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2007.08.31

日本のなしうるイラク支援を考える

Cancer in Iraq vets raises possibility of toxic exposure - Arizona Daily Star の記事。イラク戦争に従軍した地元出身のアメリカ兵が、帰国後、劇症の口腔がんを患って急死したことから、イラクで空気中の毒物にさらされた可能性を論じている。アメリカでは、がんを発症する帰還兵が増えているようだ。

記事では、イラクの戦場では危険要因と見なされるものがあまりにも多いため、何が原因かは分からないとしながらも、特に対戦車砲に用いられる劣化ウラン(DU)に疑惑の目を向けている。アメリカ軍や軍需産業を中心に、劣化ウランは健康被害をもたらさないとする「定説」が流布されているが(軍などの態度は枯れ葉剤エージェントオレンジの毒性を否定していた時の態度と極めて似ていると記事は指摘している)、連邦議会では独自の調査が行なわれていて、10月に報告書が提出される見込みだと報じている。また、劣化ウランに触れた可能性のある兵士に健康診断を受けさせる法案が順調に議会審議を経ていることが報じられている。

記事にはまた、イラク環境相が7月に、イラクへの攻撃による汚染によりイラク各地でがん患者が激増していると発言したとの記述がある。私の探し方が悪いのか、あまり大きな報道は見つけられなかったが、イラン国営テレビ "US offers Iraq cancer and deformity"、ロシアのノボスチ通信 "Iraqis blame U.S. depleted uranium for surge in cancer" などの記事があった。7月末のアラブ連盟の会議で、Nermin Othman 環境大臣がイラクの350か所が劣化ウランで汚染されていると発言したというものだ。

劣化ウランをはじめとして、アメリカや日本の参加する有志連合国が用いた兵器や、それがもたらした破壊による健康被害に関する疑念は、依然として人々の心、とりわけ現地イラクの人々の心に残ったままだ。日本政府はイラクの人道復興支援を謳っている。別にアメリカ兵を飛行機で運ぶことが唯一なしうる貢献ではなく、特措法に定める医療面での支援として、劣化ウランの危険性/安全性を検証するといったことも可能なのではないかと思った。

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2007年 8月 31日 午前 12:00 | | コメント (0) | トラックバック (1)

2007.08.30

ペルー、地震、音楽

私が愛して止まない歌手にスサナ・バカ(Susana Baca)さんという人がいる。アフロ・ペルー(afroperuano, Afro-Peruvian)、つまり南米ペルーに拉致されてきたアフリカ人奴隷の子孫たちを代表する音楽家だ。

今月15日に発生したマグニチュード8.0の大地震は、ペルーの黒人文化の中心地を直撃したらしい。ロサンジェルス・タイムズ紙の27日の記事 "Landmarks battered in Peru" は、首都リマの南東約200キロにあるエル・カルメン(El Carmen)という街を取材している。

Map of Peruエル・カルメンとその周辺の沿岸地域は、アフリカからの奴隷、先住民、ヨーロッパからの入植者、労働者として移民してきた中国人などが混ざり合って、独特な多様性に富んだ文化を形作っているらしい。なるほど、地元紙の写真を見ると、いろいろな顔の人がいる。

この街に住むアフロ・ペルー音楽の大御所 Amador Ballumbrosio さんは、家が「荒波の中の小舟のように」揺れたと語っている。エル・カルメンでは、死者こそ出なかったものの、1万人以上が家を失った。教会の鐘楼が崩れ落ちた(街の人たち - carmelitanos と呼ばれる - は、だれも命を落とさなかったのは、街の守護聖人である聖母マリアのおかげだと語っている)。まだ立っている家々も、壁に割れ目が入っていたりして、住める状態ではない。

記事の中で、スサナ・バカさんがインタビューに応じて語っている:「地震は、アフロ・ペルーのコミュニティに甚大な被害を与えました。世界中から友人が電話をかけてきてくれて、何ができるかと聞いてくれます。再建のために、みんなの力が必要だと答えています」。記者は、再建には何年もの月日が必要であるように見受けられる、と書いている。

被災地に入った国境なき医師団からの通信には、「地震発生から約2週間が経ちましたが、各国のメディアは既に被災者の状況を報じなくなっています。その一方で、現地を去る援助団体も出始めています。しかし国境なき医師団のスタッフは、援助を切実に必要としながら忘れ去られている人びとを目の当たりにしています。」

忘れてしまうには、まだ早すぎる。

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2007年 8月 30日 午前 12:00 | | コメント (0) | トラックバック (1)

2007.08.29

「ルポ最底辺」を読んだ

生田武志『ルポ最底辺―不安定就労と野宿』(ちくま新書、2007年8月)。読み終わって表紙をもう一度見たら、読みながら付箋をつけた文章がそこに書かれていた。少し長めに引用してみる。

かつて「20世紀は難民の世紀である」といわれた。だが、冗談抜きで「21世紀はホームレスの世紀」となる可能性がある。「究極の貧困」としての野宿者問題の解決には、日本内部だけでなく世界的な「国家・資本・家族」の構造的変容を視野におさめる必要があるだろう。世界的な南北問題へのオルタナティヴ(対抗運動)を、「国家・資本・家族」に代わるグローバルな人間の「つながり」の下に作り出すことが求められているのである。

この文章は「野宿者問題の未来へ」と題された最終章からのもの。本全体としては、このような理論的な文章の重ねられたものではないので、紹介文に引用するのには適していないかもしれない。

本の前半は、著者が夜回り活動の中で出会った野宿者(ホームレス)の姿や、著者自身が釜ヶ崎で日雇い労働をしていたころの経験に基づく不安定就労者の生活実態、そして繰り返される若者による野宿者襲撃事件の話が書いてある。私は何度も、目に涙が浮かんで来て、読み進められなくなった。同情を誘われるからというのではなく、情景そのものが凄まじいのだ。

後半は、行政の姿勢だとか、女性の野宿者やフリーター、ネットカフェ難民など、ごく最近、注目を集め出した事象に関して、どちらかと言えば淡々と記述されている。そして、先ほど引用したような社会問題としてのまとめと展望が来る。この段階で、私たち読者は、まわりに野宿者への偏見を持つ人がいたらそれを諫めたり、日常の言説の中で野宿者のことを話題にして政治的な課題にしたり、といった働きができるようになったと言えるかもしれない。

そして、短い「おわりに」が、引用したある意味で頭でっかちな文章をそのまま繰り返すのではなく、関わりの原点に戻って行動するように私にし向ける。そうなのだ。そこから始めなくてはならない。

今、この記事を書くなら、生田さんの本とは直接関係はないにせよ、釜ヶ崎パトロールの会のNさんが逮捕拘束されたことに言及するべきだろう。旗旗ブログに続報がある。「弾圧に屈せず、どーんと跳ね返」そう!

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2007年 8月 29日 午前 12:00 | | コメント (3) | トラックバック (6)

2007.08.28

ラトガーズ大の労使合意に学ぶ

アメリカ東部のニュージャージーの州立大学である Rutgers University で今月、非常に重要かつ画期的な労働契約が締結された。いくつか注目すべき点があるが、最も重要だと私が考えるのは、今後4年間でテニュア付きのポジション(任期制ではない教員職)を100人ぶん増やすことを大学側が約束している点である。

大学教員労組の全国団体 AAUP が、これを歓迎する声明を出し、「数字だけではなく、原理原則の問題に関しても強く交渉を行なってきた」ことの成果だとしている。

AAUP の声明や地元の The Star-Ledger 紙の記事によれば、今回の契約では、テニュア付き教員職を増やす以外にも、今後4年間で人件費を25%増額すること、大学院生でTA職にある者の健康保険を大学側が全学負担することなど、極めて革新的で、他の教育機関に働く者にとっても示唆に富む内容が多い。

大学側も組合側も、これらの条件改善が質の高い教員や大学院生の確保につながると考えているようだ。組合側は、また、この契約締結をてこに、非常勤講師の契約もまとめる意気込みである。

日本とアメリカでは労働法制が違うので、ラトガーズでできたことが、そっくりそのまま日本の大学でできるわけではないが、日本の大学の組合も経営陣も、このニュースをよく研究する必要があると思う。

日本では、組合が「任期制ではない職を増やせ」といった要求を出したら、経営側は「それは経営方針の問題で、労働条件の問題ではないから、交渉の場になじまない」などと言って、話し合いに応じないだろうと思う。任期制とか外部委託などによって教育の質が低下してしまうことについて、かねてから組合側は警鐘を鳴らしてきた。大学の経営者たちは、その声にちゃんと耳を傾けるべきである。

組合も、例えば、ラトガーズの組合が専任だけでなく非常勤講師の労使交渉にも関わっていることにも注目する必要がある。非常勤講師や嘱託講師は大学における「非正規労働者」だ。専任教員の属する組合には加入が認められていない場合が多い。しかし、その声をしっかりと掬い上げることなくして、労働者の代表を名乗ることはできないように思う。日本最大の労働センターである連合も非正規労働者の支援を新たな活動方針の中心に据えたと聞く。大学の組合も、それに倣うべきではないか。

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2007年 8月 28日 午前 12:00 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2007.08.27

来たりて我が灯火となれ

インドのコルカタで長年、貧しい人たちの救済にたずさわり、10年前に亡くなったカトリックの修道女マザー・テレサの書簡集が発行されるとのことで、TIME 紙に "Mother Teresa's Crisis of Faith" (マザー・テレサの信仰の危機)という記事が載っている。AFP電で知った。

私たちに見せていた姿、あるいは私たちの思いこみとは裏腹に、マザー・テレサは神の存在 を懐疑し、深い悩みの中にあったことが、この書簡集 Mother Teresa: Come Be My Light で明らかになる。彼女が告解のために何人かの聖職者に宛てて書いた手紙を集めたこの本は、マザー・テレサを聖者の列に加えようとする彼女の修道院が資料収集する中から生まれた。書簡集に目を通したカトリック神学者は、この本が聖アウグスティヌスの『告白』に並び立つような重要な著作になるかもしれないと語っている(TIMEの記事ページ1)。

マザー・テレサが貧しい人たちの中で活動しようと思い立ったのは、彼女の夢の中にキリストが現われ、キリストが貧しい街の最も恵まれない人たちのところという暗闇に入っていくにあたり、彼女に向かって「来て、私の光となりなさい」と語ったことによる。1946年9月10日のことだという(ページ2)。

Mother Teresa教会関係者らを説得し、事業は首尾良く始まる。しかし、彼女にあれほどまでに親しく語りかけてきた神は、彼女の前から忽然と姿を消してしまう。彼女が感じるのは、闇と冷たさと空虚さだけである(ページ3)。それは、彼女が自分の成功について驕り高ぶらないために自らに課した罰だったのだろうか(ページ4)。

やがて彼女は、自分を取り巻く暗い夜が、十字架にかけられたイエス・キリストの苦しみと同じものであることに気づく。神の不在を感じるのは、「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」と叫ぶイエス(マタイ27章46節他)を追体験することなのだ(ページ5)。

マザー・テレサは、自分の手紙が世に残されぬように願った。人々の関心がイエスではなく自分に向いてしまうのが、いけないことだと考えたからだ。しかし、彼女の悩み、苦しみを知ることは、彼女のように聖ではない、ごく普通の人たちに勇気を与えてくれるのである(ページ6)。

マザー・テレサの信仰や行動には、さまざまな解釈(肯定的なものも否定的なものも)を与えることができるだろう。神を見つけられず、声を聞くことのできない「暗い夜」を生きていたことは、また新たな意味づけへの道を開くのかもしれない。その類の議論に足を突っこまぬように慎重に書きたいが、彼女と私との間の距離が思いのほか近かったことに、救われたような、幸せな感じがした。

貧しき人たちに、そして貧しき人たちとともにいる人たちに、祝福がありますように。

写真は carinasuyin さんが Flickr で CC-by-nc-nd で公開しているもの

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2007年 8月 27日 午前 12:00 | | コメント (4) | トラックバック (1)

2007.08.26

OOXMLの行方

Civil Society Warns Microsoft - アフリカ諸国の市民団体の連合体が、マイクロソフトの提唱する Office Open XML (OOXML) を国際標準規格(ISO)として採用すべきでないとの意見を出したことを伝えています。マイクロソフトの提案(ヨーロッパでの規格名 ECMA-376 とか、DIS 29500 と呼ばれるみたいです)は、9月2日に ISO で採決が行なわれるのだそうです。

マイクロソフトのクリップアートOOXML はマイクロソフトのオフィス2007で使われているフォーマットで(先日、初めて .docx 拡張子のファイルをもらいました)、一私企業の規格が標準としてふさわしいかとか、十分に情報公開がなされていない、などの問題点が指摘されているようです。最近の報道を見ると、アメリカでは、国土安全保障省が賛成、国防省が反対と政府内でも意見が割れて(ZDNet UK)、アメリカ政府は棄権を予定しています。中国では国内の企業が政府に対して反対の姿勢をとるように強く求めています(人民網、前半後半。記事によると、中国には OOXML の競争相手 ODF = Open Document Format に似た UOF = Unified Office document Format という文書規格があるようです)。インドは国内の委員会が満場一致で反対することを決定しました(Indiatimes の記事)。インドの記事によると、日本も(カナダ、チェコ、イラン、リビア、キューバ、ニュージーランド、イギリスとともに)反対に回るだろうとされています。棄権すると見られているのはベルギー、フィンランド、イタリア、スペイン、ブラジル、シンガポール、韓国、フランス、オーストラリア。賛成している国としては、マレーシア、デンマーク、スイスぐらいしか名前があがっていません。

主権国家が資本による「帝国」的グローバリゼーションを押しとどめている図式、かな。

ちなみに私は筋金入りの反資本主義者ではないので、Windows XP と Office 2003 を使っています。マイクロソフトには頭が上がらないので、自ずとあまり批判的ではない書き方になりました。先ほど書いた .docx のファイルは、2007 互換機能パックというのをインストールしていたので、読むことができました。上の絵は、マイクロソフトのクリップアートのサイトから。個人的なウェブページに使用可で、著作権表示も必要ないとのことでした。

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2007年 8月 26日 午前 12:00 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2007.08.25

緩いパンツ

Proposal would ban underwear-exposing pants - アメリカ南部のジョージア州 The Atlanta Journal-Constitution 紙の記事。AP電からたどりました。アトランタでは、だぼだぼのパンツをはいて下着が見えるようなファッションを市の条例で禁止しようという提案がされていることを伝えています。提案では、公共の場でのはしたない下着の露出を禁止するので、ブラのストラップを見せているなどというのも取り締まりの対象となるようです。

とりあえず想像通りと言うか、「だらしがない」「小さい子どもが真似して悪影響」みたいな話で、人々の反応を追った翌日の記事 "Reaction mixed over proposed baggy britches ban" にもあるように、「たしかにちょっと乱れすぎなので、いい考えだ」という賛成意見も多い一方、「表現の自由の侵害だ」といった反対意見もあるようです。

人権団体の ACLU の話、そして地元のヒップホップ・アーティストの話として、この服装規程は、若い黒人男性を狙い撃ちにしたものだという意見が出ています。緩いジーンズというファッションは、逮捕され監獄に入れられると、ベルトを取り上げられ、はいているパンツがずるずるっと落ちた感じになるのが起源。若者たちは釈放後に「ベルトは取られたがプライドは取られていない」ことを示すために、そのまま、ずり落ちたままのパンツをはいたのだと説明されています。今ではこの着こなしはヒップホップ文化の一部であり、それを禁止する条例を作るのは、人種的なプロファイリングを助長し、余分な職務質問をする機会を警察に与えるだけだ、と主張されています。

「ベルトは取られたがプライドは取られていない」という部分(原文では、"personal power" なのですが、訳としては「プライド」がぴったりすると思います)にとても感動し、この記事を紹介します。社会の秩序を作っていく上で、警察というものの有用性を否定するつもりはありませんが、その権力が恣意的な弾圧や排除に向けられることもあることを私たちは知っています。あなたも私も、この言葉を思い出したい時が来るかもしれません。

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8月25日夜追記: 最後の段落にリンクを追加しました。

2007年 8月 25日 午前 12:00 | | コメント (1) | トラックバック (1)

2007.08.24

慟哭

通勤時には、音楽やポッドキャストを聞いている。Democracy Now! で、23日はちょうど80年前にボストンで Nicola Sacco と Bartolomeo Vanzetti が処刑された日だということを知った(ニューヨークタイムズ紙の当時の記事が読める)。

家に帰ったら、この日の朝、私たちの国で3件の死刑が執行されたことを知り、茫然とした。

世界中が冤罪について思い出す日の死刑執行。昨年暮れのクリスマス処刑に続き、選ぶ日に何か象徴的な意味がこめられているのかもしれない。どんな意味なのか、私には分からない。

死刑制度の廃止は、とても難しい問題だ。議論して人の意見を変えさせようと思う力は私にはない。人の命という側面に限っても、自殺もダメと言う人もいるし、戦争だってOKと言う人もいる。それらの要素を整理しないで、実のある議論などできるわけがないと思う。今は、自分の中で、80年前の話を消化したいと願うばかりだ。…というわけで、死刑制度を存続させるべきだという意見の人は、コメントやトラックバックをご遠慮ください。

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2007年 8月 24日 午前 12:00 | | コメント (0) | トラックバック (5)

2007.08.23

バングラデシュで軍の立ち退きを求める学生運動起こる

バングラデシュのダッカ大学で、大規模な学生、教職員の抗議行動が起きて、構内に駐とんしていた陸軍部隊が撤収するという事態に進展しています。20日、21日と、数千人規模の学生デモ隊と警察、軍の間で衝突が続き、150人以上の学生が負傷した模様。学生側は投石、車両への放火などを行ない、政府側は女子学生寮に催涙弾を打ち込むなどの応戦を行なっているようです。抗議行動はバングラデシュ国内の多くの大学に飛び火し、水曜日には全国的な学生ストが実施されたようです。バングラデシュの The Daily Star 紙の記事 "Day of fury, pitched battle" によれば、学生たちは国内の教育機関全ての敷地からの軍隊の撤退を要求しており、教職員組合などもこれに歩調を合わせています。

今回の抗議行動のきっかけは、月曜日にダッカ大学のグラウンドで行なわれたサッカー試合の後、駐とんしていた部隊の兵士が学生に暴行を加えたことのようで(The Bangladesh Today の火曜日の記事)、ある意味「些細な」ことだったのだと思いますが、一日後にはダッカ市内の他大学に、二日後には全国的な行動にまで発展したことは、注目すべきことだと思います。

バングラデシュでは、昨年の政治的な緊張を経て、今年はじめに軍部の傀儡のような政権が発足しました。7月以降は、近年来最悪の水害に見舞われており、非常事態の名の下に軍政の強化が行なわれていることに対する市民の不満が募っていることが、今回の抗議行動の広がりの速さの原因でしょう。でも、それにしても、横の連携とかがうまくいっているようなのに驚かされます。今後、政権を揺るがす動きにまで発展するのか、逆に、参加者への弾圧などを懸念すべきなのか、私には分かりませんが、しばらく注目が必要です。

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2007年 8月 23日 午前 12:00 | | コメント (2) | トラックバック (3)

2007.08.22

美しい街へ

看板やネオンサインをすべてやめることにした都市の話です。Utne Reader の "Sao Paulo: The Ad-Free City" という記事(8月16日付け)で知りました。

ブラジルのサンパウロでは、昨年秋に都市美観条例(Lei Cidade Limpa, PL 379/06)が可決され、今年初めから屋外の広告が全面的に禁止されたそうです。もちろん広告業者は腹を立てていて、サンパウロ市全体で約1億5千万円の広告料収入がなくなり、2万人が失業すると主張しています(サンパウロの人口は約1,100万人)。しかし、市民は7割以上が屋外広告全面禁止に賛成と語っている、と伝えています。「視覚への公害」と呼んで看板禁止を主張した Gilberto Kassab 市長は、かなり右寄りの政治家のようですが(看板禁止についても、「これはファッショだ」という批判があるようです)、反対運動の先鋒となっているのも保守層、特にアメリカのメディア大手 Clear Channel Communications (右翼的な番組を流すラジオ局を多く保有しています)だそうです。

Utne の記事からは、企業広告に反対する団体の機関誌 Adbusters 最新号の "São Paulo: A City Without Ads" という記事と、広告撤去後の街の様子を写した Tony de Marco さんの Flickr 写真集にリンクが張られています。

この条例については、昨年12月にヘラトリ(全部カタカナで書いたら、ものすごく長くなってびっくりしたので、ちょっとキザっぽい略称を使ってみました。あ、こんなこと書いていたら、余計長くなってしまった)が "Billboard ban in São Paulo angers advertisers" (前半後半)という記事で取り上げています。地元の雑誌の編集部の人が「私企業の利益に対して公益が勝った、めずらしい例だ」と持ち上げていたり、商工会議所の人が「この過激な条例は市場経済や法治主義の尊重というルールを損なうものだ。私たちは消費者社会に生きているのであり、資本主義の神髄は情報と製品が入手可能であることだ」と息巻いていたり、なかなか臨場感あふれる報道です。

条例は、猶予期間を経て、4月1日から本格的に施行されたようですが、6月18日付けでビジネス・ウィークが街の様子を報道しています ― "São Paulo: The City That Said No To Advertising"前半後半。ヘラトリの記事には、条例が市議会では45対1で可決されたことが書かれていますが、唯一の反対票を投じた議員が広告会社の重役だということは、こちらの記事を読んで初めて分かります。ここらへん、とても勉強になりました。記事は、看板やネオンがなくなることで、「北朝鮮や東欧の共産主義国」のような街並みになってしまうのではないかと心配する声や、ホームレスや、スラム街(favelas)など、もっと取り組むべき課題は他にあるのではないかといった声が紹介されています。写真では、看板だけが撤去されて、広告塔の骨組みが残っているような様子がうかがえますが、「まだ、みんな、この条例が続くかどうか見守っているところなのです。ブラジルでは、法律ができると、本当に実行されるのか、みんなしばらく様子を見るんですよ」という説明もあります。

奇しくも、3年前2年前にコメントをいただいたことのあるかたが書いている「ブラジル・サンパウロから世界へ、そして渋谷」ブログに、20日付けで美観条例についての記事がありました。街の中の、小さい店の装飾の変化が写真で示されていて、必見です。全然きれいになっていないというか、よけいケバケバしていますねぇ。

ところで、安倍政権の支持率回復のために、日本全国でネオンサインの禁止とかを提唱してみるのはどうでしょうか。「看板を全面禁止」だと「やり方が強引だ」と批判されるので、ネオンだけ。「美しい国」という、かねてからの安倍首相の主張にも整合すると思います。さらに、ネオンを禁止すれば、二酸化炭素の排出が減り、京都議定書遵守という国際的な公約達成にもはずみが付きます。酷暑の中、原発の停止で電力の安定供給が危ぶまれていることに関しても「緊急時に指導力を発揮」することにもなります。もちろん「ネオンを減らすと、街が暗くなって、犯罪が増加する」という声が必ず出ます。そこはすかさず、すべての街角に自衛官を立たせて治安を守るというのを提案する… もし自民党本部のかたがこれを読んでいたら、ご連絡ください。

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2007年 8月 22日 午前 12:00 | | コメント (0) | トラックバック (1)

2007.08.21

旅と人権

For Globe-Trotting Germans, a Call to Be More Critical Abroad ― Deutsche Welle の記事。ドイツ外務省の Günter Nooke 人権人道支援担当官が海外旅行をするドイツ人に対して、人権侵害の懸念される国に行く場合は、物見遊山をするだけでなく、社会や政治の状況について批判的な態度をとり、発言していくように求めたことについて報じています。

記事によれば、ノーケ担当官(旧東独出身、中道右派のキリスト教民主同盟に所属)が名指しで挙げた国は、キューバ、メキシコ、エジプト、タイ、トルコ、ケニヤ、メキシコ(なぜかもう一度言及されています)、ドミニカ共和国、インドネシアです。これらの国が人権面で一番悪いというのではなく、ドイツ人がよく行く旅行先のうちで悪いのは、と理解すべきなのでしょう。これらの国々に行くことを控えろというのではなく、状況をよく把握しておいて、現地の人と検閲、報道の自由、拷問などについて話す機会を持つべきだ、という趣旨での発言だと書かれています。ドイツ外務省のサイトでは、8月10日付けの短い報道発表を見つけましたが、詳しいことは分かりませんでした。

この発言に対する反応として、アムネスティ・インターナショナルなどの団体から、そういう話をすると、旅行者自身には問題がふりかかって来ないにしても、話の相手をした現地の人が公安警察に目をつけられて迷惑になる国があるので気をつけるべきだとか、旅行者向けに開発されたリゾート地などの場合は、環境破壊、地域社会の破壊、非合法な労働条件など、旅行者の目には直接触れない形で、旅行自体が人権侵害につながっている場合がある、などのコメントが紹介されています。また、以前に比べ、パックツアーではなく自力で旅をする人も多くなってきているので、人道問題などに目が行くような旅行も着実に増えているといった意見も紹介されています。

(自分の価値観を他の社会の人に押しつけることにならないように云々という点には触れられていません。このことは注目すべきところなのかな。それだけヨーロッパ的な人権の概念の普遍性に自信があるということか。そういえば死刑制度については触れられていないなとか、いろいろ考えすぎています。)

英語では、このほかに、ファイナンシャル・タイムズの記事 "German tourists urged to be rights pests"がありました。ノーケ発言の中から、具体例として、エジプトで「なぜ非常事態宣言が80年代から出たままになっているのですか」と聞くとか、来年、北京オリンピックに行ったら、現地の人権活動家と会ってみるのはどうか、などの提案が引用されています(ちなみにこの記事は、最初出た版では、アムネスティの人がこの発言について「とてもうれしい」と反応したと書いてあるのですが、翌日にその部分が削除されて再配信されています。アメリカでは削除される前に配信されたものが出回っているみたい。あ、また考えすぎています)。

ノーケ担当官の提案にある「現地の人と人権問題について話してみる」は、私自身、旅先でいつも、おそるおそる実践していることなのですが、あまり深いところまで話が持って行けないんですよね。どこの国でだったか、「そうなんですよ。この国では、選挙があると言っても、投票箱がガラス張りじゃないんですよ。信じられますか?」と言われ、「いや、日本も金属製なんです」という情けない会話になったこともあります。私が何か気づくきっかけになったのだから、その旅には大いに価値はあったわけですけれど。

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2007年 8月 21日 午前 12:00 | | コメント (0) | トラックバック (2)

2007.08.20

オペラと麻薬

ちょうど2年前に、サンサーンスの書いた麻薬が出てくるオペラについての記事を書きました。この時期は「オペラ」と「麻薬」にまつわる話が出回る季節なのかもしれません。

"Angst, drugs and alcohol: that's opera" ― 英オブザーバ紙の記事。過酷なスケジュールや過度な期待などのため、オペラ歌手の中には麻薬を用いる人が増えていると伝えています。麻薬のほかにも、緊張や不安を和らげるためにベータ遮断薬を使ったり、高域の声量を得るためにステロイド剤を使ったりといったことも日常茶飯のようです。金儲けのために歌手たちが酷使されているのが原因だと説明されています。

さて、オペラと言えば、恒例だったヴェルディの初演シリーズが終わってしまったびわ湖ホールでは今年の秋にツェムリンスキーの「こびと」が上演されます。チケットは買いましたが、(予習のための)CDはまだ買っていません。この作品、あらすじを読むと、かなり怖いです。

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2007年 8月 20日 午前 12:00 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2007.08.19

現代インド文学60選

Just the write stuff ― インドの Hindustan Times 紙がインド独立60周年にちなんで選んだ現代(独立後)インド文学60選。

検索してみると、英語版がなさそうなものも多いのですが、読めるものは読んでみたいです。と言うか、このリストの中では私はサルマン・ラシュディー「真夜中の子どもたち」とアルンダティ・ロイ「小さき者たちの神」しか読んだことがありません。タゴールとか、(まあ、インドの作家ではありませんが)ナイポールを読んでいないのは、ちょっと恥ずかしいかも。

「このほかにも、こんないい本がある」「この本は日本語でも翻訳が出ている」「インドの本なら、ここで買える」とか、「インドに行ったら、この本屋に行くとよい」みたいな情報を募集中です。

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2007年 8月 19日 午前 12:00 | | コメント (3) | トラックバック (0)

2007.08.18

ナチスドイツの兵隊だった人

Judge orders deportation of Mass. man accused of Nazi involvement ― AP電。1950年にアメリカに移住した91歳の男性(92歳という報道もある)が、第2次世界大戦中、ナチスドイツの志願兵としてワルシャワのゲットー掃討作戦に関わったことが明らかになったとして、アメリカの市民権を剥奪され、出生地であるリトアニアに強制送還されることになったことを伝えている。

この男性は、リトアニア陸軍兵であったが、1940年、ソ連がリトアニアを併合するとソ連軍に所属し、ドイツ軍の捕虜となり、1942年にポーランドの Trawniki にある SS のキャンプで志願兵となり、ナチスによる「ユダヤ人問題の最終的解決」の一部としてのワルシャワ・ゲットーに対する攻撃に参加した。アメリカに移住した際、そして1956年にアメリカ国籍を取得した際、トラヴニキ部隊の志願兵であったことを隠していたらしい。

「弱いちっぽけな人間として、その時代に他にどのような生き方ができたと言うのか」という問いは妥当なものだと思うが、その答えである「いや、そのような状況のもとでも、民族差別を是認し、無辜の市民を殺害するような道を選ぶことは許されない」という命題も、おそらく正しいのだろう。そして、人道に対する罪は、どんなに時間が経っても、どんなに歳をとっても、それを犯した人について回るようだ。

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2007年 8月 18日 午前 12:00 | | コメント (2) | トラックバック (1)

2007.08.17

インドから何を学ぶか

インドの独立60周年に際し、アマルティア・センさんが The Hindu 紙に「世界の中のインド(India in the world)」という文章を寄せている。

センさんは、ガンディーという卓越した指導者に率いられていたこともありインドの独立が世界から注目され、アジアやアフリカの植民地に独立の希望を与えたことや、その後も南アフリカでのアパルトヘイト廃止を求める動きに連帯したり、アメリカのベトナムへの侵略に強く反対したり、独裁政権と闘うビルマの民衆を支援したりする中で、非同盟運動の先頭にあったことを高く評価している。1974年に核実験に成功しながらも核武装の道を(最近まで)選ばなかったことも、インドの優れた点であると言える。

それらと比較して最近のインドは世界に対して「無関心」であり「ビジョン」を欠いているとセンさんは見ている。今のインドはビルマの軍事政権とも交渉を持ち、中国と競ってスーダンに武器を供給している。しかし、こういった倫理性の欠如を市場経済万能主義の当然の帰結であるとする考えを、経済学者であるセンさんは否定する。歴史上、市場経済と社会的な正義の両立を唱えた経済学者も存在したからだ。

無関心の殻を打ち破り、世界に貢献するインドを夢見ながらも、センさんは、今も結果的にインドが世界に貢献している例として、IT産業の興隆と並んで、安価なエイズ治療薬の生産、供給を行なっている製薬部門を挙げている。

さらに、世界がインドから学び得る事象として、センさんは注目すべき統計に言及している。インドの都市、特にコルカタ(Kolkata =カルカッタ)は、極度に貧しいにも関わらず、凶悪犯罪、特に殺人が非常に少ないのだ。人口10万人あたりの殺人はわずかに0.3件。これに対し、リオデジャネイロは34.9件、ヨハネスブルクは21.5件、ロサンジェルスは8.8件、パリは2.3件、東京でも1.0件だ。殺人事件の少なさでコルカタに迫るのは、香港、シンガポールの0.5件ぐらい。

何がコルカタの犯罪率を低くしているかは明らかではない。センさんは、異なる言語の話者、民族が肩を寄せ合って暮らしていること、経済的な不満を政治にしっかりと反映させようという気風があることなどを、推測の中で挙げている。

私たちはインドから何を学ぶのだろう。幅広い多様性を有した巨大なインド。もしかすると、「インドから学ぶ」などと、把握可能なひとかたまりのように語ることも、ためらいを要するのかもしれない。

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2007年 8月 17日 午前 12:00 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2007.08.16

佐藤正久発言は国会で真相究明を

新たに参議院議員となった人たちがはじめて登院した日、新聞にこう書いてあった。

自民党比例区で当選した元陸上自衛隊イラク派遣先遣隊長の佐藤正久氏(46)は正門で約10秒間、敬礼をした。3年前のこの日にイラクから帰国。「灼熱と砂嵐のイラクから、今度は逆風の吹き荒れる新たな戦場に到着した思いだ」と顔を引き締めた。

「新たな戦場」という表現に、自分がイラク特措法の定めに従って「非戦闘地域」に派遣されていたことを自覚していない、「兵隊」としての自分に酔った鼻持ちならぬ人物を私は見たのだけれど、彼にそう言わしめたのは自己憧憬ではなく、人々を欺こうとする不誠実さ、あるいはあえて法律を破ろうとする犯罪性だったらしい。

佐藤氏は、もしオランダ軍が攻撃を受ければ、「情報収集の名目で現場に駆けつけ、あえて巻き込まれる」という状況を作り出すことで、憲法に違反しない形で警護するつもりだったといいます。
「巻き込まれない限りは正当防衛・緊急避難の状況は作れませんから。」
TBS「「駆けつけ警護」認めるべきで一致」、2007年8月11日

憲法が交戦権を認めていないだけでなく、派兵の根拠法であるイラク特措法も、基本原則の一つとして「実施は、武力による威嚇又は武力の行使に当たるものであってはならない」ということを明確に定めている(第2条)。第17条では、

「自己又は自己と共に現場に所在する他の自衛隊員(自衛隊法第二条第五項 に規定する隊員をいう。)、イラク復興支援職員若しくはその職務を行うに伴い自己の管理の下に入った者の生命又は身体を防衛するためやむを得ない必要があると認める相当の理由がある場合には、その事態に応じ合理的に必要と判断される限度で」

のみ武器の使用が可能であると限定しているほか、

「当該現場に在る上官は、統制を欠いた武器の使用によりかえって生命若しくは身体に対する危険又は事態の混乱を招くこととなることを未然に防止し、当該武器の使用が同項及び次項の規定に従いその目的の範囲内において適正に行われることを確保する見地から必要な命令をするものとする」

としている。国会での政府答弁でも、石破防衛庁長官(当時)が以下のように述べている。

活動を実施する自衛官は、いわゆる非戦闘地域内において活動を実施するといたしましても、不測の事態に遭遇する可能性が全く排除されるわけではございません。そのため、当該自衛官は、自己等を防衛するため、やむを得ない理由がある場合には、その事態に応じ合理的に必要と判断される限度で武器を使用することができ、そのために必要とされる武器を携行するのでございます。
これらの措置等により、派遣される自衛隊員の安全確保には特に万全を期してまいりたいと考えております。
2003年6月24日衆議院本会議

部隊を率いていた者には、オランダ軍への攻撃に「巻き込まれ」ないように最善の努力をする任務、自衛隊員の安全確保に万全を期すことこそが課されていたのであり、「巻き込まれる」ことを予測して行動すること(予測なり意図なりがあれば、事態は「不測」ではなくなってしまう)は許されていない。

問題は思い上がった暴走する一士官だったのか、それとも自衛隊ぐるみ、あるいは政府ぐるみのシナリオがあったのか。今の時点では分からない。蜥蜴の尻尾切りのような形ではなく、だれがどのように考えていたのか、何をしようとしていたのかをしっかりと解き明かしていく必要がある。秋の国会で証人を呼び、話を聞かせてもらおうではないか。

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ぐうたらな普段の私に似合わず、トラックバックをたくさん送ろうと思います。

2007年 8月 16日 午前 12:00 | | コメント (8) | トラックバック (13)

2007.08.15

夏淑琴さんの話を聞く

2007年8月13日、私は京都の洛陽教会で開かれた「夏淑琴さん・証言の夕べ」に参加しました。夏淑琴さんは70年前の日本軍による南京大虐殺の生き証人です。主催は旧日本軍性奴隷問題の解決を求める全国同時企画・京都実行委員会。

夏淑琴(xia4 shu2 qin2)さんの証言は本多勝一『南京への道』(朝日文庫版では pp.197-203)などで、ネットでは「南京事件資料集」のページ、「南京事件-日中戦争・小さな資料集」のページなどで読むことができます。京都での集いでは、1937年12月13日に彼女が遭遇した暴行虐殺事件当日の話に加え、その後、難民区に保護された時に世話をしてくれたラーベ、マギーなどの人物の名を南京虐殺60周年の写真展で知ったこと、日本の右翼が彼女を「にせ証人」呼ばわりしていることに関する名誉毀損裁判のことなどをお話しくださいました。

私事になりますが、私は小学6年の時に母を亡くし、父が再婚した後は父ともあまり話をしなくなったので、子どものころの出来事を思い出させてくれる人がおらず、当時の夏さんの年齢である7、8歳のころのことは、ほとんど覚えていません。そのことを手がかりに孤児になった夏さんの記憶の状態を推測する時、細部があいまいであることをあげつらって「にせ証人」だと決めつける人たちは、さぞかし幸せな家に育ったのだろうと、うらやましくさえ思います。いえ、実際のところ、私も含め今の平和な日本に生きる私たちは夏さんの何倍も何十倍も幸せなのです。

集いには、礼拝堂をほぼいっぱいにする100人近くの人が参加していました。主催者のかたがたが、南京大虐殺にしろ慰安婦問題にしろ、生き残った人たちがかなりのお歳になってきたことで、生の証言を聞く機会は今が最後になりつつあると話していらっしゃいました。このような機会を大切にせねば。会場に向かって歩いている時、同じく洛陽教会を探している大学生に会いました。お話の間、彼女は熱心にノートをとっていました。若い彼女に負けず、私も語り継いでいく人になりたいと思います。

語れば語るほど辛いだろう話を聞かせてくださった夏淑琴さんに、そして集会を企画してくださったかたがたに感謝します。私は、この集会のことを三条大橋の上で配られていたビラで知りました。地道な活動が決して無駄になっていないことも、あわせてお伝えしたいと思います。

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2007年 8月 15日 午前 12:00 | | コメント (0) | トラックバック (1)

2007.08.14

ニャイ・オントソロ

昨年亡くなったインドネシアの国民的作家プラムディアの代表作「人間の大地(Bumi Manusia)」に主人公 Minke に次ぐ中心的な人物として登場するオントソロ夫人(Nyai Ontosoroh)を描いた劇がジャカルタで上演されているそうです。

12日付けジャカルタ・ポスト紙の "'Nyai Ontosoroh' to be staged in Jakarta" によれば、Faiza Mardzoeki さんが Pramoedya の小説を脚本化したもの。主演は Happy Salma さん、監督は Wawan Sofwan さん、などとされています。ここが公式サイトのようです。

19世紀末から20世紀初頭にかけ、オランダの植民地であったジャワ島で、オランダ人入植者メレルマの現地妻であった女性が、知識と教養を身につけ、ジャワ人としての尊厳や母親としての権利を求めて、偏見や植民地主義の不正義と闘い、主人公のミンケに強く影響を与える話です。どんな芝居になっているのかなあと、考えただけでもわくわくします。

ジャカルタでの公演に先立ち、今年になってインドネシア各地でさまざまな劇団が Nyai Ontosoroh を上演してきたそうです。4月に行なわれた Bandar Lampung での公演の評(ジャカルタ・ポスト、4月21日付け)は「女性の権利や自分の価値のために闘うという理想に心を寄せる人ならだれでもこの劇を近しく感じるであろう」という言葉で結ばれています。

日本語では、「ガドガド」というブログに記事がありました(昨年12月ごく最近)。

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2007年 8月 14日 午前 12:00 | | コメント (0) | トラックバック (1)

2007.08.13

フリーダ・カーロの手紙

メキシコの画家で、亡命中のトロツキーと恋仲でもあったというフリーダ・カーロの手紙が新たに出版されるらしい。英ガーディアン紙の "Frida Kahlo's last secret finally revealed"。

文通の相手は Leo Eloesser さんという医師で、20年にわたり、親友として、心に秘めた悩み、悲しみなどを打ち明けていたらしい。手紙の最初には、いつも「親愛なるお医者さま」Doctorcito querido と書かれていたため、それが今回出版される書簡集の題名にもなっている。スペイン語と英語の2言語並記という形で編集されているらしい。

スペイン語での報道を見ると、Eloesser さんはアメリカのサンフランシスコ在住の外科医だったらしい。本のタイトルは 'Querido doctorcito. Frida Kahlo y Leo Eloesser, correspondencia'スペインのエルムンド紙)。8月15日に発行の予定で(24 Horas、ペルーのサイトのようだ)、出版社は Equilibrista というところ(メキシコの左派系新聞 La Jornada の記事)だが、サイトにはまだこの本の紹介はない。

今年はフリーダの生誕100周年で、メキシコ市の Palacio de Bellas Artes で、ゆかりの品などが今月19日まで展示されているとのことだ。

3年前、没後50周年の時には、私はこんな記事を書いていた。

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2007年 8月 13日 午前 12:00 | | コメント (2) | トラックバック (0)

2007.08.12

シエラ・レオーネの選挙と音楽

西アフリカのシエラ・レオーネでは、大統領選挙と国会議員選挙が行なわれている。1990年代の大半を内戦に費やし、平和を取り戻してからまだ数年のこの国で、引退する Ahmed Tejan Kabbah に代わる指導者が平和的、民主的に選ばれるかどうかに関心が集まっている。アルジャジーラの "Polls Open In Sierra Leone" などによれば、前夜までの選挙戦でも心配された武力衝突などは起きず、心配なのはむしろ天候だとのこと。

英インディペンデント紙 "Musical battle for power in Sierra Leone" によれば、与野党とも、音楽による票の掘り起こしに力を入れていたらしく、与党 Sierra Leone People's Party は、"We Na De Landlord" (大家に出て行けとは言えない)、野党の一つ People's Movement for Democratic Change は "U Don Eat?"(汚職)などの曲で有権者に訴えているという。

昨年、中米ニカラグアの選挙の時には、サンディニスタのウェブサイトで音楽がたくさんダウンロードできたのですが、シエラ・レオーネの政党のウェブサイトには音楽は置いていないみたいですね。

シエラ・レオーネは音楽が盛んな国らしく、内戦で難民になった人たちの作ったバンドが世界的に有名になりましたよね。Sierra Leone's Refugee All Stars。去年、来日公演をしていたのだそうです。映画が先月、東京の難民映画祭で上映されたという話も発見。

伝統的な楽器の音の聴けるページもありました。

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2007年 8月 12日 午前 12:00 | | コメント (0) | トラックバック (1)

2007.08.11

大統領選では同性婚は進みそうにない

Dems walk fine line at gay issues forum ― 2008年の米大統領選に向けて、民主党の主な大統領候補6名がゲイ団体 Human Rights Campaign 主催のテレビ討論会に参加しました。残念ながら、あまり盛り上がらなかったようです。勝ち目のなさそうな Mike Gravel 元上院議員(かねてから私はこの人にとても好印象を持っています)と Dennis Kucinich 下院議員が同性婚に賛成の立場を明確にしたのに対し、より有力な4人の候補は民事婚(civil union)までしか認めない立場を明らかにしたそうです。

Bill Richardson ニューメキシコ州知事は、Melissa Etheridge さんの「同性愛は、生まれつきのものだと思いますか、それとも同性愛を選択するのだと思いますか」という質問に「選択だと思う」と答え、会場からは非難の声もあがったとのこと。メリッサが、質問が誤解されたと思って聞き直したとあるように、ちょっとこれは無理解な世間のレベルに合わせた意地悪な質問という気がしないでもありません。同性愛であれ異性愛であれ、選択を重ねることによって、その人の人生はできあがっていくのだから。

Barack Obama 上院議員は、1960年代の公民権運動の時代に、黒人と白人の間の婚姻を認めるべきだという点に焦点を絞って運動を進めるのが適当ではなかったように、同性婚の是非だけを問題にすべきではないという意見を述べたそうです。同性婚を認める立場の人がこれを言うなら分かるけど、認めない人がこんなこと言うのは、なんか変ですよね。

ゲイのメディアでは、Washington Blade に記事があります。

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2007年 8月 11日 午前 12:00 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2007.08.10

マレコン通りの黒い旗

ハバナの黒旗ハバナの海岸道路マレコン通り沿いに、アメリカ合衆国の利益代表部があります。写真はその建物の真ん前になびく黒い旗。旗の真ん中には白い星が染め抜かれています。全部で138本あります。建物との位置関係はこんな感じです。

2006年の1月に、アメリカ国務省は建物の上部に設置した電光掲示板でキューバ政府が人権抑圧を行なっているというメッセージを流し始めました。旗のモニュメントは、キューバ政府がそれに対抗して2006年2月に建てたものです(ロイター電 "Castro flies the flag in defiance of US messages")。ただならぬ怒り、強固な意志、不撓不屈の精神を感じました。

旗の数の138という数字は、当時の宗主国スペインに対する植民地キューバの独立運動が起こった1868年から現在までの年数だそうです。それだけの年数、キューバはアメリカに干渉され、実質支配され、経済封鎖によって発展を阻害されてきたという訴えなのでしょう。

第二次世界大戦前の日本は、アメリカ(やヨーロッパ)から経済的に追い込まれたと言い訳して身勝手な侵略戦争を始めました。戦後は一貫してアメリカに従順に隷属してきました。そのどちらでもない道を歩んできたキューバという小さな国を私は愛しく感じました。

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2007年 8月 10日 午前 12:00 | | コメント (2) | トラックバック (0)

2007.08.09

キューバを象徴する

キューバに行く決心をしたのは、フィデル・カストロ(6日に一年ぶりにテレビでインタビューが放映されたそうです)が生きているうちに行ってみたい、社会主義の国を見てみたい、という思いからでした。所詮、観光旅行なので、胸を張って「見てきたぞ」と言えるようなわけではないのですが。

フィデルについての個人崇拝的な要素はものすごく少ないように見えました。昨年行った南アフリカではムベキ大統領の写真をわりと多く見たのですが、それより少ないと思います。独裁色がより強く、指導者の写真がたくさん見られるシリア、エジプト、イランなどとは大きく違います。81歳になった彼が今後どれだけ指導力を発揮できるのか、どれくらいの間それができるのか、分かりませんが、「フィデル・カストロ」を象徴的に用いて体制を維持していこうとは考えられていないように思えました。むしろ、国民を信頼して、国民が賢明な判断のもとに社会主義体制を選択し(続け)ていくことを期待しているようでした。私には、アメリカの帝国主義の力、商業主義の幻惑を前に、これはちょっと甘い期待のようにも思えます。

街でフィデルよりもよく顔を見かけるのはホセ・マルティでしょうか。20世紀初頭の独立運動の指導者です。彼には、アメリカ合衆国や帝国主義などに対する独立の象徴の役割(今後、この重みはさらに増していくことでしょう)とともに、カストロやゲバラによる1959年の革命(マルクス・レーニン主義に基づく政権の樹立)に先立ちブルジョワ革命(奴隷制の廃止などによる市民的社会の確立)を起こしたという現社会主義体制の歴史的必然性の証しとしての役割が与えられているように思いました。

そして、何よりも強い象徴性を担わされているのは、チェ・ゲバラです。外国人旅行者向けの品々があふれているだけでなく(私は中学生の時に「ゲバラ日記」(ボリビア日記)を読んで以来、彼を意識して生きてきたのですが、その私でもげんなりするほど、国中で彼の顔を見ました)、市民にも、革命の理念の象徴として、そして社会主義体制下の労働者「新しい人間」の理想として、普及し、そして愛されているようでした。紙幣(3兌換ペソ札)や街の壁に絵が描かれているだけでなく、腕に彼の顔絵の入れ墨をしている人などもいました。

写真はハバナにある有名なアイスクリームの店コッペリアに飾られたチェ。一般市民は長蛇の列の末にアイスクリームを食べることができるのですが、外国人観光客は特別な受付があって、並ばずにアイスクリームを楽しむことができます。楽をして座って食べ始めた途端、目の前にチェがいて、とても複雑な気分になりました。

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2007年 8月 9日 午前 12:00 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2007.08.08

バスを待ちました

3年ほど前に、『バスを待ちながら』というキューバ映画をここで紹介したことがあります。おんぼろバスが壊れてしまって、どこにも行けなくなった人たちが手を取り合って停留所に夢のような共同体を作っていくという設定の素敵な映画です。実際、キューバでは、アメリカによる経済封鎖で、映画『アメリカン・グラフィティ』に出てくるような古い車(この喩え自体が既に古い感じもしますが)がたくさん走っています。

今回の旅行では、ハバナから車で3時間ぐらいのところにあるユネスコ世界遺産であるビニャーレス渓谷という景勝地に行く日帰りのバスツアーに参加しました。

朝7時半にバスがホテルに来ることになっていたのですが、7時45分になっても迎えが来ないのでホテルの人に尋ねたら、「よくあることだから心配するな」と言われました。さすがラテンアメリカだと感心しました。

8時ごろ旅行代理店から電話が入り、バスの故障で遅れていて、あと30分ほどで着くとのこと。30分とは1時間半の意味らしく、バス(すごく新しかったです)が来たのは当初予定から2時間遅れの9時半でした。バスを待つ気分、満喫です。

5時半ごろ、人里離れた鍾乳洞の見学からバスに戻ると、バスが故障で動かなくなってしまったことが分かりました。ツアーのガイドさんはスペイン語と英語で説明をしていたのですが、圧倒的にスペイン語話者が多い(約30名)ので、その対応に追われ、英語が必要な4名には何が起こっているのかほとんど分かりません。英語を話せるメキシコ人が見かねて、いろいろと訳してくれました。映画みたいに連帯感の高まりも経験できました。

ビニャーレスでバスを待ちながら写真は、修理のためにトラクターとバスをケーブルでつないで何かやっているところです。結局うまくいかず、別のバスを手配することになりました。最初は写真のように、みんな面白がっていたのですが、日が暮れてくるとだんだん心細くなって、家畜を載せるトラックなどが通るたびに、かわるがわる「あれに乗ってハバナに帰りたい」といったことを口にしていました。

ある人が「払い戻しになるのか」とガイドさんに聞いたら、ガイドの人は20分ほど、彼女たちの世代は資本主義を知っているが子どもたちの世代は資本主義を知らないとか、キューバの経済はもっと力があるのに経済封鎖で停滞しているとか、キューバ市民は常に物事にはいい面も悪い面もあると認識しながら暮らしているとか、熱弁をふるいました。私のスペイン語では10%も分からないので、払い戻しが期待できないことは分かりましたが、これらがどういう道理で払い戻しできない理由になっているのかは分かりませんでした。

でも、「外国語を聞き流すだけで、ある日突然しゃべれるようになる」という広告にも一理あるかなと思ったのですが、この20分あまりの演説を聞いた後、「すみません、トイレはどこですか」「この道をまっすぐ行って、右に曲がって、突き当たりです」「ありがとうございます」「あなたが使うのですか」「はい」「じゃあ、そのへんの草むらでいいじゃないですか」「それはちょっと」「何を恥ずかしがっているんですか」「いや、やっぱり遠慮しときます」というやり取りがスムーズにできるようになっていました。1か月も住んだら、ぺらぺらになるんじゃないかなと思いました。まあ、映画と同じように、夢のような話です。

日も落ちた8時ごろ、代替のバスが到着しました。バスが動かなくなったと分かってから2時間半。早いんだか遅いんだか、もう何も分かりません。とにかく、やっと、ハバナへの帰途につきました。

と思ったら、なぜかハバナ市に入る付近で3台目のバスに乗り換えました。11時半、ホテルに帰着。計画が予定より遅れるのはキューバに限ったことではないと思いますが、何ともキューバっぽい一日でした。

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2007年 8月 8日 午前 12:00 | | コメント (5) | トラックバック (0)

2007.08.06

帰途

キューバ旅行からの帰り道、テキサス州ヒューストンの空港にいます。Eメールやウェブを見ないで一週間も過ごすなんて、20年ぶりでした(私の最初のメールアドレスは、".bitnet" でした)。まあ、旅路という非日常の中にいるからか、ネットがなくても禁断症状など起こらず、「私もまだまだ大丈夫」と、自分の人間性(?)を確認しました。

実は、泊まっていたホテルにはインターネットにつながった端末が一台あって、一時間約アメリカ$6で使えました。触ってみたのですが、日本語のフォントは入っておらず、接続が遅いのでダウンロードもままならず、さらに用意周到にUSBメモリにフォントを入れていったのですが、USB端子が背面にしかなかったので、机の下にもぐりこんで作業する勇気がなく、あきらめました。

Trinidad, Cuba写真はキューバの南岸、カリブ海に面したトリニダーという街で撮ったものです。素敵に撮れたかなと思ったのですが、こうやって見ると、あまりにも構図がありきたりですね。いずれにせよ、のんびりとした感じ、人のよさみたいなものが通じるといいのですが。

何かと出来事続きの旅でした。いや、まだ家に帰り着いたわけではないから、過去形は不適切かな。今も、成田行きの便が遅れていて、出発時間の発表を待っているところです。

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2007年 8月 6日 午前 01:24 | | コメント (4) | トラックバック (0)

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