行くべきか、行かざるべきか
昨年、南アフリカに行った時、ケープタウンとヨハネスブルグのタウンシップ(いわゆる黒人スラム街)に行きました。その時にも「何のために行くのかと聞かれたら、自分でもよく分からない」という感じのことを書いたのですが、その居心地の悪さのようなものに関する記事がありました: "Slum tourism" stirs controversy in Kenya というロイター電です。
ケニヤの首都ナイロビには、80万人を越す人々が暮らす、アフリカ最大級のスラム Kibera があり、国際機関の要人などが頻繁に視察に訪れます。先月開かれた World Social Forum の際にも多くのフォーラム参加者が訪れました。観光客向けのツアーもあります。地元紙の調査によれば、住民の多くは、それらの訪れる人たちが何かいい影響を与える可能性はあるとは考えつつも、実感できる利益は少なく、恥ずかしさばかりが日を追って増していると答えたとのことです。
「ここでの生活がどんなものか本当に知りたいなら、一晩泊まって、豪雨に遭い、道が川のようになった時に歩いてみればよい」「憐れみの旅行客はいらない。何らかの行動がほしいのだ」「貧困だけに注目するのは間違っている。スラムから出て行けるほどの経済力を持った層もいるし、自立支援のさまざまな活動もあるが、それらを見てはくれない」「貧しい人を見て、優越感にひたっているだけなのではないか」といった意見が紹介されています。
どれも、もっともな意見だとは思うのですが、私は自分がスラム街ツアーに参加したことを悔いる気持ちはありません。そこに行かずに「アフリカに行ってきたよ」とは言えないだろうと思うし、確かにケープタウンやヨハネスブルグの状況を直接変える力にはなれなかったにしても、長居公園に行ってホームレス強制排除に反対しよう気になったのには、Langa や Soweto に行ったことが強く影響しています。
それらの街で感じたのは、憐れみでも優越感でもなく、何かをしなくてはという義務感と焦りでした。行かずに、そして想像力をかき立てられずにいるのに比べ、世界をよくしていくために自分はずっと有効に働けるようになったとも思います。おそらく、行った人は多かれ少なかれ、同じような思いをいだくのだと思いますけれど、それはやはり「見る側」の思いに過ぎないのかもしれません。
2007年 2月 10日 午前 02:16 | Permalink | この月のアーカイブへ
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