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2004.06.30

捕虜拘束に関する連邦最高裁判決など

キューバ・グアンタナモ湾のアメリカ軍基地に拘束されているアフガン戦争の捕虜が「合衆国憲法を根拠に訴えを起こすことはできない」などとする合衆国政府のメモのことを6月9日14日にここで取り上げた。この件に関して、新聞記事を二編読んだ。

  • 拷問に関する合衆国政府のメモ一覧およびリンク集:The New York Times の記事
  • グアンタナモの捕虜が合衆国で裁判を起こせるかという点(Rasul v. Bush)に関する判決が28日、連邦最高裁で出た。AP 電によれば、一審の判決をくつがえし、合衆国内で拘束の是非を問う訴えを起こすことができるという判断である。かなり右寄りの判事団による判決としては、ちょっと意外な気もする。拘束が国際法や憲法に抵触するかは判断しなかった。また、アメリカ国籍を持ち「敵方の戦闘員」として捕捉された者はアメリカの裁判所で裁判を受ける権利があるという重要な判決(Hamdi v. Rumsfeld)も下されている。ブッシュ政権の行き過ぎた反動姿勢を糾す司法府の判断として、注目に値する。

…と、さらっと「後日談」のごとく書いてみたが、拘束されている人たちにとっては過去の問題ではなく今日の問題である。誤認による不当な拘束で多くの人の人権が蹂躙されている可能性があるが、訴訟が受け付けられることになったとはいえ、アフガニスタンやイラクの人たちがアメリカで裁判を起こすには資金面などで大きな障壁が待ち受けていることは想像に難くない。

2004年 6月 30日 午前 12:13 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2004.06.29

併合と植民地化

先日、書店で立ち読みをしていて、渡部昇一という人が、日本は朝鮮半島を植民地化(colonization)したのではない、当時のイギリスの新聞でも併合(annexation)と報じている、という主旨の発言をしているのを読んだ。

そもそも英単語の意味論に還元できる問題ではないと思うので反論を書くつもりはないのだけれど、昨日たまたま読んでいた記事にこの二つの単語(の関連語)が隣接して出てきたので、書き留めておく。昨年10月にブッシュ大統領がフィリピンで行なった演説の中の、米西戦争(1898年)後にアメリカはフィリピンを民主化したという描写がいかに間違っているかを論じた文脈である。

Bush's rendition of Philippine-American history bore little relation to fact. True, the U.S. Navy ousted Spain from the Philippines in the Spanish-American War of 1898. But instead of creating a Philippine democracy, the McKinley administration, its confidence inflated by victory in that “splendid little war,” annexed the country and installed a colonial administrator. The United States then waged a brutal war against the same Philippine independence movement it encouraged to fight against Spain. The war dragged on for 14 years. Before it ended, about 120,000 U.S. troops were deployed, more than 4,000 were killed, and more than 200,000 Filipino civilians and soldiers were killed. Resentment lingered a century later during Bush's visit.

「日韓併合」当時の新聞ではなく2004年の雑誌記事の英文であるから、渡部発言の反論にはならない(実のところ反論する価値もない詭弁的発言だと私は考えている)が、"annexation" と "colonization" が、少なくとも現代の英語話者には「相容れない概念ではない」ことが分かる。

上記引用は雑誌 Foreign Policy のウェブ版に掲載された John B. Judis さんの "Imperial Amnesia" という記事から。近刊 Folly of Empire: What George W. Bush Could Learn from Theodore Roosevelt and Woodrow Wilson からの抜粋である。

記事の終わりのほうに、"[T]he imperial mindset sees the people it seeks to civilize or democratize as inferior and lends itself to inhumane practices." とある。20世紀初頭のアメリカや日本の権力者たちのみならず、ブッシュや渡部などの不誠実な発言をする現代の人たちにもこの表現はぴったりと当てはまる。

2004年 6月 29日 午前 12:35 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2004.06.28

海賊と資本

Cory Doctorow さんが今月マイクロソフト社内で行なったデジタル権利管理(DRM)に関する講演を漸次、日本語に訳していく取り組みが Wiki を使って行なわれているのを BoingBoing ブログの記事経由で知った。記事のリンクからベルギーの大学院で日本の著作権に関する研究をしている Andreas さんの chosaq に行き、日本の会社に勤務している Matt さんの M@Blog にたどりつく。

(2パラグラフ目の "I've got a dog in this fight" って「戦いは乱闘めいてきます」ではなくて、「私も利害関係者です」みたいな意味では?>Matt さん、もしこのトラックバックを読んでいれば。)

Doctorow さんの電子書籍論は2月にここでも取り上げた。無限に複製可能である(ありうる)ということは、やはり古典的な商品価値の体系からは外れているんだろうな、などと思い、本棚に長く眠るあの本を手に取ってみるが、例のごとく「八ブッシェルの小麦」とか「リンネル20エレ」などの文字列が睡魔という妖怪と化して脳内を徘徊。本屋に行ったら、それを見透かしたかのように『一生に一度は「資本論」を読んでみたい』(吉井清文著、学習の友社、2004)という本が目にとまり、買ってみた。効果のほどは後日(いつになることやら)ご報告しましょう。刮目せず待て!

2004年 6月 28日 午前 12:01 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2004.06.27

覆面作家

イギリスの雑誌 Prospect に掲載された Jo Tatchell さんの論考より。「覆面作家」といっても、北村薫さんの話ではない。

その覆面作家は、1990年代初めごろに本業のほうが芳しくなくなって以来、内向的になり、現実世界での不安や焦燥を埋め合わせるかのごとく、自分の理想としていた世界を再現しようと小説を書きはじめた。彼のデビュー作は2000年に出版されベストセラーとなり、その後の4年間に出版された3冊も、すべて成功をおさめたという。しかしその一方で本業のほうを疎かにしていたため、危機が訪れた時、彼もその部下も何ら為す術を持たなかった。

今、彼は独房に収容され、裁判を待つ身である。獄中で5作目となる作品を執筆中だと言われている。つい先日、家族の元に短い手紙が届いたが、そこにはその作品についての言及はなかったようである。その国の現在の政治状況を考えれば、出版されない可能性のほうが強いだろう。

彼のデビュー作は『ザビバと王』と題された寓話的なロマンス小説だった。美しい女、ザビバは意に反した結婚のため不幸せであったが、ある時、王と出会い、二人は恋に落ちる。王はやがて執政上の不安などについても信頼するザビバから助言を求めるようになる。ある夜、王宮からの帰り道でザビバは顔を隠した男に襲われてしまう。彼女を襲ったのが実は彼女の夫であったことを知った王は戦いの中でこの男を殺し復讐を果たすが、平和が戻った時、ザビバもまた既に息絶えていた。間もなく、宮殿での役人たちの会議の場に現れた使者により王が死んだことが伝えられ、この小説は幕を閉じる。

覆面作家の名はサダム・フセイン。王は著者自身の投影、美しいザビバは彼が愛するイラクであり、その非道な夫はアメリカである。Tatchell さんは、描かれた戦いが1990年の湾岸戦争であるとしているが、私は、それが予期された2003年の戦争の寓意だと見るほうが適当ではないかと思う。ザビバと、その夫と、王の三者がすべて絶命する幕切れは、制裁、戦争、占領によるイラクの荒廃と、数々の不正によるアメリカの信用失墜と、サダム・フセイン自身の失脚を指し示しているとは考えられないだろうか。

若干サダム・フセインに肩入れした書き方になってしまったが、もちろん、私は彼の独裁や人道上の罪を擁護するつもりは毛頭ない。彼が真摯に自分はイラクを愛していると信じていたとしても、その愛の基準は独善的で、愛し方は歪んだものであったと言えるだろう。ただ、忘れてならないのは、この小説には書かれていないこと、つまり、王とザビバの夫とはある時期まで盟友関係にあったということである。

2004年 6月 27日 午前 12:07 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2004.06.26

アルンダティ・ロイを読む

アルンダティ・ロイさんの『誇りと抵抗』(集英社新書、新刊)と『帝国を壊すために』(岩波文庫、2003)を読んだ。(Arundhati Roy さんについては、一か月ほど前にも取り上げたことがある。)

『誇りと抵抗』は、主に現代インドのかかえる二つの問題を論じた文章を集めたもの。問題の一つは、私たち自身も常にインドの中に見る二極分化(例えば、ハイテク産業の躍進と下層カーストのスラム街などの対比。この問題のことをロイさんはこの本の冒頭で「インドはひとつの時空間のなかで、いくつもの世紀を生きている」と描写している)から派生するもの。建国以来、治水や発電を目的とした大規模ダムの建設が多く行なわれ、その度に最貧困層が補償もなく立ち退きを強いられ、その数は数千万人にも達するという。これらの政策の不公正さに対する訴えは司法当局が門前払いにしてしまうため、批判が封じ込められている。また、ヒンドゥー至上主義者によるムスリムの虐殺に関与したり黙認したりした者が中央でも地方でも政治権力を握っていて、民族主義的、あるいは宗教的ナショナリズムを昂揚させている。問題のもう一点は、グローバリゼーションの圧力である。アメリカ等の大資本、多国籍企業などが市場開放や民営化を促すが、(第一の問題に関して記したように)腐敗した統治機構のもと、そのような新自由主義は民主主義を弱体化させ、弱者の搾取を加速させるのみである。

『帝国を壊すために』の中心は 9.11 以降のアメリカの行ないへの痛烈な批判である。アルカイダとイラクとの協力関係、大量破壊兵器保持など、その後、全くのでたらめであることが暴露された戦争の大義に疑義を呈示するだけでなく、「テロとの戦い」やイラク攻撃の根底に合州国政府を支える大企業の権益獲得の野望があることを明らかにしている。また、これらの事実が明らかになるごとに、〈帝国〉の本来の姿が顕わになってきており、私たち市民は〈帝国〉に抗い、押しとどめることができるのだという強い信念を私たちに伝えてくれている。

私が今まで付き合いのあったインド出身者たちが主に日本研究などに携わる人たちだったからか、彼らや彼女たちが懐く日本への親近感に比べ、私自身は、自分が二つの国の間にかなり距離を感じてきたように思う。ロイさんのこの二冊の本を読んで、私はインドと日本がとてもよく似ていることに気が付かされた。私たちをとりまく状況のあらゆる面で、類似点を指摘できるのだが、一例として、三か月近く前に私がここで書いた「雇われ国家の再軍備」と題した文をあげよう。私はその中で日本の軍国主義化が、ナショナリストたちとアメリカという〈帝国〉への追従を旨とする人たちという二つの異質なグループによって推し進められるのではないかという意見を書いたが、その結びつきが表面的で便宜的であるのではなく、本質的であることをロイさんの論考を読むことによって私はようやく理解できたように思う。

また、「色のついた布にすぎない国旗なる代物」とか「領土を監視するさもしい根性の代わり(の大地への愛)」などという表現は、日の丸・君が代の強制や、尖閣諸島や竹島を巡って排外的な言説がまき散らされることに見られるような、この国におけるファシズムの擡頭を論じるにも適した語彙であろう。

「フィクションだろうがノン・フィクションだろうが、わたしの書くものの多くが主題としているのは、権力とそれを持たないものとの関係、そしてそれらが果てしなく循環する闘争だ。」と書くアルンダティ・ロイさんの小説『小さきものたちの神(The God of Small Things)』が届くのを私は今、心待ちにしている。

2004年 6月 26日 午前 01:08 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2004.06.25

テンペを買った

近所のスーパーで、豆腐や納豆のそばにテンペ(tempeh)が並んでいました。インドネシアの大豆発酵食品です。食べたこと、ありますか?イメージとしては、納豆を作る(納豆って実際にどうやって作るのかは知らないのですが)時に、粘り気が出る前に揚げ豆腐のような形に成形したものだと思ってください。味は、大豆を豆乳にしてから豆腐を作る代わりに、豆のまま豆腐にしたような… う~ん、おいしさが伝わりませんね。我ながら情けない文章力だ。餅は餅屋ということで、テンペを売っているサイトにリンクしてみましょう。

英語のサイトにもリンク。上記のリンク先はJA岡山ですが、岡山は日本でのテンペ作りの草分けだそうで、テンペの普及にとても熱心です。

私が買ったのは旭松食品という大阪の会社(なんか、やる気のないサイトだなぁ。パッケージに URL が書いてあったのに、テンペの記述もないし)のもので、7.5cm x 7.5cm x 2cm の真空パック、100 グラムで、税込み 210 円でした。もうちょっと安くなるといいな。まだ食べていないので、味のほうは分かりません。明日あたり、野菜炒めに入れてみよう。

ブログを始めてもうすぐ半年になりますが、これは「食べ物」を主題にした初めての記事だと思います。ぱっとしませんが、これでも「幹事長」+「ブログ」で検索すると出てくる某与党議員の意味不明なブログよりマシではないかと思ったりします。政策とかイデオロギーの次元の話ではなく、この人が国会を取り仕切っているというのは、かなり怖ろしい気が…

2004年 6月 25日 午前 12:12 | | コメント (2) | トラックバック (0)

2004.06.24

届かなかった手紙

拘束されたキム・ソニルさんの解放を求めて派兵に反対する韓国の平和団体365組織(韓国軍戦闘部隊のイラク派遣に反対する民衆行動)が出した声明の英文OhMyNews の英語版ページより)。早くからキムさんの拘束を察知していたアメリカ軍がもっと速やかにそのことを韓国の人たちに伝えていれば、高遠さんたちの時と同様この手紙がキムさんの命を救うことができたかもしれないと思うと、とても残念である。

“闘う新聞”、“国民の声と民族の良心を代弁する勇気ある新聞”として知られる「ハンギョレ」の社説の英訳。復讐や憎悪の繰り返しや増幅を戒め、今こそ不正な占領から手を引くべき時だと論じている。(サイトのトップページ右上に英訳社説一覧へのリンクがある。)

以下は私信です。もんもんいさん、トラックバックとコメントありがとうございました。こんな時、もっと自由に韓国語が読めたらなあ、と私も思います。私はまだまだ全然だめ。悲しい。Juki さんのドイツ語に負けないよう、がんばろうっと。

2004年 6月 24日 午前 10:54 | | コメント (1) | トラックバック (0)

2004.06.23

イラクを教室に喩えれば

今日は私のお気に入りの韓国のバラード歌手、スヨンさんが日本でデビューする日なので、楽しい記事を書きたかったのだけれど、目覚めてみれば、意識も無意識もが喜びの感情や表現を自己規制してしまうような朝だった。

ファルージャで捕虜となっていた韓国人 Kim Seon-il さん殺害の報。神学とアラビア語を学び、牧師となってイスラム世界で布教活動を行なうことを見ていたというこの青年。占領軍の一翼をなす国の旅券を持ち、アメリカ軍に物資を供給する会社の通訳としてファルージャに赴くことがよい判断であったのかどうか、世はまた問うのかもしれない。彼がこころざし半ばだったことは間違いなく、その死が彼の信じる神の御旨であったにしても、痛ましいという他にどんな言葉を用いてこの事件を記憶することなどできるだろう。

「テロは容認しない。撤退はしない。」「派兵はイラクの復旧と再建のためだ。」盧武鉉大統領も、ブッシュ大統領や小泉首相と変わらぬ発言をしている。ちょっと乱暴な比喩になってしまうが、これら派兵国の政治家たちが教壇の上の教師、イラクの人たちが教室の生徒たちだと考えてみよう。生徒たちの何人かはちゃんと勉強していて、教師に対してさして不満もいだいていない。一部の生徒たちは教師の教え方に不満を持っており「つまらない授業だな。もうちょっとうまい先生だったらいいのにな」などと心の中で思っているが、声には出さない。さらにごく一部に勉強に落ちこぼれたツッパリの生徒がいて「おい、先公、てめえの説明、何も分かんねえんだよ」などと毒づいている。だんだんこのツッパリの生徒たちが手が付けられなくなり、教室全体が騒然となる。教師は、静粛を促し、同じ説明を再び繰り返す。もちろん、何回聞いても分からない生徒にはこの説明は分からないし、分かっている生徒はうんざりしてくる。教師の信頼はどんどんと低下し、教室の雰囲気は更に荒廃する。ノ・ムヒョンやブッシュや小泉は、こういうことをやっているのではないだろうか。一言で言えば独善。文科省の表現を借りれば「指導力不足の教師」ということなのかもしれない。

2004年 6月 23日 午前 10:58 | | コメント (1) | トラックバック (1)

2004.06.22

脳は何色

脳に関する文章を偶然、二つ続けて読んだ。

一つはここにもコメントを書いてくれる ten さんが aozora blog に書いた「記憶ということ・しなやかな指」という文章。ten さんが友人から言われたという次の言葉に笑い転げてしまった。

「あんたの海馬は他の人と色とかが違うんじゃないの?大きさも人より大きいのかも … あんた、どうでもいいことを克明に憶えすぎていて、それが瞬時に脳の中のファイルから引き出されてくるから… いつどんなときにどこで、誰らと飲みに行き、20人ほどの人でもどんな順序に座っていて、どんな順序で何を食べ、だれがどんな話をしたかを克明に覚えているでしょう。まるでビデオテープを再生するように。あれも一つの才能よね… もっと学問的なことだったらよかったのにねえ。飲み会の情景を克明に覚えていても世の中の役にはたたないわねえ」

ten さんからは私信でつい先日、「青空文庫の掲示板に以前、日本の昔話の英訳テキストを見たら“安達が原のおにばば”が“goblin”と訳されていたと書き込んだ覚えがあるのだが、その時の英訳の URL が見あたらない。覚えていないか?」という問い合わせをもらったばかりだった。私には何の話か全く見当が付かなかったのだが、保存してあった過去ログに検索をかけたら、あった。しかも、なんとその英訳本の URL は私が書いたものだった。驚異の海馬である。

もう一つは、雑誌 The Economist の "Bilingualism may protect the mind from deterioration in old age" という記事。Ellen Bialystok さんという人の実験結果を紹介している。モニタ画面に表示される青と赤の四角形を見て、それが青だったら(画面上の位置にかかわらず)左のシフトキーを、それが赤だったら右のシフトキーを押すといった形で、位置に惑わされず色の情報を正しく処理できるかを見る実験である。バイリンガルな人のほうが一つの言語しか話さない人よりも反応が速く、その差は年齢が上がるとともに大きくなる、という結果が出たそうだ。どうしてそうなるのかは、今のところ分かっていないが、二言語を扱う能力が脳の老化に歯止めをかけているのではないかと考えられるという。(この記事は rss 購読している Slate の "in other magazines - Summaries of what's in Time, Newsweek, etc." という記事で紹介されていて見つけた。)

以下は、あるうつ病患者の話。彼は完全なバイリンガルではないが、TOEFL の点数分布では上位1%のところに入る、ほぼ自然に英語も話す日本語話者である。病気になって、いろいろな面で仕事に差し障りが出ているのだが、英語を読んだり話したりには影響は全く出ていない。ところが、“文系”頭のせいか、表への入力とかプログラミングなど“理系”的な作業では著しく能力が低下していて、パニック状態に陥ることもしばしば。おそらく上の実験に参加していたら悲惨な結果を出していただろう。記憶の面では、集中して意識的に覚えるぶんには問題ないが、以前なら付帯的に覚えていたような「どうでもいいこと」はほぼ完全に記憶から抜け落ちてしまうようになった。色の認識は変わらないが、明るさや音の刺激には極端に弱くなっていて、電話の音に驚いて椅子から飛び上がらんばかりになる。器質的な障害を心配して脳のCTスキャンも受けたが、何も見つからなかったという。(いや、脳が見つからなかったのではなく、損傷が見つからなかったのである。)彼は今、海馬ちゃんにおいしいご馳走を食べさせようと、年休を取って、寝ころびながら本を読んでいる。早く元気になるんだよ、海馬ちゃん。

2004年 6月 22日 午前 12:40 | | コメント (3) | トラックバック (0)

2004.06.21

少女の心の軌跡

佐世保市で小学6年生の女の子が親友に切りつけて死なせてしまった今月1日の事件。大阪にある特別養護老人ホーム愛港園の施設長、廣田憲司さんという方がブログで、その女の子が書いたとされる詩や日記を取り上げ、彼女に何が起こったのかを読み解こうと試みていらっしゃいます。

私は最近、テレビや新聞を遠ざけて暮らしているので、この事件のことをほとんど知りません。私にはこの件について論じる資格が全くなく、書かないほうがいいのかもしれないと思いつつ、一言だけ書き留めておこうと思いました。

取り上げられた詩や文を読んで、はじめは世界と自分の一体感を感じているが、その後に裂断が生じつつあることに気づき、やがて自我の崩壊に向かう、という彼女の心の軌跡が見えるような気がしました。というか、自分自身の経験になぞらえて読んでしまっているのかな。私の場合、心は静かに内破したのだけれど。

2004年 6月 21日 午前 05:36 | | コメント (1) | トラックバック (0)

2004.06.20

リブリエにまつわるエトセトラ

アメリカで電子書籍普及推進の論陣を張るブログに David Rothman さんの TeleRead があります。ソニーの Librié が2か月でファイルが読めなくなるという強力な DRM (=デジタル権利管理、Digital Rights Management)を用いていること、独自フォーマットを採用していて自由な e-book リーダーとして使えないことを批判し、そのような中途半端なデバイスがアメリカで発売されたら、逆に電子書籍の普及を遅らせかねないという懸念を表明した "Yo, Sony! Liberate the Librie or keep it out of the States" という記事が18日に掲載されました。

David さんに、日本でもそれらの点に不満を持っている電子本愛好者・提唱者が多くいることをメールで知らせ、日米両国で電子本の普及を目指しているグループなどが共同で見解表明をしたりできないだろうか、という提案をしてみました。

19日の TeleRead の記事 "Librie e-book format also angers Japanese" で David さんが私のメールを取り上げてくれています。(写真に写っている女性は私ではありません。念のため。)どうでしょう。市民版の日米同盟、多国籍軍でソニーやその他の電子書籍デバイス市場への参入を考えている大企業にもの申してみませんか?

リブリエの持つ可能性に大きな期待を感じるとともに、そのファイルフォーマットの閉鎖性やDRMに関する不満は多くの人が持っていると私は思います。(まず、この現状認識を確認する必要がありますね。)

青空文庫の富田倫生さんが東京ブックフェアでの講演「デジタル読書子に寄す 新しい本をどうつくりどう読むか」の中で

是非ソニーのリブリエという機械で青空文庫のファイルが読めるようになる日が来ることを切望していますが、残念ながら今はできないようです。とても不思議で残念なことですが、是非そういう時期が来て欲しい。

と述べています。独自フォーマットへのコンバータが広く公開されていないという現状に満足していないという意見だと私は解釈しています。

検索してみたところ、以下のブログに BBeB フォーマットや貸本式 DRM に対する批判的な意見が述べられているようです。(順不同です。トラックバックを送らせていただきます。)

私は、BBeB のこと、DRM のことなど、学ばなければならないことばかりの状態です。意見(反対意見も含め)、アドバイス等、いただきたいと思います。よろしくお願いします。(う~ん、ここに書いても読む人は少ないだろうからなあ。野口さんに頼んで aozora blog に書かせてもらおうかしら。それとも、もっと詳しい人が何か書いてくれないかなあ。)

記事の中で David さんは、日本での Librie の売れ行き、Linux ベースのシステムに関して何か面白い動きがあったか、などについて情報がほしいと書いています。何かあるでしょうか。また、電子書籍のための xml 規格 OpenReader の提案についても意見を募集しています。これについては、数週間ぐらい前からここで取り上げようと考えていて、なかなか考えがまとめられずにいるところです。

この記事に関してはコメントやトラックバックが付かないと、とても悲しいというか、本当に意見が聞けるかとても心配しています。どうかぜひともご意見ご感想をお寄せください。

2004年 6月 20日 午前 12:11 | | コメント (5) | トラックバック (3)

2004.06.19

愛すれど心さびしく

アメリカのCarson McCullers (1917-1967) の代表作 The Heart Is a Lonely Hunter が再び脚光を浴びているそうです(The Washington Post の書評)。1940年に出版された小説が半世紀以上の時を経てベストセラー1位に返り咲いたというのは、驚くべきことではないでしょうか。

The Heart Is a Lonely Hunter は、まだ人種差別の激しかった1930年代のアメリカ南部の小さな町で働く聾唖者のユダヤ人青年 Singer と、彼と同じ家に住む少女 Mick を中心に、黒人解放運動に取り組む牧師 Copeland などをはじめとする、かなり個性の強い人々(と、かなり複雑な人間関係)をめぐって、淡々と、薄暗い文体で書かれた物語です。いろいろな人たちの愚痴や悩み、怒りを Singer はじっと聞きます。彼が親友を亡くした時、人々は彼の悲しみに気づくことができず、彼は自殺してしまう。

私は、この小説をもとにした映画『愛すれど心さびしく』を中学生になったころテレビで見て、Singer のような人間になりたいと思いました。映画は原作に比べ話や人間関係が単純化されていて中学生にも理解できるようなものになっていましたし、とても印象的な墓地での会話で終わっていました。「私たちはみんな、自分の悩みを彼のところに持って行ったが、彼の苦しみをだれも分かってあげていなかった」「彼は私が必要とした時、いつもそばにいてくれたのに、彼が必要とした時、私は彼を拒絶してしまった」

慈しみ深い友であり、人々の罪、咎、憂いを引き受けようとするが果たせない、不完全なキリスト。そんな人に私はなりたいと努力しました。とても難しいですね。人の愚痴とかをじっと聞いて、疲れた人を支える姿勢はある程度身につけられたけど、それでも、どうしても自分の意見を主張してしまうし、反論めいたことを言ってしまったりする。自分にはそれなりの智恵があるという愚かしい自尊心が邪魔をしてしまいます。

心がうつになってからは―それはほぼ、このブログを書き始めてから、と同義です―、自分の理想とは反対に、自分の心の波立ちをかなり頻繁に書き連ねてきたような気がします。客観的に見て、私の心がおかしいというだけでなく、世の中自体もだいぶおかしくなっているとも思いますが、私の文章を読んでくださる方々には、とても重い気持ちをお裾分けしてしまっていたかもしれません。読む人に Mr. Singer の役割をお願いしてしまっていたようなものだと思っています。すみません。

昨夕は、所用で名古屋を訪れた、ここで静かに私を支えてくれている方とお会いすることができました。お会いできて、お話しできて、とてもうれしかったです。もっと私が聞き手に回らなければならなかったのですが、自分の心の重さに耐えかね、かなり喋り過ぎてしまいました。ごめんなさい。

さあ、新しい気持ちで、また世界に接していこう。

2004年 6月 19日 午前 02:27 | | コメント (11) | トラックバック (1)

2004.06.18

ネットの上の差別にサルトルはどう抗うか

インターネットにおける差別や偏見の蔓延について、フランスで会議が行なわれているそうです。(AP 電:記事の日本語版が ITmedia ニュースにあることを COBOO さんという方のブログ経由で知りました。)

インターネットが不寛容な態度を広める媒体となっていることは間違いないけれど、それを規制することは、ことの是非はともかく、技術的に可能かというと当分は絶望的なのではないでしょうか。

記事には、アメリカの司法次官の「ヘイトスピーチを減らす最善の方法は、寛容、理解、そのほかの啓発のアイデアを推進することにより立ち向かうことだ」という発言が引用されています。個人的な見解としては至極まともな言葉だと思いますが、合衆国政府が実際に何をやってきたかを考えれば、言行不一致の誹りをまぬがれることはできませんよね。

先日、サルトルの『ユダヤ人』(岩波新書、青版79)を読み返す機会がありました。1946年に出版されたこの本(翻訳は1956年)の分析は、今でも全く変わらない輝きを持っているように思います。ユダヤ人というアイデンティティが先に存在するのではなく、社会の中の反ユダヤ主義者のまなざしが「ユダヤ人」を作り上げていく。その規定によって当のユダヤ人が束縛されてしまう。この過程は、今でも、そして私たちの国でも、依然として繰り返されています。固陋な人たちというのは、いつでもどこでもいるのだというのも驚きですが、真理に近づく力を持った思想がたかだか半世紀程度の時の流れで「古く」はならないということにも感銘を受けました。

反ユダヤ主義問題の根本的な解決法としてサルトルが提示しているものとは違うので若干の誤解を招くかもしれませんが、差別や偏見と「言論の自由」に関する記述を以下に引用します。(「…識別がつくといわれる」の部分には、多分に皮肉が込められていることも予め指摘しておきます。)

意見を持つということも、政府の葡萄酒醸造政策についてでもあったら、まだまだ承認出来ぬこともない。アルジェリアの葡萄酒を、自由に輸入するか否かについては、それぞれの理由も成り立とう。というのも、この場合は、物品の管理についての見解を述べるのだからである。これに反して、直ちに特定の個人を対象とし、その権利を剥奪したり、その生存を脅かしたりしかねぬ一主義を、意見などと呼ぶことは、わたしには出来ない。反ユダヤ主義者が傷つけようとしているユダヤ人、それは行政法の中にでもあるような、単にその機能によってのみ定義された図形的存在ではない。法典におけるが如く、状況と行為によってのみ規定された存在ではない。それはひとりのユダヤ人、ユダヤ人を父とし、肉体的に、髪の色や、あるいは身なりで、更に、性格によっても、識別がつくといわれるひとりのユダヤ人なのである。こうした反ユダヤ主義は、言論の自由の原則によって保証さるべき思想の範疇にははいらないのである。

2004年 6月 18日 午前 12:28 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2004.06.17

猫を繋ぐ

アメリカ合衆国ネブラスカ州の州都リンカーンで、猫を屋外に出す場合は紐で繋いでおくことを義務づける条例が検討されている(AP電)。狂犬病の伝染を予防したり、他人の庭で用を足すのを防止したりするのが目的で、過去4回、大きな論議を呼び、その都度、廃案となってきたそうだ。

条例制定を推進している人は「猫は散歩させる必要はない。家の中で飼えばいいのだ。そして家の外に出す場合はひもで繋いでおきさえすればいいのだ。」と語っている。反対する人は、それが非現実的だと主張している。

私の限られた経験から言えば、猫の個性や習慣には非常に幅広い多様性があり、このような条例の施行によって全く不自由を感じない猫も、この条例の遵守によってほとんど虐待に等しい精神的苦痛を感じる猫も存在するように思われる。後者にとっては、言語的障壁により制度変更の周知がほとんど不可能に近いため、それまで基本的な権利として享受してきた行動が、自らが代表として発言権を持たない他者組織によってある日突然、恣意的に制限を受けることになったと感じられるであろう。このことによって政治への不信が増大するのみならず、家庭という共同体の破壊が引き起こされかねないことは想像に難くない。

安全衛生上の考慮により権利の制限がやむを得ないとしても、即時に一律の適用を行なうのではなく、今後、生まれてくる猫から漸次適用するなどの経過措置的な行政上の配慮が必要ではないかと考える。

2004年 6月 17日 午前 12:06 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2004.06.16

5月のイラク国民世論調査

イラクの暫定当局(CPA)が5月後半に行なった世論調査の結果(html 版の PowerPoint プレゼンテーション)。AP が入手公開した

  • イラクのかかえる最も緊急な課題は:治安(59%)、経済(16%)、インフラ整備(15%)
  • 信頼する機関は:イラク警察(信頼:70%、不信:22%)、…、連合軍(信頼:10%、不信:87%)
  • ファルージャやナジャフ情勢によってイラクは:より団結した(64%)、より分裂した(14%)
  • イラク警察およびイラク軍のみで治安は維持できると:思う(62%)、思わない(9%)
  • 連合軍が今すぐ撤退したらイラクは:もっと安全になる(55%)、もっと危険になる(32%)

など、興味深い数字が並んでいる。イラクのアラウィ首相(選挙によって選出されたわけではない)から直々に「自衛隊の活動を感謝され、駐留の継続を依頼された」という国会での小泉首相の答弁をしっかりした遠近法の中でとらえるために、重要な資料である。

上のグラフ(スライド35)は連合軍がどのようにとらえられているかを示している。時計回りに、占領者として(赤、92%)、解放者として(緑、2%)、治安維持者として(青、3%)、その他(黒、3%)。

自衛隊が行なっている「人道復興支援」は、おそらくこの最後の3%に入るのだろう。今度テレビでサマワの駐屯地にたなびく日の丸が映ったら、この図柄を思い出そう。

2004年 6月 16日 午前 08:36 | | コメント (0) | トラックバック (0)

多国籍軍参加と有事法制

これを書いている時点で、既に二日前のことになってしまったが、有事関連諸法が14日、参議院で可決、成立した。

歳をとると、体の痛みがすぐにではなく次の日に来るというのは、ほとんどの人に当てはまるらしいが、私の場合、精神の反応も鈍くなってきたらしい。大変なことになってしまったな、という実感が出てきたのは、恥ずかしながら、昨日の午後になってからのことだった。(もともと、頭の働きが遅い、という噂もある。)

この数日間、ネットをあまり自由に使えない場所にいたので、国会の様子もNHKの14日午後の中継しか見ていなかったのだが、14日の委員会審議では午前中に「多国籍軍の任務には人道支援も含まれる」という答弁があったようである。これは12日に書いたように、決議本文の第15パラグラフを意図的に曲解しているとしか思えない。もう一つの可能性として、決議に参考文献として付せられているパウエル米国務長官の書簡の中に「多国籍軍は必要があれば人道支援に参加する用意がある」と書いていることを根拠としたということが考えられるが、それならそれで、自衛隊はアメリカ軍が統括する「統一の指揮系統」には入らないとする答弁のほうが虚偽になる。どちらにせよ、安保理決議1546を根拠に憲法とイラク特措法の枠組み内で多国籍軍に参加するという方針には整合性が認められない。

有事法制について。44年前、日米安保条約改定阻止を目指した運動の中で死んでいった樺美智子さんのことを思うと、情けない、申し訳ないといった気持ちで心が破れそうである。これから来る試練に対して、私たちは彼女たちの時代の情熱を取り戻すことができるだろうか。

国会中継を見ていて、私はまず、言葉を私たちの手に取り返す必要を感じた。(私はそれが最重要課題だと主張しているわけではない。やらなくてはならないことの一つではあるだろうが、それが本質的だと考えているわけではない。)例えば、「普通の国」「平和ボケ」「憲法は古くなった」などの表現。

激しい議論をするのはおそらく人間の常だろう。しかし、ためらいもなく人を殺すことが“普通”でないことはだれもが認めるはずだ。ならば、戦争をする国は「異常な国」のはずだ。

平和ボケ。戦争経験者である二人の野党議員の言葉が印象に残った。大田昌秀さんは「戦争は法律にそってできるものではない」と、山本正和さんは「この法案は戦争のことを知らない人が作文したものだ」と言った。有事法制を推し進め、これで市民が守れると考えている行政府や与党、それに与した一部野党こそが「平和ボケ」をしているのだ。

長い歴史の中で、戦力の不保持、武力行使の放棄を誓った平和憲法の理念は新しい。それを骨抜きにしようとする目論見こそ、古い考えへの執着である。

日高六郎さんの『戦後思想を考える』(1980年、岩波新書)から引用する。このころ緩やかに始まっていた動きの上に載せられた私たちは、今、ついに加速度の重圧に耐えられなくなったということだろう。

敗戦後、平和とか自由とか民主主義は、保守・革新が共用する言葉となった。そのなかにどのような意味内容をこめるかは別である。言葉のうえでは同じ言葉が、それぞれプラスの意味で使われる。現実の対立は、言葉の対立という形とはならない。むしろ同じ言葉をうばいあう。そのことは、国民の価値観に共通の地盤ができたと解釈できるかもしれない。逆に、現実の対立をおおいかくすために、言葉のあいまいさが利用されているともいえる。
(中略)
いま、言葉をあいまいにずらせて使うことで、現実の状況もまたあいまいにするということが起こっている。たとえば次のように―平和のためにこそ、自衛隊の増強は必要だ。民主主義のためにこそ、治安立法は大切だ。独立のためにこそ、自主憲法は制定されなければならない。生活の向上のためには、権利の主張はほどほどにして、労使は協調すべきである…。
民衆だけでなく、言葉もまたこのように管理される。世の中が複雑になったのである。

追記:活発にトラックバックのやりとりがされているみたいなので、遅ればせながら、私が継続的に読んでいるいくつかのブログの関連記事にトラックバックをお送りします。こうやってだんだん絆ができていくといいですね。…あれ、いくつか送れなかったみたい。

2004年 6月 16日 午前 01:37 | | コメント (2) | トラックバック (2)

2004.06.15

郡山総一郎さんの話

2か月前、イラクで拘束されたフォトジャーナリスト、郡山総一郎さんが6月11日に京都大学で行なった講演会のメモが大久保ゆうさんの手によって aozora blog に掲載されている。

郡山さん、今井さん、高遠さんを拘束した人たちが敬意をもって彼らを扱った様子、事件当時の日本での報道に関する懐疑的な意見、政府に批判的な意見が言いにくくなってきている社会に対する不安、自衛隊による支援の不効率性、将来への抱負などについての話が手際よく、しかし生き生きと伝わる形で書かれている。一読をお勧めする。

おそらくは依然としてさまざまな悪意にさらされ、少なからずプレッシャーを感じているに違いないにもかかわらず率直に語る郡山さん、聞き手として的確なコメントを差し挟んでいる岡真理さん、そして講演の様子を適時に伝えてくれた大久保さんに感謝したい。

2004年 6月 15日 午前 03:40 | | コメント (3) | トラックバック (0)

イラク戦争と人権

2003年のノーベル平和賞受賞者、イランの Shirin Ebadi さんについての USA Today の記事。エバディさんは、アメリカによるイラク侵攻が「中東全域に民主主義を広げる」というブッシュ政権の主張とは裏腹に、イランなどにおいてイスラム原理主義者を勢いづかせ、かえって民主化を減速させ、人権抑圧を強めていると指摘している。

Barbara Slavin さんによるこの記事はまた、人権擁護の活動と政権を過度に刺激して拘束されないようにすることの間で苦悩する Ebadi さんの心境や、ホメイニ師による革命直後の1980年代、人権をおおっぴらに語ることのできぬ中、エバディさんが「子どもの権利」の問題として発言をしてきたこと、クルアーン(コーラン)を細密に調べることによって、聖職者が人権抑圧の口実としてイスラムを用いることを阻止してきたことなどを記している。

この記事は Juan Cole さんの Informed Comment を通じて知った。Cole さんは、ブッシュ政権によってアメリカ国内でも言論の自由などが狭められてきているのではないかという懸念を表明している。もちろん、昨日、参議院で可決成立した有事関連諸法のことを考えれば、同様な不安が日本についても強く感じられることは言うまでもない。

2004年 6月 15日 午前 02:46 | | コメント (4) | トラックバック (0)

2004.06.14

拷問に関する米司法省の内部メモ

The Washington Post が2002年8月付けの米司法省のメモを掲載しました(PDF, 2.8MB)。拷問の許容範囲などに関する米政府の法律顧問の見解という位置づけです。先週紹介した2003年の国防省のメモは、これをもとに書かれたものです。

冒頭で既に「国際的に、残虐、非人間的かつ下劣な取り扱いとされていても、拷問の定義に合うような強さの痛みや苦しみを伴わない場合が多いことは明らかだ」といったことが繰り返し書いてあり、先に進む勇気を失いました。よって読解は保留。

2004年 6月 14日 午後 05:24 | | コメント (1) | トラックバック (0)

ユダヤ人問題はわれわれの問題だ

フランス南部、スペイン国境近く、Pyrénées-Orientales 地方の Perpignan 市に近い Rivesaltes という町に、ビシー政権下で、共和派(反フランコ)のスペイン人、ロマニ(ジプシー)、ユダヤ人を絶滅収容所に移送するための収容施設があった。収容されたユダヤ人の子どもたちの不安を紛らわすため、施設内の赤十字病院の壁に病院関係者が子どもたちに壁画を描かせた。壁画の存在は80年代の終わりまで、忘れ去られていた。

この壁画が何者かに粉々に壊されているのが先週の金曜日、発見された。計画的な犯行だと思われている。(フランス Libération 紙、6月13日の記事

反ユダヤ主義の問題。それは遠い国の問題ではない。「もし、ユダヤ人が存在しなければ、反ユダヤ主義は、ユダヤ人を作り出さずにはおかないだろう」とサルトルは書いた。(『ユダヤ人(問題についての省察)』)外国人排斥、民族差別、宗教差別の問題は、まさに私たち自身の問題だ。

Japanese Muslims face fear and doubt ― アルジャジーラの記事。世田谷区のイスラミック・センター・ジャパンには毎週、警視庁の刑事が訪れ、質問していく。ムスリムになって40年になる日本人は「日本人の友人であっても、私がアルカイダと繋がりがあると思うかと聞くと、100%自信をもって違うと言う人はいなくなってしまった」と語る。

ムスリムたちだけではなく、中国人、韓国人をはじめとして、外国人に対する偏見の蔓延は目に余るものがある。「国民」保護法案の議論も、イラクや北朝鮮という海の向こうの状況だけでなく、国内の状況を視野に入れて行なわれるべきだ。

「べきだった」と過去形で書かなくていいうちに投稿してしまおう。明らかに議論は尽くされていない。この後、力ずくの幕引きが起こらないことを祈っている。

2004年 6月 14日 午後 03:21 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2004.06.13

75歳のアンネ・フランク

アンネ・フランクがナチスの Bergen-Belsen 強制収容所で死んでいなければ(チフスという死因だけを考えて安直に「死んで…」と書いたが、「殺されて…」と描写するほうが適切だろう)、12日の土曜日で75歳になっていたという。(AP電

「アンネの日記」の最初の記述は彼女が13歳になった1942年のこの日のもの。その日から一か月も経たぬうちに隠れ家生活が始まることになる。日記の最後は1944年8月1日。三日後に彼女の一家はナチスに拘束され、アンネは1945年3月に病死する。

600万人ものユダヤ人のジェノサイドという事実を考えれば、それを阻止するために行なわれた戦争であったとしたら、日独などの枢軸国に対しての連合国の武力行使は「正しい戦争」と言えるのかもしれない。第二次世界大戦が、同時代的に、ユダヤ人虐殺の阻止のための戦争として認識されていたのか、恥ずかしいことに不勉強のため私はよく知らない。私たちの時代の戦争を見る限り、共時的な判断や世論が歴史的な検証に耐えうるものであるのかについて私ははなはだ悲観的になってしまう。

アムステルダムの Anne Frank House。どこに行った時だったか、早朝から夕刻への飛行機乗り継ぎの空き時間を利用して訪れた。日本国籍ならビザなしで入国が可能。空港からは市の中心部に向かって電車が走っていて、駅からは歩いて行ける距離だ。戦争や占領、差別などの不公正を記憶しておくために私たちは何らかの象徴に頼らざるを得ないのだろう。アンネ・フランクは象徴となることを欲したとは思えないが、彼女の日記のおかげで、私たちは子どものうちからある程度、戦争や民族差別の不条理を学ぶことができた。私たちは後世に何を残していくのだろう。残さなくてはならない苦い教訓はたくさんあるはずだ。

2004年 6月 13日 午後 08:43 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2004.06.12

安保理決議と多国籍軍

国連安全保障理事会で8日に採択された決議1546を読んでみました。多国籍軍(multinational force)の役割は安全と安定の確保(maintenance of security and stability)であり、統一の指揮系統(unified command)を持つと書いてあります。

本文の第15段落が文法的にちょっとあいまいな書き方がされているのですが、私には、加盟国への要請事項として「軍(の派遣)などによって多国籍軍の援助に貢献すること」「人道復興支援」「国連イラク支援団(United Nations Assistance Mission for Iraq)の事業を支援すること」の三つを挙げているように見えます。(もう一つの解釈の可能性は、要請事項の四つ目として「安全と安定に関するイラク国民の必要性を満たすことを援助すること」というのを加えるものです。私は、この部分を「…援助するために~」と読んで、第一の要請事項(多国籍軍の援助)の目的の修飾節ととらえました。)

人道復興支援が多国籍軍への参加とは別扱いになっていることに注目してください。サマワ駐留を継続するとしても(あ、また、ずるずると現状追認を重ねている自分を発見)、自衛隊は人道復興支援活動を行なっているわけですから、多国籍軍に参加する必要はないはずです。また、参加するのなら、統一の指揮系統に入らなければ安保理決議を遵守したことにはなりません。

たしかに、イラク特措法は「人道復興支援活動及び安全確保支援活動を行う」としていますが、その「実施は、武力による威嚇又は武力の行使に当たるものであってはならない」と規定し、安全確保支援活動の業務範囲を「国際連合加盟国が行うイラクの国内における安全及び安定を回復する活動を支援するために我が国が実施する医療、輸送、保管(備蓄を含む。)、通信、建設、修理若しくは整備、補給又は消毒(これらの業務にそれぞれ附帯する業務を含む。)とする」と定義しています。

あれ、アメリカ兵の輸送は行なっているのでしたっけ。だとすると、人道復興支援活動以外のことも既にやっているんだ。それに、日本政府はCPAの一部ではないと言っているけど、CPAのほうは日本も参加国に数え上げているし… なんか屁理屈みたいなことをいっぱい聞いているうちに、今、何をやっているのか、これから何が変わるのか、訳が分からなくなってしまいました。

週末、休んだら、少しは頭がはっきりするかなぁ。みなさま、いい週末を。

2004年 6月 12日 午前 12:18 | | コメント (0) | トラックバック (1)

2004.06.11

東ティモールからモザンビークへ

1996年に Jose Ramos-Horta さんとともにノーベル平和賞を受賞した東ティモール・ディリ教区の Carlos Ximenes Belo 司教は、2002年11月から病気療養していましたが、健康が回復したため、モザンビークの Maputo 教区にサレジオ会の宣教師として赴任することになったそうです。「宣教師として活動するのは青年のころからの夢だった」と 56 歳のベロ司教は語っています。カトリック系の通信社 ZENIT News の記事より。

私、自分がもう若くないと思って、いろいろと臆病になってしまっていたのですが、いくつになっても、新しい一歩を踏み出すことはできるものなんだなと、このニュースにかなり心を動かされてしまいました。ベロ神父の健康と活躍を祈ります。

2004年 6月 11日 午前 02:53 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2004.06.10

蒔かれた種、芽を出す

十日ほど前、「戦争のつくりかた」を職場の組合で配布してもらう提案をしたと書きました。ようやくこの提案が執行委員会で承認されました!(自分が執行委員をやっていれば、メールで諮って2、3日もあれば決められたのですが… あ、万一うちの組合の人がこれを読んでいると、私が中執をやりたがっていると勘違いされてしまいそう。そういう意味ではありません。) とりあえず、千人ほどの人に「戦争のつくりかた」を手に取ってもらえることになります。

まきこさん、hanaさんたちからいただいて蒔いた種がようやく芽を出したといった感じです。実際に配布が終われば“葉が出た”と言えるかな。花が咲き、実がなるといいのですが。しっかり水をやり、こまめに植木鉢を日なたに移動させる努力が必要ですね。

国会の会期は16日まで。今年は参議院選があるので、あまり長い会期延長はできませんよね。何とか有事諸法案を時間切れに持ち込みたいところ。傍聴に行きたいけど、やっぱり地方に住む身には辛いので、東京近辺の方、がんばってください。お願いします。

国会傍聴トリビア:去年の今ごろ年休を取りまくって参議院の傍聴に通っていた私は、法案のコピーはノートに挟めて、小型ボイスレコーダはペンシルケースに入るということに気が付きました。委員会によってチェック態勢が違うかもしれませんが、文教委員会では腕時計やペンシルケースは金属探知器を通しませんでした。あと、食堂(参議院の斜め向かい)は混んでいるし、近くにコンビニとかがないので、午前午後にわたって傍聴する際は、お弁当や飲み物を持って行ったほうがいいです。

国会関連リンク:参議院の委員会議事録法案内閣官房提出分防衛庁提出分)・インターネット審議中継

しまった。どこにトラックバックを送るか考えていなかった。まあ、いいや。寝てから考えよう

2004年 6月 10日 午前 12:08 | | コメント (2) | トラックバック (3)

2004.06.09

拷問に関する米国防省の内部メモ

ニューズウィークが拷問に関する2003年3月付けの米国防省の内部メモを入手公開しました(PDF、3.2MB)。拘束してキューバのグアンタナモ基地に移送し尋問を行なったイラク人への扱いを正当化するものです。アブグレイブ収容所で拷問が行なわれた際も参照されたと言われています。

ざっと読んだところ、

  • アメリカはジュネーブ条約に留保条件を付けており、拷問を行なったとして訴えられた米兵はその留保条件と合衆国憲法の枠内で罪を問われる、
  • 拷問を受けた外国人は合衆国憲法を根拠に訴えを起こすことはできない、
  • 合衆国の領土またはそれに準ずる地域での行ないのみに適用される(たぶん、イラクのように占領によって実効的に支配していても適用外になると思われる)、
  • 拷問そのものを目的とした拷問でなければ問題ない(情報を聞き出すためなら、かなりのことまで許される)、
  • 上部からの明示的な命令で行なわれるのが法的にはもっとも安全、

といったことが書いてあるようです。間違っていたらごめんなさい。また、ポイントを外している可能性が高いので、どうか入手される方は、私のこの記事によって先入観を得ることなしにお読みください。

追記:ロイター電がありました。私より、大統領が免責されるという点に注目して読んでいるようです。

情報源はTalkLeft の Secret Torture Memo Now Available です。ついさっきのニュースで、米議会上院での聴聞会で、アシュクロフトが公開を拒んでいて、共和党が与党なのでメモは公開されずに終わるのではないかと言っていたのですが… ところどころ公開されていない部分がある(空白があるし、末尾も突然切れている)ので、そこらへんにもっと情報が隠されているのかもしれません。

とりいそぎ、hanaさんのところ、石塚さんのところ、はなゆーさんのところにトラックバックを送ります。

2004年 6月 9日 午前 09:43 | | コメント (0) | トラックバック (0)

サルトルはどこへ行った

長谷川宏さんの『同時代人サルトル』(講談社学術文庫)を読みました。とても読みやすい好著だと思います。ごく個人的には、長谷川さんという方は、私と「同じ文の長さで考えている人だな」という印象を懐きました。だから、万人にとって読みやすいということではないのかもしれません。『嘔吐』、『存在と無』、『弁証法的理性批判』を論じた部分(と偉そうに書きましたが、実は私は『嘔吐』しか読んだことがありません)は非常に読み応えがありましたが、ジャン・ジュネ論や演劇ジャンルでの作品を扱った部分は、ちょっと物足りない(もっと紙幅がほしい)ように思いました。

ところで、サルトルの著作は、昔は書店に数多く並んでいましたよね(文庫本でもたくさんあったはず)。現在は驚くほど減っているように思います。確かに、フランス現代思想と言えば、既にサルトルではなくて、フーコー、デリダ、アルチュセールなどでしょうから、仕方ないと言えば仕方ないのでしょうが。でも、そのわりには“サルトル入門”的な本がけっこうたくさん出ているのはちょっと不思議なところ。私、実存主義は、いつの時代でも、かなりの人にとって「青春の基本」だと思うのですが、今、青春を迎える人たちはどうやって思想の糧を得ているのでしょう。

今日は『同時代人サルトル』を読みながら考えたことをダラダラ独り言のように書いています。読むに耐えないと思います。すみません。

ナチス占領下のフランス(レジスタンスの時代)が、圧倒的な支配力の日常化と、それに抗する(一部の)人々が否応なしに自由意志を昂揚させていたことで特徴づけられるとすると、今のイラクからもサルトルのような思想家が生まれるのではないかと期待してしまいます。もちろん、解放後のフランスが、サルトルが予期したような大衆の自発性に満ちた生活の場にはならなかったことも事実で、歴史が道標となるのなら、イラク社会全体の道先に過度の期待を抱くわけにはいかないのでしょう。また、第二次世界大戦前後の時期の共産主義のように社会改革の前衛に立つようなイデオロギーを私たちの時代は持ち合わせていませんし、イラクにおける知識人階層の崩壊離散は戦後のフランスのそれを遥かに上回っているでしょう。

日本の戦後民主主義の模索・確立が、サルトルの問題意識と完全に一致するものではなかったけど、当時の日本が選択した、ナショナリズムの対立項としてのヒューマニズムと、実存主義が描く“世界と隔たりをかかえた個としての存在”が近似していたこと。こういう話を読むと、いつも、もう少し早く生まれて来たかったと悔やんでしまいます。サルトル(1980年4月15日死去)と同時代を生きた最後の世代である私(たち)は、再びナショナリズムや大国の覇権主義に戻りつつある世界の状況の中で、彼から学んだ社会参加(アンガージュマン)の実践を今までになく強く迫られているのだと思います。

2004年 6月 9日 午前 12:16 | | コメント (2) | トラックバック (0)

2004.06.08

客体と主体:被写体から撮影者へ

PhotoVoice ― アフガニスタン、コンゴ民主共和国、ネパール、ベトナム、イギリスなどで、難民やホームレス、ストリートチルドレン、HIV感染者など、従来フォトジャーナリズムの被写体になってきた人たちに写真撮影の講習を行ない、新たな技術を身につけさせるとともに、フォトジャーナリストとして育成し、世界がこれらの人たちをどう見るかを決める主導権を彼らや彼女たち自身に取り戻そうという試み。(実際の写真はメニューから Project GalleryWorld Map、各地域のリンクとたどっていくとよい。)

カンボジアでのプロジェクトに関する AP 電で知ったが、サイト内にはカンボジアでの写真はまだ掲載されていないようである。BBC news の記事の右上にある First shotsA day in my life のリンクをたどると、何枚か作品を見ることができる。

2004年 6月 8日 午前 12:04 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2004.06.07

都立大でハンスト

東京都立大学の学生の一部が100時間のハンガーストライキに入ったとの報を受けました。

石原都知事のもと、都立大を廃止し、「首都大学東京」を設置する認可申請が文科省に対して出されています。都立大内の学生、院生や教員の意見を無視して行なわれつつあるこの「改革」には、私は不勉強ながら、かねがね大きな疑問をいだいてきました。(とりあえず、ac-net の関連ページ、検索で見つけた卒業生の岩崎さんのページshig さんのブログにリンク。)

今日から始まったハンストについては、情報がほとんどないのですが、ハンストという非暴力的手法を用いていることと訴えている問題点の重大さを考え、応援の気持ちを伝えたいと思います。非暴力的とは言っても、参加者の体には過酷な試練です。くれぐれも無理のないことを祈ります。途中で脱落する人がいたとしても、この問題に注意を払う人を増やしたのは間違いありませんから、どうかそのことを誇りに思ってもらいたいと思います。

2004年 6月 7日 午後 12:26 | | コメント (1) | トラックバック (1)

2004.06.06

スーダンの危機

スーダン国軍及び民兵組織による大量虐殺の問題は、雨期が始まるまでに難民への食料支援などを本格化させないと、数十万人の死者が出かねないということです。(英 The Guardian 紙の記事。)

私は、今まであまりこの問題に関心を払っていなかったので、Human Rights WatchQ & Aまとめ記事(スーダン国内の地図あり)が概要を把握するのに役に立ちました。

さまざまな NGO 系の最新情報は、Africa Focus国別情報で読むことができます。恥ずかしながら、私にはここのアフリカ地図程度の知識からの積み上げが必要でした。

それにしても、なんで世界はこう悪いニュースばかりなのでしょう。でも、きっと、なかなか意識のレベルまで上がってはこないけど、よい変化も起こっているのですよね? こうやって困窮している人たちがいるというニュースがすぐに伝わってくるのもテレビとかインターネットのおかげだし、飛行機があるから迅速に救援物資を運んだりできるわけだし。百年前、五十年前よりも、そういう点では世界はよくなっているのだろうなあ。そう考えないとめげてしまいそう。

2004年 6月 6日 午前 12:02 | | コメント (1) | トラックバック (0)

2004.06.05

パレスチナとの時差

かなり更新頻度が高そうなパレスチナ/イスラエル関係のニュースサイトを発見: International Middle East Media Center (英語)。パレスチナ・イスラエル間の紛争に関して、リベラルで党派的偏向のない立場から独自で正確な報道を目指すとしています。残念ながら、rss フィードはないようです。

2004年 6月 5日 午前 12:16 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2004.06.04

未完成のコラージュ

kokkai_goddess.png

国会議事堂前に立ち、民衆を率いる“民主主義の女神”。この合成写真は、平和を願い「戦争のできる国」作りに反対する市民で前景が埋め尽くされた時、完成します。議事堂の前に人の波と打ち振られる虹色の、緑色の、赤い、旗を描くことができるか、それとも空を茶色に塗り替えなくてはならないか。

天安門事件から15年目の今日、自由と民主主義を希求する中で死んでいった人たちを悼み、その精神を国境と時代を超えて受け継ぎたいと私は思います。まずは、平等とか世界の人たちとの友愛とかをもっとまじめに考えてくれる人たちに議員になってもらうことからかな。

2004年 6月 4日 午前 12:26 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2004.06.03

黙して肩を組む

A Global Witness という、社会的な運動に力点を置いたキリスト教プロテスタント教会系のウェブサイトを見つけた。名古屋柳城短期大学講師の市原信太郎さんが A Simple Focus on Respecting Life という題で記事を寄せている。

市原さんの記事の前半は、第二次世界大戦を知らない世代が多数を占めるようになって以来、特に1991年のカンボジアPKO派遣以降に、憲法第9条を反故にして「普通の国」であるべきだと考える人が増加を続ける傾向にあったが、特に9.11以降、軍事化が急速に進んだことや、戦前と変わらぬ「国旗」や「国歌」の強制が始まっていることを手際よくまとめている。英語話者に手っ取り早く日本の現状を知ってもらうために紹介するのによさそうである。

記事の後半では、派兵阻止の行動の際に知り合ったホームレスの元自衛隊員の言葉が紹介されている。その男性は弟がいまも北海道で自衛隊員をやっており、「もし知り合いのだれかがイラクで死んだら、なぜ派兵を阻止しなかったのか自分はものすごく後悔するだろう」と語る。市原さんは、この男性が貧しく、身の回りに何も持たないがゆえに、「生」に意識を集中させることができていると分析する。そして、キリスト教の牧師である市原さんは、生命の尊重という一点に焦点をあてることによって、日本の人口のわずか1%に過ぎないクリスチャンたちが、信仰や境遇は異なっても、同じように「少数者」であるさまざまな人たちと連帯し、大きな力を形作っていけるのではないかと述べている。

市原さんの意見は、ナイーブにすぎるようにも思われる。「生命の尊重」という大まかなテーゼにしても、例えば、女性の選ぶ権利としての妊娠中絶を否定する人と心やすく肩を組めるかと聞かれたら、私も躊躇を感じてしまうだろう。(「生命」という語の意味について共通理解があるか、不安だからである。)しかし、信頼と平和の未来を築くために、必ずしも志や党派性が同じではない人たちがいっしょに行動していかなくてはならないことも明らかな事実である。

イデオロギー、階級、宗教、民族、ジェンダー。自分に近しい人たちとの絆を深め、他者と弁別するための語は豊富に用意されている。世界が象徴の体系であり、意味作用が差異によってのみ産み出されるのであれば、これらの能記(シニフィアン)と結ばれない所記(シニフィエ)を、私たちは分析対象として指し示さなくてはならない。それは言葉の迷宮に住み、戦争という粗野な暴力に対抗するために言葉の力を最大限に活かしていかなければならない私たちにとって、予想外に難しいことかもしれない。一つの抜け道は黙ることである。黙して肩を組む。討議は必要だ。一人でも多くの人に声をかけることも重要だ。しかし、肩を組む時には、隣の人を信じて沈黙する。私は "Christian" と "life" という語につまづいてしまったが、市原さんが "simple focus" と呼んだものは、この「沈黙」とさほど違わないのかもしれない。

2004年 6月 3日 午前 02:27 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2004.06.02

6月を生きた人たち

私にとって、6月は生の力や死の重みをひときわ感じさせる月だ。私自身が例えば病気で生死の境をさまよったとかというのではない。ある日、閃光のように輝き、勇気を私に教えてくれた人たちが死んでいった月だからだ。

6月4日。民主化要求のため北京の天安門広場に集まった学生や市民たちに対し、中国当局の武力鎮圧が行なわれた日だ。1989年のこと。ニュースを見て、涙が止まらなかったことを昨日のことのように思い出す。混乱の中、死んでいった数多くの名も知らぬ人たち。必死に国外に脱出した人たち。そして、道の真ん中に立って戦車の隊列を止めたあの人。(ある夏、私は北京に行った。天安門広場に着いた時、突然、激しい雷雨となり、全身ずぶ濡れとなり、雹に打たれて顔や手足が痛んだ。しかし血は出ない。急に冷えた空気の中、濡れた衣服で震え上がったが私はもちろん生き続けた。)

6月11日。サイゴンの街角で僧侶が抗議の焼身自殺をした日。彼の名は Thich Quang Duc。「自殺」と呼ぶのは不適切かもしれない。1963年、アメリカ合衆国の傀儡である南ベトナムのゴディンジェム政権による仏教徒弾圧の不当性を訴え、自らをいけにえとして捧げた、壮絶な、しかし静かな祈りである。(彼の死からは相当に歳月が経っていたとは思うが、私はまだ小学生のころ、燃え上がる炎の中、微動だにせず祈り続けるこの人の姿に心を打たれた。選べるものならば、私は彼のように生き、死んでいきたい。)

6月15日。東京の国会議事堂前で、十万を超すデモ隊と警官隊とのもみ合いの中、樺美智子さんが圧死した日。1960年の安保闘争の中でのことである。(全学連、ブント、声なき声、人知れず微笑まん、そんなキーワードなら私も知っているが、実は私は彼女のことをほとんど知らない。しかし、デモで、あるいは傍聴で国会に行く時、私はいつも彼女の冥福を祈る。)

6月24日。後に「二十歳の原点」として出版される日記をつけていた立命館大学生、高野悦子さんが鉄道自殺をした日だ。1969年のこと。(高野さんの名前をここに記すのは適当ではないかもしれない。彼女の本は中学校のころ読んだ。よく分からなかった。後に、彼女が死んだ歳を遥かに超えた歳になって、もう一度この本を手に取った。彼女の苦悩は手に取るように分かった。しかし、残念なことに、私はその時、もう彼女のような純粋さを失っていた。つまり、高野さんと私は、結局のところ出会うことはなかったのだと思う。)

これからの4週間、この私的なリストに新たな名前が書き加えられないことを私は願う。しかし、名前も知らないイラクの民間人や“有志連合”国の兵士たちは、今月も必ず死んで行くことも忘れはしまい。

2004年 6月 2日 午前 12:59 | | コメント (0) | トラックバック (1)

2004.06.01

教育のはぐくむ希望

ワシントンD.C.にほど近いメリーランド州ボルティモアにあるちょっと変わった中学校に関する記事を読んだ。聖イグナチオ・ロヨラ中学校(St. Ignatius Loyola Academy)。名前が示すとおり、カトリック修道会のイエズス会が運営する私立学校だ。

アメリカ合衆国の大都市の多くがそうであるように、ボルティモアでも富裕層は郊外に移り住んでしまっており、市の内部は貧困や暴力、麻薬などの問題をかかえている。公立の小中学校は予算が潤沢であるわけもなく、高い教育の質を望むべくもない。

そんな恵まれない環境に育った子どもでも、よい教育環境を与えられれば、学力を伸ばし、向学心をいだき、成功することができる。その信念に基づき、この学校では寄付によって授業料無料で生徒を受け入れている。片親をなくしたり、生活保護を受けている家庭の子どもたちである。もちろん、規模はさほど大きくない。一学年25人程度だ。ここで厳しい教育を受けた後、子どもたちは奨学金付きの進学校へ、そして大学へと巣立って行く。全米には、このような主にカトリックの学校が43校あるという。(Nativity Network のサイト。)

これらの学校の存在はどういう意味を持っているのだろうか。非常に限られた人数の子どもたちしかこの恵みを享受できず、公教育予算の問題、そしてその根源にある都市荒廃の問題、所得格差の問題、人種差別の問題が解決されたわけではない。しかしこのような学校の成功は、それらの問題の大きさが覆い隠してしまっている基本的な真実、つまりどんなに不自由な境遇に生まれ育った子どもたちでも、無限に近い可塑性、可能性を持っており、適切なカリキュラムと指導さえ与えられれば、社会の既成の階層を乗り越えて行けるということを証明している。

金持ちや大企業の既得権益を守ろうとする政党、あるいは更に視野を広げて、工業化が既に進んだ自社会の優位性を保持しようとする国々は、意地悪な見方をすれば、この基本的な真実が覆い隠されていることを望んでいるのかもしれない。それによって、表に見える諸問題をいくらかでも解決しようとする姿勢を取ることによって、人道的な配慮や貢献をしているという言い訳ができるのだから。

この子どもたちが学んだ知識やいだく希望は、私たちみんなの、世界を変えるための教訓であり、希望でもあるはずだ。

2004年 6月 1日 午前 04:23 | | コメント (0) | トラックバック (1)

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