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2007.10.11

ペルージャからアッシジへの道

Italians March for Peace - 今週の日曜日、イタリア中部の都市ペルージャから24キロ離れたアッシジまで、20万人の人が歩いた。この「平和の行進」は恒例の行事だそうで、今年は「戦争の不在」としての平和だけでなく、ガルトゥング的に言えば社会の構造的な暴力や文化的な暴力もない「積極的な平和」の実現がテーマとなったため、「平和と正義はともに歩む」「すべての人にすべての人権を」などといったプラカードが目立ったと言う。


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記事は、ヴィチェンツァのダルモリン米空軍基地移転反対運動からの参加者が、基地建設阻止は「予防戦争」ならぬ「予防平和」(pre-emptive peace)だと語ったことを伝えている。とても力強い概念だと思った。

デモでは、イタリア政府が国民総所得(GNI)の0.7%をODAにあてるべきだという提案が採択されたらしい。私の手元にある資料は少し古いが、イタリアのODAはGNIの0.20%。スウェーデン(1.03%)、オランダ(0.81%)には遠く及ばない。日本は0.25%でイタリアよりも若干GNI比率は高いが、借款が多く贈与が少ないので、援助の質はイタリアよりも低いらしい。

ペルージャとアッシジという地名を見て、聖フランシスコ(フランチェスコ)が「ほんとうの歓び」について語った話を思い出した。フランシスコは、どんなにたくさん有名な人や有力な人が自分の修道会に入ったとしても、それはほんとうの歓びではないと語る。では、ほんとうの歓びとはどんなものかと問われて、フランシスコは次のように答える。

「まあ、夜ふけにわたしがペルージアから戻って、ここに着いたとしましょう。冬で、しかも、ぬかるみがひどい上、寒さときたら着ている服の裾につららが垂れさがるほどきびしく、おまけにそれがわたしの足にあたるので、そこに傷がつき、血が流れる始末…

フランシスコは門を叩いて、開けてくれるように頼む。ようやく修道僧が一人出てくるが、どんなに頼んでも、追い払われてしまう。

「そんな具合になっても、わたしがなお辛抱強く、取り乱したり、怒らなかったなら、それこそが、ほんとうの歓びであり、ほんものの徳で、しかも魂の救いとなるのです」。
レオナルド・ボフ『アシジの貧者・解放の神学』エンデルレ書店、1985

私はおそらく本当の歓びを味わうこともできないだろうし、本物の徳を身につけることもできないだろう。しかし、このように語る人を愛しく思う時、それだけでも、とても大きな救いを感じる。

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2007年 10月 11日 午前 01:13 | | この月のアーカイブへ

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