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2005.09.30

デンマーク軍がサンタに賠償

デンマーク空軍のF-16戦闘機が低空飛行をしたら、牧場で草を食べていたトナカイが爆音に驚き心臓発作を起こして死んでしまった。飼い主は毎年冬になるとバイトでサンタ・クロースをやるので、トナカイが死んでしまっては橇が引けなくなって困ると言って抗議したところ、空軍側は約5,000ドルの賠償に応じることとなった、というAP電

まあ、ほのぼのとした話なのだけれど、場所が変わると同じ飛行機の爆音でも、全く笑えない話になってしまう。イスラエルの撤退後、パレスチナのガザではイスラエル軍のF-16戦闘機による騒音で住民が恐怖に曝されているという P-navi info の記事と、The Electronic Intifada の記事

考えてみれば、沖縄の基地の近くに住む人たちにだって騒音は笑って済ませられる問題ではない。不謹慎なのだけど、「米軍機の爆音でジュゴン死ぬ」なんて新聞の見出しが目に浮かんだりする。

2005年 9月 30日 午前 07:29 | | コメント (1) | トラックバック (2)

2005.09.29

うちの犬が宿題を食べてしまいました

Inside Higher Ed の "Semiotics 101" というエッセイ。記号論の入門ではなく、締め切りに間に合わなかった学生たちの言い訳のコレクション。「こう」言うと教員には「こう」聞こえるという形で提示してある。例えば、

学生が発するメッセージ:「専門の授業でいそがしくて、この授業の宿題をやる時間がなかったんです」
教員が聞くメッセージ:「この授業、全然意味ないってば。やる気ゼロだし。なんでこんな授業が開講されてるのか、まじ分かんない。」

記事を書いた Robert Weir さんは、ここ十年ぐらい、これはというような斬新な言い訳を聞いたことがない、とも書いている。

私が聞いた中で印象に残っているものでは、「クラブに行って、飲み物を売っている人だと思って女性に「いくら?」と聞いたら、彼女を「買おう」としているのだと勘違いされたらしく、平手打ちを喰わされ、よろけて怪我をして病院に担ぎ込まれたから」というのがあった。宿題やらないで遊びに行ってる段階でアウトなんですけど。

あと、いまだに謎なのは、"mono" という病気("kissing disease" とも言う)、本当にあるのだろうか。アメリカの学生の間ではあんなに流行っているのに、社会人になってからは罹ったという話を聞かないし、ましてや日本に帰ってきてからは病気の存在すら聞いたこともない。

2005年 9月 29日 午前 12:02 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2005.09.28

コーラを飲むのをやめようかと思案中

Kerala village says ‘no’ to cola ― カルカッタの The Telegraph 紙の記事。インドでは、静かにコカコーラ、ペプシの不買不売運動が広まっているらしい。9月18日のこの記事は、Kerala 州の Perumathura という村が、コカコーラとペプシの販売や消費をやめる宣言を出したと伝えている。ケララ州では、このほか Plachimada、Kuttiyadi という町でも不買運動が行なわれている。

反対運動を行なっているのは the Solidarity Youth Movement というイスラム系の団体で、不買運動を反帝国主義、反グローバリゼーションの闘いと位置づけている。多国籍企業飲料メーカーから買わないことにしよう、というものだ。ケララ州はデリーなどに比べコーラ飲料の消費がもともと少ないので企業業績には影響はあまりないと考えられるが、ケララ州(アルンダーティ・ロイさんがケララの出身だ)で反帝国主義の考えが着実に広まりつつあることを示しているようである。ケララでは、イラクの占領に反対して米英製品の不買運動も行なわれてきたらしい。

今、日本でアメリカ資本の製品を買わないようにしようとか(あるいは、別の理由で中国製のものは買わないようにしようとか)するのは甚だ困難だが、私にもコーラぐらいならできるかな。でも、ペットボトルのお茶を飲んだ後でラベルを見ていたらコカコーラ社の製品だったのを知ってびっくりという感じだから、買う時に気をつけなくては。水筒でお茶を持ち歩けということかしら。

2005年 9月 28日 午前 12:23 | | コメント (4) | トラックバック (0)

2005.09.27

言葉の日

 

気が付くのが遅れ、すでに昨日になってしまいましたが、9月26日はヨーロッパ連合の「言語の日(European Day of Languages)」だったのだそうです。来年まで覚えておくために、ここに書いておこう。上は公式ロゴです(微妙にエロチックに見えるのは、たぶん世間では先週末は三連休だったのに私はなぜか休みが全くなくて、疲れているからでしょう)。言語の多様性、複数の言語が使えること(plurilingualism)、生涯学習としての言語学習の価値を認めよう、という企画。2001年に始まったそうです。

規模こそ違えど、多言語多文化共生社会は決して遠い国の話に過ぎないというわけではありません。

Deutsche Welle の "Dealing With Europe's Multi-Lingual Reality" という記事には、EU の拡大にともなって、結局、英語が媒介語として多用されるようになってきていること、外国語学習の気運はさほど高まっていないこと、EU の公式文書を各言語に翻訳する人手が全然足りず、「こんなひどい訳は批准できん!」と言って加盟国の国会から突っ返されてくることもあること、等々が紹介されています。

2005年 9月 27日 午前 12:04 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2005.09.26

アフリカを繋げ

アフリカの大学におけるインターネット接続の現状に関する報告書("Investigation of Bandwidth Consolidation for Partnership Universities: A Report Prepared by the African Virtual University for the Partnership for Higher Education in Africa")が目に留まりました。一年近く前にまとめられたものですが、犬や猫は一年に4歳ぐらい歳を取り、情報技術の進歩もそれに匹敵するとよく言われるので、既に少し古くなっているかもしれません。

この報告書に関する記事(これこれ)にもあるように、アフリカ大陸は光ファイバーインフラの整備が遅れているため、衛星経由で接続している大学が多く、一つの機関全体で 1Mbps 程度の速度しか持っていないのが普通のようです。日本の一般家庭向けADSL程度ですね。そして、専用回線使用料が非常に高く、費用対効果で見ると、北米の諸大学と同じ額を払ったとしても約50分の1程度の速度の回線しか確保できない計算になるとのこと。 通信プロバイダは教育機関向けの割引価格による提供を行なっておらず、大学は企業等と同じ価格設定を受けており、大学間の連携を強めつつ交渉にあたる必要があるとしています。

以前、光の専門の先生とお話をする機会があった時、光ファイバー自体の性能はもう究極のところに近づいてきていて、後は中継器などの装置の小型化が課題だ、といったようなことを伺いました。技術が急速に変化するのだったらインフラ整備もなかなか追いつかないのではないかと思いますが、技術的に高原期に入っているのなら、これからは整備がどんどん進むのかな。期待しています。

2005年 9月 26日 午前 12:16 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2005.09.25

突然、愛国心の話

青空文庫で読んだ作品の感想は、友人たちといっしょにやっている別のブログに普段書くのですが、思うところがあって、今回はここに書くことにしました。

僕は日本人であることを恥ぢもしないし、矜りともしてゐない。つまり、これこそ、人間に生れたことと同様、実に運命的であり、偶然であり、誰の力でもどうすることもできないことである。だから、それについて、愚痴もこぼさないかはり、感謝もしてゐないといふ当り前な前提をしておいて――

劇作家の岸田国士(1890-1954)が1936年に書いた『日本に生れた以上は』より(図書カードへリンク)。

日本に生まれたのは単なる偶然に過ぎないと思うから、ただ自分が生まれた国だからというだけで無批判に「日本が好き」となど絶対に思えない。でも、自分の活動(実存)の主な場であるこの社会に関しては、自負もあるし、もっとよくしたいという気持ちもある。…というのが私なのですが、それがほぼそのまま書いてある感じの随筆でした。

読解力のなさ故、一部文意が分からないところがあります(第五節の終わりとか)。また、「他の国から征服されるといふこと、例へ文化の面だけでも、他国の優越的支配下に置かれるといふことは、ただに民族的自尊心を傷けるのみならず、そこからは、断じて新しい生活が芽を吹かないのである」から「戦争には負けてはならぬ」とつなげる岸田と、“だから植民地支配や侵略など許されない”(当時の朝鮮半島や今のイラク、パレスチナ)という方向に考えを向ける私とは、同じ言葉を使いながら微妙に違うことを考えているのかもしれません。でも、だいたいは私と同じような意見の人だなあ、と納得しつつ読み終わりました。

で、岸田國士という人はこれを書いた4年後に大政翼賛会文化部長というのになるのですよね。

人間って墜ちちゃうんでしょうか、そこまで。私にもありうる話? まあ、私には大仰な役職は回ってこないでしょうから、気が楽ですが。気をつけよっと。

2005年 9月 25日 午前 12:02 | | コメント (3) | トラックバック (0)

2005.09.24

免費下載

Microsoft Office のクローン製品が今なら無料でダウンロードできるそうです。ページに行くと、「9月12日引爆下載狂潮」と大きな文字が躍っています。中国の会社です。

Kingsoft (金山軟件)という会社の WPS 2005 というスイートで、Microsoft Word に相当する「文字」、Excel にあたる「表格」、Powerpoint の代わりの「演示」からなっているようです。日本での報道によれば、ファイル形式もマイクロソフト・オフィス互換だそうです。中国語のインターフェースしかありませんが(スクリーンキャプチャのある記事)、XP 日本語版ならとりあえず動きそうな気がします。遊べるPCがあれば、やってみるんだけど(OpenOffice を試すほうが先か)。

キングソフトは日本法人を立ち上げていて、廉価なアンチウイルスソフト(原題の「金山毒覇」のままのほうがインパクトがあったのではあるまいか)をすでに日本でも販売し始めているので、来年あたりには、この WPS も日本語版が出たりするのかもしれません。

アメリカと中国の覇権争いはどんどん熾烈になっていきますな。こんな記事を書くと、「中国におもねった提灯記事を書くな」とか文句を言う人が寄ってきたりするのでしょうか。厄除けにアメリカ寄り(違うか?)のことも書いておこう。iTunes と Firefox の新版出ました。どちらも快適に動いています。

2005年 9月 24日 午前 01:01 | | コメント (0) | トラックバック (2)

2005.09.23

マッシュアップ

私はフォークやソウルやロックの時代に育ったので、ラップとかヒップホップとか、よく分かりません。

ハリケーン・カトリーナの後、アメリカ NBC テレビの募金番組で「ジョージ・ブッシュは黒人のことなどどうでもいいと思っている」と発言したこと(ビデオ)で、 Kanye West という人のことをはじめて知りました。彼の "Gold Digger" という曲(ビデオ)を背景音楽に The Legendary K.O. というグループが "George Bush Doesn't Care About Black People" という曲(mp3)を作って、それに中継番組のビデオ、"Gold Digger" のビデオ、さまざまなテレビ報道のクリップなどを合わせて The Black Lantern という人が作ったビデオがこれ、ということみたいです。

 

既存の作品を混ぜ合わせて新しい曲を作ることを "mash up" というのだそうです。とりあえず、この最後に挙げたビデオは CC-by-nc-sa で配布されています。

2005年 9月 23日 午前 04:09 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2005.09.22

ブイヤット湾公害訴訟は継続

Indonesia Court Says Newmont Has Case To Answer ― 9月20日、インドネシアのマナド地裁はニューモント社の現地法人 PT Newmont Minahasa Raya とその幹部に対する裁判を続行することを決定した。Ridwan Damanik 裁判長は、ニューモント社の主張を認めず、同社がスラウェシ島ブイヤット湾の汚染を直接的または間接的に防ぐ措置を執らなかったと述べ、公判を継続することを宣言した。次回公判は10月7日に開かれ、検察側が証人の喚問を行なう。

過去の経緯は、以下の記事をご覧ください(さらに遡った記事へのリンクがあります)。

2005年 9月 22日 午前 07:09 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2005.09.21

英国国教会の反省

Bishops suggest apology for war  ― 英国国教会がイスラム教徒に対して、イラク戦争に関する謝罪する機会を持つことを検討している、という BBC の報道。司教会がまとめた "Countering Terrorism: Power, Violence and Democracy Post 9/11" という報告書で、イギリス政府が謝罪を行なわないならば、宗教指導者の間で真実と和解のための会合を持ち、懺悔を行なうべきだという提案がなされている。

報告書によれば、謝罪はイラクにおける戦争がアメリカの国益に基づいて行なわれたことや、過去に西側諸国がサダム・フセイン政権を支持して武器を供与してきたこと、そして湾岸戦争以降、経済制裁によってイラク国民に苦しみを与えたことなどに及ぶとされている。

教会内では、安定した民主社会を築くことなしに撤退するのは無責任だという意見と、占領を続けるのは不公正な戦争に結託することに他ならないという意見があるという。報告書は、「結託」が必要悪であるというならば、それなりに現状への責任のありかを機関として明らかにすべきだとしている。

Telegraph の記事に、報告書へのリンクがあった(PDF、423k)。

…と、さらっと書いて終わりにしようと思ったのだけど、やっぱり、歴史を歪曲し自国の戦争を正当化し続ける某宗教団体に対して、遠回しにでも一言苦言を呈しておかねば、日本人としての私の良心は収まりがつかない。

2005年 9月 21日 午前 12:00 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2005.09.20

閣僚の歴史認識と妄言

いつの間にか rss 配信を始めていたイスラエルのハアレツ紙英語版から二日連続で記事を拾いました。

大臣や与党の有力な政治家が歴史を誤解ないしは曲解していて、頭の中で考えているだけならまだしも、それを口にするものだから「オイオイ」ということになるのに私たちは慣れっこになっているわけですが、フランスの外相も似たようなものだという話。 "Haaretz investigates French FM's faux pas at Yad Vashem" ― まあ、敵意や蔑視が感じられるわけではなく、単なる「おばかさん」という感じです。

十日ほど前、イスラエルを訪問したフランスの Philippe Douste-Blazy 外務大臣がエルサレムにある Yad Vashem ホロコースト博物館を見学している時、

大臣:「イギリスのユダヤ人は虐殺を受けなかったのかね?」
案内の人:「大臣、イギリスは第二次世界大戦当時、ナチスの支配下に置かれたことはなかったのですよ!」
大臣:「そりゃそうだ。しかし、イギリスからはユダヤ人の移送も行なわれなかったのかね?」

というやり取りがあった、という話です。フランスの風刺紙 Le Canard Enchainé が伝え、ハアレツ紙の取材で確認されたとのこと。

ドゥスト=ブラジ外相は1953年生まれ。うーむ、こんなものでしょうか。サイクス・ピコ協定バルフォア宣言なんてものも知らなかったりする? そういう人が中東で外交をしているというのも心配なことではあります。

2005年 9月 20日 午前 12:02 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2005.09.19

隔離壁をめぐる判決

イスラエルの高等司法裁判所が15日、隔離壁に関する司法判断を下した。Alfei Menashe 入植地を囲む隔離壁の撤去(移動)を命じる一方、隔離壁の建設自体は合法であるというものである(イスラエルの Haaretz 紙の記事)。

西岸地域北西部の Kalkilya (地図)近郊のAlfei Menashe 入植地(地図)は、隔離壁のイスラエル側に位置するため、この地域の近辺に居住するパレスチナ住民は Qalqilya や Habla との往来ができなくなっており、教育、保健などの公共サービスが受けられない。今回の判決は、Alfei Menashe 近郊の村落が他の西岸地域との一体性を保持できるよう、村落が隔離壁のパレスチナ側に入るように隔離壁ルートの変更を命じている。その点では、今回の判決は Alfei Menashe のパレスチナ人たちにとって、画期的な勝利とも言える。

強くイスラエル寄りの報道姿勢をとる the Jerusalem Post の記事は、村落がパレスチナ側に編入されることによって、村民のイスラエル側での就労が困難になると指摘している。結局、どこにあろうと、隔離壁というもの自体がそこに暮らす人たちにとって大変やっかいなものであるわけであるが、そういった一般論の観点からは、今回の判決は到底歓迎できるものではない。ハアレツ紙の記事では、判決の主旨として以下の点が挙げられている:

  1. ハーグの国際司法裁判所の裁定は無効で、イスラエル政府は隔離壁を建設する権利がある
  2. 隔離壁をイスラエルとパレスチナの境界線(the Green Line)からパレスチナ側にはみ出した位置に建設しても構わない
  3. 隔離壁は、イスラエル国内だけでなく、占領地内の入植地を守るために建設することもできる
  4. 隔離壁全体の違法性などを問うことはできず、各地域ごとにイスラエルの治安上の必要性とパレスチナ人の人権とのバランスを考慮して取り扱われるべきである

現在、40を超える地域で隔離壁に関する請願が法廷で争われており、その多くがこの判決を判例として決せられることとなる。エルサレムのまわりの隔離壁については、別の判決が出される予定とのこと。

上記 1 について、判決は、ハーグ国際司法裁判所の国際法上での権威を認めるものの、昨年出された裁定は、イスラエル側の自衛の権利という側面を考慮せずに出されたので無効であるとし、隔離壁の建設はハーグ条約の交戦中の占領(belligerent occupation)下での治安についての規定によって正当化されるとしている。これに対しては、隔離壁に反対するパレスチナ住民は、隔離壁建設が「治安」を目的としているのではなく、イスラエルの領土拡大と境界線の固定を目的とした政治的な動きであると主張している(IMEMC の記事)。

追記:コメント欄でのビーさんのご指摘をもとに、「Alfei Menashe 村」等の表現を一部修正しました。ビーさん、ありがとうございました。

2005年 9月 19日 午前 12:02 | | コメント (3) | トラックバック (0)

2005.09.18

消えた僧侶

この9月はチベットが中国の「自治区」となって40周年ということで、中国政府は、活動家ではないかと睨んでいる人々の首都ラサへの立ち入りを禁止するなどの措置をとっていたが、そのような厳重な警戒は9月10日に終わったもようである。

その中で、ポタラ宮殿の僧侶 Sonam さんが、8月末に中国公安当局によって連れ去られたまま、依然として行方不明となっており、Human Rights Watch が即時解放を求めている

ソナムさんの解放と、チベットにおける人権の尊重、亡命政府との誠実な交渉を中国政府に訴えたい。

コメントやトラックバックをする方々にお願いします。私はダライラマ法王の対話路線を支持し、チベットの自治権の拡大を切に願っています。この記事の意図は中国政府や中国の市民を罵ったり、ことさらに悪し様に言ったりすることにはありません。それと同じ姿勢をコメントやトラックバックにも求めたいと思います。巷にあまた見られるような中国に対する蔑視や冷笑を含んだ意見の表明は、チベット問題の解決に役に立つとは思えないからです。

今までに書いたチベット関係の記事:

2005年 9月 18日 午前 01:07 | | コメント (3) | トラックバック (0)

2005.09.17

この夏、私の歴史認識は変わったか?

夏の初めに「旗旗」の草加耕助さんの掲示板で「反対の立場の言論を読むことも重要なのではないか」という意見を読み、確かにそうだと思い、夏休みに「右寄り」(いい加減な括りだなあ)の本も何冊か読んでみました。そのうちの三つほどについての感想です。読むべき本を間違えたらしい、というのが全体の印象。

藤岡信勝『自由主義史観とは何か』 ― 『新しい歴史教科書』(古い版)は読んだことがあったのですが、自由主義史観というのはどういう枠組みなのかは知らなかったので、読んでみました。一応、日本が中国に対して行なった戦争は侵略戦争だったと認識している(だから、「大東亜戦争肯定史観」とは異なる)んですね。ふーん。まわりで一緒に行動している人たちは必ずしもその点で意見が一致していなくて、結局は戦争肯定に利用されているだけ(あるいは、自分は「戦争肯定とは言っていない」という逃げを打っているだけ)のような印象を受けました。

金完燮『親日派のための弁明』 ― 歴史上の出来事の点と点を結んでみると新しい面白い見方ができることは分かったけど、歴史の流れ全体を見落としているぞって感じじゃありませんか、この本。日本の統治で韓国の近代化が進んだにしても、そこに暮らして日本の支配に強く反発していた民衆の姿が全く見えてきませんでした。それこそ、歴史を後付けで価値判断してもしょうがないでしょう、と言いたい。

渡部昇一『中国・韓国人に教えてあげたい本当の近現代史』 ― 今年の7月に出た本ですが、たぶん買った人もあきれて、即、売り払ったのでしょう。けっこうすぐブックオフに並んでいました(ここであげた他の本もブックオフで買っています)。

本筋とは関係ありませんが、渡部の本には、「いまやソ連が軍事的に侵略してくる可能性はほとんどありません」(繰り返しになりますが、この本は2005年に書かれています)とか、万葉集は漢語(つまり外来語)が使われていないから素晴らしい、そういう言語感覚を養うべきだという趣旨の文脈で「当時の祝詞などもおそらく大和言葉オンリーだったと思います」と書いてあるとか、笑いを取ろうとしているのかと疑ってしまうようなところがけっこうありました。こういう原稿をそのまま通す編集者が悪いのかもしれません。

20年ほど前、『朝日ジャーナル』で立花隆・渡部昇一の論争というのがあって、ロッキード事件の裁判でアメリカの裁判所で取られた供述調書が証拠として採用されたことを批判した渡部を立花さんがまさにコテンパンにしていたのを思い出しました。その中で、一週ごとに互いに反論を書き合う形だったので実際には何週間かにわたる応酬だったはずですが、概略次のようなやり取りがありました。

立花:あなたは英語の専門家かもしれないが、アメリカの裁判のことは全然分かっていないでしょう?
渡部:そんなことはない。イギリスやアメリカに留学していた時、テレビで法廷ドラマを毎日見ていたから、よく知っている。
立花:そんなの、「『コンバット』を毎週見ていたから、私は戦略論が分かる」というようなものでしょうが。程度低すぎ。

天然ボケなんでしょうかね。そのころと芸風が全然変わっていない。

2005年 9月 17日 午前 12:02 | | コメント (4) | トラックバック (0)

2005.09.16

ジンバブエの冬に

Murambatsvina’s tiniest victim ― The Zimbabwean より、6月のスラム街の強制退去(このブログでは6月21日に触れた)の犠牲になった Precious ちゃんの話。2005年6月11日生まれ、2005年7月27日死亡。"Murambatsvina" (=「ゴミ出し」)は強制退去政策の呼び名。ちなみに、ジンバブエ政府が約束している新たな住宅建設は "Garikayi" (=「いい暮らし」)作戦と呼ばれているらしい。

プレシャスちゃんは、生まれた次の日に強制退去に遭い、父母とともに教会に身を寄せるが、7月21日にその教会にも警察が現われ、寒風の中、野外に追いやられる。数日後、肺炎のため死んだ。

記事は、教会のシェルターでボランティアとして働いていたイギリス人が国外に出るのを(彼女の安全のため)待って、掲載された。

仮名で Mary と呼ばれているこのボランティアは、インタビューに答えて、「幼い娘を奪われた父親の苦悩と苛立ちはもちろん強い力なのですが、食べる物も家もないような状態では、怒りだけでは社会に正義をもたらすことはできません」と語っている。

だれかが不公正な生を強いられている時、まわりにいる人たちが声をあげ、手をつなぐことによって、私たちは、より公正な世界を築いてきた。まだその歩みは半ばであることを実感する。

いち早く考察を加えていた「P-navi info: 「ゴミ清掃作戦」と名づけられた強制立ち退き ─ジンバブエ」と、ハリケーン・カトリーナ後の支援について書かれた「あんなこと、こんなこと。どんなこと?:寄付という行為について」にトラックバックを送ります。私の記事に何か新しいことが書いてあるという訳ではないので、心苦しいのですが、ちょっと「つながり」をほしがったりする、秋めいてきた今日このごろ。ごめん。

2005年 9月 16日 午前 12:03 | | コメント (3) | トラックバック (5)

2005.09.15

大学の風化かも

二日続けて大学関係の憂うつな新聞記事が目に留まりました。名大のCOE辞退の話(申請書類に研究業績を悪く言えば水増しして書いていたらしく、補助金を返上するとのこと)と東大の遺伝子の話(実験結果が再現できないので、ちゃんと実験をやったのか疑問をいだかれているらしい)。

基礎研究への予算支援を疎かにして、やたら外部資金の獲得を迫り、量的な業績評価をもとにした傾斜配分をする歪んだ“新自由主義的”、“競争原理”の教育行政の悪影響が早くも出てきたんじゃありませんか、これ(なんとも紋切り型の描写だなぁ。実感はあるんだけど) 。

まあ、文系の、しかも研究者としては劣等生の私(数万円もらえれば研究室で小躍りした後スキップして家に帰ったりします)の考えることだから、的はずれかもしれませんけど。でも、理系の研究者は大規模な研究費が付かなければ仕事が全くできなくなってしまうこともあるわけですから、ものすごいプレッシャーにさらされていると思います(文系だって辛いんですよ。念のため)。

一つひとつの“事件”報道だけでは見えない、“構造”の問題があるんじゃないかなぁ。こういうのがもっと出てきて、“傾向”があると認識されるころには、取り返しのつかないところまで教育研究の衰退が進んでしまっているのではないかと心配です。だから、早めに警鐘を鳴らす意味でこの記事を書きました(ハロー、だれか聞いてる?)。私が間違って非常ベルを鳴らす粗忽者だったと後で分かるといいのですが。

2005年 9月 15日 午前 01:28 | | コメント (2) | トラックバック (1)

2005.09.14

選挙と青い鳥

私自身の中では、投票前夜に書いた記事が今回の衆議院選挙の総括でした。小選挙区制のもとでの野党共闘のありかたとか、いろいろ考えるべきことはあると思うのですが、政治には詳しくないので分析ができないのが残念です。もっと普段からしっかり考えるようにしておかないとだめですね。

衆議院解散後に読み返した本から引用:

二〇世紀から二一世紀への世紀転換期を振り返ってみれば、シュトルム・ウント・ドランク(疾風怒濤)の構造改革の時代であった。「改革」「改革」と連呼され、血を吐く思いで人々が改革の痛みに耐えてきた構造改革の時代であった、と後世の歴史家はこの世紀転換期を語りつぐにちがいない。…改革の痛みに耐えても、幸福の青い鳥など見つかるはずもない。未来への深い絶望は、長きにわたって改革の痛みに耐えてきたにもかかわらず、その努力が報われなかった深い悲しみのエピローグなのである。― 神野直彦『人間回復の経済学』(岩波新書、2002)

数年後ぐらいには、「このままでは地方財政が破綻するから水道の民営化を促進しよう」などとやっているのでしょうかね、私たち。う~む。

私がいつも読んでいるブログのいくつかにトラックバックを送ります。論点がずれているかもしれませんが、すみません。

2005年 9月 14日 午前 02:11 | | コメント (1) | トラックバック (2)

2005.09.13

蜘蛛という名の対人地雷

U.S. mulling new generation of land mines ― アメリカ軍が開発中の新型地雷 "Spider" に関するAPの記事です。昨年11月に書いた記事で触れた“賢い”対人地雷の詳細だと考えられます。二日続けてアメリカ軍関係の話題について書きますが、私は「軍オタク」ではありません。詳しい資料を読み解く力がありませんので、今日も新聞記事の要約だけです。書いてから調べてみると、新しい話でもないみたい。読み飛ばしてください。

対人地雷への国際的な批判が高まっているため、合州国政府はこの「スパイダー」を「地雷」とは呼ばず「ネットワーク化された弾薬(networked munition)」等と呼んでいるそうです。スパイダーは84個の「弾薬」からなり、一つひとつの弾薬には6個の小型手榴弾発射筒が仕組まれています。仕掛け線に触ると発動しますが、自動的に発動する他、人間が最後のスイッチを入れる設定にすることもできるそうです。30日以内に自動的にオフになるか、電池が切れてしまうので(この部分、面白すぎ)、これまでの対人地雷とは異なり、戦闘終結後に脅威となり続けることはないと軍は説明しています。

記事には、この他、米軍は対人地雷が朝鮮半島での使用に適していると判断している、というくだりがありました。

Human Rights Watch による関連記事がありましたのでリンクを貼っておきます。Janjan にも記事があります。

2005年 9月 13日 午前 07:43 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2005.09.12

アメリカは核兵器の先制使用を新方針に採用

Doctrine for Joint Nuclear Operations (PDF、1.8Mb)  ― 米国防省の核使用に関する指針文書の原稿。11日付けのワシントン・ポスト紙の記事 "Pentagon Revises Nuclear Strike Plan" によれば、国防省は大量破壊兵器(WMD)を保有する国またはテロリストに対して核兵器を用いた先制攻撃を行なうという方針を策定しつつある。

クリントン政権下の1995年に作成された "Doctrine for Joint Nuclear Operations" (PDF、343Kb)には核の先制、予防的(pre-emptive)使用は言及されていないが、今回明らかになった文書はこれを改訂するものである。3月15日付けで発行されており、近日中に統合参謀本部の承認を受ける模様。

敵が「大量破壊兵器を使おうとしている」際や、「生物兵器による攻撃の危険が差し迫っていて、核兵器によってのみ安全にそれを防ぐことができる」場合に核兵器による先制攻撃も辞さないとしている。ブッシュ政権の従前の主張を追認するものだと言えるかもしれない。

すみません、現物のほうには目を通さず、ワシントン・ポストの記事だけ読んで書いています。それにしても、なんか、どんどん“歯止め”というものがなくなっていく気がします。大丈夫ですかね、私たちの世界。

2005年 9月 12日 午前 12:06 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2005.09.11

弱音を吐き、展望を語る

NHKの衛星放送で『なぜアメリカは戦うのか(Why We Fight)』(Eugene Jarecki 監督)を見て、ちょっと打ちのめされたような状態です。この番組を紹介した手ごろなページがなかなか見つかりませんが、サンダンス映画祭のプログラムトロント映画祭のプログラム「バラエティ」誌の評にリンクをはっておきます(どれも英文)。

アメリカが次から次へと軍事介入・侵攻を続けるのは、軍需産業(military industrial complex)が大きな影響力を持ちすぎてしまったため。戦争をしなくては破綻する経済体制になってしまっているため。そして、戦争をするためには政府はウソだって平気でつく。『なぜアメリカは戦うのか』が描くこの基本的な構図自体は、私もこれまでずっと持ってきたものです。それでも私は、アフガニスタンの戦争の前、イラクの戦争の前、そしてほぼ今日に至っても、アメリカの戦争を、そして日本の戦争協力・参加を、「人々の力で止められる」と思ってきたわけです。正直なところその信念が揺らぎつつあります。

まあ、時期も悪いわけなのですよ。9日の金曜日には、名古屋の自衛隊派兵差し止め訴訟の公判に出廷しました(原告の一人です)。そこで、「イラク派兵は憲法第9条に違反している」という至極簡潔な命題について司法の専門家(裁判所)の真偽判断を求めるためにも、さまざまな「法の壁」(憲法において包括的に定義されている権利には司法判断に相応しい具体性があるかどうか、訴えを起こした者に具体的な利益不利益が及ぶか否か、など)があって、少なくとも内田計一裁判長の訴訟指揮のもとでは私たちはその壁を乗りこえられないだろうという強い懸念を私はいだいています。

そして今日(9月11日)は衆議院選挙です。平和が護られ(あるいは創られ)、さまざまな局面で弱い立場にいる人たちをも支え合って生きていける社会を私は望んでいますが、おそらく、今夜明らかになる選挙結果は、そのように望む人たちを勇気づけるものにはならないだろうと悲観しています。

…と、こう、弱音ばかりをつづってきましたが、もちろん私は「平和をあきらめる」つもりはありません。たぶんもっと私も平和運動へのコミットメントを強くしなければならないと自覚しています。たぶんもっとラディカルな(世論形成という上部構造での働きかけだけではなく、物質的生活の生産様式―あ、これは最近覚えたフレーズです。使い方が間違っているかもしれません―のレベルでの)変革を目指さなければならないのだろうと推測しています。そして、たぶん、この逆風の中でむしろ、価値を共有する人たちとより多くの出会いが待っていることを直感します。

なんとも締まりのない日記ですねえ。何か元気の出る「格言」のようなものを引用して筆を擱こう。ぴったりとはいかないが、とりあえず、これではどうだ。旧いか。「連帯を求めて孤立を恐れず、力及ばずして倒れることを辞さないが、力尽くさずして挫けることを拒否する。」

2005年 9月 11日 午前 12:04 | | コメント (3) | トラックバック (1)

2005.09.10

パレスチナはネットでつながっている

パレスチナでのコンピュータやインターネットの普及率についての調査結果(アルジャジーラの記事、イスラエルの Jerusalem Post の記事)。調査を実施したのは西岸地区 Beit Sahur にある the Palestinian Centre for Public Opinion という機関の Nabil Kukali さん(ヘブロン大学統計学教授)とのことです。

東エルサレムを含む西岸地区およびガザの18歳以上の1,040人に対して8月末に行なわれたこの調査では、

  • 60.8% の世帯がパソコンを所有し、37.6% がインターネットを使う。プロバイダーと契約している家庭は13.1%。
  • 毎日インターネットを使う人が23%、週に3回以上使用が27.4%、週に1、2回が13%、月に1回から4回が13%,月に1回未満が4%。
  • インターネットユーザの中では、自宅で繋いでいるのが約半数、職場で使っているのが20%、インターネットカフェが18%、大学でが9%。
  • インターネットの使用目的では、35%がニュースあるいは教育のため、22%がチャット等社交のため、7%が情報検索、10%がビジネスのため、14%が娯楽、買い物、旅行等のため(いまひとつ分かりにくい分類ですが)。

という結果だったそうです。

無作為に選ばれた調査対象はほぼ男女同数、市街地居住者が52.6%、村落居住者が29.5%、難民キャンプ居住者が17.9%。平均年齢は33歳、平均的な家族構成は7.2人とされています。

エルサレム・ポストの記事では、イスラエル(アラブ系住民を含む)国内の調査結果と比較されていました。Tel Aviv 大学 Netvision Institute for Internet Research の今年5月の調査では、イスラエルの家庭のパソコン普及率は73%(持っていないと答えた人の半数以上が50歳以上)、そのうち58%が家からインターネットに接続しているそうです(9割がブロードバンド)。情報検索用途が81%、メールが主な用途の人が50%。なにかソフトウェアを使う人(たぶん、ブラウザとメールクライアント以外ということでしょう)が21%。

アルジャジーラの記事では、占領地域でインターネットが急速に普及(4年間で25%増)している理由として、学校での導入とともに、イスラエル政府によってパレスチナ人は移動の自由を制限されているため、コミュニケーションの手段としてインターネットが重要となっていることを指摘しています。また、国外の教育機関を e-ラーニングを通じて利用しているパレスチナ人も多くいるようです。

ここまでの話とは全然関係ありませんが、The Palestine Chronicle というサイトにかなり大きなリンク集があるのを見つけました。メモメモ。

2005年 9月 10日 午後 05:42 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2005.09.09

大学と災害

アメリカの学校では新年度が始まったところですが、ハリケーン・カトリーナの影響はメキシコ湾岸の諸大学にも及んでいます。

Inside Higher Ed というサイトの記事に概況が記されています。Tulane 大学と Loyola 大学は秋学期を開講しないことを決定しました。国内の協定校をはじめとする大学がこれらの大学の学生の受け入れを表明しています。全米の大学連合等が受け入れの基本的な条件を発表しています:完全な転籍ではなく短期のステータスで受け入れること、学費は元の大学に納入すること(寮費などは受け入れ先が請求しても構わない)、などです。いち早く学生たちを救済するとともに、被害を受けた大学の長期的な財政などへの考慮がなされています。

The University of New Orleans、 Dillard University、 Xavier University は、まだ再開の目処が立っていません。Southern University at New Orleans の学生は Baton Rouge キャンパスに移るそうです。 Nicholls State University、Southeastern Louisiana University、Louisiana State University at Baton Rouge、the University of South Alabama、the University of Mobile などは遅れて学期が始まりました。The University of Southern Mississippi は来週再開を目指しています。

こうした中、Delgado Community College、Nunez Community College、the Louisiana Technical College などのコミュニティーカレッジ(主に、働きながら学ぶ学生が多い)は、復旧が遅れています。他大学で受け入れられても、職を失ったため寮費などが負担できない学生も多いと考えられています。閉鎖中、非常勤の教職員には事実上雇い止めにあたる措置をとる大学もあるようです。

いろいろな面で社会的な弱者へのしわ寄せが浮き彫りになった今回のハリケーンですが、私たちの国も地震などの災害から免れることはできません。教訓としてできるだけ多くのことが学べるように、目を大きく見開いておかなくては。

そう言えば、最近イラクやパレスチナの大学に関する記事にお目にかからない気がします。便りのないのはいい便りかなぁ。なかなか心の底からはそう思えない自分がいますが。

私がいつも読んでいる大学関係の方々のブログで関連のありそうな記事にトラックバックを送ります。

2005年 9月 9日 午前 12:01 | | コメント (1) | トラックバック (2)

2005.09.08

パラダイス・ナウ

Palestinian Film Looks at Suicide Bombers ― ニューヨークタイムズ紙の映画評です。いわゆる「自爆テロ」に関わるパレスチナ人を描いた Hany Abu-Assad 監督による近日公開の映画 "Paradise Now" を紹介しています。

西岸地区のナブルスで自動車修理工として働く Said と Khaled という若者が、イスラエルによる占領に抗議して自爆者として志願します。Said だけが検問を逃れてイスラエル側に潜入することができますが、自爆のためバスに乗ろうとした時、幼い少女の顔を見て、彼はバスをやり過ごしてしまいます。Said が思いを寄せる女性 Suha が、彼が自爆を試みていることに気づき、思いとどまらせようとする、という話のようですが、クライマックスにあたる後半部については、あらすじが詳しくは分かりません。

こちらのサイトで英語版の予告編を見ることができます。

人々を自爆という抵抗手段に駆り立てる絶望とか、あくまでも非暴力的な手段で占領に抵抗しようとする人々の意思とかがとても人間的に描かれているようで、ベルリン映画祭などで高い評価を得た映画です。政治的に先鋭的な話題なので、すべての面で納得のいく映画ではないかもしれませんが、ぜひ観たいです。

『ホテル・ルワンダ』も観たかったんだけど、日本では公開されなかったからなあ。ちょっと心配。

青木淑子さんという方がベルリン国際映画祭の現地レポートで『パラダイス・ナウ』について書いていらっしゃるのを見つけました。トラックバックを送ります。 

ついでに、『ホテル・ルワンダ』日本公開を求める会のバナーも貼ってみよう。

2005年 9月 8日 午前 12:02 | | コメント (2) | トラックバック (2)

2005.09.07

ブイヤット湾公害訴訟公判第1回から第3回

ニューモント・ミナハサ・ラヤ社がインドネシア・スラウェシ島ブイヤット湾の環境汚染の罪に問われている裁判の動きをまとめておく。以下のロイター通信の記事による。

初公判は8月5日に警備上の理由から Manado の地方裁判所近くの自治体の建物に場所を移して開かれ、Robert Ilat 検察官が「Newmont 社は Buyat 湾の海水をヒ素と水銀で汚染し、かゆみなどの症状を住民に生じせしめた」と論じた。

この刑事訴訟とは別に、8月2日、北スラウェシ地裁は、Rignolda Jamaluddin さんという環境問題活動家に対し、名誉毀損の罪でニューモント社に75万ドルを支払うように命じている(Global Response に詳細な記事がある)。

8月19日の公判では、ニューモント社弁護団の Luhut Pangaribuan 弁護士が「ニューモント社は操業中、一度もインドネシア政府から警告を受けたことはなかった。この訴訟は全く根拠がなく、棄却されるべきである」と述べた。検察側の調査には専門家が含まれておらず、またニューモント社に有利な証拠も起訴状に盛り込まれなかったとしている。

8月16日にジャカルタで開かれた記者会見で、ニューモント社弁護団の Blake Rhodes 弁護士は、「法の適用上の誤りである。過失を証明するものは起訴状に何も入っていない」と主張した。

9月6日の公判では、Muthmainnah Umadji 検察官が「PT Newmont Minahasa Raya 社とその社長に対する起訴は環境法に照らして合法である」と主張し、次回公判で証人による証言を行ないたいと述べた。

次回公判は9月20日。裁判が継続されるか否かが決定される予定。双方の弁論は行なわれるが証人の喚問は行なわれないらしい。

なんか、準備不足のまま起訴したような感じですね。住民の健康被害とニューモント社の操業に何らかの因果関係が存在する蓋然性は非常に高いと思えるのですが、証拠不十分にでもなったら、ブヤット村の人たちがとても可哀想。

これまでの経緯は以下の記事をご参照ください。

「高校生のためのアジアの言語と文化」という拓殖大学の高大連繋プログラムのブログに井上治さんという方が現地報告を書いていらっしゃるのを見つけました。トラックバックを送ります。

2005年 9月 7日 午前 12:01 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2005.09.06

日本に誇りを持てだって?

Dhaka to donate $1m for US storm victims ― バングラデシュの The New Nation 紙の記事。曰く

バングラデシュは合州国ルイジアナ州のニュー・オーリンズに壊滅的な被害を与えたハリケーン・カトリーナの被害者に対する人道支援のため100万USドルを寄付することになった。Begum Khaleda Zia首相が日曜日に発表した。

日本の外務省が金曜日に発表した援助は20万ドルの資金供与と30万ドル相当までの物資供与の用意。つまり、合わせても、バングラデシュ政府の提示した額の半分です。

参考のためにバングラデシュと日本のGDPを挙げると(2004年、World Bank の資料による)、バングラデシュ:568億44百万ドル。日本:4兆6233億98百万ドル。つまり、日本のGDPはバングラデシュの約81倍です。

だれか助けてください。私、本気で日本に絶望しそうです。

とりあえず、「請われてイラクに派兵したり、思いやり予算を出したり、アメリカにはもう十分奉仕しているから、あわててお金を出さなくてもいいんだよ」と自分に言い聞かせて納得するようにしています。う~ん、微妙。

以前書いたカトリーナ関係の記事:

2005年 9月 6日 午前 12:03 | | コメント (13) | トラックバック (1)

2005.09.05

バグダッドの少女

バグダッドの少女の日記からの抜粋をワシントンポスト紙が連載した。米軍侵攻(2003年3月、4月)、戦闘終結後の占領の日々(2003年4月から7月)、現在(2005年6月から8月)。

日記の書き手はバグダッドの Karrada 地区(労働者が多く住んでいる)に暮らす Amal Salman さん。米軍侵攻当時、14歳になったばかりだった。ワシントンポストの Anthony Shadid さんが見せてもらって訳したらしい。

アメリカ軍の攻撃が始まって2週間ほどたった4月4日に水道が止まって以来、今年の夏になっても Amal さんの家族は階下まで水を汲みに行き続けている。ブッシュ大統領は開戦前、「イラク市民の生活は劇的に改善されるだろう」と言ったが、その約束は未だ果たされていない。

Amal さんはバース党の子ども組織に入っていたそうで、サダム・フセインたちのプロパガンダを信じて戦争を解釈していく。しかし大規模な戦闘が予想外に早く終結したように、彼女の確信も間もなく批判精神に置き換わっていく。ただ、彼女もそしてイラクの大半の市民も同様だと思われるが、フセイン政権の崩壊は、何か代わりのものを信じる日々の始まりではなく、何も信じることのできない、希望のない年月の始まりであったようである。「私たちは明るい面を見るべきだ」と彼女は書く。「私たちの世代では無理にしても、私たちに続く世代のためには。」

断水や停電に悩まされながらも暮らし続ける彼女が爆破事件を目の当たりにするのは今年の6月になってからである。家のすぐ近くのシーア派(彼女もシーア派教徒である)のモスクで朝早く爆発が起こる。ショックの中、Amal さんは「街が破壊されただけでなく、私の心も壊されてしまった」と書く。だれも信じ合わず、助け合わず、同情や慈悲の心を持たなくなってしまった。「砂あらしのせいで、道にはだれもいない。うち捨てられ見捨てられたようだった。イラク全体がそうなのだ。」

2005年 9月 5日 午後 03:24 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2005.09.04

二十五年ぶり

見逃してしまいがちな出来事、ちょっと気取って言えばオルタナティブなニュース、についてできるだけ書くように心がけています。このブログを見る人もそういった視点で見ている人が多くて、私個人のことに興味を持っている人は少ないと思うのですが、今日は期待を裏切って、日記的なことを書こうと思います。

私はカトリックの中高一貫校に通ったのですが、昨日は卒業25周年の同窓会でした。私は今まで同窓会に出席したことがなかったので、ほとんどの昔の仲間たちとは25年ぶりの再会でした。意外と人って変わらないものなんですね。ちゃんと面影が残っていて、だれがだれか、すぐ分かりました。

ちょっと安心したのは、当時の体重に比べて約50%増という私の体型が、案外、平均的だったことです。あのころはみんなやせていたからなぁ。まあ、そう納得せずに、減量につとめたいと思います。

恩師の先生方も何人か来てくださったのですが、印象に残ったのは、70代の先生方お二人が「平和の大切さを次の世代に伝えてほしい」といった話をしてくださったことです。組合とかもない(たぶん)職場でしたし、私が生徒だった時にあまり「平和」についての話を彼らの口から聞いた記憶がないので、かなり意外でした。

幼いころに戦争や戦後の混乱を経験した人たちが今の世の中にどんなに大きな危機感をいだいているのかがよく分かりました。その願いにどれだけ私たちが応えられるか。旧友たちの顔を見回して、うん、けっこう私たちもしっかりしているんじゃないかな、と思いながら家路に。

2005年 9月 4日 午前 12:06 | | コメント (1) | トラックバック (0)

2005.09.03

たぶんいいニュース二つ

沖縄タイムス:施設局、足場撤去/「辺野古」調査

那覇防衛施設局は2日、台風対策のため、名護市辺野古沖のボーリング調査地点で「単管足場」四基全部の撤去を始めた。

ロイター電:Israel freezes plan to link Jerusalem, big settlement

イスラエルは西岸地区にある Maale Adunim 近郊 "E1" 地区に1,000戸の新たな入植者向け住宅を作る計画を凍結した。この計画によって存続可能な国家建設が不可能になるとしてパレスチナ人が警戒しており、アメリカが計画に反対していることに留意したもの。金曜日にEhud Olmert副首相が明らかにした。

どちらの動きも私には(一時的であり、かつまた小さいにしろ)いい方向を向いたものに見えるが、沖縄やパレスチナのことをもっとしっかりと見つめている人の目には、私には見えない危うさが見えるのかもしれない。

辺野古については、琉球新報の記事で国際的な署名運動が紹介されていた:OkinawaPeaceFighters.org

マアレ・アドミム入植地、"E1"計画については、ビーさんのP-navi info の記事を参照。オルメルトの金曜日の発言の詳報は IMEMC に。

2005年 9月 3日 午前 12:00 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2005.09.02

カトリーナと心の中の嵐

ちょうど5年前(2000年)のこの時期だったと思いますが、その年の春に名古屋に引っ越したばかりだった私も水害を経験しました。私の住んでいたところは丘の上だったので被害はありませんでしたが、たかをくくって帰宅が遅くなったら、途中の道では腰の近くまで水に浸かるところもありましたし、少しでも傾斜があると水はまさに濁流になっていました。宿舎に着いてからも、ものすごく心細かったのを覚えています。

だから、ハリケーン Katrina のニュースを見て、他人事には思えなかったんですよね。New Orleans に行って楽しかった思い出もあるし。停電が続いているらしくて、私が試した時には、ロヨラ大学等、全くつながらないサイトもたくさんありました。また、街に取り残されている人の多くが圧倒的にアフリカ系住民のようだったのも気になりました。で、かなり安直に、American Red Cross で "Hurricane 2005 Relief" のカテゴリーを指定してクレジットカード募金をしてしまいました。

救援が遅れていると言っても、食べ物が全然手に入らないで苦しんでいる人は世界のいたるところにいるはずだとか、こんなふうに簡単に募金ができてしまうような仕組みがあるのは富んだ国ならではだなあとか、千人以上が死亡と言っても、毎年バングラデシュではモンスーンの洪水でもっと死んでいるんじゃないかとか、いろいろ考え出すと、合州国での災害に募金することに私はかなり躊躇も感じてしまうのですが。

地震や津波と違ってあらかじめ避難の準備とかができるわけで、実際ニューオーリンズでは市が全市民に避難命令を出したのですよね。なのに連邦政府は(ブッシュは)いったい何をやっていたのか。ルイジアナもミシシッピも州兵をたくさんイラクに派遣させられていたから市民の生活が守れなかったのではないのか。そして、もし貧しい人たちが一番被害を受けたのであれば、それは社会の構造の問題(社会保障の不備とか、金持ちや大企業を優遇する税制)ではないのか、等々。

問われなければいけないことは多いのでしょう。考えていて、ちょっと怒りにも似た感情が私の中に生まれたことを私は否定しません。でも、今日は、アメリカ南部の兄弟姉妹たちにパンと水と薬が少しでも早く届くことを祈る気持ちが優りました。

2005年 9月 2日 午前 12:09 | | コメント (0) | トラックバック (1)

2005.09.01

夏の終わり

My Last Post From Crawford ― シンディー・シーハンさんの日記(私は The Huffington Post で読んできたのですが、たぶん Daily Kos が正しい引用元だと思います)。

8月が終わり、ブッシュ大統領はワシントンに戻り、Cindy Sheehan さんたちも "Camp Casey" を後にする。戦争と占領の「気高い目的(noble cause)」とは石油利権のことだったのだという印象だけを残して…

写真はイラクで死んだシーハンさんの息子 Casey さんの“墓標”。12日にテキサス州クローフォードのキャンプ・ケーシーを訪れた Dru Blood さんが FlickrCC by-nc-sa で公開しているものを使わせていただきました。

2005年 9月 1日 午前 10:50 | | コメント (0) | トラックバック (2)

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