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2005.02.28

チェチェン戦争の行方

Russia's forgotten war ― チェチェン共和国の元外相 Ilyas Akhmadov さんによる論説。米ロ首脳会談にあたって、アメリカがチェチェン紛争の解決に向けてイニシアティブを取るべきだと主張している。

チェチュニアでは一月に Aslan Maskhadov 大統領が一方的に停戦を宣言し、それが遵守されている。つまり、Maskhadov 大統領は和平実現の意欲があるとともに、武装勢力に対して十分な影響力を持っているわけで、十分に交渉のパートナーとなりうる。アメリカやヨーロッパは、この機をとらえて和平実現をめざすべきである。ブッシュの「テロとの戦い」の主張がプーチンによるチェチェンへの攻撃激化の呼び水となったのだから、今ブッシュが(イラクの)自由と民主主義を強調するのであれば、その影響はチェチェンにも及ぼされてしかるべきである、という主張。パレスチナとイスラエルの間でオスロでの合意をもたらしたような仲介外交を提案している。

記事の冒頭に、今から61年前の1944年の2月23日にスターリンがチェチェン人の中央アジアやシベリアへの強制移住政策を開始したとある。

2005年 2月 28日 午前 09:57 | | コメント (0) | トラックバック (1)

2005.02.27

兵隊と自殺

Suicide rate among Japanese soldiers soars ― 豪 The Age 紙の記事。自衛隊員の自殺が増えていると伝えている。2003年4月から2004年3月までの一年間の自殺者は75名だったのに対し、2004年4月以降の自殺者は年度をあと一か月残して既に78名に達している。1990年代半ばまでは年間40-50名だったが、その後増加を続けている。日本全体の自殺率が2002年に 10万に25.2件だったのに対し、2003年度の自衛隊員の自殺率は10万人に32名と高い。しかし、防衛庁が調査を行なっていないため、自殺者の増加がイラク派兵等と関連があるかは明らかにされていない。

自殺者が増えていることについて、そこに問題が存在することを否定するつもりはないが、この記事は少し見方が一方的であるかもしれない。厚生労働省の資料によると、自殺率は性別、年齢層などで大きく差があり、男性が圧倒的に多いことを勘案すれば、他の職業と比べて自衛隊員の自殺が著しく頻繁であるとは言えないだろうと思われる。自衛隊員の年齢構成に関しては、予想に反して「中高年層が多い寸胴型の人事ピラミッド」だということが分かっただけで、いい資料を見つけることができなかった。

米ワシントン・ポスト紙は、米海兵隊員の自殺者が3年連続して増加した結果、昨年は29名にのぼり、過去十年間で最多だったことを伝えている。一昨年は23名。アメリカでは軍人のほうが民間人よりも自殺率が低いと書かれている。

以前書いた関係のある記事:

もし、自殺することを真剣に考えている人がこの記事を読んでいらっしゃいましたら、どうかもう一度考え直してください。思いとどまってよかったと考える日がきっと来ます。経験者は語る。 

2005年 2月 27日 午前 10:00 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2005.02.26

イギリスの外国語教育

Big fall in language students ― イギリスの大学で外国語学を専攻する学部生が減少しているという調査結果に関する英ガーディアン紙の記事。The Department for Education and Skills (DfES) の委託による The University Council of Modern Languages (UCML) の調査ということだが、どちらのサイトにもまだ報告書は掲載されていない。

大学生の総数が増加している中で、外国語専攻の学生は1998-9 年以降、15% 減少しており、学科の存続等が深刻な問題となっている。労働党政権が進めてきた言語戦略(national languages strategies)は少なくとも高等教育に関する限り失敗しているというのが報告書の結論である。中等教育で外国語が随意科目化されていること、高等教育の市場化(marketisation)などが原因であるらしい。

学習者の減少が著しかったのは北欧諸語(27%減)、ラテンアメリカ諸語(31%減)、ロシア語(27%減)、日本語(23%減)。フランス語は19%、ドイツ語は17%、イタリア語は3%落ち込んでいる。(この記事からは事情がうまく読み取れないが、スペイン語とポルトガル語は微増と書いてある。だとすると、激減しているラテンアメリカ諸語というのは先住民の言語なのか?)

以前書いた関係のある記事:

2005年 2月 26日 午前 08:48 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2005.02.25

漁業、貿易、環境

WTO のルール交渉会合で漁業補助金(fisheries subsidies)の全面禁止に反対する共同提案を日本、韓国、台湾が行なったというロイター電。国際的には、豊かな国の漁業補助金が乱獲とそれによる水産資源の枯渇を招いているとする意見が大勢で、漁業補助金の原則禁止を求める声が多いが、これら3国は漁業補助金と資源の枯渇の因果関係は明らかでないとし、一部の分野の補助金は認められるべきだと主張している。昨年11月にアルゼンチン、チリ、エクアドル、ニュージーランド、ペルー、フィリピンが提案した包括的禁止案に反対したもの。

自由貿易と環境保護については、大雑把には「グローバリゼーションが環境破壊をもたらす」といった表現で語られることが多いが、ここでは通常とはちょっと違った組み合わせで論じられているところが興味を引く。

日本政府の資料では、農林水産省の2004年9月のプレスリリースが一番新しい。電話で問い合わせたところ、3国共同提案の文面と関係資料をファクスで送ってくださった(近日中に農水省のサイトに掲載されるとのこと)。具体的な提案としては、認められるべき補助金として、漁船の廃棄処分、養殖、資源管理、持続可能な漁業研究、漁業従事者の再教育と早期退職制度、社会保険への支給が挙げられている。認められない補助金としては、漁船の建造や修理、漁船の海外移転、違法または無規制な捕獲に関するものを挙げている。また、大規模漁業と零細漁民が存在することを指摘し、零細漁民への保護がなされるべきだともしている。

関連資料のまとめによれば、ニュージーランド等 "Friends of the Fish" 諸国の主張は「漁業補助金を原則禁止した上で例外として認められた補助金のみを許容する方式」の採用と「コスト削減・価格維持など貿易歪曲補助金の禁止」で、それに対する今回の提案は「種類ごとに補助金の善し悪しを検討」することと貿易歪曲補助金については考慮しないことの2点である。

WTOドーハ・ラウンドでの漁業補助金問題全般の解説としては、American Society of International Law の "Ongoing WTO Negotiations on Fisheries Subsidies" のページが大変分かりやすかったが、議論の中心点はすでに移動していて、記述が少し古くなっているように思われる。

以下には全くの素人の感想を述べる。外務省資料にみる2002年の段階での日本の立場と比べると、今回の提案はだいぶ EU などによる提案に歩み寄った形になっていると思われる。発展途上国の扱いについて明示的な提言がないことや、漁港建設などの行政措置が対象外とされていること、資源管理や研究の中にかなり介入的な環境操作や調査目的の捕獲などの項目が例示されていることが不安に思われた。 

2005年 2月 25日 午前 12:03 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2005.02.24

豪イラク派兵が意味するもの

John Howard 豪首相のシドニーのラジオ局でのインタビュー ― 23日朝に放送されたインタビューです。オーストラリアのイラク派兵が私たちにとって持つ意味が非常によく分かります。私は次の二点に注目します。

一つは、交戦権の放棄という憲法第9条の理念が受け入れられていること。ハワード首相は、日本が第二次世界大戦の反省から戦争を放棄した経緯、そしてそのために自衛隊には人道支援しか行なえないという制約があるということに言及し、理解を示しています(首相の発言第6段落)。軍事的な活動ではなく人道的な支援を行なっている日本を適正に評価していると言えます。(もちろん、その任を自衛隊が負っていることに関しては議論が必要です。)

この点で、23日の産経新聞の社説に見る「友軍が攻撃されても、集団的自衛権の行使が認められないからと自衛隊が手をこまねくことは許されないだろう。国際共同行動に加わる以上、日本の「常識」は通用しない」といった好戦的な意見は甚だしい錯誤と言えるでしょう。

もう一つは、日本が国際的な貢献を行なっていくには、第二次世界大戦における日本の行動についての反省や補償が不可欠であるということ。ハワード首相は、オーストラリアの人々が未だに「第二次世界大戦中に日本人がオーストラリア兵に対して行なったことについて長く苦い記憶を持ち」「その世代がそのことを記憶し続けていることに感謝し敬意を表する」と述べています(首相の発言第4、第5段落)。今後、オーストラリアと日本の間の関係が良好に保たれるためには、オーストラリアの人々を納得させること、つまり、捕虜の扱いなどに関する日本の戦争責任を今一度認識し、過ちを繰り返さない決意を明らかにすることが求められているのではないでしょうか。

2005年 2月 24日 午前 12:04 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2005.02.23

オーストラリアのイラク派兵

サマワの自衛隊を保護するため(正確には、「日本の技術・支援部隊に安全な環境を提供するため」と並んでイラク軍の訓練を実施するため)に450名の追加派兵を決めたオーストラリアの Howard 首相の発表は、記者との一問一答を含め全文がオーストラリア政府のサイトで読めます。連合の維持のためには日本軍がイラクに駐屯を続けることが実質的にも象徴的にも非常に大切であること、オーストラリアが地域のパートナーとして日本を重要視していることを理由にして、むずかしい判断であるが派兵を決定したと述べています。人命が失われる可能性にも言及しています。「オランダ軍に代わる治安保証がなければ日本が撤退せざるを得ない可能性が大きかった」とも述べられています。首相自身は否定していますが、イラク派兵を増やす予定はないとする選挙公約を破っての決定(今回発表された追加派兵はイラク国内に駐屯するオーストラリア兵を倍増させることになります)でもあるようです(豪ABCの記事)。そのような決断に対して、日本(政府や報道機関)の反応は、ちょっと冷ややかすぎる気がします。

The Age など、オーストラリアの新聞で次のように伝えられているのも気になります。

Mr Howard said their job would be to assist Japanese forces engaged in the rebuilding process, such as constructing new roads and schools.

ハワード首相は、(新しくイラクに増派されるオーストラリア軍の)任務は、新しい道路や学校の建設などの復興事業に携わっている日本軍を支援することだと語った。

防衛庁長官官房広報課に電話で確認したのですが、自衛隊は「新しい道路や学校の建設」 などはやっていません。既存の道路や学校の補修のみです。ハワード首相の元の発言では「新しい」という言葉が使われていないのですが、どうもオーストラリアの人たちには自衛隊がいったい何をやっているか、彼らの駐屯に象徴的な意味以外の有用性があるのかが、報道では正確に伝わっていないように思われます。

2005年 2月 23日 午前 12:03 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2005.02.22

センキビッチの〈燈台守り〉

一時 韓国語が存亡の危機にさらされた時代があった。日本が戦争に総力を集中した1940年頃である。
電文用語から韓語は締め出され、韓語による新聞・雑誌は廃刊を迫られて追い追いに姿を消していった。もっともその以前から日本語の常用は強いられており、小学児童が母国語を口に上せば罰点をとられたりしたが、戦況の拡大につれて、いよいよ迫害は露骨化してきたわけである。

手元にある古い韓日辞典の前書きの冒頭に編者の金素雲さんがこう書いています。中学英語の教科書にある日本の朝鮮半島植民地支配の記述に異例の修正が入ったというニュース(JANJANより1月22日の記事1月23日の記事)を最近知り、最初に思い出したのがこの言葉でした。

記事によれば、三省堂の中学三年生用の教科書で 

Korea was a colony of Japan for thirty-five years. The Japanese government forced the Koreans to use only Japanese. It was really painful for them to stop using their own language. They could not use it again in public until the end of World War II.

とされていたものが、以下のように直されたようです。

Korea was a colony of Japan for thirty-five years. Korean school children had to learn Japanese as the 'national language'. Later, Korean language classes became optional. It was really painful for them. This system lasted until the end of World War II.

私にとっては、二点、考えさせられるところがありました。

第一点。修正前の英文は、引用部の最初と最後の文に囲まれて、韓国語の禁止が植民地支配の間ずっと続いたように読めるきらいがあり、そう読んでしまうと事実と異なるというのは頷ける気がします。朝鮮半島の植民地支配が、その期間を通して均質的ではなかったことは事実で、冒頭の金素雲の言にもあるとおり、“韓国語存亡の危機”が現実のものとなったのは、(それまでの政策が地ならしの役目を果たしていたとは言え)廬溝橋事件のころ以降だったと考えられます。元の文は「全期間を通じて」以外の読みも十分可能なので、修正が必要であったかは疑問に思えますが、もう少し注意深い書き方をしたほうがよかったとは言えるでしょう。

第二点。日本の政府は植民地支配後期においても「韓国語の禁止」は行なっていない。あるのは韓国語を必修科目から外した1938年の第3次朝鮮教育令(と日本語教育の振興を盛り込んだ国民学校令)だけだ、といった技術論があり、文章後半部の修正はそれを受けたものだと思われます。しかし、法律の条文で歴史を語ろうというのは無意味な話で、そのような歴史記述の手法は、支配と従属の関係をとらえるには全く不十分です(手近な例になりますが、法律や国会の議決だけで近年の文部科学省の高等教育行政を語りうるかを考えてみても、それは明らかでしょう)。「韓国語の授業が選択制になった」とする修正後の英文は、文脈の中ですわりが悪いだけでなく、あまりに表層的な記述で、実態を伝えるものとは言いがたいと思います。

反動的な人たちは絶えず小さな間違いの指摘を史実の妄想的な否定にすり替えようとしています。そして、残念ながら時代は多分に反動的であり、多くの目が“付け入る隙”を狙っています(私のこの記事にも、そのような目が向けられているでしょう)。彼らに不用意に足場を与えないためにも、慎重であるに越したことはありません。

さて、この記事のタイトルですが、これは金素雲さんの文章の、少し先のほうに出てくるものです。

その危機のさ中に戦争は終わり、祖国は解放されたが、これはただに国土・国権の回復というにとどまらず、じつに〈国語〉そのものの蘇生であり、解放でもあった。
失われた国語の自由を再び手にした喜び――、センキビッチの〈燈台守り〉に描かれた国語への信仰をわれわれが身をもって学んだことは、得難い貴重な体験とせねばならない。

センキビッチの〈燈台守り〉。調べたのですが、分かりません。お心当たりがある方、お教えください。

2005年 2月 22日 午前 12:03 | | コメント (2) | トラックバック (0)

2005.02.21

近況短信

今まで、ほとんど毎日、記事の投稿をしてきましたが、これから少し不定期になるかもしれません。

私、4月1日付けで職場を変わります。で、これからしばらく、引き継ぎとか引っ越しの準備とかで、だいぶ時間が取られそうです。職場を変わってからも、通勤時間が長くなったりして、今までみたいにお気楽な生活ではなくなるかも。

というわけで、いつ急に投稿が止まっても、あるいはスタイルが変わっても(例えば、こんな感じの日記的な記事でごまかしたりしても)心配しないでください。

2005年 2月 21日 午後 12:00 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2005.02.20

受動的革命に関する抜き書き

片桐薫さんが編集した『グラムシ・セレクション』(平凡社ライブラリー、2001年)を読んでいます。その後書きの中で、吉見俊哉さんがサッチャリズムをフェミニズムや環境運動、他文化主義への反動としての受動的革命(革命なき革命)と位置づけています。

グラムシ自身は、ファシズムをロシア革命に対する受動的革命と考えていました。以下、『グラムシ・セレクション』より抜き書き:

わが国において…プチ・ブルジョワジーが…唯一の国民的な階級であった…。資本主義の危機は統一国家の崩壊の危機という鋭い様相をおび、[それによって]混乱した愛国主義的イデオロギーの復活を助長した。

ファシズムにとって特徴的なことは、プチ・ブルジョワジー大衆の組織形成に成功した点にある。そのような成功は歴史上、初めてのことだった。ファシズムの特異性は、従来、まとまりと一元的イデオロギーをもちえなかった社会階層にとって適切な組織形態を発見した点に(ある)。

要するにファシズムは、つねにイタリアを支配してきた保守と反動のもくろみを反動勢力の統一手順とを、別なやり方で構想し、修正しているのである。…ファシズムのあらゆるイデオロギー的宣伝と政治的経済的行動の仕上げは、「帝国主義」への指向である。

ファシズムの政策の結果として、大衆のあいだに反動が生じている。

現代の新自由主義は、経済面の切り口がファシズムとは異なるかもしれませんが、その受動性が「おぞましいまでの保守性や不寛容と結びつき、ナショナリズムを極端なまでに推し進めるところ」(吉見俊哉さんの後書き)はそっくりですね。

後書きによれば、サッチャリズムに直面したイギリスの左翼勢力の過ちを Stuart Hall が次のように要約しています。

サッチャリズムは単に政治的な権力を得ただけでなく、「ポピュラーなもの」の構制を根底から組み変えていくのだ。こうして政治の枠組そのものが変化していく「革命的」状況を、同時代の英国の左翼はまったく理解することができなかった。…左翼陣営は相変わらず旧来の階級闘争の枠組で現状を理解しようとし、そうした階級概念や政治の枠組自体の危機が振興しつつあることに気が付かなかった。

今日の日本での陣地戦を階級闘争の概念でとらえようとしている人はあまりいないと思うのですが、かといって、それに代わる対抗的な枠組みが形成されているようにも思えません。う~む。

2005年 2月 20日 午後 09:39 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2005.02.19

ろう文化

ポストコロニアルのろう文化 ― サバルタンはどこにいるのか」 ― 障害学研究会関西部会における森壮也さんの講演記録。ろう者は手話という言語を共有する言語的・文化的なマイノリティであると考え得るのに、「聞こえない=何かが欠けている」とする医療的な見方の中で、その文化的な動性が見過ごされてしまっていると論じている。口話法(唇の動きを読み取り、ろう者自身も音声発話をすることによるコミュニケーション)偏重などに見られる聴者中心の価値体系は聴者による植民地支配と言うべきものであり、従属者たるろう者は、その内部の不均一性(難聴者、中途失聴者など)を含め、サバルタン(subaltern、従属集団)として位置づけられるとする。

私自身は、友人に American Sign Language の研究者がいたこともあって、日本手話や ASL などが十全の言語であることはかねてから理解してきたし、社会が一般的に“障碍者への配慮”に欠けていることを認識してきたつもりなのだけど、ろう者(大文字のDeaf)をサバルタンとしてとらえるポストコロニアルな視点は持ち合わせていなかった。いまだ十分に森さんの論旨を消化できたとは言えないものの、非常に刺激を受けた。

ろう文化とコロニアリズムについては、Paddy Ladd さんの "In Search of Deafhood" という記事もとても興味深い。

2005年 2月 19日 午後 03:25 | | コメント (3) | トラックバック (0)

2005.02.18

グーグルの表示言語と検索結果

Google で、パラメタの "hl" は画面表示の言語を設定するのだと思っていたのだけれど、検索自体にも影響するのですね。尹東柱(ユンドンジュ = 윤동주)のことを調べていて気が付きました。

hl=ja で 윤동주 を検索すると 46,500件ヒットしますが、hl=ko で 윤동주 を検索すると 20,700件、hl=en で 윤동주 を検索すると 20,600件になります。一方、hl=zh-CN で 윤동주 を検索すると 937件しかヒットしません。検索対象はウェブ全体です(つまり "lr" パラメタの指定なし)。ちなみに、www.google.com でも www.google.co.jp でも、同じ結果でした。

ヒット数では日本語表示の設定にした場合が一番多いのだけど、全く関係ないページがたくさん混じってしまっています。検索対象を韓国語だけに絞ると 20,400件になって、表示言語を韓国語か英語にした場合とほぼ同等の結果が出ました。インターフェースだけが変わるのだと思っていたのは間違いだったことを遅蒔きながら思い知りました。

ちょっとしたサピア・ウォーフ的(?)体験。

2005年 2月 18日 午前 12:05 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2005.02.17

京都議定書発効とアメリカ企業

Ready Or Not: Here Comes Kyoto ― アメリカ製造業界の業界紙 IndustryWeek 編集長 Patricia Panchak さんの論評(2月1日付け)。昨日、地球温暖化防止のための京都議定書が発効したが、その署名国ではないアメリカ合州国でも産業界が温室効果ガス(GHG)排出規制に取り組む必要を主張しています。

名前が挙がっているのは環境保護局の Climate Leaders Program、市場としての Chicago Climate Exchange(CCX)、環境団体との連繋による Environmental Defense Partnership for Climate Action。CCX はフォード、IBM などが参加し、2006年中に1998-2001年より4%の削減を目指しています。まだ数十企業しか参加していないようです。1万以上の企業の参加する European Climate Exchange は CCX の子会社です。

このほか、シンシナティの電力会社 Cinergy が積極的に産業界全体の GHG 削減に取り組んでおり、連邦議会に法制化を呼びかけていること、ニュージャージーなどいくつかの州政府が独自の環境基準を法制化したことなどが紹介されています。

実は、この記事はあまりよく書けているとは言えないのですが、ここで紹介したのは、その最後の段落に使われた用語が印象的だったからです。

今はまだ緊急性が感じられないかもしれないが、重要なことがある。合州国の企業経営者は、合州国のリーダーシップはもとより参加すらないままこの議定書が発効したことが、私たちが国外で公共政策に影響を及ぼそうとした時にどんな意味を持つかをよく考える必要がある。合州国の経済界は国内の政治を動かす要領には習熟しているかもしれないが、より広いフィールドは未だ征服するには至っていない。

彼らが「征服する(conquer)」という言葉で自分たちの行動や目標を概念化しているということに驚いてしまった私は、人が善すぎるのかもしれません。

2005年 2月 17日 午前 12:02 | | コメント (0) | トラックバック (1)

2005.02.16

尹東柱を想う

この詩人の私が一番好きな詩を引用します。

帰って見る夜

世間から戻るようにやっとわたしの狭い部屋に帰って明りを消します。明りをつけておくのは あまりにも疲れることです。それは昼の延長ですから――

いま窓を開けて空気を入れ換えねばならないのに 外をそっと覗いて見ると 部屋の中のように暗く ちょうど世間と同じで 雨に打たれて帰ってきた道がそのまま雨に濡れています。

一日の鬱憤 いかりを晴らすすべもなく そっと瞼を閉じれば 心の うちへ流れる音、いま、思想がりんごのようにおのずから熟れていきます。

尹東柱ユンドンジュ『空と風と星と詩』(伊吹郷・訳、影書房、1984)より。1941年6月の作品。

尹東柱は同志社大学在学中に治安維持法違反(独立運動への参加容疑)に問われ、60年前の今日(1945年2月16日)、福岡刑務所で獄死しました。

彼が生き続けたならどんなに偉大な詩人になっただろうと考えると、それだけで日本の植民地支配や差別、そして思想の統制を恨まずにはいられません。

「帰って見る夜」の掲載にあたっては、影書房の許諾をいただきました。感謝いたします。

2005年 2月 16日 午前 12:02 | | コメント (1) | トラックバック (1)

2005.02.15

言論と暴力に関する喩え

"The salivating morons who make up the lynch mob prevail." 「リンチを行なおうと集まってきた、舌なめずりをしている愚か者たちの勝利」とでも訳せばいいだろうか。右寄りのブロガーたちの攻撃で CNN の報道局長が辞任したことを評した言葉(引用元)。

嘆かわしいことに日本でもちょっと似たような出来事があったらしく、伝え聞くその状況にも実にぴったりな表現なので、書き留めておく。

2005年 2月 15日 午前 02:44 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2005.02.14

政治と宗教

Pope Acknowledges Role of Secularism in France ― 教皇ヨハネ・パウロ2世がフランスの政教分離主義(laïcité)の価値を認める発言をしたことを報じるロイター電。「政教分離主義はカトリック教会の社会的な教義でもあり、権力の公正な分離の必要性を私たちに教えるものである」と述べている。フランスの司教たちへの手紙(PDF、114k)の中での発言。「カエサルの物はカエサルへ、神の物は神へ」という言葉が引用されている。

今年は1905年の政教分離法制定の100周年にあたり、それを機に行なわれた発言であると言う。昨年の今ごろは、ちょうどスカーフ禁止の法律が議会を通過したところである。

ムスリマたちのスカーフの種類を絵で示したページを見つけた。

今までに書いた、関係がなくもない記事:

2005年 2月 14日 午前 06:02 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2005.02.13

オハイオに見る政治の教育への介入

オハイオ州議会に提出された州立大学の教育内容に関する法案(Senate Bill 24) ― カリキュラムは中立性を保たねばならず、論争になっている問題を授業で取り上げてはならず、教員は自分の理論を教室で論じる際に対立する他の理論があることを学生に告げなくてはならず、学生はその宗教的な信念等によって差別されてはならない、等々。

と、ここまで書けば、進化論に対する聖書流の創造説の擁護や、大学における厭戦的で反イスラエルの風潮の打破を意図したものであることはだれの目にも明らかであろう。共和党の議員が提出した法案で、大学が「反米的なリベラルな教授たちに牛耳られている」状況を変えることを目標としている(地元紙 The Colombus Dispatch の記事およびAP電)。

保守系の Students for Academic Freedom という団体が各地で法制化を試みているが、今までのところ、どの州でも成功していない。当然のことながら、教員の団体 American Association of University Professors は反対を表明している

国家主義が“学問の自由”、“思想の多様性”といった言葉の中にたたみ込まれるという倒立現象は、海の向こうだけの問題ではない。そして、それがアメリカでも日本でも起こっているということは、決して偶然ではないだろう。

2005年 2月 13日 午前 06:11 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2005.02.12

深夜0時7分前

Bulletin of the Atomic Scientists の "Doomsday Clock" ― 人類が核戦争の危険にどれだけ迫っているかを告げる時計。今、時計は深夜0時の7分前を指している。

北朝鮮が核保有を認めたという報道を耳にした時、多くの人がこの時計のことを思い出したのではないだろうか。時計の針は進むのか。

今まで、この時計の針は17回動かされたと言う。針の動きをグラフにしてみた(才能がないので、あまり分かりやすい表現ができなかったのが残念だ)。縦の補助線は10年ごとの区切り。上に行くほど真夜中(危機)に近づいたことになる。

キューバ危機(1962年)がプロットされていないところを見ると、“瞬間風速”で危機が近づいても時計には反映されないらしいと察せられる。今回も、早々に六か国協議が再開されるといいのだけれど。

Bulletin of Atomic Scientists の最新号は、昨年後半に明らかになった韓国の核開発の問題を扱っている。記事は、その中で、日本の指導者層の一部が核武装の野心を持っていることに触れ、韓国が過去の核開発について清算を行なったことで日本を刺激せずに済んだことを評価している。今回の北朝鮮の発表は、真偽のほどはともかくとして、日本のタカ派を強く刺激したことは間違いないだろう。

2005年 2月 12日 午前 07:12 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2005.02.11

ネルソン・マンデラの15年

1990年2月11日(日曜日)、私は朝早く起きて、テレビを見ていました。私は当時アメリカの東海岸に住んでいたのですが、テレビで南アフリカの刑務所から Nelson Mandela が釈放されるところを中継していたのです。

出迎える支持者たちに向かって、ネルソン・マンデラは、あごを引き、堅く拳を握って "Black power salute" を繰り返していました。決して高くは掲げられない拳。でも、見る者の腹にどっしりと伝わるパワー・サリュートでした。ああ、アパルトヘイトはもうすぐ終わるんだなと、まだ信じられない気持ちで私は見ていました。

その日、私はネルソン・マンデラの笑顔を見なかったように思います(上にリンクをはったBBCの記事には、彼が笑顔を見せたと書いてありますが)。その厳しい表情は、長年の投獄生活が形作ったものだったのか、それとも、これから自分の肩の上に置かれる責任の重みを表わしていたのか、私には分かりません。やがて彼は大統領になり、世界には彼の優しい笑顔の写真が溢れるようになりました。それでも、私がいつも目に浮かべるのは、あの日の彼の顔です。

Amandla, Madiba!

この日、彼が行なったスピーチの最後には、彼自身が1964年の裁判で述べた言葉が引用されています。

私は白人の支配と闘ってきた。私は黒人の支配とも闘ってきた。私はすべての人がいっしょに調和と平等な機会の中で暮らす民主的で自由な社会を理想として大切にしてきた。この理想のために私は生き、それを実現しようと思う。しかし、もし必要ならば、私はこの理想のために死ぬ覚悟でもある。

2005年 2月 11日 午前 03:52 | | コメント (2) | トラックバック (0)

2005.02.10

ジブチがマプト議定書批准

東アフリカのジブチが女性性器切除(FGM = female genital mutilation)を禁ずる Maputo Protocol を批准した(IRIN の記事)。ジブチでは98%の女性がFGMを受けていると言われている。世界中では、FGMを受けた女性は1億3千万人にのぼる。

マプト議定書(英文 PDF、144k)は、African Union が2003年7月11日にモザンビークのマプトで採択した「アフリカの女性の人権憲章議定書」。女性の人権擁護規定、社会参加の促進、人間の安全保障的な定めなどのほか、女性性器切除を禁ずる法的手続きを取ることを定めている。15か国の批准により発効するが、まだジブチが9か国目である(他の批准国はComoros、Libya、Lesotho、Mali、Namibia、Rwanda、South Africa、Senegal)。

発効までにはまだ時間がかかるだろうし、批准した国でも慣習が廃れるまでにはさらに時間がかかるだろうと思われるが、着実に普遍的な人権概念が広がっていることを、そして文化、伝統、宗教、内政などの幕によって覆い隠された差別や偏見が減っていくことを、まずは喜ぼう。

女性性器切除に関しては、池田光穂さんのページが詳しい。今、私が示したような素朴な喜び方を戒める内容でもある。FGM廃絶を支援する女たちの会(わーふ)のサイトによれば、マプト議定書批准国以外にも、FGMを国内法で禁止している国々がある。 

2005年 2月 10日 午前 12:16 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2005.02.09

著作者の立場からパブコメ提出

知的財産推進計画2004の見直しに関するパブリックコメントに、先日提出した読者の立場からの意見とは別立てで、著作者の立場から著作権保護期間延長に反対する短い意見を提出しました。意見募集の締め切りは2月14日。残すところ五日あまり。先日のも今回のも、ちょっと個人的な色を出し過ぎていると思うのでモデルにはなりにくいと思いますが、よろしかったらご参考にお使いください。

「知的財産推進計画2004」の見直しにあたり、著作権保護期間の延長〔参照:第4章-9-(9)-2)-iii) 〕を政策目標から外すことを希望します。先日、読者の立場から著作権保護期間延長に反対する意見を提出しましたが、今回は著作者としての立場から、延長に反対する意見を述べます。

私は常勤の定職を有しているため、著作によって主な生計をたててはいませんが、質素な暮らしならばやっていける程度の印税収入があります。私の死後数十年の時点で、私の著作物(大学で使用される教科書等です)がどれだけの商業価値を持っているかは分かりませんが、私は、自分が死んでから70年後まで遺族が印税収入を受け取るような社会のしくみを望みません。私は、自分の書いたものが公共の財産となり、それを糧として新たな著作が産み出され、それによって社会がよくなっていくことを希望します。

現代は、情報化の時代であるとともに、核家族化、少子化、長寿化の時代です。おそらく、著作者人格権の更なる尊重、保護を願う著作者が多い一方、経済的な権利に関して「孫の代まで…」などと考える著作者は極めて少ないのではないでしょうか。死後70年への著作権保護期間の延長は、そのような時代の流れや著作者の思いとはうらはらに、企業の利益追求のためだけに企てられているように思えます。

以上のような理由で、私は著作者として、著作権保護期間延長を知的財産推進の政策とすることに反対します。

パブコメについて書かれている The Trembling of a LeafCopy & Copyright Diary@JUGEMWhere is a limit?日々適当なBLOG 著作権云々編(私の Firefox だとうまく表示できません)にトラックバックを送ります。

本筋と関係のないところに自意識過剰な蛇足で恐縮ですが、私は自分の学生に自分の書いた本を買わせたことがありません。出版とほぼ同時に職場を移って、担当科目が変わってしまったからですけど。

2005年 2月 9日 午前 01:44 | | コメント (0) | トラックバック (1)

2005.02.08

アフリカのハンセン病

«En Afrique, si vous avez la lèpre, vous le cachez» ― 仏リベラシオン紙の記事。アフリカ最西部、セネガルからのハンセン病に関するレポート。

首都ダカールから80キロのところに Peycouk という町がある。人口約2,000人。一見すると普通の町であるが、この町はもともとハンセン病隔離施設として作られたもので、現在も自治省ではなく別の省の管轄に置かれている。現在、住民のうち187人がハンセン病患者であるが、町全体がハンセン病の町の烙印を押されている。町の出入りは自由。

セネガルでは10,000人に一人がハンセン病患者で、毎年400人から600人が新たに感染している。世界では毎年75万人がハンセン病に感染する(WHOのサイトでは、これらの数字はそれぞれ、0.5人、364人、51万人となっている)。治療薬が既にある現在も、貧困により治療を受けられない患者も存在する。変形や手足の切除手術などのせいで、偏見も多い。「アフリカでは、ハンセン病になったら、隠すのよ」と患者の一人は言う。

ハンセン病関係でこれまでに書いた記事:

2005年 2月 8日 午前 12:05 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2005.02.07

ソンミ村のゴルフコース

On the back 9 at My Lai ― インターナショナル・ヘラルド・トリビューン紙に掲載された James Pringle さんによる記事。

ベトナム中南部Quang Ngai郡は、かつて70%の村がアメリカ軍によって破壊された。1968年3月16日に504人にものぼる無抵抗な住民の虐殺が起こったソンミ(Son My)村ミライ(My Lai)集落があるのもここである。その日、村民で生き残ったのは現在、記念館の館長を務めるPham Thanh Congさん(48歳)などわずか5人であった。

Quang Ngai 郡は現在、経済の自由化に最も熱心な地域で、特に観光産業の育成に重点を置いている。ミライ集落のとなり、My Khe 集落にはゴルフ場などの観光施設の建設が計画されている。

「アメリカ兵は二度と見たくないが、平和のうちに訪れるのなら、アメリカ人でも何人でも歓迎する」と地元の人たちは語っているという。

2005年 2月 7日 午前 05:42 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2005.02.06

フランツ・ファノンとボブ・マーリー

「人は文化を出発点として民族を証明するのではなく、占領軍に抗して民衆の行なう闘いのなかで文化を表明するのだ。」(フランツ・ファノン『地に呪われたる者』)

という言葉が昨日読み始めた本橋哲也『ポストコロニアリズム』(岩波新書)に引用されていました。よく知らないのですが、Frantz Fanon (1925-1961)はアルジェリア解放戦線、アフリカ諸国の独立運動に強く影響を与えた人物のようですね。ネグリの『帝国』でも大きく取り上げられていました。次の引用もファノン。心を打たれます。

「ひとつの橋の建設がもしそこに働く人びとの意識を豊かにしないものならば、橋は建設されぬがよい、市民は従前どおり、泳ぐか渡し船に乗るかして、川を渡っていればよい。橋は、空から降って湧くものであってはならない、社会の 全景 パノラマ にデウス・エクス・マキーナ〔神々による急場の解決法〕によって押しつけられるものであってはならない。そうではなくて、市民の筋肉と頭脳とから生まれるべきものだ。」

ファノンは「アフリカ全土の革命と汎アフリカ共和国の実現」を夢見ていたのだそうです。

今日はボブ・マーリー(1945-1981)が生まれて60年目の日。Africa, Unite!

2005年 2月 6日 午前 11:25 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2005.02.05

戰争の快樂

実のところ、戰ふのはとても樂しいものであります。非常に面白い。人を撃ち殺すのは樂しいのであります。はつきり申し上げませう。自分は騒々しい喧嘩事が大好きであります。アフガニスタンに行けば、ヴェイルをかぶらなかつたごときで、五年間も婦人に平手打ちを喰らはせ続ける男どもがゐるのであります。そのような奴らはもう男であるとは云へません。だから、奴らを撃つのは大変愉快なのであります。

と語った米軍の将校が何らの処罰も受けないことになったらしい(AP電BBC米軍機関紙アルジャジーラ)。

許しがたい発言だと思います。しかしその一方で、狙撃をしては歓声をあげる海兵隊員たちの姿を何度もテレビで見たので、 James Mattis 海兵隊中将のこの発言自体には、ある意味で、さほど驚くべきところはないと言えるのかもしれません。

この発言を擁護する Mike Hagee 海兵隊司令官の発言には、特に、用意された文面として発表されたことを考えれば、求めるべきところが多いと思いました。

彼の発言に関して話し合ひを持ちました。彼も、もつと言葉を注意深く選ぶべきであつたと納得しておりました。一部の人は彼の発言を問題だと考へると思ひますが、私は彼が戰争の悲しく嚴しい現実を反映させる意圖で語つたと承知しております。マチス中将は屡々非常に率直に物を言ふ男であります。海兵隊は創設以来一貫して我國と世界中の人權を護るために命を献げてきました。必要があれば、他を抑壓したり、我國の安全を脅かしたりする者の命を毅然として奪ふこともあります。喜ばしいことではありませんが、武器を携へる職業の現実だと心得ております。マチス中将は卓越した指揮官であり、海兵隊の最も勇敢で経験豊かな戦士であります。今後も彼が献身的かつ優秀に國のために尽してくれることと確信しております。

イラクでは、一万を超す民間人が多国籍軍の手で命を奪われています。いわゆる付随的損傷。そのような形で殺された人たちへの思いは、この文章から読み取ることはできません。仮に彼らのことが言及されていたとしても、殺された一人ひとりは、それが「戦争の悲しい現実だ」と言って自分を慰めることもできないのだけれど。残された家族や友人たちにしたって、殺害を命じた司令官が「それが現実だ」と言って自分を納得させていると知ったら、いったいどう思うのでしょうか。そしてもちろん、その命令を実行する者たちが快楽を感じながら殺害を行なっていると知ったら。

引用部分は、少しは軍隊の雰囲気が出るかなと思って、昔っぽく、舊字舊假名にしてみました(仮名遣いの間違いがあると思います。お気づきになりましたらご指摘ください)。日本では軍隊なんて昔の話だ、と思っていられるうちが華だと思いました。一年でも一日でも長く咲く姿を見ていたいこの華。

today's_news_from_uk+ ブログにトラックバックを送ります。nofrills さんも私もちょっとヒネって訳してしまったのは、元があまりにあっけらかんとした文章だったせいでしょうか。こんなふうに考える人たちが戦争や占領をやっていると知るのは、やっぱり悔しいですね。

2005年 2月 5日 午前 12:01 | | コメント (5) | トラックバック (2)

2005.02.04

中東のテレビニュース

MOSAIC World News from the Middle East ― 毎週の平日、中東のテレビ局で放映されたニュース番組の一部を英語の吹き替えで見ることができる。ヨルダン、UAE、シリア、レバノン、サウジアラビア、イラン、イスラエル、そして英国の Arab News Network のニュースが毎日約30分に編集されてストリーミングされている。

各放送局の報道姿勢、そして LinkTV というこの英訳企画の会社による選択など、幾重にもフィルタがかかって私たちの目に届くニュースであるわけだが、1月31日の分では、どの国の放送も、イラクでの選挙実施に非常に肯定的な評価を伝えていた。2月1日、2日分では、選挙に参加しなかった市民をどうやって憲法制定のプロセスに参加させるかにかかっているといった論調に変わりつつあるように思えた。

メモを取りながら見ていなかったのが悔やまれるが、この三日間の放送では、イラク暫定政権の国務大臣が18か月以内の外国軍の撤兵を、そしてヤワル大統領が今年末までの大幅な撤退を主張していることが報じられていた。しかし、新聞報道によれば、ブッシュ米大統領の年頭教書演説では撤兵の時間設定はしないと明言されているらしい。これはあからさまな主権侵害、露骨な占領政治ではないだろうか。

2005年 2月 4日 午前 12:08 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2005.02.03

教育基本法の行方

教育基本法に関する講演会に行く。講師は名古屋大学教育発達科学研究科の植田健男さん。

現在の教育基本法見直しの動きは2000年の小渕首相の私的諮問機関の提唱で始まったわけで、教育に携わる者として、私はその時代のまっただ中で生きてきたはずなのだけれど、あらためて年表形式で2000年以降の動きを見ると、いかに自分のその時々の現状把握の力が弱かったかを思い知らされる。

一時間の講演の中で触れられた点は数多く、それを短くまとめようとすると植田さんの話を壊してしまうような気がするので、少しずつ、考えたことを書いていこうと思う。まず今日は、教育基本法の第一条を引用。

第一条(教育の目的)   教育は、人格の完成をめざし、平和的な国家及び社会の形成者として、真理と正義を愛し、個人の価値をたつとび、勤労と責任を重んじ、自主的精神に充ちた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。

これが昨年公表された与党の検討会の中間報告や、読売新聞が先月報じた「政府原案」では、

教育は、人格の完成を目指し、心身共に健康な国民の育成を目的とすること。

となっている。何が差し引かれてしまったか、非常に象徴的である。(「政府原案」に関しては、読売の報道はでっちあげの虚報であると文科省は主張している。)

2005年 2月 3日 午前 12:11 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2005.02.02

戦争宣伝映画を見る

Internet Archive で、1945年に作られた戦争宣伝映画を見ました。非常に複雑な気分です。

美しい自然や近代的な街並みが映された後、映画は戦火の時代を描きます。どんなに爆撃を受けても日本は滅びはしない。なぜなら、爆撃では日本の魂は死なないからだ。アメリカ人と違って、ちょっとやそっとの空腹では我々日本人はめげない。アメリカ人が買い物だの娯楽だのにうつつを抜かしている時、我々は勤勉に働く。生活は楽ではないかもしれないが、だれも文句は言わない。みんな戦争に勝つために働いているからだ。たしかにガダルカナルやサイパンからは撤退を余儀なくされたかもしれない。しかし敵の被害も甚大であり、また我々にはさらに精鋭の兵士が何百万も残っている。アメリカ兵と違って、我々の兵隊は9割以上の識字率を誇っている。鍛え方も違う。本土で決戦の時が近づいているが、敵の補給線は細く長く伸びきっている。

といった調子です。だいたい感じが伝わるでしょうか。

ただ、この作品には当時の他の宣伝映画とちょっと違うところがあります。ナレーションが早口の高めの声ではなく、非常にゆっくりした慇懃な感じなのです。ちょっと皮肉っぽい話し方でもあります。音楽も、軍艦マーチのような感じのものではなく、ゆったりとした、いわゆる映画音楽です。

さらに違うのは、ナレーションが英語であることです。実はこの映画、アメリカ人向けに作られているのです。さきほど述べた声の質は、自信と余裕を表現しようとしているのだと考えられます。皮肉っぽいのは、アメリカ人への嘲笑の効果を狙っています。

この映画がもっともっと違う点。それは、これがアメリカ政府によって作られたということです。種明かしをすれば、この映画は、このまま日本に楽勝できると思うな、もっと国債を買って戦争努力に協力せよと市民に訴えているのです。奴らはアメリカを馬鹿にしてかかっている。馬鹿にされたままで放っておいていいのか、とも。

敵国の市民は一致団結して政府とその戦争努力を支持している。彼らは私たちの常識では考えられないような性質を持っている。困窮しているはずだが、めげるようすを見せない。戦時に見せる自分たちの残虐性すら誇りに思っている。次に何をしでかすか分からない、うすら恐ろしい奴らである。そんなふうに、この映画は敵対関係にある“他者”を描いています。そして、その描かれた姿は、その他者(敵国)の為政者が見せたい姿、その市民に求めている姿とかけ離れているわけではありません。ただ、微妙に戯画化されている上、異質性が強調されすぎているのです。

私たちがこの映画を見て「非常に複雑な気分」になるのは、それが私たちの同胞が非好意的に描かれているからだけではなく、また、その描かれ方が思いの外、自分たち(少なくとも60年前の同胞たち)に似ているからだけでもなく、このような描き方をされた“他者”を、気が付かないだけで、実はいろいろなところで、見せられているのではないかと不安になるからだと思います。自分がふだん見ているニュースに現われる他者(実際の戦争や占領における敵だったり、非友好的な国だったり)は、決して現実の他者とかけ離れているわけでもなければ、真の姿そのものでもない。それはだれかが緊張を高める目的で作ったカリカチュアなのかもしれない。そうは思っても、自分の手で容易にそれを納得のいくまで調べることはできない。この映画を見てそれを信じた(あるいは半信半疑のまま映画館を出た)人たちと私はなんら変わるところのない、頼りのない存在である。それが私の感じた「非常に複雑な気分」です。

映画は "My Japan" ― the War Finance Division of the U.S. Treasury Department 制作です。ストリーミング、ダウンロードなど、環境に合わせていくつかのフォーマットが選べます。リンク先のページの下の方に、ナレーションがすべて書き起こされています。

2005年 2月 2日 午前 12:11 | | コメント (4) | トラックバック (0)

2005.02.01

トラックバック・スパム

ただ今、トラックバック・スパムの嵐が通過中。10分間で40通ほど届いています。システム負荷のせいか、編集画面にたどり着くこともできません。

2/2 追記:合計100通ぐらい来たのを、ようやく消しました。全部オンライン・ポーカー系。間違って消してしまった人がいるかもしれません。ごめんなさい。

2005年 2月 1日 午後 10:15 | | コメント (0) | トラックバック (1)

パレスチナ政治に女性が進出

Democracy's New Face: Radical and Female ― 先月行なわれたパレスチナ・ヨルダン川西岸の選挙で Beit Rima という町の町長に女性が選出された(ワシントン・ポストの記事)。Fathiya Barghouti Rheime さん、30歳。教師で、二児の母である。選挙で女性が町長に当選したのはパレスチナ史上初めて。

Rheime さんの町長就任は、男性優位のアラブ社会の中で民主化が着実に進んでいることを示していると言えるだろうが、それはアメリカ等が押しつけようとしている形での“民主化”ではない。Rheime さんはハマスの支持を受けて当選(市議会議員の互選による)したのである。

ヨルダン川西岸では、選挙の行なわれた306議席のうち、52議席を女性が占めた。これは日本の地方議会における女性議員の比率よりも高い。

2005年 2月 1日 午前 02:58 | | コメント (0) | トラックバック (0)

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