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2006.09.10

ナショナリズムに対峙する

東欧のスロバキアとハンガリーの間で、過激なナショナリズムによる対立感情の高まりが懸念されている(9月7日付けロイター電)。

8月25日にハンガリーとの国境に近いスロバキアの町 Nitra で、女子学生が電話でハンガリー語を話しているのを二人連れの男に聞きとがめられ、殴られ、ブラウスに「ハンガリー人はドニューブ川(現行の国境)の南に出て行け」と書かれるという事件が起こった。スロバキア国内ではその前後に他にも数件の反ハンガリー感情にもとづく暴力事件が起こっている(スロバキアの英字新聞 The Slovak Spectator の8月28日付け記事)。

スロバキアでは今年の7月に右翼のスロバキア国民党が連立政権に加わり、その党首 Jan Slota (自分のことを「愛国者」と呼んでいるらしい)が民族主義的な偏見に満ちた発言を続けるのを Robert Fico 首相等が看過してきたことが、事態の急速な悪化を促したと考えられている。ハンガリー国内でも反スロバキアのデモが行なわれたりしているようだが、英語で読める報道を見る限り、スロバキアでの問題のほうが深刻であるような印象を受ける(ハンガリーの通信社の記事、7日)。

歴史的には、スロバキアはオーストリア・ハンガリー帝国の属国だった。ハンガリー系住民はスロバキアの人口のほぼ1割を占める。地理的な大きさを比べれば、スロバキアはハンガリーの半分ぐらい。両国の一人あたりGDPはほぼ同程度。

自分を取り巻くナショナリズムを考える時、客観的な視座を取りにくいことがある。こうやって遠く離れた国々の事象を考えることを、自分の立つ位置を相対化するための道具にすることはできないだろうか。歴史を考えれば、日本はハンガリーのほうに近いような気もするし、過激なナショナリストが政治の中枢に食い込んでいる(この文は例えば石原慎太郎などを念頭に書いている)点では、日本はむしろスロバキアに近いのかもしれない。そのように、共感の軸を自由に設定することも可能だ。

出口もない泥沼を見るだけならば、あえて他の国の例を参照する必要もない、と言うこともできよう。その点、9月に入ってからスロバキアとハンガリーで見られる動きは、何か私たちに希望を与えてくれるようにも思われる。

スロバキアの Jan Kubis 外相とハンガリーの Kinga Goncz 外相は、3日にスロバキアのテレビにそろって出演した。そこでは「両国の間の共通な歴史に関して話がまとまっていないことが、今般の過激なナショナリズム的な傾向の原因となった」という点で両外相の意見が一致したらしい(Spectator、4日)。両外相は5日にも会談を行ない、民族的な非寛容を糾弾する共同宣言を検討したが、市民社会に十分問題解決に向けての力強い動きがあるとして宣言の発表はしなかった(Spectator、5日)。スロバキア国会は6日、過激なナショナリズムと非寛容を糾弾する宣言を賛成多数で可決した(Spectator、7日)。8日、ハンガリーの Goncz 外相は、スロバキアとの対話を通じて解決を促していく姿勢を重ねて表明した(AP電、8日)。22日には、両国政府合同のマイノリティ問題に関する委員会が開かれる(スロバキア国営通信の記事)。

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2006年 9月 10日 午前 12:00 | | この月のアーカイブへ

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コメント

「自分を取り巻くナショナリズムを考える時、客観的な視座を取りにくいことがある。こうやって遠く離れた国々の事象を考えることを、自分の立つ位置を相対化するための道具にすることはできないだろうか。」

私もつねづねそう思っているんですよ。ヒトの国をみたほうが参考になりますね。

投稿: ビー | 2006/09/11 21:10:58

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