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2005.05.09

ベルリン≠東京

ドイツの放送局 Deutsche Welle の英語サイトで終戦60周年関連の記事を読んだ。私はふだん、日本の政治家や報道やネットでくだを巻いている人たちの偏狭さや愚かしさに辟易させられているので、この記事は人間の精神がより高いところに到達しうることを改めて信じさせてくれる爽快なもののように感じられた。

Horst Köhler 大統領の国会演説。ドイツ市民に向け、ドイツという国は根本的に生まれ変わったとはいうものの、ドイツが世界に及ぼした悲劇は現在も続いており、過去に線を引いて終わりにするといったことはできないと語っている。大虐殺や文明の破壊が行なわれたことにドイツは責任を持たねばならず、それが繰り返されないために、苦難やその原因を記憶に留めておく責任がある、と述べている。

Gerhard Schröder 首相がロシアの新聞 Komsomolskaya Pravda に寄稿した記事(ロシア語原文はこれ)も言及されている。この記事の中で、シュレーダー首相は「ドイツ人の手でドイツ人の名の下に、ロシアや他の国の人々にもたらされた苦しみについて、許しを請う」と書いている。

ネオナチの言動。National Democratic Party というネオナチ組織が、記念行事の妨害を図った。彼らの主張は「罪の意識というカルトに終わりを」「この60年間(私たちが教えられてきた歴史)はウソだ」というものだと記事は伝えている。

記事の末尾には、Christina Weiss 文化相に対するインタビュー記事へのリンクがある。インタビューの中で、「今まで、それぞれの国が独自の視点から歴史を見て、異なった評価を与えてきた。これからは、どうしたらみんなが一緒に歴史について話し合っていけるかを一緒に考えなければならない」と語っている。

一々、これが日本のだれの発言に似ているとか、正反対だとか書くことはしない。きっと、比べたって仕方のないことなのだ。

2005年 5月 9日 午後 09:30 | | この月のアーカイブへ

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大日本帝国の「戦陣訓」ではない。 敵軍の捕虜になることが許されざる「恥」となったのは、ソ連軍でも同様だった。それは祖国に対する「裏切り」でもあった。 続きを読む

受信: 2005/05/10 11:13:40

コメント

50ヶ国からの首脳が集ったというモスクワでの欧州終戦60年記念式典ですが、TVからはコイズミ一人が緊張感からか渋い顔をしているように見えたのは何故か?
同じ敗戦国の独シュレーダーの潔い非戦の誓いと、一方の口先非戦、その実態、靖国参拝に政治生命を賭ける我らが宰相。
仰るように、比べるのは野暮?。この国では真の意味での近代的国家の形成を通しての民主主義の定着などなかったのかもしれないと考えてみれば、欧州の人たちの思考ロジックと較べる方が野暮?
ギュンター・グラスの情報、感謝します。

投稿: divepenguin | 2005/05/09 23:11:31

ロシアとの「和解」に至った途には、ドイツ側の大いなる努力があったと思います。いっぽうの当事者ロシアの歴史の反省には、敵味方でありながら日本に近いものすら感じます。
「ソ連兵捕虜」についての短文をエントリーしましたのでTBさせていただきます。

投稿: 主義者Y | 2005/05/10 11:13:09

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