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2004.05.08

青空文庫の歩みを私の目から

青空文庫のオフ会+東京国際ブックフェアでの富田倫生さんの講演については、aozora blogag さん、Juki さん、大久保ゆうさん(1,2,3)、門田裕志さんが既に詳しく書いていらっしゃっていて、ブックフェアの後で「みんなで感想を書きましょうよ」という話の輪に入っていた私ですが、完全に出遅れてしまいました。 講演自体にも、ちょっと遅刻してしまった(恥ずかしながら、ブックフェアの会場の隅で仮眠をとっていて寝過ごした)ので、自信を持って感想を書けなかったりします。富田さんのお話として私が記憶しているものに、私自身の解釈を加えつつ、書き残しておきます。誤解があったり、富田さんのお話の意図から逸脱していたらごめんなさい。

富田さんの講演は、青空文庫のファイルを美しく表示してくれる Azurボイジャーから発売になったことを機に行なわれたものです。青空文庫の活動の近くにはいつもボイジャー社の技術があって、Azur の登場は両者の関係の新たな時代の始まりなのだと思います。「ボイジャー」というのは、青空文庫を語る際に欠かせないキーワードの一つでしょう。

富田さんたち呼びかけ人が青空文庫を始めた当時は、ボイジャーのエキスパンドブックがあり、その“紙の本”のような表示の美しさ故に、文学作品の電子化をやろうじゃないかという機運が生まれたのでしょう。美しさの代償(たぶん、当時はそれが「代償」だとは思われてはおらず、喜んで立ち向かっていったのではないかと想像します)は、青空文庫のもう一つのキーワード「外字」の処理をめぐる煩雑さ(テキストの流れとは独立して、外字を画像として埋め込まなくてはならないらしい)だったと理解しています。

私が青空文庫と出会ったのはそれよりもかなり後で、ボイジャーから次のビュワー T-Time が出た後でした。エキスパンドブック同様、T-Time は縦書きで、ルビを含め、きれいにファイルを表示することができます。また、外字画像をテキストの流れの中に含めることもできます。また、画像ではなく文字として外字を埋め込むこともできます。ただ、ここにも代償がありました。ルビや傍点を表示させるためには T-Time 特有な書法で記述しなくてはならないこと、外字を扱うためには、JIS X 0212 という、かなり使いにくい規格に合わせなくてはならなかったこと、等々。

この後、状況を変える大きな動きが世の中に二つ起こります。一つは、W3Cによる、ルビタグの標準化や字下げレイアウト等のスタイル指定の標準化です。もう一つは JIS X 0213、つまり JIS 第3,4水準漢字の制定です。この二つを力にして、青空文庫は、自信をもって標準的な形式でファイルを作り、それを日本語の標準的な組版に近似した形で表示してくれるビュワーの登場を待つことになります。(実は、待っている間、私は気が付かなかったのですが、世の中にはもう一つ大きな動きがありました。おそらく、ほとんどの人には上に書いた二つの動きよりもずっと身近なものでしょう。ブロードバンド常時接続の普及です。)

そして今年、待望のビュワーを私たちは手にすることができました。それが Azur です。その姿はリンク先で見ることができますし、富田さんたちと同様、私がどんなにこれを待ち望んでいたかは以前に書きましたから、繰り返しますまい。

Azur の助けを借りて、標準的な形式でファイルを提供するということは、過去の文芸遺産を今日、享受し、明日に託す行為です。青空文庫に関わる多くの人と同様、私はこのことにとても大きな意義を感じ、その一部分として活動していることに誇りを感じます。蔵の戸を開くこと。宝のような本を人々に自由に手にとってもらうこと。この「自由」という語にはいろいろな意味があると思いますが、その語に関連して二つばかり私の感想を書いておきます。

一つは、青空文庫の自由。ボイジャー(という営利企業)はもっと積極的に青空文庫に関わるという選択もあったのではないかと思います。しかし、青空文庫はボイジャーから自由であり続けました。どういう経緯があったかは分かりませんが、それは幸せなことだったと確信します。青空文庫、ボイジャー双方の判断に敬意を表したいと思います。Azur を介した青空文庫とボイジャーの新たな関係もきっと実りあるものになるでしょう。

もう一つは、自由の代償ということ。先ほど、エキスパンドブックや T-Time については、その代償ということを書きました。Azur については、失うものはないでしょうか。標準的な形式でファイルを提供することは一企業のソフトウェアの仕様に縛られないという意味で「自由」ですが、標準的な xhtml を生成するために、テキスト入力の段階で以前よりも厳密な注記の付け方が求められるようになっています。これは入力者・校正者の自由を奪ってはいないでしょうか。仮に入力や校正に関わる人が多少不自由に感じるとしても、呼びかけ人など、より中心に近いところで活動している人たちが過去の過酷な負担から解放されているのであれば、それは仕方がないのかもしれません。全体として手間ひまが減っているのか、負荷は多少でも均等化されているのか、そこらへんは運動を持続させていくにあたって、とても気になるところです。

最後にもう一点。富田さんが講演を終えた後、ボイジャーの荻野さんが、エキスパンドブックから Azur への流れについて、「見栄えから構造に重点を移した」というまとめをなさっていました。私もまさにそう思います。そしてそれは、歴史の流れに照らして賢明な判断だったと思います。ただ、現在、青空文庫が提供している xhtml は十分に構造化(章や節のマークアップなど)されているとは言えません。これまで、日本での電子テキスト・電子書籍の普及に青空文庫は多大な貢献をしてきたと思います。電子書籍ビジネスが本格化してきた今、商業化の波にもみ消されないために、この点は改善していかなくてはならない課題だと思います。ただ、それを関わる人たちの負担を増やさずにどういう手順で実現していくのか、道はまだ見えていません。

なんか、長くなってしまいました。読んでもらえるかなぁ。(3回の連載を敢行した大久保さんの気持ちがよく分かる気がします。)富田さん、熱い話をありがとう!そして青空文庫の仲間のみなさん(オフ会で会えた人も、会えなかった人も)、熱い出会いをありがとう!

2004年 5月 8日 午後 04:30 | | この月のアーカイブへ

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