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2004.05.06

ファシズム

批評理論で有名な Terry Eagleton さんがファシズムについて書いていますNew Statesman に載った Robert O. Paxton さんの The Anatomy of Fascism という本の書評です。

政治理論に詳しい人には旧聞に属することなのだと思いますが、Paxton さんの本では「ファシスト」と「保守主義者」の違いが考察されていて、そういう話に疎い私にはとてもよい勉強になりました。曰く:保守主義が王政やそれに伴う富裕階級に基礎を置き、伝統や文化的教養、個人を重視するのに対し、ファシストは全体主義国家を美化し、軍靴の音を気にしない。保守主義者が貧しい大衆を見下して、関わろうとしないのに対し、ファシストは大衆を扇動、動員して行動する。ファシストは理論ではなく神話や偏見で考える。(頭で考えるのではなく、血で考える。)ファシズムは大衆に根ざした軍国主義思想であり、エリートとも結託して国内での粛正と国外での拡大を目指す。自分たちの国が屈辱的に扱われているという被害者意識を持っていて、自分たちのことを、恥ずべき過去を消し去り新たな将来を創造しようとする改革者だと考えている。Volk (民族)の気概を高め、国民を団結させるためならば、どんなことでもする実利主義者である。等々。好意的な紹介の中で、Eagleton さんが唯一不満としているのは、ファシズムが時代錯誤的な古さ(民族神話信仰など)と前衛的な新しさ(技術の利用など)を併せ持っている点の考察が欠けていることだと書いています。

世界がファシズムに戻っていくかどうかはまだ分からないが、西側資本主義国が権威主義的傾向を増し、中国のような専制的国家が資本主義に傾斜していく中で、資本主義的な独裁国、つまりファッショ国家が生まれる可能性は大きいと Eagleton さんは観察しています。

私自身は、「まだ分からない」というのは控えめすぎる言い方で、上に要約したような意味でのファシズムは、既に少なくとも日本にはしっかり根付いているように思いました。戦前の日本のイデオロギーは、大衆に根ざしていたわけではなく、天皇制を上から押しつけただけの封建制であってファシズムと呼ぶのは相応しくないという解説を読んだことがありますが、もしかすると「自虐史観」という言葉が使われるようになったころから急速に増大してきた排外主義的な傾向は、20世紀ヨーロッパ的な“本場の”ファシズムが日本にも誕生したということを示しているのかもしれません。

書評の中では、ヒットラーやムッソリーニなどに対する個人崇拝的な要素についてはあまり出て来ませんでした。それも特徴的な要素かなとも思うのですが、日本ではこれからしばらくカリスマ性を持った人が出てきそうもない(小泉や安倍じゃちょっと無理でしょ)から安心だ、などと考えるのは甘いでしょうかね。

2004年 5月 6日 午後 06:55 | | この月のアーカイブへ

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