もやい直し
もやう
- 「舫う」: 船と船とをつなぎ合せる。杭などに船をつなぐ。
- 「催合う」: 寄り合って共同で事をする。
夜行列車で今朝早く、水俣から戻りました。行き帰りと車中2泊、現地2泊。神戸でアジアのいろいろな国々の農村と交流活動などを行なっているPHD協会という団体が企画し、水俣市にある水俣病センター相思社の職員のかたに案内していただいたツアーです。
水俣の過去、現在、未来を、その有機的な連環の中に見る、とても貴重な経験になりました。18日にここに掲載した写真は、相思社の水俣病歴史考証館に展示してあったゼッケンです。患者の認定は今もまだ続く未解決の問題で、20日の写真はまさにそれを物語る場面です。認定申請を棄却され、行政不服審査を申し立てたところ、敗訴によって熊本県や国の責任が確定した水俣病関西訴訟の訴状(つまり、最高裁によって退けられた主張)を引用した回答書が寄せられ、その中に申請者をニセ患者呼ばわりするような表現が用いられていたことに関して、県の担当者が謝罪しているところです(熊本日日新聞の記事)。旅の中で、水俣病の苦しみは、加害企業チッソだけでなく熊本県や国にも大きな責任があり、また、国全体で経済発展を目指した日本に暮らす一人ひとりが考えなければならない問題であることがよく分かりました。
患者として、患者の家族として、偏見や差別と闘ってきた杉本栄子さんのお話を聞くことができました。「本当のことを知りたい」と思って裁判を闘った杉本さんは、今、だれも憎んでいないと言います。先日行った南アフリカで聞いた言葉と響き合う話でした(杉本さんの証言は岩波新書の「証言 水俣病」にも収録されています)。水俣市長として初めて謝罪し、千々にとぎれたコミュニティの絆を取り戻す運動を始めた吉井正澄さんにもお話を伺いました。吉井さんは、千差万別な立場を取る諸団体をまとめていくには、まず人々が出会う場を作る必要があり、その場で、確執のもととなっている問題を離れて共同の目的のために働いていくことの中から信頼とか相互理解が生まれると考え(ガルトゥングの「超越」でしょうか)、関係修復の企画「もやい直し」を提唱しました。もやい直しを通じ、人々の間に環境保護や人権への意識の共有が生まれたと言います。それは、経済の尺度だけでなくもっと多様な価値観に支えられた社会を目指す意識だとも吉井さんは表現していました。産廃処理場建設計画があるなど、道のりは決して平坦ではないでしょうが、水俣の歩んでいる道は「もう一つの世界」を目指しているようにも思えました。
今回の旅は、自由時間がほとんどなかったので、街の雰囲気はまだ十分に味わった気がしません。もう一回行こうかな。ガイドブック(水俣学ブックレット3 水俣を歩き、ミナマタに学ぶ)も買ったし。
2006年 8月 21日 午後 06:30 | Permalink | この月のアーカイブへ
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» 水俣病懇談会 なぜ懇談会が行政に譲歩して草案を作成しないといけないのか? トラックバック 地球が回ればフィルムも回る
*なぜ正論を言っている懇談会側が行政に譲歩して妥協しなければいけないのか?
それでは懇談会をもうけた意味がそもそもないではないか?
以下で熊本日日新聞の記者が論じている通りであると思う。
(ニュース)
水俣病懇談会 認定基準廃止見送り 委員側が譲歩の草案
環境相の私的懇談会「水俣病問題に係る懇談会」(座長・有馬朗人元文相)の提言作成協議で、委員側と環境省が対立する現行の認定基準の位置付けをめぐり、委員側が一部譲歩し、現行基準を劇症・重症患者の認定基準として認める方向で調整に入ったことが十八日、... 続きを読む
受信: 2006/08/25 0:25:39
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コメント
お久しぶりです。
日本の戦後の3大公害と言われているのはうにさんの今回のアーティクルの水俣病、サルドマイドの妊婦の投薬の為の生まれた子供の手足のない奇形の子供、それに森永乳業の砒素ミルク事件と言われています。
私も高度の森永の砒素ミルクの被害者で命は取り留めましたが52年経った今でも後遺症で悩まされています。死んでいれば少しのコンぺンセイトが事件の後10年以上も経ってから亡くなった乳児の親の家族には小額支払われたようですが助かった私の所には手紙の一通もなかったようです。
幸いにも父親が某国立大の医学部の大学院の研究所にいたので特別な治療が受けられたのですがそれでも私の治療にはその頃のお金でもかなりの支出であったようです。
投稿: chosei | 2006/08/21 22:07:06
choseiさん、コメントありがとうございました。
森永ヒ素ミルクの被害に遭われたのですか。ブログでお書きになっているかなと思って、探し、拝読しました。
http://funahara.com/blog/index.php?p=1089&more=1&c=1&tb=1&pb=1
折しも、51年前のちょうど今ごろ、岡山大で原因究明がなされたようです。
http://www.unu.edu/unupress/unupbooks/uu35ie/uu35ie00.htm
森永の事件と同じような過ちが、今でも世界のいろいろなところで繰り返されていると思います。少しずつ、みんなが前進するよう、がんばらねばなりませんね。
投稿: うに | 2006/08/22 10:04:48
いろんな所で未だに有害物質が垂れ流されていたりまだまだ資本主義経済の元になっている産業革命以後の後始末が残っています。製鉄所近辺でもばい煙・粉じん問題があり、昔は近代化の象徴であったものが全て今、考え直さねば成らない時に来てしまいました。
被害者意識と言うのはありませんがたまに、もし普通の赤ちゃんだったらどういう風に育っていたのかと考えたりします。
投稿: chosei | 2006/08/22 21:58:13
#in endearment
> どういう風に育っていたのかと
chosei さんのお書きになるものを読むと、十分に個性的にお育ちになっていたのではないかと思えます。
投稿: うに | 2006/08/23 19:43:19
うにさん
暖かいお言葉ありがとうございます。
ブログとかに自分の事を書く事はありますが自分の問題は人に話す事はほとんどありません。でも他に苦しんでいる人を見たり聞いたりするとやはり何か話したくなってしまいますね。
個性だけは善し悪しは別に、不思議にも十分に、性格と人格の形成に注ぎ込まれたよう・・・(^^; です。
投稿: chosei | 2006/08/25 7:28:55