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2004.06.02

6月を生きた人たち

私にとって、6月は生の力や死の重みをひときわ感じさせる月だ。私自身が例えば病気で生死の境をさまよったとかというのではない。ある日、閃光のように輝き、勇気を私に教えてくれた人たちが死んでいった月だからだ。

6月4日。民主化要求のため北京の天安門広場に集まった学生や市民たちに対し、中国当局の武力鎮圧が行なわれた日だ。1989年のこと。ニュースを見て、涙が止まらなかったことを昨日のことのように思い出す。混乱の中、死んでいった数多くの名も知らぬ人たち。必死に国外に脱出した人たち。そして、道の真ん中に立って戦車の隊列を止めたあの人。(ある夏、私は北京に行った。天安門広場に着いた時、突然、激しい雷雨となり、全身ずぶ濡れとなり、雹に打たれて顔や手足が痛んだ。しかし血は出ない。急に冷えた空気の中、濡れた衣服で震え上がったが私はもちろん生き続けた。)

6月11日。サイゴンの街角で僧侶が抗議の焼身自殺をした日。彼の名は Thich Quang Duc。「自殺」と呼ぶのは不適切かもしれない。1963年、アメリカ合衆国の傀儡である南ベトナムのゴディンジェム政権による仏教徒弾圧の不当性を訴え、自らをいけにえとして捧げた、壮絶な、しかし静かな祈りである。(彼の死からは相当に歳月が経っていたとは思うが、私はまだ小学生のころ、燃え上がる炎の中、微動だにせず祈り続けるこの人の姿に心を打たれた。選べるものならば、私は彼のように生き、死んでいきたい。)

6月15日。東京の国会議事堂前で、十万を超すデモ隊と警官隊とのもみ合いの中、樺美智子さんが圧死した日。1960年の安保闘争の中でのことである。(全学連、ブント、声なき声、人知れず微笑まん、そんなキーワードなら私も知っているが、実は私は彼女のことをほとんど知らない。しかし、デモで、あるいは傍聴で国会に行く時、私はいつも彼女の冥福を祈る。)

6月24日。後に「二十歳の原点」として出版される日記をつけていた立命館大学生、高野悦子さんが鉄道自殺をした日だ。1969年のこと。(高野さんの名前をここに記すのは適当ではないかもしれない。彼女の本は中学校のころ読んだ。よく分からなかった。後に、彼女が死んだ歳を遥かに超えた歳になって、もう一度この本を手に取った。彼女の苦悩は手に取るように分かった。しかし、残念なことに、私はその時、もう彼女のような純粋さを失っていた。つまり、高野さんと私は、結局のところ出会うことはなかったのだと思う。)

これからの4週間、この私的なリストに新たな名前が書き加えられないことを私は願う。しかし、名前も知らないイラクの民間人や“有志連合”国の兵士たちは、今月も必ず死んで行くことも忘れはしまい。

2004年 6月 2日 午前 12:59 | | この月のアーカイブへ

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