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2004.05.31

無援の抒情

二年ほど前に買った道浦母都子さんの『無援の抒情』(岩波現代文庫)を読み返した。冬の歌や、女の性を読んだものが多いが、ほぼ季節的にも、年齢的にも、そして何よりも情景が今の私にそっくりなものがあったので、思わず微笑んでしまった。この歌集の作品の中では、艶めかしさも心の傷つきやすさも表さない極めて地味な一篇であるが、私にとっては、ほかにも全く同じような生を生きている人が存在すること、つまり、自分が「無援」ではないことを教えてくれて、とても心強かった。

四月去り五月も半ば鬱々と卒塔婆のごとく本重ね過ぐ

もちろん、おそらく道浦さんがこれを書いた部屋とは違い、私の部屋に散らかっているのは本だけではなく、脱ぎっぱなしの衣服だったり、古紙回収の日を逃してしまったために溜まってしまったチラシ類だったりもするのだけれど。(ちなみにこの歌集には、本に関しては「本は凶器 本本本本本本本本本本本 本の雪崩」という、阪神淡路大震災を詠んだかなりダダイストな歌も収録されている。)

今はしかし、私だけでなく世界に必要な勇気を与えてくれる歌を書き留めておくこととする。一篇目が1968年10月21日の新宿駅「国際反戦デー」騒乱のころに書かれたもの、二篇目が1980年代の作品である。

「今人間であろうとすればデモに行きます」父の視線よ肯きていよ
たましいが兵器を越えしベトナムを神話のごとく思い出すなり

私はベトナム戦争も既に終わり、学生運動が下火になって久しい1980年代に大学に通ったので、道浦さんが味わったような運動の昂揚も、思想的な苦悩も、検束の恐怖も、挫折も味わったことがない。しかし今また世界は大きな混乱の中にあり、道徳はその混乱に何の責任もない第三者のふりをすることを私たちに許さない。そのせいか、私は、道浦さんが加齢してから詠んだ枯れ錆びた歌よりも、これらの、若く、悩み苦しみながらおくった闘争の日々の歌のほうにより強く繋がりを感じる。

一つ気になること。この歌集の冒頭近くに、次の歌がある。

催涙ガス避けんと秘かに持ち来たるレモンが胸で不意に匂えり

柑橘類は催涙ガスの効果の軽減に有効なのか?昔、見た映画『いちご白書』(あるいは原作の本のほうだったかもしれない)では、たしかワセリンを勧めていたし、最近見た『ラブストーリー』では、練り歯磨きを目の下に塗る場面が出てきたのだが…

2004年 5月 31日 午前 06:44 | | コメント (3) | トラックバック (0)

2004.05.30

「戦争のつくりかた」を広めよう!

4月の半ばごろに書いた「茶色の朝」についての記事に、数日前、「たまごの距離」というブログからトラックバックをいただいた。トラックバック先の記事では、衆議院を通過し参議院で審議に付されている有事関連諸法案の危険性を指摘した電子絵本「戦争のつくりかた」が紹介されている。

戦争のつくりかた」は、既に施行されているイラク特措法、テロ特措法や審議中の国民保護法案が「戦争のできる国」づくりにあたり具体的にどのような効果をもたらすかを子どもにも分かる平易な言葉で示し、憲法改変に向かう日本の現状を的確に描写している。

悲観的な見方をすれば、この電子本の寿命は非常に短いとも言える。このままの慣性状態で日々が過ぎていけば、国民保護法案は今国会中に可決成立してしまうだろうし、憲法自体が余命1、2年といったところかもしれない。しかし、トラックバックをくださったまきこさんが言うように、“私たちが奇跡を起こす”ことをあきらめるのは早すぎる。

仮に残念なことに私たちの怖れていることがすべて現実になってしまったとしても、この小さな本は価値を失うわけではない。子どもという存在は、ごく身近なものでなければ、社会で起こっていることすべてを理解することができないものである。だから、今日の子どもたちにとって今日の政治的な動きの同時代性を実感することは難しい。彼ら彼女たちは、後にそれを自分の生と多少重なり合う時代の歴史的事実として学ぶことになるのである。しかし、この本を読んだ子どもたちは、大人になったときに必ず、今起こりつつある変化を、この本の読書体験の記憶を媒介に、まさに自分の時代の事柄としてとらえることができるはずだ。そしてその時に感じる自分との同時代性は、その時すでに当たり前になっているかもしれない社会のきまりを疑ったり、更に悪くなっていく状況を阻止しようとしたりする力となるはずである。端的に言えば、この本は私たちの希望や努力を次の世代に受け継ぐことを可能にする本なのである。

だから、私たちはこの本を広めよう。一人でも多くの人に読んでもらおう。

まだ提案の段階だが、私は昨年、職場の組合の中央執行委員だったので、その絆を頼りに、この電子本を印刷して組合員全員に、もしくは未加入の人も含めて全職員に配布することを組合に申し入れてみた。提案が通れば、千人ぐらいの人の手に渡すことができるのだけれど… 若干の恥じらいと、きっと味わうだろう多少の挫折感を怖れなければ、道行く人たちに手渡すこともできるだろう。ほかにもきっと、できることがあるはず。

以下は雑談:この本に出会わせてくれた「たまごの距離」のブログにはひよこの写真がいっぱい。私の猫、ウニ(ほとんど外に出ないわりには狩りがうまく、ときどき雀を捕ってきます)が舌なめずりをしながら見ていました。たまご、ひよこ、にわとり… そういえば、「戦争のつくりかた」の終わりのほうにある

人のいのちが世の中で一番たいせつだと、
今までおそわってきたのは間違いになりました。
一番たいせつなのは、「国」になったのです。

という言葉、ナショナリズムについて私が一か月ほど前に書いた記事、その名も「卵が先か、鶏が先か」とぴったりつながっているじゃないですか。う~む、これは運命的な出会いだったのかもしれない。(ちょっと強引か?)

2004年 5月 30日 午前 12:06 | | コメント (3) | トラックバック (9)

2004.05.29

イラクの教育荒廃

アルジャジーラが、1990年のクウェート侵攻によって国連から課せられた経済制裁によって、そして昨年の戦争とそれに続く占領によって、イラクの教育環境が極度に荒廃してしまったという問題を取り上げている。

ユネスコの調査によれば、1980年代まで、イラクは発展途上国の中でも突出して多く教育への投資が行なわれる国であったが、戦争後の現在、イラク中部および南部で緊急に修復の必要な学校は 10334 校中 8613 校にのぼる。高値で修理工事が落札されても、実際には壁が塗り替えられるだけであるとか、破けた古い教科書を依然使い続けているとか、昔は無償で支給されていた学用品が今は手に入らないなどの不満の声が聞かれる。経済制裁の影響で新たな学校が建設できなかったため、それまでは一校あたりの生徒数が500人程度であったのが、今は一つの学校でその9倍にものぼる生徒の授業を行なっている。それに伴い、小学校の段階で学校に来なくなる生徒も増加し続けている。そして、それは経済的な理由に限らず、治安への不安なども原因となっているようである。また、学校に通う代わりにマハディ軍の少年兵となる者も多い。主権委譲の前に、既に教育省はイラク人の管轄に戻されているが、今後、教育に十分な予算が配分されるかは不明である。

このブログでも、イラクの教育についてや自衛隊の支援活動について取り上げてきた。(例えば5月3日のこの記事。)このような話を読むたびに、同じような感想を述べるだけで、我ながら考えの広がりのなさにうんざりでもある(継続的に私のブログを読んでいる人がいれば、その人も同じように、あくびをかみ殺しながらこの文を読んでいるだろう)が、やはり一応、疑問点をまとめておこう。派兵そのものの違憲性はこの際、問わないこととして(いつの間にこんなに譲歩するようになったんだ、私? あ、ついでに「経済制裁」という問題についても、ここでは触れないことにします)、次のように考えた。

  • 教育を受ける機会の確保は、民主主義の基盤のはずだ。アメリカの占領は、それに本気に取り組む気があるのだろうか。
  • 日本の軍隊も、そういう不透明な占領に参加していて、復興の責任の一端を担っているのである。そのことに問題はないか。
  • 自衛隊が占領軍の指揮系統には入っていないという防衛庁の説明を信じるとしよう。それなら、独自の復興事業として、自衛隊は十分なことをやっているのだろうか。
  • 自衛隊の立場が上記二つのうちのどちらであったにしろ、日本政府は、数値目標やその達成度の開示にあまりに消極的なのではないか。学校の復旧支援も自衛隊の活動の柱の一つだったはずだ。いくつの学校に行って、どんな復旧作業をし、何名の現地の労働者を雇用したのか、等々、十分な報告をしてきただろうか。

これらの点をはっきりさせなければ、自衛隊のイラク駐留は何の説得力も持たない。表向きには歓迎してくれているサマワの人たちだって、本当は納得できてはいないのではないだろうか。表だって不満を述べないのは、今、日本に冷たくすると、後で企業が来てくれなくなって不利になると思っているからに違いない。

きっと、国会でもこれらのことが何度も何度も取り上げられてきたのだろう。質問されるたびに、小泉首相がはぐらかす。そんな様子が目に見えるようである。野党も、首相を引き出して答弁させることにこだわりすぎているのではないだろうか。防衛庁の事務方に答えさせたらどうだろう。う~ん、官僚は元々だらだらと意味の分からない文を読み上げるだけだから、やっぱりダメか。

本当にどうしたらいいの、私たち?

2004年 5月 29日 午前 12:09 | | コメント (5) | トラックバック (1)

2004.05.28

麻薬中毒患者の戦争

Kurt Vonnegut さんによる時評 Cold TurkeyIn These Times という革新系のサイトで見つけました。2週間ほど前に出たものです。ボネガットさんは、第2次世界大戦でのドレズデンの空襲をめぐる空想的な小説 Slaughterhouse-Five (これの映画版には、先日ご紹介した Holly Near さんが出演しています)などで有名なアメリカの作家です。

"Cold turkey" とは、麻薬中毒の人が徐々にではなく、いっぺんに服用をやめることによって起こる禁断症状のことです。(ジョン・レノンの歌のタイトルにもなっていましたよね。)

この時評の中で、ボネガットさんは、ユーモアと風刺たっぷりに、ブッシュ政権を筆頭とする保守派の政策を、独善的で金持ちの利益のみを考えたものだと批判しています。イラク戦争については「イラクに民主主義をもたらそうという考えは、アメリカ先住民にキリスト教の福音を広めようとした行為と変わるところがなく、感謝されなくても驚くには値しない」と書いています。この比喩は私にはとても新鮮に思えました。

記事のタイトル、"cold turkey" は、工業社会の石油依存を麻薬中毒に喩え、石油のために戦争をし利権の独占を狙うアメリカの姿勢を、禁断症状から逃れるため、凶暴な犯罪を犯してまで麻薬を買うお金を得ようとする麻薬中毒患者の姿に重ね合わせたものです。

ボネガットさんは記事の中で、1910年代に社会党から大統領選に立候補した Eugene Debs さんのスローガンや、新約聖書にあるイエス・キリストの山上の垂訓を引用していますが、私はそれらではなく、あえてボネガットさんの Slaughterhouse-Five の中で主人公の Billy Pilgrim が部屋の壁に掲げていた祈りの言葉をここに引用したいと思います。私は "serenity prayer" と呼ばれるこの祈りが好きで、よく心の中で唱えるのですが、これはアルコール中毒者の自助団体 Alcoholics Anonymous のモットーにもなっているそうです。ボネガットさんは、中毒の喩えで終わるこの記事を読んだ時に私たち読者がこの祈りを思い出し、自分たちに何ができるかを考えてほしかったのではないかと私は思いました。

God grant me
the serenity to accept
the things I cannot change,
courage
to change the things I can,
and wisdom always
to tell the
difference.

2004年 5月 28日 午前 12:07 | | コメント (3) | トラックバック (0)

2004.05.27

報道と責任

The New York Times が、"The Times and Iraq" という論説の中で、昨年3月の開戦に至る時期に一部の記事が不十分な取材や検証のまま掲載されてしまったことを認めている。特に、最近失脚した Ahmad Chalabi 氏や彼が仲介した証言者たちをニュースソースにした取材等について、記者だけでなく編集者がもっと慎重であるべきだったことを具体例をあげつつ記している。

私のこのウェブログは「報道」にあたるとは言えないかもしれないが、自分の意見を述べるにあたって、さまざまな情報源に頼りきっていることは事実で、個人で可能な限り、より厳格に検証した上で伝える努力をしなければならないのだと考えさせられた。もちろん、これは私一人に限ったことではなく、ウェブログやネット上の掲示板、メーリングリストなどの、新しい、草の根的な情報伝達一般に言えることだろう。(きれいごとを述べるつもりはない。これら新しいメディアが敏速な情報伝達と行動を可能にし、大手メディアや政府の過ちを指弾する役割を果たしている一方で、意図的に情報攪乱をしたり、何のためらいもなく無責任な発言をする人たちが多くいることは、私も十分承知している。)

自戒とともに、報道機関、政府などに対して、先入観にとらわれた取材や発表をしたり、検証を怠ったり、不用意に扇動的であったり、論議すべき時に十分な情報を提供しなかったりといったことがないか、なかったか、もっとしっかりと見据えてもらいたいと願う。

2004年 5月 27日 午前 05:30 | | コメント (0) | トラックバック (0)

バグダッドの街の声

フセイン政権時代に国外に亡命していたイラクの詩人が昨年の夏、かねてからイスラエルのパレスチナ占領を追ってきた映画監督とともにバグダッドに戻り、街の声を集めた映画を作った。About Baghdad という映画である。

今はアメリカで教鞭をとるこのイラクの詩人は Sinan Antoon さん、彼とともに撮影を行なったのは Adam Shapiro さん。この二人を Democracy Now! の Amy Goodman さんがインタビューしている: About Baghdad: An Exiled Iraqi Poet Returns Home To Witness the Effects of War, Sanctions and Occupation。 (Democracy Now! については、ごく最近、はなゆーさんが詳しく紹介している。)

インタビューの中で、Antoon さんは、占領下のバグダッド市民の世界観が当然のことながら単純でないことをまず指摘している。ブッシュ政権が言うように「アメリカの味方か、サダムの味方(あるいはテロリストの味方)か」といった二分法では決してないということである。また、(アメリカの援助によって行なわれた)フセイン政権の圧政によって、戦争によって、そして何よりも13年間続いた経済制裁によってイラクの社会が完全に崩壊したことを語っている。

Shapiro さんは、アメリカ占領下のイラクとイスラエル占領下のパレスチナの両方で、「抵抗(レジスタンス)」と呼ばれるものが、ただ自分たちの生活を自分たちの手に取り戻したいという人々の願いであること、そして占領軍の兵士たちがカメラであれこれと撮影していることなどをあげ、その相似性を指摘している。

インタビューの合間には、「サダムはいなくなったが、新しい支配者が来ただけだ。犠牲になったのは我々だ。」「今のイラクでは、大きな声で叫ぶ者の声しか外には聞こえていかない。社会の核である私たち普通の人々の声は届かない。」と語る二人のバグダッド市民の姿が映し出されている。

映画自体については、見てみなければ何も言うことはできないが、日本に暮らす私たちは、このインタビューだけからでも、私たちも加担しているイラク占領の実態や、経済制裁という行為が持つ非人道性などについて考えるきっかけを得ることができるだろう。

(経済制裁に関しては、小泉首相再訪朝後の報道を見ると、私はもっと慎重に発言するべきかもしれない。私は以前から一貫して経済制裁という政策一般について反対であり、この私の意見は小泉首相が経済制裁を行なわないと発言したことに落胆する拉致被害者家族連絡会の人たちを批判するものでも、家族会に批判を寄せる人たちを支持するものでもない。)

Sinan Antoon さんの詩二編(英語)を読んだ。選択された単語もやさしく、自由詩であるので、日本語を読み書きする私たちにもとても親しみやすい作風ではないかと思う。

2004年 5月 27日 午前 12:09 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2004.05.26

追悼を超えるもの

George Bush never looked into Nick's eyes ― イラクで斬首殺害されたアメリカの民間人 Nick Berg さんの父親、Michael Berg さんの訴え。5月21日付けの英 The Guardian 紙などに掲載されている。

なぜ自分の息子の死を招いた責任を、ビデオに映し出された五人の男だけではなくブッシュ政権に問うのかという疑問に対し、Berg さんは、殺害を実行した男たちが、短い間であったとしても自分の息子とふれあう中で、彼の善良な人柄を感じたに違いないと断言する。それに比べ、ブッシュは彼を失った人たちの痛みや、映像を見た世界の人々の悲しみを感じることができないのではないかと言う。アメリカ軍によって日々殺されていくイラクの人々の心に至っては、何をか況んやである。だから、実際に彼を殺した者たちよりも、安居して、彼の息子を死に至らしめ、今なお人々の生を奪い続ける政策を作る者たちのことを、この父親はもっと許すことができないのである。

Berg さんの文は、悲しみや怒りを伝えるものではない。彼には希望がある。彼は、Nick さんという一人の平和主義者の死が、きっと何千という平和主義者をこの世に生み出したに違いないだろうと考える。また、彼には誠実な問いかけがある。2001年の9月11日の後、アメリカは何をしなければならなかったのだろうか? 「敵」にアメリカの言い分を伝えるのではなく、彼らの声を聞く努力をするべきではなかったのか?

Berg さんの家族のために祈りを捧げる人々は多い。その人たちに対し、Berg さんは、自分の家族たちのためだけでなく、平和のために祈ってくれることを望んでいる。そして祈るだけでなく、平和を要求することを望んでいる。

美しい文、心を打つ文、感動的な文、考えさせる文、涙を誘う文、勇気を与えてくれる文、決意を固めさせてくれる文… 世の中に、読者と文章の間の特別な関係を表す言葉は数多くあるが、私はこの Michael Berg さんの文章を何と表現していいか分からない。読み手としての私は、書き手であるこの父親と、ともに祈り、ともに行動することができる―私はそう確信した。これは決して文章を賞賛する言葉としては華美なものではないが、今日からの私の行動が、言葉の不足を補ってくれるだろう。私はそう誓う。

2004年 5月 26日 午前 12:06 | | コメント (1) | トラックバック (1)

2004.05.25

スーザン・ソンタグさんの見るアブグレイブの写真

Regarding the Torture of Others ― 5月23日の The New York Times Magazine に写真家・文芸批評家の Susan Sontag さんが Abu Ghraib 収容所で撮られた拷問の写真について書いています。(同主旨で若干短い文章が5月24日の英 Guardian 紙にも掲載されています。)かなり長い文章であるので、文章に沿った要約ではなく、私の“読み”をまとめてみます。記事の紹介としてはいいやり方ではないので、私のまとめを読んでソンタグさんの文章の大意を理解したとは思わないでください。

写真と現実 ― ブッシュが「アブグレイブの写真を見て、驚き、気分が悪くなった」と語る時、問題の本質が現実ではなく写真の中にあるように表現しているようです。また、ブッシュの「遺憾である」という言葉は拷問が行なわれたことについてというより、アメリカの威信が傷つけられたことへの反応であるようにも取れます。しかし、写真に写されているのは、一収容所内での拷問ではなく占領という行為の本質的な悪であり、ブッシュ政権の政策の産物だということを忘れてはなりません。

写真と言葉 ― アフガニスタンやイラクで米軍が捕虜に対して非人道的な扱いをしているという話(言葉)は以前から出ていたのに、写真が公表されたことによって初めて政権が慌てだしたということは、無限にコピーされ流通していく写真の持つ力だと考えられます。また、この写真をめぐる言葉の問題として、ジュネーブ条約で明確に規定されている「拷問(torture)」という語が避けられ、「虐待(abuse)」「屈辱的な扱い(humiliation)」に言い換えられていることにも注意を払う必要があります。今後も「拷問」という語をブッシュ政権は避けようとするでしょう。それは、十年前、ルワンダでの内戦をジェノサイド(genocide)と呼ぶことを避け、アメリカが関わりあいを持たずに済ませようとしたことと同様です。

撮影という行為 ― 一連の写真が怖ろしいのは、拷問が行なわれたということだけでなく、それらの写真が撮られたということ、そして兵士たちが笑顔で写っているということです。弱者、自分よりも劣っていると思う者、自分とは違うと思う者に対して屈辱を与え苦しめることに何ら道義的な疑問を持たずに撮し、撮されていることに驚かずにはいられません。日常生活の中にビデオカメラなどがごく普通にあるのと同様な感覚で拷問の撮影が行なわれたと考えることもできます。

暴力と性 ― 兵士たちが罪の意識を持たずに撮影を行なったというのは、社会全体が暴力を容認し、暴力に鈍感になり、むしろ暴力を享楽として受け入れつつあることの反映だと考えられます。また、多くの写真が性的な意味合いを持っていることも、暴力と同様、ポルノグラフィが社会に溢れていることと切り離して考えることはできないでしょう。

拷問と政策 ― 捕虜の拷問は、特異な出来事ではなく、「テロとの戦い」を提唱し、「敵か味方かのどちらか」に世界を色分けしようとするブッシュ政権の政策の当然の帰結だと言えます。写真に写っているアメリカ兵は、アメリカそのもの、アメリカ人の総体だと世界の人が理解することを覚悟しなくてはなりません。また、拷問が一部の兵士によってではなく、上部からの命令なり容認を受けて組織的に行なわれていたと考えることは至極妥当に思われます。

今後の見通し ― ブッシュ政権は、できるだけ写真の公表を阻止するようにするでしょう。また、写真の報道が「自虐的である」という右派からの批判は既に始まっています。しかし、ブッシュ政権が世界を終わりのない戦争に導いたように、いくらブッシュやラムズフェルドが、あるいはアメリカが、写真から目をそむけようとしても、それは終わりなく、アメリカの姿を写し続けていくでしょう。

ソンタグさんの文章から私の読み取った点を、かなり原文とは異なる順序とまとめ方で書いてみました。正直なところ、このソンタグさんの文章は、戦争政策の批判としても文化批評としても、私にはあまり切れ味のいいものだとは感じられませんでした。それはたぶん、ソンタグさんがアフガニスタンへの攻撃を支持したことと無関係ではないでしょう。この記事の中でも依然としてソンタグさんはそれが正当だったと書いています。しかし、アフガニスタンとの戦争を肯定しつつ、イラクとの戦争を政策の誤りだとして否定するのは、一般的な市民の素朴な意見あるいは政治家や政治学者の微細な差異を重視した意見ならともかく、文化や象徴というものを考察対象とした批評としては、かなり無理のある立場にならざるを得ないのではないかと思います。また、拷問の被害者たちという点の考察が弱いことも感じてしまいます。

その一方で、昨日から今日にかけての「ラムズフェルドがイラクの米軍兵士によるカメラ付き携帯の使用禁止を発表」とか「ブッシュがアブグライブ収容所の取り壊しを発表」などというニュースに接すると、ブッシュ政権が現実を直視せず問題の本質を見誤っているというソンタグさんの分析は非常にいい点を衝いており、高く評価されるべきだとも思いました。

2004年 5月 25日 午後 09:05 | | コメント (0) | トラックバック (1)

2004.05.24

猫の棲み家

昨日、近況を伝えたばかりの The Infinite Cat Project が、新しい URL に移動しました。

「猫には飽きた、もっとまじめな話を読みたい」という方は、この新しいトップページの下のほうにある The forbidden news: www.smirkingchimp.com のリンクをどうぞ。私も明日からまた、がんばります。

2004年 5月 24日 午後 02:18 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2004.05.23

この猫たちに続け!

3か月ほど前に私の猫、ウニも参加した Mike Stanfill さんの猫を見る猫の写真集 The Infinite Cat Project、いつの間にやら総数が100枚を超えていました。当然、ウニの写真はモニタの遥か奥のほうに行ってしまって、もう見分けることはできません。あのころは、一週間経っても一枚も増えないといった状態だったのに…

2004年 5月 23日 午後 10:14 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2004.05.22

最後のわがまま

しぇんてさんがコメントをつけてくださったように、私がこよなく愛する韓国の“バラードの女王”スヨン(イ・スヨン)お姉さまの待望の日本デビューの詳細が決まりました。デビュー曲は「最後のわがまま」、6月23日にソニーから発売です。CDは hmv などで予約販売が始まっています。

スヨンお姉さまの歌声(今までに韓国で出した曲)は、探せば、けっこうネットで聞くことができます。(違法、合法、取り揃えですが。)日本語で読めるページでは、「彼女に感謝します」のミュージックビデオなんかをお勧めしてみます。他にもいくつか、ビデオが見られたり、視聴できたりする(合法だと思われる)サイトがいくつかあります。スヨンお姉さまファン獲得のために探しておかなくては…

私の日頃の記事の調子から、政治的なメッセージのある音楽をスヨンお姉さまに期待すると、がっかりすると思います。数々の不運を乗り越えてきた人ですから、優しい心を持った人だとは思いますが… メッセージ性のある音楽を聞きたい方には、Holly Near さんをお勧めします。数年前、メールを出したら、ちゃんと返事をくださり、日本でコンサートをやりたいものだとおっしゃっていました。この記事に目を留めてくださった人の中で女性団体、平和団体の方などいらっしゃいましたら、招聘など考えてみてください。

ところで、私、今回の著作権法の改変の件をしっかり追っていなかったのですが、韓国やアメリカからの輸入は、個人なら、これからも大丈夫なんですよね?最初は「逆輸入は禁止」という話だったと思っていたのだけど、どうも途中から話が変わってしまったみたいなので、ちょっと心配。

2004年 5月 22日 午前 12:06 | | コメント (1) | トラックバック (1)

2004.05.21

絶望を拒もう

「人を殺そうとしながら、その人に向かって『これはあなたのためにやっているのだ』と言っても説得力はない。そんなことをやろうとしているというのが、イラクにおけるアメリカの根本的な問題だ。」 ― ユーモアのある時評で知られる Molly Ivins さんの言葉です。占領の愚かさを鋭く衝いた表現だと思います。

状況が急速に悪化していることを認めないブッシュ政権は自己欺瞞の逃避主義に堕しているとしか思えません。サマワでごく微量の浄水作業をして、たまたま周りがわりと平穏だからといって日本はイラクの人たちから信頼され続けていると考えるのも現実逃避。その中で有事関連諸法を通してしまう私たちって、いったい何をやっているんでしょう…

昨日(5/20)は、本当は東ティモールの主権回復(世に言う「独立」)2周年という、それなりに明るい日のはずだったにも関わらず、朝起きた途端に「イラク西部で結婚パーティー会場を米軍が空襲、40人死亡」、「ガザのラファでまたイスラエル軍がミサイル攻撃」と聞かされ(どちらも衛星放送の Peter Jennings のニュース で見ましたが、既にリンクがなかったので、Aljazeera の記事にリンク)、“絶望”としか表現しようのない気分で一日を過ごしました。何かいいニュース、ないものでしょうか…

そうか、いいニュースを“待って”いてはいけないんですね。教えてもらった、例のおまじないの言葉をもう一度ここに書いておきます。

もしあなたがあまりにも落ち込んで心を躍らせることができなかったら、他の人の心をうきうきさせるような何かをするのです。

アムネスティのイマジン・キャンペーンへのオノ・ヨーコさんの言葉です。

「絶望」をキーワードに検索してこの稿にたどりついた人 ― おそらく、私と同じような心の人 ― がいたら、どうか、上の言葉があなたにほんの少しでも生きる希望を与えますように。この稿、いつもにも増して取り留めのないものになってしまいましたが、この祈りをこめて、ウェブに載せます。

2004年 5月 21日 午前 12:04 | | コメント (1) | トラックバック (1)

2004.05.20

経済制裁と鎖国

オーウェル的と言うべきか、カフカ的と言うべきか分からないが、「経済制裁」という政策が私たちの社会をどのように歪めていくかを示唆する話を紹介する。

私は、最初にこの話を Hands Off という記事で読んだ。Valley Advocate というマサチューセッツ州西部で発行されている週刊のフリーペーパーに二か月ほど前に掲載された Stephanie Kraft さんによる記事だ。経済制裁対象国内で書かれた原稿の出版に関するアメリカ商務省の方針を論じている。同じころ、いくつかのもっと大きな新聞でも取り上げられていたと思う。

現在、アメリカ合衆国はキューバ、イラン、イラク、リビア、北朝鮮、スーダン、シリアに対して、厳しい経済制裁措置をとっている。これらの国の人たちが書いた論文や随筆等を編集しアメリカ国内で出版される雑誌等に掲載するには、商務省(Treasury Department)の海外資産管理局(Office of Foreign Assets Control)の特別な許可が必要である。この件に関してある学術雑誌の出版社から受けた問い合わせへの回答が OFAC のウェブサイトに掲載されている。そのメモによれば、例えばイラン在住の著者から送られてきた、いわゆる“カメラ・レディー”の原稿をそのまま掲載することは許される。しかし、驚くべきことに、

  • パラグラフや文を並べ替えたり
  • 文法上の誤りを直したり
  • 不適切な単語を差し替えたり
  • 共著者として原稿の改良や変更を行なったり

することは許されない。つまり、経済制裁対象国の人と共著で論文や本を執筆したり、それらの国の著作物を翻訳したり、その原稿をごく常識的な意味で校正編集すると、それはアメリカ国内では違法行為になるのである。そして、皮肉なことに、その法律は、経済制裁発動の理由であっただろうその国の体制を批判する意見を著者が述べていた場合でも適用される。

これが、“自由の国”という看板を掲げたアメリカの店じまいを意味しているのか、あるいは官僚組織の硬直度を物語っているのかは分からない。また、すべての経済制裁がこれと同等の適用範囲を持って課されるわけでもないことも自明である。ただ、安直に適用される経済制裁は、時として、このようにすこぶる滑稽な形で私たち自身の自由をも奪っていくことは、もっと広く識られるべきであろう。

2004年 5月 20日 午前 12:09 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2004.05.19

結婚と宗教

以前暮らしていた新聞を読んだ。一番上の記事のタイトルは「祝いの日」 ― この日(5/17, 月曜日)、マサチューセッツ州で認められた同性間結婚をメイン・ストリートの教会で前夜から数百人の人が集まって祝ったという。この歴史的な日に結婚した人たちに幸多かれと祈る。 Human Rights Campaign のサイトで、この日マサチューセッツで結婚した人たちの本当に幸せそうな写真を見ることができる。

ふだんはイラクのシーア派、特にムクタダ・サドル師の言動に関して詳しい解説記事を発表している Juan Cole さんが、この同性間結婚に関しての考察を行なっている。Cole さんは、同性間結婚への反対、ブッシュ政権が目論んでいる同性間結婚禁止法案提出の議論がすべて宗教的な観点からなされていることに注目している。同性愛や同性間結婚は「自然に背く」と言った場合、その「自然さ」を定義するには宗教的な基準を用いざるを得ない、ということである。そして、それはもちろん宗教と政治の分離の原則に反するものである。

Cole さんはまた、同性愛の禁止(死罪が課される)がタリバン政権下のアフガニスタンやホメイニ師による革命後のイランなど、イスラム急進派の中で厳格に実施されていることをあげ、ブッシュ政権の行なおうとしている同性間結婚の違法化が宗教の政治的な押しつけであり、少数者の人権弾圧を招きかねないこと、奇しくもオサマ・ビン・ラディンやアルカイダの思想と同じ類のものであることを指摘している。

2004年 5月 19日 午前 12:02 | | コメント (3) | トラックバック (0)

2004.05.18

インドの選挙結果について

Let us Hope the Darkness has Passed ― インドの有名な小説家、Arundhati Roy さんがインド国会総選挙の結果についての論評を書いている。彼女はアフガニスタンやイラクでの戦争、環境問題などに関しても積極的に発言をしてきた人である。報じられているように、今回の選挙では保守的なヒンドゥー民族主義路線の前与党、インド人民党(BJP = Bharatiya Janata Party)が大敗し、国民会議派(Congress)を中心とする連合政権が樹立されることとなった。

Roy さんは、BJP 政権下の新自由主義的な経済“改革”が都市と農村の間の貧富の格差を極端に拡大しただけでなく、POTA と呼ばれる治安維持のためのテロ防止法によって警察の横暴が強まり、少数民族などへの迫害や殺害が横行したことを多くの具体的な数値を示して指摘している。

政権交代によって、このような暗黒時代が終わりを告げたかという点については、新与党・国民会議派と BJP の間に大きな政策の違いがないこと、経済“改革”や行き過ぎた治安維持が選挙の争点となっていなかったことをあげ、楽観は許されないとしている。

インドは決して私たちにとって遠い国ではなく、ロイさんが取り上げている諸問題も私たちに無縁ではない。それは、一つにはグローバリゼーションにどう抗していくかというのが私たちの共通の課題であるからでもあるが、そのような概念の助けを借りなくても、私たちはそのことを極めて直截的に捉えることができる。試しに、アルンダーティ・ロイの名前を例えば大江健三郎に、政党の名前を自民党、民主党に置き換えるなどして、もう一度この記事を読んでみるとよい。そうすることによって、あなたは五年後ないし十年後の日本の新聞記事を読んでいる自分の姿を見ることができるだろう。

2004年 5月 18日 午前 12:03 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2004.05.17

東ティモール滞在者のブログ

現在、東ティモールに滞在中の近藤雄生さん、青合素子さんという方のブログを発見しました。

2004年 5月 17日 午後 01:21 | | コメント (0) | トラックバック (0)

ラモス・オルタはイラクをどう見るか

Sometimes, a War Saves People ― ウォール・ストリート・ジャーナル紙の論評欄に先週の木曜日に掲載された、東ティモール外相ラモス・オルタさんの意見。ラモス・オルタさんは、ご存知のとおり、ベロ司教と共に、1996年にノーベル平和賞を受賞している。

ラモス・オルタさんは、スペインなどによる撤兵に対して、それがイラク国内の過激派を力付かせるだけだとして、反対を表明している。ポルポト政権を倒したベトナムによるカンボジア侵攻、イディ・アミン政権を倒したタンザニアによるウガンダ侵攻など、国連主導によらない戦争も是認されることがあり、フセイン政権の暴政やクルド系国民への迫害などを考えれば、イラク侵攻もその範疇に入るだろうと言う。そして、フセイン政権崩壊後、言論や結社の自由が保障されるようになったことをあげ、イラク戦争と占領を擁護している。

インドネシア、マレーシア、バングラデシュなどに見られるように、イスラムと民主主義は両立するのであるから、アメリカは Al-Sistani 師などシーア派穏健派を中心にした民主的な政府(欧米の基準からすれば十分に民主的ではないかもしれないにせよ)の樹立が当面の目標であり、1975 年のインドネシアによる東ティモール侵攻に無力であったように、国連の力には限りはあるものの、アラブやイスラム諸国の協力も得つつ復興を行なうためには、アメリカが中心を担いつつも、国連が前面に出て行動していくことが必要であるとする。

ラモス・オルタさんは、ノーベル平和賞受賞者として、武力行使を認めることにためらいを感じつつも、十年前のルワンダのように、何も介入が行なわれなければ何十万という犠牲者が出ることもあるのであるから、このままイスラム過激派の動きに対して世界が反対の意志を明確にしないわけにはいかないと主張している。反戦を唱えるのは簡単だが、それだけでは無辜の人々を見殺しにしてしまうことにもなりかねず、イラクからの撤退はまさにその危険をはらんでいると結んでいる。

この稿は、昨日の私の稿の続きとして書いた。昨日の記事を見ていただければ分かるように、私はここに要約したラモス・オルタさんとはかなり異なる意見を持っている。それについては、近々、もう一度考えてみようと考えている。

2004年 5月 17日 午前 07:09 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2004.05.16

弱い平和思想について

イギリスの The Independent 紙に載ったある書評を読んで考えたことをとりとめもなく書いてしまおう。その書評記事の主題は、ふだんは「左寄り」の発言をしているにも関わらずイラク戦や「テロとの戦い」を支持した人たちをどう評価するかという問題だ。

実は、この項は一か月ほど前に書いてはみたものの、最後まで書けなかったので、そのままにしてあったのですが、思うところあって、中途半端なかたちのままブログに載せることにしました。最近になって、ここに書いたことに関連して、ある新聞記事を読んだからです。その記事については、明日にでもご紹介したいと思います。

そのような立場は左翼的な修辞の裏で強国の既得権益層を利し保守的な政策の広がりを招くだけだと否定されるべきものなのか。それとも、強国の利害と虐げられた人々の利害は時に一致することがあり、そのような場合には左翼の人間は慎重に支持をするべきなのか。

書評の著者は、第二次世界大戦において、英国の利害は抑圧されていたユダヤ人やポーランド人の利害と一致していて、英国がさまざまな面で欠点を擁していたにしても、戦うことは正しかったとし、それと同様のことが現代でも起こりうるとしている。

私自身は、それがあり得るとは思うが、イラクでの戦争や占領がそれにあたるかと問われれば、ためらいなく否と答えたい。この点に関しては、開戦から一年経った今、かなり多くの人がそう考えているだろう。

おそらく私のこの文章を読んでいる人の多くは、私がたった今書いた段落に眉根を寄せたことだろう。もちろん、私の書いたことで批判的に検討されるべきだと私が考えるのは、イラク戦争という具体的な事象の不当性に関してではない。段落の冒頭に「それがあり得ると思う」と書いた部分である。何があり得ると私は考えたのか。「よい戦争」があり得ると私は言ったに他ならない。

この点において、私は自分の「平和思想」が脆弱であることを自覚している。平和運動を推し動かす力となっている人たちの多くは、この点でとても強靱であると常に思う。そして、近年の歴史は、彼らが正しかったことを証しているように思われる。

(一休み)

2004年 5月 16日 午前 05:06 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2004.05.15

温故知新

手前みそで申し訳ありません。定期的な宣伝をかねて、スクリプトを改変した際などにここに書いてきたのですが、ここのところ全く手をいれておらず宣伝の機会がなかったので、かなり強引なネタふりです。

「温故知新:古きをたずねて新しきを知る」というのとはちょっと違いますが、新しい朝の訪れとともに、古い書が毎日届く青空文庫新着情報 RSS、ご愛顧ください。

ところで、英語を中心としたテキストアーカイブ Project Gutenberg も、最近、新規登録作品の RSS 配信を始めたようです。アドレスはこちらです。ふっふっふ、サービス開始時期も、送信内容も青空文庫新着情報 RSS の勝ちじゃん。なんてったって、こっちにはファイルサイズと立ち読み用冒頭文字列が入っているもんね~。(天狗。) Project Gutenberg RSS のことは、私は 4 月の終わりごろに知ったのですが、この一週間ぐらい、いろいろなところでこれに関するブログ記事を見かけるので、購読者数では、既に負けているかもしれません。あと一歩でございます。どうか青空文庫新着情報 RSS に清き一票を!

失礼。勝った負けたの話ではありませんよね。戦争ですっかり心が荒んでしまった私。だれか、愛をください。また、もし青空文庫呼びかけ人のどなたかがこの文をお読みでしたら、次回にサーバのデータベースに手を入れる際に、rss または atom 生成の仕組みを組み込むことをどうかご検討ください。私、最近ときどき自殺願望を起こしますから、いつまで私のところで配信を続けられるか分かりません。(暗~っ。)ま、cron で動いていますから、私がいなくても、サーバが動いていれば送信は続きますが。

こんな書き方をすると、読んでいる方に要らぬ心配をおかけしてしまいますね。ちゃんと薬を飲んでいますから大丈夫です。一昨日は本当につらくて、同僚のなかでいちばん私が信頼している人にしばらく手を握ってもらって、ようやく乗り切りました。支えてくれる人がいることは本当に幸せなことです。感謝。

2004年 5月 15日 午前 07:53 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2004.05.14

チョムスキーのインタビュー

「南アフリカ、イスラエル・パレスチナと現在の世界秩序の輪郭」という題でノーム・チョムスキーさんがインタビューに答えている。インタビューアはハーバード大学のクリストファー・リーさん。インタビューが行なわれたのは今年の3月9日だという。Z-Magazine のサイトで見つけたが、元々はSafundi: Journal of South African and American Comparative Studies という雑誌に掲載されたもの。記事の原題は "South Africa, Israel-Palestine, and the Contours of the Contemporary World Order"。南アフリカやイスラエルにおける隔離政策の違いなど、かなり微妙な差に関する議論があって、読みやすいものとは言えない。私には知らないことが多く、また、かなり長いインタビューであるため、その全体を訳したりうまく要約することは今の私にはできない。南アフリカに関する部分は割愛し、印象に残った点をいくつか紹介しよう。これによってチョムスキーさんの発言の趣旨は曲がって伝わることはないだろうが、記事の全体像を示すものではないことを予めご了承願いたい。

チョムスキーさんは、ヨルダン川西岸地区の分断壁の構築がパレスチナ人を追い出すための長期的な計画の一部だと考えている。それは、壁が国際的に認められた本来の国境よりもパレスチナ側に作られているだけでなく、給水系をパレスチナ人から奪っており、壁の中が徐々に居住不可能になっていくと考えられるからだと言う。

オスロ合意がまとまったのは、アラファトがユダヤ人居住地の撤去を求めなかったからであり、それはアラファトなどの亡命組(チュニス組)パレスチナ人組織の裏切りにも等しいものだとチョムスキーさんは批判する。その結果、その後、居住地建設が絶え間なく続いたとしている。オスロに先立つ協議では、パレスチナ残留組の Haidar Abdel Shafi 氏が交渉にあたり、ユダヤ人居住地の撤去要求を曲げなかったため、合意にいたらなかったとする。チョムスキーさんはこの Haidar Abdel Shafi 氏を高く評価している。

1967年の第三次中東戦争から1973年の第四次中東戦争の間に、ユダヤ人国家とパレスチナ人国家の連邦制度のようなものの構築が可能だったのではないかとチョムスキーさんは考える。その当時はそのような意見を述べることは異端とされており、イスラエルはその機会を逃してしまい、現在唯一可能性があるのは、イスラエルとパレスチナという二つの全く独立した国が本来の国境線沿いに作られることが国際社会で合意されることだとチョムスキーさんは語っている。

このインタビューで一番興味深かったのは、チョムスキーさんが自らの生い立ちを語っている部分である。反ユダヤ主義の風潮が非常に強かった1930年代には、モーテルに "restricted" (立ち入り限定)と書いてあれば、それは黒人だけでなく、ユダヤ人もお断りという意味だったことや、1950年代はじめには、ハーバード大学ではユダヤ系の教員が全くいなかったことを述懐している。似たような意味で、現在のアメリカ社会には反アラブ主義的な風潮が見られると語っている。

また、彼は十代のころ、自分がシオニストであったと語っている。当時、シオニズムと言っても、それは必ずしもユダヤ人国家建設とは同義ではなく、ユダヤ教国家、イスラム教国家、キリスト教国家、白人国家など、すべて差別的であらざるを得ず、そのようなものには当時も今も反対であると言う。

もう一点、経済制裁という政策に関するチョムスキーさんの見解も非常に興味深い。経済制裁は対象となる国の民衆を傷つけるものであるから、その国の民衆が望んでいるのでなければ、そのような政策をとるのは非道徳的であると言う。

これを敷衍して他の地域の問題に若干、私の意見を述べる。以前、東ティモール外務大臣のラモス・オルタさんが「経済制裁は有効性に乏しい」という発言をしたことを紹介した。その視点同様、昨今、安直に北朝鮮への経済制裁を唱える人たちには、この「道徳性」という視点も欠けているように思われる。「あっちも非道徳的なことをやっているから、こっちもやるんだ」というのでは子どもの喧嘩であり、説得力を全く持たない。経済制裁の非道徳性を認識しつつ、それを主張するのは、「なぜ人を殺してはいけないの」と問いかけることとほぼ同等であると私は考える。

2004年 5月 14日 午前 12:20 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2004.05.13

この人たちに続け!

顕彰され、それを世界に向けて告発の強いメッセージを送る機会とした、勇気ある人たちに関する記事を二つ続けて読みました。

一人は「私たちはいま、イラクにいます」(講談社)の第51回産経児童出版文化賞受賞を辞退したフォトジャーナリストの森住卓さんです。(asahi.com の記事森住さんのサイトに掲載されている辞退の手紙の中で、森住さんは写真の中の子どもたちは身をもってアメリカの侵略を告発し、戦争を止められなかった大人たちの責任を追及しているようだったと述べ、辞退の理由をこう記しています。

この戦争を産経新聞社はどのように伝えたのでしょうか?日本政府のこの戦争に加担する姿勢を一度でも批判したのでしょうか?この賞を受けてしまったなら、イラクの子どもたちに2度と顔向け出来なくなってしまいます。

もう一人は、 Wolf 賞を贈られた指揮者(シカゴ交響楽団音楽監督)の Daniel Barenboim さん。イスラエル国会で行なわれた授賞式のスピーチで、

別の民族の土地を占領し、その行動を制限しているという状況は(イスラエルの)独立建国宣言とどう折り合うと言うのでしょうか? 一つの民族の独立がもう一つの民族の基本的人権を弾圧することによって成り立っているというのは理にかなっているのでしょうか?

と語ったという記事(AP 電)があります。(バレンボイムさんのサイトの "Journal" の中にも、音楽関係の記事と並んで、パレスチナとイスラエルの問題についての発言が掲載されています。)

追記:授賞式でのスピーチが掲載されました。

バレンボイムさんが言及したイスラエルの独立建国宣言(1948)には、「宗教、人種、性別にかかわらず、そのすべての住民に完全に平等な社会的および政治的な権利を保障する。宗教、良心、言語、教育および文化の自由を保障する。すべての宗教の神聖な土地を護り、国連憲章の原則に忠実である」とあります。

今年の三月に占領当局と暫定統治機構によって制定されたイラクの暫定憲法の冒頭の文も見てみましょう。「イラク人民は、以前の専制的な政権によって奪われていた自由を取り戻すため、あらゆる形の、特に支配の道具として用いられる暴力と威圧を排し、今後、法による支配を受ける自由な国民であり続けることを決意した。」

私は、これらの崇高な宣言や法を起草した人たちが全く心にもないことを書くつもりであっただろうとは思いません。歴史は、受け身に生きていたのでは、理想を実現することは決してできないということを私たちに教えてくれているのでしょう。

世界が理想を忘れることを戒め、不正な現実を告発した森住さんとバレンボイムさんに心からの敬意を表します。彼らに続け!

2004年 5月 13日 午前 12:07 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2004.05.12

お話ができてよかったです(いただいたコメントへのお返事に代えて)

DoX さん、昨日の私の記事コメントありがとうございました。お詫びを言わなくてはならないのは私のほうです。DoX さんの考えを誤解していたのは私ですから。ごめんなさい。

「誤解していた」と言っても、同時に「これはたぶん私の誤解だろうな」と思ってはいました。「私には DoX さんの考えがしっかりと読み取れていないのですが」とか「この批判が私に向けられていると考えるのは私の自意識過剰かもしれません」、「私は DoX さんの考えをちゃんと理解できているという自信は全くありません」などと、何回も書いたのは、そのためです。DoX さんの「二本山の兄弟犬」やウェブログを読んで、そして私の書くものにトラックバックをくださることからも、DoX さんと自分が概ね同じ方向を向いて考えていることは分かっていましたから。コメントをいただいて、その思いをさらに強くしました。うれしかったです。

DoXさんの泣き落としに応えて、今日、「週刊現代」5月22日号を買いました。誤解されないように、書店に入る前に、ふだんはバックパックにつけている worldpeacenow.jp のバッジを胸元に付けかえたりして。(やっぱり自意識過剰だ。)今井さんのインタビュー、読めてよかったです。今井さんたち自身のことだけでなく、次の発言も気になりました。

今でも僕は「人質事件」というより「拘束事件」だと思っています。イラクでは拘束事件が、日常的に起こっているんです。米軍によってイラク人が何人も捕まっています。それも1ヵ月も2ヵ月もの間、僕らよりひどい状態で拘束されている。彼らの家族は、僕らの家族が味わったような思いをしているんだということ、そしてその事態に日本が手を貸しているということを、多くの人に知ってもらいたいと思います。

2か月ほど前、このことに関係する記事を私のブログでも紹介したのですが、そのアルジャジーラの記事に書いてあったよりも実情は更にひどいようで、本当にいったいイラクでは何が起こっているのだろうと、とても心配になります。

拘束にしろ、拷問にしろ、ずいぶん前から話は出ていたわけですから、安倍自民党幹事長の

「国際社会は人権侵害、突然の拘禁、拷問のない、自由で民主的なイラクをつくる目的も含め、旧フセイン政権を倒した。こうしたことはあってはならない。何のために政権を倒したのか分からない。米国はイラク国民にきちんと説明してほしい。」
asahi.com: 「何のためにフセイン政権打倒」安倍幹事長が虐待批判(05/11 15:57) より

などという発言を聞くと、「何をいまさら… 知らなかったふりして責任逃れするな!」と、大変腹立たしくなります。

週刊現代にもアブグレイブの写真が載っていますね。以下は赤面告白。私、まわりにだれもいないことを確認してから、その数ページ先のところも“ハサミやカッターでていねいに切り開いて”みた(「見た」とも書く)のですが、「う~ん、アブグレイブの写真と並べて、よく、こういう裸にして縛って吊すなんて企画を載せるよな」「罪なくらい平和な国だよな(注:この表現は誤解を招きやすい気がしますが、他にいい表現が思いつきません)」「アブグレイブの写真のほうを袋とじにしたほうがいいんじゃないだろうか」とか、いろいろ思ってしまいました。

2004年 5月 12日 午前 12:27 | | コメント (1) | トラックバック (1)

2004.05.11

アブグレイブの拷問と人種差別、戦争の被害者と加害者のこと

故郷の声」に DoX さんがトラックバックしてくださった先の Negative Stories の記事を読んで、いろいろと考えました。かなり長くなってしまったので、コメントではなく、トラックバックにすることにします。

追記:私が誤解していた点を DoX さんが指摘してくださいました。この稿は、DoX さんのコメントおよび私の翌日の記事と併せてお読みください。

アブグレイブで行なわれた捕虜への拷問に関する報道に対して、DoX さんと私は、いろいろな点で対照的な反応を示したと思います。

まず、Dox さんは拷問の報道を読んで「血液が逆流しそうな思い」を感じたと書いています。一方、私は、(後になってそのことを後悔・反省するのですが)一連の写真を見た時、非常に冷淡な反応をしました。私が写真を見たのは、4月30日。その日のブログ記事で取り上げた Daily Mirror の記事を読んだ時、サイトのトップに出ていました。それとほとんど同時に、4月24日の記事を書いた時にはなぜか見ることのできなかったサイトが接続可能になっているというコメントをいただき、見たら、そこにもアブグレイブの写真が掲載されていました。しかし、私はそれについて書こうとは思いませんでした。アフガニスタンでのアメリカ軍の振る舞いなどについても聞いていましたし、パレスチナの悲惨な状況を嫌と言うほど見せてくれる Days Japan を買って読んだばかりでしたから、「またか」といった感想しかいだきませんでした。戦争や占領という暴力に対して、私の感覚は麻痺していたと言えるのかもしれません。

次に、DoX さんは、「彼女は象徴に過ぎない」ということを認めた上で、写真の女性に対する「非難を躊躇」しません。私に対する DoX さんの観察は極めて正確です。私は写真の女性を「象徴」にしたくなかったため、意図的に、元の記事でその女性の名前が使われていたところを、すべて「彼女」という言い方に変えて訳しました。この点に関しては、どの程度組織的に拷問が行なわれていたかなど、今後解明されていく事実に照らしてみなければよしあしは判断できないでしょう。もちろん、どれぐらい真実が明らかになるのか懐疑的にならざるを得ませんが…

第三の違いは次の点です。私は、私を非難する意図で DoX さんが次のように書いたとは思っていないのですが(私が鈍感であるだけかもしれません)、私が記事のなかで「まだあどけない顔をした」と書いたことに対して、DoX さんは、彼女の容貌をそのように表現する神経には「反吐が出る思いだ。そんなに白人に擦り寄りたいのか。」と書いています。(他の人も同じような表現を使っただろうと思いますから、この批判が私に向けられていると考えるのは私の自意識過剰かもしれません。)それに続けて、「あの屈辱的な行為をさせられているイラク人は俺であり、2人の子供の父で生活のために自衛隊に行かなければならなかった兄であり、あの写真はアジア人の男女に対する白人側の侮蔑の表れだ。」とも。DoX さんが拷問の被害者に極めて近く心を寄せ、いたわっていることがよくわかります。

この点については、私は確かに DoX さんとは逆に、自分の視点をアメリカ兵側に寄せました。私が記事の終わりに「中国や朝鮮半島を侵略したころの日本で“街の声”を聞いたら、きっと(このアメリカ兵の故郷の街の人たちと)同じような意見が聞けたのではないかと思ってしまいます。」と書いたのはそういう意味です。街の人たちが同じような反応を示しただろうというだけではなく、当時の日本軍がやっていたことは、今アメリカ軍がやっていることと同じなのではないか、という意味です。

この三点目については、私には DoX さんの考えがしっかりと読み取れていないのですが、DoX さんと私の間に意見の大きな相違があるという前提のもとで、私の考えをもう少し詳しく書いておくことにします。

私は、自衛隊の派遣には「加害者」の側面(不当な占領への加担)と、「被害者」の側面(アメリカの誤った政策、あるいはそれに追従する日本政府の政策に自衛隊員が巻き込まれたこと)があると考えます。これについては、DoX さんの「二本山の兄弟犬」の中にも書かれていますから、二人の意見に違いはないでしょう。私は、このうち前者を強調しました。一方、自衛隊員を肉親に持つ DoX さんは、私より強く、後者の不条理を感じていらっしゃるのではないかと思います。私が日本の「加害者」としての側面についてばかり書き、自衛隊員もまた「被害者」なのだという点に記事の中で触れなかったことは、DoX さんには腹立たしく思われるのかもしれません。しかし、私もまた「被害者」である自衛隊員たちの無事を願っていることは、昨日の記事などを読んでいただければ分かっていただけると信じています。

次に、私がアメリカ兵もしくはアメリカ人の側に視点を寄せたことに加えて、写真の中の女性を「あどけない」と表現したことですが、私は、当然のことながらアメリカ軍による拷問もアメリカ政府の占領政策も支持していませんし、性や人種を問わず人の容貌の美醜には極めて無頓着なだけですから、アメリカ人なり白人なりに媚びを売っているというのは当たらないと思います。富裕階級の白人に極めて偏って「牛耳られ」ているアメリカの政策の被害者を身近に持つ DoX さんにとっては、もどかしい表現であったかもしれないことは、私も直感的に理解することができます。

先ほど書いたように、私は DoX さんの考えをちゃんと理解できているという自信は全くありません。どうか、これをお読みになる方は、私がここで「DoX さんは…」と書いたことが正しく DoX さんの意見を反映しているとはお考えにならないでください。しかし、もし DoX さんと私の間に意見の違いがあったとしても、自衛隊の撤退、早期の占領終結を求めていくことに関して、私たちが力を合わせていくことは可能だし、やらなければならないことだと考えています。

2004年 5月 11日 午前 02:41 | | コメント (2) | トラックバック (0)

2004.05.10

サマワとイラクは違う

サマワという都市は、イラクの中で非常に例外的な地域らしい。どのような意味で例外であるか、そしてその例外性が何に基づいているかを考察した興味深い記事を紹介する。

イラク各地で暴動、誘拐や戦闘が起こっているのに、自衛隊が宿営しているサマワでは、何回か砲撃騒ぎがあったものの、概ね平穏で、自衛隊支持のデモさえあったと言う。この対照をどう理解すべきか首をひねってきた人は多いだろう。もちろん、これには報道の偏り等もあるだろう。Institute for War and Peace Reporting のサイトに掲載された Naser Kadhem さんと Hussein Ali さんによる Samawah at Ease with Troops という5月4日付けの記事が別の視点を与えてくれる。以下にこの記事の内容を要約する:

サマワは他の都市と全く別世界のようで、住民は駐留しているオランダ兵や日本兵に手を振ったりさえしている。サドル派の影響が強い他の南部の地域からは、サマワは"white chicken" (温和しい弱気な者のことだろう)と呼ばれている。住民自身の説明によれば、この友好的な雰囲気には次の二つの要因がある。一つは、シーア派の中でも保守的な部族による統制支配が特に強力であること、もう一つは戦後にサウジアラビアへの武器密輸などによって経済的に非常に潤ったことである。サドル派や反占領運動に参加する者も少ないため、外国軍側も厳重な警戒態勢によって住民を疎外したりせずに済んでいる。サドル派の事務所は部族長たちの要請によって、戦後すぐ閉鎖されたが、住民とサドル派との関係自体は良好であるらしい。サマワの経済は伝統的に農業や牧畜、そしてサウジアラビアへの武器などの密輸に依存してきた。しかし戦後には、フセイン政権時代にイランや湾岸諸国、西側諸国などに亡命していた人々の帰還によっても経済は潤った。ガソリン不足などは他の都市と変わらないが、それを駐留している外国軍のせいにする者は少ない。日本軍とオランダ軍がガソリンを供給してくれるのではないかと期待する者もいる。

この記事を信じるならば、私たちは派兵の阻止はできなかったが、私たちが派兵反対のデモの際に叫んだ「殺すな、殺されるな」という願いはかなうかもしれない。決して予断が許される状況ではないと思うが、ぜひともそうであることを祈ろう。

私がこの記事に注目するのは、サマワの“例外性”が現在行なわれている派兵に留まらず、今後の改憲をめぐる論議にも重要な意味を持ってくると思うからである。派兵先にこの安全なサマワが選ばれたのは、外務省の情報収集能力によるものなのか、日本の再軍備を企図するアメリカがこの地をあてがったのか、私は知らないが、極めて優れた判断だったことは間違いない。仮に、幸運なことに自衛隊が一人も殺さず、殺されず、占領から帰ったとしよう。そのことは必ず「戦力保持や派兵は全く問題ない。実際、あの危険なイラクに行った自衛隊はだれ一人殺さず、殺されず、しかも住民との友好を深めて帰ってきたではないか」という形にまとめられて、憲法9条の変更を推進するために利用されるだろう。

しかし、ここにあげた記事は、サマワが一般的なイラクの都市とはかなり異なった事情を持った特殊な場所であることを示している。「サマワへの派兵」とその安全性は、「イラクへの派兵」とその安全性、さらにはより一般的に、戦力を保持し派兵する国となった日本の安全や国際社会からの信頼を保証するものでは決してないのである。今回の派兵が「成功」に終わったとしても、それは派兵に反対した私たちの主張が間違っていたことをいささかも示すものではない。また、サマワの平穏や友好的な雰囲気が自衛隊がもたらしたものでないこともこの記事は教えてくれている。改憲を目論む人たちによる事実の歪曲や拡大解釈、論理のすり替えを許さないため、私たちはこれらのことをしっかりと認識し、記憶しておく必要がある。

この記事の置かれた IWPR のサイトについて私はつい昨日知ったばかりである。(だから、上記記事も、他の方が既に論じられているのではないかと思う。)このサイトには、Iraq Press Monitor として、アラビア語紙の主要記事の英文要約が頻繁に掲載されていて、貴重な情報源となりうるように思われる。

2004年 5月 10日 午前 12:02 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2004.05.09

『朝霧』

今日は“紙の本”の話:今年に入って(正確には、昨年の年末から)読んだ本のうち10冊が北村薫さんのものです。

ことの始まりは、昨年12月に東京出張に行った際、ホームレス支援雑誌『ビッグイシュー』を購入したことでした。その書評欄にクリスマスシーズンに合わせて「贈り物」をテーマにした小説がいくつか紹介されていて、その一冊が北村さんのデビュー作『空飛ぶ馬』でした。心温まる作品だと書かれていて、そのころから少し心が傷つきやすくなっていた私(ちょっとおセンチな言い方ですみません)は、すがるものを探すような気持ちで書店に向かいました。女子大生の「私」が落語家の春桜亭円紫さんといっしょに日常生活に隠れた謎を解く推理小説シリーズの存在は知っていましたが、買って読むのはこの時が初めてでした。

クリスマス・イブには小牧基地にデモ(C-130輸送機に空を飛んでほしくなかったんです)に行き、そのことと併せて青空文庫の掲示板「みずたまり」に『空飛ぶ馬』のことを書きました。それを読んで、ここにも時々コメントを寄せてくださる青空文庫の仲間、Juki さんが、この≪円紫さんと私≫シリーズが大好きだというメールをくださいました。特に四作目の『六の宮の姫君』が印象深かったということで、私も第二作『夜の蝉』(私の一番のお気に入り)、第三作『秋の花』、そして『六の宮の姫君』と読み続けていきました。

北村さんの作品には優しい眼差しがあります。登場する人たちの心には歪みや寂しさや後ろめたさがあるのだけれど、それを激しく叱責するのではなく、理解の頷きや差し伸べられた救いの手を思わせるような静かな文体と話運びで描いてくれるので、心が弱くなっている私は、安心して、そして元気を少しずつもらいながら読むことができました。北村さんの世界に誘ってくれた Juki さん、どうもありがとうございました。

そして、先月、シリーズ五作目の『朝霧』が文庫本(創元推理文庫)になりました。もちろん、発売当日に買いに行きましたよ。シリーズのはじめでは初々しい大学一年生だった(あれ、二年生だったかな)「私」も出版社に勤め始めて数年。はじめは円紫師匠の推理力に目を丸くするだけだった「私」も、今回は円紫さんがくれたヒントだけで、ついに自力で謎を解き明かします。さらに、今までほとんど「男っ気」のなかった彼女に初めて訪れる恋の予感… それにしてもこのシリーズは、前の本でさりげなく出てきた話が実は次の本の伏線になっているってことが多いですねぇ。はじめから壮大な構想の下に執筆していらっしゃるのでしょうか。だとしたら、伏線として使えそうなディテールをたくさん含んだ『朝霧』もきっとシリーズ最終作ではないでしょう。今から続きが楽しみになってしまいます。

『朝霧』は主人公の祖父が1930年代に付けていた日記をめぐる謎解きの話です。その日記はその年の1月9日から始まっていました。私のこのブログも始まりは今年の1月9日。今日でちょうど4か月になります。何か謎めいたことを書いておいたら、今世紀の終わりごろにだれかが読んで推理してくれるかな。(笑) それはともかく、日記っぽいことは欠かさず書いているものの、いただいたコメントやトラックバック、メールを放ったままにしてあって、非常に心苦しく思っております。すみません。

2004年 5月 9日 午前 10:16 | | コメント (1) | トラックバック (0)

2004.05.08

青空文庫の歩みを私の目から

青空文庫のオフ会+東京国際ブックフェアでの富田倫生さんの講演については、aozora blogag さん、Juki さん、大久保ゆうさん(1,2,3)、門田裕志さんが既に詳しく書いていらっしゃっていて、ブックフェアの後で「みんなで感想を書きましょうよ」という話の輪に入っていた私ですが、完全に出遅れてしまいました。 講演自体にも、ちょっと遅刻してしまった(恥ずかしながら、ブックフェアの会場の隅で仮眠をとっていて寝過ごした)ので、自信を持って感想を書けなかったりします。富田さんのお話として私が記憶しているものに、私自身の解釈を加えつつ、書き残しておきます。誤解があったり、富田さんのお話の意図から逸脱していたらごめんなさい。

富田さんの講演は、青空文庫のファイルを美しく表示してくれる Azurボイジャーから発売になったことを機に行なわれたものです。青空文庫の活動の近くにはいつもボイジャー社の技術があって、Azur の登場は両者の関係の新たな時代の始まりなのだと思います。「ボイジャー」というのは、青空文庫を語る際に欠かせないキーワードの一つでしょう。

富田さんたち呼びかけ人が青空文庫を始めた当時は、ボイジャーのエキスパンドブックがあり、その“紙の本”のような表示の美しさ故に、文学作品の電子化をやろうじゃないかという機運が生まれたのでしょう。美しさの代償(たぶん、当時はそれが「代償」だとは思われてはおらず、喜んで立ち向かっていったのではないかと想像します)は、青空文庫のもう一つのキーワード「外字」の処理をめぐる煩雑さ(テキストの流れとは独立して、外字を画像として埋め込まなくてはならないらしい)だったと理解しています。

私が青空文庫と出会ったのはそれよりもかなり後で、ボイジャーから次のビュワー T-Time が出た後でした。エキスパンドブック同様、T-Time は縦書きで、ルビを含め、きれいにファイルを表示することができます。また、外字画像をテキストの流れの中に含めることもできます。また、画像ではなく文字として外字を埋め込むこともできます。ただ、ここにも代償がありました。ルビや傍点を表示させるためには T-Time 特有な書法で記述しなくてはならないこと、外字を扱うためには、JIS X 0212 という、かなり使いにくい規格に合わせなくてはならなかったこと、等々。

この後、状況を変える大きな動きが世の中に二つ起こります。一つは、W3Cによる、ルビタグの標準化や字下げレイアウト等のスタイル指定の標準化です。もう一つは JIS X 0213、つまり JIS 第3,4水準漢字の制定です。この二つを力にして、青空文庫は、自信をもって標準的な形式でファイルを作り、それを日本語の標準的な組版に近似した形で表示してくれるビュワーの登場を待つことになります。(実は、待っている間、私は気が付かなかったのですが、世の中にはもう一つ大きな動きがありました。おそらく、ほとんどの人には上に書いた二つの動きよりもずっと身近なものでしょう。ブロードバンド常時接続の普及です。)

そして今年、待望のビュワーを私たちは手にすることができました。それが Azur です。その姿はリンク先で見ることができますし、富田さんたちと同様、私がどんなにこれを待ち望んでいたかは以前に書きましたから、繰り返しますまい。

Azur の助けを借りて、標準的な形式でファイルを提供するということは、過去の文芸遺産を今日、享受し、明日に託す行為です。青空文庫に関わる多くの人と同様、私はこのことにとても大きな意義を感じ、その一部分として活動していることに誇りを感じます。蔵の戸を開くこと。宝のような本を人々に自由に手にとってもらうこと。この「自由」という語にはいろいろな意味があると思いますが、その語に関連して二つばかり私の感想を書いておきます。

一つは、青空文庫の自由。ボイジャー(という営利企業)はもっと積極的に青空文庫に関わるという選択もあったのではないかと思います。しかし、青空文庫はボイジャーから自由であり続けました。どういう経緯があったかは分かりませんが、それは幸せなことだったと確信します。青空文庫、ボイジャー双方の判断に敬意を表したいと思います。Azur を介した青空文庫とボイジャーの新たな関係もきっと実りあるものになるでしょう。

もう一つは、自由の代償ということ。先ほど、エキスパンドブックや T-Time については、その代償ということを書きました。Azur については、失うものはないでしょうか。標準的な形式でファイルを提供することは一企業のソフトウェアの仕様に縛られないという意味で「自由」ですが、標準的な xhtml を生成するために、テキスト入力の段階で以前よりも厳密な注記の付け方が求められるようになっています。これは入力者・校正者の自由を奪ってはいないでしょうか。仮に入力や校正に関わる人が多少不自由に感じるとしても、呼びかけ人など、より中心に近いところで活動している人たちが過去の過酷な負担から解放されているのであれば、それは仕方がないのかもしれません。全体として手間ひまが減っているのか、負荷は多少でも均等化されているのか、そこらへんは運動を持続させていくにあたって、とても気になるところです。

最後にもう一点。富田さんが講演を終えた後、ボイジャーの荻野さんが、エキスパンドブックから Azur への流れについて、「見栄えから構造に重点を移した」というまとめをなさっていました。私もまさにそう思います。そしてそれは、歴史の流れに照らして賢明な判断だったと思います。ただ、現在、青空文庫が提供している xhtml は十分に構造化(章や節のマークアップなど)されているとは言えません。これまで、日本での電子テキスト・電子書籍の普及に青空文庫は多大な貢献をしてきたと思います。電子書籍ビジネスが本格化してきた今、商業化の波にもみ消されないために、この点は改善していかなくてはならない課題だと思います。ただ、それを関わる人たちの負担を増やさずにどういう手順で実現していくのか、道はまだ見えていません。

なんか、長くなってしまいました。読んでもらえるかなぁ。(3回の連載を敢行した大久保さんの気持ちがよく分かる気がします。)富田さん、熱い話をありがとう!そして青空文庫の仲間のみなさん(オフ会で会えた人も、会えなかった人も)、熱い出会いをありがとう!

2004年 5月 8日 午後 04:30 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2004.05.07

故郷の声

Good ol' girl who enjoyed cruelty ― オーストラリアの The Daily Telegraph 紙に、アブグレイブ収容所での拷問に参加したある兵士を知る人たちの反応が載っています。まだあどけない顔をした、小柄な女性兵士(ここに写っている人でしょう)の故郷です。

ウェスト・バージニア州の山あいの町 Fort Ashby。貧しく、人口のほとんどは白人。「ここの者にとっては、国籍が違ったり人種が違ったりすれば、そいつは人間以下なんだよ。そういうふうに彼女も育てられたんだ。イラク人に拷問をかけるなんて、七面鳥を撃つようなものだと思ったんじゃないか。ここでは一年中何か狩りをしているからね。あっちではイラク人狩りをしているわけさ。」「俺たちはやつらを助けにいったはずなのに、俺たちに爆弾を投げて殺しやがる。彼女はイラク人を殺しも、切り裂きもしなかったじゃないか。撃ち殺してやればよかったぐらいだ。」上官の命令に従って行動していたのに、下級兵士たちに罪をなすりつけようとしているという憤りの声もあります。

中国や朝鮮半島を侵略したころの日本で“街の声”を聞いたら、きっと同じような意見が聞けたのではないかと思ってしまいます。私は歴史に詳しくありません。この印象は間違っているでしょうか?

2004年 5月 7日 午前 08:18 | | コメント (1) | トラックバック (1)

2004.05.06

ファシズム

批評理論で有名な Terry Eagleton さんがファシズムについて書いていますNew Statesman に載った Robert O. Paxton さんの The Anatomy of Fascism という本の書評です。

政治理論に詳しい人には旧聞に属することなのだと思いますが、Paxton さんの本では「ファシスト」と「保守主義者」の違いが考察されていて、そういう話に疎い私にはとてもよい勉強になりました。曰く:保守主義が王政やそれに伴う富裕階級に基礎を置き、伝統や文化的教養、個人を重視するのに対し、ファシストは全体主義国家を美化し、軍靴の音を気にしない。保守主義者が貧しい大衆を見下して、関わろうとしないのに対し、ファシストは大衆を扇動、動員して行動する。ファシストは理論ではなく神話や偏見で考える。(頭で考えるのではなく、血で考える。)ファシズムは大衆に根ざした軍国主義思想であり、エリートとも結託して国内での粛正と国外での拡大を目指す。自分たちの国が屈辱的に扱われているという被害者意識を持っていて、自分たちのことを、恥ずべき過去を消し去り新たな将来を創造しようとする改革者だと考えている。Volk (民族)の気概を高め、国民を団結させるためならば、どんなことでもする実利主義者である。等々。好意的な紹介の中で、Eagleton さんが唯一不満としているのは、ファシズムが時代錯誤的な古さ(民族神話信仰など)と前衛的な新しさ(技術の利用など)を併せ持っている点の考察が欠けていることだと書いています。

世界がファシズムに戻っていくかどうかはまだ分からないが、西側資本主義国が権威主義的傾向を増し、中国のような専制的国家が資本主義に傾斜していく中で、資本主義的な独裁国、つまりファッショ国家が生まれる可能性は大きいと Eagleton さんは観察しています。

私自身は、「まだ分からない」というのは控えめすぎる言い方で、上に要約したような意味でのファシズムは、既に少なくとも日本にはしっかり根付いているように思いました。戦前の日本のイデオロギーは、大衆に根ざしていたわけではなく、天皇制を上から押しつけただけの封建制であってファシズムと呼ぶのは相応しくないという解説を読んだことがありますが、もしかすると「自虐史観」という言葉が使われるようになったころから急速に増大してきた排外主義的な傾向は、20世紀ヨーロッパ的な“本場の”ファシズムが日本にも誕生したということを示しているのかもしれません。

書評の中では、ヒットラーやムッソリーニなどに対する個人崇拝的な要素についてはあまり出て来ませんでした。それも特徴的な要素かなとも思うのですが、日本ではこれからしばらくカリスマ性を持った人が出てきそうもない(小泉や安倍じゃちょっと無理でしょ)から安心だ、などと考えるのは甘いでしょうかね。

2004年 5月 6日 午後 06:55 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2004.05.05

南北戦争のころ

アメリカ合衆国北東部、ニューハンプシャー州に19世紀の半ば、Harriet Wilson という黒人女性が住んでいた。彼女が自分の体験をもとに書いた小説、おそらく黒人女性の手による最初の小説が AP電記事で紹介されていた。1859年に出版されたこの小説の名は Our Nig; Or Sketches From the Life of A Free Black という。喜ばしいことに、私たちはこの作品を Project Gutenberg で読むことができる

合衆国を離脱した南部諸州に対し、北部諸州が奴隷制度の撤廃を大義に戦い、その勝利によって全米で奴隷解放が達成されたことを私たちは歴史の授業で習うわけであるが、ここに描かれた北部に住む主人公 Frado の理不尽な暴力に堪え忍ぶばかりの生活は奴隷のそれとほとんど変わるところがない。

南北戦争が自由や人権をめぐる戦争であったことは揺るぎない史実であり、戦うべき戦争、道徳的な戦争というものがあるとすれば、これはその好例として示されるものであろうが、その大義を唱える国/社会内部の道徳はどのようなものであったかという興味深い問題を私たちはこの小説の中に見つけることができる。

人種または民族に対する偏見を持つ人たちの行ないは、昔も今も、あるいは国が違っても、なんと似通っていることか、ということにも私は驚かされた。それとともに、見下され虐げられた人たちが、その境遇にも関わらず強い自尊心を持っているという、考えてみれば「当たり前」のことにも、私は強く心を打たれた。もちろん、虐げられた人たちの "soul" や誇りの問題は、20 世紀後半の公民権運動の歴史を見ることによっても、知ることができるのであるが、工業化・資本化初期においても外面(社会)も内面(人の精神や心)も全く今と変わらないものであったことは、非常に私には興味深く感じられた。

現在との同一性の認識は、文体の異質性によって、より鮮やかに感じられたのかもしれない。主人公がある家に託され、18 歳になってそこを出るまでの日々の描写は生き生きとしていて、さほど時代の違いを感じさせないが、冒頭や末尾の章は、かなり古くささを感じさせ、文学性の点からも難があるように思われる。その点を差し引いても、読む価値のある資料であることは保証できるし、おもしろく読める本であることは間違いない。

2004年 5月 5日 午後 11:58 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2004.05.04

ラブストーリー

初公開からはずいぶん時間が経ってしまいましたが、クァク・ジェヨン監督の韓国映画「ラブストーリー」を見ました。前作「猟奇的な彼女」が良すぎたというか、「偶然によって導かれた母の初恋を基軸に、過去(1968年)と現在(2003年)、そして母と娘の二世代を結ぶ、一つの愛の奇跡」という宣伝文句を聞いてしまうと途中でだいたい話の展開が読めてしまうところが少し弱い感じがしますが、見に行って損した気は全くしません。(う~ん、あまりほめてないように聞こえますね。いや、すごく良かったです、本当に。)

ここで描かれているような“愛の奇跡”はどのような時代/社会の恋人たちにも起こりうるのだと思います(奇跡ですから、可能性はすごく低いでしょう)が、朴正煕政権・ベトナム戦争時代と民主化が進んだ現代の韓国が並行する二つの舞台に選ばれたことは、その選択が強く意識的でなかったにせよ、私には大きな意味が感じられました。

封建的な家族制度、政治や戦争がもたらす悲劇は現実の世界に多く存在し、それは私たちに運命に対する諦めを強要するのだけれど、まれに、そのような人生の不条理をすべて許し、昇華させてしまうような出来事が起こりうる。その可能性を示すことによって、自分を、あるいは現在に生きる人たちを慰めたい。単なる“ラブストーリー”を語るのではなく、そんな意図がこの映画にはあるのではないかと考えました。

今日も進行中の悲劇があります。何年か何十年か後に、それを忘れさせてくれるような奇跡や喜びを経験する人はいるのかもしれない。しかし、それはほんのわずかの人であることは明らかです。できることならば、そのような悲劇が起こること自体を人々が力を合わせることによって食い止めるべきである―月並みな感想ではありますが、そう考えながら私は映画館を出ました。

2004年 5月 4日 午後 11:38 | | コメント (2) | トラックバック (0)

2004.05.03

学校の修復を喜ぶイラクの子どもたち

IRIN (国連統合地域情報ネットワーク)というサイトで、4月28日付けのとてもうれしい記事を見つけました。 IRAQ: Children overjoyed with school renovations ― 日本の支援によって学校が修理され、イラクの子どもたちが喜んでいるという、私たちにとっては強い誇りを感じてもいい記事だと思います。

「ここに来て、学校がすぐにでも改修が必要であることが分かりました。隣の病院もです。病院の建物は馬小屋として使われていたのです。」という担当者の談話とともに、校舎の屋根や壁を修復し、机や椅子、教科書などが運び込まれたことや、7キロ先の病院まで行かなくてもよくなって喜ぶ大人たちの声、「先生も増えたので前みたいに学校に来て遊んでばかりいるわけにいかなくなった」とぼやきながらも幸せそうな子どもたちの写真が載っています。子どもたちの後ろの壁には JAPAN の文字も見えます。

危険を承知の上で人道的な復興支援のためにイラクに赴いた私たちの同胞たちに心からの拍手を贈りましょう。ご紹介します: Japan Platform による資金援助によって活動している Peace Winds Japan のみなさんです。この記事でとりあげられたのは、クルド人居住地域とアラブ人居住地域の境界に近く、依然紛争の火種を抱える Kizqala というイラク北部の村だそうです。

渡航禁止などの措置が現実のものとなると、こういう形で日本が世界の人々の眼に見えなくなってしまうのはとても残念だと思います。人質事件以降、サマワから記者が追い払われたのか(いや、もっと危険なバグダッドからは依然として中継があるのだから、そんなはずはない)、自衛隊の活動に関する報道が減ってしまったような気がするのですが、陸上自衛隊のサイトを見ると、相変わらず情報量は非常に少ない(あるいは活動自体が情けない)ですが、小学校で壁が塗られているのを視察したり歯磨きの講習会を開いたり、細々と活動は続けているようです。ふと、写真撮影にあたって、「はい、もっと笑って!」といった“演出”は行なわれていないんでしょうねなどと、ちょっと意地悪なことを考えてしまいました。皮肉っぽく聞こえるのを恐れますが、正直なところ、自衛隊員たちは「いったい俺たちは何をしにここまで来たのだろう」と実存的な疑問を感じているのではないかと思ってしまいます。

IRIN のこの記事は、占領下の混乱で就学率が低下しているという記事へのリンクを含む平野裕二さんのウェブログから辿って行って見つけました。平野さんは子どもの権利の問題に取り組んでいらっしゃいます。私は自分が平野さんのサイトからこの記事に辿り着いたことに、憲法を変えようとする動き、そしてその“前哨戦”である教育基本法を変えようという動きが、無意味な派兵や、国境を越えた人々の連帯を阻もうとする動きと結びついたものであることを示す象徴的な意味を感じました。

2004年 5月 3日 午前 05:27 | | コメント (1) | トラックバック (0)

2004.05.02

歴史に終焉はいつ、どのようにやってくるか

Open-ended history ― 「歴史の終焉」の著者 Francis Fukuyama さんがエジプトの Al-Ahram Weekly のインタビューに答えている。「歴史の終焉」が話題になっていたころも最近も、私は彼の意見の価値(同意によって見出す価値という意味ではなく、議論の対象としての強さや重み)が理解できていない。この一年ぐらいの間にも新聞や雑誌でフクヤマさんの論考をいくつか目にしたが、彼はイラク戦争に対してただ立ち尽くしているような印象を漠然と得ただけだった。

だから、私にはこの記事についても論じる資格がないと自覚しているのだけれど、広く世の中を見れば、さまざまな出来事に関して「名無しさん」たちが大挙して読むに耐えない言いがかりのような文章を書き散らしているわけだし、大手と言われる新聞などにもその稚拙さに驚愕を禁じ得ないような論評が掲載されたりしているのだから、私が多少の誤解混じりでこの稿を書いたとて、ネット全体のノイズ比は微動だにしないだろう。無責任なことを書くつもりはないが、ウェブログとは気楽なものである。

インタビューという形式(話し言葉)のせいか、この記事からはフクヤマさんの考えがとても読み取りやすい。そして、その言葉からは、保守派の彼もイラクやパレスチナを巡るブッシュ政権の政策へ失望感を募らせてきていることが明らかに分かる。

フクヤマさんは、予防的戦争という概念自体は有効だと考えるが、イラクにおいてそれを適用したのは失敗だったと言う。国家の運営がうまくいくためには、ほとんどの場合、民主主義が根付くことが必要になるわけである(それが歴史の終焉でもある)が、イラクでこれを武力で推進しようとしたのは無理だったと考える。パレスチナの問題に関しては、パレスチナ自治政府が十分に民主的ではないことを言い訳にして十分に問題解決への努力が払われていないことを強く批判している。中東全域にも言えることだが、何もせずに民主化を待っているだけでは、全く問題の解決にならない。そして、そのような態度が中東でアメリカの信頼性を著しく損なっていると指摘している。中東地域の民主化にも長い時間がかかるだろうが、アメリカの外交政策を変えるにも、同様に長い時間がかかるだろうと、かなり悲観的な見通しを与えている。クリントン政権下でのパレスチナ・イスラエル間の合意は、彼の予想を遙かに上回るものであったことを率直に認めた上で、合意が崩壊したのはパレスチナ、イスラエル双方の現実主義の欠如が原因であるとする。イスラエル内の極右勢力を最終的にはシャロン政権が懐柔(ヤシン、ランティシの暗殺もその例だとする)によって押さえ込むだろうと予測している。イスラム世界の「現代化」に関しては、イランの Abdolkarim Soroush 氏のような努力によってイスラム信仰と現代民主主義の調和が進むことに期待を表明している。

パレスチナ問題の早期で公正な解決を主張し、それが中東地域全体によい波及効果をもたらす最善の方法であるとしている点で、彼は「善良なネオコン」であると言えるのではないかと思う。イスラエル軍の戦車の砲が向けられ、自治区域内が数多くの検問所によって分断されたままの状態で自治政府によりよい運営能力を期待することの妥当性や、中東諸国の独裁政権へのアメリカ外交のあり方をより具体的に批判していない点、イラク戦争が間違いであると認めたものの、今この時点でアメリカが何をすべきかに言及していない点などで、難が認められるとは思われるが、フクヤマさんがアメリカ政府の右寄りの政策立案を担う識者たちの間でそれなりの影響力を持っているのであれば、ぜひとも彼らにもこの記事を読んでもらいたいと私は思った。

あるいは、ネオコンの間にもブッシュ政権と距離を置こうとする動きが広がっているのだとすれば、ブッシュ政権追随を旨とする「日本のネオコン」小泉・安倍路線は、遠からず自分たちが“置いてけぼり”を食わされて慌てる日が来ることを覚悟するべきであろう。

2004年 5月 2日 午後 12:15 | | コメント (1) | トラックバック (1)

2004.05.01

「高遠さんとファルージャで」

高遠さんとファルージャで ― イラクで高遠菜穂子さんといっしょに行動したことのある佐藤真紀さんが、彼女がどのような考えをもち、どのような態度でイラクで医療支援、子どもたちへの支援を行なっていたかを見せてくれる。拘束によって、そしてその後の顛末によっても強く傷つけられただろう彼女の身を思いやる人に強くお勧めする。掲載先の「水牛」は青空文庫の呼びかけ人の一人でもある八巻美恵さんたちが毎月一日に発行している電子通信。

冒頭に「彼女は責任を感じているんです。自分だけ助かったということに。」という森住卓さんの報告が引用されている。誘拐を伝えるニュースを見た時、真っ先に私の目に浮かんだある人が、まったく同じことを私に語ってくれたことがある。

私が敬愛するその友人は5年前、住民投票の監視員として東ティモールに赴いていた。インドネシア国軍や民兵などによる暴動で退去を余儀なくされ関西空港に着いてすぐ、緊張した面持ちでインタビューを受けているその人を私はその時はじめて見たのだが、その人と私が同じ町に住んでいた縁もあり、会って話をする機会を得た。その人は私にある時、「めちゃくちゃになっていく現地を外国人である自分だけが抜けだし、生き延びることができたことを後ろめたく思っている」と話してくれた。私は即座にかける言葉が思いつかなかったが、東ティモールから帰った後も世界をよくしようと日々力を尽くしている姿を見て、私は彼女が生き残るべくして生き残ったのだと思った。

心に負った傷は元通りに癒えはしないのかもしれない。それでも、高遠さんはまた強く立ち直って、私たちの世界を少しでもよくするために歩き出すことだろう。世界は彼女を必要としているのである。恢復にどれくらいの時が必要なのかは分からない。それまでの間、捕らわれていた五人の人たちを非情な言葉や暴力からを護る必要があるならば、私もよろこんで身を挺そうと思う。

2004年 5月 1日 午前 08:47 | | コメント (1) | トラックバック (1)

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