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2006.08.31

禁書週間

アメリカ図書館協会は毎年、禁書週間(Banned Books Week)という催しを開催していて、今年(9月23日から30日)はそれの25周年にあたるそうだ。American Library Association のページより。

ALA が把握している、昨年一年間に学校や公立図書館に寄せられた書籍の撤去依頼の数は405件。おそらく報告がなされていない事例がその数倍はあるだろうということだ。最も申し入れの多かった書籍は以下のもの。どれも子どもが読むのにはふさわしくないだろうというもののようだ。

  1. Robie Harris, It's Perfectly Normal日本語版
  2. Judy Blume, Forever (いくつか翻訳が出ているみたいだが、どれがこの本にあたるのか分からなかった)
  3. J.D. Salinger, The Catcher in the Rye日本語版
  4. Robert Cormier, The Chocolate War日本語版
  5. Chris Crutcher, Whale Talk日本語版

実は、私自身は原理的な「言論の自由」の擁護には熱心ではない。近鉄の京都駅の下に本屋があるのだけれど、おもての目立つ位置に渡部なんとかとか東中野なんとかとかの本が並べてあって、いつも不愉快に思ったりする。地元の図書館があんな感じだったら、怒り狂うかもしれない。

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2006年 8月 31日 午前 12:00 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2006.08.30

核と交響曲

イランの通信社のサイトを見ていたら、

8月25日 ― イランの国営交響楽団は27日、テヘランのバハダト・ホールで Kambiz Roshanravan 作曲の交響曲「核エネルギー(Nuclear Energy)」を演奏する。コンサートにはマハムド・アハマディネジャド大統領も出席する。
交響楽団は、Farhad Fakhreddini 指揮。Ruhollah Khaleqi の有名な「おお、イランよ」や国歌の演奏も予定されている。この日のコンサートは政府ウィーク(24日から30日まで)の行事の一つ。

という記事と、

8月27日 ― テヘランで原子力の専門家をたたえる式典が開かれた。アハマディネジャド大統領、大臣、国会議員などが列席し、国営交響楽団によって交響曲「核エネルギー」が初演公開された。
イランは国外からの援助を得られない中、若い科学者たちの努力によって核技術の大きな進展を実現した。

という記事にはさまれて、指揮者の Farhad Fakhreddini さんのインタビュー記事が載っていた。

国営交響楽団指揮者のファルハド・ファフレディニさんは、音楽家がもっと評価され、どのような作品を作っても尊重されることを約束されねばならないと考えている。
土曜日、インタビューに応えて、ファフレディニさんは「ある時代にたくさんの詩人、音楽家、歌手が輩出されることがある。社会がそのような芸術家を必要とし、支援する時に、それらの人々は現れるのだ」と語った。

現代のように身も心も危険の中で生きなくてはならないような環境では、よい作品は生まれないとし、政府に音楽家への援助を求めている。

うーむ。作曲家も指揮者も、「核エネルギー」(環境の面から見ても安全保障の面から見ても、そのままよい創作環境に結びつくとは考えにくい)なんて題の交響曲をやりたくはないんじゃないだろうか。ショスタコービッチなどと重ね合わせて考えてしまう。

今までに書いた、ちょっと関係のある記事:

ここまで書いてから気がついたのだが、作曲が Behzad Abdi さん、指揮が Loris Chenkavarian (または Tjeknavorian)さんという報道もある。複数の音楽家に「核」をテーマに作曲を依頼したらしい。さらに別の報道で Behzad Abdi さんが作っているのは「ホメイニ組曲」だとしているものもある。

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2006年 8月 30日 午前 12:00 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2006.08.29

アフリカの響きを聞け

African Music Radio というサイトを見つけました。24/7でアフリカの音楽をストリーミングしています。ちょうど一年前にできたサイトらしいです。私のところでは、128k ビットのストリームは途中でバッファリングで切れてしまいますが、56k ビットのほうは問題なく聞くことができます。サーバはオランダにあるようです。いろいろな国の曲がかかりますが、ヒットチャートに出るような音楽ばかりみたいですね。もう少し伝統的な感じの曲も聴けるといいんだけどな。

よさげなアフリカ音楽のサイトはほかにもあると思います。ご存じのかた、いらっしゃいましたら、お教えください。

ネットを見ていると、世界って日本のほかに中国、韓国、北朝鮮しかないと思っているような視野の狭い人がけっこう多くてうんざりしますが、アフリカの歌声を聞いて、気分を直しましょう!

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2006年 8月 29日 午前 12:00 | | コメント (3) | トラックバック (0)

2006.08.28

夜、家を追われる

地震や洪水などの自然災害にしろ、火事にしろ、襲いかかるのに時を選ばないし、逃げたり大切なものを取り纏めたりするための猶予も与えてはくれない。戦争は人の為すことだから、時刻や期限に関して無関心や非情である必然性はないけれど、往々にして天の為すことと同じほど、いやそれ以上の冷酷さをもって人々を苛む。その光景を私たちは近年、いやというほど見せられてきた。

低衝撃性の戦争とも言うべき占領でも、それは同じらしい。26日、イスラエルの占領軍は、西岸地区のナブルスで、巨大なブルドーザーを使って家屋を破壊した。軍隊がやってきたのは夜中の2時のこと。拡声器で1分以内に立ち退くように命じた後、機関銃を連射しながら家を壊し始めたらしい。作戦の目的が何だったかは、まだ明らかになっていない。30歳の Nizar Labbada さんが逮捕拘束されたが、彼の家だけでなくその道筋の十数軒の家々も破壊されたため、百人ほどの人々が家を失った。イスラエル軍に抗議した15歳の少年が射殺された。

A house in Nablus demolished by the IOF, August 26, 2006

夜が明けてからのイスラエル軍による破壊の様子を Reuters がビデオで伝えている。詳細は、他の取材陣や NGO が検問所で足止めされる中、現地にたどり着いた International Solidarity Movement のサイトで読むことができる(記事のURLが変わったので、リンクを差し替えました)。上の写真は pockets23 さんが flickr で by-nc-sa のライセンスで公開しているもの。

家屋の破壊はこれが初めてということではないし、イスラエルにしてみればテロリストを追い詰める等々の「理由」があっての行動なのだろう。そういった諸点で現実を淡々と受け入れた後でもなお、私は、真夜中に、わずか一分間の猶予で、偶然「テロリスト」が近所に住んでいたというだけの人々が、家を失ってしまうのだということに驚く。

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2006年 8月 28日 午前 12:00 | | コメント (1) | トラックバック (1)

2006.08.27

温暖化をめぐる言説の類型化

Warm Words: How are we telling the climate story and can we tell it better? ― イギリスの Institute for Public Policy Research が今月公表した、地球温暖化に関する言説の分析。メディアに現れる言説を "alarmist" (激しく警鐘を鳴らすような言説)、"settlerdom" (温暖化を否定する反動的な言説)、"small actions" (温暖化を防ぐために小さな努力をしましょう、的な言説)に分類している。TomPaine.com の記事で知った。

政権自体が温暖化に疑問を抱いているアメリカなどと異なり、イギリスでは既に温暖化は現実か否かという問題には決着がついており、その上で、望まれる方向性を議論していくにはどのような形がふさわしいのかが考察されている。温暖化の存否などは改めて述べたてる必要はない(つまり、反動的な言説にはムキになって反論したりすべきではない)、やたら大げさな言葉は読者をうんざりさせるだけなので避けるべきだ、温暖化という巨大な現実に直面しているところに「こんな小さなことでも違う」みたいな慎ましやかなことを述べるのも説得力に欠く、などの点が挙げられている。

国ごと、話題ごとの分析が必要であるが、構図自体は平和(を脅かす右傾化)をめぐる日本の言論の状況にもかなり当てはまるようにも思われる。

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2006年 8月 27日 午前 12:00 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2006.08.26

アフリカの湖

スウェーデンで World Water Week という会議が開かれたというニュースを読みました。

記事で紹介されている研究の一つが United Nations Environment ProgrammeAfrica's Lakes という文書で、プレゼン資料から以下の2枚の写真を転載します。

チャド、ナイジェリア、ニジェールの国境にあるチャド湖の衛星写真です。左は1972年、右が2002年のもの。縮小してちょっと分かりにくくなってしまいましたが、上下に分かれていた湖のうち、上のものが完全に枯渇し、下のものも極端に小さくなっています。チャド湖は、以前は上下がしっかりとつながった広大な湖で、1960年代初めには22,000平方キロありましたが(左の写真のころは16,884平方キロ)、今では300平方キロにまで縮んでしまったとのこと。これは、1960年代後半以降、サハラ砂漠以南で急激に降水量が減少したことに加え、人口の増加にともなって農業のための土地利用が進み、湖に注ぎ込む川の上流で治水のためのダムが建設されたことが大きく影響しているようです。水量の減少とともに水質が悪化したほか、ワニやサイが乱獲によって絶滅したこともあり、湖周辺の生物多様性は壊滅的な状態だそうです。

アフリカでは、気候変動(砂漠化)の他、人口の急増(50年間で人口密度が4倍になったようです)などにより、水環境は急激に変化しているようですが、水資源管理の基礎となる研究は不十分で、例えば GIS WORLDLAKE という研究データベースには、アメリカのミネソタ州だけで1万もの湖が登録されているのに対し、アフリカ全体では677しか登録されていないとのこと。こんなところでも、富の配分ってうまくいっていないんだなあ、と思いました。

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2006年 8月 26日 午前 12:00 | | コメント (2) | トラックバック (0)

2006.08.25

だから1,800メートル

沖縄の二紙が24日付けで、日米両政府が名護市に建設しようとしているアメリカ軍普天間飛行場の代替施設について、滑走路の長さが当初の計画より伸ばされて1,800メートルになったのは「有事の際のC130輸送機やMV22オスプレイの使用に備えるため」と、在沖海兵隊基地司令官のジョセフ・メディナ准将が述べたことを伝えています(沖縄タイムスの記事琉球新報の記事)。

「有事の際の代替施設の運用について、米側の想定が明らかになったのは初めて」で、「これまで日本政府は有事などの代替施設での緊急時使用は想定していないと説明しており、従来の政府説明との食い違いに批判が集まりそうだ」とされています。

5月にこの件に関して書いた時にコメントで教えていただいたようにオスプレイの配備はもう決まった話だと思っていたのですが、今まで地元への説明は全くなかったのですね。また、語弊を承知で言えば、基地とか軍とかって戦争するためにあるようなものだから、「有事」を想定していないわけがないだろうとも思うのですが、これも、説明を求めても政府は頬被りをするばかりだったということなのだと思います。不誠実で腹が立ちます。

それに関連して、漠然とした感想だけど、安倍晋三が首相になると、ますます秘密主義というか、お茶を濁して曖昧なまま逃げ切ろうという感じの政治手法がまかり通るようになりそうな気がします。そんな国には誇りは持てないぞ、美しいとは呼べないぞ。

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2006年 8月 25日 午前 12:00 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2006.08.24

キューバに行こう

フロリダのマイアミ・デード郡で、教育委員会が Vamos a Cuba (キューバに行こう)という子ども向けの本を小学校の図書室に置くことを禁止したところ、人権団体(ACLU)が異を唱えて裁判を起こし、連邦地裁判事が当該図書の撤去は違法として差し止め命令を出した話で新たな動き。

郡教育委員会が差し止めを不服として連邦上訴裁に控訴手続きをとることを決定しました。地元のテレビニュースを見ると、弁護士がお金目当てで控訴を勧めているように見えます。

Vamos a Cuba がカストロ政権下の(というか、合州国の経済制裁の)キューバの悲惨な現状を十分に伝えていない、というキューバからの亡命者たちの主張で起こった禁書騒ぎで、争点は、(1)言論の自由と(2)学校の蔵書の採否はだれが決めるか、という点ですが、当該図書の入っているシリーズ(他の国々を扱ったもの)をすべて撤去するなど、この本に反対している人たちはちょっと感情的になりすぎているような感じです。

実際の本を見てみたいですが、アマゾンだと2,639円か。32ページだと考えると、ちょっとなあ。かの国は「地上の楽園」だとして帰国を促しているわけでもなし、過敏な反応のように思えるんですが。

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2006年 8月 24日 午前 12:00 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2006.08.23

学校は山林の如し

国が大学の格付けを行なおうとしているが、基準が不明確な上に、国際的な学術誌での論文掲載数などをもとにしているとされるため文系に比重を置いている大学が不利になると予測されるため、諸大学の学長が格付けの延期を求めている。

日付を変えれば日本の話になりそうな気がしますが、今回はタイの話。22日付けのタイの新聞 The Nation を読んでいて見つけた記事 "Ranking of universities 'should be postponed'" のご紹介です。教育省は、今月の31日にランキングを発表する予定を崩していません。賛否両論あるようですが、記事に引用されている意見は、どこの国も同じと言うか、日本の教育関係者にとって、さして目を引くようなものはないように思います。

「この格付けはビジネス的な考え方だ。国はビジネスの考えを教育に当てはめようとしている」という意見が載っていますが、私も全くそう思います。おととい紹介した元水俣市長の吉井正澄さんは、今日の社会を耐震強度不足の建築に喩えていました。曰く、この社会は「経済」という鉄筋だけ残して、他の支えを省いてしまった建物のようだと。吉井さんはまた、自らの林業の営みに引き寄せて、こうも話してくださいました。自分は山に欅(ケヤキ)を植える。欅は300年ほど経たないと、木材としての価値を発揮しない。今、木を植えても、自分の利益にもならないし、自分の子どもの利益にもならない。300年経ってこの山を自分の子孫が所有しているかも分からない。しかし、今、木を植えなければ、山は持続していかないのだ、と。市場原理万能の世の中では古めかしく聞こえてしまいますが、私が教育に対して持っているイメージも、そういう感じです。

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2006年 8月 23日 午前 12:00 | | コメント (1) | トラックバック (0)

2006.08.22

ブイヤット湾に関する報道、2006年夏

2年近く前から、インドネシア・スラウェシ島ブイヤット湾住民の間で原因不明の病気が多発しているとされる問題について、継続的に取り上げてきています。金の採掘で出た廃棄物の投棄によるのではないかという可能性が指摘されており、原因究明の難しさ、国や企業の責任の取り方、患者に対する誹謗など社会的な被害の点で水俣病と似ているところが多くあります。

前回は7月のはじめに書きました。7月から8月半ばにかけて、見つけることができた報道は3点だけです。"Govt confident of winning Buyat case" (7月5日、ジャカルタ・ポスト紙)は、マナド地裁で争われている刑事裁判について、環境大臣が勝訴に自信があると語ったと伝えています。実際には因果関係の立証があいまいで、苦しい裁判になっているのではないかと思われます。"Indonesia prosecutor rejects new Newmont water tests|Reuters.com" (7月21日、Reuters電)では、被告のニューモント社側が水質検査を新たに行ないたいと申し出たのに対し、原告の国側がそれを拒否したことと、裁判所が9月上旬ないし中旬の結審を示唆したことを伝えています。"Newmont to submit new water sample" (7月31日、ジャカルタ・ポスト紙)は、裁判所が新たな水質検査結果の提出を認めたと伝えています。その後、投資家向けのウェブサイトなどでは、新たなサンプルからは水銀、ヒ素に関して環境基準を下回る値しか検出されなかったという話が出ていますが、新聞報道はまだ見あたりません。

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2006年 8月 22日 午前 12:00 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2006.08.21

もやい直し

もやう
  1. 「舫う」: 船と船とをつなぎ合せる。杭などに船をつなぐ。
  2. 「催合う」: 寄り合って共同で事をする。

夜行列車で今朝早く、水俣から戻りました。行き帰りと車中2泊、現地2泊。神戸でアジアのいろいろな国々の農村と交流活動などを行なっているPHD協会という団体が企画し、水俣市にある水俣病センター相思社の職員のかたに案内していただいたツアーです。

水俣の過去、現在、未来を、その有機的な連環の中に見る、とても貴重な経験になりました。18日にここに掲載した写真は、相思社の水俣病歴史考証館に展示してあったゼッケンです。患者の認定は今もまだ続く未解決の問題で、20日の写真はまさにそれを物語る場面です。認定申請を棄却され、行政不服審査を申し立てたところ、敗訴によって熊本県の責任が確定した水俣病関西訴訟の訴状(つまり、最高裁によって退けられた主張)を引用した回答書が寄せられ、その中に申請者をニセ患者呼ばわりするような表現が用いられていたことに関して、県の担当者が謝罪しているところです(熊本日日新聞の記事)。旅の中で、水俣病の苦しみは、加害企業チッソだけでなく熊本県や国にも大きな責任があり、また、国全体で経済発展を目指した日本に暮らす一人ひとりが考えなければならない問題であることがよく分かりました。

患者として、患者の家族として、偏見や差別と闘ってきた杉本栄子さんのお話を聞くことができました。「本当のことを知りたい」と思って裁判を闘った杉本さんは、今、だれも憎んでいないと言います。先日行った南アフリカで聞いた言葉と響き合う話でした(杉本さんの証言は岩波新書の「証言 水俣病」にも収録されています)。水俣市長として初めて謝罪し、千々にとぎれたコミュニティの絆を取り戻す運動を始めた吉井正澄さんにもお話を伺いました。吉井さんは、千差万別な立場を取る諸団体をまとめていくには、まず人々が出会う場を作る必要があり、その場で、確執のもととなっている問題を離れて共同の目的のために働いていくことの中から信頼とか相互理解が生まれると考え(ガルトゥングの「超越」でしょうか)、関係修復の企画「もやい直し」を提唱しました。もやい直しを通じ、人々の間に環境保護や人権への意識の共有が生まれたと言います。それは、経済の尺度だけでなくもっと多様な価値観に支えられた社会を目指す意識だとも吉井さんは表現していました。産廃処理場建設計画があるなど、道のりは決して平坦ではないでしょうが、水俣の歩んでいる道は「もう一つの世界」を目指しているようにも思えました。

今回の旅は、自由時間がほとんどなかったので、街の雰囲気はまだ十分に味わった気がしません。もう一回行こうかな。ガイドブック(水俣学ブックレット3 水俣を歩き、ミナマタに学ぶ)も買ったし。

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2006年 8月 21日 午後 06:30 | | コメント (5) | トラックバック (1)

2006.08.20

現在進行形

現在進行形 昨日は、認定を却下された患者の行政不服申し立てに対する熊本県水俣病対策課の会見に連れていっていただきました。詳細は稿を改めますが、行政が患者のかたたちを今も傷つけているのを目の当たりにしました。

2006年 8月 20日 午後 02:15 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2006.08.18

苦海浄土

苦海浄土 「年に一度か二度、台風でもやって来ぬかぎり波立つこともない小さな入り江を囲んで、湯堂部落がある」と、石牟礼道子さんの小説は始まりますが、台風の日に水俣に来ています。

2006年 8月 18日 午後 08:27 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2006.08.17

これも無償教育

大学の授業で教科書として指定される本には値が高いものが多い。専門書は少部数しか売れないので高いのは分からないでもないが、アメリカでは、専門書というより、まさに教科書として出版されているものも、不必要に頑丈な表紙が付いていたりして、高めに価格が設定されているような気がする(私が学生だったころの印象なので、最近は状況が違っているのかもしれない)。アメリカの大学生は一年間に教材費だけで900ドル(約10万円)の負担を強いられている。

…と、ある新聞記事を紹介しようと思って前振りをここまで書いたら、同じようなことを書いたことを思い出した。これだ。ちょうど一年前に書いている。アメリカの新聞ではこの時期に大学の教科書の話を書く習わしでもあるのだろうか。

去年より話が一歩進んだのを喜ぶべきかどうか、よく分からないが、こんな記事を見つけた: "Ads coming to texbooks"。要するに、教科書に広告を載せて、無償で配る会社が現れた、という話である。さすがに紙の本を無償で配る余裕はないらしく、PDF のダウンロードという形式になっている。試しに「生涯学習」という範疇(他に「学生」と「教員」という範疇がある)で登録してみたら、メールアドレスやアメリカ国内の住所を求められた末に、カタログに載っていたのは会計学と財政学の本5冊だけだった。かなりがっかり。

教員の間では広告の入った教科書というものに対する抵抗が強い、と記事は伝えている。さもありなん。学生の経済的な負担を軽減できるというのは魅力だし、大学生ぐらいの年齢なら、広告に騙されずに大人の判断ができるだろうという信頼もできるが、どんな広告が入るか分からないから、学生に「あの先生の指定した教科書、『初詣では靖国神社へ』っていう広告が入っていたんだよね」なんて言われたくないものな。

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2006年 8月 17日 午前 12:00 | | コメント (0) | トラックバック (1)

2006.08.16

サマワと劣化ウラン

劣化ウランによる健康被害に関する長めの記事がAPから12日付けで配信されている。私は劣化ウランのことについてはほとんど知らず、目にする議論も、ものすごくおぞましい兵器であるとするものから全く無害だとするものまであり、立場を決めかねてしまうのであるが、自衛隊も駐屯していたサマワに関する話だったため、日本で市民権を行使する人間としてとても気になったので紹介しておくことにする。もしかすると私以外の人には旧聞に属することなのかもしれない。

Deborah Hastings さんによる "Sickened Iraq Vets Cite Depleted Uranium" という記事の主人公は Herbert Reed さんというサマワに駐屯していたアメリカの復員兵で、歯茎からの出血、血尿や血便、視覚障害、甲状腺の腫瘍、湿疹、偏頭痛、関節炎など、さまざまな症状で治療を受けている。通院している復員兵向けの医療施設で、同じ部隊に属していた友人を何人も見かけたことから不審になり、仲間たちとともにアメリカの医学研究機関よりも高度な検査が受けられるとされるドイツで検査を受けた(ドイツの医療機関の名前は出ていないが、フランクフルトの大学教授がイギリス the University of Leicester で放射性同位体の研究をする Randall Parrish 教授とともに開発した検査だと書いてある)。尿に劣化ウランが含まれているという結果が出て、アメリカの病院にサンプルを持ち込んだが、そこでは陰性の反応しかでず、依然として効果のある治療を受けられずにいる。

そもそも、第一次、第二次の湾岸戦争に参加したアメリカ兵は90万人に上るのに、政府による劣化ウランの影響に関する復員兵の追跡調査は一つしか行なわれておらず、サンプル数も32名と非常に少なく、十分だとは言えない状況である。動物実験では、劣化ウランが体内に蓄積され、腫瘍が生じたり、遺伝子異常を起こしたり、新生児に障害を及ぼしたりすることが知られている(残念ながら文献等は紹介されていない)のにも関わらずである。さまざまな湾岸戦争症候群の中に埋もれてしまっている状態だ。

現在のところ、劣化ウランを健康被害に結びつける有力な証拠はないものの、第二次世界大戦時の核実験による被曝や、ベトナム戦争で用いられた除草剤の健康への影響を政府が認めたのは長い年月を経た後なので、劣化ウランに関しても、今の時点で頭ごなしに問題ないとしてしまうのは早急かもしれない。

記事ではまた、復員後、病気になり、劣化ウランの影響を疑っているが、病院では取り合ってもらえず、争っても勝ち目がないと考えてじっと耐えている元兵士も数多くいると伝えられている。

以上がこの記事の概要である。この他、劣化ウランによる健康被害に関して中道的な立場をとる研究者として Dan Fahey さんという人の名前があげられている。また、オランダ軍がサマワで放射線を測定したらあまりに値が高かったので、駐屯地を移したといううわさが紹介されている。

劣化ウランをめぐるネット上の議論を見ると、現時点での非常に限られた研究成果を過信して、危険性を憂慮する人を嘲笑するかのような一見「お利口さん」な子どもじみた発言があまりにも多いように思います。そんな状態では、万が一、劣化ウランが本当に健康に被害を及ぼすことがあった場合でも、イラクに派兵された自衛官が自分の健康への心配を口にすることを躊躇してしまうのではないでしょうか。

このブログでは、たぶん今までこれしか劣化ウランのことについては書いていない。もっと考えたほうがいい?

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2006年 8月 16日 午前 12:00 | | コメント (0) | トラックバック (1)

2006.08.15

ビリッケツと言われても

時事通信が「貧困国への貢献度、日本は4年連続最下位 米民間調査」、共同通信が「日本は4年連続で最下位 米誌、貧困問題貢献度」と伝えている。朝になって紙の新聞が届けば、もう少し詳しい話が読めるのだろうけど、Inter Press Service に、もう少し詳しい記事(英語)がある。Foreign Policy 誌の "The FP Index: Ranking the Rich" という特集と、調査を実施した Center for Global Development という機関の "Commitment to Development Index 2006" という特集に載っている調査について報じたものだ。

貧しい国を助けようというコミットメントの度合いを豊かな国21か国の間で比べると日本が最下位になるという話で、時事と共同の記事をまとめると、「経済規模(GDP)に比べ援助額が小さい」「関税障壁が高く、市場が閉鎖的」「労働者の受け入れをしない」「国連の平和維持活動に消極的」みたいな筋書きだ。取り立てて新しいこともないような感じなんだけど、日本がかなり褒められていることがあって、「労働、人権、環境に関する基準を日本企業の工場では適用しないように貧しい国の政府に長い間働きかけてきたが、その方針をやめたと伝えられている」と書いてある(FP記事2ページ目)。何だろう、これ。やめたも何も、そもそもどんなことが行なわれてきたかを知らない私。無知を恥じます。

ショックだったのが、これだ(6ページ目)。経済的な貢献の姿勢はその国の民主主義の度合いと相関があるというのを示したグラフで、左側の軸が民主化の度合い、右側の軸が国際協力のコミットメントの度合いだ。手前が一番民主的で国際貢献度も高い。で、日本は… 民主化の度合いは世界銀行の「声と説明責任の指標(Voice and Accountability Index)」というのを用いているとのこと。世界全体で見ると平均を上回る成績なのだから悲観することはないのだろうけれど、まだまだがんばらなければならないということなのか。

Center for Global Development のサイトにある地図は、Rescale のボタンを押すと各タブに示された指標を国々の大きさを変えて示してくれて、おもしろい。貿易の項目が悲惨。他の20か国がNAFTAとEUというそれぞれの自由貿易地域に加盟しているので、そのまま比べるのは不公平な気もするし、無秩序な自由貿易主義はよくないと私は思うのだけど、ちょっと複雑な気分だ。

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2006年 8月 15日 午前 12:00 | | コメント (0) | トラックバック (1)

2006.08.14

平和への信念を失わないために

Doves of prey ― 猛禽類となった鳩。イスラエルのニュースサイト Ynet に掲載されていた論説記事。B. Michael と署名がある。頷きながら読んだ。

レバノン侵略後、イスラエル国内ではこれまで平和に関して進歩的な発言や活動をしてきた市民の間でも戦争支持が強いと伝えられているが、その状況への深い憂慮を示す記事だ。100人のイスラエル人が殺されたからと言って報復を肯定するというのなら、1,000人以上が死んだ相手側の立場に立って考えてみてはどうかと提案し、今回のイスラエル側の死傷者に匹敵する数は、パレスチナでは毎月のように起こっていることを指摘している。今、ヒズボラとして戦っている若者たちは82年のイスラエルによる侵略を幼くして体験したか、その話を聞いて育った世代であるとし、このままでは、20年後には今のレバノンに生まれ育つ子どもたちと対峙しなくてはならなくなるとの心配が表明されている。

レバノンの一般市民に多くの犠牲者が出ていることについて、「市民の犠牲は付随的だ」とか「市民を盾として使っているのだ」等、軍部が主張しているのに対し、筆者は、イスラエル軍の司令部がテルアビブの市街地にあること、住宅地に隣接して軍用機も使用する空港があることなどをあげ、そのような言い訳が成り立たない(言えた義理ではない)と言う。この点は、今回の戦争に限らず、多くの紛争において検証されなければならないと思った(メモ:昨日13日は沖縄国際大学のキャンパスにアメリカ軍のヘリコプターが墜落してちょうど二年の日)。

私の平和に対する信念は、必ずしも揺るぎないものではない。自分の身近で戦争が起こった時のことを想像して、読み返す。その時にこのような主張をする人間に、そのような主張をする勇気を持つ人間に私はなりたい。

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2006年 8月 14日 午前 12:00 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2006.08.13

レバノンで起こったこと、起こっていること、起こること

Do I see or do I remember? ― レバノンの著名な作家 Elias Khoury注1 が7月20日付けで London Review of Books にイスラエルのレバノン侵略についての文章を寄せている。

文章は、「今は、レバノンの死の時である」という沈鬱な一文で始まる。その後、第一次世界大戦後のパレスチナを中心とした中東の歴史の概説が示されている。Khoury は、イスラエルはパレスチナでは大きな「檻」を作ろうとしているが、レバノンについては破壊するつもりなのではないかと述べ、PLO の衰退によって、アラブ社会に宗教原理主義的でない抵抗運動がなくなってしまったことを嘆いている。文章の結びもまた、一条の希望も与えてくれない。

私の目の前には、24年前と全く同じ光景が広がっている。目に見えるものも、ベイルートやレバノン全土の空を侵略してくるイスラエル軍航空機の騒音も同じだ。私は見ているのか、それとも思い出しているのか? 目の前に起こっているのか覚えているのかが分からなくなってしまう時、私たちが歴史から何も学べなかったことが明らかになる。同じく明らかなのは、イスラエルが戦争と呼んでいるものは、まだ始まっていない戦争の最初の小競り合いに過ぎないということだ。今行なわれている虐殺が戦争だなどとは思うな。1973年以降、アラブ世界はまともに戦争などしてこなかったのだから。

イスラエルは、勝利を収めたなどと高を括ってはならない。これは戦争ではなく、戦争にならなかった小競り合いは、これから何度も何度も繰り返されるのだから。

読んでいて辛い文章であるが、正鵠を得ているように思われる。少なくとも、保守派の歴史学者 Bernard Lewis が最近のウォールストリート・ジャーナル紙に書いたような、来たる8月22日(ムハンマドが夢の中でエルサレムに飛んだ夜とされる)が黙示録的な日となるという“予言”よりも、人間や社会の現実をはるかに正しく見定めているのではないだろうか。

注1: 小説 Gate of the Sun がなかなかいいと聞いているので、今、ペーパーバックの刊行を待っているところです。

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2006年 8月 13日 午前 12:00 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2006.08.12

「太陽」を観た

「その内容から日本では公開不可能と言われた」という謳い文句にそそられて、アレクサンドル・ソクーロフ監督の「太陽」を観てきました。1945年の敗戦前後の昭和天皇を描いた作品です。

所用で行った名古屋の駅前にあるシネマスコーレで観たのですが、満員でした。わたし的には、ちょっと宣伝にだまされたかな、といった感じ。もしこの内容で国粋主義者から暴力的な妨害を受け上映が危ぶまれるのだったら、それこそ深刻なことだと思います。いや、そんなことを心配して人々が自らブレーキをかけてしまう時点でもう深刻なのかもしれません。

昭和天皇が「現人神」として扱われることの滑稽さを描いた不条理劇のような感じで始まりますが、ほかの人が話している間も彼が口をモゴモゴ動かしている姿がアップで映るので、もしかしてこれは全部彼の頭の中の話なんだろうか、と分からなくなる時がありました。本物の昭和天皇は年老いてからの姿しか知らないのですが、たしかにモゴモゴやっていましたねえ。イッセー尾形さん、いい雰囲気を出しています。

話(フィクション)の展開は、裕仁が自分の戦争責任(この点については両義的。御前会議で彼が戦争継続を主張する場面と、マッカーサーに自分はパール・ハーバーの奇襲攻撃を命令していないと弁解する場面が出てきます)について、すべて連合国側に判断を委ねたという設定で、彼が自分の神性への主張を放棄する(いわゆる人間宣言をする)ことによって、結果的に戦犯としての訴追を免れ、自由な身になる(世襲的に神を演じることから解放されたことと、犯罪者として扱われなくなったことの二つの意味で)、というものです。

私は、昭和天皇にとって「神でなくなる」ことが戦争犯罪の十分な償いになったのであれば、それは他の多くの人たちと比べて正義が著しく不公正に分配されていることになると思います。その観点からすると、この映画を観る意義は最後の数十秒に凝縮されているように思えました。彼は本当に贖罪されたのか? それとも、彼は赦されたが、彼以外の日本人が自分たちのやってきたことと向き合うことができていないということなのか? 昭和天皇の妻を演じる桃井かおりさんの厳しい表情が、私たちにそれを問いかけます。

映画のオフィシャルブックというのがあるそうです。アマゾンにリンクを張っておきます。

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2006年 8月 12日 午前 12:00 | | コメント (6) | トラックバック (3)

2006.08.11

彼方の戦火

ネット上で記事を読むために無料ユーザ登録をしている新聞を通じてメールが来た。送信者は世界各国で無宿者などに食料を提供するスープ・キッチンをやっている人らしい。新聞の肝いりでキャンペーンを始めるということのようだ。

友よ、

私たちにとっては苦難な時が続いています。何週間も容赦ない攻撃が続いたため、多くの人が心に傷を負い、多くの人が家を追われ、多くの人が毎日、防空壕の中に閉じこもっています。都市部にも攻撃が及んでいるため、食料の輸送を引き受ける業者もなく、戦争のため、青果店やスーパーを含めあらゆる店が閉店しています。防空壕で過ごしている家族は、食料を買うお金も手段も持ち合わせていません。

戦火から遠いところにいる友人のみなさんに、攻撃を受けている仲間たちへの支援をお願いします。

1食分でも100食分でも構いません。食料の購入にご協力ください。彼らはあなたの助力なしには生きていけないのです。

あなたの夏が平和でありますように。

ああ、これが戦争なのだ、と思った。きっと、戦争って、いつでもこうなのだ、と思った。

私はこのメールの送り主の善意を疑わない。砲撃の音に怯える人たちがいることも知っている。彼がこの人たちに食べ物を送り届けようと最大限の努力をするだろうことも疑わない。だけど…

この手紙はヒズボラの攻撃にさらされているイスラエル北部の人たちへの支援を呼びかけるものだ。遠くから見れば、圧倒的に兵力で優位に立っている側の人たちだが、それでも、ロケット弾が一発でも飛んでくれば、仲間が一人でも犠牲になれば、その生活から平和は消える。心は恐怖や憎しみに満たされる。端から見れば、状況をどんどん泥沼化させた責任のあると思われる側の人たちだが、もちろん、その土地の人たちが戦争を始めたわけではない。為政者や将校たちが戦争を始めたのだ。彼らには自分たちが罪の一端を担っているという意識はない。

私は、幸いなことに平和の中で生きてきた。だから、想像でしか言うことができないが、おそらく、戦争って、こういうものなのだと思う。ある日、隣の貧しい国がミサイルを発射する。私たちの国は富んでいるが、人々の心は恐れや憎悪に支配され、自分たちの国が正当な報復を行なうことを望む。その圧倒的な軍事力で「解決」はすぐにも訪れるはずだ…

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2006年 8月 11日 午前 12:00 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2006.08.10

本屋めぐり

頭の中は、寝てもレバノン、起ってもレバノンですが、もう一回だけ旅の話題を。

南アフリカでは、Exclusive Books という本屋さんをよく利用しました。空港を含め、六つの支店に行ったはず。CNAというチェーン店もよく見かけましたが、あまり品揃えはよくありませんでした。

「小説」の棚に行くとイギリスやアメリカの作家の本が並んでいて、南アフリカの作家の作品は「アフリカもの」の棚に置いてあるというのがちょっと不思議な感じでした。近年、二人もノーベル文学賞受賞者を輩出している(二人で輩出ってのは誤用かな? 受賞者は 1991 年の Nadine Gordimer2003 年の John M. Coetzee。ちなみに私はゴーディマーに本をサインしてもらったのが自慢です)のに、扱いが冷たい感じもします。と言うか、宗主国と植民地という帝国主義体制の残滓の香りがして、微妙。あと、アフリカーンス語の書籍は見かけましたが、コサ語、ズールー語などの本は見られませんでした。

ケープタウンの Clarke's Bookshop という小さな店がよいという話をアフリカ文学を専門としている人から聞いていたので、行ってみました。本を数冊抱えて、まだうろうろしていたら、「何か探している本があるのか」と聞かれたので、ダメもとで「ネルソン・マンデラの伝記がまんがになって刊行されつつあると聞いているが」と言ってみたら、「売り物ではないが、ある」と言われ、既刊の4冊を一部ずつ譲ってくれました!

この記事を書くにあたって調べてみたら、Nelson Mandela Foundation のサイトに今年の3月付けで Request a copy of the comic というページができています。登録すると、メールで連絡が来るということですが、まだ返事はありません。

2006年 8月 10日 午前 12:00 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2006.08.09

ビッグイシュー買った

The Big Issue South Africa

ビッグイシューの南アフリカ版です。12ラント、つまり約200円ですから、日本と同じですね。6ラントが販売員の収入になると書いてあります。表紙と見開きを除いて42ページあります。南アフリカ版は創刊10年目らしく(第109号、第10巻などとあります)、内容も日本版より少し多彩な感じがします。

日本版に比べ、広告が多いのが目を引きます。それだけ経済界の支援が篤いということだと思います。雑誌の運営を広告でまかなうことには、いい面も悪い面もあると思いますが、日本の資本家はちょっとホームレスの問題に冷たすぎるんじゃないかと思います。大きな企業の社長さん、もしこれを読んでいらっしゃいましたら(なさげ)、ビッグイシュー日本版にご注目を。

ケープタウンで買ったのですが、もっとホームレスの多そうなヨハネスブルグでは販売員を見かけませんでした。私がビジネス街とかには行っていないからかなあ。

ちなみに、昨日と同じ Sunday Times 紙の記事によると、今年は南アフリカでは1997/98年に並ぶほど犯罪が多発しているのだそうですが、私は怖い思いは一度もしませんでした。夜、歩いても平気だったのですが、安全だといわれるところに宿を取ったからなのでしょう。ちょっと旅行で立ち寄ったくらいでは何も分からないということかなあ。結局、何のために行ったんだ、という問いに戻ってしまうけど、すごく楽しかったから、いいや。

2006年 8月 9日 午前 12:00 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2006.08.08

ファナガロとスカムト

昨夜遅くに帰宅しました。あと一、二回、南アフリカの話にお付き合いくださいませ。

ヨハネスブルグ周辺は金の採掘で発展した(採掘によって土壌が破壊されたままになっているところも多く見られました)のですが、MuseumAfrica という博物館で鉱山関係の展示を見ていたら、英語と Fanagalo (Fanakalo) 語の対訳単語帳というのがありました。鉱山では、さまざまな地域から連れてこられた労働者が過酷な条件のもとで働かされていたようです。50もの言語の話者がいたそうで、Fanagalo は、監督と労働者の間、そして労働者同士の意思疎通のために作られたピジン言語のようです。

帰りの飛行機で読んだ新聞には、Scamto という言語の話が出ていました。Tsotsi taal とも呼ばれるスカムトはタウンシップの Gangsta スラング(ヒップホップ言語)のことらしいのですが、記事の主眼は、スカムトの語彙の中に、南アフリカで話されているバンツー諸語に共通な語が数多く含まれていて、それがリンガ・フランカ的な役割を果たす可能性を持っているのではないか、ということでした。ネット上の記事には含まれていませんが、紙の新聞記事には、次のような「共通単語表」が付いていました。

  • aikona - いいえ
  • yebo - はい
  • mahala - 無料の
  • hamba - 行く
  • muthi - 薬
  • zonke - 全部
  • maningi - たくさん
  • mzanzi - 南アフリカ
  • magogo - おばあさん

買ってきた Xhosa 語(南部に話者が多い)、Zulu 語(東海岸に話者が多い)の単語帳でチェックすると、確かに似ている単語もあるのだけれど、全然違う単語が載っていたりもします。自分の言語では使わないけど、外来語として聞いて分かるだろう、みたいな感じなんでしょうかね。

記事では、黒人の言語を全く知らなかった白人の経営者の「スカムトを使って、働いている人たちとちょっとした雑談ができるようになり、彼らも喜んでいます」といった感じの発言が取り上げられています。

イギリスの Times 紙の記事によれば、スカムトは kwaito 音楽の人気に乗って 90年代に爆発的に広がったとあります。こちらの記事にも、スカムトを学ぶ企業経営者たちもいるという記述が。

街で、英語以外の言語で話している人に英語で話しかけて、「英語は分かりません」と言われたのは数回だけなので、かなり英語が普及していると思うのですが、やっぱり旅行とは違って、その土地に住んで雇用したり雇用されたりだと、「かなり普及している」では十分じゃないんですね。

2006年 8月 8日 午後 09:02 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2006.08.06

南アフリカより(6)

Vilakazi street sign

ヨハネスブルグ近郊にある旧黒人居住区 Soweto に行ってきました。写真はネルソン・マンデラ前大統領が若いころに住んでいた家やデズモンド・トゥトゥ大司教が住んでいる家のある一角の道路標識です。1976年のソウェト蜂起でヘクター・ピーターソン少年が銃殺された場所のすぐ近くにあります。

ソウェト蜂起の記念博物館や、集会の自由が認められていなかった黒人たちが礼拝等を装って集まった教会(ソウェト蜂起以来、何回も警察による銃撃を受けたらしい)とかも見学し、どれも印象深いのですが、南アフリカの歴史の知識が乏しいためか、どのように頭の中でまとめていけばいいのか分からないでいます。

虐げられた人々が石を投げ、立ち上がったことがエポックを形成することは明らかなのですが、南アフリカに特徴的なのは、それが内戦状態のようにはならず、十数年後に平和的な政権変革として結実したということだと私は思います。そのような軌跡を描いたのは、アパルトヘイト政権の警察、司法、軍などの強さを物語るとともに、ANCをはじめとする非合法抵抗運動の組織力、冷静さなどの産物だと考えるべきだと思うのですが、そこらへんをもっと具体的に知りたい気がします。

あと、これは「南アフリカに来て感じました」と言ったら、「何をいまさら」と笑われそうですが、アパルトヘイト下の南アフリカの状況は、パレスチナで起こっていることや、日本が1930年代から40年代半ばにかけてその勢力下の国々で行なったことと強く重なって見えます。そうやってさまざまな場所や人々の歴史を重ね合わせていくことで、「人間の歴史」と呼べるようなものが見えてくるのだと思います。人間の歴史が苦しみの物語であるとともに希望と喜びを私たちに与えるものであることを、南アフリカに来て私は信じるようになりました。

明日、帰りの飛行機に乗ります。もっといろいろ見たかったのに…

2006年 8月 6日 午前 03:28 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2006.08.05

南アフリカより(5)

Shakaland

ケープタウンからジョハネスバーグに移動しました。写真は、途中に寄った東海岸 KwaZulu-Natal 州の宿です。20年ほど前にズールー民族の伝説的な指導者シャカ王の伝記映画が作られた時のロケ地がそのままズールー文化の擬似体験村みたいになっていて、背景にある丸屋根の小屋に泊まるんです。踊りとかを見せてくれる人たちも、その村に住んでいて、牛のほか、山羊、鶏が放し飼いにされています。部屋のすぐ外で子ヤギが「メェ~」とか鳴きます。かわいかったです。ネコもたくさんいたのですが、あれはネズミ対策だったのかな。他の動物がいかにも役に立ちそうなのに、なんで犬じゃなくてネコなんだろうと、ちょっと不思議に思いました。

ダーバンの The Mercury という新聞には、University of KwaZulu-Natal では2008年から段階的に英語に加えてズールー語(isiZulu)を教授言語として使用することになっていて、その最初の5年間の予算として1,300万ラント(約2億円)必要という試算が載っていました。南アフリカでは1997年に初等中等教育での母語使用を推奨する(つまり、植民者の言語である英語とアフリカーンス語に頼らないことを目指す)政策が、そして2002年に高等教育での言語政策が打ち出され、KWZ大学のバイリンガル化も、それに則ったものです。ケープタウンの新聞には、保護者が英語での教育を望む傾向が強く、初等中等教育での母語使用があまり順調に伸びていないという記事がありました。

私が泊まったズールー文化村には、地元の学校の生徒も見学旅行に来ていました。「自分たちの文化を知るため」みたいな目的なのだと思います。引率の先生が、説明を一生懸命メモしていました。アパルトヘイトが終わって「植民地」ではなくなったのがわずか12年前ですから、帝国主義によって奪われたものを取り返す営みはまだ緒に就いたところということなのでしょう。KWZ大学の試みもその一端を担うものですが、ダーバン周辺にはインド系住民も多いので、「ズールー化」というのも、すべての人にとって失われた自分を取り戻すことにはならないわけで、話は複雑なんだろうなあ、と思います。

2006年 8月 5日 午前 05:34 | | コメント (2) | トラックバック (0)

2006.08.03

南アフリカより(4)

ネルソン・マンデラが19年間収容されていた Robben Island という政治犯専用の刑務所の跡に行ってきました。ケープタウンの船着場からフェリーで約30分。今、こちらは観光のオフ・シーズンなのですが、それでも人気は高く、一昨日、予約に行って、二日後の見学になりました。いらっしゃる予定のかたはご注意を。

刑務所跡内をガイドしてくれたのは、元政治囚の Vincent さんという人でした。

Robben Island guide

南アフリカは、アパルトヘイトの後、真実と和解委員会で自分の犯した罪をすべて明らかにすれば恩赦を与えるという方式で歴史の総括を行ないました。憎しみを持たずに歴史を記憶するということ。言うは易く、実際に行なうのはとても難しいことなのではないかと思い、質問の時間に聞いてみたのですが、ビンセントさんは「私には一かけらの復讐心もない。まだ若く至らぬところの多い民主主義だが、とにかく私たちはこの民主社会を作ったのだ。私はそれを誇りにしており、そのために政治犯としてここで何年も過ごしたことに全く後悔はない」と言い切りました。

私は、自分の周りの社会が最近とかく経済的な尺度で物事を量りがちなことにいつも大きな違和感を懐いているのですが、人間の尊厳とか社会の正義とか、そういったもので社会を量り、形作っていく「もうひとつの世界」がここには存在しているのだなあと、強く心を打たれました。

2006年 8月 3日 午前 06:06 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2006.08.02

南アフリカより(3)

タウンシップ

空港とケープタウンの街をつなぐ国道2号線沿いにある Langa というタウンシップ(旧黒人居住区)の半日ツアーに行ってきました。

まず、その前に、かなり自意識過剰な気持ちの整理について。何のために行ったのかと問われると、たしかに答えに窮するところがあります。「貧しい暮らしをしている人たちの家を見て何が楽しいのか」とか「それで社会的な不均衡に対する義憤を感じたなどと言うのは自己満足なのではないか」とかいう枠組みで見られると嫌だなあと漠然と思います。昨日、植民者たちの作った豪華な農園に行って、ワインの試飲とかをして来ました。それだけで「ケープタウンに行ってきたよ」と言うのは気恥ずかしい気がして、この街のいろいろな姿を見ることを心がけようと思って申し込んだのが今日のツアーでした。自分では、バランスよく見て回っているつもり。

タウンシップの中は、写真のような掘っ立て小屋をはじめとして、もっと粗末な建造物としては、荷物のコンテナをほぼそのまま使っている家屋や3メートル四方ぐらいの板ばりの小屋から、日本でごく普通に見かけるアパートや分譲住宅みたいなものまで、さまざまでした。電気もない家、電気はあるが水道やガスはない家、たぶん全部完備している家も。写真の路地を入っていったところに、屋内でもうもうと煙をたてて薪を燃やして暖をとりながら密造(?)ビールを飲んだり、近所の子どもたちを集めて私設の保育所をやっている女性の家に行って、子どもたちから歌で歓迎されたりと、すごくよくできたツアーだと思いました。もしかすると、連れて行ってもらった家のすぐ隣では人知れずだれかが死の床についていても私たちはそれに気がつかないわけで、この見学をしたからタウンシップのことがよく分かったなどと考えるのは間違いなのでしょうが、最近の言葉を使って言えば、ビジネス・モデルとして成功しているなあ、と思いました。

昼間から仕事のないおじさんたちがたむろしていたり、頭にカラフルなスカーフを巻いた「アフリカのお母さん」といった女性が洗濯物を干したりしている横を、パリッとした服装の(「OL」という呼び名がぴったりな)おねえさんが颯爽と歩いていたりして、住民も多様なんだな、と思いました。そういうところにばかり連れて行かれたのだと言ってしまえばそれまでですが、みんなとても友好的でニコニコしていました。アパルトヘイトの時代にこういうツアーがあったとしても、こんなふうに朗らかな顔は見られなかっただろうということだけは確かな気がするのですが、どうなんだろう。

2006年 8月 2日 午前 05:56 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2006.08.01

南アフリカより(2)

ケープタウンの地方紙 Cape Argus の第1面の下のほうに、Koeberg Road Interchange と Kraaifontein の間の国道1号線(N1)沿いの茂みに暮らしていた人たちの撤去が行なわれたという話が出ていました(ネット上では有料記事。一応、リンクはこれ)。日曜日の明け方に警察と市行政当局が行なった「美化(clean up)」によるもの。幹線道路を歩いて渡るホームレスの人たちが引き起こす交通事故が相次いだため、という背景説明があります(ケープタウン市では ANC は野党だそうです)。

テントをなくした Ronald Mashaya さん(46歳)は、ホームレスの人が多く暮らす集落のようなところは犯罪や暴力事件が多いため、道端に一人で住むことにしたそうで、「日雇いの仕事をつないで暮らしている」「私の家はビニール数枚だけだったが、それもなくなってしまった。シェルターにも空きはない。寝られなくては働くこともできない」と語っています。

国道1号線に続く Table Bay Boulevard という道沿いには、もっと本格的な建造物に、より多くの人が暮らしていて、そこも今後、取締りの対象となることを示唆する警察の発言も紹介されていました。作戦は道沿いに住む人たち自身の安全のために行なわれている、とも。

テントを撤去されて、しゃがみこむ Mashaya さんの写真を見れば、あるいは名前を聞いただけでも、彼が黒人(African とか Black と呼ばれるらしいです)か混血(Coloured という単語が使われます)であることが分かりますが、記事自体には、人種に関する言及は一言もありません。

2006年 8月 1日 午前 05:46 | | コメント (0) | トラックバック (0)

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