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2008.04.26

ガリポリ

昨日(4月25日)は ANZAC Day - オーストラリアとニュージーランドが共同で第一次世界大戦に参戦した記念日なのだそうだ。1915年のこの日、これら2か国の部隊がイギリス軍などとともにダーダネルス海峡制圧を目指してトルコのガリポリ(Gallipoli)半島に上陸した。オスマン・トルコ帝国軍の抵抗により戦局は膠着し、両国は合わせて1万人を越す戦死者を出した後、翌年、撤退を余儀なくされる。

定義上、侵略戦争を始めた日であるわけだし、敗退するわけだし、あまりいい思い出を伴う日ではないように私は思うのだが、オーストラリアとニュージーランドにとっては、その後の国としてのアイデンティティ形成に非常に重要な契機だったという話を何回も聞いた。

ガリポリでも、毎年、式典が開催されるらしい。トルコの英字紙 Hürriyet の記事 "Thousands mark 93rd anniversary of Gallipoli battle"、Today's Zaman の記事 "Messages of friendship mark the Battle of Gallipoli commemoration" によると、式典はトルコ軍の主催で行なわれ、オーストラリア、ニュージーランドの閣僚も出席している。当時の敵味方が現在は友好を祝う場となっているようだ。

アジア太平洋戦争という侵略戦争を起こした日本とどうしてこんなに違うのだろう。あと30年も経てばこんなふうになるのだろうか。

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2008年 4月 26日 午前 12:00 | | この月のアーカイブへ

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コメント

>アジア太平洋戦争という侵略戦争を起こした日本とどうしてこんなに違うのだろう。

「免責」が一つのキーワードなんだろうと思います。
日本は上から下まで
「そうしなくてはいけなかった(だからしかたなかった)」
「命令されてやった(だから自分は間違ってない)」
「みんなそうしているんだ(だから自分は正しい)」
で許されてしまうところがありますからね。

投稿: みわちゃん | 2008/04/26 14:24:50

> 「命令されてやった(だから自分は間違ってない)」

うーん、どこの国も、軍隊内部の order (命令、あるいは秩序)に関する意識は似たり寄ったりのような気がします。今と昔では違うのでしょうし、よく分かりません。

投稿: うに | 2008/04/26 22:03:45

>軍隊内部の order (命令、あるいは秩序)に関する意識は似たり寄ったりのような気がします。

私に軍隊の経験はないんですけど、それはそうですね。
ただ、
「命令が間違っている(いた)かもしれない」
と考えることを、日本は非常に嫌う感じがするんです。もし命令の方を後からでも疑えるのなら、間違った命令に従って間違ったことをしでかした後、やってしまったことを、なかったことにしなくてよい…ということになりませんか?

投稿: みわちゃん | 2008/04/27 4:01:15

連れない返事ですが、私は文化論めいたことが苦手で、文化の差うんぬんに話が発展しそうな場合は、とりあえず統計学で言う帰無仮説(この場合なら、どの国も同質という仮定)から考えていくのでないと、落ち着かないんです。演繹的な思考を信じないわけではないのですけれど。

軍隊内部での思考法については、自分の国で兵役を済ませてから来たさまざまな国の留学生と話した経験から、かなり自信を持って言えます。

投稿: うに | 2008/04/27 23:32:22

なるほど。留学生に兵役の話を聞いたことはなかったです。自分じゃできないんだから、これから気をつけて聞いてみてみよう。

投稿: みわちゃん | 2008/04/28 4:08:21

初めて投稿させていただきます。 いつも世界の貴重な情報をご紹介されているので、楽しみに読ませていただいております。 さて、今回ガリポリについてコメントさせていただきましたのは、 トルコでのガリポリ戦の記念は、もしかするとうにさんが考えておられるのとはまったく違う文脈でなされているのではないかな...と少し思ったからです。 と申しますのも、第一次世界大戦のガリポリ戦は、トルコ側から見ると、「建国の父」ケマル・アタテュルクが台頭するきっかけとなったものです。 私も不勉強なので断言はできませんが、 現代トルコにおけるガリポリ戦の記念は、トルコ共和国のナショナルな記憶に深く組み込まれる形でなされているのではないかと思います。 そうは言っても、たしかにかつての「敵」とともに記念行事を行うことは意義深いことだと思います。 ただ、現代トルコの保守・右派的なナショナル・アイデンティティにとって不都合な存在は、ガリポリ戦を戦ったオーストラリア・ニュージーランドではなく、 アルメニア・ギリシア、そしてクルド人などてはないでしょうか。 アジアの東端の国同様、アジアの西端の国も、こうした国ぐに・人びととの和解は必ずしも進んでいないように思え

投稿: 携帯電話から失礼します | 2008/05/01 8:15:58

こんにちは。

トルコの歴史についての考え方は、私もほとんど同じです。

ふだん私が日本とトルコを重ねて考えるような記事を多く書くので誤解されたかもしれませんが、この記事は、日本をオーストラリア、ニュージーランドに重ねて書きました。トルコを侵略したこの2国がトルコに招かれていっしょに記念日の行事を行なっている現実と、中国や韓国やフィリピンを侵略した日本の姿とを比べたつもりです。

この対比の構図が突飛だったのでしょうかね。どうもこの記事はだれにも理解されなかったような気がしてきました。なかなか文章がうまくなりません。

投稿: うに | 2008/05/01 17:37:16

お返事ありがとうございます。オーストラリアやニュージーランドを日本に重ねて書いておられたんですね。お返事を頂いてから元記事を読み直しましたところ、なるほど「侵略戦争」というキーワードを読み落としていたことに気付きました。 ついトルコと日本を重ねてしまいがちな、私自身の発想から元記事を読んでしまっていたようです。申し訳ありません。 オーストラリアといえば、最近はケビン・ラッド首相による先住民への公式謝罪もありました。かの国の歴史も誤りに満ちたものだと思いますが、これと向き合う姿の違いが、かつての被侵略国に迎え入れられる現在のオーストラリアと、未だかつての被侵略国からの批判が絶えない日本の姿とに象徴的にあらわれているような気がいたします。 それでは改めてお返事ありがとうございました。もう半年ほど読ませていただいておりますが、一方的に読んでいるばかりでしたので、こうしてやり取りするのが少し不思議に感じられます。これからも愛読させていただきます。

投稿: 携帯電話から失礼します | 2008/05/03 10:33:47

分かりにくい文章を書く私が悪いと思います。すみません。どうかこれに懲りずに、またいらしてください。当方、読んでくれる人が少なくて困っています。いや、困ってはいないか。寂しがっています。

投稿: うに | 2008/05/03 22:16:15

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