インドから靖国を見る
Why Yasukuni hurts (なぜ靖国は人を傷つけるのか) ― インドの代表的な雑誌 Frontline の9月9日号に掲載された、デリー大学の Brij Tankha さんによる靖国問題の解説記事。靖国神社への首相参拝がなぜ問題となるかを、明治維新以後の国家神道の成立を歴史的に追うことによって、とても分かりやすく解説しています。靖国問題について英語で書かれた手頃な解説として、広く勧められると思います。
日本が他の国とは違うという主張を強く打ち出して明治政府が確立した宗教的なナショナリズムが国家神道であり、それは古来の神道とは異質のものであった。日露戦争のころから仏教団体の中でも戦没軍人を他の死者とは違う扱いをするような傾向が出てきて、やがてそれが「英霊」という概念となった。敗戦後の占領下で民主化が進められる中で、日本を戦争に駆り立てた軍国主義ナショナリズムを根本的に問い直す平和主義的な考え方が広く行き渡ったが、独立後、過去を隠蔽しようとする後ろ向きで閉鎖的なナショナリズムが再び擡頭した。靖国神社の復権はそのような流れの中でとらえられるべきものである。遊就館では、日本の戦いがアジアを解放するためのものであったとするような、既に誤りであることが明らかになっているような歴史観を描いた映画が上映されていたりする。小泉などの人気は、日本経済に翳りが出た後の自己防衛過剰で自信のないナショナリストたちに支えられたものだと言うことができるが、日本がそれ一色に染まってしまっていると考えるのは早計である。日本には、異なる意見をも許容する、開かれた心を持った人たちもまだいることを忘れてはならない。といった感じに要約できるでしょうか。
出だしに毎年8月8日の参拝云々とあって、私でもちょっと首を傾げたりするので、靖国神社に詳しい人が読むと事実誤認が含まれているかもしれません。今日びのナショナリストは、とかくそういう重箱の隅を突くような読み方をするようですが、「自己防衛過剰で自信のないナショナリスト」という表現は言い得て妙かも。現代のインドの人々がどのように日本のナショナリズムを見ているかをこの記事は教えてくれます。確か遊就館の横に東京裁判で少数意見を述べたインド出身の判事をたたえる碑が建っていましたよね。右寄りの人たちにとっては、この記事はインドの人から聞く意見としてはちょっと心外かもしれませんが、ぜひとも虚心坦懐に読んでもらいたいところです。
2006年 9月 17日 午前 12:00 | Permalink | この月のアーカイブへ
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