ストライキの迫る今、思うこと
自分の職場のことは、あまりここに書きたいと思うことがないのですが、今日はちょっと不条理に思うことに行き当たり、自分の頭の中で反芻してばかりいても仕方がない気がするので、ある程度一般的な形で、ここに書いてみようと思います。かったるい独り言ですが、お付き合いいただければ幸いです。
私の現在の職場は私立大学です。3月までは国立大学で教えていました。前の職場は構成員の過半数によって採択された「平和憲章」というものを持っていましたし、今の職場には平和をテーマとした展示館があります。そういった、平和や自由、民主主義などの理念を大切にする職場で働けることは、私の喜び、誇りです。
私が国立大学にいた時に、国立大学の法人化が行なわれました。その中で、「国立大学は教授会による自治を大切にしてきたが、私立大学は学長周辺に決定権を集中させ、機動的な運営をしている。これからは私立大学と同じ土俵で競っていくわけだから、トップダウンの意思決定が必要だ」という主張がなされ、さまざまな国立大学で、法人化とともにいろいろな意味で以前よりも民主的な度合いが低い体制が形作られたと思います。
今日、私が職場の会議で聞いたのは、「うちの経営者たちは、国立大学が法人化されてトップダウンの経営体制になったことに危機感を強めていて、この大学も総長の裁量範囲をもっと広げなければならないと考えているようだ」という話でした。この職場に来て日が浅いので以前との比較は私にはできないのですが、この半年間に見聞きしてきたことで、たしかにそのような傾向が感じ取れるものが多々あります。
私は別に「何事に関しても全員で集まって決めるのが民主主義」と考えてそれを指向するわけではありませんが、機関としての意思決定が迅速かつ集中的に行なわれることを重要視するあまり、情報の周知や広汎な参加者による論議の機会がないがしろにされることには大いに疑問を持ちます。
私はまた、競争というものが一概に悪いものだとも思いません。しかし、“競争に勝つ”ために、疑心暗鬼になって、国立大学は私立大学の、私立大学は国立大学の、真似をしているつもりで経営陣への権力の集中を目指しているのは、何とも悲惨に思います(ごく最近に国立大学から私立大学に移った者として、このことについて声を上げることを道義が私に求めていると思い、この稿を起こしました)。それが競争原理、市場原理の適用という、いわゆる新自由主義的な政策の圧力によって引き起こされているのであれば、私は国の文教政策の妥当性を疑わずにはいられません。
私の職場の教職員の懐疑は極度に強まっており、木曜夜の団体交渉で思わしい進展が見られない場合、教職員組合は金曜の昼に一時間の時限ストを決行する構えです。大学におけるストライキというのが、はるか昔の熱い時代のほのかな残り火なのか、来たるべき時代を照らすたいまつなのか、私には分かりません。今はただ、状況の不条理を思い、ストが回避されることを願うばかりです。
2005年 11月 23日 午前 12:03 | Permalink | この月のアーカイブへ
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