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2004.06.27

覆面作家

イギリスの雑誌 Prospect に掲載された Jo Tatchell さんの論考より。「覆面作家」といっても、北村薫さんの話ではない。

その覆面作家は、1990年代初めごろに本業のほうが芳しくなくなって以来、内向的になり、現実世界での不安や焦燥を埋め合わせるかのごとく、自分の理想としていた世界を再現しようと小説を書きはじめた。彼のデビュー作は2000年に出版されベストセラーとなり、その後の4年間に出版された3冊も、すべて成功をおさめたという。しかしその一方で本業のほうを疎かにしていたため、危機が訪れた時、彼もその部下も何ら為す術を持たなかった。

今、彼は独房に収容され、裁判を待つ身である。獄中で5作目となる作品を執筆中だと言われている。つい先日、家族の元に短い手紙が届いたが、そこにはその作品についての言及はなかったようである。その国の現在の政治状況を考えれば、出版されない可能性のほうが強いだろう。

彼のデビュー作は『ザビバと王』と題された寓話的なロマンス小説だった。美しい女、ザビバは意に反した結婚のため不幸せであったが、ある時、王と出会い、二人は恋に落ちる。王はやがて執政上の不安などについても信頼するザビバから助言を求めるようになる。ある夜、王宮からの帰り道でザビバは顔を隠した男に襲われてしまう。彼女を襲ったのが実は彼女の夫であったことを知った王は戦いの中でこの男を殺し復讐を果たすが、平和が戻った時、ザビバもまた既に息絶えていた。間もなく、宮殿での役人たちの会議の場に現れた使者により王が死んだことが伝えられ、この小説は幕を閉じる。

覆面作家の名はサダム・フセイン。王は著者自身の投影、美しいザビバは彼が愛するイラクであり、その非道な夫はアメリカである。Tatchell さんは、描かれた戦いが1990年の湾岸戦争であるとしているが、私は、それが予期された2003年の戦争の寓意だと見るほうが適当ではないかと思う。ザビバと、その夫と、王の三者がすべて絶命する幕切れは、制裁、戦争、占領によるイラクの荒廃と、数々の不正によるアメリカの信用失墜と、サダム・フセイン自身の失脚を指し示しているとは考えられないだろうか。

若干サダム・フセインに肩入れした書き方になってしまったが、もちろん、私は彼の独裁や人道上の罪を擁護するつもりは毛頭ない。彼が真摯に自分はイラクを愛していると信じていたとしても、その愛の基準は独善的で、愛し方は歪んだものであったと言えるだろう。ただ、忘れてならないのは、この小説には書かれていないこと、つまり、王とザビバの夫とはある時期まで盟友関係にあったということである。

2004年 6月 27日 午前 12:07 | | この月のアーカイブへ

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