歴史に身を連ねる
「日本は長い歴史を持つ国だ」といった表現がよくなされ、私たちはそれを信じ込んでいるけれど、本当にそうなのかだれもが疑ってみるべきだと思う。「大和民族が日本の国を統治してきたことは歴史的に間違いない事実。極めて同質的な国」「悠久の歴史の中で、日本は日本人がずっと治めてきた」などという俗説しか語れない文科大臣には、とりあえず網野善彦さんの『「日本」とは何か』でも読んで勉強してもらうこととして、もっと歴史も長く、もっとまともな政治家がいる国に目を転じてみよう。
アメリカのバージニア州は、最初の入植地 Jamestown ができてから今年は400年目にあたる記念の年を迎えている。そのバージニア州議会で、奴隷制や先住民への迫害に関して州の責任を認識し、深い遺憾の念を表明する宣言が決議された(州都リッチモンドの Times Dispatch 紙の記事、英BBCの記事)。アメリカの州議会での決議としては初めてのものらしい。「黒人は奴隷制のことにいつまでもこだわるべきではない」という発言が飛び出して物議を醸したり、「反省」「謝罪」「遺憾」などの語句でいろいろなやり取りがあったようだが、最終的には全員一致で採択されたそうだ。
与党共和党議員団の代表が次のように発言している:「自分たちの歴史の中の、よいこと、すばらしいことを祝おうというのなら、自分たちの歴史の中であまりよくなかった部分についても認めなくてはならない」。だから、400周年という祝いの年にこの議決を行なうのはとてもふさわしいことなのだ、と。
歴史に自らを連ねる者は、過去への責任も引き受けなくてはならないと私は思う。アメリカでともかくも奴隷制が廃止されたのは1865年の(日本では南北戦争と呼ばれている)内戦終結時のことだ。今回の議決は、この今から140年ほど前の分水嶺を足がかりとして、400年の歴史を引き受けたものと言うことができるかもしれない。視線を私たちの日本に戻せば、第二次世界大戦終結の1945年を足がかりにして、いわゆる大政奉還の1867年ごろまでの歴史を引き受けるのがやっと、といったところではないだろうか。そう考えた時、私たちが身を連ねることが許される日本の歴史はとても短い。もちろん、植民地支配やアジア太平洋戦争のもとでの侵略にまつわる責任さえ引き受けるつもりのない人たちには、「悠久の歴史」などを口にする資格などない。
2007年 2月 27日 午前 12:00 | Permalink | この月のアーカイブへ
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コメント
日本人が自分は一体何者?と、その民族的ルーツを含め自らに問い始めたのは明治以降のことだったのではないでしょうか。開国して否応なく欧米の近代文明に対峙させられ、必死になってキャッチアップの道を突き進んできた。
遅れてきた帝国であったということもあり、しゃにむに他国を植民地に置くことで対抗しようとしたのでしょう、その結果内外に多くの悲惨な歴史を刻んできてしまった。
その過程で民族的アイデンティティーを確立するために捏造されたのが「悠久の歴史の中で、日本は日本人がずっと治めてきた」などといった民族的優位性であり、八紘一宇という擬制だったのでしょう。
>歴史に自らを連ねる者は、過去への責任も引き受けなくてはならないと私は思う。
日本人たるもの、好むと好まざるに関係なく、うにさんの物言いに同意せざるを得ないという“覚悟”というものが問われているようです。
投稿: ペンギン | 2007/03/01 22:22:15
ペンギンさん、コメントありがとうございます。
私たちが信じ込まされてきた日本像、伊吹文科大臣が信じていると思われる日本像が、いろいろな点で虚像にすぎないことを、私は網野さんの本を読んで知りました。
そういったことに関して、誠実に向き合っていきたいと思います。
投稿: うに | 2007/03/02 0:14:51