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2004.05.10

サマワとイラクは違う

サマワという都市は、イラクの中で非常に例外的な地域らしい。どのような意味で例外であるか、そしてその例外性が何に基づいているかを考察した興味深い記事を紹介する。

イラク各地で暴動、誘拐や戦闘が起こっているのに、自衛隊が宿営しているサマワでは、何回か砲撃騒ぎがあったものの、概ね平穏で、自衛隊支持のデモさえあったと言う。この対照をどう理解すべきか首をひねってきた人は多いだろう。もちろん、これには報道の偏り等もあるだろう。Institute for War and Peace Reporting のサイトに掲載された Naser Kadhem さんと Hussein Ali さんによる Samawah at Ease with Troops という5月4日付けの記事が別の視点を与えてくれる。以下にこの記事の内容を要約する:

サマワは他の都市と全く別世界のようで、住民は駐留しているオランダ兵や日本兵に手を振ったりさえしている。サドル派の影響が強い他の南部の地域からは、サマワは"white chicken" (温和しい弱気な者のことだろう)と呼ばれている。住民自身の説明によれば、この友好的な雰囲気には次の二つの要因がある。一つは、シーア派の中でも保守的な部族による統制支配が特に強力であること、もう一つは戦後にサウジアラビアへの武器密輸などによって経済的に非常に潤ったことである。サドル派や反占領運動に参加する者も少ないため、外国軍側も厳重な警戒態勢によって住民を疎外したりせずに済んでいる。サドル派の事務所は部族長たちの要請によって、戦後すぐ閉鎖されたが、住民とサドル派との関係自体は良好であるらしい。サマワの経済は伝統的に農業や牧畜、そしてサウジアラビアへの武器などの密輸に依存してきた。しかし戦後には、フセイン政権時代にイランや湾岸諸国、西側諸国などに亡命していた人々の帰還によっても経済は潤った。ガソリン不足などは他の都市と変わらないが、それを駐留している外国軍のせいにする者は少ない。日本軍とオランダ軍がガソリンを供給してくれるのではないかと期待する者もいる。

この記事を信じるならば、私たちは派兵の阻止はできなかったが、私たちが派兵反対のデモの際に叫んだ「殺すな、殺されるな」という願いはかなうかもしれない。決して予断が許される状況ではないと思うが、ぜひともそうであることを祈ろう。

私がこの記事に注目するのは、サマワの“例外性”が現在行なわれている派兵に留まらず、今後の改憲をめぐる論議にも重要な意味を持ってくると思うからである。派兵先にこの安全なサマワが選ばれたのは、外務省の情報収集能力によるものなのか、日本の再軍備を企図するアメリカがこの地をあてがったのか、私は知らないが、極めて優れた判断だったことは間違いない。仮に、幸運なことに自衛隊が一人も殺さず、殺されず、占領から帰ったとしよう。そのことは必ず「戦力保持や派兵は全く問題ない。実際、あの危険なイラクに行った自衛隊はだれ一人殺さず、殺されず、しかも住民との友好を深めて帰ってきたではないか」という形にまとめられて、憲法9条の変更を推進するために利用されるだろう。

しかし、ここにあげた記事は、サマワが一般的なイラクの都市とはかなり異なった事情を持った特殊な場所であることを示している。「サマワへの派兵」とその安全性は、「イラクへの派兵」とその安全性、さらにはより一般的に、戦力を保持し派兵する国となった日本の安全や国際社会からの信頼を保証するものでは決してないのである。今回の派兵が「成功」に終わったとしても、それは派兵に反対した私たちの主張が間違っていたことをいささかも示すものではない。また、サマワの平穏や友好的な雰囲気が自衛隊がもたらしたものでないこともこの記事は教えてくれている。改憲を目論む人たちによる事実の歪曲や拡大解釈、論理のすり替えを許さないため、私たちはこれらのことをしっかりと認識し、記憶しておく必要がある。

この記事の置かれた IWPR のサイトについて私はつい昨日知ったばかりである。(だから、上記記事も、他の方が既に論じられているのではないかと思う。)このサイトには、Iraq Press Monitor として、アラビア語紙の主要記事の英文要約が頻繁に掲載されていて、貴重な情報源となりうるように思われる。

2004年 5月 10日 午前 12:02 | | この月のアーカイブへ

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