躓きの石
この題名で全く別の話を書き始めたのだが、「つまずきの石」という表現自体が気になってしまったので、書きたかった話は明日にまわし、今日はこの言葉そのものについて書くことにする。
この表現は新約聖書に何回か出てきていて、それらは旧約聖書イザヤ書第8章14節に言及するものだ。イザヤ書の該当部分は日本聖書協会の新共同訳(1987年)では、こう訳されている。
主は聖所にとっては、つまずきの石
イスラエルの両王国にとっては、妨げの岩
エルサレムの住民にとっては
仕掛け網となり、罠となられる。
いま一つ意味が分からないので、口語訳(1955年)を調べると、こうなっている。
主はイスラエルの二つの家には聖所となり、またさまたげの石、つまずきの岩となり、エルサレムの住民には網となり、わなとなる。
やっぱり自分が子どものころに親しんでいたやつのほうが頭に入りやすいぞと思ったが、よく考えるとそういう問題ではなく、この2つの訳の間で意味が全く変わっているのが問題だ。
英語とフランス語の訳をいくつか読み比べてみたのだけれど、新共同訳のように「主は、聖所にとって、つまずきの石となる」という命題を提示しているものは他には見あたらなかった。口語訳のように「イスラエルの2王朝」が「聖所、石、岩」の3つに係るとするかどうかも微妙で、多くは「一般的には聖所となり、イスラエルの2王朝にとっては石と岩となる」という意味の文になっている。個人的には、そのような解釈で書かれていて、さらに「聖所」のところが現在形、「石」と「岩」のところが未来形になっているフランス語の La Bible du Semeur という版が一番しっくり来る。
Il est un sanctuaire, mais il sera aussi une pierre qu'on heurte, un rocher qui fait trébucher pour les deux royaumes israélites, un piège et un filet pour les habitants de Jérusalem.
(主は聖所であるが、イスラエルの二つの王国にとっては、人々の投げつける小石、人々をつまずかせる石にもなるだろう。エルサレムに住む人たちにとっては落し穴や漁網にもなるだろう。)
私がそうだったように、こういう些末な字句にこだわって、聖書や教会の権威を疑い、信仰にたどり着けないことを「躓きの石」と言う。我ながら渋いオチだね。
2007年 1月 15日 午前 12:00 | Permalink | この月のアーカイブへ
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先日のエントリ(Combinatorics Promenade (end) - in saecula saeculorum)で、「普遍性(universality)」による定義が初学者にとっての躓きの石だとか何とかえらそうなことを書いた。 「躓きの石」というのは、私の知る限り、聖書に由来する言葉で、イザヤ書8章14節にあ... 続きを読む
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