「カシオペアの風」を読んだ
野里征彦さんの『カシオペアの風』を読みました。上野公園のテントの布をたたく雨粒の音で目を覚ました杉崎信博は野宿を始めたばかりの元証券ディーラー。同僚と設立した会社がバブル崩壊とともに立ち行かなくなり、借金に押しつぶされ、五十代半ばでホームレスになります。公園にはさまざまな人たちが暮らしています。元中学校教師。詩を愛する口べたな若者。一攫千金を夢見て宝くじにすべてをつぎ込んでしまう男。火事で家族を一瞬にして失ってしまい、それ以来、屋根の下では眠ることができなくなった男。夫に内緒でサラ金から借りた金が返せなくなって家に帰れない女。彼らの間を、ゆっくりと流れる時のように物語は進んでいきます。
ある日の明け方、杉崎は故郷の夢を見ます。彼に故郷を思い出させたのは、彼が敷いていた段ボールに残っているりんごの匂い。彼の故郷岩手から出荷されたその箱には「カシオペアの風おくります」と印刷してありました。懐かしさから、数年ぶりに杉崎は実家に電話をかけます。ここで物語は大きく動きますが、著者の眼はどこまでも優しさに満ちたまま、杉崎の生活を追います。
ホームレスになって三回目の冬がやってきて、そこからは目も止まらぬような速さで話が展開し、それまでのゆったりした優しい文体に慣れていた私は大きく戸惑いましたが、最後にはまた、爽やかなカシオペアの風が吹きます。
…という紹介では、何も分からないでしょうね。もしあなたが、ホリエモンだの村上ファンドだののニュースを聞かされるたびにシラケてしまう人、次に引用する文章に少しでも共感を覚える人であれば、きっと読んでよかったと思うと思います。杉崎が羽振りよく証券の仕事をしていたころを振り返っている場面です。
だが果たしてあれは充実した生活だったのだろうか。確かに景気がよく流れに乗ったときはかなりの収入があり、今のように他人から蔑視されるということもない生活だった。
けれども心のどこかに絶えず満たされない気分がわだかまっていたことも紛れもない事実であった。現状に満足できず、いま以上にもっとまとまった金を作って、いつか現状から逃れたいという気持ちが常に宿っていたことを忘れてはいない。
こんな仕事はどこかが間違っていると、心の隅っこの方でもう一人の自分が絶えず叫んでいたのだ。
あの時の自分は、いま以上に家族を愛していただろうか。妻にやさしかっただろうか。他人にたいして、今よりやさしい人間らしい気持ちを持っていただろうか。
こうやって抜き出してしまうと、ちょっとお説教っぽく聞こえるかもしれませんが、話の流れの中では、だれでも本当に自然にそんな気持ちになれると思います。物語の中で、私の感覚では「奇跡」と呼びたくなるような瞬間が2回ありますが、どちらも、人々の優しさがつながるとこんなことも起こるのだろうなあと、自然な形で受け入れてしまいました。文体が飾り気がないだけに、さらっと読めてしまいますが、すごく考え抜いた上で書かれた作品だと思います。
2007年 2月 9日 午前 12:00 | Permalink | この月のアーカイブへ
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◆◆日本がリスクと共に暮らす、世界では普通の社会への入り口にあることが分かる。もし、再チャレンジなり、トランス・モダン社会での民主社会主義が生まれるなら、チャベス氏等と同様に、筋金入りの『庶民』『社会から見放された階級』からの出身者によって実行されるだろう。その時には、現職の国会議員は全て御祓箱だ。by Kaisetsu
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壊れる前に…
2007.02.09
「カシオペアの風」を読んだ
(抜粋)
野里征彦さんの『カシオペアの風』を読みました。上野公園のテント... 続きを読む
受信: 2007/02/09 2:23:41
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コメント
別件ですが、アインシュタインのエネルギー方程式と運動エネルギーの公式について書きました。
運動方程式のイデア界方程式は?
http://theory.platonicsynergy.org/?eid=470814
* 2007.02.09 Friday
* 超越性の哲学
* 02:06
* by 明日野甘頓
◆壊れる前に…の何処かで、この相関性について、書かれていると思いますが、具体的な内容は思い出せません。
投稿: akehino | 2007/02/09 4:09:52
akehinoさん、
うーん、人違いだと思います。平和学のガルトゥングの「超越」について書いたことはありますが… アインシュタインについては、猫が好きだったという話を書いた記憶があるけど、関係なさそうだし…
投稿: うに | 2007/02/09 8:54:08