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2008.01.31

オリンピックより人権がほしい

ニューヨーク・タイムズ紙の "Dissident's Arrest Hints at Olympic Crackdown" という記事で、胡佳(Hu Jia)さんという中国の人権活動家(と呼んでいいのか分からない。環境保護やエイズ問題など、取り組みはとても広汎にわたるようだ)の拘束について知った。反体制派の人たちや農民による抗議行動などについてウェブで論じていたことなどが当局から睨まれ、国家政権転覆罪の容疑で昨年暮れに連行された(これが彼のブログらしい。12月27日で途切れている)。妻の曾金燕(Zeng Jinyan)さんと生後2か月の赤ちゃんも自宅軟禁状態に置かれている。

北京オリンピックを前に、反体制派への弾圧が強まりつつあるというのが人権活動家たちの見方だ。民主主義が強く根付いている日本ですら世界陸上を前に長居公園の野宿者強制排除があったぐらいだから、オリンピックをひかえて強権的な国でどのようなことが起こるかは想像に難くない。いや、おそらく比べものにならないほどの弾圧が待っているのだろう。これからの半年あまり、注意を強めていこう。

標題にあげた「オリンピックより人権がほしい」(要人権,不要奥運)は、胡佳さんが支援に取り組んでいた現在拘留中の反体制派活動家、楊春林(Yang Chunlin)さんの言葉。楊春林さんは中国東北部の工場労働者で(とニューヨーク・タイムズの記事は伝えている。失地農民としている報道もある)、これを標語に1万人以上の署名を集めたそうだ。とても心に響く言葉だと思う。

胡佳さん、楊春林さんらの拘禁に抗議するとともに、世界の目が中国に集まる2008年に、中国が人権を尊重する社会に向けて歩みを進めることを強く望む。

食中毒事件で中国叩きが始まりそうな夜にこの記事を出すのに、ちょっと躊躇を感じています。

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2008年 1月 31日 午前 12:00 | | コメント (2) | トラックバック (2)

2008.01.30

異様な建築

No More 'Unusual Buildings' in Austria? Far-Right Party Tries to Ban Mosque Construction - ドイツのシュピーゲル紙がオーストリア最南部のケルンテン州(Kärnten、英語では Carinthia)政府が準備中の建造物規制法案について伝えている。異様な建築、つまり周辺の既存の建築物と調和しない建築様式、高さなどを持つ建物を新たに作ることを禁じるものだ。あからさまに名指しはしないものの、主な規制対象はイスラム教徒によるモスクやミナレット(塔)の建造だとされている。表向きは景観保全について定めるだけなので、信教の自由の侵害にはならないのだと言う。

何とも陰険なやり口に見える。ケルンテン州の知事は悪名高き民族主義者のイェルク・ハイダー(Jörg Haider)。オーストリアでは、このほか、最西部のフォアアールベルク州(Vorarlberg)でも同様な法案が準備されているらしい。ニーダーエスターライヒ州(Niederösterreich)の知事もミナレットをオーストリアの文化とは「相容れない」ものと発言していることを記事は伝えている。

以下、弁解がましく聞こえると思いますが、自分の国のことに目をつぶっているわけではありません。「東の石原、西の橋下」に対しても、きちんと異議を唱えていきます。

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2008年 1月 30日 午前 12:00 | | コメント (2) | トラックバック (0)

2008.01.29

アパルトヘイトと並ぶ不正義

Minto refuses honour from South Africa - 南アフリカ政府が授与する O. R. Tambo 賞の候補になったニュージーランドの著名な人権活動家が「南アフリカの現状には落胆する」と述べて、選考から辞退したというニュース。リンク先はニュージーランド Christchurch の The Press 紙。南アフリカの Mail and Guardian 紙の記事で知った。

John Minto さんは、ニュージーランドのラグビー・チームがアパルトヘイト時代の南アフリカに行くことを阻止する運動で南アフリカとの関わりを持った。その後は広く人権関係の運動を中心に広く革新派の活動を続けてきたようだ。The Press 紙にも定期的にコラムを書いている。新聞のほうにはまだ載っていないが、彼の Mbeki 大統領への辞退の手紙はブログで読める

アパルトヘイトが打ち倒され、黒人の政治的な権利は確立されたが、経済的な権利はないがしろにされ、貧困の度合いは「白人少数支配下と変わらないか、時には悪化している」。「トップの顔は白から黒に変わったが、変化の実態は虚構にすぎない」など、ミントさんの言葉は非常に手厳しい。

彼はさらに、憂うべき現状を作り出した原因を名指ししている。「自由市場経済の破壊的な力」だ。彼はこれをアパルトヘイトにも比べうる不正義だと呼んでいる。「よりよい南アフリカ」を目指した反人種隔離政策の運動の功績がこのような不正義の行なわれるもとで栄誉を与えられることを彼は良しとしない。

彼の言葉は、単に南アフリカ政府への批判にとどまらず、同じ新自由主義の流れの中にあるすべての経済への警鐘である。

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2008年 1月 29日 午前 12:00 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2008.01.28

世界経済フォーラムの日の、もう一つのニュース

"Rudd determined to halt homelessness"、"Rudd announces long-term plan to tackle homelessness" - オーストラリアの Kevin Rudd 首相が国としてホームレスの問題に本格的に取り組むことを宣言した。ラッド首相の労働党は昨年の選挙公約の中で1億5千万豪ドル(約140億円)を経済的に危機に瀕している人々のための住宅建設に充てることを掲げている。

ラッド首相は、オーストラリアには現在10万人の野宿者がおり、そのうちの1万人は子どもであることを指摘し、ホームレスの問題が「隅に追いやって忘れることができると考えるのか、それとも『これは全く間違っている。私たちは何かしなくてはならない』と言うのか」の間の選択を迫っていると述べた。

「私たちのような豊かな国が21世紀にこのような問題を無視することができるとは信じない」「国が豊かになるにつれて、ホームレスの問題は深刻になっている」「人々を捨て去るような国に私は住みたくない」などの言葉が紹介されている。ラッド首相によるこの発表は、ホームレス経験者などからなる合唱団の歌を国会議事堂の中庭で聴いた後、行なわれたそうだ。

同じ日、日本の首相はと言えば、世界の巨大企業の親玉たちに会いにダボスに行っていた。それが悪いことだとは思わない。しかし、彼の目に何が映り、何が映らないのか、私たちは推して察することができる。

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2008年 1月 28日 午前 12:00 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2008.01.27

ラファに続くもの

'Breakout into Israel' ahead - 26日づけ、The Australian 紙のエルサレム発の記事。ハマス幹部の Ahmed Youssef さんが「次にガザから人々が流れ出す時は、イスラエルに流れ込む時かもしれない。50万人のパレスチナ人が自分の父母が60年前に逃げ出したり追い出されたりした町や村に向かって行進するだろう。これは空想の話ではない。多くのパレスチナ人は命を賭す覚悟ができている」と語ったことを伝えている。

この発言はイスラエルのエルサレム・ポスト紙も "Hamas: 500,000 will march on Erez" という記事で報じているのだが、「自分の父母が60年前に逃げ出したり追い出されたりした町や村に向かって」の部分が見事に抜け落ちており、代わりに目的地がガザ北部のエレツ検問所だということになっている。

一人の記者の書いたものをあまり大きな話にふくらませるのは危険だとは思うが、この対比は、問題が単にガザの経済封鎖だけでなく土地の収奪であり占領であり帰還権であり、それに対するイスラエルの態度であることを私に思い出させた。ラファ「解放」がもたらす爽快感から現実に引き戻されたと言えるかもしれない。

しかし、現実とは何なのだろう。22日、ラファ検問所では集まったガザ市民がエジプト軍による放水などで排除され負傷者も出た(アルジャジーラのビデオ)。翌日には、爆破された壁を踏み越えて、人々が笑顔で国境を行き来した(ビデオ)。エジプト政府の対応一つで、そこには平和が生まれたのだ。イスラエルでだって、同じように劇的な変化は可能なはずだ。現実とはそんな可能性を秘めた概念であることを私は信じたい。

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2008年 1月 27日 午前 12:00 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2008.01.26

トルコが刑法301条の見直しへ

これを書いている時点では、まだ確定的な報道が見られないのですが、ニューヨーク・タイムズ紙の25日の記事 "Turkey to Alter Speech Law" によれば、早ければ25日のうちにも、トルコ政府が刑法301条の見直しに取りかかる方針を発表するようです。

刑法301条は、「反トルコ的」な言動を取り締まる条項です(このブログでは2006年9月のこの記事で紹介しました。記事の中で名前を挙げた一人 Hrant Dink は昨年、偏狭な国粋主義者に暗殺されました。ご冥福を祈ります)。記事によれば、刑法301条以外に、表現の自由を侵害する法律が合計38条項あるそうです。現代トルコ建国の功労者ケマル・アタチュルクを「あの男」と呼んだぐらいで裁判沙汰になった例が紹介されています。

記事には、刑法301条を擁護する立場から、ヨーロッパでも例えばドイツ刑法90A条、90B条、イタリア刑法290条などが国家への批判的な表現を制限しているではないかという指摘(ただし、ドイツは「民主的な国家」への攻撃、イタリアは「共和制」への攻撃が対象となっているようですが)が紹介されていました。いつか調べてみたいと思います。

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2008年 1月 26日 午前 12:00 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2008.01.25

P-navi info: ガザ・ボーダーの壁崩壊その後

イスラエルによるガザの厳しい経済封鎖が続く中、ラファでエジプト国境の壁が一部壊され、ガザ市民が生活物資を求めてエジプトに越境しています。残念なことに、パレスチナの状況を詳しく伝える P-navi info ブログがサーバの不具合で更新、閲覧ができなくなっています。26日に予定されている緊急行動などに言及したビーさんの記事を私を含め何人かのブロガーが代理投稿します。

ガザ・ボーダーの壁崩壊その後 (P-navi info 1月24日)

「壁が倒れるときにはいつも自由の感覚がある」

とガザのエジプト国境の壁が倒されたことをすぐさま評したのは、欧州議会副議長、ルイーザ・モルガンティーニ氏。

EUとしてのプレスリリースとして受け取っていいのかどうかわからないが、23日ブリュッセル発で同氏によるステートメントが出されている。そこには

「ここ数時間の間に何千人ものパレスチナ人がラファのボーダーを通過し、壁の裂け目を通って、イスラエルがガザ市民たちに対して行った封鎖を破っていったのは、すべて抵抗の真の行いであり、人々の自由の肯定である」

とあり、ハマスの元ハニヤ首相の言葉ととても似ているので、驚いてしまった。

昨日23日にエジプトへ出かけたガザの人は、20万~30万人(ガザの総人口150万人)と言われ、とてつもない数のガザの人々が生活に必要な食糧や医薬品やガソリンなどを求め、また、離ればなれになっている親戚に会いに行っているが、混乱などが起きているという様子はない。

イスラエルはエジプトに対処するように要求を出しているが、封鎖された中にいるガザの人々への同情はアラブ社会では強く、強硬な手段に出ることはできないようだ。今日 24日、エジプト軍と警察は、壁の大部分を閉めてしまったが、パレスチナ人の出入りは許されている。エジプトのムバラク大統領は、「パレスチナ人をエジプトに通すことを許すようにと軍隊に命令を出した。なぜなら、パレスチナ人は飢えているからだ。エジプト軍は武器を持っていない限り、必需品を買ったパレスチナ人をガザに戻すようにするだろう」と語っている。エジプトの外務省報道官もガザで人道的な危機が続く限り、ラファのボーダーを開けておくと語っている。

イタリアのレプブリカ紙の特派員は、警備にあたるエジプトの将校に話を聞いたところ、「すべて上手く行くように願っている。ここで繰り広げられている光景を見て幸せだ」と答えたことを伝えている。このような人々の思いが、エジプトにボーダー閉鎖をできなくさせている力となっている。

ここで多いに不満になっているのは、当然イスラエル。オルメルト首相は「封鎖と攻撃をガザに続ける」としており、わずかな量の人道物資と石油だけをガザに入れると語った。イスラエル軍の参謀などは、イスラエルメディアに対し、「ガザはエジプトに開かれていて、イスラエルは必要な物資の供給に責任を負わないのだから、水も電力も食糧も石油もすべて供給を止めるべきだ」と話したという(ガザは水もイスラエルにすべてコントロールされている)。

米国も23日、国連安保理の緊急部会でイスラエルによる封鎖を批判する決議に反対して採択を阻止したばかりで、今回の封鎖突破を快く思っていない。ガザの武装勢力に武器が渡る恐れを指摘し、エジプトにプレッシャーをかけている。今後、暗にこのボーダー問題に介入してくる可能性もある。

さて、26日に緊急支援物資をガザに持ち込み、封鎖に抗議をしようというイスラエルの平和団体グループは

「力の政策は失敗した、檻は破られた! 封鎖の完全な解除を」

と盛り上がっている。

「150 万人もの人々を巨大な監獄に閉じ込めておくことは不可能だ。そうしようとするとガザのエジプトボーダーで起こったように、爆発が自分に跳ね返ってくる。ガザの住民たちは、イスラエルや世界の他の人々と同じように、自分たちと物資のために外部に自由にアクセスできる基本的な権利を持っている」

と言うイスラエルの平和団体連合は、イスラエル各地より「封鎖を解除せよ」と書いたコンボイを送り、連帯の援助物資を渡すと同時にガザ内と連動してデモを行い、封鎖や攻撃ではない第三の道を示していくとしている。(グッシュ・シャローム、平和のための女性連合、ほかの呼びかけメールより)

この26日は世界の各地で連動して、封鎖に対する抗議行動が行われる。わかっているだけで、ローマ、モデナ、ボローニャ、ナポリ、ミラノ、パリ、ポワチエ、トゥールーズ、ストラスブルグ、ボルドー、ナント、オルレアン、クリーブランド、ボストン、フィラデルフィア、サンフランシスコ、ロンドン、モントリオール、ケープタウンなど(イタリアとフランスが非常に多い)。

話は冒頭の欧州議会副議長モルガンティーニ氏のステートメントに戻る。EUはイスラエルの封鎖政策を支持してきたはずなのだが、このステートメントでははっきりとそのことに対する批判が盛り込まれている。

「壁が倒れるときにはいつも自由の感覚がある。生きて行くのに不可欠な食糧や医薬品などを買うためにエジプトになだれこんだ男性たち、女性たちのガザ南部から届く映像はほかのどこにも見ることができない。4日間の完全な封鎖と停電、イスラエルによる非人間的な包囲の自然な結果として、その姿があるからだ。アッバス大統領が正しく公言したように、責任はイスラエルの政策にある。閉じ込められ、完全に人間性と国際法を無視して集団的に罰された檻から人々が完全に消耗しながらもボーダーを超えたのはイスラエルの政策ゆえなのだ」

モルガンティーニ氏は、ラファのボーダーを通じて物資と人々の通過に責任を持つはずのEUとエジプト(そして、中東和平のカルテット)が、その責任を果たしてこなかったと書く。

「私は心の底からラファのエジプトへのボーダーが即刻開き、イスラエルによる故意の封鎖(とその一時的な解除)ではなく、人々と物資の法的に自由な移動が確立されるのを願う。武器の密輸は爆撃や住民全体を野外監獄に閉じ込めることなしに止めることができる。

私はオルメルト政権がこのメッセージを受け取ることを願っている:ガザの封鎖を終わらせ、襲撃や軍事作戦を終わらせることだけが、双方の人々に安全を保障し、和平を達成することを尊重するのに必要な調和をもたらすのだ」

このような声がどんどん高まっているのを、イスラエル政府や米国政府はまたも無視して、突っ走ろうとするのだろうか。

☆イスラエル政府にたいして、声を届けてください。日本政府や米国政府にイスラエルの封鎖、攻撃を止めるように伝えてください。

イスラエル政府には 「End the siege on Gaza!」、「Don't Kill the Palestinians」、「Ceasefire now!」などの一言でも。

届け先一覧:http://palestine-heiwa.org/misc/kougi.html

P-navi info <http://0000000000.net/p-navi/info/>

Gazans continue to flow into Egypt, Israel says siege continues, Egypt sends troopsEU Press release on breach of the WAll in RafahWashington hampers UN decision against the Israeli siege of GazaUS stymies Security Council action on Gaza より)

追記: P-navi info、復旧しました。ここに代理投稿した記事はこれです。

2008年 1月 25日 午後 07:23 | | コメント (2) | トラックバック (0)

花の力

1967年10月22日。ベトナムからの撤兵を求めてアメリカ国防省前に集まった市民と軍の憲兵隊が対峙している。自分に向けられた銃口にカーネーションの花を挿す市民。この写真を撮った写真家が亡くなった。Bernie Boston さん、74歳だった。ワシントン・ポスト紙 "Bernie Boston, 74; Took Iconic 1967 Photograph"。

その年のピューリッツァー賞の次点作品となったこの "Flower Power" と題された写真に写っていたのは、George Harris さんという駆け出しの俳優で、1980年代に、流行し出したエイズで亡くなったそうだ(同じくワシントン・ポスト紙 "Flowers, Guns and an Iconic Snapshot")。

写真を撮った人も、写真の中の人も死んでしまったわけだけれど、戦争を止めようという意志は、私たちの中に受け継がれていると思う。

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2008年 1月 25日 午前 12:00 | | コメント (0) | トラックバック (1)

2008.01.24

先生の成績

New York Measuring Teachers by Test Scores - ニューヨーク市が、学校教員の評価の尺度として生徒の学力テストの結果が使えるかどうかを調べるため、市内の10%の学校を使って大規模な調査を行なっている。生徒の学習環境のさまざまな要因を数値化して学力テストの伸びを予測し、それを凌ぐ成績を生徒が出しているか、それとも成績がかんばしくないかを見て、給料などを傾斜配分することを考えているらしい。

記事の中で、生徒の学力テストの結果を見るという方法では、とても優れた教師やとてもひどい教師を見つけることはできるが、その他ほとんどの教師には順番を付けたりすることは無理だろうという意見が出ていた。そういうところに落ち着きそうな気がするが、制度としては、始めたら、全員を対象とした尺度化が一人歩きし始めてしまうだろう。

それよりもまず、生徒がテストでどんな成績を取るかより、もっとほかに教師には教えるべきことがあるという点を問題にすべきだと私は思う。効率のよい社会を作ることばかりに注目して、正義や友愛を育むことをないがしろにしているのではないか。

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2008年 1月 24日 午前 12:00 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2008.01.23

ピンクとグレー

Turkey: transsexuals take to the stage to defend their rights - トルコの首都アンカラ発AFP電。ゲイやトランスジェンダーの人たちが作る劇団が「ピンクとグレー」という劇を上演したという話を出発点に、トルコでLGBTの人たちが置かれている状況について伝えている。

トルコではオスマントルコ時代の宮廷で男色が広まっていたこともあり、同性愛への拒絶反応が強いイスラム社会の中で特殊な部分もあるが、やはりゲイやトランスジェンダーの人への偏見は強く、最近の調査では4人に3人が同性愛者は「嫌な感じがする」と答えている。トランスジェンダーの人たちには、セックス・ワーカーになるしか生活のつてが残されていない場合が多い。警官はトランスジェンダーの人たちを厳しい取り締まりの対象としていて、以前は暴行を加えることも多かったが、トルコがEU入りを目指し、人権に関する意識が高まってきたことから、最近は身体的な暴行ではなく、罰金などを科すことが多い。

記事には、楽屋の写真が1枚とステージの写真が2枚ついているが、劇の内容についてほとんど触れられていないのが残念な気がする。

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2008年 1月 23日 午前 01:08 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2008.01.22

老兵の言葉

France's oldest vet was critic of war - フランスで、Louis de Cazenave さんという老人が亡くなった。110歳だった。彼は第一次世界大戦(1914-18)で戦った兵隊だった。第一次世界大戦で兵役に就いて今でも生きているフランス人は、残りあと一人になってしまった。ロイター電は Cazenave さんの言葉を伝えている。

仏独の前線の間で横たわる傷痍兵の声を聞くべきだ。みんな母親を呼び求めていた。ひと思いに殺してくれと言っていた。
井戸に水を取りに行ったら、ドイツ兵がいた。そいつらに話しかけたんだ。そいつらは俺たちと全く同じだった。もう戦争はこりごりだと言うんだ。

彼はまた、愛国心とは何かと問われて、「人々に何でもがまんさせてしまうもの」と答えている。戦争はばからしく、意味がない。

戦争を正当化できるものなど何一つない。何一つ。

平和を守ろうとせず、戦争を美化するような人たちが世に数多くいることを苦々しく思いつつ、私はこの老兵の死を悼む。

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2008年 1月 22日 午前 01:08 | | コメント (0) | トラックバック (1)

2008.01.21

補給艦「おうみ」を止めよう

昨日(2008年1月20日)未明の共同通信電ほど、政府が私たちを屈辱的なほどにあざむいていることを示すものはないと思いました。

 新テロ対策特別措置法に基づく海上自衛隊のインド洋での給油活動について、日本政府が要求した使途の検証の明文化を米政府が拒み、給油に関する取り決め文書である日米の交換公文に盛り込まれないことが分かった。米側は「作戦行動に影響を及ぼし、現場の負担になる。決して受け入れられない」とはねつけた。複数の日米関係筋が19日、明らかにした。

つい先日(1月10日)の高村外務大臣の国会答弁(参議院外交防衛委員会)は何だったと言うのでしょうか:

 補給の対象になる艦船でありますが、これについては海上阻止活動にかかわる船である、そういうふうに限る、そして補給することがその海上阻止活動に資するようになる、そういうふうになるということを明確にするような交換公文を相手方政府とこれから交渉してまいりたいと、こういうふうに思っております。
 ただ、一片の文書を作ればそれでうまくいくという話ではなくて、あらゆる機会に相手方にそして現場の人にまでそういうことを徹底するように、そういうことを努力をしていきたいと、こういうふうに思っております。

石破防衛大臣も、1月11日の記者会見でこのように語っています:

私としては、再議決され再開されたからそれでめでたしということでは全くなくて、この議論を通じて明らかになった課題に対して、我々防衛省として本当にこれを真摯に受け止め、反映をさせていかなければならないと思っております。従いまして、転用の問題も指摘をされ、私どもとして合衆国の協力も得て、あるいは他国の協力も得て、誠心誠意転用はないということをお示しをしてきたのですけれども、これから先にそれを制度的にきちんと担保しなければいけないでしょう。あるいは補給の取り違え事案というものもありました。これは省内の体制というものをきちんとしていかなければならないと思っております。航泊日誌の誤破棄の問題もそうであります。従いまして、アカウンタビリティーと言うのか説明責任と言うのか、そのことをきちんと果たしていくことに万全を期したいと思っております

彼らが半月も経たぬうちにこれらの発言を翻すことを、私たちは絶対に許してはいけないと思います。多くの国民の反対を押し切って再開されようとしている自衛隊による補給活動は、燃料等の使途限定の明示化と検証手段の確保、説明責任なしには、行なってはなりません。これは派兵がいいか悪いかの問題だけではなく、大臣や国会議員のことを私たちがどのくらい信じて任せられるかの問題でもあります。

中日新聞に掲載された記事を見ると、疑惑は更に深まります:

 関係筋によると、日米の外交、防衛当局は、対テロ新法案が国会に提出された昨年10月から調整に着手した。
 日本側は提供した燃料の転用疑惑を踏まえ、対テロ新法の目的を明記するよう要求。米側は当初、目的外使用の禁止が明示されていなかった旧テロ対策特措法に基づく交換公文と同じ文言を主張した。
 日本側はその後、使途の検証ができるよう「日米両政府は法律の目的に合致することを担保するため、必要な調整を行う」との表現を盛り込むよう求めたが、米側は「艦船のタンクは空にならないため、給油量と、目的を限定した消費量を完全に合致させるのは不可能」と拒否。
 日本側が譲らなければ、海自の給油を受けないこともやむを得ないとけん制した。

高村外務大臣や石破防衛大臣は、上に引用した発言をした時、すでにアメリカが交換公文に使途検証を明記するつもりのないことを知っていて、素知らぬ顔をして嘘をついていたのではないでしょうか。

国会ではっきりさせてもらいましょう。そして、補給艦「おうみ」を止めましょう。

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2008年 1月 21日 午前 12:00 | | コメント (0) | トラックバック (2)

2008.01.20

やめよう、日比経済連携協定

3か月ほど前にフィリピンで日比経済連携協定(JPEPA)批准反対の意見が強まっていると書いたが、最近になって上院通商委員会の Manuel Roxas II 委員長が批准賛成の立場を明らかにしたことにより、批准される見込みが高まってきた。フィリピンの Inquirer 紙16日づけ "Roxas pushing for JPEPA ratification"。審議は28日に再開される。

不勉強で、前回記事を書いた時には知らなかったのだが、フィリピンにおける経済連携協定への反対の最大の理由は、環境汚染への懸念のようだ。協定(日本外務省のサイト)の29条に、両国が関税を撤廃すべき物品として「当該締約国における製造若しくは加工作業又は消費から生ずるくず及び廃品であって、処分又は原材料の回収のみに適するもの」「本来の目的を果たすことができず、かつ、回復又は修理が不可能な産品から、当該締約国において回収される部品又は原材料」が挙げられていることで、日本がフィリピンを産業廃棄物、放射性廃棄物などの「ゴミ捨て場」にしようとしているのではないかという不安がかき立てられたことによる。

昨年5月にフィリピンの Alberto Romulo 外務長官が来日した際、麻生太郎外務大臣(当時)が書簡で日本は有害な廃棄物を輸出しないと約束したということだが(フィリピン外務省の報道資料)、書簡そのものは公にされておらず、人々の疑念は払拭されていないようだ。

下の画像は条約批准反対派の市民団体 Magkaisa Junk JPEPA のサイトにあったものをお借りしている。辞書を引きながら考えるに、「ここにゴミを捨てるな! JPEPA破棄市民連合」と書いてあるようだ。遅ればせながら、私もここに連帯を表明する。

JPEPA反対

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2008年 1月 20日 午前 12:00 | | コメント (0) | トラックバック (1)

2008.01.19

スハルトを赦す

Forgive Suharto: E Timor president - 危篤に近い状態が続いているインドネシアのスハルト元大統領について、東ティモールのラモス・ホルタ大統領(1996年のノーベル平和賞受賞者)が「私たちは過去を忘れることはできない。しかし東ティモールは彼が死ぬ前に彼を赦すべきだ」と語ったことを伝えている。

スハルトのインドネシアは1975年に、ポルトガルから独立したばかりの東ティモールに侵攻し、占領した。1998年にスハルトが退陣に追い込まれた翌年、東ティモールは住民投票で圧倒的な多数で独立を選択した。その後のインドネシア軍や民兵による破壊行為によって多くの死者が出たことは記憶に新しい。

東ティモールでは、四半世紀近く続いたインドネシアによる占領のもと、住民の4分の1を超える約20万人が死んだと言われている。ラモス・ホルタ大統領自身、きょうだい4人を失っている。もちろん、スハルトをはじめとする政治家や軍人たちに対して、より厳しい裁きを求める声も根強く存在している。

赦すこと。過去の戦争犯罪について語る時にも、死刑について語る時にも、その難しさをだれもが噛みしめる。ラモス・ホルタの「彼が死ぬ前に彼を赦すべきだ」という言葉は、あまりにもあっけない感じさえする。

こんなふうにも考えられる。「彼が死ぬ前に彼を赦すべきだ」という命題は、「死ぬ前に彼らは謝るべきだ」とか、「彼女たちが死ぬ前に真実が明らかにされるべきだ」といった命題と切り離して論じることはできない。私たちの世界は、そういう命題の集合によって構成されている。

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2008年 1月 19日 午前 12:00 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2008.01.18

ミュージカル「アンネの日記」

「アンネの日記」がミュージカルになった。El Diario de Ana Frank の公式サイト(副題に「命の歌」 un canto a la vida とある)。来月の末にスペインのマドリッドで初演される。近年、アンネ・フランク財団は映画化等に消極的だったが(スピルバーグ監督は、依頼が断られたため、代わりに「シンドラーのリスト」を作ったらしい)、このミュージカルは財団公認の作品。主人公のアンネ役には、アメリカに亡命した13歳のキューバの女の子 Isabela Castillo さんが抜擢された。公開オーディションを勝ち抜いてきた人らしく、なかなかの歌唱力。

このミュージカルについては、Rue89 の16日づけの記事 "Anne Frank, héroïne d'une comédie musicale espagnole" で知った(Rue89のサイトは昨年、村野瀬玲奈さんに教えていただきました。ありがとうございました)。英語では先週ガーディアン紙が取り上げている

私は小学生の時に「アンネの日記」を読んだきりで、正直なところ、詳しい内容はほとんど覚えていない。「アンネの日記」を通じて、私は、自分と同じように怒ったり悲しんだり喜んだりしていた人を、何十万という殺された人の統計の一つの数字にしてしまう戦争や占領や民族差別といった暴力について学んだ。振り返って見れば、私はとても強い影響をこの本から受けたようだ。

そういう大切な本の話だから、彼女の同胞にあたる人たちがやっていることと同時に見ると、とても辛い。こちらは短い記事なので、訳してしまおう。イスラエルの人権団体 B'Tseleem の伝えるニュース。

2008年1月13日:イスラエル総理府総保安局長官の定義によれば、イスラエルによって殺されたいかなるパレスチナ人もテロリスト
原文

報道に寄れば、イスラエル総理府総保安局(Israel Security Agency = ISA)のユバル・ディスキン長官は今日の内閣閣議の席で、イスラエルはイ衛隊(Israel Defense Forces)とISAの作戦によって過去2年間にガザで1,000人のテロリストを殺したと述べた。

2006年、2007年にイスラエル治安部隊によって殺されたパレスチナ人の総数は816人である。このうち152人は未成年で、14歳未満の者も48人含まれていた。また、何ら敵対的な行動に関わっていなかった男女も多数、ガザで殺されている。どうやらISA長官はイスラエルによってガザで殺されたパレスチナ人すべてをテロリストと定義しているようだ。

この2年間にガザで殺された子どもたちの一部の名は次のとおり:マリア・アケル(5歳)、アヤ・アル・アステル(8歳)、ムハンド・アメン(6歳)、ヤヒア・アブ・サルミヤと、その弟ナスララー(9歳と5歳)、オサムネ家のマイサ、マリアム、サアド、マフムド(9か月から10歳まで)、ハディル・ギベン(7歳)、ガザル家のマフムドとサラ(8歳)。

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2008年 1月 18日 午前 12:00 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2008.01.17

豆腐スト

Tofu, tempeh disappear from dishes - ジャカルタ・ポスト紙の15日の記事。インドネシアの首都ジャカルタでは、高騰する大豆価格に抗議して、製造業者や販売業者がストライキを行なったため、14日から16日の3日間、豆腐やテンペが店先から姿を消した。

製造業者、販売業者ら約1万人によるデモも行なわれ、自由貿易政策を撤廃し、政府が大豆の価格管理を行なうことが要求された。1年前には大豆の卸価格はキロあたり3,300ルピアであったのに対し、現在は7,400ルピアまで値上がりしている。豆腐の価格も既に3倍程度にまではね上がっており、これ以上の値上げが難しいため、すでに赤字操業に追い込まれている業者もあるようだ。

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2008年 1月 17日 午前 12:00 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2008.01.16

社会主義の香り

Aaah! The sweet smell of socialism - 英ガーディアン紙の記事。スペインの連立与党の一つカタロニア社会党(Partit dels Socialistes de Catalunya = PSC)が「社会主義の香り」のする香水を発売しました。公式発表はこちらです。

地中海のハーブやフルーツ(特にベルガモット・オレンジや白茶)、そしてベースとして東洋の香りが混ざり合ったもので、信頼、平等、進歩と、無駄のなさを感じさせる、社会主義の価値観を表わしたものだそうです。

バルセロナの党本部や支部事務所等で販売されるとのこと。すごくほしいです。バルセロナに行く予定のかたがいらっしゃいましたら、買ってきていただけないでしょうか。

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2008年 1月 16日 午前 12:36 | | コメント (2) | トラックバック (2)

2008.01.15

パレスチナ人になる

イスラエルのハアレツ紙 "Israeli pianist Daniel Barenboim takes Palestinian citizenship"、エルサレム・ポスト紙 "Barenboim granted PA 'citizenship'"。故エドワード・サイードとの協力関係で有名な指揮者でピアニストのダニエル・バレンボイムさん(このブログには3年ぶりの登場です)がパレスチナの市民権を得た。イスラエル国籍を放棄するわけではないだろうから、象徴的な意味合いのものだが、バレンボイムさん自身は、イスラエル人である自分がパレスチナの旅券も持つことになるのは「イスラエルとパレスチナの共存のよい例となる」と語っている。「お互いとともに生きなくてはならないのは祝福だとも言えるだろうし呪いだとも言えるだろう。私は祝福だと考える」とも。

追記: nofrills さんが詳しい記事を書いていらっしゃいます

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2008年 1月 15日 午前 12:00 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2008.01.14

ホテル・ルワンダの後に

'Hotel Rwanda; the sequel' - Rusesabagina seeks truth and reconciliation for Rwanda - 映画「ホテル・ルワンダ」が描いたキガリの Des Mille Collines Hotel 支配人 Paul Rusesabagina さんに関する記事とビデオインタビュー。

現在、ルワンダではルセサバギナさんの名を聞くことはない。カガメ政権によって、反体制の要注意人物として扱われているからだ。彼の自伝は書店で見ることはできないし、ホテル・デミルコリンにも「ホテル・ルワンダ」を思い起こさせるものは何もない。

ルセサバギナさんはインタビューの中で、ルワンダでは真実と和解の話し合いが行なわれないまま時が過ぎてしまったと述べ、外からルワンダのことを見守る人々に、フツ族、ツチ族のどちらかの肩を持つのではなく、中立的にルワンダに関わってほしいと語っている。

記事はまた、政権よりか否か(あるいは、ツチ族であるか否か)が HIV/Aids の治療を受けられるかどうかに関係があること、地衛隊(local defense forces)と呼ばれる秘密警察があることなど、一見平穏な表面の下に潜むルワンダの危険を伝えている。

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2008年 1月 14日 午前 12:00 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2008.01.13

仏のハンスト、成功裡に終わる

OGM: le maïs Monsanto 810 fauché par des «doutes sérieux» - 仏リベラシオン紙がとてもいいニュースを伝えています。遺伝子組み換え作物(GMO)の禁止を求めて1月3日よりハンストを行なっていた José Bové さんら(このブログでは12月に報じました)の努力が実って、フランス政府が GMO のモラトリアムを継続することを決定しました。

ボヴェさんらが訴えていたのは、フランスで唯一認可されているモンサント社の MON 810 というトウモロコシの使用禁止(日本でも認可されているようです)。フランス政府は「安全性に重要な懸念がある」として、EUによる再評価が行なわれるまで作付けなどを禁止する安全策を発動しました。

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2008年 1月 13日 午前 12:00 | | コメント (0) | トラックバック (1)

2008.01.12

バグダッドは雪模様

Snow falls on Baghdad for first time in memory - ロイター電。11日の朝、バグダッドで雪が降った。人々の記憶では、みぞれが降ったことはあるが、雪は覚えている限り、初めて。そう言えば半年前にはアルゼンチンのブエノスアイレスで89年ぶりに雪が降った。気候変動がのっぴきならないところまで来ているのを感じる。

バグダッドの市民たちは、雪が「平和の兆し」だと言って喜んでいる。もしそうならば、私も、イラクのすべての町に、村に、何回も何センチも雪が降ることを強く祈ろう。雪よ、斃れた者の墓を白く覆え。冷たい空気よ、銃の引金にかけた指を凍てつかせてしまえ。子どもたちよ、安心して遊ぶがよい。大人たちよ、見知らぬ者に出会っても、「雪が降っちゃ、かないませんね」と、肩をすくめて挨拶を交わせ。

9日、WHOがイラク侵略以降の死者推計を発表した。WHOのサイトから当該論文(The New England Journal of Medicine に掲載された Iraq Family Health Survey Study Group の "Violence-Related Mortality in Iraq from 2002 to 2006")へのリンクがある。イラク全国を1,086の地域に分け、治安が比較的よかった89.4%の地域で聴き取り調査を行なったところ、人口1,000人あたりの死者は5.31、戦闘がらみの死者は1.09という結果が出た。調査の行えなかった地域の情報を補うなどして、全国的には戦闘がらみの死亡率は1.67(1.24から2.30の範囲)と推定し、それを実際の人口に適用して、151,000人(104,000人から223,000人の範囲)という推計が得られたようだ。

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2008年 1月 12日 午前 12:00 | | コメント (2) | トラックバック (0)

2008.01.11

エレーヌ・ベールの日記

フランスで、ナチス占領下のパリを生きた若いユダヤ人女性の日記が新たに出版され、大きな話題となっている。AP電 "Student's Diary Tells of Occupied Paris"、独シュピーゲル紙 "France's Own Anne Frank: Helene Berr's Holocaust Diary Flies Off the Shelves"、フランスのLe Point "Hélène Berr, l'autre Anne Frank" など。

日記の著者は、当時パリ大学で英文学を勉強していたエレーヌ・ベールさん。裕福なユダヤ人の家庭に生まれ、自由な生活を送っていたが、占領下、ユダヤ人たちが黄色いダビデの星を胸に付けることを強いられるようになったころから、彼女の暮らしに暗い影がしのび寄ってくる。やがて一家は逮捕され、強制収容所に移送される。第二次世界大戦末期、収容所が連合軍に解放されるほんの数日前に、エレーヌさんは病気によって息を引き取る。日記は何人かの知り合いの手を経て、フランスのホロコースト記念館 Mémorial de la Shoah に寄贈され、今回、出版の運びとなった。

アムステルダムの隠れ家で暮したアンネ・フランクと異なり、エレーヌさんは街を歩くことができた。また、大学生で、文学専攻だったこともあり、当時の雰囲気がとてもよく伝わってくる文章らしい。秋には英語での翻訳出版が決まっているほか、15か国で出版契約の話が進んでいるらしい。日本でも読めるようになることを切に願う。

出版社は Tallandier、 Journal d'Hélène Berr、ISBN 978-284734-500-1、定価20ユーロ。

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2008年 1月 11日 午前 12:00 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2008.01.10

ニュージャージーの奴隷制謝罪決議

1月7日、ニュージャージー州議会が奴隷制について公式な謝罪を決議した。AP電 "New Jersey apologizes for slavery"、日本語では共同電(リンク先は産経)。

ふだんから私は、日本が過去の戦争や植民地支配の中で行なった犯罪に真剣に向き合おうとしないことを残念に感じているので、この決議の話を聞いた時には、一世紀以上も昔のことになれば、もっと素直に謝れるようになるのかなあ、などと思った。

決議第270号を読んで、私の感想をちょっと軌道修正する必要を感じた。確かにこの決議は拉致されたアフリカ人たちの人間性を奪い、名前を奪い、レイプし、家族を離散させたことをはじめ、さまざまな奴隷制の悪をあばき、それに誠実に謝罪している。しかし、それだけでなく、この決議は第二次世界大戦当時や60年代の公民権運動の時代に至るまで、そして現代に至るまで、奴隷制の痕跡が存在し続け、それが日々、アフリカ系住民たちを苦しめていることを言挙げしているのである。この決議は、遠い過去のことを詫びるだけのものではない。決議は、また、これらの歴史について子どもたちが学ぶことの重要性も指摘している。

裁決は、下院で賛成59、反対8、棄権8。上院で賛成30、反対1。圧倒的多数での可決だ。なぜ私たちにはそれができないのだろう。

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2008年 1月 10日 午前 12:00 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2008.01.09

ピケは越さない

広く報じられているように、ゴールデン・グローブ賞の授賞式が今年は中止されることになりました(主催者 Hollywood Foreign Press Association の報道発表)。かねてからストライキ中である脚本家の組合(Writers Guild of America)に歩調を合わせて俳優の組合(Screen Actors Guild)が式のボイコットを呼びかけていたことが功を奏したもの。

「ピケを尊重する(do not cross picket lines)」、つまり労働者がストライキを行なっているところには入らないという倫理がアメリカ社会で今でも強く守られていることに感動しました。

私たちは、利便性とか秩序といった価値観の圧力に萎縮してしまって、働く人間としての誇りを失いがちです。自分自身の権利の主張も、闘う仲間への連帯も、声はなかなか上げられません。そんな中で、このニュースは労働運動が本来持つ力強さを思い出させてくれたように思います。

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2008年 1月 9日 午前 12:00 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2008.01.08

崩壊するアルゼンチンの平等社会

日本にいる私たちから見て地球の裏側にあるアルゼンチンは第二次世界大戦前は世界有数の経済大国で、一人あたりGDPは戦後1960年ごろまで日本よりも高かった(日本銀行のページにグラフがある)。

7日付けクリスチャン・サイエンス・モニター紙の "Class divide hardens for Argentina's growing poor" によれば、アルゼンチンでは1920年代から中流化が進み、70年代ぐらいまでは比較的均等な所得の配分が行なわれており、ラテンアメリカで際立って平等主義的な社会を形成していた。その後、政府の財政の失敗などにより生活は徐々に悪化していったが、アルゼンチン経済を崖から突き落としたのは90年代に進められた民営化(財界や自民党の言い方をまねれば、構造改革)と公教育の劣化であると記事の中で経済学者が語っている。

2001年の国家財政破綻を底に、徐々に経済は持ち直してきているとも言えるが、以前の姿に戻りつつあるとは言えず、格差の固定化の傾向が見られると言う。「お手伝いさんの子どもは、お手伝いさんにしかなれない」。アルゼンチンは「後ろ向きに歩みを進めている」と記事は結んでいる。

テレビのニュースを見ていたら、大企業の経営者たちが新しい年の経済とか株価とかについてインタビューに答えていた。一年の前半は横ばい、後半は緩やかに上昇だって。でも、もう少し大きな目で見たら、私たちも後ろ向きに歩んでいるんじゃないだろうか。

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2008年 1月 8日 午前 12:00 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2008.01.07

G8サミットまで半年です

洞爺湖サミットが半年後に迫ってきました。 …などと書くと、「断固阻止」の気概を示さなかったら最初から負けているではないかと叱咤されるでしょうか。私、軟弱です。

昨年のハイリゲンダム・サミットの一つの総括として、ドイツ連邦裁判所が4日、一つの判決を出しています。Deutsche Welle の "German Court Declares Massive Pre-G8 Police Raids Illegal"。サミットに先立ち、昨年5月9日に連邦検察当局により全国同時に大規模な家宅捜索が行なわれましたが、この捜査が違法であるという判決です。G8に反対し抗議行動を計画しているからというだけではテロリストと認定することはできず、連邦当局には捜査を実施する権限がないとされました。最近の連邦検察による目に余る越権行為に歯止めをかけるものとして、緑の党などが歓迎の声明を発表しています。

日本では先行き暗いです。5日の北海道新聞によれば、札幌市はサミット(7月7日-9日)の前後一か月近く(6月17日-7月11日)にわたり、市内中心部の公園で集会やイベントなどの開催を原則許可しない方針を決めたそうです。対象となるのは、中央区の大通公園、中島公園、円山公園。反対運動の状況によっては他の公園にも規制を広げる考えとのこと。「市民の安全を確保するため」だそうです。武力闘争的なものへの危惧は分からないでもないですが、その前に大資本によるグローバリゼーションそのものが市民の安全を脅かしているということについてはどう考えるつもりなのでしょう。

北海道新聞の別の記事では、NGOによるもう一つのサミットの企画が紹介されています。主催者として名前の挙がっている団体にリンクを張っておきます:G8サミットNGOフォーラムG8サミット市民フォーラム北海道です。

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2008年 1月 7日 午前 12:00 | | コメント (2) | トラックバック (0)

2008.01.06

今年のテキサス人

2007 DMN Texan of the Year: The Illegal Immigrant - テキサス州の新聞 The Dallas Morning News が12月30日、2007年のテキサスの顔を社説欄で発表した。選ばれたのは「不法滞在者」。メキシコに隣接するテキサス州には不法移民が多くいる。州人口の7%に上るとも言われている。不法移民が安価な賃金で働いていることによって経済、社会、生活が成り立っているという見方もできる。テキサスは元々メキシコ領だったこともあり、新たな来訪者を受容する側(アングロ)の文化と新たな来訪者(ラティーノ)の文化を厳格に線引きできるわけでもない。記事は、いい悪いを決めつけるのではなく、移民に敵対する側の意見も移民に同調する意見もバランスよく紹介している。

しかし、移民に敵対する側からは多くの抗議の声が寄せられ、新聞社は困惑している。AP電 "Illegal immigrant as 'Texan of the Year' prompts outcry in Dallas"。中には「今年のテキサス人」に選ばれたという見出しだけを見て、それが不法滞在者に栄誉を与えるものだと勘違いして文句を言ってくる人もいるらしいが、ダラス・モーニング・ニュースの編集部は、攻撃が性悪なことに驚いているらしい。まあ、どこの国でも右寄りの人のほうがそういう役回りだということなのだろう。

こんな記事(毎日新聞、5日)を読んだ後で、これを書いている:

法務省西日本入国管理センター(大阪府茨木市)は4日、収容中の20歳代のインド人男性が自殺したと発表した。男性は今月中にインドに送還される予定で、見つかった遺書には送還を悲しむ内容が記されていたという。

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2008年 1月 6日 午前 12:00 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2008.01.05

日常に戻る

ヴァラナシの日の出

インドから帰りました。写真はヴァラナシ(ベナレス)で見た日の出です。ヴァラナシ、すごくいいですよー。好き嫌いが大きく分かれそうな気がしますが、わたし的には超おすすめです。写真は、悲しいことに、旅行を通じてほとんどいいものが撮れませんでした。上のは、構図がありきたりだけど、きれいでしょう?

インドの印象。乾期だから仕方ないのかもしれませんが、どこもほこりっぽかったです。あと、道路で追い抜く時にクラクションを鳴らすのが礼儀らしく、喧噪がすごかったです。食べ物はおいしいです。でも、辛い物が苦手な人にはつまらないかもしれません。

食べ物に関しては、産地が近そう(フードマイレージが低そう)なのが印象的でした。日本にいると、地球の裏側から来た物がいくらでもありますからね。それとは対照的です。地元で生産された物のほうがいいということだけではなく、グローバリゼーションが進んでも物流は均衡的になるわけではなく、富める国は遠くからも買い付けることができるけど、貧しい国は外から買ってくることができないという、植民地からの収奪に似た状況が続くだろうということを感じました。

物乞いや物売りをする幼い子どもが多いのも目を引きました。「多い」と言っても、人口そのものが大きいので、ほんの一部分の子どもたちだけなのかもしれません。また、観光地や交差点など、とても戦略的に出現するので多く見えるのかもしれません。学校に行っていない、行くことができないこの子どもたちは大人になってからも不安定な雇用に苦しめられるのだと思います。貧困の緩和という社会全体の課題が実現されるのは、少なくとももう一世代後になってしまいそうです。

現代文学60選の記事を見ながら本屋にいくつか行ったのですが、英語の本が思ったほど買えなかったのも意外でした。英語自体、思ったほど(イギリスの植民地だったということから予想したほど)通じませんでした。これも教育の普及の不足によるのかもしれません。

昨年、年頭にあたってインドの作家アルンダティ・ロイさんの言葉を引きながら、誓いをたてました。その誓いに忠実に生きてきたとは思いますが、さりとて何か成果があったわけでもありません。今年も同じ思いで続けていきたいと思います。

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2008年 1月 5日 午前 12:00 | | コメント (4) | トラックバック (1)

2008.01.01

聖なる川のほとりにて

ヴァラナシの物乞い

ヴァラナシ(ベナレス)はヒンズー教の聖地。ガンジス川(ガンガー)の川べりで行なわれる夜明けの沐浴や、火葬や、夜の礼拝ショーを見て来ました。神々に向かう心で束ねられる多数の人々を見て、宗教を持たない私は少しうらやましく思いました。寺院で祝福を受けた印に眉間に赤い印を付けてもらいました。

ガイドをしてくれた人はヒンズー至上主義の政党 BJP の支持者でした。人柄はとてもよかったのですが、ムスリムに対する偏見もかなり強いようでしたし、「仏教はヒンズー教の一部」という考えでした(この考えをとると、カースト制度による抑圧から逃れるために仏教に改宗する人たちの権利が保障されなくなります)。また、インドとスリランカの間をつなぐ浅瀬ラム・セトゥのことを尋ねたら、本気で神が猿の軍団に作らせたものだと信じているようで、驚きました。先日のグジャラト州の選挙結果などを見れば、こういう考えの人はかなり多いのだと思います。とても危うい気がしました。

ヒンズーのイデオロギーは付帯的に不可触民ダリットの存在を規定します。道で物乞いをする人たちがダリットなのか、(他の)カーストの人たちなのかは私には分かりませんが、巡礼者や観光客が多いヴァラナシには、デリーよりもたくさんく物乞いがいるように思えます。今ひとつ、その生に迫る写真が撮れないのですが、とりあえず一枚。

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2008年 1月 1日 午後 11:01 | | コメント (0) | トラックバック (3)

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