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2005.01.31

自転車屋の老店主

自転車の後輪がすり切れ、パンクしてしまった。家から十分ほどのところにある自転車屋まで引っ張っていき、修理してもらった。その店主は、脚がちょっと悪いおじいさん。でも、年季が入っているだけあって、手際はとてもよかった。

「おじさん、ずいぶんお歳みたいだけど、元気だね。腕は鈍ってません!って感じだね。」
「終戦直後からやってるもんでよ。ま、いつまでもできるわけじゃにゃーがな(=ないがな:名古屋弁)。」
「終戦っていったら、もう60年?」
「わし、いくつに見える?」
「そのころのことだから、中学出てすぐ働きだしたとして… 75歳?」
「ははは、わし、80越えとるがね。昭和18年に招集されて3年間、千島に行っとってよ。あそこはツンドラ地帯でな…」

こんな時、私は少なからず緊張する。「昭和」で言われてもピンとこない。それに、戦争を経験した世代。彼が、戦争を肯定したり、日本が侵略していった先の人々を悪し様に語ったり、あるいは、被害者体験のみに固執していたら、私はうまく会話を続けることができるだろうか。

本当は南に送られるはずだったが、アッツ島陥落で急遽、千島に行くことになったこと。戦闘機の整備工として、軍服ではなく油まみれの作業服を着て過ごしたこと。帰還の際、受け入れ準備に回るため一早く帰されたため、抑留を逃れたこと。故郷に手紙を書いても返事がないのでおかしいと思っていたら、名古屋は一面の焼け野原だったこと。

「戦争はやっちゃいかん。」

老店主の戦争体験談の結論は、あっさりしたものだった。しかし、彼が本当に語りたかったのは自分が行った戦争ではなかった:

でも、このままでは、また戦争になるのは明らかだ。そもそも、世界には人が増えすぎた。でも、国際会議で、発展途上国に向かって工業国が「このままでは資源が枯渇してしまうから人口増加を抑制しろ」と言うと、どんな答えが返ってくるか知っているか?途上国が言うのは「お前らが無駄を減らせ」ということだ。見てみろ。歩いて来られる距離なのに、一人で車に乗ってあそこのスーパーに買い物に来て、サランラップだのビニール袋だのに包まれた商品を買って行く。人間、一度味をしめると、やめられるものじゃない。石油中毒だ。イラクだって、それで戦争になったのだ。

どうやら、このおじいさん、腕が鈍っていないだけでなく、頭もいたって明晰だ。自国の経済発展ばかりを気にして、隣国との関係悪化などは顧みだにもせず、好戦的な発言を繰り返す、小泉首相をはじめとする若い世代のようにボケ(「平和ボケ」)などしていない。

私は自分のすれっからしをちょっと恥じながら、店に「民商」のポスターでも貼っていないか、見回した。その店主が党派に入れ込んだりしていない「普通の人」であることがとてもうれしかった。

五百円の釣り銭を取りに店の奥に行こうとする彼に、お約束のキザなせりふを残して、私は店を出た。「おじさん、いい話、聞かせてもらったから、釣りは要らないよ!」

「チェーンが緩んでおったで、締めといてあげたから、乗りやすくなったと思うよ。」

確かに、爽快である。

2005年 1月 31日 午前 04:01 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2005.01.30

被害状況(消える作家)

仮に今日の時点で著作権保護期間が70年に延長されたとすると、以下の作家(1935年から1954年までの間に没した作家)の作品が青空文庫から消えることになります。

135人、3005作品です。宮本百合子が入っているので、一人で1000作品以上かさ上げしていますが、それにしても、こんなに多いとは思いませんでした。

機械的な調査ですので、精査が必要です。著者が複数の筆名で書いている場合については対処しているつもりですが(戸川秋骨・明三は名寄せができていないみたいですね)、原著者+翻訳者の組み合わせで、二回数えられているものがあるかもしれません。

没年▼著者名▼読み▼公開中の作品数
1935/2/28▼坪内 逍遥▼つぼうち しょうよう▼2
1935/3/26▼与謝野 寛▼よさの ひろし▼9
1935/6/25▼竹内 勝太郎▼たけうち かつたろう▼1
1935/6/29▼林 不忘▼はやし ふぼう▼6
1935/10/29▼浜尾 四郎▼はまお しろう▼4
1935/12/31▼寺田 寅彦▼てらだ とらひこ▼213
1936/3/11▼夢野 久作▼ゆめの きゅうさく▼91
1936/3/24▼牧野 信一▼まきの しんいち▼6
1936/5/3▼池田 菊苗 ▼いけだ きくなえ▼1
1936/6/14▼チェスタートン ギルバート・キース▼チェスタートン ギルバート・キース▼3
1936/6/22▼南部 修太郎▼なんぶ しゅうたろう▼19
1936/6/27▼鈴木 三重吉▼すずき みえきち▼6
1936/10/19▼魯迅 ▼ろじん ▼7
1937/2/1▼河東 碧梧桐▼かわひがし へきごとう▼1
1937/4/2▼十一谷 義三郎▼じゅういちや ぎさぶろう▼1
1937/6/19▼バリ ジェームス・マシュー▼バリ ジェームス・マシュー▼2
1937/8/19▼北 一輝▼きた いっき▼1
1937/10/22▼中原 中也▼なかはら ちゅうや▼2
1937/11/5▼木下 尚江▼きのした なおえ▼1
1937/12/5▼北条 民雄▼ほうじょう たみお▼5
1937/12/18▼若杉 鳥子▼わかすぎ とりこ▼13
1938/7/25▼浜田 青陵▼はまだ せいりょう▼6
1938/9/17▼山中 貞雄▼やまなか さだお▼5
1938/11/20▼松永 延造▼まつなが えんぞう▼3
1939/2/18▼岡本 かの子▼おかもと かのこ▼61
1939/3/1▼岡本 綺堂▼おかもと きどう▼120
1939/3/29▼立原 道造▼たちはら みちぞう▼4
1939/4/19▼松本 泰▼まつもと たい▼3
1939/7/9▼戸川 秋骨▼とがわ しゅうこつ▼1
1939/7/9▼戸川 明三▼とがわ めいぞう▼3
1939/7/23▼本庄 陸男▼ほんじょう むつお▼4
1939/9/7▼泉 鏡花▼いずみ きょうか▼69
1940/3/23▼水上 滝太郎▼みなかみ たきたろう▼6
1940/3/26▼吉江 喬松▼よしえ たかまつ▼4
1940/7/8▼吉行 エイスケ▼よしゆき えいすけ▼12
1940/10/11▼種田 山頭火▼たねだ さんとうか▼2
1940/11/20▼小熊 秀雄▼おぐま ひでお▼14
1940/12/21▼フィッツジェラルド フランシス・スコット▼フィッツジェラルド フランシス・スコット▼1
1941/2/1▼田中 貢太郎▼たなか こうたろう▼106
1941/5/1▼三宅 幾三郎▼みやけ いくさぶろう▼1
1941/5/6▼九鬼 周造▼くき しゅうぞう▼7
1941/8/5▼加能 作次郎▼かのう さくじろう▼2
1941/8/7▼タゴール ラビンドラナート▼タゴール ラビンドラナート▼1
1941/8/22▼長谷川 時雨▼はせがわ しぐれ▼27
1941/9/10▼桐生 悠々▼きりゅう ゆうゆう▼3
1941/11/6▼ルブラン モーリス▼ルブラン モーリス▼1
1941/12/29▼南方 熊楠▼みなかた くまぐす▼6
1942/4/1▼白鳥 庫吉▼しらとり くらきち▼1
1942/5/11▼萩原 朔太郎▼はぎわら さくたろう▼15
1942/5/29▼与謝野 晶子▼よさの あきこ▼105
1942/11/2▼北原 白秋▼きたはら はくしゅう▼8
1942/11/19▼中戸川 吉二▼なかとがわ きちじ▼1
1942/12/2▼尾形 亀之助▼おがた かめのすけ▼2
1942/12/4▼中島 敦▼なかじま あつし▼22
1942/12/22▼狩野 亨吉▼かのう こうきち▼4
1943/2/1▼小野 賢一郎▼おの けんいちろう▼1
1943/2/12▼倉田 百三▼くらた ひゃくぞう▼3
1943/3/13▼平田 禿木▼ひらた とくぼく▼1
1943/3/19▼鷹野 つぎ▼たかの つぎ▼3
1943/3/22▼新美 南吉▼にいみ なんきち▼55
1943/4/8▼国枝 史郎▼くにえだ しろう▼17
1943/5/24▼佐々木 直次郎▼ささき なおじろう▼5
1943/7/23▼田畑 修一郎▼たばた しゅういちろう▼3
1943/8/22▼島崎 藤村▼しまざき とうそん▼30
1943/9/20▼鈴木 梅太郎▼すずき うめたろう▼1
1943/10/17▼黒島 伝治▼くろしま でんじ▼19
1943/11/18▼徳田 秋声▼とくだ しゅうせい▼12
1944/2/7▼三上 於菟吉▼みかみ おときち▼7
1944/2/8▼添田 唖蝉坊▼そえだ あぜんぼう▼1
1944/3/14▼矢田 津世子▼やだ つせこ▼2
1944/4/21▼市島 春城▼いちじま しゅんじょう▼1
1944/4/23▼近松 秋江▼ちかまつ しゅうこう▼6
1944/4/28▼中里 介山▼なかざと かいざん▼45
1944/6/27▼津村 信夫▼つむら のぶお▼2
1944/11/7▼尾崎 秀実▼おざき ほつみ▼1
1944/11/24▼辻 潤▼つじ じゅん▼13
1944/12/25▼片岡 鉄兵▼かたおか てっぺい▼1
1945/1/27▼野口 雨情▼のぐち うじょう▼13
1945/1/30▼橋本 進吉▼はしもと しんきち▼3
1945/2/14▼甲賀 三郎▼こうが さぶろう▼5
1945/2/23▼里村 欣三▼さとむら きんぞう▼2
1945/3/1▼別所 梅之助▼べっしょ うめのすけ▼1
1945/6/7▼西田 幾多郎▼にしだ きたろう▼8
1945/6/10▼宮原 晃一郎▼みやはら こういちろう▼7
1945/7/2▼大阪 圭吉▼おおさか けいきち▼6
1945/8/9▼戸坂 潤▼とさか じゅん▼14
1945/8/17▼島木 健作▼しまき けんさく▼5
1945/9/26▼三木 清▼みき きよし▼2
1945/10/9▼薄田 泣菫▼すすきだ きゅうきん▼28
1945/10/15▼木下 杢太郎▼きのした もくたろう▼6
1945/10/18▼葉山 嘉樹▼はやま よしき▼9
1945/10/30▼堀口 九万一▼ほりぐち くまいち▼1
1946/1/21▼杉田 久女▼すぎた ひさじょ▼4
1946/1/30▼河上 肇▼かわかみ はじめ▼4
1946/2/10▼小栗 虫太郎▼おぐり むしたろう▼11
1946/3/31▼武田 麟太郎▼たけだ りんたろう▼6
1946/4/25▼岩波 茂雄▼いわなみ しげお▼1
1946/5/17▼逸見 猶吉▼へんみ ゆうきち▼1
1946/7/7▼平井 肇▼ひらい はじめ▼3
1946/9/2▼増田 雅子▼ますだ まさこ▼1
1946/9/21▼伊丹 万作▼いたみ まんさく▼1
1946/10/6▼森本 薫▼もりもと かおる▼2
1947/1/10▼織田 作之助▼おだ さくのすけ▼14
1947/2/2▼水野 葉舟▼みずの ようしゅう▼8
1947/2/10▼平野 万里▼ひらの ばんり▼1
1947/7/13▼野口 米次郎▼のぐち よねじろう▼1
1947/7/30▼幸田 露伴▼こうだ ろはん▼29
1947/9/2▼上司 小剣▼かみつかさ しょうけん▼1
1947/12/30▼横光 利一▼よこみつ りいち▼35
1948/3/6▼菊池 寛▼きくち かん▼37
1948/6/13▼太宰 治▼だざい おさむ▼165
1948/7/15▼今井 邦子▼いまい くにこ▼1
1948/10/11▼岡本 一平▼おかもと いっぺい▼1
1948/12/13▼小島 烏水▼こじま うすい▼12
1949/5/17▼海野 十三▼うんの じゅうざ▼68
1949/8/15▼石原 莞爾▼いしわら かんじ▼1
1949/11/3▼田中 英光▼たなか ひでみつ▼3
1949/12/14▼森田 草平▼もりた そうへい▼2
1950/2/23▼野上 豊一郎▼のがみ とよいちろう▼2
1950/5/25▼水谷 まさる▼みずたに まさる▼1
1950/11/26▼楠山 正雄▼くすやま まさお▼47
1951/1/21▼宮本 百合子▼みやもと ゆりこ▼1018
1951/3/13▼原 民喜▼はら たみき▼50
1951/6/7▼木内 高音▼きうち たかね▼1
1951/6/28▼林 芙美子▼はやし ふみこ▼12
1952/2/20▼高田 保▼たかだ たもつ▼1
1952/5/15▼相馬 泰三▼そうま たいぞう▼1
1952/10/19▼土井 晩翠▼どい ばんすい▼1
1953/2/25▼斎藤 茂吉▼さいとう もきち▼11
1953/3/10▼峠 三吉▼とうげ さんきち▼1
1953/4/18▼平山 蘆江▼ひらやま ろこう▼1
1953/5/28▼堀 辰雄▼ほり たつお▼28
1953/9/3▼折口 信夫▼おりくち しのぶ▼46
1954/2/14▼相馬 愛蔵▼そうま あいぞう▼1
1954/3/5▼岸田 国士▼きしだ くにお▼7

追記:金史良が抜けているのに気が付きました(1950年没。月日は不明)。ほかにも抜け等があるかもしれません。お気づきのかたはぜひコメントをお寄せください。

追々記:図書カードに月日の記載のない人物は以下のとおりです。

1935 ▼談洲楼 燕枝 二代▼だんしゅうろう えんし にだい▼1
1936 ▼キプリング ラデャード▼キプリング ラデャード▼2
1936 ▼クスミン ミカイル・アレクセーヴィチ▼クスミン ミカイル・アレクセーヴィチ▼1
1936 ▼ゴーリキー マクシム▼ゴーリキー マクシム▼1
1936 ▼ピランデルロ ルイジ▼ピランデルロ ルイジ▼1
1936 ▼レニエ アンリ・ド▼レニエ アンリ・ド▼2
1936 ▼石田 孫太郎▼いしだ まごたろう▼1
1937 ▼村井 政善▼むらい まさよし▼1
1939 ▼イエイツ ウィリアム・バトラー▼イエイツ ウィリアム・バトラー▼2
1943 ▼ヒルシュフェルド ゲオルヒ▼ヒルシュフェルド ゲオルヒ▼1
1944 ▼阿部 徳蔵▼あべ とくぞう▼1
1945 ▼田中 早苗▼たなか さなえ▼1
1946 ▼関根 金次郎▼せきね きんじろう▼1
1947 ▼山川 丙三郎▼やまかわ へいさぶろう▼2
1948 ▼加福 均三▼かふく きんぞう▼1
1948 ▼橋本 五郎▼はしもと ごろう▼2
1949 ▼松濤 明▼まつなみ あきら▼1
1949 ▼上村 松園▼うえむら しょうえん▼8
1949 ▼須川 邦彦▼すがわ くにひこ▼1
1950 ▼井上 紅梅▼いのうえ こうばい▼7
1950 ▼金 史良▼きむ さりゃん▼4
1951 ▼池宮城 積宝▼いけみやぎ せきほう▼1
1953 ▼吉田 秀夫▼よしだ ひでお▼2

以上の調査は、一月半ばのデータをもとにしています。

2005年 1月 30日 午後 05:15 | | コメント (7) | トラックバック (3)

死せる詩人の手紙

1948年にノーベル文学賞を受賞した詩人 TS Eliot (1888-1965) の書簡集は、第一巻が1988年に刊行された後、出版が滞っているという。英ガーディアン紙書評欄の "Dear Mrs Eliot ..." は、第一巻の編集に関わった秘書が、Eliot の夫人 Valerie さんとの日々を回想したもの。

Valerie Eliot さんは、書簡のやり取りの中で重要なものが欠けているため、刊行をためらっているのではないかとこの記事を書いた Karen Christensen さんは推測している。Christensen さんによれば、彼女が目を通して、すでに出版用の原稿ができあがっている書簡の中には何らショッキングなものはないが、Tom Eliot の最初の結婚の破綻のようすが描かれており、感動的で、彼の芸術を理解するにも重要であるので、出版されずにいるのは非常に残念だという。

遺族の手で書簡の公開が行なわれずにいる一方で、彼の作品は、死後40年にして、すでに Project Gutenberg などで読むことができる。 

2005年 1月 30日 午前 02:56 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2005.01.29

アラビア文字とOCR

Software would scan Arabic documents for information ― ニューヨーク州バッファロー大学のコンピュータ科学者たちが、アラビア語のOCR(光学的文字認識)開発のために24万ドルの研究費を政府からもらったというニュース。

性能は分からないがアラビア語のOCR自体はすでにいくつか商品化されているので、研究費がついたというのは、どう考えてもローカルなニュースのような気がするのだが、検索すると案外多くの新聞に載っている。記事の冒頭部分に「諜報活動に役立つ」等と書いてあるが、結局はそういったアラビア語話者への偏見のようなものがあることによって読む価値が認められている記事なのかもしれない。

研究代表者の Venu Govindaraju さんは、「インターネットの世界は英語話者に極端に偏っていて、OCRが開発されない言語は古典的なテキストが忘れ去られてしまうのではないかと恐れている」と語っている。全く同感である。

記事の中でアラビア語の専門家は、アラビア語にはさまざまな書体があるので古典的なテキストの読み取りはむずかしいだろうという意見を述べている。美しいアラビア文字のページにリンク

2005年 1月 29日 午前 01:50 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2005.01.28

拝啓 知的財産戦略本部様

著作権保護期間延長反対の観点から知的財産推進計画2004の見直しに関する意見を送りました。下手な文で恥ずかしいですが、「こんなのでもいいのなら」と思って一人でも多くの方が意見を提出されることを願っています。

知的財産推進計画2004」の見直しにあたり、著作権保護期間の延長については慎重に対処していただきたいと思います。

「知的財産推進計画2004」では、第4章-9-(9)-2)-iii) に、映画以外の著作物に関し「関係者間協議の結論を得て、2004年度以降必要に応じ、著作権法の改正案を国会に提出する」とあります。著作物の視聴者や読者もまた“関係者”です。関係者の一人として、私は著作権保護期間の延長が利益を著しく損なうものと考えます。そのため、保護期間の延長には反対いたします。

第2章-I-5-(2) 等に、保護期間を定めるにあたって国際的な整合性を考慮することを含意する施策が提唱されていますが、WIPO 著作権条約の現代にあっても、著作権の国際標準はあくまでもベルヌ条約、つまり保護期間50年です。米国などが70年への延長を行なっているからといって、それに合わせようというのは、政治のさまざまな面で国民の間で批判の高まっている“対米追従”でしかありません。

第4章-9-(12) にもあるように、著作物の保護にあたっては、権利者の利益と公共の利益とのバランスに留意し、公正な利用を促進する必要があります。音楽や文章の保護期間を現行の50年から70年に延長するのは、公正な利用に供する機会をいたずらに減ずることに他なりません。

映画の保護期間が公表後の年数であるのに対し、音楽や文章の著作権の保護期間は作者の死後50年です。単に年数を合わせるのでは、著作物全体を通じての保護期間のバランスを崩すことになります。

以上、「知的財産推進計画2004」の見直しにあたり、著作権保護期間のこれ以上の延長を行なわない政策を盛り込むことが望ましいという私の意見をお伝えいたしました。

締め切りは2月14日です。送信フォームにはなぜかフィールドがありませんが、意見記入要領には、「氏名、職業(または所属団体)、連絡先(住所、電話番号、ファックス番号及び電子メールアドレス)」を書くようにとあります。

送信した後の画面が「送信完了 ご意見の投稿ありがとうございました。 戻る」という至って簡単なもので、cgi のどこかに "> /dev/null" とか書いてあるのではないかと、ちょっと心配になりました。ファクスでも送っておいたほうがいいだろうか。

意見募集開始の情報源は謎工さん。青空文庫の掲示板で教えてくださいました。

以下は独り言:うーん、青空文庫としては今すぐこの問題に積極的に取り組むのはむずかしいのかもしれません。私はかなり他者(権力)と向き合う(闘う)ことによって自分を見つけようとしているところがあるのですが、青空文庫はそうではなくて、自分をこつこつ築く営みの中から自然と自分の姿が見えてくることを期待しているのでしょう。青空文庫に集まる多くの人のそんな静かな自信が私にはうらやましく思えます。

2005年 1月 28日 午前 12:01 | | コメント (1) | トラックバック (1)

2005.01.27

北朝鮮と人権

Time to Act on North Korea ― チェコ共和国の前大統領 Vaclav Havel さんが2004年6月18日にワシントン・ポスト紙に書いた論説。北朝鮮のキム・ジョンイル政権による大規模な人権弾圧を見過ごすのは、ナチスの強制収容所やソ連のグラーグを見て見ぬふりをするようなものだとし、EU、アメリカ、日本、韓国が強い姿勢で北朝鮮に人権の尊重を求めて対峙するべきだと論じている。

拉致問題を扱う電脳補完録というサイトに日本語訳があるのを見つけたが、残念ながら誤訳が目立つ(右寄りのイデオロギーによる意図的な誤訳ではなく、単に訳者の力量の問題だと思う)。

ハベルさんの意見は至極もっともだと思う。日本に関して考えた時、問題は二つある。一つは植民地支配の問題をちゃんと清算しなかったため、日本発の言動が説得力を持たなくなってしまっていること。もう一つは、ここ数年、論議される事象自体が拉致問題に矮小化されてしまっていること。拉致の問題性を十分に認識した上でも、拉致被害者と引き替えのように経済制裁を行なうというのでは、北朝鮮における広汎な人権侵害という問題全体の解決に結びつく見込みはない。

北朝鮮をめぐる言説を反動的な民族主義者に独占させるのは、無関心でいるのと同じように、多くの人を見殺しにすることにつながりかねない。声をあげよう。

今までに北朝鮮関係、経済制裁関係で書いた記事:

2005年 1月 27日 午前 12:43 | | コメント (4) | トラックバック (0)

2005.01.26

エリ・ヴィーゼルの国連スピーチ

ナチスの絶滅収容所解放60周年を記念する国連総会(2005年1月24日)。ページ一番下のリンクから各国首脳等のスピーチのビデオを見ることができる。

Elie Wiesel さんによる講演は午前の部、32分から48分まで。大意を要約する。強制収容所に送られたユダヤ人たちは、ナチスの暴力だけでなく、世界の無関心によって苦しめられた。ユダヤ人殺戮を行なったのは、ごく普通の、教養をもった市民であり、なぜアウシュビッツのようなことが起こりえたのかは、いまだに言語では表現できない。自分と違う者たちへの憎悪や、復讐は病気である。解放当時、収容所にいた人たちは祝う力も残されていなかった。今日も、解放を記念するとともに、何百万人もの人たちにとって、それが遅すぎたことを忘れないようにしよう。殺されていなければ、収容所の子どもたちはいったいどのような偉大な貢献を世界になしえたであろうか。人々の無関心は常に攻撃者の利益になることを忘れてはいけない。今日、関心を持ち、行動することによって、今日の子どもたちを救うことができる。世界がこのことをもっと早く学んでいれば、ダルフール、カンボジア、ボズニア、ルワンダの惨劇は防ぐことができたであろう。世界は本当にいつの日かこのことを学ぶのであろうか。

パレスチナへの言及が「ナチスによる迫害を逃れるための移住の地」としてと「自爆テロを糾弾しなくてはならない」という二点であることが気にならないわけではない。しかし、ホロコーストの生き証人であるエリ・ヴィーゼルさんに、絶滅収容所解放の記念の演説でそれ以上のものを求めるのは無理なのかもしれない。

2005年 1月 26日 午前 12:01 | | コメント (0) | トラックバック (3)

2005.01.25

ナイジェリアの大学紛争

ナイジェリアのラゴスとイバダンの大学で、激しい学生運動が展開されている(ナイジェリアの Thisday Online の記事)。事の発端は、大学当局が寮の管理の民営化を検討していることらしい。ラゴス大学では、学生自治会の役員が副学長からの電話を受けた後、謎の死を遂げたことが引き金となり、副学長や学生部長の家が放火された。その他にも、全国で学生の集会等が開かれており、学校のロックアウトなどが行なわれている模様。

学生たちの要求の一つは国の教育予算の充実、無償教育の提供と質の向上で、教育分野で収益をあげるという政府の方針を批判している。学生たちはIMFや世界銀行による経済政策の決定に反発しており、寮の民営化の撤回もその面での要求である。

ここにも、グローバリゼーションと新自由主義の歪みが現われていると言えるだろう。

2005年 1月 25日 午前 03:54 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2005.01.24

原理主義者たち

「我々は民主主義の原則と、それを成立させようとする者に対し、激しい戦争を布告する」「民主主義は人間が法をつくる制度だ。神だけが法をつくれる」「すべての候補者は『神』(半偶像?)になろうとしている」

イラクにおける外国人武装勢力の首謀者 Abu Musab al-Zarqawi のものとして伝えられるこれらの言葉を読んで、戦前の日本の「國體の本義」(1937年、文部省)を思い出しました。

「國體の本義」は天皇による神権政治を主張し、個人の尊厳とそれにもとづく普遍的な人権理念、民主主義理念を否定しています:

天皇は、外国の所謂元首・君主・主権者・統治権者たるに止まらせられる御方ではなく、現御神として肇国以来の大義に随つて、この国をしろしめし給ふのであつて、第三条に「天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス」とあるのは、これを昭示せられたものである。
議会の如きも、所謂民主国に於ては、名義上の主権者たる人民の代表機関であり、又君民共治の所謂君主国に於ては、君主の専横を抑制し、君民共治するための人民の代表機関である。我が帝国議会は、全くこれと異なつて、天皇の御親政を、国民をして特殊の事項につき特殊の方法を以て、翼賛せしめ給はんがために設けられたものに外ならぬ。
惟ふに西洋の思想・学問について、一般に極端なるもの、例へば共産主義・無政府主義の如きは、何人も容易に我が国体と相容れぬものであることに気づくのであるが、極端ならざるもの、例へば民主主義・自由主義等については、果してそれが我が国体と合致するや否やについては多くの注意を払はない。抑々如何にして近代西洋思想が民主主義・社会主義・共産主義・無政府主義等を生んだかを考察するに、先に述べた如く、そこにはすべての思想の基礎となつてゐる歴史的背景があり、而もその根柢には個人主義的人生観があることを知るのである。西洋近代文化の根本性格は、個人を以て絶対独立自存の存在とし、一切の文化はこの個人の充実に存し、個人が一切価値の創造者・決定者であるとするところにある。従つて個人の主観的思考を重んじ、個人の脳裡に描くところの観念によつてのみ国家を考へ、諸般の制度を企画し、理論を構成せんとする。かくして作られた西洋の国家学説・政治思想は、多くは、国家を以て、個人を生み、個人を超えた主体的な存在とせず、個人の利益保護、幸福増進の手段と考へ、自由・平等・独立の個人を中心とする生活原理の表現となつた。従つて、恣な自由解放のみを求め、奉仕といふ道徳的自由を忘れた謬れる自由主義や民主主義が発生した。而してこの個人主義とこれに伴ふ抽象的思想の発展するところ、必然に具体的・歴史的な国家生活は抽象的論理の蔭に見失はれ、いづれの国家も国民も一様に国家一般乃至人間一般として考へられ、具体的な各国家及びその特性よりも、寧ろ世界一体の国際社会、世界全体に通ずる普遍的理論の如きものが重んぜられ、遂には国際法が国法よりも高次の規範であり、高き価値をもち、国法は寧ろこれに従属するものとするが如き誤つた考すら発生するに至るのである。

等々。あらためて読んでみて、市民としての普遍的な自由や平等を基礎において考える私たちとこういう考え方の人との間ではたぶん対話は成り立たないだろうなと思ってしまいました。いわゆる「原理主義」的な人たち。

憲法を変えたいとか、経済制裁を発動すべきだとか、靖国神社に参拝するのは問題ないとか言っている人たちが胡散臭く見えるのは、こういう考えが彼らの基層にあることを私たちが見透かしてしまうからですよね。国際貢献だの人権(拉致被害者の)だの平和を祈念するだのと殊勝なことを語る舌の奥に何があるのか。彼らがそれを隠そうとするならば、しっかりとそれを暴かなければなりません。

2005年 1月 24日 午後 04:10 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2005.01.23

温泉と人種差別(続き)

「外国人お断り」の看板を掲げていた小樽市内の温泉施設と小樽市を訴えている有道出人(あるどうでびと)さんの講演(1月21日、名古屋大学職員組合情報言語系支部主催)を聴きました。

詳しい内容は有道さんの著書『ジャパニーズ・オンリー 小樽温泉入浴拒否問題と人種差別』(2003 年、明石書店)や彼のウェブサイトに譲りますが、ユーモアに満ちた講演の中で、有道さんは小樽の事例が国籍差別ではなく人種差別であること、差別は放置すると広がってしまうことを明らかにしてくれました。彼の裁判(このブログでは昨年9月に取り上げました)は現在最高裁で係争中ですが、地方自治体が差別撤廃への取り組みを怠っていることの責を問うその道程はまだ険しいようです。

「裁判闘争などによって差別的な看板は下ろされるかもしれないけれど、より深いところに差別的な考えが残ってしまうのではないか」ということを有道さんに聞いてみました。彼の答えは、差別と偏見を分けて考える必要があり、差別(行動)をなくすだけでは偏見(考え)はなくならないが、だからといって差別を放置していいわけではない、というものでした。

たしかに、小樽の問題でも、「Japanese Only」の看板を掲げている店自体が偏見を持っているというより、「外国人といっしょに入浴するのはいやだ」という(偏見を持った)日本人客の足が遠のかないようにするために差別(看板)が行なわれている面があるようです。私はけっこう偏見を持つ人自身に注目してしまうのですが、差別を受ける側に立てば、まず差別自体を取り除くことが必要なのだと、あらためて認識しました。

2005年 1月 23日 午後 07:49 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2005.01.22

イタリアの原子力政策

イタリア政府が原子力発電の可能性を再び探り出したらしい(AP電)。ベルルスコーニ首相が20日、原子力発電再開の可能性に言及した。記事によれば、イタリアは1987年に住民投票で原発の閉鎖を決定した。電力の不足分はフランス(原発への依存度が高い)から購入しており、その結果イタリア企業は割高な電気料金を支払っているとベルルスコーニ首相は主張している。また、イタリアは二酸化炭素排出量の制限に苦心しており、そのためにも火力発電への依存度を下げる必要があるらしい。原発の安全に関しては、ベルルスコーニ首相は仏伊国境の向こう側で事故が起きても、イタリアはやはり影響を受けるのだから、国内に原発を作っても同じだと述べたらしい。

2005年 1月 22日 午前 10:18 | | コメント (0) | トラックバック (1)

2005.01.21

京都はぶぶ漬け。ロンドンは?

京都では、訪問先で

もうこないな時間どすな。ちょっとぶぶ漬けでも食べてお行きやす。

と言われたら、

ほう、お茶漬けを出してくれるのか。じゃ、ごちそうになって行こう。

と思ってはいけない。言った本人は

早う帰ってや。

と考えている。

という話があるが、それの英語版。Harper's Magazine より。EUのヨーロッパ司法裁判所のオフィスの壁に貼ってあったとのこと。英国人の言っていることを英語を母語としないEU職員が理解するためのガイドから取られたものだそうだ。笑えます。

2005年 1月 21日 午前 12:00 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2005.01.20

保護期間延長反対の請願について

Academia e-Network Project に、謎工@パブコメ提出運動さんからの「著作権延長反対運動展開に向けて」と題された投稿が掲載されています。

謎工さんは青空文庫の掲示板みずたまりでも運動へのもっと積極的な取り組みを呼びかけています。みずたまりは基本的に過去の記事を溜め込まない仕組みになっているので、後日参照ができるよう、私の書き込みをこちらに再録しておきます。

> 今後はオフライン上でどれだけダイレクトに立法・行政
> の両面に対して著作権延長が如何に有害無益であるかを
> 積極的に主張して行かなければならないはずですが、皆
> 様にその覚悟はお有りでしょうか。


あります!

遅くなりましたが、謎工さんが作ってくださった請願書案(感謝!)について私の意見を述べます。私はこの請願が「一部の著作物は現行の保護期間以降も商業的価値を持っていて、それを選択制によって保護する」というところを出発点にしているように思える点がとても気になりました。「保護期間の延長を行なわないこと」一点に絞るという選択肢もあり得ると思いますが、いかがでしょうか。

これに対し、謎工さんより、映画著作物の保護期間を50年に戻せという請願は非現実的なのでエルドレッド法案を範にしたとのご返答がありました。以下は、それに対する私の返事:

私が考えていた「延長を行なわないこと一点に絞る」というのは、現状での凍結、つまり映画は70年、音楽や文章は50年のままに留めることを請願するという意味です。その状態が望ましいかどうかは別として、一番人を集めやすく、かつ、通りやすいのは、これではないかと思います。

エルドレッド方式を請願内容に含めるのには、三つの点で私は納得ができていません。(1)映画に関して部分的に50年への引き戻しを求めているわけだから、そのぶん現状凍結よりも通りにくいのではないか、(2)今までにない形の税制を導入するというラディカルな提案なので、政治家の理解を得にくいのではないか、(3)形式的には増税を提案することになり、それは賛同者集めの障害になるのではないか、の三点です。

万が一の誤解を避けるため、昨日の投稿もこれも、全くの個人の意見であることを明記しておきます。青空文庫に関わっている人たちの中には、エルドレッド方式をぜひ推進しようと考えている人もいるだろうし、私と似た考えの人もいるだろうし、延長反対の運動は必要ないと考えている人もいるだろうと思います。また、私に確固たる信念があって、そちらへ読者を誘導しようという意図があるわけでもありません。

あと、ここ(みずたまり)で議論するのがいいのかなあ、という思いがあります。どんどん消えていってしまうので、議論の蓄積がむずかしそうです。

これを書いてからも、なにか物足りない気分がしているのですが、私がエルドレッド方式を請願に入れるのに抵抗があるのは、この方式がスマートでテクニカルな顔をしすぎているからではないかと思います。そこまでして著作権者(というより企業)の利益を考えてあげる必要があるのか、私たちはもっと野太く、「利用者のことをもっと考えてよ!」という声をあげるべきではないか、と思うのです。

保護期間延長とは違う文脈で書かれた発言ですが、レイバーネットBlog の「韓国で著作権法改正」という記事の終わりにある:

著作物の利用のルールをどうするべきかについて、残念ながら日本では市民側からの声はほとんどない。黙っていれば、声の大きい側の権利だけが押し通される。それじゃいけない。

という言葉に、いろいろな意味で共感します。私たちは今まで全く声を出していない(もしかすると、レコード輸入権問題などに取り組んできた謎工さんは、この点について異なった状況認識を持っているのかもしれません)。その中で、はじめて歌う歌としては、エルドレッド方式はむずかしすぎるんじゃないでしょうか。もっとストレートに「延長反対」じゃだめ?

著作権保護期間延長について以前書いた記事:

レイバーネットのブログは昨夜、はじめて知ったのですが、昨日付の「クルド難民の強制送還」の記事も、私が言いたいことを本当にそのまま言ってくださっているような感じがしました。)

2005年 1月 20日 午前 12:00 | | コメント (2) | トラックバック (0)

2005.01.19

クルド人難民強制送還について

1月18日。昼休みにメールを見たら、月曜日(17日)に収容されたクルド人難民の人たちが午後の飛行機で強制送還される見込みとあり、慌てて法務省入国管理局に電話(03-3580-4111)。

彼らは国連の認定したマンデート難民であり、本国(トルコ)への送還は、その身をいたずらに危険にさらすことになるので、ぜひとも送還を行なわないでもらいたいと告げる。電話に出た職員は、電話の趣旨は記録に残すが、入国管理局は退去命令が出されている者を速やかに退去させるまでだと述べる。

残念ながら、午後2時過ぎの飛行機で強制送還が実施されたらしい。

日本の難民保護政策は真剣に問い直される必要がある(国連難民高等弁務官事務所日本語サイトの「日本の難民保護」のページ)。

以前に書いた難民政策関連の記事:

2005年 1月 19日 午前 01:28 | | コメント (0) | トラックバック (5)

2005.01.18

色はどうやって生まれたか

The Story of Colors ― 達意の文章で知られるメキシコ・チアパス州のサパティスタ解放軍マルコス副司令官(Subcomandante Insurgente Marcos)が書いたおとぎ話(英訳)と、Domitila Domingue さんによるイラスト。

色鮮やかなインコはどうしてあんなにたくさんの色をまとっているか。それは、はじめ白と黒だけだった世界に神さまたちが色をもたらし、それを取っておくためにインコを使ったから。

話もおもしろいし、何と言っても絵がとてもとても美しいです。その点では文句なくお勧めのページです。(本文の日本語訳メキシコ先住民運動連帯関西グループのサイトにあります。絵と並べて読むといいかも。)マヤのおとぎ話として商業的なサイトに掲載されているのですが、副司令官("el Sup")の承認を得ているのかどうか、ちょっと心配なところです。

絵がすばらしいのだけれど、マルコス副司令官が2000年に "Do not forget ideas are also weapons" (こちらも大変お勧めの文章です)に記した「私たちは視覚の時代に生きている。だから、革新派の思想家はイメージの力に対して言葉だけで立ち向かわなくてはならない不利な立場にあると言える」という言葉と考え合わせると、ちょっと複雑な気分になります。

大学の哲学教員だったというマルコス副司令官は最近、推理小説も執筆したそうです。スペイン語を読むことのできない私はさびしく佇むだけ…

2005年 1月 18日 午前 12:02 | | コメント (1) | トラックバック (1)

2005.01.17

高校の教室で考えたこと

センター入試の監督のため、市立高校に行った。

公立高校の教室に入って、いつも感じるのは、その狭さだ。正確に言えば、教室の縦横の寸法が小さいという意味の狭さではなく、机と椅子が過密しているのだ。

教室には40個の机が並べられている。列の間の通り道が狭く、また、教室の後ろぎりぎりまで机が並べられているため、横の移動もままならない。見廻りをしたくても、これでは、ある列の横をカニのように歩いて後ろに向かい、同じ道をまた横歩きして帰ってくるといった動きを繰り返すことしかできない。至近距離で試験監督が通り過ぎていく受験生も迷惑だろうし、試験だけならそれもがまんできるだろうが、ふだんの授業で、問題をかかえている生徒のそばに教師が近寄って行くなどということは、なかなかできそうにない。

センター試験は、科目によって受験者数が変わる。昨日は、私が担当だった部屋では、一番最初の国語は40人全員が受験したが、その後は4人欠け、7人欠けといった状態だった。ほんの数人、人がいなくなるだけで、教室は不思議なほど広く感じられた。

同じ教室でも、そこで学ぶのが30人だったら、生徒はみんな、ずっとゆったりとした空間を手に入れることができるだろうし、教師ももっと自由に教室内を歩き回って、もっと元気な授業ができるはずだ。そうしたら、より充実した教育が可能になるに違いない。

ほかにも、いろいろと気が付いた点があった。まずは性能の悪い暖房設備(冷房はなかった)。ヒーターが一つしかなく、その近くは暑く、遠くは寒い。また、机や椅子は長年の使用によって歪んでしまったのか、四本の脚がちゃんと床につかず、ガタガタしている。生徒たちは紙を幾重にも折ったものを下に挟んで揺れを防いでいた。

今は子どもが減っている時代だ。つまり、数少ない子どもを、余裕をもって、じっくりと育てることができる時代であるはずだ。そうしなければならない時代だと言ってもよいだろう。もっと初等教育、中等教育に投資すれば、より快適な環境の中でより生産的な明日の市民を育てることができるに違いない。

2005年 1月 17日 午前 12:00 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2005.01.16

猿ぐつわ

メーリングリストでこのメールが流れてきたのは4年前のことでした:

昨夜から放映開始されている女性国際戦犯法廷に関する番組(NHK教育テレビのETV2001 シリーズ”戦争をどう裁くか”)についてですが、現在NHKと制作担当者に右翼からかなり激しい攻撃がなされているようです。何台もの街宣車がNHKに繰り出し、進行役の高橋哲哉氏も身の危険を感じているとのこと。
さらに国会の予算委員会で自民党議員が「公共の放送局であるNHKがこのような偏向番組を流すのはいかがなものか」と質問、なんとNHKの予算削減を求めているようです。

知人からも「今晩のを見逃すな!」と言われて、番組を見ました。「カットさせられたというわりには、しっかり作ってあるじゃないか」と思ったのを覚えています。我ながら、かなり情けない感想です。

リンクを二つ

自民党の安倍晋三議員と中川昭一議員が事前に圧力をかけたのではないかと騒がれている現在も、NHKに押しかけてきていた右寄りのゴロツキ集団の中の具体的な顔と名前が二人分思い浮かぶようになったなあ、みたいな情けない感想しか思い浮かびません。今、心が波立たないことは、4年前に自分が何もしなかったことの言い訳にも何もならないのだけれど。

なんとなく、これからの道筋が見えてしまうのですよね。「呼びつけたのではなかった」みたいな部分的な否定が、いつの間にか「圧力は全くかけなかった」みたいな全面的な否定にすり替わってしまい、そのうち、「従軍慰安婦などいなかった」みたいな妄想的な否定に膨れあがるという…

30年前に出版された洞富雄さんの『「まぼろし」化工作批判 南京大虐殺』(現代史出版会、1975年)を図書館で見ていたら、“百人斬り競争”の証拠の不確かさの指摘だったものが、いつの間にか“南京大虐殺”の否定にすり替えられていくようすが指摘されていました。それと同じような経過をたどるのではないでしょうか。(しかし、戦争が遠くなっていくにしたがって必然的に忘却が進んでいるとは言え、歴史修正主義者たちの主張は歴史を塗り替えるには至っていません。真実は彼らの想像以上に強固なものなのだと思います。)

だから、今回の件に関しても、だれがいつ何と言ったか(言わなかったか)という、結局は「彼の言葉を信じるか私の言葉を信じるか」的な論点ではなく、どんな史実の公開が抑制されてしまったのかを見失ってはいけないと私は思います。

こういうキーワード満載の記事を書くと、検索に引っかかって、右寄りの人たちから嫌味っぽいコメントが付くのでしょうか。嫌だなあ。私はそういう人たちの意見を世に広めるためにお金を払っているわけではないので、惜しみなく削除にあたります。私はコメントよりもトラックバックに寛容度が高いので、反論等はトラックバックでお願いします。そのほうが消されない可能性が高いです。…と、これだけ書いておけば厄除け効果万全か。ついでに私のプロフィール欄も読んでおいてください。

2005年 1月 16日 午前 12:02 | | コメント (1) | トラックバック (6)

2005.01.15

チャタヌーガでヒジャブ

Tenn. school allows Muslim headscarves ― 米テネシー州 Chattanooga の高校で、ムスリマの生徒がヒジャブを着けたまま登校することが許されたというAP電。今までは校則でスカーフ、バンダナ等、ヘッドウェアの着用が総じて禁じられていたが、イスラム市民団体からの働きかけで、この生徒のヒジャブに関しては宗教差別を招かないようにするため、着用が認められたとのこと。

日本でも服装に関する厳密な校則が問題になることがあり、またムスリム人口も増えていると思いますが、ヒジャブの着用が問題になったりしているのでしょうか。フランスの話を読んでも、テレビで日本に暮らすムスリムの家族の話を見ても、あまりこのことを考えていませんでした。

今回の決定に関して、生徒本人は、あまり騒がないでほしいと言っているそうです。なんか、気持ちが分かるような気がします。日本でも、騒がなくてもすむようにできるといいのですけれど。

2005年 1月 15日 午前 12:01 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2005.01.14

津波被害地でのマイクロクレジット

Rush Micro Aid to Women Hurt by Tsunami ― Women's eNews に掲載された Barbara Crossette さんの提言。津波の被害は、マクロ経済レベルや国家予算レベルよりも、浜辺の食堂経営者や漁業で生計をたてる家庭など、ごく個人的なレベルで一番大きく感じられるのだから、今こそ低所得者への小口無担保融資“マイクロクレジット”を活性化すべきであると論じています。

この記事の中にも、また、さまざまなマイクロクレジット関連のサイトにも、必ずと言っていいほど、「マイクロクレジットが万病の薬ではないが」といった但し書きが見受けられます。それでも、ごく所得の低い層を主要な生産体系から疎外させないため、そして女性を授力(エンパワー)するには、有効な仕組みなのではないかと思います。

マイクロクレジットは、バングラデシュで Muhammad Yunus という経済学者が Grameen Bank という銀行を設立することによって始めたものらしいです。おりしも今年は国連の「国際マイクロクレジット年」だそうです。

日本の外務省も、草の根援助資金などによって支援をしてきたようです。津波の被害を受けた地域に対する復興支援として、検討を政府に促したいと思います。また、NGOによる取り組みがあるなら、ぜひ私も参加したいと思いました。情報求む!

2005年 1月 14日 午前 02:01 | | コメント (5) | トラックバック (2)

2005.01.13

津波と宗教

津波に襲われたスリランカで、インドで、インドネシアで、人々は宗教に何を求めたか。"Faith Divides the Survivors and It Unites Them, Too" ― ニューヨーク・タイムズに掲載された Amy Waldman さんの記事。

ある仏教徒は、自分が助かって、ムスリムの隣人が死んだのは、隣人が間違った宗教を信じているからだと語る。ある菜食主義者のヒンズー教徒は、漁師たちは殺生をするから罰せられたのだと考える。そのように自分の宗教の正しさを見つけようとする人がいる。

神が社会の乱れを怒って津波を起こしたと考える人。お互い助け合うように神が仕向けているのだと考える人。そのように、もたらされた災害の中に神の声を聞こうとする人がいる。

Waldman さんたちが集めた(仏教徒の、ムスリムの、ヒンズー教徒の、クリスチャンの)声の中で、一番私の印象に残ったのは、44歳の女性の次の言葉だった:「善い人はみんな死んでしまった。悪い人は、生き延びて、苦しまなければならない。」

彼女の心の傷が癒え、再び生きることに幸せを見いだせる日が来ることを祈らずにはいられない。

1月3日に書いた記事:津波と信仰

2005年 1月 13日 午前 08:07 | | コメント (2) | トラックバック (1)

2005.01.12

ニューモント社による汚染、その後

スラウェシ島ブイヤット湾関係の報道を12月の終わりごろにまとめておいたものです。次のまとめを書く前に、掲載しておきます。

Newmont CEO Acknowledges Mercury Leaks ― AP によるインタビューで、ニューモント社の Wayne Murdy 社長は33トンにのぼる水銀の放出が、基準値未満であることを強調している。この主張に対し、記事は、アメリカ環境保護局の職員が、33トンの水銀放出は「重大な懸念材料だ」と語ったことを報じている。記事ではまた、この秋、現地ニューモント・ミナハヤ・ラサ社の幹部がインドネシア当局に身柄を拘束されたが、その拘束が不当であったという裁判所の判断を伝えている。

Newmont Responds to The New York Times Article of December 22 ― ここでも紹介したニューヨークタイムズ記事に対するニューモント社の報道発表。水銀の放出量が基準値を下回ること、汚染対策機材が、初期の不良以外は順調に稼働したことなどを主張している。水銀汚染に関する記事への反論であるから仕方がないのかもしれないが、水銀汚染よりも重大視されているヒ素汚染については全く言及がない。

INDONESIA: Newspaper report sheds more light on Newmont case ― ジャカルタ・ポスト紙の記事の再掲。以前紹介した調査の結果だと思われる数字が掲載されている:ブイヤット湾の空中の浮遊粒子状物質は208æg/Nm3で、安全基準の230 æg/Nm3を下回っている。ブイヤット村の隣にあるRatatotok村で0.008 æg/Nm3の水銀が検出されたが、これは WHO が安全と定める1æg/m3の800万倍にあたる。ただし、インドネシアには鉛以外の大気汚染基準はない。また、ニューモント社が1996年から2000年にかけては、10缶の塩化水銀(mercurous chloride、calomel)を処理施設に搬出していたのに対し、2001年から2003年にかけてはたった1缶しか搬出していないことに疑問を投げかけている。

Court ruling on executives does not free Newmont, Indonesian groups warn the public ― インドネシアの環境団体 WAHLI (Friends of the Earth, Indonesia) が、上で言及した役員の拘束が不当だったとする裁判所の決定に対して出した意見。拘束の手続きが否定されたものの、起訴が猶予されたりしたわけではないことに注意を喚起している。

2005年 1月 12日 午前 08:33 | | コメント (3) | トラックバック (0)

2005.01.11

ミシシッピ州、そして、私たちの国

映画『ミシシッピ・バーニング』の題材となった1964年の市民運動家殺害事件の容疑者が、40年ぶりに殺人の罪に問われている(毎日新聞の記事ニューヨーク・タイムズの記事)。これは、遅れて正義がなされたという既に完結した話としてではなく、果たして公正な社会は実現されたのかという、未来に向かって開かれた問いとして見るべき事件なのだと思う。

ミシシッピ州中部にあるNeshoba郡で1964年6月21日、黒人の選挙名簿登録を推進する公民権運動の活動家3人が白人優越主義の秘密結社 Ku Klux Klan (もっと現代風に言えば、キリスト教原理主義のテロリスト集団、といったところだろう)に殺害された。FBIの捜査によって、十数名の容疑者が公民権妨害の罪で連邦裁に起訴され、7名に有罪判決が下った。今回起訴されたのは、主犯と見られる製材所経営、バプティスト派教会の宣教師の男(79歳)である。当時の連邦裁では、陪審員の一人が「宣教師を罪に問うことはできない」と主張したため、判決が下せず、彼は釈放された。殺人罪は連邦裁ではなく州裁の管轄であったが、人種隔離政策をとるミシシッピ州政府は容疑者を一人も提訴しなかった。1999年に地元の新聞が新たな証拠を入手し、ミシシッピ州法では殺人容疑には時効がないため、州当局による捜査が再開され、今回の起訴に至った。

裁判冒頭の罪状認否で、被告は無罪を主張している。事件から40年後の殺人罪による提訴は画期的ではあるものの、話はここで終わったのではなく、これから始まるのである。州の司法長官は、情報提供者の協力を呼びかけている。地元紙 The Clarion-Ledger のインタビューに応えて、白人住民は40年前とは状況は全く異なり、人種差別はなくなったと語る一方、黒人住民は状況は全く変わっていないと述べている。最悪の場合、この裁判は冤罪を産み出すことになるし、当時の裁判が一人の陪審員のために未決に終わったように、今回もまた、有罪判決が出ない可能性は小さくないのだ。本当にミシシッピは変わったのか。アメリカは変わったのか。

The Clarion-Ledger 紙に、非常に読み応えのある特集がある。

この古い事件、そしてその新しい展開は、私たちを映す鏡でもある。40年前の不正を正そうという気概は、無条件で賞賛すべきものだ。日本が20世紀前半に行なった数々の不正も、諦めずに精算していく必要があるだろう。州の司法長官は43歳。事件当時はほんの2歳の子どもだった。彼には何ら責任のない事件であるが、彼は正義を実現しようとしている。日本が中国や朝鮮半島、東南アジアで蛮行を働いていたことについて、後から生まれてきた私たちももっと強く声をあげるべきなのかもしれない。「ミシシッピ・バーニング」の中で、テレビのインタビューに答えて、「殺された三人は自業自得だ」と語る人が描かれている。その姿は、高遠さんたちを「自己責任」だと責め立てた人たちと重なって見えはしないだろうか。映画の最後に「(人種差別を)見て見ないふりをしてきた私たちは、みんな同罪なのだ」という言葉が出てくる。それは、戦争や占領、そして種々の差別を許している私たちをも断罪する言葉である。

2005年 1月 11日 午前 07:33 | | コメント (1) | トラックバック (2)

2005.01.10

スーザン・ソンタグの性

12月28日に Susan Sontag が死んだ。71歳。「20世紀後半のアメリカで最も知的な女性」であって、真摯で、カリスマ的で、評論家であり、小説家であり、… 大手新聞の追悼記事に並べられたそれらの言葉の中に、彼女の仕事を理解するために不可欠な一つの言葉が欠けているとの指摘がなされている。それは、スーザン・ソンタグがレズビアン(もしくはバイセクシャル)であったこと。

Susan Sontag and a Case of Curious Silence ― ロサンジェルス・タイムズに掲載された Patrick Moore さんの論評。Utne の記事で知った。男性が優位で、ヘテロセクシュアルな関係が規範的である社会の中で、さまざまな領域で影響力のある発言をするためには、同性愛者であることを強調するのは得策ではなかったのかもしれないが、その死後に彼女のことを語り、AIDS and Its Metaphors 等の作品を理解するためには、彼女の性的な指向性を避けて通ることはできないと論じている。Moore さんはまた、ゲイの男性がある程度アメリカ社会の中で認知されるようになったのに対し、レズビアンの女性については未だに偏見が強く残っているとしている。

私はソンタグの仕事をよく知らない。紋切り型の反応をすれば、作者の個人的な背景を知ることによって新たな読みが獲得される場合もあれば、背景が無地であるために、より普遍的な価値が見出される場合もあると思う。大切なのは、どのような文脈であれ、読んだものを自分の行動に活かすことだ。

以前書いた記事:スーザン・ソンタグさんの見るアブグレイブの写真

2005年 1月 10日 午前 12:02 | | コメント (1) | トラックバック (0)

2005.01.09

夕凪の街 桜の国

こうの史代さんの『夕凪の街 桜の国』を読みました。とてもよかったです。「ヒロシマ」の話をしっかりと今の世代、これからの世代に語り継いでいく作品だと思います。

第二次世界大戦後の60年という長い時間を戦争に直接巻き込まれることなく過ごしてきた今日の私たちにとって、「あの日」を想像し理解するのは大変困難です。この作品は、その難しさを、描く時代をずらすことによって乗り切ったと言えるでしょう。「夕凪の街」に描かれているのは原爆投下後10年経った1955年に青春を謳歌している女性。「桜の国」は現代の若い女性です。彼女たちの体験するもの、彼女たちの心をよぎるものを理解することを通して1945年に何が起こったのかを考えるように、著者は私たちに仕向けてくれたのだと思います。

原爆をめぐって、直接の被害(破壊や死、病気)、生き残った者の苦悩、まわりの人の目という三つの面をバランスよく配置したことも、この作品に厚みを与えていると思います。主人公が口ずさむ「お富さん」など(その他多数)、仕掛けの面でも手堅さを感じました。そして、ユーモアの存在が、重いテーマへの読者の取り組みを容易にしてくれています。あとがきの中で作者は「夕凪の街」が(オノ・ヨーコさん風の)インストラクション・アートとしてとらえられるべき作品であることを記しています。おそらく長い目で見ても、成功した作品と評価されるのではないでしょうか。

紹介してくださったDoXさんと主義者Yさんに心より感謝。

さて、著者名と書名を書き留めたメモを持たずに、慣れぬまんが専門店に足を踏み入れたのですが、「著者は女性」「広島の原爆のことを描いた本」と告げただけで、店員さんは迷いもなくこの本の置かれた書棚まで連れて行ってくれました。かなりの話題作なのかもしれません。

2005年 1月 9日 午前 12:02 | | コメント (0) | トラックバック (6)

2005.01.08

南アフリカのAIDS問題

ネルソン・マンデラの長男がAIDSで死んだ(南アフリカ Mail and Guardian の記事)。 Makgatho Mandela さん、54歳。噂が止めどもなく広がるより、不治の病による苦しみに関して隠し立てをせず率直であるのが家族のためによいことであり、また亡くなった本人の尊厳や人格を護ることにもなる、とマンデラ元大統領は付け加えたそうだ。

1990年代以降、南アフリカのHIV感染はまさに爆発的に広がっているらしい。2003年に行なわれた産前の妊婦に対する調査では、27.9%がHIV陽性であった。UNAIDSの推計では、成人の感染率は21.5% (18.5%以上、24.9%以下)、未成年と合わせ、500万人以上の感染者がいるとされている。

Nelson Mandela 元大統領はここ数年、エイズの問題で積極的に発言をしてきたが、与党 African National Congress年頭メッセージには、HIV/AIDS への言及はない。野党 Inkatha Freedom Party は現政権のエイズ問題への対応の遅さを批判しているが、その Mangosuthu Buthelezi 党首も、昨年、息子をエイズでなくしているという。Thabo Mbeki 大統領のエイズ政策は確かに不十分と言うほかないようだが、白人系の野党は、それを人種差別的な政争の具に用いようとする動きもあるようである(ANC の文書)。

2005年 1月 8日 午前 12:05 | | コメント (0) | トラックバック (1)

2005.01.07

迫るイラクの選挙

イラクでは国民議会の選挙が約3週間後に迫っている。日増しに治安は悪化しており、スンニ派アラブ系住民の居住する地域では、ほとんど選挙のための住民登録が進んでいない(USA Today の記事)。

アラウィ首相は選挙が予定通りに実施されると述べている(シカゴ・トリビューン配信の記事)が、ニューヨーク・タイムズの記事によれば、このような発言ができるのはバグダッドのグリーン・ゾーンの中で、何重もの警護に囲まれているからである。暫定政権内でも、ヤワル大統領は選挙の実施が不可能であろうと語っている(ロイター電)。

日に何人もの人が殺害され、怯えた多くの人が投票できない中で行なわれる選挙は公正で民主的だとは言えないだろう。単に「選挙をやった」という事実を作って、物事を押し進めようとするのは、とても危険なことのように思われる。

2005年 1月 7日 午前 12:01 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2005.01.06

援助の形

上空に現われたヘリコプターに向け、一人の男が矢を射ようとしている。これ以上近寄るなという合図だ。この印象的な写真は津波の二日後にインド領アンダマン諸島のセンチネル島で撮影された。津波の後の困難な状況においても、“文明”を拒絶し、自分たちの道を歩むのだという強い意思表示である。

この話と同列に並べるのは問題があるかもしれないが、富める国の差し出す手がすべて、被災国に歓迎されているわけではないようだ。The shifting politics of global giving ― クリスチャン・サイエンス・モニター紙の記事によれば、インド政府は国外からの支援を断わり、国内の被災者への援助にあたるとともに、他の被災国への援助も行なっている。タイ政府は債務返済の猶予措置を利用しない方針を打ち出している。それぞれ、地域の大国としての自負や、信用格付けを気にする結果であるのだろうが、“施しを受ける”弱い立場に立ちたくはないという思いはよく理解できる。

インドネシアでは、アメリカからの支援に反米感情が少し和らいでいる模様(AP電インターナショナル・ヘラルド・トリビューン)。“与える側”のアメリカ市民からは、自分たちの寄付が世界でのアメリカの悪いイメージの払拭に役立つのではないかと願う声が聞かれる(クリスチャン・サイエンス・モニター)。

国境なき医師団は、アメリカでは、十分寄付が集まったので、スマトラ沖地震以外のプロジェクトに寄付をしてもらいたいという意向を示したらしい(MSFのサイト、日本の国境なき医師団のサイトには記述なし)。

1/7 追記:たぶん、このページがその呼びかけにあたるものと思われます。

個人にしろ、国にしろ、善意の行ないが必ずしも最善な行ないとは限らない。同情の強い気持ちに押し流されることなく、だれの手に私たちの気持ちを委ねるかとか、どんな援助を私たちの政府に期待するか、よく考えよう。例えば、自衛隊の派遣が最善であるかどうか。

(こう書くことによって、私は派遣を端から否定しているわけではない。被災した地域の多くは日本が過去に占領した場所であり、贖罪や更正としての意義は大きいかもしれないと考えている。)

2005年 1月 6日 午後 06:04 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2005.01.05

昔左翼、今イスラム

Letter from France: In Europe, Islam fills Marxism's old shoes ― インターナショナル・ヘラルド・トリビューン紙に掲載された Craig S. Smith さんの記事。

1960年代にフランスでマルクス主義が担っていた役割を、今ではイスラムが担いつつあると言う。かつてのフランスで、アラブやアフリカ出身の若者は、社会の主流から疎外され左翼思想に道を求めた。しかし1980年代になって主流化した左翼政党からも疎外され始め、その隙間を埋める形でイスラムが浸透し始めた。さらに、ムスリムの背景を持っていない人たちの間にも改宗者が徐々に増えていると言う。

ごく一部に戦闘的な一派がいるが、大半は穏健な思想を持っている。社会からの目が過激派の起こす事件に集中する点は、赤い旅団やバーダー・マインホフ・ゲリラと、ユーロ・コミュニズムの関係に似ているとも言える。

左翼政党がその成功によって逆にもっとも恵まれない者の代弁者ではなくなってしまった歴史を、イスラムは繰り返すのか。

振り返って、日本では、左翼政党は主流化することがありませんでした。貧富の格差が急速に広がる中、恵まれない人たちの代弁者はだれなのでしょう。千々に分かれた市民団体?

2005年 1月 5日 午前 07:34 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2005.01.04

何人(なにじん・なんにん)?

ここ数日、夜7時のNHKニュースで津波災害の報道を見ていました。2日までは、死亡が確認された人たちについてと、行方不明になっている(特定の)人を探す家族たちについて報じていたのですが、3日になって初めて、所在確認ができていない被害地域への日本人旅行者が二百数十人いるということを報じました。まさか、外務省の発表で初めて気が付いたわけでもないでしょうに。もし日本人の被災者が多いことが事態の深刻さの妥当な尺度になると言うのなら、もっと早くから報じるべきだっただろうと思います。

死者や行方不明者についてにせよ、援助のため現地に向かった人たちについてにせよ、NHKの報道が焦点を狭く「日本人」に絞って行なわれていることに、私はとても違和感を感じます。15万人もの人が亡くなったこと、今なお援助物資も届かないで困っている人たちが多いことにもっと目を向けるべきではないでしょうか。

雑誌『前夜』の創刊号に 徐京植 ソ・キョンシク さんが書いていたことを思い出しました。高遠さんたちがイラクで拘束された時に論議を呼んだのが、自業自得(「自己責任」)なのか、それとも政府には「邦人保護」の責任があるのかということだったわけですが、徐さんは、「私は祖父の代から日本に住んでいますが、『日本国国民』ではありません。日本国籍は持っていません。私は『邦人』ではありません。私が人質になった場合に、おそらく日本国政府は私を助けないでしょう。」と予測します。この「邦人保護」をめぐって、徐さんは二つの重要な指摘を行なっています。一つは、「邦人保護」が中国大陸への侵略の口実とされたこと、つまり「邦人保護」は戦争を始める論理にいつでも転化しうるということ。もう一つは、基本的人権の保障は国籍を問わず無条件に行なわれるべきだということ(国籍にこだわる日本の政府あるいは日本国民はそのことを根本的に理解していないのではないかということ)です。

国や国籍にこだわりすぎて、内向きで冷たい人になってますよね、私たち。頷きながら読んだあささんのブログにトラックバックします。

2005年 1月 4日 午前 08:07 | | コメント (1) | トラックバック (0)

2005.01.03

津波と信仰

Of course this makes us doubt God's existence ― 英国国教会の Rowan Williams カンタベリー大司教が英テレグラフ紙に書いた、今回の地震とそれを受けとめる信仰についての意見(閲覧には登録が必要)。

この意見に関しては、同じ日のテレグラフ紙に Archbishop of Canterbury admits: This makes me doubt the existence of God と題した記事があるが、これはあまりよくないまとめだと思う(こちらは自由に読める)。

Williams 司教は、今回の津波のような惨事が起こったとき、それを(例えば「すべては神の計画である、これは私たちに神がくださった試練である」などとして)説明するのが信仰の本質ではなく、このような惨事を目の当たりにして自分の無力さを知った時に、驚きと沈黙の中に受け入れなければならないものがあることを悟り、信仰は強められるものだと述べている。

彼は続けて言う。信仰を持つ者が祈ることは、決して神に魔術的な介入を求めることではない。宗教的な疑問を棚上げし、冷静な心で淡々と被災者の支援にあたることができる者が、近しい人をなくし嘆き悲しむ人の心の平安を祈るのだと。

原型を全くとどめないほど意訳してしまったが、彼が言いたいのはこういうことだと思う。

きっと、信仰があれば、今回のような大災害を見て、その心は強くなるのであろう。しかし、信仰のない私には、今ここに神を見ることは難しい。

2005年 1月 3日 午前 12:02 | | コメント (0) | トラックバック (1)

2005.01.02

もっと!

年末の時点で日本政府が約束しているインド洋での津波災害の復興援助は、約3,000万ドル(約30億円)でした(12月28日付けの外務省プレスリリース)。1日夜の報道では、一桁増えて、5億ドル(500億円)の支援の話が出ています。自分がもらったわけではないけれど、とてもうれしいお年玉です!

しかし、500億円でも、日本に駐留するアメリカ軍に対する「思いやり予算」(2,000億円以上)の4分の1に過ぎません。

年頭所感の中で小泉首相は「『日米同盟』と『国際協調』を基本に、今年も国益を踏まえた主体的な外交を展開」すると述べています。どこかの国が攻めてきた時(仮定法)のための保険のような日米安保と、隣人たちが今までだれも遭ったことのないような災害を実際に経験している時(直説法)に差しのべる援助との比較で考えると、国際協調のための500億円はまだ不釣り合いに少額であるように思えます。被害を受けた国々に対する債務の軽減措置をぜひとも政府に検討してもらいたいと思います。

もしかすると、「思いやり予算」は「思いやり」だと思うから多いと感じるのであって、「カツアゲ」だと思えば、こんなものなのかもしれません。妙に納得してしまった私。

2005年 1月 2日 午前 12:07 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2005.01.01

アンダマンとニコバルの先住民

津波の被害総額がいくらだとか、死者の出た各国の一人当たりのGDPがいくらだとか、アメリカや日本の援助額がいくらで、それが“ケチ”であるとかないとか、といった話のほかに、お金では計れないものも失われてしまったらしいです。もちろん、一人ひとりの命もお金では計れないのだけれど。

インドでの死者、行方不明者の多くは、アチェとビルマの間にあるニコバル諸島とアンダマン諸島の人たちです。これらの島々の人たちは、二つに分けることができます。一つは、いわゆるインド人。インド本土から移住した人たちです。例えば、Car Nicobar 島にはインド空軍の基地があり、そこでは三千人以上の軍関係者が死んだとされています。もう一つのグループは、アンダマン、ニコバルの先住民たち。この人たちの間でどれぐらいの被害が出たのかは、まだほとんど把握ができていないようです。

アンダマン、ニコバルの先住民は長い間、「文明」から隔離され、「石器時代」に近い生活を続けてきた「未開民族」だとのこと。これら先住民の詳細と被災後の状況について、インドの新聞 The Hindu の "Most Andaman tribals safe, claims Government"、"Death toll in Andamans put at 10,000"、ニュース・ポータルサイト Rediff の "Rare Andamans tribes may have perished"、"No rescue for Andamans' rare tribes yet" などの記事から得た情報(人口など、相互に矛盾した記述を含んでいます)を以下にまとめてみます:

  • Nicobarese ― Car Nicobar 島などに居住。約20,000人。移住者との混交が進んでいる。モンゴロイド系。海際に多く居住しているので、津波の影響が深刻だと予想される。移住者が優先的に救出され、ないがしろにされたという噂がある。
  • Jarawa ― Middle Andaman 島に居住。約270人。外界との接触はほとんどない。丘に居住しているので、影響は少ないかもしれない。
  • Great Andamanese ― Strait Island 島に居住。約45名。すでに消滅した9部族の生存者を移住させたもの。丘に居住しているので、影響は少ないかもしれない。
  • Onge ― Little Andaman 島の Dugong Creek に居住。約100名。漁業中心。40名以上の生存が確認された。
  • Shompen ― Great Nicobar 島の南端 Campbell 湾に居住。約200名。モンゴロイド系の未開、遊牧民族。消息は全く分かっていない。
  • Sentinelese ― North Sentinel 島に居住。約250名。外界との接触はほとんどない。漁業中心。島が平坦であるため、深刻な被害が予想される。消息は全く分かっていない。

これらの先住民の置かれてきた状況について、Rediff のインタビューに答えて Society of Andaman and Nicobar Ecology の Samir Acharya さんは「インド連邦は1947年にイギリスの植民地支配を脱したが、同時にアンダマンを自らの植民地にした。 現在も、アンダマンの統治は非常に植民地的である」と述べています。

津波によって、Shompens と Sentinelese などの特徴ある文化が民族ごと、完全に失われてしまった可能性があります。多様性は人類の本質的な価値の一つですから、もしそのような悲劇が現実のものであれば、私たちの失ったものはとても大きいと言わざるを得ません。

上で「未開」という語を転記した時点で、私自身、経済の尺度(工業化の度合いや、グローバルな経済への取り込まれ方)でこれらの人々のことを計りはじめてしまいました。もっと違った軸で物事を自由に考えられない自分の精神が頼りなく思われます。

2005年 1月 1日 午前 12:00 | | コメント (0) | トラックバック (3)

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