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2005.03.06

カティンの森

Poles mark Stalin's Katyn Forest massacre ― ワルシャワで開かれた「カティンの森の虐殺」追悼集会のようすを伝えるAP電。

1940年の春、ベラルス国境近くのロシアの都市スモレンスクにほど近いカティンの森でポーランド人捕虜数千人が射殺された。他の数か所と合わせ、2万人を超えるポーランド人がロシアの諜報機関によって殺害されたらしい。スターリン政権下でのこの虐殺は、長い間、闇に埋もれたままにされてきたが、ペレストロイカの時代になって、虐殺を命じる文書が公開された。

追悼集会が開かれた3月5日は、スターリンの側近ペリアが虐殺の命令を出した日である。文書の英訳へのリンク。公開された文書はこれらしい(エンコーディング指定をキリル文字にしないと文字化けするかもしれません)。3枚目の写真の中程に «высшей меры наказания - расстрела» (極刑―銃殺)とある。

記事は、65年前のこの虐殺について、ポーランド人がロシアに対して真相を究明し罪を認識することを求め、カティンの記憶が永遠に残ると語っていることを伝えている。戦争の傷跡は、特に被害の歴史は、そう簡単には消えないのだ。加害者は振り返ることを拒み、忘れようとするけれど。

2005年 3月 6日 午後 02:25 | | この月のアーカイブへ

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ブログ「壊れる前に・・・」さんで、カティンの森虐殺事件の追悼式典がポーランドで催されていたことを知りました。 ポーランドには何度も足を運んで思い入れの強いとこ... 続きを読む

受信: 2005/03/06 21:59:21

» 映画「カティンの森 」人間は、こんなこともしてしまうのだ トラックバック soramove
「カティンの森 」★★★★DVDで鑑賞 マヤ・オスタシェフスカ、アルトゥル・ジミイェフスキ、ヴィクトリャ・ゴンシェフスカ主演 アンジェイ・ワイダ監督、122分、 2009年12月5日公開、2007,ポーランド,アルバトロス・フィルム (原題:Katyn )                     →  ★映画のブログ★                      どんなブログが人気なのか知りたい← 「アンジェイ・ワイダ監督が80歳を超えて監督した 1万5千人のポーランド人将校捕虜の殺害の事... 続きを読む

受信: 2010/05/10 7:15:39

コメント

こんにちは。
カティンの事件が明るみに出たのは、ソ連に侵攻したナチスが発掘したことによります。このことがきっかけで、ポーランドのロンドン亡命政府はソ連と絶縁します。
その後も長らくソ連側の公式見解は、カティン虐殺の下手人をナチスとするものでした。

アンジェイ・ワイダ監督のお父さんも、ここで殺されていますね。

投稿: 主義者Y | 2005/03/06 17:33:05

すみません。完全に誤解を招く書き方でした。「虐殺【の真相】は長い間…」と読み替えてください。主義者Yさん、ご指摘ありがとうございました。

投稿: うに | 2005/03/06 17:47:16

あ、いや恐縮です。
間違いを正そうとかそういうことではなくて、カティンの森事件自体を知らない人も多いのではないかと思い、僭越ながらコメントさせていただきました。
ついでに言うと1939年9月にポーランドが、ドイツ・ソ連双方から侵略を受けたということも、(悲しいかな)日本の世間の常識ではないと思います。ソ連に連行されたポーランド兵捕虜は、そのソ連占領期に連れていかれた人々なんですね。その後ソ連がドイツの侵攻を受けて連合国側の一員になったとき、連行されていたポーランド兵士を西側連合国に送って部隊を編成しました。その際に消息が不明になっていた(将校を中心とする)人々が、じつはカティンで既に殺されていたわけです。ポーランド亡命政府はソ連当局に問い合わせをしましたが、明確な回答を得られませんでした。それが1943年に、たまたまスモレンスク近郊でドイツが事件現場を発見し、ゲッベルスが世界に向けて宣伝したのです。

すいません。ポーランドがらみだと、つい熱くなってしまって(笑)

投稿: 主義者Y | 2005/03/06 20:52:14

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