小学校で英語
安倍内閣の文部科学大臣に就任した伊吹文明氏(自民党、衆議院京都1区)が、小学校で英語学習に関して「私は必修化する必要は全くないと思う。美しい日本語ができないのに、外国の言葉をやったってダメ」と述べたという記事を読んだ(朝日新聞)。
今の小学校教員では教えられないだろうとか、新学習指導要領で想定されている時間数やシラバスではやってもムダとかいう話なら耳を傾ける価値があると思うが、「美しい日本語ができないのに、外国の言葉をやったってダメ」という非論理、無思考にはあきれかえって物も言えない。
もちろん、イマージョン教育のように第二言語を教室での教授言語にして他の教科を教えるとかいう話であれば、子どもたちが本当にバイリンガルに育っていくのか、それとも母語も第二言語も不十分な「セミリンガル」な話者を産み出してしまうのではないかとかいう議論はする価値があるだろう。しかし、中央教育審議会が考えている小学校での英語教育はそのようなものでは全くない。英語を週に1時間ぐらい勉強したからといって日本語がおろそかになるなどという心配は、言語教育の分野での研究成果から見れば、全く無用である。そういった科学的、学術的な議論によらず、自分勝手な素人考えで政策を左右しようというのは、文科相にはふさわしくない態度である。
時同じくして、インドの Karnataka 州で、州政府が、英語で教えている学校の認可取り消しに乗り出している。現地のカンナダ語で教えるべきだ、という主張だ。英語による教育により、カンナダ文化のエソスが失われてしまう、という危機感に基づいた施策である。ここでは、日本で議論となっている「英語を教えるか」ではなく、「英語で教えるか」どうかが問題となっている。
カンナダ語が絶滅の危機に瀕しているというのは、ちょっと悲観的に過ぎる見方であろうが、英語、ヒンディー語という強力な言語との共存の中で、学校教育が英語で行なわれるために、弱い立場の地域語であるカンナダ語の使われる場が減ってしまうというのは、確かに心配する余地があるようにも見受けられる。しかし、日本では、大多数の人が日本語のみの一言語話者(モノリンガル)であるので、日本語が危機に直面する心配は全くない。それなのに、週1時間ないし数時間の英語教育によって日本語が脅かされると考えるのであれば、それは日本語の強靱さを著しく見くびった見方である。これもまた、自信を欠いたナショナリズムの露見なのかもしれない。
上の地図はMap of India のサイトのもの(自由に使ってよいと書いてあります)に、Karnataka 州の部分を赤く彩色しました。
2006年 9月 30日 午前 12:12 | Permalink | コメント (2) | トラックバック (0)






