2007.02.28
突然、自分語りを始めると、読んでいる人は戸惑われると思うが、今日はそこから入っていくことにする。私は親の育て方が悪かったのか、生まれつきひねくれていたのか、とても自尊心が低いまま大人になってしまった。今でも、自分が自分であることにものすごく苦痛を感じている。教育に携わる者としては、そんないじけた姿を学生たちに晒すわけにもいかないので、ハッタリで自信たっぷりの先生を演じる。それで疲れ果ててしまって、朝の授業の後では、お昼ご飯が喉を通らないこともある。
そういう私から見ると、うらやましくさえ思えるのだが、最近のアメリカの大学生は自己愛的で、「自分は特別」と考える意識が強いのだそうだ。 "Study: College students more narcissistic" というAP電で知った。
1982年以来、Narcissistic Personality Inventory という性格診断テストを毎年、大学生にやらせた結果を考察すると、自己愛度は着実に上昇しつつあり、1982年には平均値を上回る自己愛度保持者は30%台であったのに対し、2006年の調査では、60%台にまで上昇している(としか記事には書かれておらず、それをどう解釈したらいいのかは私には分からない)。
もちろん自己愛にはいい面もあるが、自己中心的で、思いやりに欠けていたり、不誠実であったり、人を自分の影響下に置こうとしたり、批判に対して過激な反応をしたりする傾向にもつながっており、喜ぶべきことではないと記事は語っている。自尊心を高め、子どもたちに自信をつけさせようという教育方針の行き過ぎた結果だとも考えられ、より権威主義的な子育てが必要ではないか、という意見も紹介されている。
あまり一面的な結論を導き出すのは危険であるような気がするが、今風に言うと「自己愛メタボ」という感じだろうか。ついでに「愛国心メタボ」という語も発案して、筆を措く。
Tags: 自尊心, 自己愛, 俺様, 思いやり, 誇り, 愛国心
2007年 2月 28日 午前 12:00 | Permalink
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2007.02.27
「日本は長い歴史を持つ国だ」といった表現がよくなされ、私たちはそれを信じ込んでいるけれど、本当にそうなのかだれもが疑ってみるべきだと思う。「大和民族が日本の国を統治してきたことは歴史的に間違いない事実。極めて同質的な国」「悠久の歴史の中で、日本は日本人がずっと治めてきた」などという俗説しか語れない文科大臣には、とりあえず網野善彦さんの『「日本」とは何か』でも読んで勉強してもらうこととして、もっと歴史も長く、もっとまともな政治家がいる国に目を転じてみよう。
アメリカのバージニア州は、最初の入植地 Jamestown ができてから今年は400年目にあたる記念の年を迎えている。そのバージニア州議会で、奴隷制や先住民への迫害に関して州の責任を認識し、深い遺憾の念を表明する宣言が決議された(州都リッチモンドの Times Dispatch 紙の記事、英BBCの記事)。アメリカの州議会での決議としては初めてのものらしい。「黒人は奴隷制のことにいつまでもこだわるべきではない」という発言が飛び出して物議を醸したり、「反省」「謝罪」「遺憾」などの語句でいろいろなやり取りがあったようだが、最終的には全員一致で採択されたそうだ。
与党共和党議員団の代表が次のように発言している:「自分たちの歴史の中の、よいこと、すばらしいことを祝おうというのなら、自分たちの歴史の中であまりよくなかった部分についても認めなくてはならない」。だから、400周年という祝いの年にこの議決を行なうのはとてもふさわしいことなのだ、と。
歴史に自らを連ねる者は、過去への責任も引き受けなくてはならないと私は思う。アメリカでともかくも奴隷制が廃止されたのは1865年の(日本では南北戦争と呼ばれている)内戦終結時のことだ。今回の議決は、この今から140年ほど前の分水嶺を足がかりとして、400年の歴史を引き受けたものと言うことができるかもしれない。視線を私たちの日本に戻せば、第二次世界大戦終結の1945年を足がかりにして、いわゆる大政奉還の1867年ごろまでの歴史を引き受けるのがやっと、といったところではないだろうか。そう考えた時、私たちが身を連ねることが許される日本の歴史はとても短い。もちろん、植民地支配やアジア太平洋戦争のもとでの侵略にまつわる責任さえ引き受けるつもりのない人たちには、「悠久の歴史」などを口にする資格などない。
Tags: 歴史, アメリカ, バージニア, 日本, 伊吹文明, 衆議院京都府第1区, 応仁の乱
2007年 2月 27日 午前 12:00 | Permalink
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2007.02.26
Climate change laps at Bangladesh's shores ― 21日付けの Los Angeles Times 紙の記事。25日のボストン・グローブ紙にも転載されていた。バングラデシュ南西部の Bhamia という村では、数年前まで飲み水として問題なく利用できていた池が、最近では塩分の含有量が増して、飲用に適さなくなってしまった。水浴びをすれば、乾いた後、肌に細かな塩の結晶が残る。塩分を含まない水を得るには、数キロ歩いて別の村に行かなくてはならない。より激しい洪水に見舞われることが多くなった他、海水が川を逆流してきて地下水源に染みこみ始めているのだ。
温暖化は、もちろん未来の悲劇でもある。2040年までに海面が30センチほど上昇したならば、約1億5千万のバングラデシュの人口の12%が住んでいる場所が海に沈んでしまう。今世紀の終わりまでに90センチ上昇するというシナリオのもとでは、国土の4分の1が海中に没し、3千万人が家を失う。30年前に作られた堤防は、洪水が激しくなって、洪水時の水面が3メートルも上昇したため、役に立たなくなってしまった。このような数字だけでも、私たちの身の回りに比べ逼迫した事情が察せられるが、飲み水がなくなったり、塩分が多くなったため米が育たなくなったりして、温暖化は、ここでは既に現実のものとなっている。未来は既にやって来ているのだ。
村で小学校を終えた人は5人に1人ぐらい。多くは文字の読み書きができない。村人たちは、自分たちの不信心が神の怒りを誘ったのではないかと囁き合い、洪水や、台風や、酷暑からの救いを求めて祈っている。もちろん、バングラデシュは、その人口の多さにも関わらず、地球の温暖化の原因となっているガスのほんのわずかしか排出してはいない。問題は彼らの不信心ではなく、私たちの放縦だ。彼らはその甚だ不公平な被害者に過ぎない。
Tags: バングラデシュ, 温暖化, 危機
2007年 2月 26日 午前 12:34 | Permalink
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2007.02.25
先週の火曜日はマルディ・グラ(Mardi Gras)でした。復活祭の一か月半ほど前のこのお祭りでは、ルイジアナの New Orleans が有名です。巨大なハリケーン Katrina に襲われてから2回目のマルディ・グラを迎えた街では、盛大にパレード等が行なわれたそうです。
でも、中心街の復興とは対照的に、市の東部に広がるアフリカ系市民の多い地域は、まだ家々が壊れたままで、住民の多くは帰ってきてはいません。カトリーナ以前には、市の人口の約7割をアフリカ系市民が占めていましたが、今は5割台半ばです。この地区を通るパレードも少なく、観客も昔とは比べものにならないほど少ないようです。
そんな記事が、20日付けのワシントン・ポスト紙に出ていました: "Mostly Black Mardi Gras Event Shows A City in Pain"。22日付けのニューヨーク・タイムズ紙には、壊滅的な被害を受けた地区で、ようやく最初の新しい家が建ったという記事 "In New Orleans, Progress at Last in the Lower Ninth Ward" が載っています。
写真は boxchain さんが Flickr で CC-by-nc-sa で公開しているもの。ニューヨーク・タイムズ紙の記事が描いている第9区(記事に出てくる道の名前からすると、この航空写真の真ん中の下のほう、Arabi と書かれているあたりだと思います)の現状です。一か月ほど前の撮影。
マルディ・グラの写真も探したのですが、白人の観光客が市の中心部で撮ったと思われるものしか見つけられませんでした。もちろん、それはそれで立派なマルディ・グラの写真ですし、その場の雰囲気をよく伝えるものも多いのですが、なんか私がこの記事を書いている気持ちに合わないような気がして… 考えてみると、ここに載せた写真だって、アメリカの話だからこそ簡単に探し出せるわけで、世界のいろいろな所で写真に写されるころもない苦しみや、新聞記事になることもない悲しみがたくさんあるのですよね。改めて、耐えがたい重さを感じてしまいます。
Tags: ニュー・オーリンズ, ルイジアナ, マルディ・グラ
2007年 2月 25日 午前 12:00 | Permalink
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2007.02.24
とはいえ、アリエテはまだ生きている。40才という彼の実年齢よりも少々老けて見えるが、こうして元気に自分の話をしている。2002年1月に、ローマ市が創造した架空の通り、「モデスタ・ヴァレンティ通り」のお陰である。この通りは、行政の書類の中にしか存在しない。アリエテのように住所がない人々を救い出すためにつくられた。 … この架空の住所のお陰で、アリエテは人生の再建に取り組めるようになった。 … この通りの住所が彼らにもたらす利益は、社会福祉ばかりではないと言う。例えば、住民登録がないために、選挙権を失った人々が再び権利を獲得できたり、また人々のプライバシーを守る権利の獲得にも役立っている。 … 「住所をもらう前は、警官から長時間くだらない職務質問をされ、ゴミのような扱いを受けてきた。今は、身分証明書を提示すれば、何も言われることはない」 …
ビッグイシュー日本版第3号(2003年12月4日号)に掲載されていたパウロ・ビルゴさんの記事「その名はヴァレンティ通り」からの引用です。モデスタ・ヴァレンティ通りについては、第65号(2007年2月1日号)に短い記事があり、どこかで読んだ覚えはあったものの、記憶の糸をたどれずにいました。第3号まで遡れたのは、中村音楽工房BLOGの記事「ローマ「モデスタ・ヴァレンティ通り」にみる日伊のホームレス対策の差」のおかげです。
2002年、Via Modesta Valenti の“開通”を知らせる告知文はこちら(検索で見つけたこのページはイタリア語ですが、サイトは英語版もあります)。
ビッグイシュー第65号の記事からも引用します。
一方、大阪市は昨年末、「あいりん地域」のある住所に大量の住民登録があったので実態確認のうえ適正化を図ると発表し、職権での登録抹消を示唆しました。新聞も「架空」住民登録と報道。これに対し、ある住所と名指しされた「釜ヶ崎支援機構」などは、自立上必要と認めた人に住民登録先として使ってもらっていると話しています。そして住居を持てない多数の住民が年金受給や就職活動もできないでいる事実を大阪市が認め、「違法」扱いではなく住居を与えるなど「合法」的に住民登録できるような方策をともに考えようと提案しています。
大阪市は、3月2日以降、住民登録の抹消手続きを始める旨、発表しました。草加さんの旗旗にニュースのまとめ、26日の集会、28日の集会の情報があります。
人々の連帯のもとに、開かれた心で、新たな可能性が切り開かれていくことを願わずにはいられません。
Tags: ホームレス, 大阪市, ローマ, 家, 住所, 貧困
3月1日付記:ビッグイシューのサイトで「その名はヴァレンティ通り」が読めるようになりました。一方、今日の夕刻には、2月27日の關淳一大阪市長の記者会見のようすが大阪市のサイトに掲載される予定です。記者の質問に答えて、「3月2日に、法律にのっとって、しっかりと職権で消除を行なう」「法律上、代替地を設定することは不可能」と語ったと聞いています。
2007年 2月 24日 午前 12:00 | Permalink
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2007.02.23
自分が東京まで出かけて行けないことが分かっていたので、「チェイニー来日阻止!」とか勇ましいことを書くのをためらっていたのですが、何事もなかったかのように過ぎ去られてしまうと、苛立ちますねえ。
本当に何事もなかったのでしょうか。報道されないだけ? でも、私の見ているサイトやメーリングリストでも行動提起はなかったものなあ。組織的な活動に加わっていないので寡聞は否めませんけれど、盛り上がりは全く感じられませんでした。自戒をこめて言いますが、日本の平和運動、かなりマズい状態なのではないでしょうか。喝!
拉致被害者の家族の人たちが、何の罪もない人たちを拉致して何年間もグアンタナモ収容所に監禁している張本人のような人に面談するというのも、何とも薄気味悪かったです。グアンタナモと言えばキューバ。経済封鎖が政権転覆に何ら効果を持たず、ただ人々を苦しめるだけだというのを象徴していると思うのですが、会った双方はいったいどんな思惑を持っていたのでしょう。私には理解できません。
チェイニー米副大統領が離日後に訪れたグアム、オーストラリアでは、抗議行動があったようです。グアムはさほど規模が大きくなかったみたいですが、オーストラリアでは逮捕者も出たみたいです。
上の画像は、The Searcher さんが Flickr で CC-by-nc-nd で公開しているもの。ステップ・バイ・ステップで Dick Cheney の似顔絵の描き方を解説しています。
Tags: Dick Cheney, アメリカ, 平和運動, 市民運動, 戦争, 平和
2007年 2月 23日 午前 12:00 | Permalink
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2007.02.22
私が最近 Creative Commons でライセンスされている写真をよく載せるのは、Spiegel さんの CC Picture of the Day の影響です。
昨日、調子に乗ってパトリオット・ミサイルの写真を載せたら、情けない話ですが、なんか自分のブログを見るのも嫌になってしまいました。パトリオットは直接的に人を殺すのに使うわけではなく、ミサイルを打ち落とすためのものだということを、頭では分かっているつもりなのですが、どうも私には生理的に受け付けられないようです。写真を載せるの、やめとけばよかった。兵器は平気じゃないです。あ、これも書かなければよかった。
というわけで、今日は思いっきりダラケた写真で、昨日の暴力性の中和を図りたいと思います。何の写真かよく分からないかたは、5号館のつぶやきブログにある武蔵丸くんの写真と見比べてみてください。
もう20年近く前になりますが、私が留学していた時に、いっしょに暮らすようになった猫です。元々の飼い主が引っ越しで飼えなくなり、私の上の部屋の人が引き取ったのですが、待遇が悪かったらしく、いつも私のところに来て遊んでいました。で、いつの間にか私の家に棲み着いたファリちゃんです。マサチューセッツの雪の中を歩き回るのにはおあつらえ向きの毛並みでしたが、京都の夏は辛かったようです。日本に来て3年ぐらいで、糖尿病と心臓の肥大から血栓を起こして死んでしまいました。ちょっと変に聞こえるかもしれませんが、最後の最後まで生きることを諦めなかったファリちゃんのことを、私はすごく尊敬しています。
だれも持って行かないと思いますが、一応、この写真は CC-by で。
Tags: 猫, ネコ, 写真, Creative Commons
2007年 2月 22日 午前 12:00 | Permalink
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2007.02.21
Opposition to U.S. Base Rises ― 2月19日付けで IPS に掲載された Zoltán Dujisin さんによるミサイル防衛構想に関する記事。主にチェコの情況を伝えている。
ドイツ、イギリス、カナダがアメリカのミサイル防衛のための基地提供を拒否したのと対照的に、チェコやポーランドは受け入れを表明した。受け入れの背景には、経済的な恩恵や、アメリカとの連係を強化することによる国の地位の向上への期待があった。一方で、アメリカの中東政策などに巻き込まれて攻撃の対象になるのではないかとか、新たな軍拡を招くのではないかとかいった負の面はあまり報じられて来なかった。少しずつそれらの面が知られるようになるにつれ、不安も高まりつつあることが世論調査から分かる、とのことだ。
「共産主義の崩壊以降、チェコの右翼ナショナリストたちは、新自由主義イデオロギーと密接に結びついていて、アメリカ本国よりも更に親米的である」「チェコは東欧の一国として扱われることに嫌気がさしており、西側に属することを示すために親米の立場を取ろうとする人たちがいる」「ならず者国家による攻撃を懸念する声があるが、それは空想に過ぎない。国家というのは自殺行為に走るものではない。戦争はふつう弱い国のほうからではなく、覇権的な強い国によって始められるものだ」「アメリカのロビイストなどと関係の深いメディアが、大まじめな顔でミサイル防衛の恩恵にはこんなものがあるなどと言って、うそを書き立てる」などの分析は、そのまま(もちろん、「東アジアの一国として扱われることに」とか、字句の修正は必要だが)日本にも当てはまりそうだ。
一つ日本と違うなと思ったのは、チェコでは、野党がミサイル防衛の配備に関して国民投票の実施を求めているという部分だ。もちろん各国で政治の形態は異なるのだから、今すぐ日本で弾道ミサイル防衛(BMD)に関して国民投票を呼びかけるというのが現実的だとも思えないが、代表民主制のもとで選挙結果がかなり恣意的に解釈されがちな私たちの国でも、もう少し参加型の民主主義への動きが強くなってもいいと私は思う。
写真は Tolka Rover さんが Flickr で CC-by-nc-sa で公開しているもの。パトリオット・ミサイルだそうです。イージス艦などから発射した航続距離の長いミサイルで打ち落とせなかった場合、かなり近づいて来てから迎撃するためのものだと理解しています。間違っていたら優しく指摘してくださいね、軍隊とか戦争が好きな人。
Tags: ミサイル防衛, 軍拡, チェコ, 国民投票, 民主主義, アメリカ軍, 戦争, 平和
2007年 2月 21日 午前 12:00 | Permalink
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2007.02.20
郭小櫓(Xiaolu Guo)さんの A Concise Chinese-English Dictionary for Lovers という小説の抜粋を読んだ。郭さんは、中国で映画作りの仕事をする傍ら、6冊の小説やエッセイを出版した後、2004年にイギリスに渡り、この「恋人たちのための漢英中辞典(簡明中英情人字典)」は彼女が英語で発表する初めての作品だそうだ。
抜粋では、「代名詞」「誤解」「自由世界」「ジレンマ」と題された章が紹介されていた。「代名詞」は、イギリスに来て英語学校に通い始めた主人公が「英語では“私”には I と me の二つがある」と言われて「私が二つあるってどういう意味?」と驚くところなどが、非常につたない(という設定の)英語で書かれている。多分に脚色が入っているのだろうけれど、著者自身の経験をもとにしているのだと思われる。私はけっこう「この言語ではこういう決まりになっている」と言われると、あまり悩まずそれを受け入れてしまうほうなので、主人公の姿勢をうらやましくさえ思った。その後の三章では、恋が始まり、育ち、別れが見え隠れする様を読むことができる。自分が留学していたころの心の動きを思い出させるもので、思わず同級生だった中国からの留学生の声や発音を当てはめて読んでしまった。
ステレオタイプをうまく利用しつつ、その中から個を立ち上がらせることに成功した、とても上手な作品だと思う。本も買って読んでみようかな。
The Guardian 紙の評はかなり否定的。The Independent 紙は肯定的。
Tags: 小説, 文学, 英語, 異文化, Xiaolu Guo
2007年 2月 20日 午前 12:00 | Permalink
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2007.02.19
Italians protest over U.S. base expansion ― イタリア北部、ベネチアの西約60キロにある Vicenza という町(地図)で、17日、米軍基地の拡張に反対する大規模な抗議デモが行なわれた。
ヴィチェンザにはアメリカ陸軍の第173空挺旅団(173d Airborne Brigade)の緊急対応部隊(rapid reaction unit)が置かれており、2,750人が駐留しているが、ドイツの Bamburg と Schweinfurt に駐屯している部隊を統合し、4,500人規模の基地にすることにイタリア政府が合意している。現在の基地ある場所から見て町の反対側に新たな兵舎等を建設することになっていて、有事には町全体が攻撃の標的にされかねないとして、市民は強く拡張計画に反対している。
イタリアでは、アメリカの諜報機関がミラノの町からムスリム指導者をエジプトに拉致した事件や、イラクでスグレナさんが解放された後、米軍の銃撃によってイタリア政府職員が射殺された事件をめぐって裁判が行なわれており、アメリカの戦争に反対する気運が再び高まっている。
2月17日のデモに関するサイトのいくつかにリンクを張っておく:Global Project Vicenza、AltraVicenza、NO ALLA NUOVA BASE U.S.A. DALMOLIN A VICENZA (右は同サイトにあった参加を呼びかけるビラ)、Flickr の The NO Dal Molin Pool(Dal Molin は空港の名前らしい。空港のウェブキャムがある)。上の写真は、この Flickr の写真集から。Luciano 46 さんが CC-by で公開しているもの(撮影日が2002/1/1になっていますが、たぶんカメラの初期設定のまま、ということでしょう)。
第173空挺旅団はベトナム戦争当時には沖縄に置かれていたらしい。沖縄の基地問題にも取り組んでいる合意してないプロジェクトblogにもリンクを張っておこう。国境を越えて連帯の輪が広がることを夢見ている。
追記:Internet Zone::WordPressでBlog生活の gaku さんが記事を書いていらっしゃるのを見つけたので、トラックバックをお送りします。
Tags: イタリア, アメリカ軍, 米軍, 基地, 戦争, 平和, 反戦
2007年 2月 19日 午前 12:00 | Permalink
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2007.02.18
Robbers make off with mobile libraries ― 南アフリカ Mail & Guardian 紙の記事。南ア東部のクワズールー・ナタル州で2台の移動図書館が盗まれた。1台はトヨタ製、もう1台は三菱のミニバス。どちらも白地に黄色の線が入っており、下の方に青い線が2本入っているほか、日本の文字が書かれている。日本のアジア・アフリカと共に歩む会から寄贈された11台のうちの2台だ。
州の教育省の報道官は「読書はあらゆる学びの基盤。巡回図書館車は、図書館のない学校での需要を満たすもの。これらのバスを盗むことによって、何千人もの子どもたちが教育の機会を奪われたことになる」と述べ、目撃情報などを募っている。
最近書いた図書館関係の記事:
Tags: 南アフリカ, アフリカ, 図書館, 本, 教育
2007年 2月 18日 午前 12:00 | Permalink
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2007.02.17
うちの恩姫ちゃんは、家人がピアノの練習をしていると、いつの間にか椅子に登って楽譜を見つめながら、おとなしく聞き、曲が終わると、間髪入れずに「にゃー」と鳴く。さほど上手な演奏でもないのだけれど、「ブラボー!」と言っているのだろうと、家人は考えている。いずれにせよ、曲の終わりなり曲の構造を認識していることは確かで、恩姫ちゃんはけっこう音楽的才能がある、というのが我が家の定説である。
上には上がいるもので、ピアノを弾く猫が現れた。まあ、楽譜を見て弾くわけではなく、よくも悪くも、即興の現代音楽風だが、楽しみながら、そして音を確かめながら弾いているようすがよく分かる。Nora, the piano-playing cat のビデオは MSN video か Raven's Wing Studio で。
Tags: 猫, ネコ, ピアノ, 音楽
2007年 2月 17日 午前 12:00 | Permalink
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2007.02.16
フィリピンのルソン島南部に Albay という州がある。Mayon 山というとても美しい山があるらしい(写真は dennistanay さんが Flickr で CC-by-nc-nd で公開しているもの)。この山は火山で、時に大噴火を起こして住民を苦しめもする。昨年11月には巨大な台風が襲い、洪水や土石流で1,200人もの人が命を失い、多くの人が住む家を失った(二枚目の写真、dsrito さんが Flickr で CC-by-nd で公開しているもの)。
Barangay Maipon というところで、土石流によって運ばれてきた巨岩が悲しみを湛えたイエス・キリストのように見えると言って、話題を集めている。フィリピン Inquirer 紙の "Believers see 'sad image of Christ' on rock" に写真が載っている。確かに陰影によって人の顔に見えると言われれば、そうかもしれないとも思う。親族や友人をそして持ち物のすべてを失った人たちに、その顔が憐れみ深い救世主の顔に見えるのだと言われれば、納得することもできる。
奇跡によって救い主がその姿をお示しになったのだと信じる敬虔さ、純朴さを、かの地の前時代的な迷妄と嗤ってはいけない。「納豆を食べればやせる」、「イラク開戦を支持した政府の方針は間違っていなかった」、教育の機会均等の保障を謳いつつ、金持ち優先の学校バウチャー制の導入を同じ答申にもぐりこませて、しゃあしゃあとしている、等々、愚昧は私たちのほうにこそある。
Tags: フィリピン, 救い, 信仰
2007年 2月 16日 午前 12:00 | Permalink
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2007.02.15
中国の人民網日本語版に「中国31都市の幸福感調査:拉薩住民が3指標で1位」という記事が掲載されている。今日発売される「瞭望東方周刊」という雑誌の調査結果だそうだ。中国各省、自治区の中心都市と直轄市で行なわれた無作為サンプリング調査で、有効サンプル数7,000で男女はほぼ同数、平均年齢は34.9歳だそうだ。
チベット自治区(私は、1959年以降、中国によって不法に占領されているととらえている)のラサが「人情」「経済的チャンス」「ここ数年の発展」で1位となり、「他の地域より幸福感が高いことがわかった」と報じている。調査に他にどのような項目があったのかは分からない。上海が1位となった項目として「生活の便利さ」「建築の美観」「文化・娯楽」が挙げられているだけだ。
「自由」は? 「信頼」は? など、いろいろと尋ねてみたい気もする。政治的にどうこうという話でもなく、結局は「幸せって何なのだろう」という問いなのかもしれないけれど。
人民網の英語版にある13日付けの "Metal reserves found on the 'roof of world'"、8日付けの "Documentary portrays Tibet situation before 1959" などと併せて、考え込んでしまう。
写真は Juin Hoo さんが Flickr で CC-by-nc-nd で公開しているものです。確かに幸せなのかもしれませんね。
Tags: チベット, 中国, 占領, 幸せ
2007年 2月 15日 午前 12:00 | Permalink
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2007.02.14
Global warming cooks rice's prospects ― インドの The Economic Times 紙の記事。地球温暖化が農業に与える影響について、いくつかの研究結果を紹介し、最悪の場合、インドの米の生産量が2020年までに7%、今世紀の終わりまでに60%減少する可能性があるとしています。
稲の成長期の最低気温が1度上がるごとに収穫が10%減る、酷暑などがより頻繁になるため穂の成長が悪くなる、などの悪影響が予測される一方で、現在の人口増加が続けば、2020年までに米を5割程度増産せねばならないそうで、インド(および熱帯アジア)の食糧不足の懸念は深刻そうです。
ちらちらと検索してみると、日本など温帯アジアでは、米の生産量の落ち込みはさほど心配されていない(東北地方では増産まで見込まれているよう)ようなのですが、本当にそんな虫のいいことになるのでしょうか。かなり心配。
写真は BigAppleOfMyEye さんが Flickr で CC-by-nc-nd で公開しているケララ州の水田です。
Tags: 温暖化, 農業, 米, インド
追記:なぜかこの記事にたくさん薬の広告のトラックバックが来るので、トラックバック受付を停止にしてみます。
2007年 2月 14日 午前 12:00 | Permalink
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2007.02.13
学校では毎朝、国旗掲揚を行なうこととする。国旗、国歌、国の象徴を尊ぶことを学ぶ。歴史教育の授業時間を増やす。公民の授業時間を増やす。宗教教育を取り入れる。国のために殉死した英雄たちの栄光ある記憶を継承する。教育の大きな目標の一つは愛国心の養成だ。
アルジェリアの Boubekeur Benbouzid 教育大臣が11日に発表した教育改革の方針を報じる記事(La Nouvelle Republique 紙、L'Expression 紙、Liberte 紙、El Watan 紙)から要点を抜き出すと、こんな感じです。
どこの国でも同じようなものだということでしょうかね。反体制派のエル・ワタン紙は、「行き過ぎた《愛国心》」という見出しを掲げています。ちゃんとこういった動きに危うさを感じる人がいるのも同じです。お互い、がんばりましょう! 残念ながらアルジェリアの人はだれも私の記事を読んではいないでしょうけれど。
アルジェリアは大統領制ですが、Abdelaziz Bouteflika 大統領は防衛大臣も兼務しているみたいです(Economist 誌の国別紹介)。将来、「わ、似てる、似てる」なんて言わないで済むといいですね。
写真は polygrams さんが Flickr で CC-by で公開しているものを使わせていただきました。
Tags: アルジェリア, 教育, 教育改革, 愛国心
2007年 2月 13日 午前 12:00 | Permalink
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2007.02.12
In Niger, Trees and Crops Turn Back the Desert ― ニューヨーク・タイムズ紙の記事。ニジェール(Google Maps の地図)は国土の大半がサハラ砂漠やその周辺の半砂漠地帯ですが、1970年代、80年代の飢饉以降、農民が自主的に木の保全などに取り組んだため、驚くほど緑化が進んだと報じています(首都ニアメの東400キロほどのところにあるガルマという村の周辺を写した1975年と2005年の航空写真を比べて見ることができます)。
ニジェールでは伝統的に木を切り倒して、その跡地に作物を植えてきましたが、木を残し、その周りで耕作するという小規模な生活習慣の変革によって、砂漠化にある程度対抗できることが分かったのはとても意義深いと思います。また、木(特に現地では gao と呼ばれている Faidherbia albida というアカシアの一種)を残すことによって、その木の枝を薪として売ることができたり、落葉が土壌を豊かにするなどで農民の暮らしにも副次的ないい影響が見られるそうです。枯れて固くなってしまった土に厩肥を入れることによって、再び耕作できるところまで土壌が回復した例もあり、砂漠化が不可逆なものではないことも分かったとされています。
人口の増加(ニジェールでは、一人の女性が平均で7人の子どもを産むそうです)や地球温暖化などの気候変動の脅威は楽観視できないとはいえ、一人ひとりの小さな努力が実を結ぶという、とても勇気を与えられる記事でした。
上の写真は、diasUndKompott さんが Flickr で CC-by-sa で公開しているものを使わせていただきました。昨年の3月撮影。
Tags: ニジェール, アフリカ, 環境, 砂漠化
2007年 2月 12日 午前 12:00 | Permalink
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2007.02.11
Colombia court backs rights for gay couples ― ボストン・グローブ紙の記事。南米コロンビアで、憲法裁判所が同性のカップルにも結婚による配偶者と同じ相続権を認める判決を下した。
記事によれば、コロンビアでは、異性のカップルならば、2年以上同棲を続けていれば、教会で結婚した夫婦と同等の相続権を認めている(= common-law marriage)。1999年以降、4回にわたって国会では、同性のカップルにもその適用範囲を広げる議案が審議されてきたが、いまだ採択には至っていない。昨年10月に上院で同性のカップルにも社会保障、医療、相続の権利を広げる議案が可決され、現在、下院で審議されているとのこと。採決は6月に予定されている。今回の判決は、司法判断でこの法の空白を補うもの。判決は9人のうち8人の判事によって支持され、残り1人は、より広く同性カップルに権利が認められるべきだとして棄権した。
保守的なウリベ大統領も、同性カップルの経済的な権利確認には賛成しているらしい。カトリック教会も、同性婚と同性カップルによる養子縁組には依然として反対しているものの、今回の判決には異議を唱えておらず、Fabian Marulanda 大司教は相続権に関する今回の判決は教会の道徳や倫理に何ら抵触しないとの見解を発表している。
ラテンアメリカでは、ゲイ、レズビアン、トランスジェンダーの人たちに対する差別は伝統的に強いが、ブラジルが2000年に相続、社会保障に関して同性カップルに権利拡大を行なったほか、メキシコシティー、メキシコの Coahuila 州、アルゼンチンのブエノスアイレス、ブラジルのいくつかの州で同性カップルの民事婚(civil union)が認められている。エクアドルでは、1998年の改憲で、性的な指向による差別を禁じている。
性的マイノリティの法的権利について最近書いた記事(「最近」のつもりだったら、もう2か月も前だ…):
上の画像は判決を伝える Colombia Diversa のホームページ。
TransNews Annex ブログにイタリアでの動きに関する記事がありました。トラックバックをお送りします。
Tags: 同性婚, 同性愛, ゲイ, 結婚, 人権, 平等
2007年 2月 11日 午前 12:00 | Permalink
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2007.02.10
昨年、南アフリカに行った時、ケープタウンとヨハネスブルグのタウンシップ(いわゆる黒人スラム街)に行きました。その時にも「何のために行くのかと聞かれたら、自分でもよく分からない」という感じのことを書いたのですが、その居心地の悪さのようなものに関する記事がありました: "Slum tourism" stirs controversy in Kenya というロイター電です。
ケニヤの首都ナイロビには、80万人を越す人々が暮らす、アフリカ最大級のスラム Kibera があり、国際機関の要人などが頻繁に視察に訪れます。先月開かれた World Social Forum の際にも多くのフォーラム参加者が訪れました。観光客向けのツアーもあります。地元紙の調査によれば、住民の多くは、それらの訪れる人たちが何かいい影響を与える可能性はあるとは考えつつも、実感できる利益は少なく、恥ずかしさばかりが日を追って増していると答えたとのことです。
「ここでの生活がどんなものか本当に知りたいなら、一晩泊まって、豪雨に遭い、道が川のようになった時に歩いてみればよい」「憐れみの旅行客はいらない。何らかの行動がほしいのだ」「貧困だけに注目するのは間違っている。スラムから出て行けるほどの経済力を持った層もいるし、自立支援のさまざまな活動もあるが、それらを見てはくれない」「貧しい人を見て、優越感にひたっているだけなのではないか」といった意見が紹介されています。
どれも、もっともな意見だとは思うのですが、私は自分がスラム街ツアーに参加したことを悔いる気持ちはありません。そこに行かずに「アフリカに行ってきたよ」とは言えないだろうと思うし、確かにケープタウンやヨハネスブルグの状況を直接変える力にはなれなかったにしても、長居公園に行ってホームレス強制排除に反対しよう気になったのには、Langa や Soweto に行ったことが強く影響しています。
それらの街で感じたのは、憐れみでも優越感でもなく、何かをしなくてはという義務感と焦りでした。行かずに、そして想像力をかき立てられずにいるのに比べ、世界をよくしていくために自分はずっと有効に働けるようになったとも思います。おそらく、行った人は多かれ少なかれ、同じような思いをいだくのだと思いますけれど、それはやはり「見る側」の思いに過ぎないのかもしれません。
Tags: スラム, 貧困, 思いやり, ケニヤ, アフリカ
追記:Sean Hawkey さんが Flickr で CC-by-nc で公開していらっしゃる写真を追加しました。
2007年 2月 10日 午前 02:16 | Permalink
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2007.02.09
野里征彦さんの『カシオペアの風』を読みました。上野公園のテントの布をたたく雨粒の音で目を覚ました杉崎信博は野宿を始めたばかりの元証券ディーラー。同僚と設立した会社がバブル崩壊とともに立ち行かなくなり、借金に押しつぶされ、五十代半ばでホームレスになります。公園にはさまざまな人たちが暮らしています。元中学校教師。詩を愛する口べたな若者。一攫千金を夢見て宝くじにすべてをつぎ込んでしまう男。火事で家族を一瞬にして失ってしまい、それ以来、屋根の下では眠ることができなくなった男。夫に内緒でサラ金から借りた金が返せなくなって家に帰れない女。彼らの間を、ゆっくりと流れる時のように物語は進んでいきます。
ある日の明け方、杉崎は故郷の夢を見ます。彼に故郷を思い出させたのは、彼が敷いていた段ボールに残っているりんごの匂い。彼の故郷岩手から出荷されたその箱には「カシオペアの風おくります」と印刷してありました。懐かしさから、数年ぶりに杉崎は実家に電話をかけます。ここで物語は大きく動きますが、著者の眼はどこまでも優しさに満ちたまま、杉崎の生活を追います。
ホームレスになって三回目の冬がやってきて、そこからは目も止まらぬような速さで話が展開し、それまでのゆったりした優しい文体に慣れていた私は大きく戸惑いましたが、最後にはまた、爽やかなカシオペアの風が吹きます。
…という紹介では、何も分からないでしょうね。もしあなたが、ホリエモンだの村上ファンドだののニュースを聞かされるたびにシラケてしまう人、次に引用する文章に少しでも共感を覚える人であれば、きっと読んでよかったと思うと思います。杉崎が羽振りよく証券の仕事をしていたころを振り返っている場面です。
だが果たしてあれは充実した生活だったのだろうか。確かに景気がよく流れに乗ったときはかなりの収入があり、今のように他人から蔑視されるということもない生活だった。
けれども心のどこかに絶えず満たされない気分がわだかまっていたことも紛れもない事実であった。現状に満足できず、いま以上にもっとまとまった金を作って、いつか現状から逃れたいという気持ちが常に宿っていたことを忘れてはいない。
こんな仕事はどこかが間違っていると、心の隅っこの方でもう一人の自分が絶えず叫んでいたのだ。
あの時の自分は、いま以上に家族を愛していただろうか。妻にやさしかっただろうか。他人にたいして、今よりやさしい人間らしい気持ちを持っていただろうか。
こうやって抜き出してしまうと、ちょっとお説教っぽく聞こえるかもしれませんが、話の流れの中では、だれでも本当に自然にそんな気持ちになれると思います。物語の中で、私の感覚では「奇跡」と呼びたくなるような瞬間が2回ありますが、どちらも、人々の優しさがつながるとこんなことも起こるのだろうなあと、自然な形で受け入れてしまいました。文体が飾り気がないだけに、さらっと読めてしまいますが、すごく考え抜いた上で書かれた作品だと思います。
Tags: カシオペアの風, 野里征彦, 文学, 小説, ホームレス
2007年 2月 9日 午前 12:00 | Permalink
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2007.02.08
Skeletons show off eternal love ― イタリア北部、ロンバルディア地方の Mantova (Mantua) で見つかった骸骨。五千年の間、抱き合ったまま埋葬されていたこの二人の写真を見て、思わず目が熱くなってしまいました。歯の状態などからすると、二人ともまだ若かったと思われるそうです。きっと世界中の新聞にこの写真が載るのでしょうけれど、もしまだご覧になっていないのなら、ぜひ。
もちろん、悲しい物語の主人公だったのかもしれません。死んでから何世紀もいっしょに埋められるのと、一時間でもいいからこのままいっしょにベッドの上で抱き合っているのと、どっちがいいかと問われたら答えに戸惑うこともあるかもしれません。何はともあれ、この写真を見た人たちが、愛する勇気を得られますように。
Tags: 愛, 永遠, 化石, 考古学
2007年 2月 8日 午前 12:00 | Permalink
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2007.02.07
新疆ウイグル自治区のグルジャ(Gulja、中国語では伊寧 Yining)という都市で、10年前の1997年2月5日から6日にかけて、中国人民解放軍によるウイグル人市民の虐殺事件(犠牲者は100名を越すと考えられている)があったということをアムネスティ・インターナショナルの記事 "Remember the Gulja massacre?" で知った。在米のウイグル人活動家 Rebiya Kadeer さんは、直後の7日もしくは8日にグルジャに入り、住民への聴き取り調査を行なっている時に警察に拘束され、デモ参加者が射殺される場面などのビデオを見せられたと証言している。アルジャジーラの記事や、在米ウイグル人団体のサイトなどによれば、この虐殺事件の真相が10年経った今になっても未だに何も解明されていないとして、ワシントンの中国大使館前などで抗議デモが行なわれたようだ。
私がこの記事を書いている時点で、アムネスティのサイトにあるレビヤ・カデールさんの「証言」のページは、なぜか "Rebiya Kadeer's personal account of Gulja after the massacre on 5 February 2007" となっている。アムネスティって、ちゃんとした仕事をするところだと思っていたのだけれど、なんとも杜撰だ。というか、2月1日にウェブに載せられた後だれも気づかなかったのだとしたら、人権に対する世界の人々の関心は非常にお寒い状況だと思われる。とりあえず、訂正を申し入れておいた。もっとも、彼女の証言自体、伝聞ばかりで、マニアックな「南京大虐殺は幻だった」派の人たち並みの「検証」を受けたら徹底的に粉砕されそうな、ちょっと危うい感じもする。
Tags: ウイグル, 新疆ウイグル自治区, 中国, 人権
2007年 2月 7日 午前 12:00 | Permalink
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2007.02.06
アルジェリアの仏語紙 El Watan で見つけた記事 "Crimes de l'armée coloniale - Ségolène Royal invite la France à faire son mea-culpa" によると、フランス大統領選に社会党から名乗りを上げているセゴレーヌ・ロワイヤル候補が、フランスのアルジェリア植民地支配(記事では触れられていませんが、往時には「併合」と呼ばれていたはずです)に関して、かなり踏み込んだ意見を述べたようです。
アルジェリアを訪問しているジャック・ラング元教育相がブーテフリカ大統領に手渡した親書の中でロワイヤル候補は、過去の植民地統治は「威圧的な支配であり、略奪であり、屈辱であった」とし、「フランスが植民地支配によって起こされた犯罪を認識し」、「植民地支配について牧歌的な歴史観を呈する教科書を改善し」、フランス人の「精神を植民地時代から脱させる」必要があると書いているとのことです。
フランスでは首班候補が植民地支配の歴史について、これだけはっきりと、まともなことを言っても大丈夫なのかと思いながら 他紙の記事を調べてみると、これはジャック・ラングの発言とされています。ありゃ。で、フランスの石原慎太郎と言われる極右の Jean-Marie Le Pen がさっそく文句を言っています。
Tags: フランス, アルジェリア, 植民地, 併合, 歴史認識, ナショナリズム
2007年 2月 6日 午前 12:00 | Permalink
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2007.02.05
帰宅しました。と書いて、あらためて「帰る家がある」ことの意味を噛みしめています。自分には帰る場所があることが、とても不思議なことにも思えます。
今日、長居公園で見たことはとても悲しいのですが、同じように野宿している人たちが大阪で数千人、日本全国で数万人、そして全世界を見たら、何千万人、いや、もしかしたら億の単位で存在するのだということを考えると、絶望的に、自分が今までなぜ何もやって来なかったのかを悔いてしまいます。
コメントをくださったかたがた、ありがとうございました。私、写真の腕を磨かないとだめですね。どこが違うのか分からない同じような下手な写真をたくさんお見せして、すみませんでした。きっとだれかが、もっと心に残る、事の核心をとらえた写真を公開してくださることでしょう。
今日最後の写真は、寸劇の演じられていた舞台の裏のテントです。もちろん、今朝写したこのテントは、今はもうありません。
Tags: 長居公園, ホームレス, 野宿者, 大阪
2007年 2月 5日 午後 05:11 | Permalink
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跡地はフェンスで囲まれました。逮捕者は出ずにすんだようです。
2007年 2月 5日 午後 12:35 | Permalink
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砦、崩される。
2007年 2月 5日 午前 11:49 | Permalink
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排除。
2007年 2月 5日 午前 11:43 | Permalink
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テント村に郵便届く。テレビ局が一部撤収。あぶない。
2007年 2月 5日 午前 11:26 | Permalink
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舞台のみ残って小康状態。
2007年 2月 5日 午前 11:09 | Permalink
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がんばっている。
2007年 2月 5日 午前 10:49 | Permalink
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一人ずつ。
2007年 2月 5日 午前 10:20 | Permalink
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ごぼう抜き始まる。
2007年 2月 5日 午前 09:57 | Permalink
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搬出トラック到着。
2007年 2月 5日 午前 09:50 | Permalink
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裏で撤去開始。
2007年 2月 5日 午前 09:34 | Permalink
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寸劇上演中。
2007年 2月 5日 午前 09:00 | Permalink
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私は外に出ました。
2007年 2月 5日 午前 08:50 | Permalink
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まだ止めてる。
2007年 2月 5日 午前 08:31 | Permalink
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バリケード
2007年 2月 5日 午前 08:21 | Permalink
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来ました。
2007年 2月 5日 午前 08:11 | Permalink
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スクラムを組みはじめました。
2007年 2月 5日 午前 08:01 | Permalink
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報道陣もかなり来ています。
2007年 2月 5日 午前 07:45 | Permalink
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支援者は百五十人くらいかな。
2007年 2月 5日 午前 06:29 | Permalink
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大阪市による野宿者テント村強制撤去が行なわれるという2月5日の朝は、長居公園(Google Maps の航空写真)にいる予定です。
私は野宿者の支援に積極的に取り組んできたわけではないので、行っても何かできるというわけではありません。これから自分がどのように関わっていけるかを考えるために、目を凝らして来ようと思っています。
いろいろ考えた末、プラカードはこんな感じのものを作りました。世界のだれに見られても誇れる対応を大阪市に求める気持ち、あえて野宿を続けようとする人たちへの共感、そして連帯感を表現したつもりです。"SDF" は「自衛隊」と間違えられても面白くないので、全部綴ってみましたが、ここは添削されたら、きっと減点ですね。まあいいや。
旗旗ブログにトラックバックを送ります。
Tags: 長居公園, ホームレス, 野宿者, 大阪
追記:テレビ(日本テレビ系)に映っていたそうです。旗旗の草加さんが教えてくれました。
2007年 2月 5日 午前 12:00 | Permalink
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2007.02.04
ビルマ(ミャンマー)の反体制運動を国外から支援している The Irrawaddy 紙が2007年2月号でビルマへの旅行に関する特集を組んでいます。ビルマへの旅行については、軍事独裁政権による自宅軟禁が続いているアウンサン・スーチーさんが2002年のBBCによるインタビューで「旅行客としてビルマを訪れるように人々に勧めるような状況ではない」と語り、自粛を呼びかけています。そのわりに今回の特集は「行くか行かないかは一人ひとりが決めてください。もし行くのなら、こういうことに注意してください」といった感じで書かれているのが特徴的です。
"The Moral Minefield" という記事では、海外から観光客が訪れることが民主化を促進し、人権弾圧を防止する面もあるのではないかと問われて Aung San Suu Kyi さんが「ビルマの人々は、自分たちが抱えている問題が何であるかをだれよりもよく知っています。自分たちが何を求めているかも知っています。彼らは民主主義を求めているのです。そして、多くの人がそのために命を失いました。旅行客がビルマの人たちに対して、彼らの置かれている状況について何か新しいことを教えることができるかもしれないなどと考えるのは見下したような考え方ですし、人種差別的です」と答えたことが紹介されています。その上で、ボイコットに疑問を持ち、自分の目で確かめてみたいのなら、ぜひ行くべきだとし、「ただし、もし行くのなら、独裁から自由になって自分たちも旅したいと願っている普通のビルマの人々に寄り添ってほしい」と結んでいます。
"Publish and Be Damned?" では、イギリスの The Burma Campaign UK が、ビルマへの旅行ガイドを出版している Lonely Planet シリーズのボイコットを呼びかけていることが紹介されています。Lonely Planet Myanmar (Burma) が、その記述の中で、可能な限り政府系の施設等を利用しないように心がけている様子も紹介されています。Lonely Planet のガイドは、私はどこに行く時も必ず購入するのですが、うーん、どうしましょう。とりあえず、今回はアマゾンや出版社へのリンクを張らないことにしてみます。
"Traveling in Burma" には、実際に何回かビルマを訪れた人による、交通事情、闇の通貨レート、インターネット事情など、実用的な情報が含まれています。
"An Alternative Tourist Trail" は、もし行くのであれば、心ある人に見てほしい場所、軍事政権にとってはあまり旅行者に訪れてほしくない場所のガイドです。アウンサン・スーチーさんの住所は、ラングーン(ヤンゴン)市内の、54 University Avenue Rd., Bahan Township だと紹介されています。Min Ko Naing さんは 16/2 Ward, Waizayantar Rd., Thingangyun Township とのこと。
Tags: ビルマ, ミャンマー, Aung San Suu Kyi, 旅行, ボイコット
2007年 2月 4日 午前 12:00 | Permalink
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2007.02.03
The American Freshman - National Norms for 2006 ― UCLAの高等教育研究所が先月発表した、アメリカの大学一年生を対象とした意識調査。詳細は本を購入しないと分からないのですが、要旨やプレゼン資料を見ることができます(要旨はかなり大ざっぱなので、プレゼン資料だけ見ればいいと思います)。
全米の393大学で27万人を対象に行なわれた調査だそうです。過去に比べ、2006年秋に大学に入った一年生たちは政治への関心が強めで、自分の政治的な姿勢を「リベラル」と答えたのが28.4%(前年比1.3%増、1975年以来最高)、「中道」と答えたのが43.3%(前年比1.7%減、1970年以来最低)、「保守」と答えたのが23.9%(前年比1.3%増、過去最高)だったそうです。日本で調査したらどんな結果になるかなあ。もう少し歪んだ分布になりそうな気もします。
個別の論点に関しては、同性婚を認めるべきだという意見が61.2%と着実に増えている一方、同性愛を法的に禁止すべきだという意見も、減ってはいるものの、まだ25.6%も残っています。多くの論点に関しては、リベラル派と保守派の差のみが提示されているのですが、死刑廃止、マリファナ合法化、国民皆保険の実現、政府の環境への取り組みへの評価、銃規制、富裕層への増税、軍拡、人種差別が今でも問題かどうかなど、どれも予想通りの結果で、「へえ」という感じのものはありません。「困っている人を助けることは大切だ」という質問に関しては、全体の値と伝統的に黒人の教育を担ってきた大学の数値が比較されています。全米では66.7%、伝統的黒人校では76.5%。
調査の中に、Advanced Placement (AP)と呼ばれる、高校在学中に大学の科目の履修単位を認定するプログラムについての部分があります。大学一年生の61.6%がAPコースを履修した経験があり、51.0%が単位認定試験を受験しました。APコースを取ることができない高校で学んだ者は6.3%に過ぎません。
日本でも「高大連携」はいろいろな大学がやっていますが、AP のような国全体での取り組みはないと思います。先日出た教育再生会議の第1次報告にも見あたりません。考えてみる価値がある学びの形だと思います。
それにしても教育再生会議の報告書はひどいですね。論の深まりみたいなものが全くなく、キャッチフレーズの羅列に終わっているように思います。間違って「概要」のほうを開いてしまったかと思って確かめたのですが、やっぱり「本文」でした。これが? こういう浅薄な報告書を基礎として教育改革をやってほしくありません。
Tags: 教育, 大学, アメリカ, 政治, 教育改革, 教育再生会議
2007年 2月 3日 午前 12:00 | Permalink
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2007.02.02
ウクライナでは、2007年の終わりまでに、吹き替えて上映される外国映画の率を50%(アニメ類は100%)に引き上げることで政府と映画配給会社が合意した。ウクライナのニュースサイト ForUm の1月22日付けの記事 "Cabinet rehabilitated Ukrainian language in cinemas" 及びキエフ・ポストに掲載された31日付けAP電 "Officials threaten sanctions for not translating foreign movies into Ukrainian" 。
あなたは吹き替え派? 私は字幕派! とかいう話ではなく、配給会社がロシア経由でロシア語に吹き替えられた映画を買い付けてくるので、余計な手間をかけたくないという利潤の問題が一つにあり、もう一つ、東部、南部のロシア語話者の多い地域と西部のウクライナ語圏との間の政治的な勢力争いがあるらしい。
22日付けの記事だと、ロシアで作られた映画はロシア語のまま上映してもよいと Yuri Bohutsky 文化観光相が語ったとある。一方、31日付けの記事では、国の映画局の Hanna Chmil 長官が、吹き替え率の目標を達成できなかった場合は制裁措置も辞さない構えを見せたとしている。31日付けの記事はさらに、昨年、政府が吹き替え率70%を法制化したが、裁判で敗訴したこと、ロシア語圏の6つの州がロシア語を公用語に加えたことをユーシェンコ大統領が批判したことなどを伝えている。
まあ、平たく言えば、ナショナリズムと言語の話だ。そもそもナショナリティにせよ言語にせよ均質的ではないのが当たり前だという視点から見ると、どうしてそんなに熱くなれるのか理解しにくいのだけれど。
Tags: ウクライナ, 言語, 国語, ナショナリズム, 映画
2007年 2月 2日 午前 12:00 | Permalink
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2007.02.01
必死にB級映画風というか、にっかつ系のタイトルを考えたのですが、私はそういう芸風ではないので、いいものが思い浮かびませんでした。
Prison cats in Vermont involuntarily paroled - Inmates unhappy after superintendent gives the boot to the felines ― アメリカ北東部バーモント州最大の女性刑務所 Southeast State Correctional Facility には、何匹もの野良猫が住み着いており、服役している人たちが食べ物をあげたりして、ペットのようになっていました。しかし、施設の趣旨に合わない、猫アレルギーの人がいる、お金がかかる、などの理由で、刑務所当局は猫の出入りを禁止することとし、この一か月の間に6匹の猫が新たな飼い主のところに引き取られていった、という話です。猫がいなくなるのを残念がる受刑者へのインタビューや、思いやりや責任感を身につけるいい機会なのにという動物愛護団体の人の話が紹介されていました。罪を犯した人の社会復帰ということを考えると、ここらへんは重要な指摘のような気もしますが、まあ、猫が苦手な人には過酷な刑になってしまいそうなので、しかたないのかもしれません。
文字だけのAP電が流れて来てから一日以上待ってみたのですが、刑務所住まいの猫の写真が入った報道は見つけられませんでした。上に挙げたMSNBCのサイトの記事には、写真はありますが、刑務所の所長さんが写っているだけです。
Tags: 猫, ペット, 動物, 刑務所, 別れ
2007年 2月 1日 午前 12:00 | Permalink
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