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2006.12.31

ともに祈る

Mezquita, Cordoba

Spain cathedral shuns Muslim plea ― スペインに住むムスリムを代表する団体が、コルドバの大聖堂で祈りを捧げることを許可してほしいとローマ教皇に書簡を送ったが、コルドバ司教が拒絶した、という話。

イスラム理事会は「聖地を乗っ取ろうとしているのではなく、聖なる地の中に、宗教間の協力によって、平和をもたらすような教派を越えた空間を作り出す」ことを願っていたようだが、カトリック教会側は「共有の祈りの場は空港では意味をなすだろうが、教会では信者の間に混乱をもたらすだけだ」として、取り合わなかったらしい。

Cordoba のカテドラルは、8世紀にこの都市がムーア人によってイスラム化された後、モスクとして建てられ、13世紀に再征服したキリスト教勢力によってカトリックの教会に転用されたもので、今でも地元では「モスク(Mezquita)」と呼び習わされているそうだ。

そんな絡まった歴史の糸が見えない遠くから、あれこれ言うべきではないのかもしれないが、エポックが画されるのを見ることができなかった憾みを感じる。

上に掲げた教会/モスク内部の写真は Flickr で Mr.Minimalist こと Elcid Asaei さんが CC-by-nc-sa で公開しているもの

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2006年 12月 31日 午前 01:08 | | コメント (0) | トラックバック (1)

2006.12.30

アフガンの女性議員たち

1か月ほど前にアフガニスタンの女性の人権についての記事を紹介しました。その中に女性国会議員たちについての言及がありましたが、彼女たちの活動や主張をより詳しく取り上げた報道を見つけました:Women's eNews の "Afghan Female MPs Call It a Rough First Year" という記事です。

アフガニスタンの憲法では、全国34の選挙区から2人ずつ女性議員を選出することを定めており、これは議会全体の定数248のほぼ25%にあたります。記事は「国際的に、どのような集団も議会で影響力を持つためには最低30%の議席を確保する必要があると考えられている」として、現有議席数が不十分であることを暗に示唆しています(ちなみに、今、調べたら、日本では衆議院で480人中45人(9.4%)、参議院で242人中34人(14.0%)が女性議員のようです。女ならばだれでもよかろうとは思いませんけど、ずいぶん少ないですね)。こうやって選ばれた68名の女性議員のうち19名は、性別の割り当てがなくても当選したと書かれています(計算したら7.7%でした)。元タリバン将校の男性議員が女性議員への定数割り当ては「非民主的だ」と述べているという話も紹介されています。

Sahira Sharif 議員。ダウン症の子どもを持つ母親です。彼女が目指しているのは、強制による結婚の禁止。現在、婚姻の38%が当事者の合意に基づかないものだと推測されているそうです。Fawzia Kofi 議員。家庭内暴力や自殺(家庭内での虐待と関連することが多い)の捜査が被害者の親告によらなくても行なえるようにしたいと語っています。

つい数か月前までブルカを着ずに歩き回っていた議員が危険回避のためブルカ着用を余儀なくされたことに象徴されるように、女性の権利の保護は難題続きのようですが、女性議員たちの力によって女性服役囚のあまりに非人間的な扱いが改善されるなど、その存在は余人をもって代えがたいものになっていると、明るい面を強調して記事は終わっています。

さまざまな報道を見ると、アフガニスタン情勢全般について楽観は許されないと思います。かと言って、もちろん武力による介入によって問題が解決しないことも既に明らかであるし… 私たちには何ができるのでしょうね。結局は自分たちのところで平等で公正な社会を実現し(先ほどの数値比較は、日本でそれが現実のものになってはいないと解釈するのが妥当だということを示していると思います)、それが文化や宗教の垣根を越えて普遍的な価値を持っていることを示すことしかできないのかな。うーん、それではちょっと不足な気がする。

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2006年 12月 30日 午前 12:00 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2006.12.29

死刑廃止と憲法改正

«Nul ne peut être condamné à la peine de mort» (なにびとも死刑に処せられることはない) ― フランスでは、死刑の廃止を定めた憲法改正案を来月(2007年1月)、シラク大統領が発議するらしい。死刑の禁止は1981年に法令化されているが、容易に覆されないよう、憲法自体に書き込んでしまおうというもの。

12月25日、日本では4人の死刑囚が処刑された。どんな理由であれ人を殺める権利が国家にあることを認めてしまうと、恣意的、政治的に死刑執行を行なう国を批判することができなくなってしまうという一点からでも、死刑廃止は私たちも目指さなければならない方向だと思う。死をもって罪を償わせるという原初的な「仕返し」の発想から人類が解き放たれる日が来るかどうかは分からないのだけれど、死刑廃止が普遍的、世界的な流れになることは間違いないと思う。冒頭で言及した仏リベラシオン紙の記事によれば、現在でも、国連加盟国192か国のうち119か国で死刑は廃止されている。

今の憲法が古くなったからと言って自民党が提案している新憲法草案では、第31条に「何人も、法律の定める適正な手続きによらなければ、その生命若しくは自由を奪われ、又はその他の刑罰を科せられない」とあり、逆説的な書き方ではあるが死刑を容認する姿勢が明確に示されている。これがこれからの時代に相応しい憲法になるとは私には思えない。

死刑廃止の意見を表明しているかたがたにトラックバックを送ろうと思います:秘書課、村野瀬 玲奈です。どん底あるいは青い鳥。死刑問題特報室薫のハムニダ日記保坂展人のどこどこ日記

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2006年 12月 29日 午前 12:00 | | コメント (12) | トラックバック (10)

2006.12.28

昭南と呼ばれた日々

シンガポール国立博物館(National Museum of Singapore)は、3年あまり改装のため閉館していたそうなのですが、12月6日に装いも新たにお披露目になりました(今、見たら、ウェブサイトは、なんとなく更新が遅れているような感じです)。歴史に関する展示が常設展の大きな柱になっていて、Palm か iPod を大きくしたような端末で説明を聞きながら見て回ります。説明音声の時間に拘束されることもあり、一日がかりでした。数百年の歴史が、英国による植民地化以前、植民地時代、1942年から1945年の日本による占領、そして独立から現代までといった区分けで展示してあります。

街にいて日本や日本人に対する反感を感じることは全くないのですけれど、「昭南島」と名前を変えられていた占領時代が過酷で悲惨なものだったことは間違いないようです。シンガポールを拠点に活動していたチャンドラ・ボ-スのように、独立運動の好機ととらえていた人も確かにいたのでしょうが、日本によるアジア太平洋戦争が「解放」を意味していると考える余地は全くないというのが実感でした。当たり前すぎる結論なのですけれど、侵略や占領の実体験が遠のき、偏狭で無責任な言論が幅をきかせている今日の日本で、この点はしっかり確認しておくべきだと思います。

1942年2月に日本軍が上陸した後、数千人から数万人と言われる中華系シンガポール人が粛清(Sook Ching)を受け、殺害されたと言います。チャイナタウンのはずれ、South Bridge Road と Cross Street の交差点に、忘れられたように小さな記念碑が建っています(写真)。碑の後ろの建物に花屋さんがあったので、花束を作ってもらい、献花してきました。

アジア太平洋戦争関係では、以下の書籍を買ってきました。リンクは東南アジア書籍の専門店 Select Books (日本にも送ってくれます)のページです。

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2006年 12月 28日 午前 12:00 | | コメント (2) | トラックバック (0)

2006.12.26

小さなインド

24日は雨がけっこう降ったのですが、私が泊まっているホテルの前のオーチャード・ロードは、ものすごい賑わいでした。祇園祭の宵山よりすごいぐらいと言うか、満員電車の中をみんなが歩いている状態と言うか、押しつぶされて死にそうでした。泣いている女の人もいたし。将棋倒し寸前でパニックになっている横でコーラスが "Silent night... all is calm" などと歌っているのがシュールな感じでした。シンガポールって、警察国家で、群集の統制は得意中の得意かと思っていたのですが、かなりイメージが変わりました。

ノートパソコンを背負って歩いていたのですが、高温多湿の屋外と冷房の効いた店などの出入りを繰り返して、結露してしまったのだと思うのですが、ホテルに帰ってブログを書こうと思ってパソコンをつけたら、メモリーの異常で止まってしまいました。電池をはずして一日置いておいたら直ったみたいです。

写真は25日に訪れたリトル・インディアにある Sri Veeramakaliamman 寺院のようす。お祭りなのか日常の礼拝なのか分かりませんが、行者のような人のあとを信者の人たちがお寺の中を練り歩いていました。サクソフォーンのようなファンキーな音色の楽器が印象的でした。

ふだんウェブで読んでいるインドの Outlook や Frontline といった雑誌を売っているのにちょっと感動しました。以前ここにも書いた Lage Raho Munna Bhai の DVD も買いました。

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2006年 12月 26日 午前 12:12 | | コメント (3) | トラックバック (0)

2006.12.24

暑い国に来ています

先ほどシンガポールに着きました。繁華街だけだと思いますが、こちらのクリスマスの飾り付けは半端じゃないです。で、深夜になっても、ものすごく人が出ていて、びっくりしました。カメラを持って出るのを忘れたので、今日は、あじけないですが、新聞とお金の写真です。今年の12月は例年になく雨が多いらしく、となりのマレーシアとともに、洪水とかが多発しているそうです。今もちょっと小雨気味です。

新聞の一番上に掲げられている「平和と喜び」の6ページにわたる特集があります。1990年以降、戦争で命を落とした人360万人、一日に$1.50未満で暮らしている人11億人、今年の1月から8月までの間に大規模な災害で被害を受けた人9,100万人、強制労働やセックス・ワーカーとして働かされている子ども840万人、全世界でHIVに感染している人3,950万人、虐待等を受ける女性10億人、という数字があげられた後、いろいろな宗教の指導者に意見を聞いています。

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2006年 12月 24日 午前 02:15 | | コメント (3) | トラックバック (0)

2006.12.23

ドイツの誇りは健全か

"National Pride Leads to Xenophobia" ― 12月22日付け Deutsche Welle に掲載された社会学者 Wilhelm Heitmeyer さん(Bielefeld 大学、紛争と暴力に関する学際的研究所所長)のインタビュー。「国の誇り」といった概念が排外主義等につながる危険性を非常に適切に指摘している。

「集団に向けられた敵意」によって、一人ひとりの行ないではなく、ムスリムであるとか、ユダヤ教徒であるとか、ゲイであるとか、ホームレスであるとか、障碍者であるとかという属性によって人が貶められる傾向がある。そのような敵意の根源には格差があることが多い。だから、日常のあらゆる局面で格差に反対していかなくてはならない。敵意や差別意識を持っている人は、社会の不統合感や方向感覚の欠損を患っている場合が多い。ここから、弱者を貶め、自分の地位に肯定的な評価を与えようとする態度が生まれる。現在ドイツで行なわれている「国の誇りを取り戻そう」的なキャンペーンは非常に問題がある。国の誇り等の概念は、社会の崩壊に対する間違った処方箋であると言える。こういったキャンペーンは社会を結びつけようという提案を行なうが、それらは自分と他者という境界を作りあげてしまう。ワールドカップのサッカーは、国への誇りと結びつけなくても楽しむことができる。報道においても、愛国心の高まりのようなものに対して、もっと細やかに、批判的な態度がとられることが望ましい。「健全な愛国心」といった用語には問題がある。これまで、国の誇りというものが排外主義を作り上げてきたことは研究から明らかだ。国の民主主義、例えば社会保障の発展に誇りを持つということは破壊的な力を持たないが、国の歴史に誇りを持つとか「この国の国民であることに誇りを持つ」といったことには慎重さが求められる。国によってその源流や歴史的な文脈によって愛国心は違った意味を持つが、例えばアメリカの愛国心は、偏狭さや宗教性の色が強く、理性的とは言えず、極めて危険だ。

というのがハイトマイヤーさんの意見である。一つひとつの国で異なる文脈で解釈されなければならないとは言え、日本の情況にもおおむね当てはまる指摘がここにはあるように思える。

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2006年 12月 23日 午前 12:22 | | コメント (0) | トラックバック (1)

2006.12.22

バグダッド市民は語る

ロイター電経由で、イラク発の IRIN の記事。バグダッド市民へのインタビュー。「こんなに多くの棺を作ったことはありませんでした」というタイトルがついている(原文)。

ムハンマド・アブデル・カデルと言います。36歳で、バグダッドのエジディダ地区に住んでいます。家族は、両親と妻と一人息子です。生まれてからずっとバグダッドで暮らしてきました。24歳のころから、棺作りをやっています。家計を助けるためです。

一日中休みなしで12時間、一週間に六日働いています。今まで、こんなに多くの棺を作ったことはありませんでした。アル・カラー墓地での需要があるので、できるだけ多くの棺を作らなくてはならないのです。

戦争が始まる前は、一日で二つか多くても三つの棺を作っていました。病気や交通事故で死んだ人のためです。でも今では、一日に最低でも二十の棺を作っています。銃撃とかで死んだ人たちのために。

私にとってはいい商売なわけです。埋葬される人が多ければ多いほどお金が入ってくるわけですから。一人埋葬するごとに、10ドルぐらいというのが相場です。でも、非人間的に、自分には関係ないよ、などと言うことはできません。遺族の苦しみを目にすると、職業を変えようかと思う時もありますよ。こんな気の滅入る光景を見なくても済むようになるならってね。

私のような棺作りの職人は今、ものすごく需要があるんです。私の仕事がこの国には欠かせないものになっています。一日に何十人という人が殺されていて、もし私が棺を作らなかったら、混乱はもっとひどくなってしまうでしょうから。

四か月ほど前に、同僚と二人で、一日に50もの棺を作ったこともあります。この墓地にもう新たに埋葬する場所がなくなるのも時間の問題でしょう。

民兵や武装組織や爆弾で殺される人もいますが、ギャングにお金を取られて殺されたり、意味のない宗派間の対立で殺される人もいます。

今までで一番辛かったのは、自分の弟の棺を作った時でした。アハメドといいました。33歳で、家具作りの職人で、子供が二人いました。私も棺を下ろす係の一人でした。弟は爆弾にやられたんですが、運命と言うか、その日は私が墓地で働く日だったんです。自分の親類が死んだのに涙を流している時間もない時っていうのがあるものですよ。

弟を埋葬して、その後、同じ日に死んだ他の13人の人たちの棺作りをしました。

弟の死は、私たち一家の悲劇でした。二人兄弟でしたし、父が1991年の湾岸戦争の時に脚を一本失っていたので、私たちが家計を支えていました。それに、その一か月前に叔父が武装勢力の手で、家の中で殺されたばかりだったんです。幸いなことに、叔父を埋葬する日は、私は休みだったので、自分の手で埋める必要はありませんでした。

イラクがこんなふうになってしまっているのを見るのはとても悲しいですね。私の子どもが暴力のない、もっとよい国で、幸せと尊厳に満ちた国で暮らせるようになるのを願っています。

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Falluja, April 2004 ブログにトラックバックを送ります。

2006年 12月 22日 午前 12:30 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2006.12.21

クリスマスとタバスキ

A joyeux Noel in Muslim Senegal ― クリスチャン・サイエンス・モニター紙に掲載されている西アフリカのセネガルからの報告。セネガルは人口の95%がムスリムだが、キリスト教にも寛容な雰囲気にあふれており、ムスリムたちもイエス・キリストの生誕の日であるクリスマスをともに祝うそうだ。首都ダカールには、クリスマスツリーやサンタなどの飾り付けがたくさん見られる。

これを「クリスマスの商業化」として眉をひそめるキリスト教徒もいるかもしれないが、ダカールに暮らす記者の Claire Soares さんには、宗教に対するセネガルの人たちの包容力の証しだと思えると言う。女性の服装も至って自由だし、イランのアハマディネジャド大統領が訪れた時も、女性記者たちは慌ててタオルで頭を覆ったものの、イラン側が求めたように会見場の後部に移動することは拒んだ。「同じムスリムでも、自分たちのやり方があるのだ」と人々は言う。

今年は、クリスマスのすぐ後にイスラムの大きな祝日であるイード・アル・アドハーがあるため、お祝いの雰囲気は例年にも増して高まっている。Eid al-Adha はセネガルではタバスキ(Tabaski)と呼ばれている。イブラヒームがアラーにささげものをした記念の日だそうだ(聖書やトーラーで言えば創世記22章に出てくる話だ)。

私の住む街も、クリスマスのイルミネーションがまぶしい。宗教を持たない私は、それこそ商業化とか消費主義のけばけばしさと見てしまいがちだが、この記事を読んで、私も寛容に、ともに祝う気持ちを持とうと思った。

というわけで、少し早かったり遅かったりするけれど、Merry Christmas! Eid Mubarak! Happy Hanukkah! Happy Winter Solstice! これからの一年、私たちが寛容でありますように!

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2006年 12月 21日 午前 12:00 | | コメント (1) | トラックバック (0)

2006.12.20

独裁者の名前

実は私も、かれこれ20年近く気にしていたのですが、今さらだれかに聞くのも恥ずかしくて、そのままにしていたことが解説されていました。"How do you pronounce Pinochet?" ― Slate 誌に載っていた Daniel Engber さんによる解説です。今月の10日に死んだチリの独裁者 Augusto Pinochet 将軍の名前の発音についてです。

日本の新聞はみんな「ピノチェト」と表記していると思いますが、英語のニュースとかを聞くと、「ピノシェイ」みたいに発音していることが多いですよね。結論から言うと、「ピノチェト」でも「ピノシェト」でも「ピノチェ」でも「ピノシェ」でもいいそうです。

フランス系の名字だから「ピノシェイ」と発音するのかなと考えていたのですが、それもある(ブルターニュ地方の名字だそうです)けど、チリでは、

  • 上流階級の丁寧な話し方では ch は「チ」の音だけど、民衆のくだけた話し方では「シ」に近くなる
  • 会話では、語末の t は脱落することが多い

ので「ピノシェ」になるのだと説明されています。彼自身がどう発音していたかに関しても、諸説あるそうです。

考えてみれば、彼がクーデターで倒したアジェンデだって、「アイェンデ」とも「アリェンデ」とも読めますものね。どれか一つが絶対的に正しいということはないんだ。

あ、ところで、この記事のタイトルを見て、「…は安倍晋三だ!」とか続くと思った人がいらっしゃいましたら、ご期待に添えず、すみません。まあ、彼は民主的に選ばれた人ですからね。もちろん、ヒトラーだってそうだったわけですから、しっかりと批判すべきところは批判していかないと、この先、どうなるかは分かりませんけれど。

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2006年 12月 20日 午前 12:00 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2006.12.19

ダリット、寺院に入る

Caste Hindus agree to allow Dalits into temple ― インドの The Hindu 紙の記事。インド東海岸オリッサ(Orissa)州ケンドラパラ(Kendrapara)地方のケレダガダ(Keredagada)という村にある ジャガンナート(Jagannath)を祀った創建300年になる寺院に不可触民ダリットの立ち入りが認められたと伝えている。The Statesman 紙にもう少し詳しい記事がある。

4人のダリットが12月14日に寺院の構内に入ったため、カースト・ヒンズーたちが怒り、緊張が続いていた。ダリット階層の人たちはヒンズー寺院に立ち入ることが許されておらず、この寺院では外壁に9つの穴が設けられており、彼らはそこから寺院内の神体を拝謁(darshan)し、礼拝(puja)を行なっていた。今後、その穴は取り壊され、新しい門が建設されるとある。はっきりとは書かれていないが、ダリット専用の入り口が作られるという意味だと思う。

ダリットの入場に抗議して祭司たちが職場放棄し、上位階層の住民がハンスト(dharna)を行なうなどしたが、カニカ王国の王の子孫である Rabindra Narayan Bhanjdeo 氏や中央政府の高官が説得にあたり、話し合いがまとまったらしい。立ち入りの強行は、高等裁判所が「すべてのヒンズー教徒に寺院立ち入りの権利がある」という裁判所命令を発したことを受けて行なわれたらしいが、司法の範囲を逸脱した命令だという非難も一部から出ているらしい

封建的な考え方から、平等や共棲を介入によって実現しようとする国家の意志まで、ものすごく多様な価値観がぶつかりあう場だったのだろうなと思う。どちらかと言えばいい方向への歩みが始まっているように私には見えるけれど、どうなんだろう。

ダリットに対する差別や、それに対抗した闘いについて知るのにあたって、ambedkar.org と、キリスト教系支援団体 Dalit Freedom Network が rss 配信を行なっているのを知った。しばらく購読してみるつもり。差別は、遠くの、習わしの異なる国の話ではなく、私たちの身近に残っている問題だと思う。きっと何か学べるものがあるはずだ。

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2006年 12月 19日 午前 12:00 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2006.12.18

手話・口話論争

今さらのように、ろう児童に対する「手話・口話(読唇)」教育論争が起こっていることを知人から知らされた。事の発端は、読売新聞の「聞こえなくても可能性は無限」という特集に森川佳秀さんという人が寄稿した「聾学校の言語教育、手話よりも「読唇」優先で」という記事だ。記事の中で森川さんは、ろう学校における手話教育は読唇能力の獲得を妨げ、日本語の習得を難しくするのでよくない、という主張を展開している。この主張に対し、ろう者である木村晴美さんのブログなどで反発の声が広がっている。

私は言語学を専門としているが手話に関しては門外漢であるし、ろう者でもないので、断定的なことは何も言えないのだけれど、森川さんによる手話(日本手話のことだと思う)の描写は、いささか的外れであるように思う。

  • 手話は「顔の表情と指文字を併用」すると書かれているが、手話の構成要素のうち、手に関するものが指文字だけではなく、例えば手の位置や動きも含まれることは、手話で話している人を見れば、だれでも気づくことではないだろうか。
  • 「語彙数は8000語」と言うが、その数は、おそらく、現存の辞書に収録されている語の数であって、調査研究が進んでいるとは言い難い言語において、辞書に載っている語がすべてではないことは、だれが考えても明らかだ。日本語だって、辞書に載っていない言葉がいくらでもあるではないか。
  • 「明確な文法規定がない」とはどういう意味か。1980年代以降、手話の言語学的な分析は着実に行なわれてきており、その文法記述は精緻化してきていると私は信じている。逆に、日本語(あるいはいかなる音声言語でも)の文法理論で「文法的な文の集合をすべて、そしてそれのみを生成する規則または原理」の規定に成功しているものがあるとでも言うのだろうか。
  • 「文章の関連づけが曖昧で情緒的に理解してしまう」という部分は、私の理解の範疇を越えていて、何をどう反論したらいいかも見当が付かない。
  • 言語能力の習得において、大脳のウェルニッケ中枢の一部、「角回」の発達が不可欠であり、そのためには音声言語の学習が必要であると言うが、失語症をめぐる脳生理学的な研究によれば、手話話者がウェルニッケ中枢に損傷を負った場合、手話の運用能力に障害が生じることが知られている。つまり、手話話者も音声言語話者と同様にウェルニッケ中枢に言語処理能力の局所化が起こっていることが知られているわけである。

このように、言語学的な観点からは、森川さんの論は説得力を全く持たないと思われるし、言語教育的な観点(手話を先に学んだ話者が日本語の学習に困難を来すか否か)についても、しっかりとした考察が必要とされているように思う。

それにも増して問題なのは、ろう者が日本の社会で生きていくためには、その主流の言語(日本語)にすり寄らなければならない。それを実現するには「手話を使わせないため両手を縛って教え」ることも許されるとする考え方だと思う。「手話を身につけるのなら中学生でも遅くない。その人が将来、手話を使うか口話を使うか、その選択権を奪ってはならない」と言うが、逆に、幼い時期に、手話によって他のろう者と語り合い、その連帯感(文化、アイデンティティ)を育むという権利は奪われていいのか。おそらくここには、私には思いも寄らないほどの大きく深い問題が隠れているのではないかと思われるが、この部分での森川さんの主張はあまりにも公平性を欠くように私には思える。

ろう者だけでなく、マイノリティとかサバルタンとか、いろいろな形容ができると思うが、それらの人たちを周辺に追いやり、語らせないようにし、黙って一方的な同化を強いることによって近代国家は形作られてきたと言うこともできるだろう。そういうことに気づく時代に私たちは生きているはずだ。そう考えた時、手話教育否定論は、激しく時代錯誤的であると言えると私は思う。

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2006年 12月 18日 午前 12:48 | | コメント (5) | トラックバック (1)

2006.12.17

もし自民党がリフォーム業者だったら

ポスターの写真:スピーディーな国家のリフォームなら安普請にお任せください

住み慣れた家でも、長い年月が経ちますと、いろいろと不都合が出て来るものでございます。弊社「安普請」は、日本の伝統と文化を生かした「美しい家作り」を合言葉に、みなさまのお宅をリフレッシュさせるリフォームのお手伝いをさせていただきたいと考えておるところでございます。

日本の家屋の場合、子供部屋の耐久年数は、よくて60年程度と言われております。今年、当社が展開して参りました子供部屋改装キャンペーンは、去る12月15日をもって好評のうちに終了させていただきました。ご利用、誠にありがとうございました。

弊社セキュリティー部門も、同日、一部上場を果たし、年明けには社名変更の運びとなりました。これにより、今後は、みなさまのお家を外敵から守るだけでなく、ご近所の警備などにもより幅広く活動して参ります。弊社がこれまで封印しておりました新技術の開発機運も高まっております。

来年はいよいよ、「屋台骨を取り替えよう」キャンペーンに邁進していく所存でございます。旗や歌は何百年経っても古くはなりませんが、屋台骨はそうは参りません。新しい時代にふさわしい新しい屋台骨で、あなたのお家も再チャレンジ!

スピーディーな国家のリフォームなら、安普請やすぶしん にお任せください!

弊社代表安倍晋三自ら出演のTVコマーシャルも絶賛放映中でございます。ぜひご覧ください。

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2006年 12月 17日 午前 12:00 | | コメント (6) | トラックバック (10)

2006.12.16

蹴るパレスチナの女たち

Palestinian women claim place in soccer ― AP電。パレスチナの女子サッカー・ナショナルチームを紹介している。

アラブ世界では、女子サッカーは歴史も浅く規模も小さい。パレスチナに最初に女子サッカーのチームができたのは3年前のことである。現在でも4チームしかなく、リーグも存在しない。サッカー協会は予算のほとんどを男子サッカーに回してしまうので、女子チームは海外遠征もままならない。フィールドも男子チームが使うので、ふだん、女子チームはテニスコートなどで練習している。

イスラム教徒の間では、女がサッカーをすることに否定的な意見もあり、ナショナルチームの選手の3分の2はキリスト教徒だ(イスラエル占領地域におけるキリスト教徒の比率は2%にも満たない。ヨルダン、レバノン等の難民キャンプでの比率は約8%。ei の記事による)。ムスリマの選手は、スカーフをかぶり、長いショーツをはいてプレーする。

残念ながら、パレスチナの女子サッカー・ナショナルチームは今まで一勝もあげることができずにいる。FIFA のランキングを見てみた。パレスチナは、男子は206か国中137位に入っているが、女子は表に載ってさえいないパレスチナ・サッカー協会のサイトを見ると、「女子チームの練習風景」という写真があるのだけれど、アラビア語が分からない私には記事へのリンクとかは見つけられなかった。

この夏のイスラエルによるガザ攻撃の間は、練習もできなかったという。そして、攻撃が止んでも、イスラエルによる移動禁止措置によって、ガザの選手と西岸地区の選手はいっしょに練習することもできない。海外遠征の際、試合に先立って、はじめて揃って練習することになる。

ナショナルチームを、あるいはパレスチナでの女子サッカーそのものをサポートするようなことってできないかなあ。日本に招いて練習合宿してもらうとか。パレスチナに興味のある市民だけでなく、サッカー好きな人たちはもちろん、スポーツ系の国会議員とか、企業とか、ちょっと意外な組み合わせで活動できそうな気がするのだけれど。

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2006年 12月 16日 午前 12:00 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2006.12.15

手をたずさえる時代

昨日は、授業を終えて急いで部屋に戻り、参議院の中継をネットで見ました。午後6時04分。教育基本法案が特別委員会で可決。悔しかったです。昔のことを思い出しました。

2003年の7月8日、私は参議院の文教委員会を傍聴していました。当時、私は国立大学に勤務しており、6月末まで組合の執行委員をしていて、国立大学法人化に反対する立場で、審議を見守っていました。自分が悪法だと確信している法案が目の前で可決される虚しさや屈辱を味わいました。その時に職場のメルマガに書いた傍聴記を読み返してみました。審議と採決のようすを伝えた後、私はこう書きました。

私は、自分たちの雇用や労働条件を守るという地道な仕事と、自由や平和や平等、民主主義などの理想を実現していくという働きを組合に期待します。法人法案廃案は、その二つの目標がぴったりと重なり合った、ある意味で取り組みやすい課題だったのだと思います。これから先、この二つは表面上、別々の道になってしまうでしょう。法人化準備の中、私たちの職場を脅かす力は今までとは比べものにならないほど強くなり、より具体的な姿を見せてくるに違いありません。その一方、教育基本法や憲法を変え、戦争のできる国を作ろうという動きもまた、弱まることはないでしょう。その根は一つなのだろうけれど、実際の私たちの取り組みはばらばらになってしまいかねません。

職組が取り組まなければならない課題をいくつか検討した後、私はこう書いています。

これらは、どれも、組合員みんなが腹をくくって力を合わせなくては動かすことができない大きな岩のような課題です。社会を変えようなどという大それた考えをいだいていなくても、自分の生活を守りたいだけでも、そのためには手をたずさえ、そして一人でも多くの仲間を見つけて、行動していかなくてはならない、そんな時に私たちはいるのではないでしょうか。

3年余りの時が過ぎ、憲法を変える企みの大きなステップが現実になってしまいました。この間に、私は国立大学から私立大学へと職場を移しました。でも、問題は同じなんです。教育に短期的な経済的な尺度を当てはめて教育の姿を歪めていく力。一人ひとりの自由な思考を育てるのではなく、経営者や指導者の求める方向性を受け容れる人を生産するための飼い慣らし。

こんなことで「教育が再生する」わけなどないことは、明らかだと思うのですが。単調なパターン美が形作られる以外に「美しい国」が近づくわけなどないと思うのですが。

3年前には、新幹線に飛び乗って国会の傍聴に行ったのですが、今、私にはそれを許す健康がありません。国会のまわりに集まる人々に思いを託すのみです。でも、数年後、もし憲法が変えられようとしていたならば、私も必ず国会の前に行きます。国会を取り巻くみなさん、そしていろいろなところから私と同じような思いに駆られているみなさん、(必ず来るであろう)その時に会いましょう。そして、それまで、一人ひとりの場所で、できるかぎりのことをやっていきましょう!

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2006年 12月 15日 午前 12:58 | | コメント (2) | トラックバック (6)

2006.12.14

長い日

ファクス送信中

これを書きながら、裏で参議院教育基本法特別委員会の委員へのファクス送信をしています。かなり多くの議員のところでお話し中で送れないことが、逆に励みになったりします(まさか受話器を外してたりしませんよねえ)。ウィンドウズを使っての一斉送信については、先月の記事(これこれ)をご参照ください。

文面は、以下のようにしました。文才が欲しいところですが、送らないより送るほうが数十倍ましのはず。与党の人に送っても野党の人に送ってもおかしくないようなものを目指したつもりです。文章が思いつかなくて面倒くさくなっている人がいらっしゃいましたら、よろしければお使いください。

今日、教育基本法に関する特別委員会での審議が打ち切られ採決が行なわれるかもしれないと聞いています。

教育は国家百年の計と言われます。どうか、じっくり審議してください。これから教育を受ける世代の将来を決め、日本の国家としての方向性にも大きな影響を与える重要な問題についての判断を、「何があっても今国会で成立させる」といった党派性の強い目先の都合で拙速に行なうことに、国民の一人として強く反対します。

参議院に「良心の府」としての働きを期待するのは、はなはだ時代遅れなのかもしれませんが、悔いのない民主主義を貫徹しようとするならば、今日、明日の採決が行なわれることは許されないと思います。

国会のまわりで座り込み、人間の鎖などの抗議行動に参加していらっしゃるかたがたに、京都から連帯のメッセージを送ります。寒い中、足を運べない私たちのぶんまでがんばってくれて、本当にありがとう。

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2006年 12月 14日 午前 01:24 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2006.12.13

アビジャンからの調査報告

Toxic Waste Scandal Becomes a Political Football ― IPS の記事。コートジボアールのアビジャンで海外から搬入された産業廃棄物によって10万人以上が病院で手当を受け、10人が死亡した事件(このブログでは9月15日9月27日に書いた)の続報。Laurent Gbagbo 大統領と Charles Konan Banny 首相の間の権力闘争の中に回収されてしまったようである。

事件発生後、港湾局長、税関長、州知事が停職処分を受け、首相側は停職期間を延長しようとしたが、職務復帰を命じる大統領令が出された。コートジボアールでは2002年以降、北部の反政府勢力との抗争が続いており、国連安保理決議1721により首相府が強化されたことなどが背景にあるらしい。

不法投棄事件自体については、オランダのアムステルダム市の調査で、Probo Koala 号の出港停止を船舶による海洋汚染について定める MARPOL という条約に則って命じるべきだったという結果が出ている(Reuters電)。また、コートジボアール政府の調査委員会の報告については、アメリカ政府の広報機関 Voice of America に記事がある。それによれば、Trafigura 社がコートジボアールにおいた実質的な子会社 Companie Tommy にめちゃくちゃに安い値段で処理を請け負わせたとしている。政府の交通担当省、環境省、税関なども責任を免れ得ないという報告だったようだ。

Trafigura 社は、運搬、売り渡し等に違法性はなかったと主張している(ENSの記事を参照)。上で言及した二つの調査の結果を信じれば、同社は責任を免れることはできないと思われるが、仮にすべてが合法的であったとしても、健康被害が発生し人命が失われたことは事実なのだから、そのようなことが繰り返されないように世界を変えていく必要があることは間違いない。

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2006年 12月 13日 午前 12:00 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2006.12.12

サイードの秘密の生活

水曜日(13日)には、パレスチナの演劇、モハマッド・バクリさんの一人芝居『悲観楽観非運のサイード』を観に行くつもりでいます。詳しくは、ビーさんの P-navi info の記事(イスラエルのパレスチナ人俳優ムハンマド・バクリィが来日公演、および転載:バクリ「悲観楽観悲運のサイード」東京公演の感想)をご覧ください。

この劇については、今年の元旦にこのブログで短い紹介を書きました。まさか今年中に日本で、しかも京都でこれが観られるとは思ってもいませんでした。原作の小説は、一月初めに読んだのですが、こちらも日本語に翻訳されて刊行されたようです:エミール・ハビービー著、山本薫訳『悲楽観屋サイードの失踪にまつわる奇妙な出来事』(作品社)。

元旦の記事を読み返してみると、私、「パレスチナとイスラエルの問題に、自分にできるところから、継続的に取り組んでいきましょう!」なんて書いていますね。今年一年、何もやってないじゃないか、と反省中。自分を責めてばかりいても、しかたないけど。

それで何かした気になるためではなく、これから何をしなくてはならないかを確認するために、今年書いたパレスチナ関係の記事をリストしてみようと思ったのですが、考えてみると、そういう手間を省くためにタグを付けているのですよね。「パレスチナ」のタグの付いたこのブログの記事のリストをテクノラティで見てみると、こんな感じ。11月にもいくつか書いているんだけどな。それに年の初めのうちはタグを付けなかった時もあるからなあ。実際はもう少し書いているはず。

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2006年 12月 12日 午前 12:00 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2006.12.11

1979年のイランで

イスラム革命直後の1979年8月27日、イラン西部の Sanandaj で11人のクルド系住民が射殺された。現場に駆けつけた Ettela'at 紙の記者 Jahangir Razmi さんが撮った写真は、撮影者不詳のまま、ピューリッツァー賞を受賞した。米ウォールストリート・ジャーナル紙の Joshua Prager さんがその経緯を NPR のインタビューDow Jones のインタビューで語っている。"Pulitzer Prize photographer is revealed, 26 years later" という英インディペンデント紙の記事で知った。

NPR のページに掲載された写真がピューリッツァー賞に輝いた写真で、それを見るだけでも切ないが、ウォールストリート・ジャーナル紙のサイトに、この瞬間の前後の合計27枚の写真がある。悲しみや怒りで胸がいっぱいになる光景だ。「国賊」とされた人たちの中には、単に銃を所持していたというだけで罰せられた人や、兄弟がクルディスタン独立運動の活動家であるというだけで罰せられた人もいるらしい。当日、ラズミさんは当局の許可を得て取材にあたっており、また海外への写真配信も彼の関知しないところで行なわれたため、ホメイニ政権によって罰せられることはなかったと言う。原理主義への回帰を強めているように見受けられる今日のイランで今後も彼が安全に暮らし続けることを保障するのは、私たち一人ひとりの責任であるのかもしれない。

とても衝撃的な写真であるので、紹介記事を書くのがいいことなのか、ちょっと悩んだりする。私のブログを好んで読んでくれる人たちであれば、宗教や民族に対する憎悪のような形に思いを結晶化させることはないだろうと信じて、筆を擱く。

注:イランは、ペルシャ湾の上に座ったネコの後ろ姿のような形をしている。サナンダジは、ネコの首の左側のくびれた部分にある。

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2006年 12月 11日 午前 12:00 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2006.12.10

世銀報告が新自由主義に厳しい評価

The Persistently Poor ― ワシントン・ポスト紙の記事。12月8日付け。世界銀行の内部独自評価で、世銀の新自由主義的な方向性に疑問を投げかける結果が出たことを伝えている。評価報告自体は10月に出たもののようだ。

最貧国25か国において、1990年代半ば以降、貧困の緩和が起こったのは11か国にとどまり、それ以外の14か国では貧困の度合いは横ばいかむしろ悪化する傾向が見られたという。このような傾向は世界全体にも当てはまるとしている。特に状況が悪いのは、非都市部で、国全体の経済が拡大しても、非都市部はその発展から取り残されることが多い。その一方、より平等な富の分配によって、経済成長の度合いは大きくはないものの貧困の撲滅に大きな進展を見せた国としてブラジルがあげられている。

調査はまた、通貨の自由化、年金の財政健全化、公共サービスの規制緩和や民営化などばかりに注意を集中し、弱者の保護を顧みなかった世銀の政策に異議を唱えている。経済発展が貧困緩和の大前提とするような考え方の行き詰まりを率直に映し出しているように思える。

世界銀行内部でも、ネオリベラリズムや早急なグローバリゼーションに反対する意見が強まってきたことは、注目すべきことのように思う。

まだ読んでいないのだけれど、報告書 Annual Review of Development Effectiveness 2006 はここ。世銀執行部からのコメントらしきものもある。

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2006年 12月 10日 午後 01:16 | | コメント (2) | トラックバック (2)

2006.12.09

ムミアとA級戦犯

Mumia after 25 years

25年前の12月9日未明、ペンシルバニア州フィラデルフィアの路上で一人の警官が射殺された。その犯人として、黒人の Mumia Abu-Jamal が逮捕され、裁判において無罪の主張を繰り返すも、翌年、彼は死刑判決を受ける。この裁判で、陪審員の選定が人種差別的に行なわれ、公正な裁判が受けられなかったとして、ムミア・アブ・ジャマルは今日に至るまで、再審請求を続けている。

今年の春、フランスのパリ近郊にある Saint Denis 市で、政治犯としてのムミアの闘いを支援するために、ある通りに彼の名前が冠された。このブログでも紹介したとおりである。それが違法だとして、フィラデルフィアの共和党員たちが、フランスで裁判を起こしている。人の生命を奪ったり肉体を傷つけたりする者の顕彰を禁じるフランス刑法24条第2項(1881年制定)の違犯だというのがその論旨である(Saint Denis 市当局は、すぐに抗議の声明を出した)。アメリカ議会下院も、12月6日に サンドニ市を批判する議決を行なっている。

そもそもが冤罪なのではないかと言われているところで、こういう提訴や議決をすることが妥当であるのか、私にはとても疑問に思える。

話変わって、日本の過去について。韓国のハンギョレ新聞の記事 "Koreans sue controversial shrine" によれば、戦死した元日本兵として靖国神社に合祀されている朝鮮出身者の遺族たちが、靖国神社を相手取って、合祀をやめるよう訴える裁判の準備を進めている。来年の3・1独立運動記念日を目処に提訴を行なう予定。

こちらの裁判については、いわゆるA級戦犯たちの戦争犯罪が極東軍事法廷(東京裁判)で立証されており、その裁判の結果をサンフランシスコ平和条約によって日本も受け容れることを宣言していることを考えれば、それらの人道に対する大罪を犯した極悪人たちといっしょにされることの苦痛は十分理解できるし、それを裁判によって是正しようとすることの妥当性は首肯すべきであると私は考える。

おそらく、人々の正義感とか歴史認識というものはあまりに多様で、万人が納得するような結果が得られるというような幻想はいだけないのであるけれど。

画像はムミアの拘束25周年にあたって今日開かれるフランスでの集会のポスター。

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2006年 12月 9日 午前 12:23 | | コメント (0) | トラックバック (1)

2006.12.08

ダムを問う

The Independent 紙の記事によれば、中国の四川省で大渡河(Dadu)の瀑布溝(Pubugou)ダムの建設に反対していて、2004年の夏に暴動で警察官の殺害に関与したとされている Chen Tao 被告が処刑されたらしい。

このダムは、何千人という人々が十分な補償のないまま立ち退きを余儀なくされるため、反対が強かったが、その集会で「警察官を意図的に殺害した」という罪に問われていたのだと言う。

BBC の英語中国語の記事も見つけたのでリンクを追加。処刑された人の名前の漢字表記は陳滔。

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2006年 12月 8日 午前 01:06 | | コメント (0) | トラックバック (1)

2006.12.05

植民地支配下のハンセン病患者隔離に賠償

2日ほど前のAP電: "Japan to compensate victims of leprosy" によると、日本が植民地支配していた時代に韓国でハンセン病患者として隔離政策の対象となった人たち64人に日本政府が1人6万9,000ドル(約800万円)の賠償金を払うことにしたそうです。今回を含めて韓国では155人のハンセン病元患者が賠償を受けたことになるが、日本の厚生労働省によると、まだ282人、賠償の行なわれていない元患者がいるとのことです。

ハンセン病を患っていた人たち、特に植民地支配と合わせて二重の人権侵害に耐えなければならなかった人たちへの責任を国が認めて賠償を行なったことを、遅すぎるとか額が十分ではないだろうとかの不満は感じつつも、評価したいと思います。このニュース、日本の新聞で詳しく読めるかなと期待していたのですが、私の取っている新聞では記事になっていないようでした。基本的に、政府や「国家」への信頼を回復させる方向性を持ったいいニュースだと思うんだけどな。

補償の対象となるかたたちは、既に高齢なのだと思います。どうか少しでも彼ら彼女たちの人生がよいものになりますように。

ココログは、12月5日の朝から12月7日の昼過ぎまで、連続53時間の大規模メンテナンスを行なうそうです。というわけで、明日、明後日はこのブログもお休みにします。コメント、トラックバックもできないそうです。さびしいな(ついでに、お礼を。いつも私の下手な文章を読んでくださるみなさま、ありがとうございます)。

一足早く、部屋の電気を消して、ろうそくの灯りで、ゆっくりした夜を過ごしましょうか。いや、参議院議員たちに教育基本法採決をやめるようにファクスを送らなくてはなるまい。というか、それより前に、遅れている仕事を終わらせて、同僚たちに謝らなくちゃいけない。

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2006年 12月 5日 午前 12:00 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2006.12.04

プラムディアの四部作を読んだ

今年の4月に亡くなったインドネシアの作家、プラムディア・アナンタ・トゥル(Pramoedya Ananta Toer)の『ブル四部作(Buru Quartet)』を読みました。プラムディアが政治犯としてブル収容所に投獄されていた時に執筆した4冊の小説で、This Earth of MankindChild of All NationsFootstepsHouse of Glass から成ります。第4巻を除く3作は、めこん社から『人間の大地()』、『すべての民族の子()』、『足跡』として翻訳出版されています。私のイチオシです。

ちょうど一世紀ほど前のインドネシアというか、オランダ領東インド諸島が舞台で、Minke という少年が植民地支配を厳しく糾弾するジャーナリストになっていく姿を描いたものです。人種差別に毅然と対決し、理性的に帝国主義の実相を暴き、民衆を率いていく姿は、現代にあっても英雄と呼ぶに相応しいと思いました。実在の人物を下敷きにしているようですが、いろいろな挫折を乗り越えていく設定も感動的です。ともすれば将来への希望を失いかねない今の日本で、子どもたちの課題図書にするといいのではないでしょうか。

ネタバレしないようにすると漠然としたことしか言えないのですが、最初の3冊は、主人公 Minke の一人称の語りです。最後の巻は、一転して、植民地政府の官僚となった現地人の視点からの記述になります。第3巻の半ばがちょっと中だるみした感じがありますが、あとは、ものすごい迫力です。特に第4巻は、体制の内部から見る形を取っているので、自民党政権とかブッシュ政権とかのやり口みたいなものを理解する上でも、とても参考になる気がしました。話の舞台からは一世紀経っているけど、人間のやっていることって、あまり変わっていないんだな、と思いました。

プラムディアの作品では、この『ブル四部作』のほかに、インドネシアの1945年8月14日と15日を描いた The Fugitive もお勧めです。The Fugitive のほうが、静かで落ち着いた雰囲気です。ブル四部作は収容所生活の中で書かれたというだけあって、ちょっと荒削りなところがあります。ノーベル賞を取れなかったのは、そこらへんが問題だったのかな。

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2006年 12月 4日 午前 12:39 | | コメント (0) | トラックバック (1)

2006.12.03

明けの明星の旗

世界第2位の規模の経済を有する国がことさらに「国旗」だの「国歌」だのに拘りを見せると、私の目にはそのナショナリズムが余剰のエネルギーとして映り、その向かう先を心配してしまう。

しかし、よく知られているように、世界には、国になれなかった人々がおり、占領されたままの土地がある。一つの土地の一つの民族の中でも独立を望む人も望まない人もいることだろうし、独立への主張が合理的か否かを見極めるための一般的な方程式はおそらく存在しないのだろうけれど、それらの人々が胸に抱くナショナリズムを、強国のナショナリズムと同じ物差しで測ってしまうのはよくないように思う。

12月1日はインドネシアの自治州、西パプア(ニューギニアの西半分、イリアンジャヤ)の幻の独立記念日だったそうだ。ジャカルタ・ポスト紙の "Bintang Kejora flags fly in Papua's sky" という記事が、反政府運動の象徴として禁止されている Bintang Kejora (明けの明星)の旗がこの日、西パプアで揚げられたことを伝えている。

こういう旗だそうだ。

Bintang Kejora

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2006年 12月 3日 午前 01:22 | | コメント (0) | トラックバック (1)

2006.12.02

スプレー式コンドーム

世界エイズデーだった12月1日に合わせたのか、ドイツの会社が「スプレー・コンドーム」という新製品を発表した。スプレーで液化した合成ゴムを吹き付けると、わずか5秒でラテックスの膜が作られるというもの。装着に手間取って気まずい雰囲気になることもなく、また、どんなサイズにも合うのも魅力的だとされている。2008年夏に商品化される予定らしいが、膜の有効性などについて認可手続きがこれから必要だとのことだ。

Scientific American のサイトに掲載されていたロイター電で知った。製造元のサイトに、図解や、ファッショナブルなスプレー缶の写真が掲載されている(ふと、ハローキティーのロゴの入った「かわいい」デザインなどもあるといいなと思った)。サイトは残念ながらドイツ語。テスター登録も受け付けている。

ロイター電は、缶が20ユーロ(約3,000円)、20回分のカートリッジが10ユーロという販売価格になると報じている。アフリカなどでのエイズ防止策としては、もう少し安価に入手可能になることが望まれる。

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2006年 12月 2日 午前 12:00 | | コメント (0) | トラックバック (2)

2006.12.01

大統領は大学生

Obasanjo Matriculates at Open University ― ナイジェリアの This Day 紙の記事。ナイジェリアの Olusegun Obasanjo 大統領が大学に入学したことを伝えている。進学先は National Open University of Nigeria という通信制の学校。確かに合格者リストに、キリスト教神学専攻として名前が載っている。

オバサンジョ大統領は69歳で、任期があと半年残っている。ナイジェリア政府のサイトで経歴を見ると、高校を卒業した後は、士官学校などに通って、大学には行かなかったようだ。

記事には、現役の国家元首が大学に通うのは史上初めてではないかとある。オバサンジョ大統領が手放しで賞賛できるような政治家ではないことは確かなのだけれど、自分が学生であったのが遙か昔で、しかも学校教育の現場に携わったこともない政治家たちが「教育の理念が云々」「今の教育基本法は古すぎる」などと論じる国から見ると、ちょっぴりうらやましくもある。

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2006年 12月 1日 午前 12:07 | | コメント (0) | トラックバック (0)

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