« 2004年9月 | トップページ | 2004年11月 »

2004.10.31

アリス・ウォーカーの旅のすすめ

"Toxic Culture" of GlobalizationThe Color Purple などの作品で知られる Alice Walker の講演。

合州国南部の奴隷制度のもとで搾取された自分の先祖や貧しかった自分の子ども時代について語り、「奴らが世界の残りの人たちにこれから味わわせようとしているのは、私たちが経験してきた苦労と同じものだ」と警告する。搾取や疎外を許す文化、「毒のある文化」は、その中で長く生きていていると、それが普通であると感じるようになってしまうが、本当はとてもおかしな文化なのである。そして、それは決して“アメリカ文化”だけのことではない。

アメリカ人で旅券を持っている人は14%に過ぎないという話が出てくる。「だから、他の国の上に爆弾が落とされている時、それがどんな感じか全く分からないのだ。自分から離れたところには思いを馳せることができないのだ。」

だから、旅をしろとアリス・ウォーカーは言う。

もちろん、旅をしたから必ず視野が広がる保証はないだろうし、そして、旅をしなくても十分に遠くの人たちを思いやるための想像力を持ち合わせている人もいる。しかし、アリス・ウォーカーの旅のすすめを聞いて、私は香田証生さんがなぜ自分がイラクに行かなければならないと思ったか、分かったような気がした。

「毒のある文化の中で生き長らえるのは難しいことだ。しかし、私たちは生きていかなくてはならない」と、この黒人女性作家は言う。確かにそうだ。残念なことに、この社会には冷酷で毒のある人たちが数多くいることを、私たちはまた思い知らされた。でも、私たちは負けない。

2004年 10月 31日 午前 12:01 | | コメント (1) | トラックバック (1)

2004.10.30

731部隊細菌戦国家賠償請求訴訟

Japan's sins of the past ― 英ガーディアン紙に掲載された731部隊細菌戦国家賠償請求訴訟の記事。ペスト菌の散布、生体解剖など、日本が中国で行なった非道な行為が、被害者の証言を含め、極めて手際よく紹介されている。

この裁判では、2002年8月に東京地裁が日本軍による国際法上違法な細菌戦実行、1万人に上る死者の存在の事実を認定しつつ、国家の賠償責任を認めない判決を下した。同時に、一審判決は、立法府、行政府による解決への取り組みを促した。現在、東京高裁で控訴審が行なわれている。この記事が掲載された10月28日は証拠調べが行なわれた日である。数か月中に結審する予定だが、原告側に喜ばしい判決となる見通しは暗いようだと書かれている。 

記事の最後にある原告の言葉に心を動かされた。

この裁判が長く続いてはほしくありません。人に向かって指さし、お前たちは間違っていると言わなければならないのは悲しいことです。仲直りをして、正義が行なわれるのを見たいだけなのに。つらい道程です。

日本の過去の罪。それが贖われる日は来るのだろうか。私はまだ、この国には、自分の非を認め、謝罪し、贖罪のための処置を行なうための良心が残っていると信じている。そのために、私たちは努力を怠ってはならない。

2004年 10月 30日 午前 12:02 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2004.10.29

誘拐犯に対する町村外相の発言

イラクでの人質事件に関する町村信孝外務大臣の談話は、わざと相手を怒らせようとしているのかと思うほど的はずれだ。

日本は、長年病院の建設や学校の建設などで、イラクの国造りに積極的に協力してきました。 ― 日本は湾岸戦争以降、クルド難民等への人道支援を除き、経済協力を凍結してきたのだから、これは真ではないように思われる。また、湾岸戦争以前のことを考えると、この文は「日本は長年フセイン政権を支援してきた」と言っているようなもので、香田さんを人質に取っている人たちがフセイン政権の支持者でないならば、こんなことを言っても意味はないし、もし彼らがフセイン政権に反対してきた勢力であるならば、この発言は反発を招くだけである。

今も、我が国はイラクの人々の復興努力を支援しております。 ― 実質的に続いている占領状態やアラウィ政権に反対している人たちに語りかけているのだという自覚があるのだろうか。 

自衛隊も、こうした復興努力を支援するために派遣されています。 ― この短い文で、彼らの自衛隊派兵のとらえ方を変えることができるとでも思っているのだろうか。彼らは自衛隊が多国籍軍の一員として実質上の占領に加担していることを問題にしているのだ。その面を全く無視して「復興支援のために行っています」などと繰り返しても、説得力は全くない。

2週間前には、53ヶ国、4つの国際機関の参加を得て、イラク復興信託基金に関する会合を東京で主催したばかりです。 ― この会議が、イラクを食い物にする列強による利権山分けの会議だと思っているイラク人は多いはずだ。

とくに御家族の御心痛は非常に深いものがあるのです。 ― 多国籍軍の攻撃によって家族を失ったイラク人は何千、何万といる。そういう人たちの心の痛みを分かって、それでもなお、香田さんの家族の心痛がとくに、非常に深いと言うつもりなのだろうか。

人質とされている香田さんは、自衛隊とも日本政府とも全く関係がない純粋な民間人です。 ― 空爆によって殺されていくイラク人の多くも純粋な民間人だ。

私には、この町村発言にはイラクの人への思いやりというものが全く感じられない。人質を取り要求を通そうとする行為が許容しがたいものであるにしても、「自衛隊は撤退しない」と早々と宣言した小泉首相同様、自分たちのやっていることを立ち止まり振り返って考え直してみようとする態度がみじんもない、独善的な発言であると思う。

イスラムを紹介するサイトを見ると、ラマダンは神聖な月であり、断食を通してムスリムたちは寛容の心を学ぶとある。香田さんを囚われの身としている人たちが寛容の心を見せてくれることを祈るばかりである。

2004年 10月 29日 午前 12:01 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2004.10.28

新聞に投書

香田証生さんのイラクでの拘束に関し、自分に何ができるか分からないまま、とりあえず、アルジャジーラのフィードバックページ(各ページ左端のメニューの"Your feedback")から、解放に助力してくれるようメールを送った。

書いた文を読み返してみて、この拘束の引き金になった自衛隊派兵・多国籍軍参加という状況から目をそらしつつある自分が見える。ぶれてはいけない。まだ不十分な気がするが、書き直してみた。  

I am deeply concerned about the fate of the newly taken Japanese hostage, Shosei Koda. I send this letter hoping that my voice is heard by the Iraqis, and by the hostage-takers especially, before it is too late.
The group that captured Koda seems to think that he has ties to the Japanese military, but if reports in the Japanese media are correct, he does not work for the government, or for any NGOs, and he is not a journalist either. He was simply a tourist. A bad judgment on his part to take a trip to Iraq now, perhaps, but that does not mean that he should be made a pawn in the politics of occupation/resistence. He should be released.
The group that is taking him hostage is demanding the withdrawal of the Japanese troops. The capture and the expected execution of Koda will not help achieve their goal, however. Should he be executed, it would inevitably lead to a rise of enmity among the Japanese against the Iraqis, and that would make it more difficult for the Japanese government to reverse its policy on occupation.
Many of us here in Japan have been working hard to get Koizumi administration to reverse its policy and to withdraw the troops from Iraq. The hostage-takers should trust us to work harder for our common goal -- the withdrawal of the Japanese troops and the end of the unjustified occupation -- and release Shosei Koda.

(このたび人質となった香田証生さんの身を案じる者です。最悪の事態が起こる前にイラクの人たち、とりわけ誘拐を行なった人たちに私の声が届かないものかと、貴紙にこのメールをお送りしています。
香田さんを捕捉した人たちは、彼が日本の軍隊と関連を持っていると考えているようですが、日本での報道が正しければ、彼は政府の職員でも、NGOの職員でも、ジャーナリストでもありません。単なる旅行者です。今の時期にイラクに旅行に行くというのは間違った判断だったかもしれませんが、だからといって、占領とレジスタンスの政治かけひきのコマにされていいとは思いません。彼は解放されるべきだと思います。
彼を人質としたグループは、日本兵の撤退を要求しています。しかし、香田さんの捕捉と、予期すべき処刑は、彼らの目的達成の力とはなりません。もし彼が処刑されたならば、日本人のイラクに対する敵意は増大し、日本政府が占領に関する政策を変更することは、より困難になるでしょう。
私たち多くの日本人は、小泉政権に対し、政策を変更し撤兵するよう強く働きかけてきました。香田さんを人質にした人たちに、私たちが彼らと共有している目標、つまり日本軍の撤退と不正な占領の終了のために私たちがより強く力を尽くすことを信じ、香田証生さんを解放してもらいたいと思います。)

イラクの新聞(だと思う)のサイトで編集者のメールアドレス(らしきもの)を探し、送った。

希望を捨てず、力を尽くそう!

2004年 10月 28日 午前 12:18 | | コメント (0) | トラックバック (4)

2004.10.27

青空文庫新着情報RSSが休載

いえ、別に右からの不当な圧力があったわけではありません。

同じサーバを使っている他のユーザが巨大なファイルを置いたらしく、/usr ディレクトリの使用量が100% になってしまったのです。で、今日(10月27日)の朝以降、しばらく、処理ができない状態が続きます。

ハードディスクを容量の大きいものに入れ替えて、quota 設定(現在は無制限にしてあるので、不届き者を野放しにしてしまった)をして、仕切り直しするまで、青空文庫新着情報RSSおよびワールドピースナウ新着情報RSSの更新はお休みします。楽しみにしていらっしゃる方がいらっしゃいましたら、ごめんなさい。

こんなこともあるし、やっぱり青空文庫のサーバで動かしてもらえないかなぁ…

2004年 10月 27日 午前 12:01 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2004.10.26

石原慎太郎の算数と国語

「フランス語は数を勘定できない言葉だから国際語として失格しているのも、むべなるかなという気がする。そういうものにしがみついている手合いが反対のための反対をしている。笑止千万だ」

東京都立大を解体し「首都大学東京」を新たに設置する動きの中で、都立大でフランス文学を担当する教員の間に批判が多いことに関して、石原慎太郎東京都知事が述べた言葉(毎日新聞の記事)。全国国公私立大学の事件情報ブログで知った。

全くもって意味不明である。 「フランス語は数を勘定できない」とは?"Soixante-dix" (70 = "60" + "10") とか "quatre-vingts" (80 = "4" x "20")といった語の形態論がお気に召さないのだろうか? 一応、算術的には合っているのだから、おかしいと言うのなら、彼には小学校の算数の復習が必要なのかもしれない。

そもそも、ある言語で数の数え方が変だなどと言うのだったら、日本古来の日本語では 10 までしか数えられないではないか。(「ひとつ、ふたつ、…、とお」。その後は中国語から輸入した語に委ねられる。)国粋主義者の石原はそのことをどう思っているのだろう(「こんな子どもじみた発言をする政治家がいるのも、むべなるかな。笑止千万である」とか?)。もちろん、日本語が“国際語”になったことも、なることもないだろうから、関係ないと考えているのかもしれない。

リベラシオンルモンドを検索して、この発言が取り上げられていないのを見、ほっとした。

全国国公私立大学の事件情報ブログと、そこで見つけた hongming さんのブログ(青空文庫つながりですね)にトラックバックを送りました。 

2004年 10月 26日 午前 12:31 | | コメント (4) | トラックバック (1)

2004.10.25

新潟の地震

その時、私は知り合いと食事をしているところだった。楽しいひととき。

夜遅くに帰宅して、テレビで新潟の地震のニュースを見て、ああ、自分が知らない間に、いろいろなところで悲劇が起こっているんだと、激しく思った。はるか昔、子どもの時、母が死んで、それでも街のようすがふだんと全く変わらないのに気づいた時…と同じ感じ。いい歳をして、なんとも情けない感想である。

神戸で地震があった時、「とにかく僕は大丈夫だったから」と電話したりメールを書いたりしたっけ。9/11の後には、ニューヨークの知人から、「信じられないことがおこった。でも私は無事だ。」と連絡があった。今も、そんなふうに、自分が生き延びたことを遠くのだれかに伝えている人がいるに違いない。心から、その人たちの保たれた命に祝福を与えたい。彼らが平安を取り戻すまでの道程が少しでも短く、平らかであることを祈る。

7月に洪水のことを書いた時、トラックバックをくださった、あきたんさんの「新潟を紹介するblog」にトラックバックを送ります。

行政からの情報:

2004年 10月 25日 午前 03:19 | | コメント (0) | トラックバック (1)

2004.10.24

東中国海のガス田開発について

ちょうど那覇と上海の真ん中ぐらいの海底に有望な天然ガス資源があり、中国が試掘・開発しようとしているのが日本の主張する排他的経済水域に隣接するため、日中間の対立材料となっています。

自民党国会議員の中には「中国への武力行使を含め、断固とした対応で臨む覚悟がいる」などという発言をしている人もいるようです。どうしてまあ、こういう単細胞的な発想になるのか理解に苦しみますが、とにかく、この議員は憲法第99条に定められた公務員の憲法尊重義務の明らかな違反を犯しているわけで、名前を出さずに報道する新聞の及び腰な姿勢には不甲斐なさを感じます。

さて、この天然ガス田問題の背景には、日中両国が互いに異なった排他的経済水域の境界線を主張していることがあります。日本は海岸線からの等距離原則を主張し、中国は大陸棚に基づいた策定を求めています。新聞(朝日新聞、10月24日)には、「国際的にどちらの主張が正しいとは言い切れず、「国際司法裁判所など法廷に持ち込んでも日本が勝てるとは限らない」(外務省筋)」とありました。この点について、私は、朝日新聞、外務省とは意見を異にします。他の海域での係争事例を見てみましょう。

東ティモールとオーストラリアの間のティモール海には油田があり、そのまわりの排他的経済水域の策定が両国間の懸案事項となっています。オーストラリアは1972年にインドネシアとの間で境界線を確定しました。この境界線は大陸棚の原則に基づいたものでした。当時、東ティモールはポルトガル領でしたが、ポルトガル政府が話し合いに参加しなかったため、東ティモールとオーストラリアの間の境界線は確定されませんでした(これにより、Timor Gap と呼ばれる海域が生まれます)。その後、東ティモールはインドネシアの侵略を受け、不当な占領状態に置かれます。1989年にインドネシアは、オーストラリアとの間に Timor Gap の取り扱いに関する条約を結び、その権益の大部分をオーストラリアに譲渡します。東ティモールの主権回復後も、オーストラリアは基本的にはこの条約の取り決めに基づき、中間線を大きくはみ出した海域での石油の採掘を続けています。(このページの地図をご参照ください。)

国際司法裁判所は、古くから確定された境界線の変更に関しては慎重であるものの、1970年代以降、調停にあたっては、大陸棚を根拠とした境界線設定ではなく、中間線を原則とした境界線を設定してきました。また、1982年の国連海洋法条約もまた、中間線原則を支持しています。オーストラリアは2002年に国際司法裁判所による海洋境界線の調停を受け入れない立場に転換しましたが、それは不利な調停結果が予想されるからです。

日本政府は自信をもって日中間の問題を国際機関の調停に委ねるべきです。それができないのは、ティモール海の油田開発において、大阪ガスなどの日本資本がオーストラリア側に付いて利潤追求を行なっているからではないでしょうか。自分の家と隣家の境界設定については一つの立場を主張し、他の家々の境界設定については、自分に都合のよい別の立場を取ってきたわけです。 自国の利益に近視眼的に執心し、一貫した理念を提示できていません。

今さらのように強硬姿勢を見せる政治家たちや、不必要に中国への敵意を煽る利己的な民族主義者たちには、小泉首相が好んで引用する、以下の憲法前文を読んでもらいましょう。この文は、イラク派兵を正当化する時ではなく、今、論じているような文脈で効力を持つものだと私は思います。

われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。

2004年 10月 24日 午後 01:41 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2004.10.23

イ・スヨン6集を聴く

イ・スヨンお姉さまのアルバム6集 The Colors of My Life を買いました。ファン歴一年半ほどなので、偉そうなことは言えないのですが、昔より音が複雑になったというか、軽さや明るさが少し落ちてしまったような気がします。私は1集の "Goodbye, My Love" のような曲が好き。

6集で一番気に入ったのは、11曲目の "그는 알았을까" かな。5集の "모르지" に似た感じの曲です。CD の最後には "I believe" の日本語版(!)が入っています。韓国語版に比べて、歌い方がちょっと演歌っぽすぎる感じがしますが…

それにしても、ソニーはスヨンお姉さまをどのように売っていくつもりなのでしょうか。日本語デビューしても輸入盤のコーナーにしか置かれないような分類をする。韓国で新しいアルバムを出しても日本の会社としては売らない。等々、意図を測りかねる感じです。今回のアルバムが CCCD じゃなかった点は好印象ですが。

スヨンお姉さまのファン・メーリングリストを運営するゆうじさん韓流ブログヤフーのおすすめサイトに選ばれました。おめでとうございます!

2004年 10月 23日 午前 10:07 | | コメント (3) | トラックバック (0)

2004.10.22

「バスを待ちながら」

『バスを待ちながら』という映画をご存知でしょうか。2年半ほど前に日本でも公開された、キューバ・スペイン・フランス・メキシコの合作映画(2000年公開)です。原題は Lista de Espera

私が今まで見た映画の中で、たぶん、一番好きな映画です。優しい心になれる。力を合わせて、苦難を乗り越えることができる。そんな幸せを教えてくれるすてきな映画です。ぜひもう一度見たいと思っていたのですが、なかなかビデオ/DVD化されず、残念に思っていました。

アメリカではビデオ化されたのを知り、amazon で買ってしまいました。音声はスペイン語、字幕は英語です。どちらかを理解する方には、ぜひおすすめです。題名は Waiting List。 

あまり筋を詳しく書いてしまうと、逆に不親切になるでしょうから、アマゾンの紹介文(ビデオカセットの箱の裏にも書いてある)だけ訳しておきます。

キューバのとある田舎の壊れかけた停留所では、バスを待つ人たちの列が長くなる一方だ。来るバスがどれももう満席なのだ。その停留所の故障したバスの修理が終わるのを待つしかない。さまざまな人たちがやって来るに連れ、人々の間に関係が生まれていく。若いエンジニアのエミリオは、スペイン人の婚約者に会いに行く途中の若く美しい女性の魅力にすっかり参ってしまう。目の不自由な男はみんなの協力で列の一番先頭に入れてもらう。修理の終わったバスがまた壊れてしまい、だれもどこにも行けなくなってしまうと、人々の不満が吹き出し、その場は大混乱となる。あきらめていっしょに働きはじめた彼らは、やがて魔法のように、その停留所を、だれも立ち去りたいとは思わない美しい場に変えてしまう。

「苺とチョコレート」のフアン・カルロス監督は、この楽しいロマンチック・コメディーに魔法のようなリアリズムと社会批判を織り込むことに成功している。 

官僚などへの痛烈な批判が含まれているので、政府寄りのプロパガンダ映画だとは思えないのですが、虐げられた人たちが共に働くことによって、よりよい世界を創っていくというのは、共産主義の理想だったんだよなー、などと思いながら、再びキューバの地に思いを馳せました。

2004年 10月 22日 午前 12:10 | | コメント (3) | トラックバック (1)

2004.10.21

著作権保護期間に関して意見書を書いた

ぎりぎりになってしまいましたが、今日(木曜日)が締め切りの著作権法改正要望事項に対する意見募集に対し、以下のメールを送付しました。

To: ch-houki@bunka.go.jp
Subject: 著作権法改正要望事項について【5.関連】

氏名: ---
所属: ---
住所:〒 ---
電話番号: ---
意見:(106)及び(107)について

著作権保護期間の延長に反対します。

楽曲演奏などが公開後の年数を計算根拠とするのに対し、個人の著作物、つまり小説、エッセイなどに関しては、執筆や公開からの換算ではなく、没年からの換算ですから、多くの場合、現状でも公開後50年を越える保護が成立しています。早熟で長命な作家であれば、作品の公開から100年間の保護も現状では可能となっています。

保護期間を一律に70年などに引き上げてしまえば、作家が晩年に著した作品以外は、ほとんどが一世紀ちかくの年月を「保護」という名のもとの「隠蔽」の身分におかれてしまいます。現代のように、出版・絶版のサイクルが極度に短い社会においては、これは、ほとんどの作品が忘れさられてしまうことを意味しています。

したがって、個人の文章などに関しては、現行の著作権保護期間で十分に関係者の権益が保護されていると考えられ、作品を公正な利用に処すためには、保護期間の延長はむしろ害をなすと思われます。

このような考えから、私は、意見書の(106)に反対し、(107)を支持します。

10月12日に書いた件です。

2004年 10月 21日 午後 05:54 | | コメント (0) | トラックバック (0)

預言者ムハンマドのアニメ

ラマダン明けに、アメリカでは「ムハンマド・最後の預言者(Muhammad: The Last Prophet)」というアニメ映画が封切りになるらしいです(アルジャジーラの記事)。

9/11 事件の直前に完成して 2002年の公開を予定していたけど、事件のあおりを受けて、今まで見送られていたのだそうです。多くの国では既に公開されているとのことですが、日本でもやっていたのでしょうか。

日本人の目からポスター写真を見ると、なんとなくダサい感じがしますが、2年前にエジプトで公開された時の評を見ると、そういう面ではなく、ムハンマドや初期のムスリムたちの戦いの中で重要なものが欠落しているとか、アメリカ人によって作成されたため、衣装、言語などの細かいところでアラブ色が薄すぎるとかといった面に批判が集中しているようです。

この映画を作成した Fine Media Group のサイト(要フラッシュ)。短い予告編(QuickTime)を見ることができます。

2004年 10月 21日 午前 12:06 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2004.10.20

「心のノート」

おととい引用した文部科学省の「心のノート」は、「市販版」がふつうの本と全く同様に書店で注文できます。Amazon でも扱っています(一部、在庫切れだったけど)。最近、買いそろえました。

  • こころのノート 小学校1・2年 ISBN4-89423-344-4 発行:文渓堂、360円
  • 心のノート 小学校3・4年 ISBN4-05-401834-3 発行:学習研究社、370円
  • 心のノート 小学校5・6年 ISBN4-252-78280-5 発行:暁教育図書、380円
  • 心のノート 中学校 ISBN4-252-78279-1 発行:暁教育図書、430円

毎年、改訂されているのか分かりませんが、発行日はどれも今年の7月から8月になっています。また、私の手元に届いたのは上に記したISBNと出版社のものでしたが、各出版社のサイトを見ると、どこも、四冊とも扱っているように書いてあるので、もしかすると複数の会社から同じものが出ているのかもしれません。

ちなみに、裏表紙に「この教材は大豆油インキで印刷しています」という文字とともに、"Printed with Soy Ink" のロゴが印刷されています。星条旗の模様が素敵です(笑)。実際に子どもたちに配られる版にもこの旗が印刷されているのか、興味あるところです。 

実は私、「新しい歴史教科書」(市販本)もしっかり持っていたりします。ちょっと反動勢力に貢いでしまいましたね。

2004年 10月 20日 午前 12:12 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2004.10.19

〈帝国〉を読んだ

〈帝国〉グローバル化の世界秩序とマルチチュードの可能性』(マイケル・ハート、アントニオ・ネグリ著、以文社、2003)をようやくのこと読み終わりました。こればかり読んでいたわけではないのですが、私は読みかけの本を鞄の中に入れていないと気が済まない質なので、文字通りの重荷(索引まで入れて、580ページほどある)から解放されて、ほっとしています。

率直な感想を書くと、価値のある本ではあるのだろうけど、長すぎるし、あいまいなままになっているところが多すぎると思います。多分に私の背景知識の欠如が未消化の原因となっていると思うので、著者を批判するのはあたらないでしょう。

まず、ネグリたちの言う〈帝国〉が何ではないかを確認しましょう。〈帝国〉とは、共産主義陣営と資本主義陣営の対立が終わった後に残った、唯一の覇権国家アメリカを表わす言葉ではありません。だから、現在のアメリカやそれに追従する国々の帝国主義的な姿勢と闘うためのヒントを求めてこの本を読んでも、答えは得られません。

〈帝国〉は、経済のグローバル化、特に人口の流動化が更に進み、国民国家(nation state)の主権が弱まった時に存在すると考えられる、超国家的な枠組みのことを言います。地球の隅々まで、そのネットワークが行き渡るため、その時点で、世界のどこを探しても「他者」は存在しなくなり、また、あまりにも大きなネットワークであるため、「中心」となる場所も存在しなくなります。そこでは、民族とか国民といった単位が構成されにくくなっているため、多種多様な民〈マルチチュード〉が、〈帝国〉と直接向き合う形になり、その大きさゆえに、〈帝国〉は〈マルチチュード〉をコントロールすることはできません。だから、グローバリゼーションによって生まれる〈帝国〉は、その誕生の時、すでに〈マルチチュード〉の叛乱という不安定要素を内包しており、いかにその誕生が資本主義、自由市場主義のユートピア的成果であるように見えたとしても、〈帝国〉は革命的な〈マルチチュード〉の手によって没落への道を歩まされている、というのが、この本のあらすじだと思います。(間違っていたら、ごめんなさい。)

この〈帝国〉の定義を現在に振り向けてみると、アメリカは〈帝国〉ではなく、国民国家であり、まさにそのことが様々な問題の原因であると言うことができるかもしれません。先ほども述べたように、この本には、現在の諸問題への処方箋は提示されていません。もっと言えば、〈帝国〉完成時に私たちが何をすればいいかも明らかにはされていません。本の終わりから数ページのところに来て

こうした出来事に対して提供すべきいかなるモデルをも私たちはここではもち合わせていない。ただマルチチュードのみが、その実践的な実験をとおしてモデルを差し出し、いつ、いかにして、可能的なものが現実的なものに生成するかを決定するだろう。

と平然と言われた時は、詐欺かと思いました。

ネグリたちが描く〈帝国〉形成への道筋には、それなりの説得力が感じられるので、ナショナリスト(国家主義者、民族主義者)たちの跋扈に辟易させられている私は、彼らの時代錯誤性を再確認することができ、少し安心した心持ちになることができました。

でも、そのためだけに5,000円超は、ちょっと高いかな。英文なら電子テキストが無料で手に入ることを知った後は、なおさら、そう思います。

2004年 10月 19日 午前 12:24 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2004.10.18

「国が燃える」騒動に思う

稀覯本を蒐集する趣味はないのですが、この夏、私が大好きな黒島伝治の小説『武装せる市街』の初版本(日本評論社刊、1930年11月15日発行)を神保町で見つけ、買い求めました。済南事件(手元の広辞苑では「1928年5月、中国国民革命軍が北上して山東省に入った時、日本が居留邦人保護の名目で山東に出兵、済南を占領、多数の市民を殺傷した事件。これ以来、中国の対日感情は極度に悪化。」と説明しています)に取材した反戦、反軍国主義、反帝国主義の作品です。厳しい検閲に遭い、5ページに渡って句読点以外はすべて伏せ字になっている部分などもあります。そのような不完全な形で出版されても、なお、すぐに販売禁止になった本です。

本宮ひろ志さんが『ヤングジャンプ』に連載していた「国が燃える」という漫画が、1937年12月の南京事件の描写をめぐって抗議を受け、集英社が連載の中断を決定したという話を聞き、非常に陰鬱な気持ちになりました。

フィクションとして脚色を加えながら、実在した政治家等を話の中に配置し、歴史上の事件を描いていることに関しては、「国が燃える」は黒島の小説と変わるところはないのではないかと思います。(9月16日発売号と9月22日発売号に掲載されていた部分が批判の対象となったと聞いていますが、私はネットに流れていた9月22日号のスキャン画像しか見ていません。)

一連の顛末の中で、一番私が衝撃を受けたのは、出版社の自己規制によって事の収拾が図られたという点です。国家権力が直接手を下すことなく行なわれる管理。政治家という強者に対して、出版がいつも弱い民の側について行動すべきだなどという幻想を私は懐いていませんが、あまりに頼りがいのない、事大主義的な姿勢です。翼賛体制というのは、弾圧によって作られるのではなく、何気ない媚びへつらいの積み重ねによって完成されるのかもしれません。

抗議を行なった議員たち、そしてそれに連なる、日本による中国での蛮行を過小評価しようという人たちに対しては、彼らの仲間たちの多くが賞賛する文部科学省の『心のノート 小学校3・4年生』から、以下の言葉を贈りましょう。私は『心のノート』をよいものだと思いませんが、彼らがこのシリーズから学ばなくてはならないことは多いように思います。

正直な人でいるためのひけつ
よく使う言葉から考えてみよう。

自分の中にある正直な心を引き出していく言葉
「ごめんね。」
「ありがとう。」
「それはわたしです。」
「それはだめだよ。」
「よかったね。」

自分の中にある正直な心をおおいかくしていく言葉
(知っていても)「知らないよ。」
(見ていても) 「見てないよ。」
(思わなくても)「そう思うよ。」
(していても) 「わたしだけじゃないよ。」
(関係あるのに)「わたしには関係ないよ。」

自分は、どちらの言葉をよく使っているだろう。

この騒動について最初に私が知った DoX さんのブログ、大量の情報を流通させてくれるはなゆーさんのブログ、そして私が強く共感した moony さんのブログにトラックバックを送ります。

2004年 10月 18日 午後 02:08 | | コメント (4) | トラックバック (1)

2004.10.17

「十字軍のロンバルディア人」

ヴェルディのオペラ「十字軍のロンバルディア人(I Lombardi alla Prima Crociata)」(びわ湖ホール、若杉弘指揮、鈴木敬介演出、10月16日)を見ました。毎年秋のびわ湖ホールのオペラ・シリーズ。今年も日本初演作品です。

昨年の「シチリアの夕べの祈り」では、帝国の支配の下で立ち上がる民衆の姿を力強く描いていて、現代世界の状況への強いメッセージ性が感じられたので、今回もそのような姿勢を期待して見に行きました。

問題は、ヴェルディのこの作品は、根底において極めて愛国主義的、民族的であることで、それをどう現代政治への抵抗の証しとして提示できるかということです。ジゼルダが十字軍を率いる父アルヴィーノに対し、その血塗られた剣を指して「神は殺戮ではなく平和を望んだはずだ、十字軍はムスリムたちの富を目当てにして戦っているだけだ」と歌う第2幕第3場を境に、ジゼルダに恋するムスリムの王子オロンテはキリスト教に改宗し、ジゼルダは天啓を受けて十字軍を率い、パガーノはエルサレムを間近に見ながら息絶えるという展開を通し、この作品のストーリーは雪崩のようにキリスト教世界の勝利に傾いていきます。その一千年も前の話の展開の中で、いかに現代政治への批判を内包させるか。

私は、「勝利を間近にした十字軍」というのは死に瀕したパガーノの幻想だったと思わせる結末を予想して見ていました。しかし、この舞台演出は、私の予想を遥かに上回る、圧倒的なインパクトを持っていました。背景に映し出されるエルサレムのモスクの金色のドームと十字軍の兵士たちの間には、回り舞台によって、高い「壁」が築かれたのです。その壁の意味を理解した時、私は本当に、息を呑みました。

鈴木敬介さんによるこの演出に対し、私は惜しみない拍手を送ります。音楽的にも、オロンテ役の市原多朗さんは秀逸だったと思います。ジゼルダ役の浜田理恵さんは、出だしこそ伸びやかさが欠けていたものの、徐々に調子を上げていき、全体としてはとても満足のいく公演だったと思います。

2004年 10月 17日 午前 12:12 | | コメント (1) | トラックバック (1)

2004.10.16

主体展

画家の若山保夫さんに招待券をいただいて、第40回主体展(京都展:10/9-17、京都市美術館にて)を見に行ってきました。

若山さんの出展作品「浮遊」は、ホロコーストを主題とした連作の一つで、強制収容所で死んだのであろうユダヤ人女性の肖像3枚と、ポーランド語の文書のコラージュの上に、脚や手の影が伸びた構図でした。ありきたりの言葉にしてしまうと、タイトルの「浮遊」とは、成仏せず、この世と死後の世界の間、あるいは生き延びた私たちの意識の奥にただよう人たちのことなのではないかと思います。

その他の作品では、西森聰子さんの「きしむ心」、種倉紀昭さんの「悲しい秋」が特に印象に残りました。

若山さんとは、大内田わこさんなどといっしょにアウシュビッツへの旅行でご一緒させていただきました。下の写真はアウシュビッツ・ビルケナウでデッサンをする若山さんです。遠くに有名な監視塔が写っているのですが、見えるでしょうか。今後とも充実した創作活動をお続けになることをお祈りいたします。

 

2004年 10月 16日 午前 09:05 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2004.10.15

ヘミングウェイの家を救え

アーネスト・ヘミングウェイは長年、キューバのハバナ郊外、San Francisco de Paula という町の、"Finca Vigía" と呼ばれる邸宅に住んでいた。この家は今、激しく痛んでいて、緊急に修理を要する状態に陥っている。

ヘミングウェイ研究者や建築関係者などが The Hemingway Preservation Foundation という基金を作り、修復を試みようとしているが、ブッシュ政権は、修復援助はキューバへの経済制裁違反になるとして、これを認めようとしていない。 ― "An Unmoveable Feast of Hemingway History Struggles to Survive" (ニューヨーク・タイムズ紙)。

Ernest Hemingway は『老人と海』(1952)をここで書いた。そして、ノーベル文学賞を受賞した(1954)。この家は、彼の一生のうちで一番大切な場所であったはずだ。ヘミングウェイはアメリカ文学の偉大な人物であるが、彼の作品は世界の宝でもある。キューバはアメリカの経済制裁にあえいでいる。市民の困窮を尻目に、必要とされる3億円もの予算をキューバ政府が文化財修復のために使うとは思えない。

ジョージ・W・ブッシュ大統領の近視眼的な政策がまた一つ世界の“文化”の灯を消してしまう前に、私も声を上げようと思った。

To: president@whitehouse.gov
Subject: Ernest Hemingway's house in Havana, Cuba

Dear President Bush,

I have recently read that your administration has denied the Hemingway Preservation Foundation's request to have its Finca Vigia renovation plan exempted from the US embargo of Cuba. Ernest Hemingway was not only a great American author, but his works are treasures that belong to the whole world. Therefore, it seems appropriate to me for the world -- the Americans, the Cubans, and the lovers of literature around the globe -- to unite in the effort to preserve the house Hemingway lived in during his most productive years. I hope your administration reconsider its position in regard to the preservation of this cultural asset, which keeps alive the memory of one of the greatest authors your country has produced.

Sincerely,

(Eunheui)

2004年 10月 15日 午前 12:14 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2004.10.14

ケータイとデモクラシー

Mobile Text Messaging Evolves into a Political Tool ― この夏、ニューヨーク市で開かれた共和党大会の際、抗議行動にケータイのメールが大活躍したという記事。デモの参加者に対し、txtMob サーバなどを通じ「××交差点で逮捕者発生!」といった情報を発信して、効果的に動員を図ったらしいです。

日本はアメリカより携帯メールが盛んですが、市民運動の現場ではまだあまり活用されていないのではないでしょうか。もちろん公安の傍受や妨害者の攪乱も視野に入れて使わなくてはならないわけですが、現場での活用法、何かいいものがありそうな気がします。

ケータイの利用とはちょっと違いますが、辺野古のヘリポート建設阻止協議会の人たちが keystone メーリングリストに頻繁に投稿する辺野古阻止行動日誌などは、リアルタイムでの行動情報提供という観点から、注目に値すると思います。

2004年 10月 14日 午前 12:05 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2004.10.13

アザーンを聞く・もうすぐラマダン

私は、イスラム諸国を旅した時に耳にするアザーン(信者をモスクでの礼拝へと誘う声)が大好きです。美しいアザーンの朗誦が聞けるサイトを見つけました。www.audioquraan.com というサイトの adhaan のページ。mp3 ファイルがダウンロードできます。音質は非常に良好です。私のおすすめは、Al-Aqsa 1。このほか、コーランの朗誦のファイルが Windows Media Player 形式のファイルで用意されています。

日本語では、サウジアラビア政府の資金によって運営されているアラブ・イスラーム学院のサイトにアザーンの RealAudio 形式のファイルがあります。(音はイマイチですが。)節ごとに、アラビア文字、アルファベットによる音声表記、日本語による意味説明があり、理解に役立ちます。同サイトのサラート時間表で、日本国内12の都市における礼拝時間を調べることもできます。

そういえば、エジプトのカイロで、モスクごとに別々に流しているアザーンを集中的に管理しようという提案が出ていて反発を呼んでいるという話がちょっと前にありました(アルジャジーラの記事)。 

インドネシアから来ている留学生から聞いた話では、明後日(10月15日)からラマダンが始まります。少し早いけど、世界のムスリム、ムスリマたちに、「ラマダーン・カリーム」!

2004年 10月 13日 午前 12:07 | | コメント (3) | トラックバック (0)

2004.10.12

著作権保護期間延長の動きを止めたい

著作権保護期間の延長を含めた著作権法の変更の可能性に関し、文化庁が意見を公募しています青空文庫呼びかけ人の富田倫生さんの文章で知りました。

現行の著作権法では、第四節(第51-58条)に定められているとおり、著作権の存続期間は著作者の死後50年を基本としています。このため、原民喜(1951年没)や峠三吉(1953年没)の作品は、だれもが出版することができ、実際にボランティアの人たちの手によって青空文庫でも公開されていますが、下村湖人(1955年没)や高村光太郎(1956年没)の作品は、まだ保護期間中であるため、その作品の入手可能性は出版社の採算見込み次第ということになります。

文化庁の求めに応じて意見を提出した社団法人音楽出版協会等の業界団体の多くは「70年の保護期間が欧米諸国では標準」であり、日本の保護期間が50年のままでは「経済的利益を得る機会を失う」ことになるとして、保護期間の延長を求めています。寄せられた意見は音楽関係団体からのものが多く、文面も近似しています(PDF、1.3MB)。

富田さんは、

過去から連綿と続く文化の大河の中で、積み重ねられたものに育まれ、先人に繰り返しに学んではじめて、人は「創造」に至るのではないでしょうか。 …過去からの賜り物に、あらたな何かを付け加え、しっかりと未来へ受け渡していくためのこうした道筋を、保護期間の延長は狭めてしまうでしょう。

と述べ、保護期間延長に反対しています。

私もまた、反対の意見を提出しようと思います。

直感的には、この十年ばかりの間に社会の右傾化が著しく進んだことが私の心配の根本にあります。大きなエポックがあっても、50年も経つと、そこから学ばれた教訓は再び忘れられてしまう。例えば1929年の大恐慌あたりから1945年の敗戦に至るまでの社会のようすを描いた文学は、これからの時代を生き延びる知恵として活かせるものだと思うのだけれど、出版社が市場で利益をあげることを行動規範とする限り、有名な作家の限られた作品以外の多くの資料は、現代の私たちの目には触れないままになってしまいます。現行法制では、まだ、第二次世界大戦の時代を生きたり戦後の混乱を目の当たりにして死んでいった作家たち何人かの作品に、青空文庫など非商業的なルートで触れることができます。しかし、著作権法の変更によって、それらの作家の作品がそのような形で日の目を見るのが20年遅れてしまったら、社会はもう取り返しのつかないほど新たな戦争に近づいてしまうのではないか。そんなふうに私には思えます。

もっと説得力のあることを書かなければならないと自覚しつつ、とりあえず、著作権保護期間延長の動きに私が思うこと、でした。

著作権法改正要望のパブリックコメントを提出する」ポータル・サイトの大分類「5.保護期間」の細目「(106)及び(107)について」のページを参考にして、締め切りの10月21日(来週の木曜日!)までに意見を送るつもりです。みなさんも、ぜひ。

2004年 10月 12日 午前 12:01 | | コメント (2) | トラックバック (0)

2004.10.11

スーダン政府の主張

Darfur の問題についてスーダン共和国大使館に問い合わせの電話をしたところ、9月1日付けで大使館が発行した簡単な英文資料を郵送してくれたので、その要点を紹介します。

一般的な報道、特にジェノサイドが起こっているのではないかという見方に対し、(a) 5万人とも言われる殺害された人々の数が誇張されたものであり根拠がない、(b) 民族間の紛争として伝えられているが、殺害されたり難民となった人たちが単一の民族からなるわけではない、という批判をしています。その他、(c) Sudan Liberation Army と Justice and Equality Movement は政府がダルフールをないがしろにしていると主張して(反乱を起こして)いるが、閣僚数などを考えれば、それは当たらない。(d) 政府は Janjaweed とは全く関係がない。(e) 武器の流入に関しては民族的な対立とは無関係である。(f) 遊牧民と農民の間の紛争を回避するため、遊牧民の定住化を推進していたが、合州国による経済制裁などにより頓挫した。等と書かれています。

解決のためには (1) あらゆる民兵組織の武装解除、(2) 難民や国内避難民への緊急な支援、(3) 国民的な対話による政治的な解決、(4) 国際社会によるスーダン政府への助力と建設的な関与、が必要であるとしています。

6月以来、何回か取り上げてきた問題ですが、今ひとつ、自分の行動に結びつけることができずにいます。

2004年 10月 11日 午前 08:51 | | コメント (0) | トラックバック (1)

2004.10.10

ブイヤット湾・続報

インドネシアのブイヤット湾でニューモント社の金採掘による水銀汚染が疑われていた件は、それを否定する調査が出たようです。

ニューヨーク・タイムズの記事 "Study Finds No Link Between Mine and Illness in Indonesia" によると、世界保健機関(WHO)のためにインドネシアの専門家によって行なわれた調査では村民の水銀レベルが平常値であったとインドネシア健康省が発表したとのこと(WHOのサイトには今のところ資料はありません)。この夏に熊本の国立水俣病総合研究センターから坂本峰至調査室長が訪れて頭髪の検査を行なった際にも、有機水銀中毒の可能性はないと判断されていたそうです(毎日新聞の記事では調査中とされていた検査だと思われます)。海水の水銀、ヒ素等の汚染レベルも低いとの結果だったと報じています。

Newmont 社の本社のあるコロラド州デンバーの Denver Post の記事では、このWHOの調査は水俣病総合研究センターと協力して行なわれたと報じられています(だれが調査に関わったのか、事実関係の情報が錯綜しています)。WHO が 50 マイクログラムを安全基準としている毛髪内の水銀含有量が 2.65 マイクログラムに過ぎなかったとされています。一方、インドネシア警察当局が海水中の水銀とヒ素のレベルはインドネシアの環境基準の10倍に達していると発表したとのこと。 

魚介類が激減していること、多くの住民に皮膚病や神経系の病気が広まっていること自体は事実なので、原因究明に向け、更なる調査が必要であることは間違いありません。

2004年 10月 10日 午前 07:33 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2004.10.09

チェ・ゲバラの死(1967年10月9日)

ボリビアで死んだエルネスト・チェ・ゲバラの日記の最後のページ:

7日、ゲリラ活動開始以来11か月たった。12時30分まで面倒なことも起こらず、牧歌的な時間が過ぎた。 … われわれ17人は欠けた月を仰ぎながら出発。行軍は苦しく、谷にはたくさん足跡が残ってしまった。近くに人家は見あたらなかったが、谷川から水をひいて灌漑したジャガイモ畑がある。2時に休憩。これ以上進もうとしても無駄だ。… 標高2000メートル。

翌8日午後、彼らはCIAの指揮下にあったボリビア政府軍の包囲攻撃を受け、捕らえられ、1967年10月9日早朝、ゲバラは銃殺されます。

CIAの報告書(原本はこのページの末尾からこのページの半ば)によれば、チェの最後はこのようなものだったそうです。

この時、ペレス中尉はゲバラに、処刑を前に何か望むものは無いか尋ねた。ゲバラは「腹一杯食ってから死にたいものだ」と答えた。ペレスは、食べ物だけを求めたことに関し、お前は「唯物論者」なのかと尋ねた。ゲバラは以前の落ち着いた様子に戻り、「かもね」とだけ答えた。ペレスは「馬鹿野郎」と言って部屋を出た。このころには、(処刑を命じられていた)テラン軍曹はビールを何杯か飲んで(処刑を執り行う)勇気を取り戻しつつあって、ゲバラの部屋に入った。ゲバラは手を体の前で縛られたまま立ち上がって言った。「あんたが何をするためにここに来たか分かっているさ。準備はできているよ。」テランは数分間ゲバラのことを見ていたが、やがて「いや、それは誤解だ。座れ。」と言い、しばらくの間、部屋を出た。

ゲバラと共に捕らえられていた“ウィリー”は数メートル離れた小屋に入れられていた。テランが外に出て落ち着きを取り戻そうとしていると、ウアウカ軍曹が“ウィリー”の小屋に入り、彼を射殺した。“ウィリー”はキューバ人で、ボリビアの鉱山労働者の間で争議を起こそうとしていたと聞いている。ゲバラは銃声を聞き、はじめて恐怖を感じたように見えた。テラン軍曹がゲバラの監禁されていた部屋に入ると、ゲバラは立ち上がり、軍曹と面と向き合った。テラン軍曹は座るように命じたが、ゲバラは座ることを拒否し「立ったままでいるよ」と言った。軍曹は怒り始め、もう一度座るように命じたが、ゲバラは何も言わなかった。やがてゲバラは軍曹に、「よく聞け。あんたは人を一人殺すだけなんだ」と言った。テランはM2カービン銃を発射し、ゲバラは小屋の壁に叩きつけられた。

チェの死を伝える、当時の記事が英ガーディアン紙のサイトに掲載されています。死体の搬送の場に合州国の諜報機関職員がいたことを伝えています。昨日のロサンジェルス・タイムズ紙の記事には、"el Che" の殺害された村が徐々に観光地化してきている様子が描かれています。

私には、ゲバラを“崇拝”する気持ちはありませんし、歴史的に見て必ずしも彼の思想や方法論が正しかったとも思いません。しかし、なぜ彼が虐げられた人々の気持ちをあれほどまでに鼓舞したのか、なぜ今でも多くの人が彼の姿に現状を打破する力や崇高な理想を見出すのかは、よく考える必要があると思います。

「チェよ、安らかに眠れ」とは、今の私たちには言えないでしょう。 

2004年 10月 9日 午前 12:07 | | コメント (0) | トラックバック (1)

2004.10.08

僕が64歳になっても

もし生きていれば、明日10月9日は、ジョン・レノンの64歳の誕生日だったそうです。

ビートルズの映画 Yellow Submarine のサウンドトラック CD の "All You Need is Love" と "Nowhere Man" の間に "When I'm Sixty Four" という歌があります。「僕が64歳になっても」。だから明日は特別なお祝いの日。

"An Exhibition of Drawings Celebrates Lennon at 64" ― ニューヨーク・タイムズ紙、芸術欄の記事。64回目の誕生日の記念に、オノ・ヨーコさんがジョンの描いたイラストや手書きの詩(歌詞)などの展示会をニューヨークで行なっているそうです。時代を追って、ジョンのイラストがシュールなものから、カジュアルなものへ、そして教訓的なものへと変化していったとあります。その変化には彼が日本語を勉強していたことも反映されているのではないかとオノさんは語っています。ジョンのイラスト展は過去数年間、合州国各地で開かれてきたとありますが、ぜひ日本でも見たいと思いました。

Yellow Submarine のジャケットには

sixty-four years is 33,661,440 minutes and one minute is a long time.......

と書かれています。歌詞(ポール作?)は、

今から何年も経って、僕が歳を取って、髪が薄くなっても
バレンタインデーや誕生日にカードやワインを贈ってくれるかい?

とてもささやかな夢なのに、ジョンはかなえられなかったんだなあと思うと悲しいです。そういえば、リンダ・マッカートニーさんももう亡くなったのですよね。人の命は、はかない… 一分、一秒を大切に、精一杯、生きなくては。

(明日も人の死を悼む記事が続きます。ごめんなさい。) 

2004年 10月 8日 午前 12:09 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2004.10.07

地下鉄開通を祝う日

明るい話題を(と思いつつ、結末はかなり暗くなってしまいました)。

私の職場の前を通る地下鉄の新区間が昨日、開通しました。名古屋市営地下鉄名城線です。東京の山手線や大阪の環状線みたいにぐるぐる回る形になって、「全国初の地下鉄による環状運転」だそうです。最初にどういうふうに車両を入れたのか、二重に不思議ですよね。

去年の暮れに職場の真ん前までの区間が開通して、とても便利になったのですが、その先もできたことで、仕事帰りにいろいろなところにいくのが本当に楽になりました。通っている病院とか、「だるまさんがころんだ」を見に行った劇場とか、辺野古の基地建設阻止運動報告会の会場とか、ぐんと近くなります。

逆に、今まで走っていたバス路線が廃止になって、駅まで歩かなければならなくなったため、不便になったと感じる人もいるのかもしれません。また、私が名古屋に来る前のことですが、建設工事に反対する沿線住民も多かったと聞いています。騒音とか振動とか問題が出ていないといいのですが。

ちなみに、二年ほど前、私の住んでいる部屋(一階です)の真下に高速道路が通りました。トンネル工事中は朝寝坊をしているとドリルの騒音でたたき起こされたりしたので、開通後にどうなるか心配していたのですが、幸いなことに(私が鈍感なだけかもしれませんが)全く気になりません。(あるいは、私がうつ病になったことと何か因果関係があるのかしら。だとしたら、私の心と体は本人の自覚より遥かに繊細だったということになります。うーむ、まず違うでしょう。)

これらのことは、もう少し様子を見てみないと評価が決められないのかもしれません。でも、廃止される予定だったバス路線が市民の力で復活したという話もあるし、前向きにとらえたいです。(私は、自分にとって便利になったから、利己的に、いいほうに解釈しようとしているのかもしれません。ちょっと気をつけなくては。)

さて、私の職場では、「10月6日、水曜日」という、なんとも中途半端な日に営業開始になったものだと、ひとしきり話題になりました。式典が行なわれた一昨日(2004年10月5日)が大安だったから? 信じたくないなあ。しかし、調べたところ、前回の区間開通の時も開業前日の式典の日(2003年12月12日)が大安でした。その前の区間開通の前日(2000年1月18日)も。偶然だと思いたかったですけど、私にはちょっと無理でした。大安だ仏滅だなんて迷信に自治体が惑わされてなるものですか! そういう迷信が差別を持続させてしまったりするのだから(リンク先は名古屋市の人権問題関連のページ)。

(最後の部分、もう少し自分の気持ちと考えを整理して、稿を改めるつもりです。) 

2004年 10月 7日 午前 12:01 | | コメント (0) | トラックバック (2)

2004.10.06

武器輸出三原則と安保防衛懇の報告書について

小泉首相の私的諮問機関「安全保障と防衛力に関する懇談会」が10月4日に提出した報告書は、武器輸出三原則に関するこれまでの政府見解に対し、「少なくとも、次世代のミサイル防衛用迎撃ミサイルが米国との共同開発・生産に移行することを踏まえ、米国について緩和するよう求めている」(朝日新聞)と報じられています。(現時点で、まだ報告書自体は官邸のサイトには掲載されていません。いつ掲載されるのか電話して聞いたら、今、担当者がいないと言われました。) 10月8日追記:報告書(PDF、298kb)

現在、外務省のページでは、武器輸出三原則について、以下のように記載されています。このページが継続的に参照可能であるか、ちょっと不安に思うので、その内容をそのまま引用しておきます。

1.武器輸出三原則(1967.4.21)
武器輸出三原則とは、次の三つの場合には武器輸出を認めないという政策をいう。

  1. 共産圏諸国向けの場合
  2. 国連決議により武器等の輸出が禁止されている国向けの場合
  3. 国際紛争の当事国又はそのおそれのある国向けの場合

[佐藤総理(当時)が衆院決算委(1967.4.21)における答弁で表明]

2.武器輸出に関する政府統一見解(1976.2.27)
「武器」の輸出については、平和国家としての我が国の立場から、それによって国際紛争等を助長することを回避するため、政府としては、従来から慎重に対処しており、今後とも、次の方針により処理するものとし、その輸出を促進することはしない。

  1. 三原則対象地域については「武器」の輸出を認めない。
  2. 三原則対象地域以外の地域については、憲法及び外国為替及び外国貿易管理法の精神にのっとり、「武器」の輸出を慎むものとする。
  3. 武器製造関連設備の輸出については、「武器」に準じて取り扱うものとする。

[三木総理(当時)が衆院予算委(1976.2.27)における答弁において「武器輸に関する政府統一見解」として表明]

(注)わが国の武器輸出政策として引用する場合、通常、「武器輸出三原則」(上記1.)と「武器輸出に関する政府統一見解」(上記2.)を総称して「武器輸出三原則等」と呼ぶことが多い。

アメリカは、現在、実質的に国際紛争の当事国であり、この見直しは、平和を目指す国家としての日本のあり方を根底から覆しかねません。私はこの提言に強く反対します。

この報告書は、さまざまな政策見直しの理由として「日米の同盟関係」の強化を挙げていると報じられていますが、以前ここでも書いたように、両国の同盟関係の中核である日米安保条約は「他の平和愛好国と協同して、国際の平和及び安全を維持する国際連合の任務が一層効果的に逐行されるように国際連合を強化することに努力する」ことを定めたものであり、そのような文脈抜きに、いたずらに日米二国間の安全保障、防衛面での同盟関係の強化のみを図ることは、日米安保の枠組みの中ですら許されることではありません。もしそれを行なおうとするならば、それは現在の日米安保体制から大きく踏み出した軍事同盟化の動きと捉えるべきものでしょう。私たちはそれを許してはならないと思います。

上の段落で書いたことは、まるで「日米安保を遵守せよ」という呼びかけをしているようで、書いている本人も、非常にわだかまりがありますが、時代はそこまで来ているのかな、という気もします。そんな中途半端で妥協的な立場はとるべきではない、安保は粉砕すべしという原則的な立場からのお叱りを覚悟しています。

Mugen さんの 閑話休題にトラックバックをお送りします。本当は、私もこの問題について、mugen さんのような美しい文章を書きたかったのですが、私には文才/想像力が足りませんでした。

2004年 10月 6日 午前 12:06 | | コメント (1) | トラックバック (1)

2004.10.05

ペルーの鉱業と構造的暴力

U.S. in mine dispute in Peruvian Andes ― ニューモント社によるペルーの金採掘に関する AP 電。Newmont 社が株の51%を所有する Yanacocha 社によるCajamarca 地方 Cerro Quilish での金試掘の阻止運動は、ここでも9月22日30日に紹介したとおり終結しました。この記事によると、水資源への影響調査が終わるまで、試掘が延期されたとのことです。

この記事には、ここに至るまでの背景が簡潔に紹介されているので、要約します。フジモリ元大統領の後任、Alejandro Toledo 大統領が2001年に就任して以来、ペルーでは鉱業生産が年率4%増加し、総輸出額110億ドルのほぼ半分を占めていますが、雇用面においては、2千7百万人の国民のうち、7万人(=0.26%)しか、その恩恵に浴していません。鉱山が開かれることで、物価が上がり、犯罪や売春も増加することにより、住民の反発も強くなっています。

Yanacocha 社は、1993年からアンデス地域で操業していますが、金の産出にあたり、ヒ素や大量の水を使用するため、環境への影響が心配されるほか、農業用水の枯渇の原因にもなっているのではないかと言われています(Newmont 社側は、Newmont 社本社と同じコロラド州にある調査会社の調査結果を示してこれに反論しています)。2000年6月には水銀の流出事故がおこり、1,000人ほどが被害を訴えました。流域で魚が死んだこととの関連性も指摘されていますが、この調査は、「近い将来、人間や家畜、作物に影響を及ぼす恐れはない」としています。

Yananocha 社は、学校建設、道路の整備、電気や水道の整備でカハマルカ地方の経済に貢献してきたとしていますが、地元のエコロジストは、鉱業は地域の伝統を破壊し、住民は依然として「貧農のままだ」としています。

このほか、カナダの Manhattan Minerals Corp. も、住民の3分の1の立ち退きを必要とした Tambogrande での開発を差し止められたという話もあります。

最近、高柳先男さんの『戦争を知るための平和学入門』(ちくまプリマーブックス、2000年)を読んだのですが、ペルーの鉱業の状態は、地域・農民の生活向上には何ら寄与しないナショナル・デベロップメントであり、民衆がその土地の伝統的な生活基盤とするサブシステンスを破壊する開発であり、環境を破壊し、共同体を破壊し、貧富の格差を拡大させる「権威主義的開発体制」を絵に描いたような例だと思います。(この本、著者が死去してからまとめられた講義録なので、編集面でイマイチなところがありますが、分かりやすく、良書だと思います。)

下のペルーの地図は、University of Texas Library の Perry-Castañeda Library
Map Collection
で自由頒布となっていたものに、カハマルカの位置を追記したものです。(位置を示したカハマルカ市の北に、カハマルカ地方が広がっているようです。)

2004年 10月 5日 午前 12:04 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2004.10.04

イナゴの日

西アフリカ諸国におけるイナゴの大量発生による被害は未だに続いているらしいです。国連糧農業機関(FAO)による、イナゴの発生状況を見てみましょう。

2004年10月1日:西アフリカでさらに群れが発生
最新の報告によると、ブルキナ・ファソ北部でエジプトツチイナゴ(desert locust)の未成熟な群れが発生しつつあります。モーリタニア南部、セネガル北部、マリ、ニジェールでも新しい群れが発生し続けています。群れの多くは、特にすでに草木が食べ尽くされた地域では、激しく動き、空を舞っています。非常に大きく、密集した群れも見られます。いくつかの群れはケープ・ベルデ諸島、モーリタニアの北西部、西サハラの南部、マリの北部にこの十日間の間に到達しました。サヘル地方(サハラ砂漠周縁のサバンナ地帯)の諸地域では、相変わらず次の世代の繁殖に適した状況が続いています。今までの所、モーリタニア南部のAioun El Atrous の近くで、成熟した夏の群れによる産卵が確認されています。まだ成虫になっていないイナゴの小さな群れがチャド中央部と東部、アルジェリア南部のマリ国境付近で大きくなりつつあります。サハラ砂漠周辺諸国では更に群れが増え、モーリタニアのく西部や北西アフリカ地方の南部で今後数週間のうちに移動するでしょう。このほか、イエメンの紅海沿岸でもイナゴの発生が確認されています。

FAO の報道資料によれば、西アフリカ全体で300万から400万ヘクタールの土地(関東地方ぐらいか)にイナゴがたかっており、殺虫剤や散布のための飛行機はまだ十分ではないようです。

下のアフリカ白地図は © afrol News が著作権表示をした上で自由に複製してよいとしているものの色調を調整したものです。

2004年 10月 4日 午前 12:00 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2004.10.03

ヒジャブと剃髪

French Schoolgirl Shaves Head Protesting Hijab Ban ― フランスでは、公立学校構内で生徒が宗教的な服装をまとうことをこの九月から禁止しているが、この法律に抵抗し、ヒジャブをかぶり続けるムスリマが当初 120人、現在でも 19人いるという。15歳のトルコ系移民、 Cennet Doganay さんは、剃髪によって抗議を訴えている。「私はこの法律を尊重するが、この法律は私の宗教を尊重していない」と語る彼女の姿(上記 IslamOnline.net の記事に写真がある)には、痛々しいものがある。

私自身は、「公教育の場に宗教的な象徴に類するものは相応しくない」という考えと、「一人ひとりの思想や信教の自由は尊重されるべきだ」という考えの間で、この法律の是非を一面的に決められずにいる。それはおそらく、この法律を制定した政治家たちもある程度体験したジレンマであると思うし、何よりも、ヒジャブを身にまといたい、そして公教育を享受したい、まだ歳若い当事者たちにとって、大きすぎる問題であろうと思う。法律の字句よりも広い社会的な現象、例えば、立法機関においてムスリムたちが十分に代表されていないといったことが問題の根幹にあるのではないだろうか。

2004年 10月 3日 午後 07:10 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2004.10.02

よみがえる京都議定書

ロシアが地球温暖化防止のための京都議定書を批准する見込みだというのは、最近で一番の明るい話題かもしれません。京都会議から既に7年。傍観者だった私は、もう“死んだ”話なのかと思っていました。諦めず努力を重ねたNGO や各国政府、国際機関の人たちに敬意を表します。

心の底に、今年の天気はほんのちょっと気まぐれなだけなのだと信じたい気持ちもあるのだけれど、もし今年の台風などによる災害が本当に大規模な気候変動の徴候であるならば、グリーンピース報道資料にある「現在地球では、暴風雨が勢力を増し、洪水や干ばつが増えている。プーチン大統領は本日、人類の歴史に非常に大切な瞬間をもたらしてくれた。京都議定書は、忍び寄っている最悪の気象大災害を回避するための重要な第一歩だ。私たちはあと少しでこの議定書を救えるところまで来ている。」という言葉は、掛け値なしの表現だと言えるのではないでしょうか。

国連気候変動枠組み会議は、「しばしの間、お祝いをしたら、二酸化炭素その他温室効果ガスの排出削減という重大な課題に真剣に取りかからなければならない」と述べています(報道資料、PDF)。日本も、目標達成は危ういのではないかという話も聞きます。これからが勝負!

私の職場は、建物の最上階にあって、しかも南向きの大きな窓があるので、夏場は恐ろしいほど暑かったのですが、今年の春、窓に断熱シートを貼ったおかげで、今年の夏は去年までよりも格段に過ごしやすくなりました(暑くないとは言いませんが)。きっと、いろいろできることがあるはずです。

それにしても、よき友人は忠言のできる友人だという定義に則って、世界最大の二酸化炭素排出国であるアメリカに対し、日本政府はもっと強い態度で臨まなくてはならないと思います。応援したら、小泉首相はもう少しがんばってくれるかな。

2004年 10月 2日 午後 03:04 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2004.10.01

辺野古について見る、聴く、考える

普天間飛行場の代替基地建設準備が進められつつある沖縄県名護市辺野古では、基地建設阻止運動が続けられています。9月30日、私の住んでいる名古屋では、辺野古の運動を撮り続けている写真家の浅見裕子さんと、三週間座り込みに参加してきた大学生の伊藤めぐみさんによる報告会が開催されました。

浅見さんによる写真スライド上映には、沖縄への想像力をかき立てられました。もしできれば、以下のような写真を想像してみてください。

  • きれいな海。
  • 阿波根さんの非暴力主義を受け継ぎ、座って冷静に抗議を行なう地元住民。
  • 海上の抗議船から至近距離で見る防衛施設庁の調査船。
  • 調査船が設置したブイの周辺で日がな待機する無防備なカヌーに乗った参加者。
  • 機動隊によるごぼう抜きに備え、スクラムの練習をする参加者。
  • 住民の問いに答えられず顔をゆがめる那覇防衛施設局職員。
  • 海上からの上陸訓練中、こちらに向けて銃を構える海兵隊員。

伊藤さんのお話は、沖縄のことに特に詳しいわけでも、そこに住んできた人の苦しみを実感することのできない自分が住民といっしょに座り込むことへの戸惑い、沖縄の人たちから聞いたこと、自分も感じたことをちゃんと伝えられるかの不安、今までの自分の生活が、平和を護るために活動してきた人たちの力によって保障されてきたのだということを知った衝撃などについて、素直な感動をもたらすものでした。「70%以上の基地を沖縄に押しつけておいて、70%以上の反対運動も沖縄に押しつけるのはおかしい」という発言があったのですが、とても新鮮な(そして正当な)発想だと思いました。

二人の話を聴いた私たちの心の中に、何かが始まるのが実感できる集会でした。

会場で配られた資料から、情報源や抗議文の送付先などをメモしておきます。

2004年 10月 1日 午前 12:16 | | コメント (1) | トラックバック (1)

« 2004年9月 | トップページ | 2004年11月 »