« 怯える社会 | トップページ | 女王が語る »

2008.04.02

金持ちは死者を運ばない

2週間ほど前、東京の東久留米市で、バスの運転手をしている男性がフィリピン国籍の妻と生後7か月の子どもを殺す事件が起きた(共同通信電)。

PAL to fly home mother, child slain in Japan--DFA - 先週木曜日のフィリピン Inquirer 紙の記事。亡くなった Crisanta Mahusay Lopez Nagano さんの遺族がフィリピン政府に陳情し、フィリピン航空が輸送費を肩代わりする形で、クリサンタさんと直正ちゃんの遺体をフィリピンに移送することになったと伝えている。

フィリピンはとても貧しい国で、日本はとても富んだ国だ。なぜ私たちが遺体を里帰りさせる費用を負担してあげなかったのだろう。

このブログで

Tags: ,

2008年 4月 2日 午前 12:00 | | この月のアーカイブへ

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 金持ちは死者を運ばない:

コメント

>フィリピンはとても貧しい国で、日本はとても富んだ国だ

両国間の貧富差と、遺体の輸送費をどちらの国が負担するかは関係無い。
貧しい者に無条件で施しをしろという考えは相手に対しても失礼だ。
どうしても払いたい場合はあなたが個人で払うべきであり
「日本」や「私たち」という言葉を使うべきではない。

投稿: 釣本直紀 | 2008/05/23 19:10:14

私はあなたと全く正反対の意見です。

私のブログのコメント欄に書き込む時は、もう少し丁寧な言葉遣いをしてくださいね。あと、決めつけるような書き方もここでは歓迎しません。

投稿: うに | 2008/05/24 1:04:03

日本国籍を持つ者が外国籍の者を殺したわけです。その遺体の移送についての「道義」の話をしているのであり、「施し」の話をしているのではないと私は思います。上の方の居丈高ぶりにびっくりです。

投稿: 村野瀬玲奈 | 2008/05/25 14:57:41

村野瀬さん、ありがとうございます。

なるほど、「施し」ととらえるかどうかという整理をすると分かりやすいですね。根本的に意見が違うみたいなので、議論のとっかかりがないなあ、と考えていました。

投稿: うに | 2008/05/25 23:24:32

>「施し」の話をしているのではないと私は思います

うにさんは
「フィリピンはとても貧しい国で、日本はとても富んだ国だ。
なぜ私たちが遺体を里帰りさせる費用を負担してあげなかったのだろう」
と両国間の貧富について書いています。道義には触れていません。
「貧しい国に対して富んだ国が費用を負担しないのはおかしい」
といううにさんの主張は施しの話そのものでしょう。

投稿: 釣本直紀 | 2008/06/01 0:44:02

いいえ、違います。
仮に遺族が犯人を相手に遺体の搬送費用について民事訴訟を起こしたら、犯人に対して支払いが命じられるでしょう。つまり犯人に搬送について責任が認められるわけです。
遺体の搬送は裁判の結果を待てません。また、遺族は経済的に費用を負担することが不可能です。そこで、社会的な仕組みとして、犯人が属していた国に費用を肩代わりする道義的な責任が生まれると私は思います。

投稿: うに | 2008/06/01 5:52:01

>犯人が属していた国に費用を肩代わりする道義的な責任が生まれる

その理屈だとやはり両国間の貧富差は関係無い話ですよね。
仮に在フィリピン邦人がフィリピン人に殺された場合も、
とても貧しいフィリピンが、とても富んだ日本に遺体の輸送費用を負担すべきであるという事になります。
若し日本の道義的責任を問うのであれば、何故「フィリピンはとても貧しい国で、日本はとても富んだ国だ」
と道義に何も関係無い事を書いたのですか?

投稿: 釣本直紀 | 2008/06/04 23:47:49

質問の意図が分かりません。
以下の二つについて理解があれば、私の書いた文章に何ら不思議はないはずです。
(A) ある人やある国の経済状態を考えるということと、「施し」をするということは、同じではないと私は考えています。
(B) 経済状態を考えるということと、道義を考えるということは、二律背反ではないと私は考えています。
あなたはたぶん、この二つのうちのどちらかについて私と意見が違うのですよね? 5月23日のコメントを読むと、(A)について意見が違うのかなという気もするのですが、6月4日のコメントでは、(B)が問題なようにも思えます。どちらですか? それとも私の思いも寄らないところで食い違いがあるのでしょうか。

投稿: うに | 2008/06/05 12:25:17

俺とうにさんとの意見の違いをそのAB二つに分ける事には疑問が有りますが、強いて言えば(B)です。
道義と経済は二律背反というよりは互いに無関係だと思っています。

うにさんはこの記事で日本を批判しています。
俺はその理由を『二国間の問題で富国ではなく貧国が費用を負担した事』だと読み取りました。
だから俺は「そんな理由で批判するのはおかしい」とうにさんの主張を否定したのです。

それに対してうにさんはコメント欄で「日本には道義的な責任がある」と言い出しました。
日本の道義的な責任に関しては俺は何の意見も有りませんが、
では何故記事本文でそう書かず、道義的な責任とは無関係な
両国間の経済状態のみに触れて日本を批判したのかが分かりません。
どうも俺には、うにさんが日本を批判する理由を経済状態から道義的責任へと途中で切り替えた様に思えます。

投稿: 釣本直紀 | 2008/06/11 23:38:03

いいえ、違います。

私にとって、日本が遺体搬送の費用を負担するのが道義だろうというのは、大前提です。「前提にする」とは、「明記しなくても理解されるべきだと考える」という意味です。だから、「書いていなかった」と文句を言われても困ります。

「二律背反というよりは互いに無関係」という言い方から、「二律背反」という語の意味が共有されていないことを感じます。確認しておきますが、二律背反とは矛盾するという意味です。互いに無関係だったら矛盾もしませんよ。

あなたは、「無関係だから両方を考えるのはおかしい」と考えていますね? 私は、「この二つは独立変数だから、両方を考えなければ答えは出せない」と考えています。

投稿: うに | 2008/06/12 0:23:55

コメントを書く