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2004.05.16

弱い平和思想について

イギリスの The Independent 紙に載ったある書評を読んで考えたことをとりとめもなく書いてしまおう。その書評記事の主題は、ふだんは「左寄り」の発言をしているにも関わらずイラク戦や「テロとの戦い」を支持した人たちをどう評価するかという問題だ。

実は、この項は一か月ほど前に書いてはみたものの、最後まで書けなかったので、そのままにしてあったのですが、思うところあって、中途半端なかたちのままブログに載せることにしました。最近になって、ここに書いたことに関連して、ある新聞記事を読んだからです。その記事については、明日にでもご紹介したいと思います。

そのような立場は左翼的な修辞の裏で強国の既得権益層を利し保守的な政策の広がりを招くだけだと否定されるべきものなのか。それとも、強国の利害と虐げられた人々の利害は時に一致することがあり、そのような場合には左翼の人間は慎重に支持をするべきなのか。

書評の著者は、第二次世界大戦において、英国の利害は抑圧されていたユダヤ人やポーランド人の利害と一致していて、英国がさまざまな面で欠点を擁していたにしても、戦うことは正しかったとし、それと同様のことが現代でも起こりうるとしている。

私自身は、それがあり得るとは思うが、イラクでの戦争や占領がそれにあたるかと問われれば、ためらいなく否と答えたい。この点に関しては、開戦から一年経った今、かなり多くの人がそう考えているだろう。

おそらく私のこの文章を読んでいる人の多くは、私がたった今書いた段落に眉根を寄せたことだろう。もちろん、私の書いたことで批判的に検討されるべきだと私が考えるのは、イラク戦争という具体的な事象の不当性に関してではない。段落の冒頭に「それがあり得ると思う」と書いた部分である。何があり得ると私は考えたのか。「よい戦争」があり得ると私は言ったに他ならない。

この点において、私は自分の「平和思想」が脆弱であることを自覚している。平和運動を推し動かす力となっている人たちの多くは、この点でとても強靱であると常に思う。そして、近年の歴史は、彼らが正しかったことを証しているように思われる。

(一休み)

2004年 5月 16日 午前 05:06 | | この月のアーカイブへ

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