2020.12.06

米議会下院がマリファナ合法化を可決

依然としてブログを定期的に更新できるような生活には戻れていないのですが、マリファナ合法化の話題は長い間、追いかけてきたものなので、重要な一里塚を記録しておきます。

House Passes Landmark Bill Decriminalizing Marijuana - The New York Times 2020年12月4日、米国議会の下院がマリファナを合法化を定めた下院3884法案を可決しました。下院多数派の民主党を中心に賛成 228、反対 164 だったとのことです。しかし、これで連邦レベルで大麻所持や販売が合法になるのではなく、共和党が多数となっている上院で否決されるだろうと報じられています。

連邦議会上院では、11月の選挙で議席が確定しなかったジョージア州の2議席の決選投票が1月5日に行なわれます。この時期に下院での議決を行なったということは、マリファナ合法化が保守派の反発をより強固にすることはないだろうという判断があったということだと思います。ジョージアの議席は接戦が予想されますが、それにもかかわらずこの議決が行なわれたことは、米国社会全般のマリファナに対する見かたがどのようなものであるかを雄弁に物語っていると考えられます。

米国でのマリファナの非犯罪化については、この2つ前の記事(3年前に書いたものですが)にもまとめたように、11年前に、2017年から19年に実現されるだろうと予測しました。近年は、トランプが極右の Jeff Sessions を司法長官に任命したことなどにより、合法化の動きは数十年単位で後退したと考えていたのですが、思いのほか早く、本来の時間軸に復帰しました。

ウルグアイとカナダに続き、これからの4年間のどこかで米国全土でマリファナ使用が犯罪ではなくなることは確実です。

2020年 12月 6日 午前 12:10 | | コメント (0)

2018.03.13

平和に帰る

内乱で非常事態宣言が出ている国から昨日、帰ってきた。その国(の少なくとも東部)では、政府の手で、インターネットが完全に止められていた。

そういえば、若いころ、住んでいた国が突然、戦争を始めた、という経験もした。にぎやかだった街から、ぱったりと人が消えたのを覚えている。
どちらも、直接、身に危険を感じるようなものではなかったが、市民の強い決意によって、そして絶え間ない努力によって、平和が守られてきた私たちの国の日常とは違う時間の流れであったことは間違いない。
私たちの国の多くの人は、そういう経験をしなくても、平和で公正な世界の尊さを知っていると思う。しかし、それと同時に、憎悪を煽ったり、武力に頼って問題を解決しようとしたりする人たちがいることも事実だ。
そのような「平和ボケ」の人たちを、私の未熟な心は、軽蔑する。そして、我にかえり、そんな人たちにも救いがあるように、祈る。

2018年 3月 13日 午前 12:03 | | コメント (1) | トラックバック (0)

2017.08.02

米連邦議会に大麻合法化法案が上程

ご無沙汰しております。ブログを定期的に書かなくなって久しいですが、以前から注意を払ってきた論点で大きな動きがあったので、記録しておきます。

US Senetor Cory Booker, by JD Lasica米国の連邦上院で、Cory Booker 議員(ニュージャージー州、民主党)が大麻の合法化を目指す法案を提出したそうです —— Sen. Cory Booker Wants to Make Marijuana Legal Across U.S. — Could That Curb Opioid Epidemic? - NBC News

このブログで以前にどのように書いていたかを調べてみたところ、2009年の時点で、全米での合法化は2017年から2019年ごろと予測、2010年2012年に少し後退させて2019年ごろになるだろうと予測していました。

今回の法案上程は画期的なことですが、十中八九、可決はされないでしょう。来年の中間選挙でも基本的には構図は変わらないでしょうから、大きな動きがあるのは2020年11月の選挙よりも後ということになりますね。

コリー・ブッカー米上院議員の写真は JD Lasica さんが CC-by-nc で公開しているものです。

2017年 8月 2日 午後 09:05 | | コメント (0) | トラックバック (1)

2016.06.18

お別れ

ちょうど一か月前、ほぼ19年間いっしょに住んできた猫のウニが息を引き取りました。軽い気持ちで韓国語の名前を付けた恩姫ちゃんですが、光州事件の記念日に死んだのは、何かの因果なのかもしれません。

表情豊かで、意志が強く、賢い猫でした。いっしょに生きられて幸せでした。

別れて、時間が経つにつれ、不在に慣れていく反面、さびしさも募ります。幼いころ、親が病に斃れた時にも感じたあの気持ちを、この歳になって、再び経験しています。

今の私と同じように愛しい存在を失い悲しむ人たちに連帯するとともに、いとも簡単に戦争だの死刑だのを主張して、その結果、だれかが傷つくことに思いを馳せない人たちのためにも、「汝の敵を愛せよ」の教えの正しさを信じて、祈ります。

写真は、一年半ほど前のうにちゃんです。病気の新しい治療を始めて、すこし健康を取り戻していたころです。この後、少しずつ痩せていきました。死ぬ前日まで、一生懸命、階段を登ったりしていました。

2016年 6月 18日 午後 11:10 | | コメント (5) | トラックバック (0)

2016.03.12

豊島にも行った

小豆島の隣の豊島《てしま》にも寄りました。朝のフェリーで小豆島から渡って、昼過ぎのフェリーで帰るため、ほんの数時間の滞在で、行ったのは産廃のところだけです。

四半世紀前に明るみに出た豊島の産業廃棄物不法投棄問題。当初60万トンほどと思われていた産廃は、今では90万トン以上あったと推定されています。公害調停によって始められた対策によって、これまでに9割近くの処理が終わったそうです。廃棄物そのものの処理はあとちょうど1年で終わるけれど、汚染された地下水の浄化にはさらに十数年かかるだろうと言われています。

…といった話を、香川県直島環境センター豊島分室の職員のかたから伺いました。本当は廃棄物対策豊島住民会議を通じて見学を申し込み、住民運動の側からのお話も伺いたかったのですが、私が問い合わせるのが遅すぎたため、予約が間に合いませんでした。なので、私は豊島の産廃問題の全体像を把握できたとは言えないと思います。

ものをどんどん作って、便利さを追求し、その後のことを考えない社会全体のありかたとか、自分個人のレベルのこととして、できるだけゴミを出さないように生活しなくてはいけないなあとか、放射性廃棄物などは再処理とか無害化もむずかしいのだから、原発を動かして、そういうものを作り続けて、本当に大丈夫なのだろうかとか、いろいろなことを考えさせられます。

見学の後、豊島をぐるっと一回りしてみました。とても美しい島です。問題が起こった時の、市民の悲しみや怒りはどんなに強かったことだろうと思いました。

2016年 3月 12日 午後 10:57 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2016.03.10

小豆島に来た

私が最も敬愛する作家、黒島伝治の故郷、小豆島に来ています。

私、10年ほど前だったでしょうか、黒島の小説『武装せる市街』の初版本を古本屋で見つけ、買い求めました。1930年に出版され、すぐ発禁になった本です。

でも、私が持っていても何にもならないので、小豆島町立図書館に引き取っていただきました。

(1年ぶりの投稿で、やりかたをすっかり忘れてしまっています。)

2016年 3月 10日 午後 08:13 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2015.03.09

50年を受け継いでいく

人生の長さを3等分すると、私はそろそろ最後の3分の1に入っていくことになります。まあ、そもそも、あらかじめ分かっている長さの人生を生きられるわけでもないのですが。実は、この間も、死にかけました…

Memphis, Tennessee by Jasperdoで、いずれにせよ、先はそう長くもないし、死んだ後に遺された人に迷惑をかけるのもよくないと思い、このところ、ものを買うのをかなり控えています。ここ半年余りで買った本は3冊だけです。

1冊は Martin Luther King, Jr. 師の Stride toward Freedom という本です。私たちの国でも「自由への大いなる歩み」という題で以前は岩波新書から出ていて、私も高校のころに読みました。アメリカでの出版は1958年。岩波の翻訳はその翌年に出たようですね。ペーパーバックは、1960年に出たそうで、私は古本屋で見つけた1964年発行の第3刷を買いました。1ドル50セントでした。

上に書いたように、私は本の購入をなるべく控えているのですが、この本を手に取った時、表紙の裏に、「ビルへ ありがとう 前途を祝します いつまでも ノーマとジョージより 1965年」と書かれているのを見て、すぐさま、買うことを決めました。友人への感謝の気持ちを表わすためにキング牧師の本を贈った人たちと、50年の時を隔てて、私は心が通わせることができる気がしたのです。

50年前。私はもう生きていたわけですから、それはほんのわずか昔であるととも言えます。しかし、ほとんど何も覚えていないわけですから、遠い昔でもあります。私は、当時のほんのわずかな記憶や、それに続く時代のかなり鮮明な記憶をこれから来る人たちに語り継いでいく責任が自分にあると考えています。

生き証人とか語り部と呼ばれる人たちから昔のことを直接聞けるのは50年ぐらいの時間が一つの限界だと感じます。もちろん、百歳になっても健康を保ち、幼いころのことを教えてくれる人もいるでしょう。でも、私は、そんなふうにはなれそうにありません。

また、私たち人間は、自分の声をより遠くまで届け、より長く残すために、文字を作り、本を書いてきました。しかし、活字の力をもってしても、書かれた記録も散逸したり死蔵されたりしていってしまいます。社会全体で、50年もの時が経つと、昔のことを思い出し、それを通じて、表面的な変化に隠れて今にも脈々と続いている問題について学ぶということが難しくなっていくと思います。

人間が知識や情報を受け継いでいくサイクルとして、50年は一つの限界だと私は思います。これを、例えば、70年を単位にした場合、将来に向けて伝えていく営みは、とても大きな障害に直面すると私は考えます。

このことを理由に、私は、今、政府が行なおうとしている著作権保護期間の延長に強く反対します。これまで、私たちの国の書籍の著作権保護期間は、著者の死後50年でした。半ば秘密裡に行なわれてきたTPP交渉の中で、それが70年に伸ばされようとしています。

社会は歴史を踏まえて紡いでいくものです。そのために、思いを受け継ぐサイクルとして、70年というのは長すぎます。

私は、著作権保護期間の延長に反対します。

写真は Jasperdo さんが CC-by-nc-nd で公開しているもの。

このブログで

2015年 3月 9日 午前 12:00 | | コメント (1) | トラックバック (0)

2015.03.08

セルマから50年

米国南部のアラバマ州セルマで行なわれた「血の日曜日」50周年記念式典の中継を見ました。1965年3月7日のセルマ。アフリカ系市民の投票権確立を求めて行なわれた公民権運動の一つの里程標です。

We Shall Overcome! (Edmund Pettus Bridge) by Eneas De Troya行進の行なわれた橋のたもとで開かれた式典では、ちょうどその年に生まれたアラバマ初の黒人女性議員 Terri Sewell さん、自らもその日に橋を行進したジョージア州選出議員の John Lewis さん、そしてオバマ大統領が話しました。公民権運動という反体制運動が社会をよい方向へ変えたこと。その努力は、近年のアラブの春やウクライナのユーロ・マイダン運動にまで勇気を与えたこと。そして、差別や偏見との闘いは、依然として道半ばであることが語られました。「私たちは歴史を大切にするが、過去に戻りたいわけではない」という言葉を聞きました。

私にはアメリカを手放しで賛美するつもりは全くないのですが、私たちの国の状況を振り返った時、その対比には絶望に近いものを感じてしまいます。私たちの周りで急速に高まる、権力に抗う者を冷笑する閉塞感、誇りを護ると称して過去の自分たちの過ちを糊塗しようとする不誠実さ、自分たちと異質な者に対する憎しみや不遜さは、いったいどうしたらよいものでしょうか。

Selma の Edmund Pettus Bridge の写真は Eneas De Troya さんが CC-by で公開しているもの。

このブログで

2015年 3月 8日 午前 07:28 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2015.01.29

青空文庫はいいね!

青空文庫に新たに収録された作品の情報を Facebook に自動的に投稿する実験を始めました。

https://www.facebook.com/aozorabunko.shinchakujoho というページに、日本時間で午前4時ごろになると思いますが、その日に公開された作品の著者、作品名、冒頭の抜粋、そして図書カードへのリンクが表示されます。このページは Facebook を利用していない人でも見ることができると思いますが、自分のアカウントにログインした状態でこのページを「いいね!」しておくと、友人たちの近況報告に混じって、タイムラインに青空文庫の作品が並ぶと思います。

もしかすると、私が知らないだけで、ほかにどなたかが既にやっていることなのかもしれません。また、私はあまり Facebook のことに詳しくないので、質問や要望をいただいても、なかなか対応できないと思います。すみません。

手持ちの情報(下記のRSS)+外部の仕組み(Hootsuite というサービス)の利用で作ったので、私自身、表示のされかたなどにいささか不満があるのですが、まあ、動いているし、いいか、と思っています。フィードからFacebookへ投稿する仕組みは、いくつか試してみたのですが、一つひとつ挙動が異なり、戸惑うばかりです。

見栄えの問題だけではなく、作品の中には差別的な語句が使われているものもあり(青空文庫では、各作品の図書カードにその旨を記載した上で公開しています)、作品冒頭からそういう言葉が出てきた場合、本文抜粋の中にそのまま表示されてしまうのは問題だと思っています。やっぱりこれは望ましくないなあ。ふだんから人を蔑んだり罵倒したりする人は何も違和感を感じないのでしょうけれど、できるだけそういう人とのお付き合いをご遠慮申し上げてきた者としては、突然、自分のタイムラインで忌まわしい単語を見せられると、とても悲しくなります。

私、いちいちサイトを見に行かなくても、身近な生活の中に自然に青空文庫が入ってくるような世界を夢見て、新規公開作品の情報配信には、わりと長く取り組んできました。今回のものを含め、以下の形態で運営しています。

本当のことを言うと、今、青空文庫に必要なのは、こうやって利用の間口を広げることではなくて、入力や校正に伴う連絡やファイルのやり取りとか毎日の公開に向けた準備作業に携わることなのだと思います。活動に関わったことのある人ならご存知だと思いますが、これらの膨大な作業をごく少数の献身的な人たちが担っています。本当に頭が下がる思いです。

富田倫生さんが亡くなった時、私ももっと活動に関わろうと心の中で約束したのですが、恥ずかしいことに私はそれを果たせていません。思い起こすと、生前の富田さんは、ファイルの変換、旧漢字ファイルの校正支援、校正前後の差分表示など、実務に使えるプログラムを私が作った時には手放しで喜んでくれたのですが、フィード配信とかはあまり評価してくれませんでした。もっと実務に関わってくれればいいのに、と思っていたのでしょう。

というわけで、罪滅ぼしのために、現在、以前作った校正支援ツール(バグがあります)の改訂と、事務方がファイルを受け取った際に行なう点検(いわゆる「青空文庫形式」の書式の整合性とか、機種依存文字の混在とか)の自動化ツールの作成に取り組んでいます。文字コード(符号化)の深淵をのぞき込んで、立ちすくんでいます…

このブログで

2015年 1月 29日 午後 01:35 | | コメント (0) | トラックバック (1)

2015.01.22

To Jihadis - 聖戦を戦う人たちに

It is wrong to take someone hostage to punish someone else. For this simple reason, those two hostages in your hands need to be released. The world has had too many cases of collective punishment. I am against any forms of retaliation by association.

It is also wrong to put a $100 million price tag on somebody on the one hand, while you treat the lives of thousands of your neighbors as if they are totally worthless on the other. I believe in the fundamental equality of all human beings, and therefore I resent your complete disregard of fairness.

It is again wrong to resort to provocation. You think our prime minister has made a stupid decision. What makes you think that he won't make yet another bad decision and try to avenge himself - causing innumerable collateral damage to your sisters and brothers, daughters and sons?

And I think it is absolutely wrong that you are doing what your God does not want. But let me assure you. Your sisters and brothers in faith will not suffer from your actions. I will walk with them. I promise.


だれかを罰するために他の人を人質に取ることは間違っています。ですから、あなたのもとにいる二人の人質は解放されるべきです。世界の歴史は連帯責任とやらに満たされてきました。しかし、私はすべての集団懲罰に反対します。

ある人に1億ドルもの値札を付け、その一方で自分の隣人を全く価値のない人のように殺すことをためらわないのも間違っています。私はすべての人が根本的に同じ価値を持っていると考えます。ですから、あなたが公正さを全く無視していることに憤りを感じます。

挑発に訴えることもまた間違いです。あなたは私たちの首相が愚かな決断をしたと思っていますね。なら、なぜ彼がまた判断を誤り、復讐をしようとして、その過程であなたのきょうだいや子どもたちが数多く犠牲になることがないと思うのでしょうか。

そして、私は、あなたがあなた自身の神が望まないことを行なっていることは全く間違ったことだと考えます。しかし、これだけは言っておきましょう。私はあなたと同じ信仰を持つ人々を恨みません。私はその人たちに寄り添います。このことは約束しましょう。

2015年 1月 22日 午後 01:49 | | コメント (0) | トラックバック (0)