラックバック (1)

2010.02.24

ハンガリーがホロコースト否定論を違法化

Hungary criminalises holocaust denial - AP電によると、ハンガリー議会はこのほど、ホロコーストを否定、疑問視、または矮小化する者に対して3年以下の懲役を課す刑法の改正を可決したそうです。ホロコースト否定論の違法化はこれまでに裁判所で覆されたことがあり、今回もまだ先行きは不明なようです。

Holocaust memorial, Budapest, by Neilhooting今回の刑法改正は社会党が提案したもので、賛成197票、反対1票、棄権142票だったそうです。4月に予定されている総選挙で優勢が伝えられている中道右派の Fidesz の議員はほとんどが棄権に回ったとのことです。社会党による発議も選挙対策ということなのだと思いますが、ハンガリーでは歴史修正主義に対して毅然とした態度をとることが有権者の票につながるということなのでしょうか。なんか、うらやましいです。

記事はこのほか、ヘイトスピーチは既にハンガリーでは違法化されていることや、Jobbik という極右の国粋主義政党が議席を得る見込みであることを伝えています。

写真は首都ブダペストを流れるドナウ川の川辺に作られた追悼モニュメントです。Neilhooting さんが CC-by で公開しています。矢十字党という国粋主義団体によって殺されたユダヤ人たちの靴ということみたいです。

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2010年 2月 24日 午前 12:00 | | コメント (2) | トラックバック (0)

2010.02.23

カナダの真実と和解

For many aboriginals, the truth is irreconcilable: commissioner - カナダでは、19世紀から20世紀にかけて、白人社会への同化を目的に先住民(First NationsInuitMétis)の子どもたちを強制的にキリスト教教会の運営する寄宿舎学校に入れて教育する政策がとられた。学校では自分たちの言葉を話すと体罰を受けるなど、「文化的なジェノサイド」が推進された。

The Old Residential School, by sarahfelicity1990年代にカナダ政府が謝罪を行ない、最後の学校も1996年に閉校となった。その後もこの不正を糾す取り組みが続けられている(「アイヌ民族情報センター活動誌」というブログに日本語で簡単なまとめがある)。

冒頭にあげたリンクは、カナダ政府が首相による謝罪とともに2008年6月に設置した真実と和解委員会の活動を追ったカナダの通信社配信の記事。真実と和解委員会は、はじめ、和解を目的とするのか、歴史的な事実の記録を目的とするのかで内紛を起こし、昨年になってようやく動き出した。各地で聞き取り調査を行なっており、6月に初の報告会が開かれる予定。

委員会を率いる Murray Sinclair 判事は、多くの被害者たちにとって、「赦す」ことは不可能なようだと語る。赦すのではなく、「ここからどう先に進むか」が問題なのだと言う。彼は、このことも真実追求の過程の一部分として、受け入れるしかたないと考えている。「赦す」という概念を都合よく教えこんだのは、他ならぬキリスト教の聖職者たちではないか、と反発する声も聞こえてくる。

虐げられた人の痛みは、かくも深く、消えぬものだ。もっとも、「何回謝ったら気が済むんだ」と言ったり、被害者を嘘つき呼ばわりしたりする人たちの愚かさも、それに負けはしないらしい。

写真は sarahfelicity さん撮影のブリティッシュ・コロンビア州の寄宿舎学校跡。CC-by-nc で公開。

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2010年 2月 23日 午前 12:00 | | コメント (0) | トラックバック (1)

2010.02.22

英入国管理施設でハンスト

英インディメディアの記事 "Protests in solidarity with Yarl's Wood hunger strikers" によれば、イングランド東部の Bedfordshire 郡にある Yarl's Wood 入国管理収容施設で今月5日から多くの収容者によるハンガーストライキが続けられている。拷問的な取扱いをやめること、医療の機会を与えること、まともな食事を出すこと、申し立てのために十分な時間を与えること、子どもを母親から隔離しないことなどの要求を掲げている。特に、難民申請者などの隔離収容は例外的措置としてのみ用いられるべきであると欧州議会で議決された("The detention of asylum seekers and irregular migrants in Europe")ことを挙げ、その遵守を求めている。

Yarl's Wood, by Gareth Harper収容施設の外の世界でも、連帯ハンストが繰り返し行なわれたり、施設の管理を請け負っている警備会社の前でサウンドデモが行なわれたり、ヤールズ・ウッドの収容者たちへの支援が広がっている。

日本の入国管理局収容施設ではどうなっているのだろうと、心配になった。今まであまり気にして来なかったことが恥ずかしい。最近のニュースでは、東日本入国管理センターで退去強制を待つ人が自殺したというのがあるようだ(毎日新聞の記事)。入管はその人から「悩みや苦情の訴えは聞いていなかった」と言っている。住み続けたかった土地を心ならず離れるのだ。悩みがなかったはずがないだろう。

写真は Yarl's Wood 収容施設前で3年前に行なわれた抗議行動のようす。Gareth Harper さんが CC-by-nc-sa で公開している。

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2010年 2月 22日 午前 12:00 | | コメント (4) | トラックバック (0)

2010.02.21

5年目のビリン

ハアレツ紙の記事 "Bil'in protesters dismantle section of West Bank barrier" によれば、19日に西岸地区のビリンで行なわれた抗議行動で、フェンスが30メートル余りにわたって倒され、イスラエル軍が管理する領域になだれ込んだ人たちがイスラエル軍の監視塔に登ってパレスチナの旗を掲げたそうです。

Razor Wire, by ianloicこの日は、ビリンで毎週、抗議行動が行なわれるようになって5周年だったそうで、ふだんより多い千人ぐらいの人が参加したそうです。Salam Fayyad 首相など、PA やファタハの要人も姿を見せていたとのこと。

記事は、一部の群集が投石を始めたのでイスラエル軍が催涙ガスを撃って応じたと伝えています。フェンスが壊されて何千シェケルもの損害(1シェケルは約24円)だとは書いてありますが、けが人が出たとは書いてありません。

ビリンの鉄条網の写真は ianloic さんが CC-by-sa で公開しているもの。記事に付いていたニュース動画を見る限り、人々が倒した部分は鉄条網ではなく、普通のフェンスだったようです。

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2010年 2月 21日 午前 12:00 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2010.02.20

戦争の始まった日

「先の大戦」という表現がいつまで通用するのか分かりませんが、あの戦争が始まったのはいつだったでしょう。私たちの多くにとっては1941年12月8日でしょうか。ちなみに、私は1937年7月7日だと考えるようにしています。

Darwin's Bombing of Darwin Ceremony 19 February 2004, by kenhodge13Air raid sirens ring again in Darwin - オーストラリアにとって、本格的に第二次世界大戦がやって来たのは、1942年2月19日だったようです。その日、何が起こったか。日本軍がオーストラリア北部の都市ダーウィンを空爆したのです。この空襲によって、少なくとも240人の尊い命が失われました。昨日、その68周年の式典が行なわれたことを記事は伝えています。

この日から1年9か月の間に、日本はオーストラリア北部に80回の空爆を行なったそうです。ダーウィンの街は廃墟と化したとのこと。しかし、今日のオーストラリアの人たちには戦争の記憶はあまり受け継がれていないとも記事は指摘しています。

そういう謂れのある日に「捕鯨をやめなければ提訴する」「やめるつもりはない」と言い争いをするのも因縁でしょうか。

写真は、6年前のこの日のダーウィン戦没者記念碑公園のようすです。Kenhodge13 さんが CC-by で公開。

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2010年 2月 20日 午前 12:00 | | コメント (0) | トラックバック (2)

2010.02.19

海兵隊基地の汚染

Report on Marines' water omitted cancer chemical - ノースカロライナ州にある米海兵隊の基地で、飲料水として使われていた地下水から発がん性のあるベンゼンが高濃度で検出されていたにも関わらず、軍がその事実を隠蔽していたらしいというAP電。

Iraq War - Eyes Wide Open, by H DragonCamp Lejeune では、1984年に地下水から380ppbのベンゼンが検出されたそうです。調査にあたった企業は、これが5ppbという連邦政府の安全基準をはるかに上回る値であると指摘しました。1991年にも調査が行なわれ、健康への危険性が指摘されました。1992年に連邦政府も調査に乗り出しましたが、軍はある企業に改善策をまとめさせ、その企業の報告書には1984年に実際の値の10分の1にあたる38ppb検出されたと記載されていました。その企業が1994年にまとめた次の報告書にはベンゼンの話はまったく載っていませんでした。

実際には汚染は進んでいて、2007年から2009年にかけて別の企業が行なった調査では、3,490ppbものベンゼンが検出されていました。ベンゼン汚染は、燃料貯蔵庫から大量の流出が続いたことによるものだと見られています。

ベンゼンの濃度がどんどん低く提示されていったことは人為的、意図的な操作だっただろうと環境問題に詳しい法律家は指摘しています。また、以前から兵士やその家族にがんが頻発し、水道水の汚染の可能性が指摘されてきたにも関わらず、軍は住民への説明で「だれも直接の危険にさらされた者はいない」と説明していました。組織ぐるみの隠蔽工作が疑われています。

普天間基地が戻ってきた時、土地はどんなことになっているのだろうとか、仮に沖縄の海沿いに移転されたら、海の自然は守られるのだろうかとか、アメリカ軍が使っている兵器などについて「健康への影響を示すデータはない」などと言われる時、それを鵜呑みにしていいものだろうかとか、いろいろなことを考えてしまいます。

写真はイラク戦争で死んだ米兵の数だけ軍靴を置く催しのようす。H Dragon さんが CC-by で公開しています。写っている名札の人は、キャンプ・レジューン配属の部隊の人だったようです。

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2010年 2月 19日 午前 12:43 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2010.02.18

市民の勇気

Dresden's 'Civil Courage': A City Mobilizes Against Neo-Nazis - 去る2月13日、ドイツのドレスデンでネオナチがデモを行なおうとしたのを一万数千人もの市民と左翼勢力が阻止したことは日本でも大きく報じられました。在特会をはじめとする国粋主義者たちが跋扈している私たちの国にも無関係のことではありません。

シュピーゲル誌の記事によれば、この日、ドレスデンでは、ネオナチのデモのルートに一万人以上の市民が人間の鎖を築いてデモの前進を阻む準備をした他、数千人の左翼勢力がデモの出発点を取り囲んでデモの開始を阻止したそうです。左翼勢力は、投石を行なうことによって、仮にネオナチのデモが行なわれれば流血の惨事がまぬがれないことを警察に示し、警察は治安確保を理由にネオナチにデモの中止を命じざるを得なくなったようです。私たちも戦術的に学ぶべきところがあります。

過去数年間、ドレスデン空爆の追悼の日はネオナチたちに牛耳られてきました。それを勇気ある行動によって市民の手に取り返したことは、非常に意義深いことだと思います。

私たちもその勇気を受け継ぎましょう!

この日の模様の写真、1枚目、3枚目、5枚目は dielinke_sachsen さんの 13. Februar Naziaufmarsch in Dresden verhindert から。2枚目、4枚目、6枚目は realname さんの Dresden 13.Februar 2010 から。すべて CC-by で公開されています。

by dielinke_sachsen

Grüne Jugend, by realname

by dielinke_sachsen

Gewonnen!, by realname

by dielinke_sachsen

Menschenkette, by realname

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2010年 2月 18日 午前 12:00 | | コメント (10) | トラックバック (0)

2010.02.17

事故とストライキ

ベルギーのハレという町で15日の朝のラッシュ時に2台の電車が正面衝突し、少なくとも18人が亡くなりました。こう聞いただけで、心が締め付けられるようでした。亡くなった人たちのご冥福と、家族や友人たちの心の平安を祈ります。

Break EMU in Gent Sint Pieters, by LHOON片方の電車が赤信号で停止しなかったとか、片方の電車には ATS 装置が取り付けられていなかったとか、報じられています。確定的なことはまだ何も分からないというのが本当のところでしょう。

AFP の "Belgian rail drivers strike after fatal collision" という記事によれば、この事故を受けて、ベルギー国営鉄道(SNCB)の運転手たちは、自主的にストライキに入りました。このためベルギーのみならず西欧全域で多くの運休や遅延が発生しているようです。ストライキを行なっている労働者は、近年、SNCB では労働条件が悪化しており、それが今回の事故の一因になったかもしれないと主張しています。組合はこのストライキには関与していませんが、参加者たちの心情は理解できるというコメントを出しているそうです。

私は今、関西に住んでいるので、鉄道事故と言えば、5年前のJR福知山線脱線事故を思い出します。新しい安全装置の設置が遅れていたとか、安全性より輸送効率を優先した無理なダイヤで運転させていたとか、経営の姿勢が強く問われる事件でした。

しかし、日本では運転手のストライキは行なわれませんでした。また、先回りして言えば、ストライキが行なわれていたら、それに対する非難の声は大きかっただろうとも思えます。

資本対労働という階級意識ではなく組織の構成員としての一体感が優先される職場の雰囲気であるとか、異議申し立てという仕組みが私たちの思考や行動に根付いていないこととか、落ち度があると思えば無残なほどまでに叩く最近の風潮であるとか、二つの事故の後に起こったこと、起こらなかったことはいろいろな点で象徴的かもしれません。

ベルギーの鉄道の写真は LHOON さんが CC-by-sa で公開しているものです。電車の塗装の色とか、落書きとか、似ているので選んだのですが、鉄ヲタの人に言わせれば、全然違うのかもしれません。今回の事故現場の写真は、上記記事と同様、France 24 のサイトにあります。

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2010年 2月 17日 午前 12:00 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2010.02.16

死ぬ蟻の孤独と思いやり

Heroic altruistic ants face death alone to save colony - 老いた猫がある日突然姿を消し、縁の下でひっそりと死んでいくとか、自分の死が近づいたことを知った象が群れを離れて「象の墓場」に向かうなどという話を聞くことがあるが、アリもそうだということが分かったというニュース。

Reina Temnothorax sp., by Álvaro RodríguezTemnothorax unifasciatus というアリは、Metarhizium anisopliae というカビに感染すると、死の数時間から数日前に巣を出て、遠く離れたところで死を迎える。感染を広げたり、仲間たちに自分の死体を片付ける手間をかけたりしないようにという配慮らしい。そのカビがアリを狂わせて、カビの繁殖に都合のよい行動をとらせているのではないかとも考えられたが、カビ以外の原因で死を早めた場合も同様の行動をとることが確認されたということだ。だから、死期の近づいたアリが身を引く行動は、思いやりから発したものに他ならないというのが、Current Biology 誌に掲載された Jürgen Heinze さんらの "Moribund Ants Leave Their Nests to Die in Social Isolation" という論文の結論らしい。

思いやりではなくて、死にそうなのが苦しくて、一人になりたいのではないかと思ったりもする。

蟻の気持ちは分からないのだけど、人間の場合、死んで家族や友だちを悲しませないということが思いやりになることもあるだろう。そのために、アリと違ってヒトは医療制度を充実させてきたのだとも言える。へたに電車に飛び込んだりすると、ダイヤが乱れたぶんの弁償を遺族が求められるという話も聞いた。そういう迷惑をかけないようにするのも思いやりなのだと思う(私も、その話を思い出しながら駅のホームの柱を握り締めて、必死に衝動を抑えたことがある)。いずれにせよ、私たちの社会では、単純にどこかに雲隠れして死ぬことこそ思いやりだというわけではないことは確かだ。

Temnothorax unifasciatus の写真がなかったので、一つ上の区分 Temnothorax まで一致していたものを載せた。しかも、ハタラキアリではなく女王アリだ。当たらずといえども遠からず、だと思う。ウルトラセブンに来てもらおうと思ったら、多忙なので、代わりにウルトラの母が来てくれたような感じだろうか。Álvaro Rodríguez さんが CC-by-sa で公開している写真

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2010年 2月 16日 午前 12:00 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2010.02.15

チベットには今年も正月が来なかった

一年前、この二つの記事を書きました:「新年をボイコット」、「祝われぬ新年」。一昨年の春にラサで起こった中国当局によるチベット人弾圧に抗議して、昨年はチベット暦の正月は祝われずに過ぎたのです。

Lutsang Monks Protest in Magra, Amdo Tibet, by SFTHQAP電 "Tibetans shun New Year celebrations for 2nd year" によれば、ダライ・ラマ法王は14日に行なわれた新年の法話で、今年も正月は祝わずに過ごそうと呼びかけました。宗教行事は執り行なうが、祝賀はしない。チベットの同胞よ、希望を失わないように、と。

私がこれを書いている時点では、phayul.comダライ・ラマ法王日本代表部事務所には、この呼びかけに関する記事はまだありません。The Office of His Holiness The Dalai Lama にはこの法話のビデオがありますが、チベット語のままで、字幕や訳はありません。たぶん、もうすぐ何らかの情報がこれらのサイトから得られるようになるでしょう。きっと、中国の人民網に「正月を祝うチベットの人たち」といった記事が出るような気もしますけど。

チベットの人たちが心から新年を祝える時が一年でも早く来ることを祈ります。

写真は Students for a Free Tibet が CC-by で公開している去年の新年(Losar)のようす。アムド地方にあるマングラという村で僧侶たちがろうそくの火を掲げて抗議の行進を行なっています。中国の行政区分で言えば青海省にあたるようです。

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2010年 2月 15日 午前 12:00 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2010.02.14

イスラエルのきょうだいたちへ

"Isolated and battered, Israeli doves hold protest" (AP電)、"The new McCarthyism sweeping Israel" (英インディペンデント紙)。イスラエルでは一年前のガザ侵攻を契機に著しい右傾化が進んだようだ。

A Sheikh Jarrah childhood, by ISM Palestineアラブ系市民の強制退去が行なわれているアルクッズ(エルサレム)の Sheikh Jarrah 地区では、毎週金曜日、平和団体などによる抗議行動が続けられている(YouTube を参照)。84歳のホロコースト幸存者、デモは人生はじめてという青年。アナキスト、世俗的イスラエルを認めない急進派の聖職者など、さまざまな背景を持つ2、3百人が家を奪われるアラブ人たちとの連帯を訴える。

しかし、かつて数万人のデモを組織することができたイスラエル左翼の面影はここにはない。オスロ合意とその崩壊以降、イスラエル社会は不寛容さを増し、右派が牛耳る政府の方針への批判は「裏切り」と評されるようになった。

ガザ侵攻の犯罪性を糾弾した国連のゴールドストーン報告書に対する不満の声は強く、報告書作成にあたって意見聴取に応じた NGO などへの激しい攻撃が行なわれている。特に矢面に立たされているのは、イスラエル国内の人権団体に対して資金援助を行なっている New Israel Fund という国際組織や、元クネセト議員で新聞のコラムニストだった Naomi Chazan さんだ。彼女は、右翼団体の Im Tirtzu (中道団体と自称している)などの攻撃により、筆を折らねばならぬはめに陥った。

あたかも、マッカーシズムが吹き荒れているかのようだ。ハザンさんは、「今日はナオミ・ハザンが標的になっているが、明日は、自分の意見を表明しようとする市民だれもが標的になるだろう」と語った。

私たちの国では、すぐ「反日」とか言う人が、ここ1、2年でだいぶ減ったような気がする(いや、私のまわりの困った君が減っただけなのかもしれない)。イスラエルの良心とも言うべき人々に想いを馳せる。私たちはあなたたちのそばにいる。

「シェイク・ジャラの子ども時代」と題された写真は International Solidarity Movement が CC-by で公開しているもの。今月2日の撮影。

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2010.02.13

収容所でネオナチが挑発

Austrians investigate Nazi camp skinheads (英インディペンデント紙) - 9日、オーストリア北部オーバーエスターライヒ州にある Mauthausen 強制収容所の跡地にスキンヘッド姿などの右翼団体が現われ、ナチス風の敬礼をしたり、ガス室前で万歳(ジークハイル)を唱えたり、自分たちの写真を撮ったりする挑発行為を行なった。マウトハウゼン強制収容所は、ナチスドイツの手により12万人以上のユダヤ人が殺害されたところである。

Mauthausen Concentration Camp, by onlineheroこの右翼団体は、同州の Wels という町に本拠を置く Die Bunten (色とりどり、といった意味らしい)というグループ。「ヒトラー大好き」と書かれているシャツなどを着ていた。女性や子どもも混じっていたらしい。イギリスの大衆紙デイリー・メールの記事 "Skinhead group give Hitler salute on visit to death camp where 120,000 people died" に彼らの写真がいくつか載っている。地元の報道では、クーリエ紙で ""Die Bunten" im braunen Zwielicht" という記事を見つけた。

オーストリアではドイツと同様に、ナチスのロゴを使ったり、ヒトラー風の敬礼をしたり、第三帝国を賞賛したりするのは違法行為と定められており、オーストリアの憲法保護局はこの事件についての捜査を始めた。

日本でも、近年、在特会などの右翼団体による挑発行為が増えてきた。しかし、私たちの国では、ヘイトスピーチを取り締まる法整備が全くと言っていいほどなされていないし、戦前の国粋主義イデオロギーの復活を阻止するような仕組みもない。靖国神社のような軍国主義の根城が堂々と営業を続けているようなありさまだ。だらだらと、なんともいい加減な戦後を私たちは生きてきたということだろうか。

Mauthausen 強制収容所の写真は onlinehero さんが CC-by で公開しているもの。

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2010年 2月 13日 午前 12:00 | | コメント (12) | トラックバック (0)

2010.02.12

写真と国辱

Officials See Slander in Uzbek Photos, but Artists See Censorship - ウズベキスタンの写真家が撮った写真が国の恥をさらすものだとして有罪の判決が下されたことを伝えるニューヨーク・タイムズ紙の記事です。有罪にはなったものの、すぐさま独立18周年の恩赦で釈放されたとのこと。

渦中の写真家は Umida Akhmedova さん。問題の写真集の写真は上記の記事で一枚、その他、記事のリンクをたどって、

で見ることができます。私は、すばらしい写真ばかりだと思います。ぜひご覧ください。

ウズベキスタンの貧困や女性の低い地位を主題にしたのが問題らしく、国側は「これらの写真を外国人が見たならば、ウズベキスタンはまだ中世にあると思うだろう」「人々の顔は極めて暗く、心配そうに描かれている」「わが国の美しい風景や優れた都市空間が伝わらない」などと述べ、アフメドバさんがウズベキスタンを貶めたと主張しました。

ロシア、ベラルーシなどの写真家がアフメドバさんを支援して展覧会などを開催したことが、「モスクワの人たちの顔色に敏感な」ウズベキスタン当局への圧力となり、恩赦が実現したようです。一方で、国内の写真家たちは当局に表立った反発をすることができず、沈黙を守っていたと記事は伝えています。

アフメドバさんの写真、どう思いましたか? 下は、Flickr で見つけた、別の人が首都タシケントで撮った風景です(Robert Thomson さん、CC-by)。こういうギラギラした資本主義のほうが、はるかに恥ずかしいと思うんだけど。

UzDonalds in Tashkent, Uzbekistan, by Robert Thomson

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2010年 2月 12日 午前 12:00 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2010.02.11

マンデラの釈放から20年

20年前の今日、あなたはどこで何をしていましたか? 1990年の2月11日、南アフリカのケープタウンでは、ネルソン・マンデラが27年間の投獄を解かれ、刑務所の外に足を踏み出しました。緊張した、しかし自信に満ちた歩み、固く握られ、高く突き出された拳、厳しい表情。当時アメリカに住んでいた私はテレビでその中継を見ていました。本当に涙が出るほどうれしかったです。

Nelson Mandela, by Vilseskogen「もちろん、あれはブラック・パワー・サリュートですが、南アフリカのレポーターの口からはその言葉は聞けませんでしたね」とアメリカの放送局のアンカーが言ったのが印象に残っています。20年前のあの日、まだ南アフリカではアパルトヘイトが続いていたのです。アメリカでテレビを見ていた人たちは、まだそれほど遠い過去にはなっていなかった自分たちの公民権運動の日々を思い出していたのでしょう。そんなことを考えると、比較的に短い年月でも、人は大きな良い変化を社会にもたらすことができるのだと思えて、心は希望に満ちます。

南アフリカでは今週、図書館に火がつけられるようなかなり激しい抗議行動があったそうで("'Whole township is on fire' Anarchy in Siyathemba rages on - library torched")、楽園からは程遠いんだなあと、あらためて思い知らされます。失業率は25%弱。34%の人は一日2ドル以下で生活しているそうです("Twenty years after Mandela's release, SA struggles")。

齢90を越えて、人前にほとんど姿を見せなくなったネルソン・マンデラ。現状に全く満足はしていないでしょうが、決して自分の闘いは無駄だったとは思っていないでしょう。7月の彼の誕生日までのほぼ半年、南アフリカでは My Mandela Moments と名づけて、彼にちなんだ行事が数多く行なわれるそうです("The world celebrates - reliving Madiba’s walk to freedom")。愛されているんですね、本当に。

Nelson Mandela の長寿と彼の国の繁栄を祈ります。そして、さまざまな国で、今、政治的な理由で捕われの身となっている人たちを忘れないでいることを誓いたいと思います。

彼が釈放された刑務所の門の前に、あの日の彼をかたどった像が置かれているそうです。けっこう近くの道を通ったのですが、私は行きませんでした。なんとも残念。写真は Vilseskogen さんが CC-by-nc で公開しているものです。

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2010年 2月 11日 午前 12:00 | | コメント (0) | トラックバック (2)

2010.02.10

退屈で死にそう

You really can be bored to death, study shows - 「退屈で死にそう」「死ぬほど退屈」といった表現がありますが、実際に、退屈だと死ぬという研究結果が発表されました。ユニバーシティー・カレッジ・ロンドンの Annie Britton さんと Martin J Shipley さんが International Journal of Epidemiology という学会誌に投稿し、先週ウェブで先行公開された "Bored to death?" という論文です。この雑誌の目次を見ると、論文が「腫瘍」とか「伝染病」などのセクションに分けられていますが、この論文は「余興」のコーナーに掲載されるようです。

Freaky Cat!, by pmarkham1985年から88年にかけて、ロンドンで7,524人の公務員を対象に健康調査が行なわれ、その質問項目の一つが「最近、退屈を感じたことがありますか」というものでした。「全然、あまり、かなり、いつも」から答えを選ぶようになっていました。昨年4月に生存しているか死亡しているかを調べたところ、退屈だと答えた人のほうが死亡している確率が高いということが分かりました。特に循環器系の病気が死因になっている場合は、明らかに有意な差が見られるようです。退屈によって飲酒や喫煙やネット右翼行為(あ、最後のは冗談です)に走ったためではないかと考えられるとのこと。

冒頭でリンクした英テレグラフ紙の記事は、専門家の話として、退屈に感じがちな人は、自分のことばかり考えるのではなく、他の人が何を必要としているかを考えるようにするといい、と書いていました。

写真は pmarkham さんが CC-by-sa で公開しているものです。

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2010年 2月 10日 午前 12:00 | | コメント (0) | トラックバック (1)

2010.02.09

占領と大学

ISRAEL: Controversy over upgrading college to university - イスラエルによって占領されているパレスチナのヨルダン川西岸地区で、ユダヤ人入植地にある単科大学が総合大学に格上げされることになり、抗議の声が上がっている。

Chevron, by andydr場所は西岸地区の北西部にあるアリエル入植地。パレスチナの土地の中に隔離壁のルートが大きく食い込んでいるところだ(地図)。入植地のうち、4番目に大きいとされている。ここにある Ariel University Centre (2007年からの名前。かつては Ariel College と呼ばれていた)を正式な university にすることを、先週、バラク防衛大臣が承認した。占領地にあるので、イスラエル軍が統括する機関であり、教育相ではなく防衛相の承認によるわけだ。実はイスラエル国内の高等教育機関を統括する高等教育審議会は、アリエル大学の格上げに反対していた。右翼のわが家イスラエル党がかけた圧力に労働党のバラク防衛相が屈した形のようだ。

アリエル大学では、現在約11,000人の学生が学んでいる。計画では、学生数を2倍にし、施設を3倍に拡大する予定だ。アリエルの入植者は18,000人程度なので、ここに大きな大学が必要というわけではない。必要だから作るのではなくて、入植地の恒久化、いずれ来るパレスチナ独立に向けて、ここはイスラエルの領土として残すのだと主張するための既成事実作りであることは明らかだ。イスラエル国内の大学関係者などからも、「占領を学問の領域に持ち込むものだ」などといった批判が出されている。ここらへんの事情は、今回の決定に先立ってラマラ・オンラインなどに掲載された Jonathan Cook さんの記事 "Israel creates first ‘army-owned’ university" に詳しい。

「占領を学問の領域に持ち込む」といった観念的な理解以前に、検索していたら、最近、アリエル大学に通うアラブ系のイスラエル人が通学バスの中でアラビア語で話していたら、バスを降りるように命じられたというニュースを見つけ("Ariel College student says taken off bus for speaking Arabic")、その時点で十分に悲しくなった。入植地ってどんなところなのだろう。町全体が在特会みたいな感じなのかな。

入植地の写真は andydr さんが CC-by で公開しているもの。アリエルのものが見つけられなかったので、これはヘブロン近郊の写真。

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2010年 2月 9日 午前 12:00 | | コメント (3) | トラックバック (0)

2010.02.08

虎が住むからスマトラ島

Sumatran tigers extinct by 2015: WWF - インドネシアで活動している世界自然保護基金(WWF)関係者の話によると、スマトラ・トラはあと5年で絶滅してしまうかもしれないそうです。インドネシアのコンパス紙に対してリアウに駐在している Osmantri さんが語ったもの。

Sumatran Tiger, by Brimac The 2ndスマトラ・トラは300頭あまりしか残されていないと考えられており、近年では年間平均7頭の死亡が確認されてきたとのこと。密猟のほか、環境の破壊(森林の減少)によって繁殖が難しくなっているのが最大の問題であるようです。

WWFジャパンのサイトによると、全世界でも、野生の虎は4,000頭ぐらいしかいないらしいです。スマトラ・トラやシベリア・トラとその棲息地の森を守る活動への寄付「トラに願いを。」という募金(クレジットカード可)をやっています。WWF は国際的にも、旧暦の新年に合わせて Year of Endangered Tiger 2010 というキャンペーンを始めるようです。

あと何回か寅年がめぐってきたころには、「昔、トラという動物がいたんだよ」なんて言うんでしょうかね。

スマトラ・トラの写真は Brimac The 2nd さんが CC-by で公開しているもの。イギリスのチェスター動物園で飼育されているケパラちゃんです。

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2010年 2月 8日 午前 12:00 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2010.02.07

海賊と大漁

Somali pirates: the unlikely heroes of Kenya's fishermen - だれもに恐れられているソマリアの海賊ですが、彼らに感謝している人たちがいます、それは隣国ケニアの漁師たちです、という AFP の記事。なぜ喜んでいるのかと言うと、海賊が出るようになってから豊漁が続いているからだそうです。

photo by Pau Sabriaで、どうして海賊が出ると豊漁になるかと言うと、ここであえて説明を繰り返す必要もないのかもしれませんが、海賊を恐れて外国の漁船が来なくなったからだと漁師たちは言います。地元の漁船に比べて、ヨーロッパやアジアから来る船は巨大で装備もいい。特に、スペイン、フランス、台湾などから来ていたトロール船が近くに来なくなったのが大きいとのことです。ただし、ケニア政府は、そんなに単純な因果関係があるのか疑問視しているとも記事は書いています。いずれにせよ、ケニアの港モンバサには、釣りを楽しみに来る観光客も増え、にぎわっているのだそうです。

ヨーロッパやアジアのトロール漁船の話は、以前、海賊はなぜ海賊になったのかについて書いた時にも出てきていたので、人間を含めたアフリカ東部沿岸の生態系にかなり大きな影響を与えているのだと私は思います。

昨日に続けて海賊の話を書きましたが、別に特集をやっているわけではありません。

写真はモンバサの漁船。Pau Sabria さんが CC-by-sa で公開しているものです。

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2010年 2月 7日 午前 12:00 | | コメント (2) | トラックバック (0)

2010.02.06

海賊が寄付

Somali ‘Pirates’ want to send loot confiscated from rich countries to Haiti - 2週間ほど前の報道ですが、遅れて気づきました。ソマリア沖の「海賊」の代表たちがハイチの地震被災者のために多国籍企業の船などから奪った戦利品を寄付したいと申し出ているそうです。世界のさまざまなところに拠点を持っており、「敵国」の軍隊に気づかれずに物資を送り届けることができると豪語しているとのこと。

Somali Boy, by Monica's Dad「ハイチへの人道援助は欧米によって牛耳られてはならない。彼らにはそのようなことをする道義的な権威がないからだ」「彼らこそ、長い間、人類から略奪を繰り返してきた張本人なのである」と語っています。

小さき者の抵抗と連帯の思想、そして革命の言説は、こんなところに受け継がれていたのでした。

ソマリアの写真は Monica's Dad さんが CC-by で公開しているもの。ブッシュ(41代のほう)政権下でアメリカがソマリアを侵略した時に撮影されたようです。

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2010年 2月 6日 午前 12:00 | | コメント (4) | トラックバック (0)

2010.02.05

辺境のガンジー

'Frontier Gandhi' brings Pashtun peace icon to life - Khan Abdul Ghaffar Khan という人の名前を初めて知りました。主に20世紀の半ばごろに活躍したパシュトゥン人のムスリム指導者で、今のパキスタンの北西辺境州の出身の人物です。ガンジーと懇意にしていて、自らも Khudai Khidmatgars (神のしもべたち)という非暴力主義を誓った組織を作り、警護などにあたったりしたそうです。彼はガンジー同様、インドとパキスタンの分割に反対だったため、独立後のパキスタン当局からは疎まれ、生涯の実に3分の1を牢獄で過ごしたそうです。

Badshah Khan ガンジーの名声がその後も高まり、世界史に残る人物として記憶されるに至ったのとは異なり、カーンは同胞たちからも半ば忘れ去られ、1988年に死去し、ジャララバードに埋葬されます。折しもアフガニスタンの激しい内戦のさなか。平和の種を捲くことに生涯を費やしたカーンは、最期まで平和が現実のものとなることを見ることができませんでした。

上記ロイター電は、カーンの生涯をたどり、「神のしもべたち」の生き残りの老人たちにインタビューをしたドキュメンタリー映画についてです。カナダ人の Teri McLuhan さんという人の Frontier Gandhi という作品。こうやって記事が配信されていることは、どこかで上映が始まったといったことだと思いますが、詳しいことは分かりません。

マクルーアン監督は、戦火の絶えないパキスタン、アフガニスタンに非暴力主義を貫いた人たちがいたことを描くことによって、9/11以降大きくなってしまったムスリムに対するステレオタイプを打ち破りたいと語っています。

カーンとガンジーの写真Wikimedia Commons では、インドでの著作権が消滅してパブリックドメインになったとして配布されています。撮影された時期から考えて、日本でも1997年の著作権法改定以前に保護期間(それまでは公表後50年、現在は写真家の死後50年だと思います)が終了していたと考えられるので、ここに掲げます。パキスタンの Awami 党のサイトにカーンの写真がたくさんあります

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2010年 2月 5日 午前 12:00 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2010.02.04

アマゾンで大規模ダム開発

"Huge hydroelectric dam approved in Brazil's Amazon" (Reuters)、"Brazil uproar over massive Amazon dam plan" (AFP) などによると、ブラジル北部の Paro 州にある Xingu 川流域で大規模な水力発電ダムの建設計画が動き出しました。Belo Monte ダムは500平方キロを水没させて11,000メガワットの発電所を建設し、ブラジルの電力需要の11%をまかなおうというものです。

Canoa da Casca de um Jatoba, by E-GIACOMAZZI3万人の先住民が移住を強いられるほか、アマゾン流域の生態系に大きな、そして回復不可能な影響を与えることは明らかです。堰き止めによって下流が100キロにわたって水不足になるだろうと言われています。また、貯水池として残る部分だけでなく、建設工事のための道路敷設などによって熱帯雨林はずたずたになってしまうでしょう。

国境という概念には少し馴染まない考え方かもしれませんが、私は、アマゾン川流域の熱帯雨林は人類みんなの宝だと思います。ブラジルの人たちがベロモンテ・ダムの建設を思いとどまることを切望します。

ポルトガル語なので私には読めないのですが、ダム建設に反対している Xingu Vivo para Sempre のブログにリンクを張ります。

シングー川の写真は E-GIACOMAZZI さんが CC-by で公開しているものです。

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2010年 2月 4日 午前 12:00 | | コメント (0) | トラックバック (1)

2010.02.03

パンダに中国語を教えませんか

中国の四川省成都で中国語教師を募集しています。教える相手はいわゆる帰国子女のパンダです。

Mei Lan, by Jeherv"Chengdu to hire Chinese teacher for Mei Lan's return" という人民網の記事によると、アメリカで生まれ育った3歳の美蘭ちゃん(写真:撮影は Jeherv さん。CC-by で公開)がもうすぐ両親の故郷である四川に引っ越して来るので、中国語、特に四川方言が全く分からない美蘭ちゃんのために家庭教師を付ける予定だとのこと。

募集している団体のウェブページを見ると、応募資格は「身体が健康であり、伝染病を持っていないこと。大学学部卒以上で、中国語と英語に通じていること」などとなっています。中国語を教えるだけでなく、身の回りの世話も職務内容に入っています。応募用紙(Word 文書)、送り先のメールアドレスなどはこちらのページに出ています。

Mei Lan ちゃんはジョージア州アトランタの動物園で育った女の子です。美兰ちゃんのウェブサイトはこちら。彼女のためにボーイフレンドを選ぼうという投票もやっています。

いろいろ考えてしまいますよね。この待遇のよさ。虐げられている人だっているのに、とか。日本で、駅に泊まろうとする野宿者が追い出される一方で、駅に住み着いた猫が駅長に抜擢されたりするのに似ている、とか。ほら、やっぱり動物は頭がいいから殺すのはよくないよ、とか。野生に帰されたトキがうまくいかなかったのは日本語教育を軽視したからではないか、とか。そもそも中国語が分からないパンダなんて、クリーミングパウダーを入れないコーヒーのようなものじゃないか、とか。

まあ、ごく普通の飼育員の募集を気の利いた形でやってみたというのが本当のところでしょうか。違うかなあ。白黒をはっきりさせてほしい!

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2010年 2月 3日 午前 12:00 | | コメント (2) | トラックバック (0)

2010.02.02

イスラエル軍が白リン弾使用で処分

Israel: 2 IDF officers endangered human life in Gaza with white phosphorous use - イスラエル政府がこのほど国連に提出した報告によれば、一年前のガザ攻撃の際にイスラエル軍が白リン弾を用いたことに関して、2人の将校が懲罰処分を受けたそうです。「鋳られた鉛」作戦終結間近だった1月15日、ガザ市南部の Tel al-Hawa 地区にある国連パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA)が運営する学校に向けて白リン弾を用いるようにこの2人が命じたのは越権行為であったというのがイスラエル政府の説明です。

Gaza banner, by nagillum人口密集地での焼夷兵器の使用は国際法で禁じられていますが、イスラエルはこれまで独自の調査の結果として、民間人の多いところで白リン弾を用いた事実はないと主張してきました。今回、昨年秋に国連がまとめたゴールドストーン報告書で出された疑義に対する回答として、はじめて国際法に抵触する戦争犯罪行為があったことを認めたことになります。

越権行為云々というのは、軍という組織としての問題ではなく、組織から切り離された個人の責に帰すという形をとったということでしょうか。

ガザ侵攻に抗議するプラカードの写真は nagillum さんが CC-by で公開しているもの。反シオニズムのユダヤ人団体の人たちがロンドンのデモで掲げていたプラカードだそうです。

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2010年 2月 2日 午前 12:00 | | コメント (1) | トラックバック (3)

2010.02.01

インドの静かな革命

Silent revolution: Rise in marriages of others to dalits - タイムズ・オブ・インディア紙が、不可触民ダリットとそれ以外のカーストに属する人との間の結婚が増えていることを伝え、インド社会における「静かな革命」が始まったと評しています。

An Indian Wedding!, by joshDubya昨年度(2008-2009年)にダリットとダリット以外の間で交わされた婚姻は4,750組。3年前が3,945、2年前が4,205組だったそうで、着実に増えていて、今年度は5,862組に達するだろうと予測されています。

インドの人口は世界第二位の約12億人。その中でたった数千組という数字を提示されて、私はとてもびっくりしました。いや、だからこそ「革命的」なのかもしれません。

もちろん、この統計に現れていないカップルもいるのだと思われます。ダリット(Scheduled Caste)とそれ以外の人の間の結婚であることを届け出れば、5万ルピー(約9万8千円)の奨励金が支給されるそうで、上の数字はその申請を行なった人の数のようです。

地域的に見ると、アンドラプラデシュとマハラシュトラがそれぞれ約千組ずつで多く、ケララとカルナタカがそれに続きます。反対に、"khap panchayats" と呼ばれるカースト内の自治会組織が「名誉殺人」を命じることで知られるハリヤナやマディヤプラデシュなどでは数十組か百数十組程度。グジャラト、ウッタラカンド、パンジャブでは皆無のようです。西ベンガルは共産党政権なので封建制度の遺物であるカーストに関する統計自体をとっていないが、リベラルな政治的風土とはいえ、婚姻の面では旧弊がまだ残っているかもしれないとされています。

また、「ダリットとそれ以外」と一括りにせずに「それ以外」の大半がシュードラ(OBC = Other Backward Castes)で占められていて上位3カースト(Dwija)は少ないのではないかとか、男性が優位なカーストである結婚(hypergamy)は許されていても女性が優位なカーストである結婚(hypogamy)は依然としてタブーであるのではないかなどを精査する必要があるだろうと記事は指摘しています。

私たちの国では、被差別部落出身者とそれ以外の人の結婚や、日本国籍の人とそれ以外の人の結婚は、インドの比ではなく多いと思います。それでも、部落差別や外国人差別は歴然と存在しています。インドの「静かな革命」が勝利する日は気が遠くなるほど遠くにあるのでしょうか。私たちの勝利だって、決して容易には勝ち取れないのかもしれません。

「村野瀬玲奈の秘書課広報室」ブログの「 宝塚出身のヘヴィメタルシンガーを応援したくなった。」という記事にトラックバックをお送りします。

インドの結婚式の写真は joshDubya さんが CC-by で公開しているもの。かなりお金持ちの結婚式のように思えます。うーむ、やっぱり踊っていますねえ。

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2010年 2月 1日 午前 12:00 | | コメント (0) | トラックバック (0)

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