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2004.04.30

卵が先か、鶏が先か

IRAQ: WAS IT ALL WORTH IT? ― イギリスのタブロイド紙 Daily Mirror のウェブ版の論評欄から。Kevin Toolis さんという人が反戦の立場、Christopher Hitchens さんという人がイラク戦争を肯定する立場で書いた記事を並べて掲載している。

Toolis さんの主張:開戦の理由としてあげられた「テロとの戦い」関連では、アルカイダはイラクとは無関係であったし、大量破壊兵器もなかったし、数多くの人が死んだことを考えれば、イラク戦争は全く無意味な戦争であった。ネオコンがアメリカのみならず世界を牛耳ろうとして戦争を起こしたわけで、ブッシュやブレアは恥じ入って即刻辞任すべきだ。

Hitchens さんの主張:イラクに大量破壊兵器がないことが確認できたのはフセイン政権を倒したからこそである。また、イラク戦争によって、イラクと北朝鮮の間のミサイル売買を防ぐことができた。さらに、イラン、パキスタン、リビアなどが査察に応じるなど、大量破壊兵器の拡散も防止できた。

Toolis さんの文章は過度に感情的(おそらく意図的だろう)であるが、この一年半ほどの間、平和を訴えてきた人たちが一貫して主張してきたことの主要な点を手際よくまとめたものだと言える。それに対し、Hitchens さんの文章は冷徹である。それなりに説得力を感じる読者もいるのではないかと思われる。

現時点で戦争を擁護する人たちが論拠にする事柄は Hitchens さんがあげるものの他にもあるかもしれないが、開戦時にあれだけかしましく唱えられていた "pre-emptive war" (予防的戦争)などといった勇ましい標語からは著しく後退したことは否めないだろうし、「民主主義の確立」といったお題目が既に人々を納得させることができないことを著者が認識しているだろうことは想像に難くない。

私個人の半ば感傷的な感想を述べるならば、それは、戦争を避けようという主張をする人は常に人々の死の事実や可能性を視野において語るのに対し、戦争に躊躇を感じない人は「人々」ではなく「国家」を主題として語りがちだという、ふだんからの素朴な印象が、この並立された二編の記事にも鮮やかに見て取れるということだ。

人が先か、国が先か。その答えは卵と鶏という謎かけよりは遙かに明らかなように思われるが、それにも関わらず意見が一致させられないところが、人間の不完全さ(非論理性)であり、戦争を生み出す根源なのかもしれない。

2004年 4月 30日 午後 11:39 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2004.04.29

ある少年の絵の話

アメリカの15歳の少年が、何枚かの絵を描いた。テーマは反戦らしい。銃器や暴力、死、そして中東系の風貌の男がプッシュ大統領の首を突き刺した棒を持っている図が描かれているという。少年は学校からお叱りを受けただけでは済まず、地元の警察に、そしてさらには連邦政府の財務省秘密検察局にまで取り調べを受けたそうである。(ロイター電

しばし、瞑目し、さまざまに思いを巡らせてみる。自分が主語に立った文は、ある程度の自信を持って書くことができる。そしてそのことによって、弱っているとはいえ自分が理性を失っていないことを私は確認する。「おそらく、私も彼の描いた絵を見たら、その暴力性を嫌悪しただろう。」

私の手元にはない事柄に関しては、私は全く判断することができない。それが私の理性が衰えているからなのか、世の中というものが時に不条理であるからなのか、それすら私には分からない。「描かれたのが、アメリカ軍の制服を着た男が中東系の風貌をした人物の生首を銃の先に掲げている図であったとしたら、暴力性の多寡は変わらないはずであるが、その後の顛末は同じであっただろうか?」

仮定の推論は話題の域を超えて広がっていく。「例の週刊誌が仮に田中真紀子さんの家族ではなく辻元清美さんの家族が人に知られたくないと考えていることを書いていたとしたら、差し止め命令は出ていたのだろうか?」等々。

こういった“仮定の話”は、答えをぜひ聞いてみたいと思う相手が「そういう質問にはお答えできません」と言って取り合ってくれないのが常だから、論争の話題としては不適当である。それはきっと、軍の参謀たちが図上で演習をする際、仮想敵国に電話をして、「こういう状況で、あなた方の軍は次にどういう作戦に出ますか?」と聞くようなものなのだろう。

人それぞれにいろいろな考えを持っている世の中なのだから、コーヒーを啜り、クッキーを頬張りながらの雑談には向いているのかもしれない。さまざまな意見が聞けるのも楽しいし、自分と同じような意見の人を見つけることができれば、コーヒーもクッキーも格別おいしく感じられるだろうから。

2004年 4月 29日 午後 07:52 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2004.04.28

ダマスカスの喧噪

シリアの首都ダマスカスで爆破事件(最近は「テロ」と言ったほうが通じやすいのかもしれない)があったらしい。Al JazeeraBBC などが伝えている。

観光旅行客のはなはだ無責任な感想であるが、私はダマスカスの街がとても好きだ。私の生まれる前の日本(戦後の闇市)はこんなだったのだろうと思わせるような露天市場、私が幼かったころをなぜか思い出させる裏道の店先。そして、人々は本当に明るく、優しい。根を下ろして暮らしていくには相当の決心が必要ではあるだろうが(そして何にもまして、言葉を覚えなければ立ち往生してしまうだろうが)、数日で通り過ぎていく私には、悪い面を決して見せることのない街だった。

私はもちろんアサド政権を支持しているわけではない。(“御真影”をいたるところに掲げさせる指導者には警戒したほうがよかろう。)しかし、私には、逃げまどう人、何が起こったのかを怒ったような語調で論議する人、超然として、白いバスローブのような服を着て赤の格子模様の布をかぶり、悠然と数珠を繰る人など、それぞれのやり方でこの事件を受け止めようとしている、街の人たちの姿が見える気がする。

この日がこの大きな迷路に似た街の不幸の始まりではないことを祈ろう。そして、その隣国イラクの、とりわけファルージャの人々が一日も早く穏やかな日々を取り戻すことを祈ろう。

2004年 4月 28日 午前 08:03 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2004.04.27

死を選んだ友へ

N君、同窓生のメーリングリストで、君が死を選んだことを知った。皆と同じように、僕もとても驚いている。僕たちが卒業して既に20年以上が経った。その間一度も顔を合わせたことはないが、君の穏和な顔立ちは、「N君ご逝去の報」と書かれたメールを画面に見つけ息をのんだ僕の目に鮮やかに浮かんだ。

もちろん、僕の覚えている君は、高校生のころの君だ。お互いおじさんになってしまったから、街ですれちがっても、分からなかったかもしれぬ。君は二年前に僕の前の職場のすぐ隣に転勤してきていたというではないか。僕は今いるところに移ってからも、その地を何回も訪ねていたから、本当に気づかぬうちに同じ電車に乗り合わせていたりしたのかもしれない。

君がなぜ死を選んだのかを僕たちはまだ知らない。残された日記にこの半年間眠れぬ夜が続いていたとつづられていたこと、そして4月20日に命を絶ったこと、僕たちが今知らされているのはこの二つの事実だけだ。

僕自身、自分の人生の中で、この数か月ほど、死を意識し、それに近寄っていったことはなかった。仕事や周りの人の期待といった重圧が僕をつぶしつつあるのだが、疲れた精神には、自分とは直接関係のない痛ましい事件や冷たい言葉や仕打ちさえもが自分の体に振るわれる鞭のように苦痛に感じられる。この半月ばかりの社会のようすは、僕にも耐え難いものだった。君も同じような思いだったのではないだろうか。

僕が大学院を出て一年ぐらいして、研究室の事務の人から手紙をもらったことを思い出す。あなたがいなくなったころから、ここもだんだん家庭的な雰囲気が失われ、さびしいところになりつつあります、と書いてあった。その後さらに一年ぐらい経ったころ、彼女は命を絶った。僕は、周りの人に少しでも優しさや愛や微笑みをもたらす人になりたいと、その時思った。

いつのまにやら、僕も病んでしまった。僕には君を救うことができなかったことは分かっている。特に、薬によってかろうじて精神の働きを保っている今の僕には。死という、僕にとっては不可知な事象が安らぎへの契機となるのではないかという期待は、昨日も僕を幻惑した。

昨夜遅くにある友人/共同作業者が送ってくれた私信や、今朝、まだ会ったことのない人が教えてくれた美しい文を読み、その優しさを感じて僕は辛うじてこの世界に踏みとどまっている。この人たちの文は、僕が生き、微笑んだり、挨拶をしたり、地下鉄で席を譲ったり、濡れそぼった人に傘を差し出したりすることによって、小さな希望の種をこの世に蒔くことができるかもしれないと、もう一度僕に考えさせてくれた。その小さな期待を胸に、僕はもう少し生きてみようと考えている。

思えば、この態度は、君と僕が通ったあの中学・高校で僕たちが学んだ道徳でもある。N君、どうやら君は、卒業後20年以上も経って、ようやくこのことに気づくような愚かな生徒である僕に、死をもって何かを教えてくれたらしい。君の死との対比の中に僕はこの希望を見出したのだから。残念ながら私の心は脆く、堅い約束はできないが、君の死を無駄にしないよう、僕は心がけたいと思う。

かつての同級生たちと共に僕も、君が今、安らぎとともにあることを祈る。

2004年 4月 27日 午後 01:52 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2004.04.26

呪文

「テロに屈するな」 ― この合い言葉は「今、撤退すれば、テロに屈したことになる」という条件文を使って、より説明的に提示されることもある。自衛隊をサマワに駐屯させておくことを主張する人たちからよく聞く言葉である。

言っている人たち自身もおそらく自覚しているように、これは議論としては極めて貧弱である。「自衛隊をイラクに留めておくことによって、これこれしかじかのいい効果が得られる」という積極的な根拠を何ら提供しない理由付けであるからだ。地元住民の期待に応えることができなかったことは自衛隊幹部が記者会見ですでに認めており、NGOによる支援のほうが効果的であるかもしれないと政府が考えていることは、最近発表されたACTEDへの資金援助などから察することができる。独立した積極的な根拠を伴わずに唱えられる「テロに屈するな」というスローガンは、全く無意味であると言うことができる。

より広い文脈で考えた場合はどうか。「今ここで撤退したら、将来、他の国でも、テロによって軍隊を追い出すことができると考える輩が現れるだろう」という懸念は的を射ているかということである。命題論理学的な解釈(条件命題がどのような場合に真と見なされるか)でそう考えることは容易であろうが、現実世界での知恵として、この文に重みを感じることは非常に難しい。ベトナムからのアメリカ軍の撤退しかり、アフガニスタンからのソ連軍の撤退しかりで、貧弱な装備の抑圧された民衆が強大な国の軍隊の占領という軛を打ち破った例は歴史上、数多く存在するからである。もちろん抵抗が無惨なまでに踏みにじられた例も存在する。しかしプラハの春の忌まわしい記憶もポーランドのビロード革命を押しとどめる力にはなり得なかった。肝要なのは、将来、どこかの国で、占領への抵抗を試みる“テロリスト”たちにとっては、イラクから撤兵が行なわれたか行なわれなかったかは長い民衆の歴史の中の一つの出来事としてしか記憶されず、何ら決定的な意味を持つものではないということである。より辛辣にはこう述べることもできよう。アメリカ軍が撤退すれば、それは歴史の一ページになりうるかもしれない。しかし自衛隊の撤退は脚注にさえ記載されることはないかもしれないのである。自衛隊が踏みとどまることが歴史的に大きな意味を持つと考える者は夜郎自大の誹りを免れ得まい。

以上に見たように、「テロに屈するな」という文が私たちにとって持つ意味は、文の内部には存在しない。この文が持つ力はその外部、つまり発話行為に宿るものである。アメリカが言った。ブッシュ、ラムズフェルドが言った。暗黙に了解されたこれら本来の発話者の影―命令、威嚇といった発話内行為―のみがこの文の持つ力である。

スペインの新政権が撤兵を発表した時、小泉首相は「スペインにはスペインの、日本には日本の事情がある」と発言した。お国の事情で軍隊を送り込まれたのでは、受け入れる側の国の人たちもさぞかしご不満だろうと思ってしまうが、それはさておき、「アメリカの言うことに背くことはできない。だから撤兵はできない」というのが、まさに小泉首相が認識する「日本の事情」だということであろう。しかしそれは、臆病者の腰抜けな思いこみに過ぎない。イラク戦争に反対したフランスやドイツはこの一年、耐え難い不況に襲われただろうか?米軍基地を撤廃させたフィリピンは、その後の十二年間に以前を遙かに上回る経済成長を成し遂げたではないか?冷たい言葉や短期的な嫌がらせはあるだろう。しかし、その効果が遺憾なく発揮されることを世界経済は許しはしない。善し悪しは別として、アメリカや日本の政治家や資本家たちが推し進めてきた、平準化、脱領土化された経済システムがそのことを保証しているのだ。

「テロに屈するわけにはいかない」という言葉は、体面を保とうという本能から発せられ、人々への口当たりのよい説明として繰り返されたのだろうが、今はその言葉を唱える人たちの自己暗示の呪文に過ぎない。この呪文に縛された人たちの発言を見聞きして、彼らがそれから自由になることを私はあまり楽観視することができない。しかし、私たちはそれが誤りであることを根気よく説き続けねばならないのである。それは、私たちの努力が歴史に残ることだからではなく(上に述べたのと同様に、私たちの努力も歴史は見過ごしていくであろう)、私たちと同じくこの時を生きるだれか(それはイラク人である蓋然性が高いが、自衛官やアメリカ兵の一人であるかもしれないのだ)の命を護ることだからである。今、この瞬間にも誰かが殺されようとしている。呪文はそのことから目をそむけさせるためのものだからである。

2004年 4月 26日 午後 08:06 | | コメント (0) | トラックバック (2)

2004.04.25

世界は狭い

全く関係ない話で以前メールをやり取りしたことのある人のウェブログを見ていて、The Infinite Cat Project でウニの前の写真の猫がこの人の家族であったことが判明。

"It's a small world after all." というのは、耳の大きな黒いネズミだけの話ではないことが分かった。

2004年 4月 25日 午前 09:45 | | コメント (1) | トラックバック (1)

2004.04.24

写真を見る

イラクで戦死したアメリカ兵の棺―星条旗に覆われている―の写真の公表を、軍当局が遺族のプライバシーを理由に拒んでいるという。情報公開法によって入手した写真を掲載したサイトは、なぜか私がこれを書いている現在、アクセスができなくなっている。これらの写真および軍の出入り業者の職員―これを理由に解雇された―が撮影した写真をいくつかの新聞は掲載した:The Seatle TimesLos Angeles TimesThe New York TimesThe Boston GlobeThe Washington Post

人は身近な者の死や苦しみに、他者には思い至らないほど心を寄せるものだから、多くの人の目に棺が触れることを辛く思うこともあるだろう。しかし、私が読んだ範囲では、遺族の声に直接触れることはできなかった。国防総省の説明のみである。

戦争は人を殺す。(人が殺す、というのもまた真実。)棺の写真―兵士が死んだことを示す写真―を国民の目から隠すことは、国民から「戦争は人を殺す」という事実から目をそらせてしまうだけだろう。棺が旗で覆われていることはその兵士が何のため、そして何のせいで死んだのかを示している。その事実も隠されてしまうだろう。これらのことは、ここで改めて確認するまでのことはない。

「死」の概念は人の心を波立たせるものだから、それを喜んで見ようと思う人は少ないだろう。でも、多くの人はそれを直視しなくてはならないことを知っている。そして、ある人たちは、自らの死の危険を冒してまで、私たちにこの直視する機会を保証してくれる。戦場に赴くジャーナリストの人たちだ。彼らに感謝し、無事を祈ろう。

L. A. Times の記事には次の一節があった。

Government and military leaders acknowledge that such images carry power and can sway public opinion.

戦争を推進する人たちも、戦争を止めようとする人たちも、「一枚の写真が国家を動かすこともある」「人々の意志が戦争を止める日が必ず来る」ことを知っているということだ。

新聞の日付を見て、Days Japan の第二号をまだ買っていなかったことに気づいた。一ページ一ページ、一枚一枚の写真が心を重くさせる雑誌であるとも言えるが、今月も私はそのページを繰ることを自分に課すつもりだ。

2004年 4月 24日 午前 12:58 | | コメント (3) | トラックバック (0)

2004.04.23

国民保護法制

Peace Event Calendar の「このドサクサ紛れに政府がコッソリやろうとしていること・・・・」、辺境からの戯れ言の「昨年の「白装束集団」を思い出す」(正確には、他の案件の審議についての論考)を読んで反省し、とりあえず手っ取り早く何かやれることをやってから出勤しようと思い、メーリングリストで受け取った国民保護法制等特別委員会名簿を html にして、アップロードする。名簿を見て、自民 25、公明 4、民主 19、共産 1、社民 1 という委員構成にびっくり。

「国民保護」って、国の言うことをよく聞いて国の方針に逆らわず、国に迷惑をかけないで国の利益になることだけをやる民は保護するよ、っていう意味なんだ。自分の国の荒廃ぶりを目にしたショックから未だに立ち直れない私は「非国民」かもしれないが「憂国の士」だぞ。などと、くだらないことをつらつら考える。

2004年 4月 23日 午前 08:43 | | コメント (4) | トラックバック (1)

2004.04.22

この感じがいいねと思ったから、今日はブログ記念日

先ほど、かなりお気楽な投稿をした後になって、二週間ほど前に書いた「治安維持法の時代」の記事にWolfy さんからトラックバックをいただいたことに気づきました。「1925年の今日、「治安維持法」公布さる。」(Wolfy さん、サマワで自衛隊が供給する水のコスト計算の話も、とても考えさせられました。ありがとうございました。)

Wolfy さんの記事の中で私のといっしょにリンクが張られている余丁町散人(橋本尚幸)さんのブログも見ました。をゝ、いつもコメントをくださる桃花仙の Arcadian Rose さんがル・モンドの記事の訳に今朝がたリンクを張っていらっしゃったところではないか!

なんとなく、自然なうちに人とつながりができたような感じがして、とても幸せです。ブログって、「連帯」とか「団結」のように堅苦しくなく、ゆるゆるっとしたところがいいですね。

手紙は電話と違って人の生活に土足で入って来ないから好きだと書いている俵万智さんのエッセイを読んだことがあります。10年ほど前のことですが、そのことを話したら、ある人に「メールは手紙と電話の“いいとこ取り”だね」と言われました。そのメールも最近はスパムだのウイルスだので、いいところばかりではありませんが、ブログはメール(やメーリングリスト)と従来のウェブの長所を併せ持っているのかも。

お互いにリンクが張られていても、すべてに同じ考えを持っているわけではないと思います。でも、こうやって、善意が重なり、輪が少しずつ広がれば、がなり声に負けがちな良心の声もふたたび世界に響くようになるのではないかと、胸をときめかせたりします。

2004年 4月 22日 午後 08:04 | | コメント (2) | トラックバック (0)

問いと答え

テレビで記者会見などを見ていて、ときどき、「言葉が通じていないな」とか「ここはツッコミどころだよな」などと思うことがあります。最近特にそう思ったやりとりは:

記者:「人質を解放するという連絡はだれから来たのですか?」
川口外相:「イラクの人から。」
記者:「四月に入ってから、アメリカ兵がすでに100人死にましたが。」
サンチェス司令官:「敵は1,000人以上死んでいる。相当の打撃を与えたはずだ。」

Paul Grice の会話の公準(conversational maxims)で言うと、川口外相の受け答えは量の公準 1 の違反でしょう。サンチェス司令官のは関連性の公準の違反かな?間違っているかもしれません。語用論って、今ひとつ捕らえどころがなくって… う~ん、今、言語学の大学院の入試を受けたら、確実に落第しますね、私。

間違ったまま話を続けて墓穴を掘りたくないので、話題を変えます。以下は、留学生の日本語の試験の答案とか。

問:「どんより」という単語を使って短文を作りなさい。
答:「僕は、うどんよりそばが好きだ」
問:「うってかわって」という単語を使って短文を作りなさい。
答:「彼は麻薬をうってかわってしまった」

2004年 4月 22日 午後 06:26 | | コメント (3) | トラックバック (0)

2004.04.21

暫定統治機構の内部文書

イラク暫定統治機構(CPA)に勤務するアメリカ政府官僚のメモ。The Village Voice 最新号に掲載された Jason Vest さんの記事 Fables of the Reconstruction からリンクが張られている。一部、固有名詞等が伏せ字にされた“怪文書”である。

メモは、占領下でバグダッドの街に活気は戻ったものの、CPAは民政を円滑に執り行なえてはおらず、ブッシュ政権の見通しが甘かったことを指摘するとともに、CPAが有力者のコネや地縁で公正性が低められていて、そのことがCPAならびにアメリカへの不満や不信を生んでいると述べている。

このメモが実際にCPAから漏らされたものだとすれば、占領当局内部から見た占領の現状分析はとても興味深いが、このようなリークが行なわれた背景も考える必要があると思われる。

メモの信憑性を仮定した上で、私はこのメモが「イランの影響力増大」にしきりと言及しているところに着目する。メモはイラク南部は「嵐の前の静けさ」の状態にあるとし、イランから資金が流入してきているほか、イラン政府による諜報活動が活発で、南部のイラク国民が占領当局だけでなくイランの情報員やムクタダ・アルサドル派の人々の耳にも神経をとがらせ、口をつぐんでしまっていると述べている。また、国境警備の増員を提案している。

次の標的を明かし、瀬踏みをしていると見るのは穿ちすぎた見方であろうか。

2004年 4月 21日 午後 03:29 | | コメント (0) | トラックバック (0)

茶色の朝

読みたいと思った本がすぐ手に入るのは幸せなことである。大きな街に住んでいて、良心的な品揃えをする書店が近くにあることに幸福や感謝の気持ちが自然と沸き立つ。手に入れた本が愛おしく思えるようなものであったなら、それはなおさらである。

フランク・パブロフさんの『茶色の朝』。最近、この書名をいくつかのところで目にして、気になっていたのだが、朝、体調が悪くて家の中でぐずぐずと過ごすうち、ちぇしゃさんという方のウェブログでこの本の紹介を読み、すぐにでも手にとってみたいと思った。出勤途中に立ち寄った本屋で、この小さくて美しい本は、私が来るのを予期し、書棚で待っていてくれたらしい。数分で読み終えてしまうような短い話であるが、私の期待はみじんも裏切られはしなかった。これは抱きすくめたくなるような本である。

帯には、「これは昔々ある国に起こったおとぎ話じゃない」「反ファシズムの寓話」だと書いてある。同じ範疇に入る本を私はこれまでに何冊も読んできた。だからこそ、今の私がいるのだとさえ思う。それらの本の中でも、『茶色の朝』の訴える力は圧倒的に強く感じられる。著者や翻訳者の力量であろう。

私と同じようにこの本に感動した読者は、今私が書いた「著者や翻訳者の力量であろう」という文の推量のモダリティに、私のはかない期待が込められていることを読み取ったはずである。実は、この本が私の心を強く揺り動かしたのは、書き手たちの力だけではなく、描かれた世界と現実との間の近似によるところが大きい。話の中の世界に無理なく入っていくことができ、主人公にいとも簡単に感情移入ができることを、今を生きる私たちは衝撃をもって発見するのである。例えば、20年前の節目の年にジョージ・オーウェルを読んだ時よりも、読者は自分の世界と物語の世界を隔てるガラスがはるかに薄くなっていることに気が付くだろう。そして、そのガラスが割られる日は決して遠いとは思えない。口元に薄笑いを浮かべ、石を握っている者が私たちの中にも数多くいるからである。

4月20日―すでに昨日になってしまった―は、なぜか私の知り合いに誕生日の人が多い。一昨日コメントをくれた青空文庫の富田さん、前の職場のHさん、現在の同僚のTさん。私は思い立って再び書店に行き、Tさんに贈るため、もう一冊この本を買った。誕生日おめでとうございます。来る年も来る年も、この友人たちの誕生日が彩りゆたかなものであり続けることを祈る。いや、そうあり続けさせるため、私は力を尽くす。

2004年 4月 21日 午前 12:13 | | コメント (1) | トラックバック (3)

2004.04.20

砂漠と洪水

サウジアラビアではゴルフ場全体がバンカーみたいだという笑い話を聞いたことがある。もちろん国中が砂漠であるわけではないことが分かっているからこそ可笑しいのであるが、そのサウジアラビアで洪水で人が死んだという記事を見ると、やはり今ひとつピンと来ない。私もまたステレオタイプに頼って必死に世界を把握しようと藻掻いている哀れな小さい人間である。リンク先の Khaleej Times はアラブ首長国連邦の英字新聞。政治的にどのような立場の報道機関なのか私は知らない。

以下はこの項に全く関係のないことであるが、忘れぬうちに書き留めておこう。以前、サマワの自衛隊の写真に写っているアラビア文字は何と書いてあるのだろうと思ったことがある。(2月28日の項を参照。)エジプト人に聞いてみた。Kateralnada Ibrahim ― 絵を描いた女の子の名前だろうとのことだった。

2004年 4月 20日 午前 12:05 | | コメント (2) | トラックバック (0)

2004.04.19

くの字点

「くの字点」って言葉、一般的じゃないかもしれませんね。一応、説明します。横書きだと変ですが、「やれやれ」を「やれ/\」みたいに書く時に使う、ひらがなの「く」の字を引き伸ばしたような繰り返し記号のことです。

先週の木曜日に書いた「本が好き」への富田倫生さんのコメントを反映して、青空文庫の xhtml ファイルを簡易的に 0213 エンコーディングに変換する cgi に、くの字点および濁点付きくの字点の処理を加えました。(置換構文 s/// を二つばかり書き加えるだけだから、大仰に告知文を書くほどのことでもありませんが。考えてみれば、この cgi 全体が置換しかやっていないか。)

私は今、

で見ています。(4年間使ってきた Windows 98 は、3月末に隠居生活に入りました。)くの字点、濁点付きくの字点はちゃんと表示されるようです。

残念なことに、XP では、イオさんのパッチをあてても、Azur で第3水準、第4水準文字の一部が正常に表示されません。もちろん、青空文庫のファイルをそのまま外字画像込みで表示することは問題ありません。(0213 に関しては、私のところでは、ウィンドウズ付属のメモ帳はOK、WZ Editor はダメです。WZ Editor は 5.0 になって日本語と韓国語を混ぜたりできるようになったところはうれしいのですが。なかなか悩ましいものです。XP で JIS X 0213 をいじっている方がいらっしゃいましたら、どうかお勧めのエディタなどの情報をお寄せください。)

なんか、青空文庫関係のことをやっていると、心が和むなぁ。

2004年 4月 19日 午後 06:16 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2004.04.18

思いやり

「思いやる」とは、弱い人、苦境にある人、つらい思いをしている人のことを気遣うことなのだと私は考えてきた。きっと私はこの語の意味を取り違えてきたのに違いない。

声高に「自己責任」を問い、「救出費用を本人に負担させろ」と迫る人たちは、この動詞をどう定義しているのだろう。

かたや、「思いやり」という名目をつけて私たちの税金からアメリカ軍のために支出される予算は年間2,000億円を超す。世界一の強国と自他ともに認めるアメリカへの贈り物である。私はこれを思いやりとは呼ばない。

そのアメリカ軍がイラクの多くの人に望まれぬまま占領を続け、ファルージャで住民を殺害し、ナジャフで人々の動きを封じている。そのアメリカ政府がパレスチナでのイスラエル政府による国家テロに容認の目配せを送っているのである。

思いやり深い人(地球市民)、思いやり深い国(人道支援を行なう国)になろうとする私たちにとって、これは意味論の問題ではなく、実存の検証である。

(謝辞) このことを考えるにあたって、DoX さんからいただいたトラックバック先の記事、そしてそこに示されていたリンク先の記事(とりわけ、Dead Letter Blog)から多くのことを学びました。考えるきっかけを作ってくれた DoX さん、ありがとうございました。

2004年 4月 18日 午後 08:23 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2004.04.17

よい知らせを受けて

確認しよう。五人を自由にした力は憲法第9条である。憲法を礎に培われた60年になろうとする不戦の歴史である。

憲法は、その前文において、今回私たちが経験したことを極めて適切に表現するすべを与えてくれている。捕らわれた五人は、彼らが、そして私たちの多くが、恒久の平和を念願していたからこそ、平和を愛する諸国民の公正と信義によって、その安全と生存を保持することができたのである。彼らの釈放は、国際社会において私たちが名誉ある地位を占めていることを認められた証である。

私たちの理想と誓いを信じて私たちの仲間を自由にするために力を尽くしてくれた人たちに対し、私たちが示すことのできる最大の感謝は、再び戦争の惨禍が起こることのないように、そして全世界の国民がひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認し、私たちの名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを、改めて、強く強く誓うことである。

2004年 4月 17日 午後 09:06 | | コメント (1) | トラックバック (2)

2004.04.16

架け橋

池田真里さんによる riverbend さんのブログ Baghdad Burning日本語版に続き、Raed Jarrar さんの Raed in the Middle日本語版が登場。翻訳は、「二本山の兄弟犬」の英訳も手がけた nofrills さん。

締め切りを守れない翻訳家として某氏にご迷惑をかけている私としては、迅速かつ継続的な取り組みにひたすら畏敬の念を感じる。そして、多くの人たちと同じように世界の平和を願う一人の市民として、戦火のイラクと私たちを結びつけてくれる池田さんや nofrills さんに感謝したい。

2004年 4月 16日 午前 01:42 | | コメント (0) | トラックバック (1)

成就したこと、やるべきこと

高遠さん、今井さん、郡山さんが無事戻ってきました。おめでとうございます。心の深い霧が晴れたように感じます。先日コメントをくださった moony さんの M. H. Square で紹介されていた「民衆のメールが3人を助ける」という言葉がようやく成就したことを喜びます。

今回の「危機」では、政府の無策とは対照的に、人々の動きがとても機敏だったのがとても印象的でした。多くのメールが飛び交い、ウェブログという新しいメディアを通じても活発に情報交換が行なわれました。この積極性は、将来に向けた明るい要素として素直に喜んでいいのではないでしょうか。

3人への思いから立ち上げられたウェブログ Iraq Hostage Crisis のトップには、人質となった3人のことだけでなく、「自衛隊のイラク派兵のあり方を問い直すブログ」だとあります。これが終わりではなく、これは始まり。彼らのつらい経験を平和で公正な世界を創るために活かしていくことは私たち一人ひとりの責務なのだと再認識しました。

まずは、新たに拘束が伝えられている渡辺さん(私も意見広告掲載に賛同した米兵・自衛官人権ホットラインの仕事でイラクに赴いていらっしゃったそうです)、安田さんにも無事に帰ってきてもらわなくては。二人を救うため、そして次の「捕虜」を作らないため、私たちが何をしなくてはならないかは明らかであるように思います。

2004年 4月 16日 午前 12:11 | | コメント (1) | トラックバック (1)

2004.04.15

本が好き

東京ブックフェア青空文庫収録作品の xhtml ファイルを美しく表示する Azur がお披露目になるそうです。私もベータテストに参加してきました。Azur は、単に手元のファイルのビューアであるだけでなく、ネット上の文書のブラウザでもあります。詳しくは aozora blog の ag さんの記事をご覧ください。

青空文庫では、これまで一貫して JIS X 0208 に則って入力、ファイル作成が行なわれてきました。一昨年の5月以降に作られた xhtml 版では、JIS X 0213、つまり JIS 第三水準、第四水準の漢字は画像に置き換えられています。Windows 98 や Me、あるいは Mac OS X のように JIS X 0213 対応フォント(たとえば、内田さんの Xano 明朝)を準備するだけで Azur で第三水準、第四水準の漢字も表示できる環境のユーザには、これはちょっと残念なところ。(Azur の動作保証環境は Windows 2000 または XP となっていますが、ベータ版は Windows 98SE と Me で問題なく動いています。もちろん、これはウラ情報であって、私の言葉はボイジャー社の公式見解ではありません。)

で、そういう環境で Azur を使うことができる人のために、xhtml ファイルの画像タグを実際の 0213 文字で置き換える簡単な cgi を作ってみました。(二か月ほど前にチラッと書いたやつです。)作ったまま、ほったらかしですし、残念ながら私は動作保証をするほどのプログラミング技量を持ち合わせていません。うまく表示できないことがあったら、ごめんなさい。ご興味をお持ちの方は使ってみてください。

使い方:表示に 0213 対応フォントを指定した Azurで、

http://topaz.ecis.nagoya-u.ac.jp/~yohno/aozora/amayadori/0213.cgi?url=

に続けて、表示させたいページの URL を打ち込んでください。 たとえば、若山牧水の「姉妹」なら、

http://topaz.ecis.nagoya-u.ac.jp/~yohno/aozora/amayadori/0213.cgi?url=http://www.aozora.gr.jp/cards/000162/files/4394_14359.html

とすれば、元のファイルでは画像になっている第3水準1-87-68 の ※(「片+總のつくり」、第3水準1-87-68) と第4水準2-12-11 の ※(「廴+囘」、第4水準2-12-11) もフォントで表示されるはずです。早く XP などでも 0213 が使えるようになるといいのですが…

xhtml 版で JIS X 0213 の文字がたくさん出てくる作品はあまり多くないと思うので、目をみはるような効果は期待しないでください。また、これによって「0213 エンコーディングのファイルがすでに存在する」ような錯覚もしないでくださいね。青空文庫のファイルを 0213 対応にしていくのは、まだまだこれからやらなくてはならない作業です。

青空文庫の xhtml ファイルには、いつの日か紙の本のようなきれいな形で電子テキストを読めるようにと、既存のブラウザではうまく再現できないけれど、これから出てくるビューアへの期待をこめて、傍点などの class 属性を書き込んであったりします。Azur の登場で、その願いが現実になりつつあります。開発にあたられているボイジャーのみなさんに声援と拍手を送ります。

2004年 4月 15日 午後 06:43 | | コメント (1) | トラックバック (1)

2004.04.14

心の奥行き

北海道で自衛隊の派兵差し止め訴訟を起こした箕輪登さんが、人質の身代わりになることを申し出ていることを hanaさんの Peace Event Calendar で知る

今回の人質事件に関連して、拘束されている人やその家族を思いやり、いたたまれなく思う人が数多く―この社会もまだ捨てたものではないと思うほど多く―いると同時に、非常に冷たい発言や行動をする人たちもまた存在することを知った。(このことに関して、私は畑仲さんのブログの「イラク邦人人質へのツライ眼差し」という記事の記述に共感を覚えた。)

以前、政治的な傾向を計測するのには、従来の「右・左」という横軸のみでは不十分で、「権威主義的・自由思想的」という縦軸も考慮に入れる必要があるという話のことをここで書いたことがある。箕輪さんは、おそらく私とは横の軸でも縦の軸でもかけはなれた座標にいる人だと思う。その人と私たちが心を重ね合わせることができるというのは、もしかすると縦でも横でもない、第三の軸を設定しなければならないということなのかもしれない。縦でも横でもない軸―奥行きの軸。心の深さの軸である。

私は自分の心の深さを誇らしげに語るような面の皮の厚さは持ち合わせていないが、箕輪さんの記者発表にある「私は十分に長く生きてきました。私は、あなた方が拘束した3人の日本人の代わりに人質になる覚悟があります。」という言葉は、十分にその賞賛に耐えうるものだろう。そして、唾棄すべき発言や行動をする人たちの浅薄さを見て、私はこの軸を「奥行き」と表現することは決して的はずれではないと確信している。

2004年 4月 14日 午後 02:33 | | コメント (6) | トラックバック (0)

2004.04.13

冷たい頭、冷たい心

「冷静」と「冷淡」は違うぞ! ―先週の土曜日の日付の入った「江川紹子ジャーナル」の記事。イラクでの人質事件について、政府の対応は冷静であるというより冷淡、毅然というより冷然としていると感じるという指摘。メーリングリストで紹介を受けた。はじめから終わりまで、100%の共感を持って読んだ。

2004年 4月 13日 午後 12:45 | | コメント (0) | トラックバック (1)

2004.04.12

ファルージャ

Iraq dispatches: Americans Slaughtering Civilians in FallujaThe New Standard の特派員 Dahr Jamail さんが週末の「停戦」時にファルージャを訪れた時の記録。アメリカ兵の狙撃によって負傷した人たちが次々と診療所に担ぎ込まれるようすが生々しく記されている。

テレビのニュースで聞いたのは「抵抗勢力が一つにまとまっているわけではないので、停戦が完全に守られるかどうか分からない」という話だった。しかし、Jamail さんが伝えるのは、絶えまなく爆撃や狙撃を続ける米軍の振る舞いである。

一年前、ピースウォークに参加する時、私は No More Vietnams! と書いたプラカードを持って歩いた。思いの外早くフセイン政権が崩壊したのを見てそれが杞憂だったと考えたのは、なんと早計だったことか。

囚われの人々については、メーリングリストで届いた「人質解放まであと8時間待つ必要がある」という知らせに希望を見出す。8時間は短い時間のはずである。私たちの連帯が彼らに、その家族に、そして彼らを救うために必死に行動している人たちの力となりますように。

2004年 4月 12日 午後 10:12 | | コメント (0) | トラックバック (2)

2004.04.11

希望の日

私自身は信仰を持っていないのだが、イエス・キリストが磔殺された聖金曜日だった一昨日の帰り際、カトリック信者である同僚に復活祭のお祝いのメールを送った。前夜のニュースに「息が詰まるようだ」と書いた私にその同僚がくれた返信には「イースターの祝福が世界に満ちるようお祈りいたします」とあった。

実に多くの人が祈り、行動したことを私たちは知っている。おそらく、あと数時間で私たちは「祝福」を実感することができるだろう。願わくば、ファルージャに、ガザに、そして私たちが名も知らぬ虐げられた国や町や村に住む人たちをも覆うべく祝福が世界に満ちていくことを。

同僚からのメールにはアッシジの聖フランシスコの名を冠して伝えられる「平和の祈り」が添えられていた。私もまた、国籍や民族や宗教を問わずこれを心の真実とする数多くの市民の一人である。

私をあなたの平和の道具としてお使いください
憎しみのあるところに愛を
争いのあるところに許しを
分裂のあるところに一致を
疑いのあるところに信仰を
誤りのあるところに真理を
絶望のあるところに希望を
闇に光を
悲しみのあるところに喜びを
もたらすものとしてください
慰められるよりは慰めることを
理解されるよりは理解することを
私が求めますように
わたしたちは与えるから受け
ゆるすからゆるされ
自分を捨てて死に
永遠の命をいただくのですから

2004年 4月 11日 午後 08:17 | | コメント (0) | トラックバック (2)

2004.04.10

イラクからの便り

Raed in the Middle の Raed Jarrar さんからの返信

丁寧なメール、ありがとう。
私たちの二つの文化が暴力と戦争の中で初めて出会うことになったのを残念に思います。罪のない日本人三人を連れ去った過激なイラク人たちを見つけ出すことができればと思いますが、戦争と憎しみの論理と雑音は非常に大きいのです。
イラクから日本の軍隊を撤退するようにもっと政府に圧力をかけてください。
イラクの問題はアメリカの行政にあります。ブッシュの愚かで傲慢な行為のためにあなたの国の若者を死にさらさないようにしてください。
私たちの国はあなたの国を愛しています。私たちは日本人が賢明で、粗野ではない人たちだと思っています。理由もなく私たちの間に争いなど始まらないようにしましょう。
忍耐強くいてくれてありがとう。そして、人質の家族のみなさんのことを本当にお気の毒に思っています。

Baghdad Burning の riverbend さんからの返信

あなたが今どんな気持ちでいるか分かります。私も日本人の人質のおかれている状況について残念に思っています。ひどい状況で、なんとなく私には、彼らに危害が及ぼされてしまうように思えます。
これによって日本の世論が反イラクにかたむくこともありうるでしょう。しかし、多くのイラク人も今、日本に反感を抱いていることを忘れないでください。日本は戦争と占領に関与するべきではなかったのです。
日本による派兵がなければよかったと思います。なぜなら、NGO関係者であれ、イラクを「護る」ために来るということであれ、どのような人であっても、占領軍の一部だと考えられてしまうからです。
メールを本当にありがとう。日本人の三人が無事家族のもとに帰れて、さまざまなことがうまくいくことを願っています。

2004年 4月 10日 午前 10:02 | | コメント (4) | トラックバック (3)

2004.04.09

私は弱い人

私は弱い人、中途半端な人、信念を貫けない人、だまされやすい人、現状を追認してしまいがちな人。

ファルージャの話、そして、高遠さん、郡山さん、今井さんのニュースを聞き、そう思いました。 こうなることは分かっていたのに派兵を阻止できなかったことを悔い、同じ国の人間として責任を感じます。平和を愛し、友情を信じて勇敢に行動した彼らの安全を祈ります。

彼らに災いをもたらそうとしている人たちに、それが間違ったことだと伝えたい。また、「人道復興支援をしているのだから撤退する必要はない」と早々と言い切る政治家たちに、絶えずいろいろな視点から考え続けることの大切さを分かってもらいたい。そして同じ旅券を持って旅し、同じ言葉を話す人たちの安否をこのように気遣う時、戦争と占領の時を生きるイラクの人々がこの一年あまり、どんな気持ちで暮らしてきたのかに気づきます。

私は首相官邸広報室にファクスを、イラクのブロガーにメールを送りました。現実を直視し真実を見抜き、固い信念を持って行動し、悪しき状況を変えるために力を尽くす強い人になりたい。

2004年 4月 9日 午前 12:08 | | コメント (2) | トラックバック (5)

2004.04.08

治安維持法の時代

今週の『週刊金曜日』(先週の金曜日に発売された502号)はいつもに増して読み応えがありました。立川のビラ配りでの逮捕、戦前・戦中の治安維持法による弾圧被害者への取材、先月暗殺されたヤシン師へのインタビュー、ブッシュ政権による9.11の政治的利用、君が代を歌わなかったことによる都立高校教員処分、週刊文春の出版差し止め、ハイチとイラクの写真ルポ、遺伝子組み換え稲など、気になる記事が目白押しです。それだけ大変な世の中になってきたということかもしれません。日ごろの不勉強を埋め合わせるべく、一夜漬け。

星徹さんの「治安維持法犠牲者の声を聞け」に引用されている歴史家の吉田裕さんの発言の中の次の二点に注目しました。(「の」が連続していますと叱られました。読みにくくてすみません。)一つは、治安維持法による弾圧が激化した1930年代は日本の経済が恐慌からの急速な回復を見せた期間であったこと。好調な経済により、政府への反発が和らげられてしまっていたという指摘です。もう一つは、初期には弾圧が一部の人や団体に対してのみ行なわれたため、多くの人は弾圧を他人事と考えていたこと、そしてその間に治安維持法体制が強化されていったという指摘。

最近、びみょーに景気が上向いてきたような気がします(当社比)が、それさえも心配材料でありうる… 公安当局が乗り出さなくても、殺伐とした人たちが率先して市民団体などを孤立させようとしているし… 等々、うつの心(加療中)は千々に乱れるのでありました。

2004年 4月 8日 午後 09:27 | | コメント (0) | トラックバック (1)

2004.04.07

イラクとレバノン

昨日、目にした二つの意見。一つは、「イラクはレバノンのような内戦状態になりつつある。このまま留まれば、兵士に数多くの犠牲者が出る。自由な民主主義を確立すると言ってフセイン政権を倒したが、現地の人の多くが強権的な宗教政治を望んでいるなら、すべて無駄である。即時撤退すべきだ。」というもの。ちょっと乱暴な要約になってしまいましたが、The Nation に出た Matt Bivens さんの the daily outrage: Islamic Republic of Iraq の主張です。かなり無責任な意見という感じもしますが、イラク国民の代わりに外部の人がイラクの将来の見通しをたててやろうとすること自体、本当は失礼かつ無責任なことだったのでしょうから、雪だるま式に大きくなる前に過ちを断ち切るという考えは分からないでもありません。

もう一つは、「アメリカの即時撤退も、主権委譲の延期も望ましくない。占領当局にも、サドル派にも、自制を呼びかける。イラクの人々の大半は暴力を望んでいない。占領の終了と主権の回復が予定通り行なわれることを求める立場を堅持しよう」と呼びかける、レバノンの The Daily Star の社説です。具体性に欠くきらいがありますが、正論だし、当事者であるイラク国民により近く寄り添った意見であるようにも思います。

大変不謹慎ですが興味深く思ったのは、Bivens さんがイラクの危険な情勢をレバノンに喩えたのに対して、そのレバノンの新聞では、ベトナム、パレスチナ、アルジェリアが喩えとして用いられていたことです。遺跡で有名なバールベックから首都ベイルートに向かう道沿いはヒズボラの本拠地で、シーア派のポスターや横断幕をたくさん見ます。ベイルートでは、依然として破壊されたままの建物や銃弾の跡が見られますが、復興はかなり進んでいます。おそらく、あと数年したら、目に見える内戦の傷跡はほとんど街から消えてしまうでしょう。The Daily Star の編集者がレバノン内戦との比較をしなかったのは、今後起こりかねないイラクでの混乱や悲劇を自分たちの体験に重ね合わせるのはつらすぎるということなのか。それとも、平和と繁栄を再び謳歌しはじめた自信の現れなのか…

悲惨な状況が出現した時、私たちは見て見ぬふりはできないでしょう。しかし、私たちが取るべき行動は占領ではないし、内戦を裏で操る(ちょっと古い言い方ですが)帝国主義的な国々や大資本に与することでもないことは明らかです。そうなった時に何ができるか、そうならないために何をするべきか、考える時間は残念ながらあまり残されていないのかもしれません。

あえて物事の明るい面を見ようとするならば、レバノンの歩んできた道が希望を与えてくれます。長く困難な時が続いても、いつかは必ず人々が笑顔を取り戻し、街がまた活気をおびる日が来るはずです。

2004年 4月 7日 午前 07:32 | | コメント (0) | トラックバック (0)

壁を越える芸術

パレスチナの分離壁の両側で、ビデオカメラがとらえたお互いの様子をプロジェクタで壁に映して確認しながら手を振るというプロジェクトの写真が「バルタザールどこへゆく」というウェブログで紹介されている。(記事へのリンク。)

まるでオノ・ヨーコさんの『グレープフルーツ』の中のインストラクション・アートのようだ。強く心をうたれると同時に、決して壁が消えたわけではなく私たちがやるべきことは多く残っていることを思い知る。

私なら、インストラクションの最後にこう書き足そう。

通りかかる人に、いっしょに手をふるように声をかけなさい。
平和が訪れるまで、手を振りつづけなさい。

2004年 4月 7日 午前 12:10 | | コメント (2) | トラックバック (0)

2004.04.06

Kids' Guernica

東海地方のニュースで取り上げられていた、世界の子どもたちの平和への取り組み。ピカソの「ゲルニカ」と同じ大きさの絵を描いて、平和の尊さを訴えるというもの: Kids' Guernica (ページ右上に日本語ページへのメニューあり。)

「キッズゲルニカ」で検索してみると、日本各地で取り組みが行なわれていることが分かる。がんばれ、子どもたち!

「ゲルニカ」のあるマドリッドの Museo Nacional Centro de Arte Reina Sofia の所蔵するピカソの作品紹介。

2004年 4月 6日 午後 06:52 | | コメント (0) | トラックバック (0)

懐かしい部屋

自分の住んでいた町とか通っていた学校のことをニュースで見ることはあるけれど、自分がいつもいた部屋の話を新聞で読んだのは初めてのような気がします。

人様にお見せするには恥ずかしい内容(お金がなくて修理ができず、雨漏りしたりしている)の記事ですが、これが私が行っていた学校(University of Massachusetts at Amherst)です。記事の中で「暑さ寒さがひどく、虫が沸いている」と書かれている屋根裏部屋を私も使っていました。写真に写っている図書館のすぐ左隣にあります。

思い立って調べてみると、数十人で立ち上げたTAの組合が今や2,400人の大所帯に!あの努力は無駄ではなかったのだと、うれしく思いました。

2004年 4月 6日 午前 08:52 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2004.04.05

ショスタコービッチ

The Composer and the Dictator ― The New York Times 紙に載った Jeremy Eichler さんによる Dmitri Shostakovich に関する記事。『ショスタコービッチの証言』以降の“ショスタコービッチはソビエト体制に忠実な作曲家だったのか、それとも、彼の音楽には反体制のメッセージが隠されているのか”という論争に関連して最近出版された二冊の本を紹介している。そのうちの一冊に関しては、一か月ほど前にイギリスの Telegraph 紙でも書評を読んだ。

彼がスターリンによる冷遇を苦々しく思っていたことは間違いないだろうし、だからと言って、共産主義を全面否定していたわけでもないのは明らかだから、おそらくは、ショスタコービッチの真の姿は、その両極端の間のどこかにあったのだろう。 (人間って、そういうものじゃないだろうか。どちらかの隅に押し込もうというのは、「アメリカの戦争に反対するお前たちは、なぜアメリカが押しつけた憲法を批判しない」とがなりたてる右翼の街宣車のようなもの… ちょっと喩えが違うか。)

ちなみに、私は彼の交響曲や室内楽は好きだが、スターリンが嫌ったという「ムツェンスク郡のマクベス夫人」は、あまり好きではない。もちろん、個人的な趣味に合わないというか、刺激が強すぎて、聞いていて疲れるからで、初演の直後にプラウダ紙が書いたようなイデオロギー的な理由ではない。(1936年1月28日のプラウダの記事の英訳:Muddle Instead of Music

Eichler さんの記事の最後に、彼の眠るモスクワの Novodevichy 墓地のことが書かれている。彼の墓石に名前のイニシャルが音符で表されていることはよく知られているが、そのすぐ近くにはシュニトケの墓があるそうである。その墓石には全休符、フェルマータ、フォルテシモの五線譜があしらわれているとある。

2004年 4月 5日 午前 11:45 | | コメント (2) | トラックバック (0)

2004.04.04

雇われ国家の再軍備

Fickle, Bitter, and DangerousZ Magazine に出た Chalmers Johnson さんのインタビュー。表題の「移り気で、にがくて、危ない」とは、アメリカの外交政策が今後その雇われ国家によってどのように見られていくかについての Johnson さんの予測であり、アメリカ政府への警鐘である。

インタビューの中で Johnson さんは、9.11 に見られるような反米感情が、冷戦期およびその後のアメリカ政府の外交政策が生み出したものに他ならないことを明らかにしている。9.11 以後のアメリカ政府の姿勢が金大中大統領のピョンヤン訪問によって道が開かれつつあった朝鮮半島の平和に水を差したこと、現時点で東アジアに軍事的な脅威が存在しないにも関わらず米軍の駐留を理由づけるために朝鮮半島情勢や中台関係の緊張をアメリカが望んでいることなど、頷くべき指摘が多い。

Johnson さんの発言は、鳥瞰的な状況分析としてまっすぐに筋の通ったものだと思う。しかし、現実の生活の中で私たちがどう行動していくべきかを考えた時、話はもう少し複雑であるかもしれない。Johnson さんが指摘するように、アメリカは日本の再軍備をもくろんでいて、日本がアメリカの雇われ国家、衛星国家であることによってそれが現実となりつつあるわけだが、日本の政治の中で、軍国主義化はおそらく“真の独立国家たる日本を目指して”といった宣伝文句とともに推し進められていくのではないだろうか。(小泉首相のように日米同盟をことさら強調する場合には、“対等のパートナーになるため”といった言い換えが行なわれるかもしれない。)そしてそのような主張をする者の一部は民族主義者としての信念からそう言い、別の一部は日本がアメリカの雇われ国家でありつづけることを望むその意図を覆い隠すための嘘としてそう言うのである。平和を護ろうと考える私たちはその両者を相手にしなければならない。相手の土俵(つまり、見た目の二倍の広さがあるわけである)に乗せられないよう、十分に注意が必要である。

2004年 4月 4日 午前 11:28 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2004.04.03

指紋押捺

今年の9月30日以降、日本国籍の人はアメリカ入国に際し、顔写真の撮影と指紋押捺が行なわれるようになるそうです。依然として旅行者はビザなし渡航は可能。(BBC の記事 US Fingerprints 'Allied' VisitorsMetaFilter 経由で知りました。)

「税関での処理時間は今までとさほど変わらない」と書いてありますが、ちょっと読みが甘すぎるような気がしませんか。それに、やっぱり“外国人だから犯罪者予備軍扱いされた”と思ってしまうかなぁ。一度経験してみないと分かりませんが。

私が住んでいた時は、外国人登録にあたるものもなく(何か必要にちがいないと思い、市役所等にわざわざ聞きに行きました。Social Security Number の発行だけでした)、ずいぶんいい加減だなあと思いました。何かやるとなったら、またやけに極端なことを…

2004年 4月 3日 午前 08:49 | | コメント (0) | トラックバック (1)

2004.04.02

ウズベキスタン、ふたたび

ウズベキスタンでは争乱が続いている。アメリカや日本での報道からも、背景にあるカリモフ政権(親米だが、ソビエト時代の権力層のままである)の圧政や官憲当局の不人気が察せられる。 当初の政府発表で出された Hizb-ut-Tahrir の犯行という見解はやはりお門違いだったようだ。現在はアルカイダの関与が主張され、警察との銃撃戦で死亡した武装集団が主に外国人だったとされているが、EurasiaNet.org の記事は彼らがブハラ出身のウズベク人だったと報じている。

Human Rights WatchUzbekistan: Muslim Dissidents Jailed and Tortured という記事に、反体制派ムスリムの迫害、人権侵害の概要が記されている。(長大な報告書へのリンクあり。)

Muslim Uzbekistan ― 独自取材の記事は少ないが、各種報道が手際よくまとめられている(英語)。サイト名からも推測できるように、カリモフ政権には批判的なサイトである。

UzReport.com ― 政府当局寄りの報道。日本の創価大学に有名なウズベク人文学者の銅像が建てられたという3月31日の記事が目を引いた。(創価学会による報道はここにある。)ちなみに、タシケントにはこの文学者の名を冠した劇場があり、それがソ連に抑留された日本人捕虜によって建造されたということで、観光名所の一つになっている。

タシケントに数日滞在しただけの私には、ウズベキスタンでのイスラムの姿は全くもって謎だ。街では一回もアザーンを聞くことはなかった。しかし、招かれて行った食事では、必ずお祈りがささげられていた。同行した人から「ウズベクの我妻栄」だと紹介された法学の老教授(完全に体制側の人である)に「また会いましょう」と言われ、「インシャラー」と答えたら、「君はアラーの御旨を信じるのか」と、ものすごく喜ばれたのが印象深い。

写真を見ながら、人々の無事を祈る。

2004年 4月 2日 午前 12:08 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2004.04.01

飼い主に似る

犬は飼い主に似るとよく言われますが、それは血統書付きの犬の場合だけで、雑種の場合はそうでもない、という研究結果だそうです。 Study: Purebred dogs resemble owners (AP 電) 血統書付きの場合は、買う時に、イメージを描きつつ犬を選ぶのだろう、とのことですが。

顔つきが似ているというより、こういうタイプの人がこういう犬を選びがちという傾向があるようなのですが、大人になってからは猫としか暮らしたことがなく、しかも、いつも迷い猫にいつのまにか居着かれるというだけで、お金を出してペットを「買う」ということをしたことのない私には、あまりピンと来ません。

2004年 4月 1日 午前 09:39 | | コメント (0) | トラックバック (0)

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