Internet Archive で、1945年に作られた戦争宣伝映画を見ました。非常に複雑な気分です。
美しい自然や近代的な街並みが映された後、映画は戦火の時代を描きます。どんなに爆撃を受けても日本は滅びはしない。なぜなら、爆撃では日本の魂は死なないからだ。アメリカ人と違って、ちょっとやそっとの空腹では我々日本人はめげない。アメリカ人が買い物だの娯楽だのにうつつを抜かしている時、我々は勤勉に働く。生活は楽ではないかもしれないが、だれも文句は言わない。みんな戦争に勝つために働いているからだ。たしかにガダルカナルやサイパンからは撤退を余儀なくされたかもしれない。しかし敵の被害も甚大であり、また我々にはさらに精鋭の兵士が何百万も残っている。アメリカ兵と違って、我々の兵隊は9割以上の識字率を誇っている。鍛え方も違う。本土で決戦の時が近づいているが、敵の補給線は細く長く伸びきっている。
といった調子です。だいたい感じが伝わるでしょうか。
ただ、この作品には当時の他の宣伝映画とちょっと違うところがあります。ナレーションが早口の高めの声ではなく、非常にゆっくりした慇懃な感じなのです。ちょっと皮肉っぽい話し方でもあります。音楽も、軍艦マーチのような感じのものではなく、ゆったりとした、いわゆる映画音楽です。
さらに違うのは、ナレーションが英語であることです。実はこの映画、アメリカ人向けに作られているのです。さきほど述べた声の質は、自信と余裕を表現しようとしているのだと考えられます。皮肉っぽいのは、アメリカ人への嘲笑の効果を狙っています。
この映画がもっともっと違う点。それは、これがアメリカ政府によって作られたということです。種明かしをすれば、この映画は、このまま日本に楽勝できると思うな、もっと国債を買って戦争努力に協力せよと市民に訴えているのです。奴らはアメリカを馬鹿にしてかかっている。馬鹿にされたままで放っておいていいのか、とも。
敵国の市民は一致団結して政府とその戦争努力を支持している。彼らは私たちの常識では考えられないような性質を持っている。困窮しているはずだが、めげるようすを見せない。戦時に見せる自分たちの残虐性すら誇りに思っている。次に何をしでかすか分からない、うすら恐ろしい奴らである。そんなふうに、この映画は敵対関係にある“他者”を描いています。そして、その描かれた姿は、その他者(敵国)の為政者が見せたい姿、その市民に求めている姿とかけ離れているわけではありません。ただ、微妙に戯画化されている上、異質性が強調されすぎているのです。
私たちがこの映画を見て「非常に複雑な気分」になるのは、それが私たちの同胞が非好意的に描かれているからだけではなく、また、その描かれ方が思いの外、自分たち(少なくとも60年前の同胞たち)に似ているからだけでもなく、このような描き方をされた“他者”を、気が付かないだけで、実はいろいろなところで、見せられているのではないかと不安になるからだと思います。自分がふだん見ているニュースに現われる他者(実際の戦争や占領における敵だったり、非友好的な国だったり)は、決して現実の他者とかけ離れているわけでもなければ、真の姿そのものでもない。それはだれかが緊張を高める目的で作ったカリカチュアなのかもしれない。そうは思っても、自分の手で容易にそれを納得のいくまで調べることはできない。この映画を見てそれを信じた(あるいは半信半疑のまま映画館を出た)人たちと私はなんら変わるところのない、頼りのない存在である。それが私の感じた「非常に複雑な気分」です。
映画は "My Japan" ― the War Finance Division of the U.S. Treasury Department 制作です。ストリーミング、ダウンロードなど、環境に合わせていくつかのフォーマットが選べます。リンク先のページの下の方に、ナレーションがすべて書き起こされています。