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2004.07.31

陰湿さと孤立

ほぼ一週間遅れで『週刊金曜日7月23日号を読みました。一番目を惹いたのは、尹健次さんと梶村太一郎さんの対談「孤立する日本の再生はあるか」。尹さんは在日コリアン、梶村さんはドイツ在住で、見出しの表現に倣えば「外からの目」で現在の日本を鋭く見渡しています。

梶村 それに日本の社会の根底にはものすごい攻撃性がある。かつて侵略をやったときの攻撃性を社会教育、政治教育、歴史教育できちっと学んでいないから、ものすごい攻撃性が、ちょっとした拍子に出てくる。

日本社会の問題は、陰湿さですよ。陰湿というのはされる側にとって一番きつい。何か自分がちょっとでも優位に立てるものを探しまくっているような気がします。

という発言がちょうど真ん中ほどにありますが、それを囲んで、前半で二大政党化、低投票率、北朝鮮叩きの大衆心理、イラクで日本人が拘束された際の人質批判、後半で日の丸・君が代強制、戦争責任、外国人差別などの問題を取り上げています。

対談は、人質事件のとき、市民がアラブ世界に情報伝達を図ったことにより解放が実現したことを挙げ、そのような一人ひとりの意志の力が、バッシングなどに向かう空虚な思考への対抗勢力となり、既成の権力層への第三の軸を構築し、日本を孤立から救う可能性を持っているという見通しをもって終わります。

わずか3ページでは語り尽くすことのできない諸問題ですが、何か一つの糸で様々な現象のつながりを解き明かしてくれる清々しさと力強さが感じられました。

2004年 7月 31日 午前 12:16 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2004.07.30

「モーターサイクル南米旅行日記」

チェ・ゲバラの『モーターサイクル南米旅行日記』を読みました(7月23日の記事を参照)。

アルゼンチン人のゲバラとその親友、アルベルト・グラナードが1951年の12月から1952年の7月にかけて、アルゼンチン、チリ、ペルー、コロンビア、ベネズエラと南米大陸を縦断旅行した際の日記です。読むまで、私は誤解していたのですが、「モーターサイクル南米旅行日記」というタイトルは、かなり不適当です。行程の4分の1も行かないうちに、中古のバイクは壊れてしまい、後はほとんどがヒッチハイクによる旅行だからです。当時23歳の医学部学生の明るい無銭旅行記として、楽しく読み進むことができました。

巻末の解題や後書きの中で、出版社、現代企画室の太田昌国さんと翻訳者の棚橋加奈江さんは、その後、革命の闘士としてゲバラがたどる人生と強く結びつけて読むべき本ではないという意味のことを書いています。私も、ここに描かれているゲバラの日々が、カストロとキューバで共産革命を成功させ、コンゴやボリビアでゲリラとして戦ったゲバラの人生との必然的な結びつきを読み取ることはできませんでした。

しかし、この書が単なる旅行記以上のものであることも、また事実だと思います。いわゆる Bildungsroman として読まれるべき本ではないでしょうか。比較的裕福な中流階級に生まれ育った彼が、旅の中で、通りかかる地域の生活水準の違いに目を開いていくこと、共産主義者との出会い、インターナショナリストとしての意識の芽生え、インディヘナの思想や生活への共感と違和感の混交、ハンセン病医療への思い。これらを通して、ゲバラがまさに「成長」していく姿を私たちはこの小さな本の中に見て取ることができます。この後、革命の闘士になるためには更なるきっかけが必要であったことは明らかですが、この「成長」は、破天荒な旅行の当然の産物であったのかもしれないし、後日、日記をまとめ直したゲバラの、作家として、前衛としての意図であったのかもしれません。

「旅」が「成長」を含意するものであるならば、この本は原題の Notas de Viaje (旅のノート)のまま、世に出ることが適当であったでしょう。

私も来週の月曜日から一週間、旅に出ます。ゲバラとグラナードの旅とは違い、旅程があらかじめ決められた旅ではありますが… 見知らぬ国、イランに行ってきます。ゲバラが死んだ歳を既に越した私でも、何か少しでも成長できればいいのですけれど。

2004年 7月 30日 午前 12:28 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2004.07.29

彼らが歴史から学ばなかったこと

アラスカの Fort Greely 基地に先週、ミサイル迎撃システムが配備されたとの。これは特に北朝鮮からの長距離弾道ミサイル攻撃に照準を合わせた施設です。レーガン政権が構想したスター・ウォーズ時代の到来とも言えるかもしれません。

MSN の目玉コンテンツ、Slate Magazine の記事で軍事評論家の Fred Kaplan さんは、迎撃システムの存在が、むしろアメリカをミサイル攻撃の危険にさらすことになると警告しています。1970年代、米ソ間で迎撃システムの禁止条約が調印されましたが、その調印はお互いの善意によって支えられたものではなく、そのほうが論理的に正しく、現実的であったからだと Kaplan さんは説明します。なぜか。それは、50台の迎撃システムが実戦配備されたとして、攻撃側は51機のミサイルを用意すればいいだけのことだからです。そして、51機のミサイルは50台の迎撃システムよりも安価なのです。だから、迎撃システムの実戦配備競争は、常に攻撃用ミサイルを一機でも多く用意した側の勝利に終わり、さらに、迎撃が常に成功するわけではないから、より多く発射されたミサイルは、より多くの戦禍をもたらすのみです。ブッシュ政権のタカ派閣僚、チェイニー副大統領とラムズフェルド国防長官は、ミサイル防衛システムが北朝鮮の核兵器開発意欲を削ぎ、よい交渉材料となるだろうと考えていましたが、(当然といえば当然ですが)現実には事態はそのようには進展しませんでした。今回のミサイル防衛システムの実戦配備によっても、何ら北朝鮮側に動じるようすは見られません。

日本でも小泉首相がアメリカ合衆国のミサイル防衛システム開発に協力する意志のあることを表明していますが、これも全く無意味な出費となり、むしろ平和と安全を脅かす愚行となることは目に見えているように思えます。小泉首相や好戦的な政治家や国民(声は大きいものの、数が少ないことに私はまだ安心しています)が歴史から学ばなければならないことは、日本のアジア侵略の過去だけでなく、冷戦時代の実利的な駆け引きと知恵でもあるということでしょう。

2004年 7月 29日 午前 12:19 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2004.07.28

ダルフールの食べ物

スーダンの Darfur 地方の惨状については、6月はじめ以来、注意を払わなくてはならないと思いつつ、努力を怠ってきてしまいました。

"Darfur's deep grievances defy all hopes for an easy solution" ― Alex de Waal さんによる、英 Guardian 紙の特集記事。歴史の概要、宗教・民族に関する考察など、背景の理解に役立つ内容を多く含む記事だと思いました。冒頭近くの食糧事情に関する記述が特に興味をひいたので、紹介します。

Mukheit という低木のベリー。うす緑いろの豆のように見える。毒性を持つが、三日ほど水につけておくと食用に供することができる。味はよくない(酸っぱい)が、栄養価が高い。丘などに自生し、夏に実がなる。20年前の飢饉の際には、mukheit のみで数か月も生き延びた人もいる。幼児に必要な栄養の面では十分ではないため、1980年代には、他の食料が不足していたため、7万5千人あまりの児童が餓死した。

Difra ― 砂漠周辺の高原に自生する草。8月ごろ刈り取られ、食べる。

現地の人たち、特に女性たちは、これらの他にも、80種類ぐらい、食用に適した草木、根菜などを採取して生活しているという。

う~ん、さすがに病休明けの大仕事はつらい。ダルフール内戦の歴史的背景等については、別の機会にまとめることにして、仕事の準備に戻ります。

2004年 7月 28日 午前 08:10 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2004.07.27

「灰色の畑と緑の畑」

なにげなく手に取った本が次のように始まっていたら、みなさんはその本を買わずに書店を後にすることができるでしょうか?

ここに書かれているのはほんとうの話である、だからあまり愉快ではない。これらの話は人間がいっしょに生きることのむずかしさについて語っている。南アメリカのフワニータ、アフリカのシンタエフ、ドイツのマニ、コリナ、カルステンなど、多くの国の子どもたちがそのむずかしさを体験することになる。
ほんとうの話はめでたく終わるとは限らない。そういう話は人に多くの問いをかける。答えはめいめいが自分で出さなくてはならない。
これらの話が示している世界は、必ずしもよいとはいえないが、しかし変えることができる。

岩波少年文庫の一冊、ウルズラ・ヴェルフェル(Ursula Wölfel)さんの『灰色の畑と緑の畑』(Die Grauen und die Grünen Felder)。原著が1970年刊、日本では1974年に翻訳出版されていますから、お読みになった人も多いかもしれません。訳者後書きに、「小学校の上級から中学校ぐらいまでの年頃の人たちに、最も多く訴えるように思われます」とあります。日本語版が出たころ、私はちょうどその年齢層にいたのですが、残念ながら当時、この本に出会うことはありませんでした。

収録された14の短編の中には、主人公が「答え」をほぼ出したと思われる話も、社会全体の問題として決して楽観を許さない終わり方の話もあります。上に引用した前書きが予告するとおり、読んでいて辛さを味わうこともしばしばです。前書きが懐かせた期待を十分に満たす本でした。お薦めします。

訳者の野村※(「さんずい+玄」、第3水準1-86-62)さんの冷静な訳文も秀逸だと思います。 (このブログはUTF-8 で書いているのだから、お名前の「ひろし」の部分、第2水準までになくても Unicode に入っていればいいか、とも思いますが、つい習慣で、青空文庫の外字注記にしてしまいました。)

私、今年は例年になく多数の良書に巡り会っています(児童書が多いのは、明らかに脳が疲れているせいですが)。私の生は希望と光に満ちている!

2004年 7月 27日 午前 12:08 | | コメント (2) | トラックバック (0)

2004.07.26

「戦争のつくりかた」を買おう!

戦争のつくりかた」(マガジンハウス刊)、買いました! つい昨日の朝、DoX さんの Negative Stories で出版の話を読んだばかり。近くの本屋で10冊ぐらい平積みになっていました。店の人に「これ、売れてますか」と聞いたら、「さあ、まだ今朝入ってきたばかりなので、分かりません」との返事でした。

表紙は黄色っぽい目玉焼きのような絵(日の丸でしょうか)の上に赤く大きく「戦争のつくりかた」と書いてあります。青空と雲のオビに「これは空想にもとづく作り話ではありません」とあります。オビを取ると、下から伸びる13本の手。バンザイをしている?それとも戦争ができる国を作るかどうかの評決の挙手?それとも空爆後の街で水を求めて彷徨う人たちの手?

“一番たいせつなのは、「国」になったのです。” という言葉の次のページには、新たに加わったフルカラーの挿絵が見開きで載っています。意識の奥深くで、どうしてもピカソの「ゲルニカ」や丸木位里さん・俊さんの「原爆の図」と結びつけてしまいますが、この絵の重要な点は、現実の戦争の跡としてではなく、戦争をあらかじめ防ぐためだけに描かれていることだと思います。虚構でありつづけることこそがこの絵の価値なのだと思います。決してこれを現実化させてはならない、読者の多くはこの絵を前にして、そう誓うのではないでしょうか。

2004年 7月 26日 午前 12:03 | | コメント (0) | トラックバック (3)

2004.07.25

他の国に言われると悔しい

"Russia Will Help Iraq Via Trade Not Troops" (ロシアはイラクを軍隊ではなく貿易で支援する) ― ロイター電。版の遅い地域なら、25日の朝刊に載るだろうか。

土曜日、ロシアはアメリカが率いるイラク駐留軍に派兵する意志がなく、貿易を拡大したり債務を軽減したりすることによってイラクを支援する準備があることを明らかにした。

セルゲイ・ラブロフ外相はイラクのホシヤール・ゼバリ外相との会談の後、モスクワとイラクが長く保ってきた関係を強化していくことを約束した。

こういう支援の方法もあり、それが通信社のトップニュースで伝えられるような重みを持つこと(=「顔の見える」国際貢献であること)を私たちはもう一度確認すべきである。これは、私たちの憲法の精神そのものではないか。軍隊によらない国際社会への寄与、平和の構築という理念は今も決してその有効性に翳りを見せていないことをこの記事は示している。

そのことを、よく小泉内閣に、国会議員の方々に、そして私の同胞たちに認識してもらいたいと、私は願う。平和憲法を持つ私たちの国がこの発言の主でないことを、本当に残念に思う。

2004年 7月 25日 午前 01:58 | | コメント (5) | トラックバック (1)

2004.07.24

過去を裁く

メキシコシティーで1971年に起こった学生運動弾圧・虐殺事件が、政府の調査委員会の手でその犯罪性を認められ、当時のLuis Echeverria 元大統領らが訴追されるらしい(BBC の記事)。当時は(そしてごく最近まで)メキシコでは PRI (制度的革命党)が強権的な政権運営を行なっていた。

私は1971年には既に生まれていて、その3年前に開かれたメキシコ・オリンピックについては若干の記憶があるが、この事件については全く知らなかった。6月10日に起こった事件で、「コーパスクリスティの虐殺」、「血の木曜日」と呼ばれるものらしい(Kate Doyle さんの記事で事件の詳細を知ることができる)。

ウェブでいくつかの年表などを見てみたら、1971年とは以下のような年であったことが分かった。自分で覚えているものをいくつか書き写してみた。

  • 京王プラザホテル開業(初台に住んでいたので覚えていた)
  • 富山地裁でイタイイタイ病原告側勝訴(リアルタイムではないと思うが、学級新聞で取り上げた覚えがある)
  • 井上順が「ピース」サインをやって、写真を撮るときにやるポーズとして定着(もしかすると日本の姿を大きく変えた出来事かも?)
  • NHKで「天下御免」放映(好きだった)
  • 「花嫁」「あの素晴らしい愛をもう一度」 (まだ、恋なんてしたことなかったけど)
  • 三里塚で強制代執行(こういうことに敏感な、ちょっと変わった子どもでした)

主に福士光二さんという方がお作りになっている年表から抜き書きしたものだが、私より少しでも年齢が上の人ならば、もっとずっと多くのことを記憶しているだろう。

以下は論理的に組み立てた話ではなく、自分の「感覚」に過ぎない。私は今、日本の男性の平均寿命の半分よりはちょっと上だけど、年齢別や性別の人口構成を考えると、たぶん、私あたりがちょうど「平均年齢」になるのではないかと思う。いわば「平均的な日本人」である。その私が、まだ幼かった1971年に起こったことで覚えているものは上に挙げたように、かなり限られてしまう。自分との同時代性を感じられるのはここらへんが限界である。日本の戦争犯罪など、もっと以前に端を発する事柄に対する批判や擁護には、ある意味で私は知性によってのみ参加することになる。「私には関係ない」と言う人が世に多いのも、分からないではない。

メキシコで33年前の政府の犯罪について訴追が行なわれるのは、社会全体の責任の取り方として、時間的な限界ぎりぎりといったところではないだろうか。その一方、20世紀前半に日本が犯した罪に関して、すっきりした解決への努力を怠ってきたツケを、私たちは今後どのように背負っていくのだろう。そして、これから来る世代にその負債を受け継がせることなどできるのだろうか。私はこの課題について、極めて悲観的である。

話は全く変わるが、1971年について調べているうちに、ちょっと気になるページを見つけたので、リンクをはる。神田理沙さんという人の「十七歳の遺書」という本を紹介したページである。

2004年 7月 24日 午後 10:40 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2004.07.23

チェ・ゲバラ

世の中にはきっと何人かは私と同じようなことをしている人がいるだろうと思う:私のケータイの着メロは「インターナショナル」、待ち受け画面はチェ・ゲバラだ。

"Just a pretty face?" ― イギリスのガーディアン紙に載った映画 "The Motorcycle Diaries" の評。映画の原作はもちろん、キューバ革命の英雄、エルネスト・チェ・ゲバラが若いころモーターバイクで南米を走り回ったころの日記、『モーターサイクル南米旅行日記』(日本語訳の出版元、現代企画室ラテンアメリカ関係書ページに紹介がある)。今年のカンヌ映画祭で好評を博したアメリカ映画である。

一応、この Sean O'Hagan さんの記事は映画評ということになっているが、この映画に関して語っている部分はごく小さい。(もちろん、私が着メロに「インターナショナル」を使っていることによってプロレタリア革命が起こる可能性よりはずっと大きい。)ほとんどは、チェの死後に彼の写真等が商業化されたことや、彼の生い立ち、彼のボリビア(一世を風靡したあの『ゲバラ日記』の舞台である)での死などについての話である。ボリビアでチェが拘束された時、カストロが救出を行なおうとしたが、ジョンソン米大統領との友好的な会談を終えたばかりのコスイギン・ソ連首相がそれを阻止したとか、チェがキューバ革命後、中央銀行の総裁に就任したのは、会議の席で「この中にエコノミストはいるか?」という問いを彼が「この中にコミュニストはいるか?」と聞き間違えて挙手したためだった、などの(チェが好きな人には)興味深いエピソードが満載である。

映画『モーターサイクル・ダイアリーズ』は、日本では10月に公開になるようだ。ここに解説があった。

2004年 7月 23日 午後 03:44 | | コメント (3) | トラックバック (2)

2004.07.22

業務連絡:7月下旬と8月上旬の予定

私のブログを読んでくださっているみなさま、本当にありがとうございます。コメントやトラックバック、メールをいただくことで、とても精神的に支えていただいています。(これも、おねだりです。ごろにゃーん。)

さて、1月にこのブログを始めて以来、毎日更新を続けてきましたが、これからしばらく、新しい記事をポストするのが不定期になりそうです。来週一週間は、まだネットのある環境にいますが、ふだんと違う場所で、ふだんと違う仕事を、ふだんよりも長くやることになっているので、どれくらいブログを書く時間が取れるか(というか、主に、伝えたいような話を読むことができるか)に自信が持てません。そして、8月に入ってからは、旅行に出る予定なので、たぶん、10日まで、全く更新ができないと思います。

また、今まで、できるかぎり深夜0時を回ったころに投稿してきたのですが、最近どうもその時間帯は、Nifty のサーバの反応が非常に遅いようです。(三日続けて、なぜか二重投稿になってしまい、それをまた消すのにも一苦労…)それもあって、更新するにしても、時刻は全く不定期に、適当な時間に行なおうと考えています。

私が精神的な不安定さを抱えて生きていることをみなさまに隠さずにきたため、急に更新が滞ったり、行動パターンが変わったりすると、ご心配をおかけするのではないかと思い、あらかじめお知らせしておくことにしました。

酷暑の折、また新潟や福井などにお住まいの方は、ことによると災害復旧にお忙しい折、みなさん、体と心には十分気をつけて、無理をしないようにしてください。

2004年 7月 22日 午後 05:24 | | コメント (0) | トラックバック (0)

無線LAN、情報家電に課税

無線LAN機器を購入する際に電波利用料の徴収を行なうための法改定を来年の国会に提出することを総務省が検討しています(The Japan Times の記事)。

報道記事があまり見つからないのですが、読売の7月20日の社説が総務省の電波有効利用政策研究会の考えとして伝えているのがこれでしょう。今月付けの電波利用料部会「最終報告書概要(案)~電波利用料制度の見直しについての基本的な考え方~」(PDF、341k)を見ると、無線LANの周波数帯は逼迫状況で、「土地の価格も東京の中心部と僻地では異なるのと同様に」この帯域での「電波の経済的価値はより大きい」という「市場原理」に基づいて、 「逼迫地域・帯域の電波利用者が」逼迫の「主たる原因者であり」 、利益を「一般国民よりも特に強く享受する可能性が高い」ことからも、「電波利用料を充てることが適当である」としています。(私は背景知識がないので、読み違えている可能性があります。技術や法制に詳しい方に読んで確かめていただけるとうれしいのですが。)

上のようにまとめると、個々人の負担を増やし、大企業の負担を軽くする新自由主義的な経済政策の典型のように見えますが、読売の社説が「消費者の負担が増えれば、情報化社会の進展が妨げられかねない。利用料の徴収は慎重に検討すべきである」と、批判的な態度を取っていますから、資本家側の目にもあまりいい提案とは映っていないようです。

利用料徴収を行なうと言っても、個人情報の把握を伴うわけではない(だろうと思う)のですが、管理統制の方向性を持った提案であることは間違いないので、自民党の主張している放送法の改定(政治的公平さを認可条件から外すというもの ― ある意味、現状追認のような気もしますが)と並んで、要注意な問題ではないかと思います。また、徴収方法については今後の課題ということになっているようですが、既に購入した無線LAN機器等は徴収の対象外になるのか、それとも、既に運用されている機器を含めて毎月の使用について徴収することも視野に入れているのか(もしそうなら、かなりの程度、個人情報の把握が必要なはず)、現実的にそんなことができるのか、など、疑問は尽きません。

ここまで書いて、スラッシュドット・ジャパンに記事と議論があるのを発見。こっちを先に見ておけばよかった。(ため息)

2004年 7月 22日 午前 12:12 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2004.07.21

リンダ・ロンシュタット + 私の気持ちの変化

Linda Ronstadt さんが先週の土曜日、ラス・ベガスでのコンサートで映画監督の Michael Moore さんを支持する発言(「彼は本当の愛国者だ」「彼は真実を伝えようとしている」)をしたところ、観客の一部が怒り出し、コンサートは途中で終わりになったというイギリス BBC の記事。(Michael Moore さんのサイトにも AP 電が。なぜかこの話、The Boston Globe、The New York Times、The Washington Post の rss では流れて来ませんでした。カテゴリー別になっているフィードの全部を講読しているわけではないから、見逃しているのかもしれません。それとも、リンダ・ロンシュタットさんはもう過去の人だから?)

同意できない発言に抗議して観客が会場を後にするのは自由だと思いますが、ポスターを破ったり、飲み物をぶちまけたりするのはよくないですよね。しかし、会場の所有者はロンシュタットさんの発言のほうを責めているそうです。それは間違っていると私は思う。(私のブログを読んでくださる方々の層を考えると、私も思う、と書くほうが正しいかな。)

記事は、また、 Elton John さんが「言論の自由を抑制しようとするアメリカ合衆国政府の“いじめ”を怖れて、スターたちはイラク戦争に反対する発言を控えている」と語ったとも伝えています。(私、エルトン・ジョンも好きだし、こっちの記事のほうを取り上げるべきだったかもしれません。)マイケル・ムーア監督の談話も大きく取り上げられていますが、私は彼の Fahrenheit 9/11 については、まだ意見が言えるほど知らないので、その部分は省略。

リンダ・ロンシュタット、58歳。記事には経歴が書いてありました。(なぜか、彼女が当時の民主党のカリフォルニア州知事 Jerry Brown さんと付き合っていたことは書いていない。それを知っていれば、彼女のこの発言だって、さほど驚くほどのことでもないのに。)私は、そんな説明が必要のない世代。中学だったか、高校だったかのころ、期末試験の途中だったけど、みんなと勉強してくると家族には言って、武道館までコンサート(前座はたしか Karla Bonoff さんだったと思います)を見に行った記憶が…

郷愁にふけるのは、明らかに歳を取った証拠ですね。ははは。(この後の部分、個人的な話が書いてありましたが、消しました。その結果、標題の「私の気持ちの変化」の部分がなくなってしまいましたが、まあ、いいや。)

Save me, free me from my heart this time. という力強い歌声で始まる、久しぶりに聞いたリンダ・ロンシュタットのアルバムYou just can't ask for more... と彼女が呟いて、終わる。昔だったら、この後、LP の上で針が空回りする規則的な音が聞こえていたはず。

2004年 7月 21日 午前 12:05 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2004.07.20

飛ぶ教室

「おこなわれたいっさいの不当なことにたいして、それをおかしたものに罪があるばかりでなく、それをとめなかったものにも罪がある。」

週末の移動に際して、廣松渉(1933-1994)の本と、衝動買いしたエーリヒ・ケストナー(1899-1974)の「飛ぶ教室」(1933)を携えて行ったら、案の定、疲れた頭は廣松渉にはすぐ音を上げてしまい、「飛ぶ教室」しか読めませんでした。上記引用は第七章に出てくるドイツ語の先生の言葉。同級生に対するいじめを制止しなかった生徒たちに宿題として五回ずつ書き取らせます。(戦争を止められなかった私たちは、何回書き取るのが相応でしょうか。)

何種類か訳が出ていて、子どもの時に読んだのがどれだか分からなかったのですが、高橋健二さん(1902-1998)訳の偕成社文庫版の著作権表示が1962年になっていたので、これだったのかなぁと思いつつ買いました。(今、調べたら、子どもの時に読んだのは岩波のハードカバーですね。こちらが1962年発行です。基本的には同じ訳文なのだろうと推察しています。)全体的に“翻訳調”が顕著ですし、「小学上級以上向け」と書いてありますが、現在のその年齢層の読者にはちょっと日本語が古すぎるのではないかと思いました。(例をいくつか:同級生が他校の生徒たちに拉致されたことを仲間に報告する生徒は「きみたちは、なにごとがおきたか知っているか。…クロイツカムはとりこになった。」と言い、この件をめぐって、両校の生徒は近くの「普請場」で決闘をします。学校に帰ると、先生は彼らに「きみたちはわんぱくものなりといえ、そのふるまいには非の打ちどころがない」と言って、罰を与えないことにします。)他の訳と比べたわけではありませんし、訳者を批判するつもりでもないのですが、子どもには感情移入がしにくい文体なのではないかと思いました。私は子どもの理性や感性をちょっと見くびり過ぎているかな。

“正義先生”の旧友、“禁煙先生”は、こう言います:「ぼくのような暮らしかたをする人間がすくなすぎるんだ。むろんぼくは、みんながみんな、あやしげな料理店のピアノひきになれ、とはいわないよ。だが、ほんとにたいせつなことをおもいだす時間をもつ人が、もっとおおくいてほしい、とおもうんだ。金と位と名誉なんて、子どもじみたものじゃないか! そんなものは、たかがおもちゃにすぎないよ。」

う~ん、本当に大切なことって何だろう。著者の伝えたかったものとは違うかもしれないけど、私は、「まえがき」の中に見つけた、以下の二つの文章をここに書き留めておくことにします。

何ごともごまかしてはいけません。またごまかされてはなりません。不運にあっても、それをまともに見つめるようにしてください。何かうまくいかないことがあっても、恐れてはいけません。不幸な目にあっても、気を落としてはいけません。元気を出しなさい!不死身になるようにしなければいけません!

かしこさのともなわない勇気は、不法です。勇気のともなわないかしこさは、くだらんものです! 世界史には、ばかな人びとが勇ましかったり、かしこい人びとがおく病だったりした時が、いくらもあります。それは正しいことではありませんでした。勇気ある人びとがかしこく、かしこい人びとが勇気をもった時、はじめて人類の進歩は確かなものになりましょう。

2004年 7月 20日 午前 12:07 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2004.07.19

那覇の夜間中学

RSS フィードを講読している琉球新報で、「夜間中学・珊瑚舎スコーレが資金難 代表者が支援訴え」という記事を読んだ。第二次世界大戦や戦後の混乱などが理由で学校に行くことが経済的にかなわなかったお年寄りなどを対象に沖縄で初の夜間中学として年間15,000円の授業料で読み書きや算数などの授業を開講しているが、経営が困難な状況になっており、寄付を募っているとのこと。

珊瑚舎スコーレのウェブサイトを見てみた。(夜間中学への寄付金の振込先も記載されている。)不登校の子どもたちのためのフリースクールなども運営するとても面白い学校のようだ。私自身、学校教育に関わっている人間であるが、「あらかじめ用意された知識や技術を身につけるための授業ではなく、生徒・教材・教員の三者の交流から生まれる力を育む授業」「日常生活では体験できない、ほかの価値には置きかえることのできない体験(授業)を通して自由と、自立と、そして平和をもとめる意思を手に入れるための手助けをする」などの理念には共鳴するところが多い。願わくば、在校生の声がもう少し読めるといいなと思った。(自分の学校のことを棚に上げた発言で反省中。)

2004年 7月 19日 午前 12:05 | | コメント (3) | トラックバック (0)

2004.07.18

梅雨と洪水

新潟の豪雨と洪水のニュースを毎日、驚きと恐怖を感じながら見ています。4年前、私の住んでいる名古屋でも洪水があり、腰近くまで上がった水の中を職場から宿舎(幸いどちらも高みにあるので無事でした)へ帰ったことを思い出します。

Islam Online というニュースサイトに、アジア各地の洪水の状況がまとめられていました。毎年のことながら、バングラデシュやインドの状況はかなりひどいようです。下の画像は IslamOnline.net のサイトにある Macromedia Flash 形式(swf 、90k)のニュース記事 "Southeast Asia Hit By Devastating Floods"にリンクしてあります。一画面目はバングラデシュで増水した川に渡した細い仮の橋を歩く子どもたちの写真が表示されます。画像右下のボタンをクリックするとここにキャプチャした画面になり、「被害の大きかった地域」の帯の中の白丸をクリックすると、各地の被害状況の説明が示されます。下に訳を(白丸を左から右に追って)示します。

  • パキスタン:北西部で洪水によって倒壊した家屋の下敷きになって5人が死亡。
  • インド・ビハール州:州全域にわたる洪水で少なくとも800万人が影響を受けた。7月14日に、避難のため増水したブリ・ガンダク川を横断中の舟が転覆した際、8人が死亡したと報じられている。
  • ネパール:少なくとも58人が死亡。10人が溺死、2人が首都カトマンドゥの南で土砂崩れの下敷きに。南部で家を失った人たちにヘリコプターで援助物資が届けられた。
  • バングラデシュ:6月以降、全国64地方のうち25地方が浸水し、300万人以上が孤立している。死者は55人で、その多くは子ども。北部からの激流で間もなく首都ダッカも部分的に浸水すると思われる。
  • インド・アッサム州:ブラフマプトラ川が決壊し、州都ガウハティが浸水。数百人が避難中。州全体で少なくとも500万人が避難したか孤立している。
  • 中国:過去3週間で、南部で豪雨のため数十人が死亡、行方不明者多数。
  • 台湾:台風7号(Mindulle、ミンドゥル)による崖崩れと洪水のため、少なくとも22人が死亡。
  • 日本:北部で豪雨のため街路が浸水したほか、土砂崩れが発生。少なくとも6人が死亡し、数千人が家を失った。新潟および福島地方でおよそ18,000世帯が避難を強いられた。

私は上の地図を見て、共通の痛みを通じ、国境を越えた繋がりを強く感じました。被害に遭った人々が一刻も早く安らかな夜を迎えられますように。

2004年 7月 18日 午前 12:00 | | コメント (2) | トラックバック (4)

2004.07.17

パブロ・ネルーダ

昨日はフリーダ・カーロについて書きましたが、今週は、もう一人のラテンアメリカの芸術家の記念すべき週でもありました。

パブロ・ネルーダ。数年前、映画『イル・ポスティーノ』で再び脚光をあびたチリの詩人です。1971年にノーベル文学賞受賞。新日本出版社の文庫本だったと思うのですが、中学に入ってすぐに、彼の詩集を読みました。1904年7月12日生まれ。Pablo Neruda というのはペンネームで、本名は Neftalí Ricardo Reyes Basoalto というのだそうです。没したのは1973年。その年の9月11日に起こったアジェンデ政権に対する軍事クーデター(映画『サンチャゴに雨が降る』の題材)の数日後だったそうです。

"As ideological disputes fade, Chile embraces poet's legacy" ― 先月下旬に The Los Angeles Times や The Boston Globe に掲載された記事では、クーデターで政権の座についたピノチェトが1990年に政権の座を追われた後、ネルーダはチリで再び国民的詩人として賞賛されるようになったこととともに、生誕百年の記念に向けて政府主催で準備が進んでいる様子が伝えられています。

"With More Pomp Than Literary Acclaim, Chileans Embrace Pablo Neruda at 100" ― ネルーダの誕生日当日の The New York Times 紙の記事は、国をあげての再評価が、彼の共産主義者として常に民衆とともにあろうとした姿勢などを無視して、明るい享楽主義者としての側面ばかり取り上げるものであったり、商業主義的であったりすることを心ある人々が心配していることを報じています。

いくつか、他にも見てみたサイトを記しておきます。

2004年 7月 17日 午前 12:05 | | コメント (8) | トラックバック (2)

2004.07.16

フリーダ・カーロ

メキシコの画家 Frida Kahlo の絵のいくつかが、没後50周年の記念に、彼女の家に里帰りする。フランスの Libération 紙の記事で知った。

フリーダ・カーロ(1906年7月6日生まれ、1954年7月13日没)は、メキシコシティー南部の Coyoacan 地区(リンク先は地図)、Londre 通りと Allende 通りの角にある青く塗られた家 "Casa Azul" で生まれ育った(地図の25)。すぐ近くには亡命し、暗殺されたレオン・トロツキーの家もあった(地図の24)。18歳の時、交通事故で重傷を負い、その後、家で療養しつつ、数多くの力強い絵、特に自画像を描いた。共産主義を信じた、情熱的な女性でもある。リベラシオン紙の記事の下のほうにある fridakahlo.it から、画像集などさまざまなリンクがたどれる。

初めて彼女の自画像を見た時、激しい心の動きを覚えたのを思い出します。そのせいか、私が生まれてくる前に彼女が既に亡くなっていたというのが、今ひとつピンと来ません。

2004年 7月 16日 午前 12:15 | | コメント (0) | トラックバック (1)

2004.07.15

読書の衰退

アメリカで読書という営みが急激に衰退しているという The Chritstian Science Monitor の記事。過去20年間に人口が4千万人増えたのに対し、文学を読む人は60万人しか増えていないという National Endowment for the Arts調査報告を紹介している。

読書人口の減少は、特に若年層で顕著であるものの、人種、年齢、所得、宗教などを問わず人口のすべての範疇で観察される。文学を読むのは成人の半数未満に過ぎず、男性ではほぼ3分の1でしかない。テレビ視聴の時間は、読者と非読者でさほど大きな差はないらしい。想像力や共感する力の衰えを心配する声も紹介されている。また、本を読む人のほうが読まない人よりも倍以上の確率でコンサートに行ったりボランティア等の活動に関わったりしているという。(上にリンクを示した NEA の要約記事を見ると、読書率と所得にはかなり相関があるように見受けられる。)

読書の衰退を招いた原因としては、教養や文化の定義が多様化し、何を読むべきかという一致点が見出しにくくなっていることなどが挙げられている。読書が衰退したといっても、読むという行為自体が減ったわけではなく、ウェブなどの新しいメディアに移っただけだとの意見もある。また、ブログ、自分史などが盛んになるに連れ、創作の機会は10年前よりも30%増加している(どういう計測法を採ったのかは記事からでは分からない)ほか、CD、DVD などの導入により、図書館の利用率も20%上がったという。

日本ではどうなのでしょう。小説の売り上げ記録が更新されたと言うし、芥川賞や直木賞はけっこう盛り上がっているし、電車の中でも、一時期はケータイをいじっている人ばっかりだったけど、文庫本とかを読んでいる人を最近多く見るようになった気もしますが…

2004年 7月 15日 午前 12:09 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2004.07.14

「インドで考えたこと」

堀田善衞さんの「インドで考えたこと」(岩波新書)を読みました。ほぼ半世紀前のインド紀行です。アルンダティ・ロイさんの本を読んだ後、インドのことがやけに気になってしまって…というわけではありませんが、先日、驟雨に遭い、雨宿りのために古本屋に入ったら、この本が私を待ちかまえていました(うっ、感傷的すぎる表現)。堀田さんの本を読むのは、「広場の孤独」以来、二十数年ぶり。

この本が書かれたのは1957年ですから、サンフランシスコ講和条約で日本が独立してまだ5年ほどのころのことです。私は今までこの本を直接読んだことはなかったけれど、子どものころに聞き知ったインドの原風景がここにあるような気がしました。今なら「地球の歩き方」にでさえもっと気の利いた記述を見つけられるような部分も含んだ本ですが、たぶん、ピンホールカメラのように、当時の日本人にインドの姿を投影して見せてくれる数少ない窓だったのだろうと思います。

青年が私に云う。
「われわれは貧しい。しかし五十年後には―」と。
五十年後の日本―私はそんなものを考えたこともないし、五十年後の日本について現在生きているわれわれに責任があるなどと、それほど痛切な思いで考えたこともない。われわれは日本の未来についての理想を失ったのであろうか。

老人は、日本についての記憶をぽつぽつと語り出した。
「日露戦争以来、日本はわれわれの独立への夢の中に位置をもっていた。しかし、日本は奇妙な国だ。日露戦争に勝って、われわれを鼓舞したかと思うと、われわれアジアの敵である英国帝国主義と同盟を結び、アジアを裏ぎった。工業建設をどしどし推し進めてわれわれの眼をみはらせてくれた。が同時に、その工業力を、英国帝国主義と同じように使い、英国がインドに要求したと同じような、タナカ・メモリアル(対支二十一ヵ条要求のこと)を中国につきつけた。つい近頃では、米英の帝国主義を叩きつぶし、植民地解放をやろうとしてくれた。が、それと同時に、その旧植民地を日本帝国主義の植民地としようとした。不思議な国だ。戦後には、アジアで英国支配の肩替りをしようとするアメリカと軍事同盟を結んだ。つくづく不思議な国だ」

著者がバスでいっしょになった人たちと交わす会話です。ほぼ50年が経った今、このやり取りを心の中で反芻してみると、遥か昔の会話のようでもあり、また、同じ会話が今日なされたとしても全く奇異には思えないようでもあります。

このほかにも、いくつもいくつも印象に残る記述があったのですが、二つだけ引用します。一つめは、インドの国民的詩人タゴールが第一次世界大戦後に日本に対して警告として発した言葉。

「道徳的盲目を愛国主義の儀式として、熱心に培養する国家は、突然の横死をもって存在を終るだろう。」

もう一つは、植民地主義の搾取の後遺症にあえぐインドの当時の首相ネルーが非同盟路線を選択し、それを国際社会に強く訴えていたことについて、堀田さんが評した言葉です。

インドが、貧しければ貧しいほど、矛盾が多ければ多いほど、経済的にも政治的にも文化的にも矛盾のかたまりであればあるだけ、これらの難題を解決するために、そのために世界の平和を事実として必要とし、大国のエゴイズムとそのいがみあいがあればあるほど、建設がおくれ国民の不幸が大きくなるとすれば、ネルーならずとも誰であれ、大きな声を出したくなるのはあたりまえではなかろうか。

半世紀の時間を経て、インドも日本も、世界も、大きく変わったように見えます。しかし、そのわりには、この本の中で堀田さんが提起した問題は今日のインドにも日本にも、世界にも、そっくりそのまま当てはまるように思えます。何が変わり、何を変えることができなかったのか。安直には過ぎますが、私もインドに行って考えてみたいと思いました。

2004年 7月 14日 午前 12:04 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2004.07.13

外国語学習者の数

アメリカの大学でアラビア語を学ぶ学生が増えているという記事。1998年秋学期から2002年秋学期にかけて、学習者が倍増したそうです。9.11 やイラクとの戦争の過程で、政府機関でアラビア語を使える職員が不足していることが明らかになったため、就職に有利だと考える学生が増えたのでしょう。Modern Language Association の調査によると、アラビア語を受講している大学生は約10,000人。「増えたと言っても、受講者の10分の1がなんとか使えるレベルに達するようなものだから、一年に1,000人というわけだ。喜んでいい数字ではない。政府はもっと学校へ資金援助をするべきだ。」といったコメントが紹介されています。

MLA のサイトで、言語別の学習者数調査の結果(PDF, 106k)を見てみました。下に示すのは最新の、2002年秋の数字です。いくつかに分けて集計されているもののうち、言語別の実数が記載されているものを中心にして、別の表でラテン語、(古典)ギリシャ語、その他言語のパーセンテージが示されていたものがあったので、それら三項目の概数を括弧入りで示しました。合計にはそれら三項目の学習者数は含まれていません。また、ヘブライ語の学習者数は聖書ヘブライ語と現代ヘブライ語を合わせたものだとのことです。全米の高等教育機関のほぼすべてから回答を得たとされています。

言語 学習者数
スペイン語 746,267
フランス語 201,979
ドイツ語 91,100
イタリア語 63,899
手話(ASL) 60,781
日本語 52,238
中国語 34,153
(ラテン語 30,000)
ロシア語 23,921
ヘブライ語 22,802
(ギリシャ語 20,000)
アラビア語 10,584
ポルトガル語 8,385
韓国語 5,211
(その他 25,000)
1,321,320

日本語学習者は1990年代に入って減り続けていたのですが、1998年から2002年にかけては、2割ほど増えたようです。先ほど、アラビア語は、10人に1人ぐらいしか、ものにならないという話を紹介しましたが、日本語はいい教科書があるので、もう少し数字がいいでしょう。(笑)

実は、私は英語話者向けの日本語教科書の著者です。(ここで売っています。「げんき」という本です。日本語を勉強したがっている人がいたら、よかったら、教えてあげてください。教室学習用なので、あまり自習には向いていませんが。)売り上げ部数から推測すると、市場シェアはまだ3位かなぁ。もしかすると2位かも。ま、ナンバー・ワンよりオンリー・ワン(笑)。オノ・ヨーコとジョン・レノンのベトナム反戦運動の話が載っている教科書はたぶんこれからも他には出ないだろうし… それが嫌で採用しなかった学校があるというのも聞いたことがありますが、悔いはありません。

2004年 7月 13日 午前 03:01 | | コメント (7) | トラックバック (1)

2004.07.12

選挙結果

ニュージーランドで先週の土曜日に国会の補欠選挙があり、先住民の政党 Maori Party が初の議席を獲得しました(The New Zealand Herald の記事)。当選した Tariana Turia さんは、四月に労働党政権の閣僚ポストから辞任し、国会の議席を失ったばかりの人です。(すみません。ニュージーランドの政治の仕組みも、大臣辞任につながった政策の内容も、あまり理解せずに書いています。)

目の前の事実(参議院選挙の結果)から目を背けるつもりはないのですが、「二大政党制の流れ」とかいう掛け声は、なんとも胡散臭いものだったなあ、という以上の感想が今のところありません。ニュージーランドだけでなく、ほぼ二大政党でやってきたアメリカ合衆国ですら、1980年の John Anderson から Ross Perot、Pat Buchanan、今回の Ralph Nader など、3人目の大統領候補の存在がごく普通のことになってきているのに。今回の選挙は、この掛け声に流されたところが大きいのではないでしょうか。

選挙のたびに感じるのは、テレビや新聞の「中央集権」がなんでこんなに強いのだろう、ということです。いろいろな国でどういう状況なのか調べてみたいところですが、私の住んだことのある国、アメリカでは、テレビ局も新聞社も、国、州よりもさらに小さい郡の単位で運営されています。日本では一番小さい単位でも県ではないでしょうか。(北海道とかは違うかも。)小さい、地域に密着したメディアがあると、地元選出の議員の議会での投票動向まで把握することができます。日本に帰ってきてから、自分の選挙区の議員の名前さえ把握しにくいことに戸惑いました。

政治改革より、メディア改革が必要なのかなあ、などと思ってしまいます。ブログという仕組み、もっとそんな方向に伸ばしていけそうな気もします。

2004年 7月 12日 午前 01:14 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2004.07.11

撮影禁止

外務省の海外安全ホームページでアメリカ合衆国の項を見ても載っていないようだが、アメリカ国内で橋や交通機関などの写真を撮影すると面倒なことに巻き込まれることが増えているようだ。

先月末には、イランの国連代表団関係者がニューヨーク市内でセントラルパークやタイムズスクウェアなどでビデオを撮っていたところをFBI捜査官に咎められ、スパイ容疑で国外追放になった(The Washington Post 紙の記事)。

シアトルでは地元の大学生が橋や公園の写真を撮っていたところ、警察と連邦政府の国土安全保障省から取り調べを受ける事件が起こっている。Brown Equals Terrorist は、この事件の当事者 Ian Spiers さんのブログ。ページの上部にリンクがある Artist Statement に事件の顛末が記されている。(Metafilter など、いくつかのところで取り上げられているのを見た。)

アメリカ(の政府?社会?)が異様に神経質になっているな、と対岸の火事のように考えていてよいとは思えない。

2004年 7月 11日 午前 12:08 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2004.07.10

ザルカウィと私

イラクがアルカイダと関係を持っていたとするブッシュ政権の思惑に沿う形で、5月ごろには「国際テロ組織アルカイダ幹部のザルカウィ氏」「アブムサブ・ザルカウィ氏率いるアルカイダ系組織」といった表現が新聞によく見られていたが、だんだん事情が明らかになるにつれ、「アルカイダとつながりがあるとされる」とか「アルカイダとの関係が指摘される」といった曖昧な表現になり、ようやく、彼の率いる組織がアルカイダとは違う独自のものであることが報じられるようになってきた。 Informed Comment に掲載された元国防相分析官の David C. Wright さんの記事によれば、ザルカウィは一度もアルカイダの組織に加入したこともなく、また、彼からの資金援助の要請にアルカイダが応じたこともないという。

そもそも Abu Musab al-Zarqawi が Al Qaeda と関係があるのではないかと考えられたのは彼が 80 年代にアフガニスタンに行き、訓練を受けたことによるが、Wright さんは、この時期アフガニスタンに侵攻していたソ連軍に敵対する勢力を養成するために資金援助を行なっていたのはレーガン政権下のアメリカ合衆国に他ならないことを指摘している。

Wright さんはまた、イラクでのレジスタンス勢力による爆破事件などに関しても、国防省やCIAはアルカイダの関与を主張しておらず、そのような発言はブッシュやチェイニーたちだけが政治的な意図で行なっているものだと述べている。

サルトルは『ユダヤ人』の中で、反ユダヤ主義者の思考形態を善悪の二元論を唱えるマニ教に喩えたが、おそらくブッシュやチェイニーの頭の中では、アルカイダという集団が反米的な人々の集合とほとんど変わらない外延を持っているのかもしれない。

同様なことは、特定船舶入港禁止特措法に関して、「こんな法律を通したら北朝鮮は怒るという評論家や学者、コメンテーターがたくさんいましたね」という観察から一気に「北朝鮮はいろんな圧力を使って、いろんな工作をした。新聞、テレビに工作した。おそらくたくさんのお金を使った」という結論に飛躍する自民党の安倍晋三幹事長などの考え方についても言えるだろう。(安倍発言は asahi.com の記事より。)経済制裁に反対する私の考えを彼に説明したら、きっと彼は私も北朝鮮の工作員だと信じるに違いない。

そういえば、最近、青空文庫 あおぞらぶんこ の掲示板で、私がイスラム教国によく旅行し、「ア」のつく組織の工作員だと自己紹介したのだけれど、だれもツッコミを入れてくれなかった。(ぐすん。) 「ア」で始まる組織って何か、誤解されていないかちょっと心配。

2004年 7月 10日 午前 01:10 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2004.07.09

戦争の始まった日

"Wartime survivor recalls childhood without joy" ― 「七・七事変」(蘆溝橋事件)の日に中国の人民網(人民日報のウェブサイト)の英語版に掲載された回想手記。日本語版では見つけられなかった。

1937年7月7日、当時まだ5歳だった著者は日本軍による天津空爆を経験する。爆撃が終わると、すぐ日本兵がやってきて、人々に銃剣を突きつけながら、家の中を調べて回った。翌日、知人の助けによって、著者の一家はイギリス人居留地に避難し、著者は終戦までそこで過ごすことになる。日本がアメリカと開戦した後は、イギリス人居留地も日本軍が占領した。治安の改善を口実に多くの人が投獄され、殺害された。食料の配給はどんどん悪くなり、穀物の代わりに、雑草や木の皮などが混ぜられた小麦粉が配られるようになった。赤痢などの伝染病にかかると、まず心配するのは日本人にそのことを知られないようにすることである。感染者だと知られれば殺されてしまうから。著者の場合、病気が慢性化して、今でも健康を損ねている。学校では日本兵のもとでの軍事教練や、日本語の授業が必修となった。生徒が労働にかり出されることもあった。

国交が回復した後、北京の街にも日の丸がまた見られるようになり、著者自身、会って話した多くの日本人はとても親切で友好的だという印象を持っている。しかし政治家などで反省や謝罪の姿勢を全く見せない者もいる。著者は「中国の若者は、歴史をしっかり記憶し、油断せず、日本の軍国主義に警戒し、二度と悲劇が繰り返されないようにしなくてはならない」と結んでいる。

戦時中の日本の7月7日の様子を垣間見るには、太宰治の1943年の短編、『作家の手帖』(リンク先は青空文庫のファイル)が興味深い。この作品が、時の権力にすり寄る意図で書かれたのか、それとも天皇制ファシズム・軍国主義思想の洗脳が市井の隅々にまで行き渡っていたことを示すのかを私は知らないが、平坦な見かけのわりに実は緻密な構想のもとに書かれた作品のようにも思える。そして、これは漠然とした印象であるのだけれど、今後、このような作品が再び多く書かれるようになるのではないかと、私は心配する。

先ほどの記事の末尾に書かれた「歴史をしっかり記憶し、油断せず、日本の軍国主義に警戒し、二度と悲劇が繰り返されないようにしなくてはならない」という言葉。この忠告に耳を傾けるべきなのは中国の若者たちだけではない。

2004年 7月 9日 午前 12:02 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2004.07.08

新妻さんの本

新妻さんの本といっても、覆面作家こと新妻千秋さんのことではない。韓国に住む田上陽子さんという人の『新妻、陽子ちゃんの韓国暮らし(새댁 요코짱의 한국살이)』という本である。OhMyNews 英語版に書評が載っていた

韓国の男性と結婚し、ソウルに移り住んだ田上さん。彼女が日々体験したカルチャーショックを四コマまんがでユーモラスに描いたものらしい。インターネットで連載されて人気を博した後、今年になって紙の本として出版された。韓国のおばはん(アジュンマ)たちのパワフルぶりや、バスを降りる時の習慣の違い、市場の活気、食べ物の辛さなど、彼女の感じた素朴な驚きを、愛を持って、素人っぽい絵で描いているところが人気らしい。

評者の Kang Ji Yi さんは、陽子さんのようにお互いの違いを尊重しあう前向きな態度を両国の人間が持ち、少しずつ理解を深めていけば、もっと多くの日本人が過去の不正と率直に向き合ってくれるのではないかと結んでいる。辛抱強い、愛のある書評だと思った。

イノライフの書評コーナーにも紹介があった朝鮮日報(日本語版)にも、まんがが連載中の時の話が。また、Callgate01 さんという方の Open Sesame!! というブログに記事があるのを見つけた。

2004年 7月 8日 午前 12:12 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2004.07.07

スーフィとワッハーブ

中東から来た留学生などに「スンニ派とシーア派の違いって、カトリックとプロテスタントみたいなものでしょ?」と聞くと、「もっとずっと小さな違いだ」という答えが返ってくる。過去十数年、何人もに聞いてみたが、それ以外の答えを聞いたことがない。だから私には、ブッシュ政権や小泉政権が主張するように、イラクから多国籍軍等が即時撤退したら両派の間に救いようのない内戦状態が出来するだろうとは思えない。もちろん、宗派が違うということは何らかのわだかまりがあるということなのだろうが、それを駐留継続や不完全な主権確立の根拠にすることは許されないだろうと考えている。

A Leonardo, Not a Luther ― カリフォルニアに住むムスリム、Stephen Schwartz さんによる記事。イスラム世界の歴史や将来を論じ、キリスト教世界の歴史とのパラレリズムを呈示している。題名は、イスラムに今後必要なのは宗教改革ではなく、文芸復興だ、という意味である。ここでは、Schwartz さんの論旨を逐一要約することはしないが、スンニ派とシーア派の差異よりももっと重要そうな二分法が呈示されているので、その点のみに注目したい。

Sufism と Wahhabism ― スーフィズムは、通例、イスラム神秘主義と特徴づけられ、ワッハーブ派は新興の原理主義運動だと説明される。後者はまた、サウジアラビアの建国理念、国是である。スーフィはより寛容であるのに対し、ワッハーブは禁欲主義的である。それはあたかも、カトリックのミッションを中心に発展したカリフォルニアとピューリタン的なニューイングランドの差のようでもある。

う~ん、記事の選択と切り取り方を間違えたようで、いろいろ書いたり消したりしていますが、どーも納得がいかない…

2004年 7月 7日 午前 12:02 | | コメント (1) | トラックバック (0)

2004.07.06

蒋彦永さんの不当拘束に抗議する

昨年、SARS 感染の拡大を公表して中国当局の不興を買った蒋彦永(Jiang Yanyong)医師が一か月以上、当局に不当に拘束されている(Reuter 電)。Jiang さんは2月に、天安門事件が反革命的であったとする政府見解の見直しを求める書簡を政府当局に送りつけていた。現在、拘束先で思想教育を受けさせられていると伝えられている。中国語では、大紀元というサイトに詳しい情報がある

Amnesty International によれば、蒋さんは天安門事件当時、北京の病院に勤務しており、その夜、一夜で 90 人以上の負傷者を治療したらしい。政府宛の公開書簡には、当局が「戦車や機関銃などの武器を使って全く武装していない学生や市民を弾圧し、…罪のない学生を殺害した。…15 年が経った今、当局は人々が徐々にこの事件のことを忘れていくだろうと期待している。しかし、現実には反対に、人々はより落胆し、より憤激しているのである」と書かれていたという。

微力ながら、そして遅ればせながら、蒋彦永さんの解放と、天安門広場での虐殺の真相究明を訴えたいと思います。

今年の2月に立川の自衛隊官舎で派兵反対のビラを配布して住居侵入で捕まった人たちのことを思い出しました。75日間の拘留の後、5月11日に釈放、現在公判中(今週木曜日、8日に第4回公判)とのこと。立川反戦ビラ弾圧救援会のサイトにリンク

2004年 7月 6日 午前 05:25 | | コメント (2) | トラックバック (0)

2004.07.05

恋文と著作権

James Joyce (1882-1941)が書いた恋文が競売に出されている。非常~に艶めかしいものらしい。60,000 ポンド程度で競り落とされるのではないかと言われている。ジョイスの兄弟の遺族がサザビーに出品したものだが、ジョイスの孫がプライバシーおよび著作権の侵害で競売の阻止を訴えている(The Guardian 紙の記事)。

ちょっと分からないのは、この手紙が 1915 年にイタリアのトリエステでジョイスとその恋人のノラによって保管を託されたものであるので「イタリアの法律ではジェームズの兄弟スタニスラウスの遺族には所有権はない」と孫の側が主張していることである。イタリアでは著作権保護期間は死後 70 年だからか?(ジョイスの故国、アイルランド共和国では、保護期間は 50 年である…と思う。確証なし。)

話は変わるが、ジョイスの代表作 Ulysses を一日一ページずつ rss で配信するサービスがある。二年間ほどで読了できるとのこと。眠れない夜の続く人にお勧めします。

2004年 7月 5日 午前 05:02 | | コメント (0) | トラックバック (1)

2004.07.04

イラク戦争における外国人の強制労働

イラクの米軍基地食堂や工事現場で働く外国人労働者たち。インド、パキスタン、フィリピン、韓国などから来た彼らは、斡旋業者が約束していた条件とは全く違う劣悪な労働条件下で働かされている(The Washington Post の記事)。

Halliburton 社の子会社 Kellog Brown & Root 社が五層におよぶ斡旋業者を仲介して雇用したインド・ケララ州出身の Dharmapalan Ajayakumar さんの場合、1,800 ドルもの斡旋料を支払って月給 200 ドル、二年契約のクウェートでの仕事に応募したが、実際にはイラク・モスル近郊の米軍基地に連れていかれた。兵士たちの食堂での仕事だが、食べ物もろくに与えられず(残飯を食べてしのいだ)、十分に浄水されていない水を飲まされ、空調設備も全くない酷暑のテントに押し込まれて暮らすことを強いられた。病気になってもろくな治療も受けられず、砲撃を受けた時、兵士たちは安全な場所に待避したのに、彼らはパジャマ姿で屋外に放置された。労働時間は日に 16 時間に及ぶこともあったし、ヒンズー教徒が牛を、イスラム教徒が豚を扱わされたりもした。パスポートは上役に取り上げられていた。

Kellog Brown & Root 社を通じて、このように雇用されている労働者は 38 か国から、 3 万人にも及ぶ。何層にもわたる仲介業者を経て雇用されているので、こういった詐欺的で人を人とも思わぬような扱いも、大元の雇用主である軍部などが把握することはほとんどない。

20 世紀前半の日本で「韓国人の強制連行はなかった」とか、「従軍慰安婦を軍が徴用した事実はない」などと言う人たちは、Ajayakumar さんたちが経験したような、実態を覆い隠すような複雑な雇用の仕組みなどを調べ上げた上で証拠がないと主張しているのではないだろうと思う。Ajayakumar さんたちに対して、また日本軍で性奴隷にされたと訴える人たちに対して、事実関係をすべてお前たちの手で解明してみせろ、そうでなければ証拠不十分で取り合わないぞ、というのは強者の驕りでしかない。

2004年 7月 4日 午前 05:44 | | コメント (4) | トラックバック (0)

2004.07.03

原発の夏、緊張の夏

今年の夏は暑くなりそうですよね。電力供給は大丈夫なのだろうか… 去年はひび割れなどを隠蔽していたことが明るみに出て原発が止められていて、夏のピーク需要に耐えられるかなどと言っていたら、予想外の冷夏で、めでたしめでたし、とかいう話だったと思うのだけれど。

Amory Lovins の『ソフト・エネルギー・パス(Soft Energy Paths)』(冒頭部分をウェブで発見)が話題になっているころ大人になったので、私はその影響を強く受けているのだけれど、今日まで原子力発電について一つ大きな誤解をしていたことに気が付きました。

私は子どものころから、「石油は遅かれ早かれ枯渇するから、その後のエネルギー源として原子力発電を研究開発しているのだ」と信じていました。でも、経済産業省資源エネルギー庁のサイトを見ると、ウランって石油より20年しか長く保たないんですね。もちろん、石油と違ってパッと燃えて終わりじゃなくて、じわじわエネルギーに変わるのでしょうが… なるほど、確かにこのサイト全体を見渡しても、将来的に有望というわけではなく、二酸化炭素の排出量が少ないというのを主な長所としているように見えます。

このQ&Aの「原子力発電所に飛行機が墜落しても大丈夫ですか」の項は、9.11 後の時代には書き換えが必要かも。いや、ウェブページを書き換えても何も問題の解決にはならないのでしょうけれど。

2004年 7月 3日 午前 07:07 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2004.07.02

壁に関する小さな(小さすぎる?)勝利

イスラエルの高等裁判所は、パレスチナとの間に建設中の分離壁全長約680kmのうち32kmがパレスチナ人の耕作地に住民が入れなくなるような位置に建てられているなどの理由で人道法、および国際法侵害であるという判決を下した(The Boston Globe など)。他に少なくとも20の同様な集団訴訟が行なわれているので、シャロン政権には大きな痛手である。

提訴した住民はこの判決を歓迎しているが、パレスチナ自治政府の Ahmaed Qurei 首相は「壁が現状の位置にあろうと、別の場所に建て直されようと、ベルリンの壁と同様にたたき壊されなければならないことには変わりがない」と冷ややかに分析している。

日本でパレスチナ問題を詳細に追っている P-navi info の記事も、「イスラエル最高裁が「壁」のルート一部変更命令を出して、そのことはやたらと報道されているが…」とし、伝えられない現実にもっと目を向けるべきだとして、パレスチナの人々を威圧するような高い壁の写真にリンクを張っている。

Middle East Media CenterPalestine Media Center は詳報 。Palestine News Agency (WAFA)Electronic Intifadah には今のところ記事はない。

私はけっこう、このような小さな前進にうきうきしてしまうほうなのだが、大局的な視点を持つのは、なかなかむずかしいものだと実感。

2004年 7月 2日 午前 12:36 | | コメント (1) | トラックバック (1)

2004.07.01

インドの農業と三菱の車

数日前、アルンダティ・ロイさんの本を読んで日本とインドの間に様々な類似点があることに気が付いたことを記しました。ノーム・チョムスキーさんのブログでインドの週刊誌 Frontline の記事が紹介されています。そこから看て取れる状況も、日本と似ていると言えるかもしれません。

An Agrarian Tragedy ― インド南東部のアンドラ・プラデシュ州などで農民の自殺が急激に増えている。「干ばつのせいだ」と言われるが、治水のよい農村でも自殺者が出ているので、その見方は正確ではない。自殺者の大半は法外な利息を取る金融業者に借りた金を返せなくなった零細農家である。市場の自由化政策で農家への公的援助が次々と打ち切られたことにより、大農家から農地を借りたり植えつける種を買ったりするために無理な借金をする農家が増えているが、州政府は何ら効果的な対策を講じていない。また、規制緩和によって市場に出回る種の質が悪くなっていることも零細農家の負担に追い打ちをかけている。(この記事の他にも、 Frontline の7月2日号には、Andhra Pradesh の貧農たちの苦境に関する記事が数編 Cover Story のセクションに掲載されている。)

アンドラ・プラデシュの農民たちは、市場競争を最優先する新自由主義的な政策、そしてグローバリゼーションの圧力によって殺されつつあるのである。

表面的な類似点をことさらに強調するつもりはないのですが、自殺が増えていたり、高利金融業者が繁盛していたり、商品の品質が劣化していたり―昨今なら、だれもが三菱系の自動車のことを思い浮かべるでしょう―という状況は日本も全く同じではないでしょうか。グローバリゼーションや市場原理に基づく構造改革は大企業を利するだけ。このことは、もっと痛切に感じられてもいいはず…

私は経済のことに疎いので、「今さら」な感想かもしれませんが、これを書きながら、三菱みたいな大企業でも競争で苦しんでいるんだよな、とも思いました。そして、きっとこれから下請け、孫請け会社への負担がどんどん強まるのだろうな、と考えました。もしかすると今だって部品を作る時に無理な価格でやっているのかもしれないし… インドとの心理的距離がぐっと縮んだ気がしています。

2004年 7月 1日 午前 12:04 | | コメント (0) | トラックバック (0)

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