レバノンで起こったこと、起こっていること、起こること
Do I see or do I remember? ― レバノンの著名な作家 Elias Khoury注1 が7月20日付けで London Review of Books にイスラエルのレバノン侵略についての文章を寄せている。
文章は、「今は、レバノンの死の時である」という沈鬱な一文で始まる。その後、第一次世界大戦後のパレスチナを中心とした中東の歴史の概説が示されている。Khoury は、イスラエルはパレスチナでは大きな「檻」を作ろうとしているが、レバノンについては破壊するつもりなのではないかと述べ、PLO の衰退によって、アラブ社会に宗教原理主義的でない抵抗運動がなくなってしまったことを嘆いている。文章の結びもまた、一条の希望も与えてくれない。
私の目の前には、24年前と全く同じ光景が広がっている。目に見えるものも、ベイルートやレバノン全土の空を侵略してくるイスラエル軍航空機の騒音も同じだ。私は見ているのか、それとも思い出しているのか? 目の前に起こっているのか覚えているのかが分からなくなってしまう時、私たちが歴史から何も学べなかったことが明らかになる。同じく明らかなのは、イスラエルが戦争と呼んでいるものは、まだ始まっていない戦争の最初の小競り合いに過ぎないということだ。今行なわれている虐殺が戦争だなどとは思うな。1973年以降、アラブ世界はまともに戦争などしてこなかったのだから。
イスラエルは、勝利を収めたなどと高を括ってはならない。これは戦争ではなく、戦争にならなかった小競り合いは、これから何度も何度も繰り返されるのだから。
読んでいて辛い文章であるが、正鵠を得ているように思われる。少なくとも、保守派の歴史学者 Bernard Lewis が最近のウォールストリート・ジャーナル紙に書いたような、来たる8月22日(ムハンマドが夢の中でエルサレムに飛んだ夜とされる)が黙示録的な日となるという“予言”よりも、人間や社会の現実をはるかに正しく見定めているのではないだろうか。
注1: 小説 Gate of the Sun がなかなかいいと聞いているので、今、ペーパーバックの刊行を待っているところです。
Tags: Elias Khoury, レバノン, イスラエル, 戦争, 平和
2006年 8月 13日 午前 12:00 | Permalink | この月のアーカイブへ
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