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2005.12.30

タマサート大学にて

今回の旅行で私が一番行きたかったタマサート(Thammasat)大学です。運動場を僧侶が一人、苦行のように何周も何周も歩いていました。

1976年10月6日の朝、この運動場で、武装した右翼反動勢力によって多数の学生が虐殺されました。学生たちは1973年の民主化運動で失脚し亡命したタノム(Thanom Kittikachorn)元首相が秘かに帰国したことに抗議して大規模な集会を開いていました。"Hok Tulaa" と呼ばれるこの虐殺の犠牲者は百人以上に上ったと言われています。この日の夜、軍事クーデターが起こり、タイの民主化は冬の時代を迎えます。

上の写真は、構内地図の(12)のあたりから(17)を背景に(19)を見たものです。ちなみに市街図にあてはめると、左がチャオプラヤー川岸、下が学生街、右がサナームルアン公園、上が国立博物館です。事件当時の地図らしきものもありますが、タイ語なので残念ながら読めません。

地図の(16)の上に、タマサート大学の歴史をたどる記念碑群があります。ホック・トゥラーの記念碑には、学長を務めた Puey Ungphakorn さんの「最も残念なのは、若者たちが第三の選択肢を失ってしまったことだ。もし政府に与することができなければ、逃げなければならない。平和的な方法で自由と民主主義をもたらそうとする者たちは、はじめからやり直さねばならなくなってしまった」という言葉が刻まれていました。

記念碑の一つは、今年(2005年)の8月に建てられたもので、タマサート大学が日本の占領下でレジスタンスの拠点となったことの誇りを語るものでした。総じて日本に好意的だと思われ(靖国神社のサイトに、後に首相となる右翼の大物 Kukrit Pramoj が日本の戦争を高く評価した言葉が紹介されています)、1930年代後半から1940年代前半において非常に微妙な立場をとったタイ(日本軍の進駐を許容し、米英に対して宣戦布告をしました)においても、やっぱり日本の帝国主義的侵略に抗したことが誇るべきこととして語られるのだと考えると、かなり複雑な気持ちがしました。

遠い子どものころの記憶を呼び返すと、1970年代の半ばには、貿易摩擦が原因でバンコクで大きな反日デモが繰り広げられていました(同級生の父親が味の素のバンコク駐在員だったので、印象に残っています)。昨日書いたように、今、タイでは日本がとても好意をもって見られているようなのですが、反日感情とか親日感情って、遠い過去の記憶が根源的な原因なのではなくて、その時々の日本の政府や社会の姿勢を反映しているんじゃないかな、と思いました。その意味で、今、関係の冷え切っている中国や韓国に対しても、排外的な世論や自民党・公明党政権の反動的な姿勢を批判し、市民のレベルでの親善を諦めてはいけないのだと思いました。

1932年から1991年までのタイの政治に関するかなり詳しい年表(英語)を見つけました。

そういえば、民主記念塔とカオサン通りの間に1973年10月13日の民主化運動の記念碑のようなものがありました。私の持っているガイドブックにはどれにも出ていないのですけれど。

2005年 12月 30日 午前 12:00 | | この月のアーカイブへ

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