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2005.03.14

ジジェクの全体主義論

The Two Totalitarianisms ― London Review of Books に掲載された Slavoj Zizek のナチズムとスターリニズムに関する論考。非常に重要な論点を含んでいるので、少し長めに論旨を要約する。

スワスティカなどナチのシンボルを禁止しようという声に対し、欧州議会の保守勢力(主に旧共産圏の議員たち)が、赤い星など共産主義のシンボルも同様に禁止されるべきだという要求を出した。これは軽くあしらわれるべきではない。なぜなら、これはヨーロッパのイデオロギー的なアイデンティティが変化しつつあることを示しているからだ。

ナチズムの罪を相対化してスターリニズム(もしくはソビエト共産主義)と同列に扱う、あるいは共産主義への反動としてのみナチズムを捉えようとする歴史修正主義的な考えは誤っている。 Ernst Nolte のような歴史修正主義者は、共産主義とナチズムとが同じ全体主義的な形式を備えており、二者の間の違いは「階級の敵」の構造的位置に「ユダヤ人」が代入されたに過ぎないと主張する。これに対し、ジジェクは、構造は保持されたのではなく、置き換えられたのだと考える。政治的な闘争が人種的な闘争に。階級の拮抗が「他者(ユダヤ人)」による侵略に。階級間の敵対関係は社会に内在するものであるが、ファシズムはこの基本的な構図を隠蔽してしまう。

スターリニズムの下では反体制派が「ソ連政府は社会主義をねじ曲げている」と批判したが、ナチズムの世界では「人間の顔をしたナチズム」を提唱する者はもちろんいなかった。このことだけでも、「中立的」に、両者を同等の悪と見なすことの誤謬が明らかになる。ナチズムが絶対的な悪であったのに対し、共産主義は“失敗”したのである。

しかし今は、修正主義の時代である。2003年にベルルスコーニ首相が「ヒットラーやスターリン、サダム・フセインと違ってムッソリーニはだれも殺さなかった」と述べて批判を受けたが、そのような発言が出るのも、その潮流の一つの現われに過ぎない。ファシズムへの反省に基づいて構築されてきたヨーロッパのアイデンティティが塗り替えられようとしているのである。

以上がジジェクの主張のやや詳細な(しかし単純化を施した)要約である。ナチズムにおいて、共産主義の構造の要素が変更されたのではなく構造そのものが置き換えられたのだという論点は核心を衝いたものだと思うが、理論的な適切さはともかく、この論が広汎な支持を得るかを考えると、私は悲観的にならざるを得ない。ジジェクの議論の弱さは、善意をもって、ナチズムとスターリニズムを同じ抽象度において分析していることにあるのではないか。総じて、ナチズムをはじめとする人種差別的な思考の持ち主は、人種や民族、社会や国家といった概念を極めて実体的、具体的な所与として認識しているように思われる。そのような人たちには、ジジェクの差し出す基本構図自体が全くもって理解不能で、何らの説得力も感じられないだろう。そして、時代の流れに抗するためには、そのような人たちにも分かるような形で彼らの過ちを糾す必要があるのだ。

2005年 3月 14日 午後 07:03 | | この月のアーカイブへ

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