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2004.06.03

黙して肩を組む

A Global Witness という、社会的な運動に力点を置いたキリスト教プロテスタント教会系のウェブサイトを見つけた。名古屋柳城短期大学講師の市原信太郎さんが A Simple Focus on Respecting Life という題で記事を寄せている。

市原さんの記事の前半は、第二次世界大戦を知らない世代が多数を占めるようになって以来、特に1991年のカンボジアPKO派遣以降に、憲法第9条を反故にして「普通の国」であるべきだと考える人が増加を続ける傾向にあったが、特に9.11以降、軍事化が急速に進んだことや、戦前と変わらぬ「国旗」や「国歌」の強制が始まっていることを手際よくまとめている。英語話者に手っ取り早く日本の現状を知ってもらうために紹介するのによさそうである。

記事の後半では、派兵阻止の行動の際に知り合ったホームレスの元自衛隊員の言葉が紹介されている。その男性は弟がいまも北海道で自衛隊員をやっており、「もし知り合いのだれかがイラクで死んだら、なぜ派兵を阻止しなかったのか自分はものすごく後悔するだろう」と語る。市原さんは、この男性が貧しく、身の回りに何も持たないがゆえに、「生」に意識を集中させることができていると分析する。そして、キリスト教の牧師である市原さんは、生命の尊重という一点に焦点をあてることによって、日本の人口のわずか1%に過ぎないクリスチャンたちが、信仰や境遇は異なっても、同じように「少数者」であるさまざまな人たちと連帯し、大きな力を形作っていけるのではないかと述べている。

市原さんの意見は、ナイーブにすぎるようにも思われる。「生命の尊重」という大まかなテーゼにしても、例えば、女性の選ぶ権利としての妊娠中絶を否定する人と心やすく肩を組めるかと聞かれたら、私も躊躇を感じてしまうだろう。(「生命」という語の意味について共通理解があるか、不安だからである。)しかし、信頼と平和の未来を築くために、必ずしも志や党派性が同じではない人たちがいっしょに行動していかなくてはならないことも明らかな事実である。

イデオロギー、階級、宗教、民族、ジェンダー。自分に近しい人たちとの絆を深め、他者と弁別するための語は豊富に用意されている。世界が象徴の体系であり、意味作用が差異によってのみ産み出されるのであれば、これらの能記(シニフィアン)と結ばれない所記(シニフィエ)を、私たちは分析対象として指し示さなくてはならない。それは言葉の迷宮に住み、戦争という粗野な暴力に対抗するために言葉の力を最大限に活かしていかなければならない私たちにとって、予想外に難しいことかもしれない。一つの抜け道は黙ることである。黙して肩を組む。討議は必要だ。一人でも多くの人に声をかけることも重要だ。しかし、肩を組む時には、隣の人を信じて沈黙する。私は "Christian" と "life" という語につまづいてしまったが、市原さんが "simple focus" と呼んだものは、この「沈黙」とさほど違わないのかもしれない。

2004年 6月 3日 午前 02:27 | | この月のアーカイブへ

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